
映画感想 2008 旧作 11月分
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映画鑑賞レビュー 2008年 旧作 11月
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待合室 | 11/30(日) |
雪深い小繋駅駅待合室に置かれたノートには、ここを訪れた人の悩みや
苦しみが書いてある。そんな彼らの心の叫びにいつも答えているのは、
駅前にある小さな商店のおかみさんだった…
設定を聞いただけで、よくある人情ものだろうと思ってはいたけど、
本当に何のひねりもなく意外性もない人情ものだったので拍子抜け。
大体、他人が読むノートだのブログだのHPだのに自分の気持ちを正直に
書くなんてちゃんちゃらおかしくて。真剣に悩んだり本気で苦しんでたら
そんなもの、間違っても他人の眼にさらす場に書けるわけないじゃないか。
「誰かに読んでもらいたい」「見てもらいたい」からこそ書くのであって、
それはちゃんとそれを読む他人を「意識+計算」してるってことなんだよ。
そのくせ自分は一人ぼっちですとか言うな恥ずかしい。
本当に1人という事がわかってる人は何も言わないよ。
だって誰も聞いてくれないってわかってるもんな。
悩みを咀嚼して昇華する努力をしない甘ったれが多すぎる。
悩んだ人たちが訪れてはノートに書き込んだり、そのノートを巡って
日常生活が営まれているというだけで「物語」というものがないので
仕方がないんだけど、映像自体も何も喋らないまま景色だけを映すとか
何度も列車や街並みや雪の林や畑のあぜ道が映されるという、ああ、まさに
日本映画だなぁという「間(ま)」を挟んでる映画。苦手だよ、この「間」…
6歳の娘を亡くしたというのは確かに不幸だった。その事については現在では
もう時の彼方に過ぎ去った事になってたけど、例えばあのヒネた女子高生が
ふとした事からそれを知ったとかなら、「絶望の隣に希望がある」ことを
少しはわかるという根拠になったんじゃないかと思ったんだけど…
トラック運転手の離婚の話もなんだかよくわからなかった。
鍋の材料を買ってきて食べさせて離婚の事を切り出そうとしながらも
結局言えず、携帯で報告する事になる…のはまぁいいんだけど、あの
相棒は一体なんなの。ほとんど喋りもせず食ってて…バカじゃないの。
自殺した早苗って、主人公の娘が事故で死ぬキッカケになった子でしょ?
彼女が故郷に戻ってきてノートを見たりおばちゃんに会ったりして死を
思い留まるならドラマにもなりそうだけど、もう死んじゃったってのは
救いようがないよなぁ…一方で妻と子を一度に亡くした男はあっけなく
救われちゃってるし…それこそあまりにも痛々しいのに立ち直り、早っ!
冨司純子と寺島しのぶの親子共演で、娘が若い頃の主人公をやるというのも
王道的配役だった。若い頃と現在で違和感があり過ぎるよりはいいけどね。
これは映画より、各々のエピソードをじっくり掘り下げる連続ドラマの方が
向いてる素材だったかも。「待合室」を舞台にしたグランドホテル形式でね。
若手俳優を使うくだらないドラマよりよっぽどいい作品になるんじゃないか。
△(2008/11/30 放映)
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シティ・オブ・ゴッド | 11/30(日) |
60年代から70年代にかけ、「神の街」と呼ばれたスラム街で成長していく
少年と、彼の眼を通して見たギャングキッズたちの終わりなき抗争の物語。
こういった第三国のバイオレンスムービーはどうにも残虐で荒っぽいので
視聴中も非常にイヤなシーン(陵辱、拷問、屈辱的な屈服シーンなど)が
出てくる事に対して警戒が怠れないのだが、あっけなくバンバン撃ち殺す
殺人シーン以外はさほど嫌なシーンはなくて(全くないとは言わないけど)、
むしろ随分コミカルさやエンタメ的オブラードで包んでいると感心した。
エンタメだからこそ、全てを見せる事がいいとばかりは限らないもんね。
この映画は何がすごいって脚本、そして構成が非常にうまい事だと思う。
基本となるブスカペの青春と並行して、リトル・ゼの悪逆な行いの数々を
ただダラダラ描いたって、きっと冗長なだけで途中で飽きてしまったと思う。
最初の鶏チェイスと最後の銃撃戦を繋げるまで、一連の流れを描きながら
まずはプスカペが幼い頃にスラムを仕切っていた3人組の末路を描いた物語、
それに絡んでいたリトル・ゼの成長(ただし欲望のままの「殺人」という最悪なもの)
コカインの売人として街のボスにのし上がっていくリトル・ゼ、その相棒で
悪事は働くけれど良心も持ち、人当たりのいいベネ、ある時自暴自棄になった
ブスカペが犯罪を犯そうとした時に出会った二枚目マネ…と、全体的な物語に
沿いながら、途中いくつもの話が短いオムニバスのようになって進んでいく。
その話の長さかそれぞれちょうどいいので厭きさせない。
最初のシーンからどういう結末に向かうのかを気にさせたまま、
スピード感があってどのエピソードも先が気になるものばかり。
例えばブスカペの兄のマヘクが「街を出る」とリトル・ダイス(リトル・ゼ)
から金を奪い、画面から消えていく。けれどモーテル虐殺後に逃走した
リトル・ゼの物語で別の視点から見ると、マヘクが殺された事がわかる。
一般の人たちにも慕われていた優しい悪党ベネが、リトル・ゼの銃から
救ってやったヤクの売人に間違って(狙われていたのは本当はリトル・ゼ)
撃たれてしまうとか、子供を殺せと言われて震えながら殺したステーキが
抗争の流れ弾であっさり殺されてしまうとか…ほとんど悲惨な末路というのが
救われないながらも、どれもこれも立派な伏線と回収になってるのが面白い。
一番の伏線はなんといってもマネを殺した少年・オットだろう。
人殺しをイヤがってセヌーラを止めていたマネが、銀行強盗に入った時に
アッサリと撃ち殺してしまった警備員…彼の息子がマネへの復讐を誓って、
撃たれた彼を気遣ったマネを後ろから殺す事でその願いを果たす事になる…
彼の敵は神の街の悪役の雄であるリトル・ゼではなく、あの夜リトル・ゼが
気まぐれを起こさなければ普通の生活を続けていたマネだったのは皮肉だ。
最後に全てを見るのはブスカペと我々視聴者だけ。
武器を横流ししていた警官たちがリトル・ゼから全てを奪い、見返りに
彼を解放する。そんな丸腰の彼を撃ち殺したのはかつての彼のような
無邪気で残酷な子供たちだった。蜂の巣にされたリトル・ゼの死体を撮り、
けれどブスカペはその直前に、警官に解放される彼の姿を公表する事は
しなかった。だからこそ仕事をもらってその後も生きていけるわけで…
やられたものはやり返す。やったものはいつかやられる。
リトル・ゼがいなくなったスラムでは、彼にもらった銃を掲げた
子供たちが気勢を上げる。神の街ではこの連鎖が延々と繰り返す。
第三者として冷めた目で事態を見つめるブスカペは、銃を恐れ、
暴力を嫌い、美女に恋し、成功を夢見るごく普通の一般人だ。
そしてこのブスカペのあまりの普通さによる冷め切った視点が、
この泥沼のような物語を常にニュートラルに戻してくれる。
普通なら暴力だけの映画など陰惨な物語になりそうなのにそうではない。
リトル・ゼの、悪なんだけどどこか幼稚で無邪気な凶暴さ、ベネの、
悪のクセに優しく人のいい善良さ、マネの、巻き込まれてしまった
悲哀と生真面目さなどが不思議なほど軽さや明るさをもたらしている。
ブスカペが悪の道に堕ちそうになった時、物事がいい方へいい方へと
転がってしまって結局できなかったというのもコメディタッチだし。
重苦しくなく、かといって軽くはなく、けれど嫌悪感ばかりではない。
明るくて暗い、本当に「不思議」な魅力を持つ暴力映画だと思う。
素人同然の役者を大量に使ったとか実話を元にしているとか、公開当時も
色々と話題をさらったようだけど、確かに意外なほど面白い作品だったよ。
△(2008/11/29 放映)
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続 無認可保育園 歌舞伎町 ひよこ組 | 11/29(土) |
先日見た前編の続き。
ヤクザの組という事にして役所の追求は何とか逃れたものの、
屋敷組のシマでの組の旗揚げによって大川組を潰す口実が
できてしまった。準次は一体どうなってしまうのか!?
後半はヤクザの抗争にスポットが当たる…とはいえそこはひよこ組。
オドオドする大川組幹部とか、結局選挙に負けたナルシーがぶっちゃけ
ヤミ金(本人曰く「スポンサー?」)に手を出してた尻拭いをしたり、
ついでに多すぎる利息に苦しむ吉村夫妻も助けたり…
ひよこ組にも慎之介というデブガキが仲間入りし、意地悪されたり
仲良くなったり。連中のケンカをメロンを半分こして手打ちにして
収めた時、いい手を考えたと言うのでどんな手かと思ってたらただ
ワビを入れに行くだけだったので拍子抜けした。結局それかい!
武田が本当にエンコ詰めたのにはたまげたけどね。
先っちょとはいえ体に自分で傷つけるのはやっぱいけねぇよ。
オカマバーでも子供たちを頼まれてたので、最後には最初みたいに
子供が集まってるシーンで終わるかと思ったけどそれはなかった。
ヤーさんと保育園というかけ離れた世界を繋げて、コワモテが奔放な
子供に振り回される「別物世界のドタバタコメディ」は定番だけど、
まぁまぁかな。ただ前半の子供たちと親にスポットを当てた話の方が
面白かった。後半もホストとかオリビア母をからめてもよかったのに。
小沢仁志は確かにコワモテなんだけど、訓練されている子役とはいえ
準次に抱きついたり抱っこされる時の子供たちがリラックスしてる姿を
見ると、なんだかんだで子供には優しいのかも…とほくそえんでしまった。
△(2008/11/28 放映)
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Dear フランキー | 11/26(水) |
「あの子の“声”が聞きたくて…」
耳の不自由なフランキーはママとおばあちゃんと3人暮らし。
パパは船に乗っている。たまに綺麗な切手と一緒に手紙をくれる…
一家が引越しを重ねていたり、新聞の死亡欄を気にしたりと、ただ単純に
「父親が出て行った」というだけではなさそうな緊張感を持たせながら、
フランキーが父に手紙を書いている事、その返事を母が書いている事、
ハンディを持ちながらも穏やかで聡明なフランキーは、友達を作り、
母をいたわり、祖母のお使いをこなしながら日々を過ごしている。
けれどちょっと意地悪なクラスメイトのリッキーが、母が適当に決めた
「父が乗っている船」がグラスゴーの港に到着することを告げたため、
フランキーはリッキーと父が会いに来るかどうかで賭けをする羽目になる。
物語は非常に静かに進み、「初めてのお使い」でマリーとフランキーが交わす
「会話」や、図書館で声をかけられても気づかなかったフランキーに司書が
誤ったり、手話が出来るカトリオーナと仲良くなったり、マリーがリジーを
仕事に誘ったりという日常から、ある日突然「父親が会いに来る」という
シチュエーションを整えねばならないという緊急事態へと急展開していく。
困り果てたリジーは盛り場のバーに「見知らぬ男」を捜しに行って商売女と
間違えられたり、息子のために何かしてやらなければという想いがあっても
かなわないジレンマに打ちひしがれてしまう。そんな彼女に救いの手を
差し伸べたのはマリー。彼女はリジーに「ストレンジャー」を紹介する。
約束の日、フランキーは朝早くに家を出て1人丘から景色を見ていた。
迎えに来たマリーに連れられて帰ったそこには会った事のない父が。
この時彼が魚の図鑑をおみやげに渡すんだけど、ここでそういえば
フランキーは「どうしてわかったの?」と母親に聞くんだよね。
私は無愛想で仏頂面のストレンジャーがあまり乗り気でなさそうだったのに
リジーが渡した手紙をちゃんと全部読んできたんだなぁと感心したんだけど、
そういえば手紙に書いたならここでフランキーが「どうして?」と聞くのは
おかしいんだ…家を出たのも「父親」は本当に来ないと知っていたからか…
こうして土曜日を一緒に過ごすフランキーとストレンジャー。
初めはぎこちなかった2人が、やがて笑い合い、コミュニケーションをし、
石投げや競争など、まるで本当の親子のように楽しげに過ごすようになる。
それは彼が思わずもう1日、日曜日も一緒に過ごそうと提案するほどに…
3人で丘に登り、食事をし、ダンスをする。
普通の家族なら本当に何気ない週末なのだけど、フランキーにとっては
どれほど楽しかったろう。そしてそれを望んで手に入らなかったリジーも
同じこと…リジーは暴力をふるう夫から逃げていた。探される事を恐れて
引越しを繰り返していた。かつてフランキーの耳を奪ったのは夫なのだ…
リジーのどうしようもない不安が明かされた瞬間、ストレンジャーは
その過去のあまりの重さに言葉を失ってしまう。陳腐な言葉はない。
彼は重苦しい気持ちのままでフランキーに別れを告げるしかなく、
リジーには精一杯の気持ちの現れとして友愛のキスを送るしかなかった。
彼が去った後、お金がリジーのポケットに返されていたのも憎い演出だ。
この親子にはまだ何かあると思わせていて畳み掛けてくる脚本がうまい。
尋ね人の広告が出されている事を隠していた祖母の素振りからも、夫が
本当にひどいDV男だったんだろうとわかるのだけれど、彼の姉という人が
死の床の弟に息子を合わせて欲しいというのでリジーが夫に会いに行くと、
これまた前頭葉がヤバいんじゃないのってほど短気で激昂しやすいダメ男。
でも結局は「父親だから」と情にほだされてフランキーを会わせちゃうかと
思ったけど、最後まで会わせずに死んだのはリアルでシビアでよかったかも。
自分の子供を殺しかけた男に会おうなんて思う女の気が知れないもんな。
「フランキーには優しく遊んでくれる本当の父親がいるの!」
汚い言葉で喚く夫に、思わず叫んでいたリジー。
パパは重い病気で死んだと告げられたフランキー。
これで全てが終わり、もう逃げ回る必要のない生活が始まる…
ストレンジャーはマリーの元恋人ではなく弟だった。
フランキーもまた彼が父親ではない事を知っていた。
そして恐らく彼もまた船員ではないのだ船員にチップを渡しているので
母が受け取ったのは、もう届くはずのない手紙。
フランキーは彼に自分の父が死んだことを告げ、母を思いやる。
そして友であるあなたに、いつかまた会える日を夢見ていると。
物語は未来を何も示唆しないけれど、何かが変わっていくことはわかる。
「長くは留まらない」と働く事を拒んだリジーはここでマリーとポテトを
揚げ続けるだろうし、リッキーとも仲良くなったフランキーはこの街で
成長していくだろう。そしていつか彼らの傍に、無口で無愛想だけど、
2人を大切にしてくれる優しいストレンジャーがいるといいと思わせる。
派手な事など何もない、苦い人生を送りながらも何とか希望を見出そうと
頑張っている人を描いているだけなのに、優れた脚本というのはこんなにも
ドラマティックな物語を紡げるものかと感心させられる。カメラワークも
丁寧で、フランキーの繊細な表情、徐々に和んでいくストレンジャーなど
とてもよく捉えていると思う。間違いなく、掘り出し物の佳作だった。
△(2008/11/26 放映)
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マーニー | 11/26(水) |
何かのマンガで(手塚治虫だったかな)「『マーニー』という映画がある。
主人公が赤い色を見るとひどく怯えるのは、子供の頃に見た光景が…」とか
説明されてて、記憶の何処かに残っていたので今回ちょっと視聴してみた。
とりあえず、ショーン・コネリーがエロい。
キスシーンであんなエロエロな撮影しなくてもいいじゃないか!
美人なら盗癖があっても虚言壁があってもへっちゃらで口説きまくり、
しまいにはとっとと結婚までしてしまったこのエロ社長に呆れっぱなし。
しかもマーニーが男性恐怖症と知り、ちゃんと理解したのかと思ってたら
いきなり寝室に突撃したので笑った。あんた待つって言ってたじゃないか!
マーニーが赤い色を嫌がり、男性恐怖症なのは、かつて母が身を
売っていた時、客の1人を殺した光景がトラウマになっていたから。
しかもその男にとどめを刺したのは、母を守りたかったマーニー自身。
母はマーニーをかばい、男を殺したのは自分だと罪をかぶっていた。
マーニーが異常な盗癖と虚言壁を持つのは、母の愛情不足を感じてのこと。
最初は母親と娘の間の確執が彼女の異常な行動を引き起こす「キャリー」
タイプの関係かと思ったんだけど、そうではなく、母はむしろマーニーを
愛し、自らが殺人者の汚名を着るほどだった。男性恐怖症は客として来た
男たちへの嫌悪と、実際殺した男にもいたずらをされたという暗喩かな。
それにしても迷惑な話だよ。
育った環境が悪かったと言えばそれまでだけど、これはフィクションなんだから
最後には罪を償いたいと言うのかと思ったら、あろうことか刑務所に行くのは
イヤだわってあんた…なんとも腑に落ちない。めでたしめでたしとは思えない。
とにかく一番印象に残ったのはショーン・コネリーが男の色気ムンムンで
参ったってことだ。あと結婚式に新郎にあんなに濃厚なキスをする妹って
どうなのよと思ってたら「死んだ妻の妹=義妹」だった。皆さんエロ過ぎです!
△(2008/11/26 放映)
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ピースメイカー | 11/26(水) |
盗まれた核弾頭を追って、やたら暑苦しい顔のジョージ・クルーニーが
無駄に派手な立ち回りを繰り広げる20世紀末のサスペンス・アクション。
話としてはロシアから運び出されるれる核弾頭(うち1つは爆発)を追って、
過激な対テロ部隊のデヴォー中佐とケリー博士を中心にチームを組み、
輸送ルートを割り出していく。ウィーンで情報収集に協力してくれた
友人を失ったデヴォーは弔い合戦とばかりにロシア内にヘリで侵犯し、
その攻撃でさらに9人もの仲間を失いながらも、銃撃戦や派手な
アクションを繰り広げ、何とか8個の核弾頭の回収に成功する。
ウィーンでは追っ手とのカーアクションが見せ場なんだけど、とにかくベンツが
あまりにも丈夫過ぎて笑った。外交官仕様で防弾ガラスなど強化もされてるん
だろうけど、ガンガンぶつかってもちょっとヘコむ程度でめっちゃ頑丈。
日本車じゃ間違いなくああはいかないな。すぐメメコォって感じだろう。
それに燃えた車に肝心のプリントアウトした書類を置いてきちゃったので、
んじゃなんのために運送会社の社長に会いに行って暴力でふんづかまえて
パスワード聞き出してアクセスして調べたのさって感じ。友達が殺されたと
傷つくのはいいけど、結局結果を手に入れてないことにも少しは悩もうぜ?
実は真犯人だった「消えたもう1つの核弾頭」をNYで爆発させようと企んだ
サラエヴォの外交官・デューサンもわざわざ顔がわかるように犯行声明用の
ビデオを撮ってたり、しかもNYでは変装すらせずにバックパックに核弾頭を
入れて持ち歩いてたり…せめてヅラか帽子かグラサンくらいかけろよ!
バッグもボストンバッグとかスーツケースとかいくらでもあるじゃん!
それに本気で自爆テロをやるつもりなら、目的地の44丁目に辿り着かなくても
ヤバそうになったらもっと早く爆発させてもいいと思うのね。爆発させられたら
話が終わってしまうので困るとは思いつつ、顔を隠す気もなく歩き回ってた上に
やけに間延びした逃走劇を見てたら「もうそこで爆発させたらいいじゃん!」と
つい過激な事を考えてしまったよ。いや、しかもそれ、実際爆発したしね!!
なんだかんだ理屈こねてたけど、ニコール・キッドマンには時限装置の解体が
出来なくて、間に合わないから爆発しちゃって。ええ?マジで?って感じだよ。
しかも2人とも窓から真っ直ぐ飛び出してきたんだけど、真後ろから来た爆風に
巻き込まれないわけねーだろ!とツッコむ。しかもそれだけの爆発だったのに、
「核を爆発させなければ大丈夫」って、どんだけご都合主義なんだよっ!
それじゃ今まで爆発を阻止しようとしてたストーリー全部意味ねーよ!と、
とにかくツッコみまくりたくなるラストだったよ。いや〜、これはひどい。
無差別な攻撃で妻と娘を一度に失ったデューサンが、この苦しみと哀しみを
平和を調停する者(ピースメイカー)であるおまえたちも感じてみろという
主張はわからなくはないとは思ったけどね。自国に勝手にインクで、時には
血で「国境線」を引いた者たちへの憎しみというものもあるだろうし。
それに対して「俺たちの戦争じゃない」とデヴォーがあっさり
答えたのは結構ムッとした。そうか?本当にそうなのか!?
しかし今見るとこの頃の「迷走している」国際情勢を反映した
アクションものは面白いね。この「面白い」は皮肉なんだけどね。
当時は民族粛清やNATOの空爆が問題になったボスニア・ヘルツェゴビナの
民族紛争とか、資源を巡ってのロシアによるチェチェンへの武力介入とか、
冷戦終了後のツケが一気に噴出してきて世界中がどうしたらいいんだと
手をこまねいている時代だった。自爆テロも世界中で始まってたしね。
冷戦時代には描きやすかった「ソ連、または東側=自由の敵」という構図が
すっかり影を潜め、明日のニュースでは突然元は敵だった国が友好国に様変わり
なんてことも起きてたから、国際的なアクション映画は難しかったと思うよ。
スパイの存在価値がなくなり、007も敵を見つけられない不遇の時代だった。
9.11を境にやっと「アクション=テロ集団をぶっ潰す」になるんだもんね。
とにかくまだ若くて綺麗なキッドマンが本当にただのお飾りヒロインで、
ERでブレイクし始めてたジョージ・クルーニーに派手なアクションを
やらせる事が前提にあって物語が肉付けされた作品だなーと感じたよ。
△(2008/11/19 放映)
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北京ヴァイオリン | 11/26(水) |
これもずっと見たいと思っていながら公開に行けず、しかも録画も何度か
失敗してしまっていた映画なので今回ようやく念願かなって観る事が出来た。
(確か有楽町かなんかでの公開で、遠いからめんどくさくて行けなかった)
久々によかったねぇ…今年見た中では私的には一番かも。
登場人物が皆素朴で、ちょっとダメダメな人もいないことはないけれど
基本的にはいい人ばかりで、最後はある意味最高のハッピーエンドで…
田舎者丸出しの劉父さんがいい。
天才的バイオリニストだけど、無口で多感な小春がいい。
浪費家で派手好きの男好きの友近莉莉がいい(つか友近が大陸顔なんだな)
自己中で小汚くて臭そうなんだけど、芸術に対しては真摯な江先生がいい。
なかなか姑息な林雨が言ったとおりだとしたら確かに「勝手な人」に
なってしまうけれど、でもあそこまで小春に入れ込み、手元に置いて
レッスンをしてくれる姿は信じたいと思わせる余教授も悪くない。
豊かなお屋敷で料理人をしている父と、地元で評判のバイオリン弾きである
小春が北京にやってくるところから始まるのだけど、江南の田舎と首都北京の
あまりにも差のある景色、人の服装、生活習慣…何もかもあまりにも違い過ぎて
こちらの方が驚いてしまう。日本の東北と首都東京なんてもんじゃないからね。
だけどいくら北京が発展したと行っても、小春がヴァイオリンを担いで走る
北京の裏道は、私がかつてまだ兌換券を使っている頃に行った中国そのもので
懐かしかった。そして何よりこうした映画が一番楽しいのは庶民の生活ぶりを
見る事ができる事。私は本当にこの、「地元の人から見たら何が面白いのか」
という「日常的風景」に目がない。旅行に行ってもそればかり気になっている。
例えば江先生が中国風のストーブで練炭を焼き、それを火鉢に移したり
寝床の下に敷いたりして暖を取っているとか、江南の家で小春がまさしく
「尿瓶」で用を足してたりとか、中国でも今は「デリバリー」なんて商売が
あるのかとか、北京駅がめちゃくちゃ立派で、なのにエスカレーターはまるで
止まってるかのように遅いとか、莉莉の家のドアが格子と二重になってるとか、
何を見ても楽しくてワクワクする。それに泥水に石を置いて渡っていくのも、
まだ完全に舗装された道路ばかりじゃなかった時代には私だってやったから
ちょっと笑ってしまったり。ドブ臭かった小路の雰囲気まで思い出しちゃうよ。
今後さらに経済発展と共に失われそうな背景が多いので貴重だと思いつつ、
そんな雰囲気を存分に楽しみながら、親子の絆の物語もとてもよかった。
小春の才能を少しでも伸ばしたいと願う父は、必死になって先生を探す。
コンクールの結果は5位。けれど本当は1位になったのは小春だった。
いくら才能があっても、金とコネがなければ成功はできないのだ。
やがて父は辛辣ながらも正直な江先生に頼みこんで小春を弟子にしてもらい、
小春も江先生の「ゲージツカ」ぶりに振り回されながらもヴァイオリンの
腕を磨いていく。一方では女に興味を持つ年頃でもあるから、偶然出会った
莉莉に振り回され、ファッションや恋など北京の街の華やかな面を知っていく。
やがて父は「音楽を習うためならよいが、成功するためには江先生では力不足」
と判断し、高名な余教授に弟子入りを願い出る。小春を思うゆえの行動とはいえ
小汚いけれど真の芸術家である江先生に親しみを感じ始めていた小春は反発し、
なんとヴァイオリンを売って金に換え、あろうことか莉莉のコートを買う…!
まぁこのへんのすれ違いはいくらなんでもありえないんじゃないかと思うけど。
確かにこの頃から小春が父に対してやや反抗的になってきた描写はあったけど、
だからって小春だっていやいやヴァイオリンをやってるわけでは決してないし、
ましてや「2歳の時に亡くなった母の形見」といわれるヴァイオリンをいきなり
古楽器屋に売るなんて事はいくらなんでもしないんじゃないかと思うんだよ…
(質屋に入れる方がまだ取り返すチャンスはあると思うけど、中国にも質屋はあるのか?)
一生懸命な父とすれ違っていく小春。
私も小春の行動が全く理解できなかったので、このへんはすごく歯がゆい。
しかも余教授は小春を住み込ませ、父さんは莉莉に「小春を取られてしまった
ような気がする…」と寂しさを訴える。そんな事はない、実の親子なら縁が
切れるなんてことないわよと、父さんには実は結構グサリと来る言葉で慰めて
くれた莉莉も、おバカさんではあるけど決して冷たい人間ではなく、コートの
件は小春が勝手にやった事なのに、自分のせいで小春の道を閉ざしてしまった
のではないかと責任を感じて大学にまで行って余教授に直談判してくれたり、
ヴァイオリンを買い戻す金をかき集めたりと一生懸命になってくれるんだよね。
そんな風に皆に守られているのに、久々に会いに来た父さんに対して冷たい
態度を見せる小春。明日帰るよと言った父さんにも冷たく返事をするだけ。
成長の過程で子離れ・親離れは大切なイニシエーションだとわかっていても、
幼稚な小春のこうした態度には幼い日の自分が重ねあわされて胸が潰れそうだ。
そして明かされた真実。
父さんがどれほどの苦労をして自分を育て、なおかつ可能性を信じ、才能を
延ばそうとしてくれたかを知った小春は、走り出さずにはいられなかった。
自分の子供でさえ満足に育てられない親が多い中、彼は13年間もの時間を
ただ小春のためだけに費やしてきた。小春の成長をただ1つの喜びとして。
林雨の陰謀にハマってコンクールには出ず、父を見送りに来た小春だけど、
北京駅で父を探して走る小春の映像に、13年前駅の雑踏で捨てられた赤ん坊と
傍にあったヴァイオリンを担いで小春の親を探して走り廻る父の姿がフラッシュ
バックしていく。もー、こんな演出で映像を見せるのは卑怯すぎるじゃないか!
心を表現する音楽をきみはまだ弾けないと余教授は言ったけれど、この時
莉莉と共に劉父さんを見送りに来ていた江先生は、最初に小春の演奏を
聞いたとき、きみの音楽は心を揺さぶるとちゃんと見抜いていたんだよね。
でもその江先生すら、「何かのためにヴァイオリンを弾くな」と言っていた。
けれど小春が誰のために、何を思って弾いたかは明白。
言葉では言い表せない気持ちを伝える、父というたった一人の観衆のために
弾いた曲…最後の涙にまみれた顔で弾いたそれは、実に素晴らしい演奏だった。
△(2008/11/5 放映)
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13デイズ | 11/25(火) |
「JFK」に続けて見た、ホワイトハウスが舞台のケネディもの。
キューバ危機を描いた作品なので全編を通じて静かな緊張感が漂う。
主演が「JFK」と同じくケヴィン・コスナーなので、あのガッシリした
見かけに反した「やたらカン高い悪声」を続けて聞くハメに…
ソ連がキューバに核ミサイルを配備した事により、キューバからワシントンを
直接狙えるという危機が迫る。それによって大統領、政府、軍部がそれぞれの
立場から思惑をぶつけあうのだけど、コスナーは大統領特別補佐官(本人曰く
アドバイザーとのこと)であり、弟のR・ケネディの同級生であるという設定。
これまた2時間半近い長い映画で、ほとんどがアメリカ側の視点だけで見る
セリフのみの作品なので、英語がわからない私など字幕を読むのが大変だ。
登場人物が多く、字幕で説明は出るんだけど肩書きが長すぎて覚えられない。
印象に残った人物といえば初めに「臆病を承知で言うが」と、やたら先制攻撃を
主張する好戦的な軍関係者たちの中にあって、譲歩案である「トルコに配備した
ミサイルを破棄する」事を提案してはどうか、しかもそれを自分が引き受けると
言った国連大使と、主役のオドネルと電話で繋がり、自身も国を支える人たちも
「善き人」である事を願い、ついには撃墜されてしまったアンダーソンくらい。
特に国連大使は、結果的に彼が最初に提唱したこの提案でフルシチョフの心を
動かす事ができたわけだし、さらには国連安保理でのソ連大使との丁々発止の
探りあいと証拠の航空写真という事実のつきつけなど陰ながら大活躍だった。
逆にアンダーソンはあまり動きのない映画の中で(あったら困るのだが)、
追ってくるミサイルとの空中戦を行った。どっちにしろ2人ともこの静かな
映画の数少ない「動」の部分を担ったから印象に残ったのかもしれない。
海上封鎖が始まっても、あっちが止まったのに今度はこっちが廻頭したり
潜水艦が現れたりそっちだけは進んだり…と、右往左往させられるのが、
ケネディとフルシチョフが行っている「誰も見たことがない言語」での
コミュニケーションだというのも笑ってしまう。冗談じゃないっての…
メモ1つが本物か偽物かで延々と議論したり、本当にこの頃のアメリカと
ソ連は首脳同士が直接話をするなんていうラインが引かれてなかったし、
引こうとも思ってなかったんだろうね。直接会話もせず、ただ「見識者」と
される周囲の噂やデマや憶測を聞くだけで判断しようとしてたんだから、
その二国がまさしく世界の命運を握っているというのは恐ろしいよなぁ…
とはいえ、正直これを見ても本当にそんなにヤバかったんだろうかと
「危機感」がどうしても伝わってこなかった…南太平洋や自国の砂漠で
バカスカ撃ってる核が、実際に自分の頭の上に落ちてくるとなったら
慌てふためくってどうよ、みたいな。まぁ当時米ソの戦争が始まったら
世界は何度滅ぶかわからない状態だったと思えばヤバかったろうとは
思えるんだけど…一般の人がどうだったのかが見えなかったからかな。
でも「JFK」を見た後だとこうしたケネディの功績も軍との摩擦や反対派の
反ケネディ思想などを呼んだかのように見えてしまって暗い影が落ちる。
結果的にこの2人の兄弟は共に志半ばで凶弾に倒れてしまうわけだし。
(「ピッグス湾での失敗という汚名を返上する」というセリフもやたら多く、
このへんのCIAとの関係悪化もケネディ暗殺がCIA絡みとされる一因らしい)
JFK映画は考えたり整理したり自分なりに理解しようと噛み砕いたり、大変だ。
△(2008/11/23 放映)
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JFK | 11/25(火) |
公開当時は長さといいテーマといい何かと話題になったオリバー・ストーンの
大作映画。そういえばこれ以来ケネディの暗殺に関する真相は「CIA絡み」の
国家レベルの陰謀説だったというのが一般的になった気がするな。
しかしアメリカという国はやはりちょっと危うい。
一国の大統領が暗殺される事自体、内戦を繰り返す発展途上国や政情不安を
抱える国ならともかく、世界の警察を自称する「正義の国」で起きるなんて
やっぱりおかしな事だ。リンカーンからこっち4人っていかさま多いよねぇ…
この映画の説が真相なのか全く見当違いなのかはこの際別として(フィクション
でありエンタテインメントをあーでもないこーでもないと真剣に語るのは無粋だと思うし)
キング牧師(だからこの国はほんの50年も経ってない過去は黒人を犬同然に
差別してた国なんだってば!)、ロバート・ケネディ上院議員と立て続けに
暗殺されてるんだからやっぱり物騒な国だ(日本の首相も2人ほど暗殺されたけど)
大統領がテレビカメラの眼の前で殺されるという衝撃的事件、世の中の
狂騒と困惑、あまりにも出来すぎた犯人・オズワルド逮捕の不自然さ、
そしてその「不自然さ」の最たるものが護送中のオズワルド自身の殺害…
けれどウォーレン委員会が発表した報告書では「オズワルドの単独犯行」と
なっていると知り、ギャリソンはその内容に大きな疑問と違和感を抱く。
そしてこの事件を地方検事の立場から洗いなおし、証言者たちを訪ね歩き、
大統領暗殺が「国家陰謀説」であることをその立場から立証しようとする。
それにしてもその「立証」までの道のりが長い。
証言者がたくさんいて、目撃者もたくさんいて、関係者もたくさんいて…
むしろこれだけ多くの口が利ける人がいながらなぜ真相が闇の中なのか!と
イラっとするわぁ。我が国の下山事件や帝銀事件ほどは古くないんだから
証言者がいるうちに解決すればいいのに、証拠書類の公開は2029年までは
しないなんて、自分で自分が怪しいですと言ってるようなものだろう。
法廷での「魔法の銃弾」の実証はとても面白かった。
どう見ても一発の銃弾がする仕事としては多過ぎるだろうそれは…
ただ今なら間違いなく精巧なCGで実際の弾道を再現できるだろうし、
弾丸の威力や遺体の損傷パターンなんかも再現できるだろうと思うと
歯がゆい。でもホント、日本だって今さら「解決済み」とされた事件を
わざわざ暴こうとしないのと同じで、アメリカ人にとっても触れたくない
「パンドラの箱」なのかもしれない。アメリカにとってはまだまだこの後、
ニクソンのウォーターゲート事件くらいまでは暗黒の時代が続くもんね。
結果的に、ギャリソンが切り崩す取っ掛かりとしたかったクレイ・ショーの
CIA関与については否定され、彼は無罪となってギャリソンの敗北で終わる。
そもそも陰謀説が囁かれながらも有力な結論としては出ていない事件なので
これほど長々と「陰謀説」を見せられて、最後が後味悪いのは仕方がない…
それにしても夫の暗殺を一番近くで見ていたジャクリーン・ケネディが一体
どんな証言をしたか気になる。ウォーレン委員会には証言したようだけど。
ただジョンソン大統領が黒幕かも…というのは過激で面白かったけどね。
カストロ、ソ連、左派、右派、人種差別派、軍…アメリカ大統領ともなれば
どんな人も内外に敵が多かったのは無理からぬ事だろうけど、それにしても
ケネディは悪目立ちし過ぎたよね。そういう意味では来年からも危ないけど。
だってこの映画を見て真っ先に思ったのは、「次の副大統領は誰?」ってこと。
近年まれに見る「暗殺される確率の高い大統領」だもんね、オバマ次期大統領…
トミー・リー・ジョーンズが注目された映画でもあるけど、言われるほど
活躍はしていなかった。それとギャリソンの妻がシシー・スペイセクなので
「こんな法廷めちゃくちゃにしちゃいなYO!」と思ってしまうのはいかんキャリー
あとフェリーの眉毛と不自然な髪の毛(見るたび動く)が気になってたけど、
死体がハゲだったのを見て、そんな真相は明かさなくてもいい!と笑った。
△(2008/11/17、22 放映)
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地下鉄に乗って | 11/24(月) |
地下鉄に乗ってタイムスリップ…するだけではなく、地下鉄は時間移動の
イメージとなっているようで、家の居間にいる時も愛人のみち子の家で
寝ている時も、必要なら各時代にタイムスリップしているようだ。
う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん…
なんだこれは。
映画がどうこういうより、そもそも原作が「なんじゃこりゃ」だと思うんだが。
一代で会社を築き上げた父親と息子との確執を描き、苦労し続けた父の過去を
垣間見て、最後に和解するのかと思ったけどそれはなく、まぁでも心の中では
父を許したという事はわかるんだけど…兄が死んだ日に戻ったという事ばかり
DVDなどのあらすじや、公開時にもクローズアップされてたから、兄の死の
真相を探る話だと勝手に思ってたせいかも。実際のメインは父だったのね。
大沢たかおが演じ、年代によって様々な七変化を見せた小沼佐吉はそれなりに
よかったけどね。信次にとっては暴君でしかなかった父が、戦争中は女子供を
見捨てずに最後まで戦ったこと、戦後の闇市で騙し騙されて一旗挙げたこと、
ぶつかり合い、自殺してしまった兄が実は佐吉の子ではなく、母が好きだった
帝大生の子だったことなど(お母さんその後もずっと黙ってるの卑怯でしょ!)
苦労を重ね、彼なりに子供たちに愛情を注ぎ、家庭を大事にしていたとわかる。
まぁほとんど方法ややり方が間違っていたから、いくら実際は…といわれても
当事者には許せないものもあるだろうけどね。愛憎はなかなか理解しづらい。
悲劇を印象づけるための濡れ場も別に必要ないと思うし、そもそもこの映画、
無駄な描写が長々と続いてすごくイラつく。そのゆっくりした描写を演出と
思ってるんだろうけど、例えばオムライスをゆっくりすくって食べるシーンを
一連のカメラワークで撮る必要はないじゃん。そこはもうすくって口に入れる、
またはすくったオムライスを見つめる、でもいいわけじゃん。トロいんだよ、
全体的に。特に後半、全てが明かされる30分と、後日談っぽいシーンがトロい。
そもそもこの話は主人公が不倫をしてる事で完全にマイナス出発になってる。
私は不倫してるってだけでもうそのキャラクターを正当に評価しないからね。
しかも後半、実はこの2人が血の繋がった異母兄妹だったとわかった日には
気持ち悪さマックスよ。みち子が自分の存在を消そうとした意味は色々と
心理を考察すればいいんだろうけど、別にどうでもいい。気持ち悪いから。
ちなみに番組が終わったあと軽部真一氏が言ってたけど、みち子が
トキの腹の中の自分を殺す事で自分の存在を消そうとしたのは、
「兄と妹であると知っても、信次を愛する事をやめられないから」
ではないでしょうかとの事。だからそんなのどうでもいいってば。
△(2008/11/23 放映)
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理想の恋人.com | 11/24(月) |
男を捜すならスーパーがお薦め。冷凍食品を選んでる男は独身よ…
ははぁ、なるほどねと笑ってしまった。
よし、これからは若いイケメンがスーパーで買い物してたらカゴの中覗こう。
36歳のサラは、周囲の恋人を探させようとする「温かい」励ましに
ウンザリしつつも、穏やかで優しい、自分が愛し、そして自分を
愛してくれる「理想の恋人」が現れる日を夢見ているバツイチ。
とはいえある程度の年になると恋人を見つけるのはなかなか至難の業。
家族の紹介、友達の紹介、どれもこれもピンと来ないまま、ある日姉が
勝手に登録したネットの出会い系サイトを元に、何人かとデートしてみる。
ティーンネイジャーじゃあるまいし、互いに探りを入れる会話から始める
30代というのもなんとも…日本でも最近「婚活」なんて言葉があるように、
若い頃と違って「楽しいだけ」でいいというわけにはいかない世代だから、
注文をつければ相手が見つからず、かといって誰でもいいとも言えず…
そんな惨憺たるデートの中でサラの恋人候補に上がったのは、全然売れない
木のボートをハンドメイドで作っているバツイチのジェイク。彼もまた元妻の
裏切りに傷つき、落ち込みながら理想の恋愛を思い描くロマンティストだった。
少し変わり者だけど誠実そうなジェイクは、確かに臆病になってるサラとは
ピッタリ合いそうだし、情熱のままにいたそうとしたらコンドームがなくて
街中を走り回って見つけた頃にはすっかり冷めてましたってのも可笑しい。
日本も都会にはコンビニという便利なものがあるけど田舎じゃ大変だよね…
ところでもう1人の恋人候補は園児の父親で妻と別居したビルなんだけど、
ビルが訪ねてきたところに居合わせたジェイクがサラに幻滅して去ったため、
ターゲットがこちらに絞られる事になる。ところが首尾よく最後までいったにも
関わらず、なぜかサラが怒り出し、こんな薄っぺらい男に惚れてた自分が最低と
ご破算にしてしまう。なんで??日曜日の朝に野球がどうのと言ったから??
ラストは1人でボートを漕ぐジェイクを追いかけてサラが川に飛び込み、
想いのたけを告げてハッピーエンド。結局一番の助言は姉妹でも父でも
父のガールフレンドでもなく、ゲイのカップルだったってのがイマドキだ。
でもこのシーン、わざわざ災害救助犬のシーンを見て「あんたもいつか
出来るわよ」と言ってたんだから、マザー・テレサが飛び込んでジェイクを
振り向かせた方がドラマティックだったかも。いや、テレサもサラを追って
飛び込んだんだけどね(単独だと動物愛護協会とかがうるさいのかもしれん)
父のガールフレンドのドリーとのエピソードなんかは思ったよりよかったし、
30代バツイチによる押したり引いたりの恋愛なので、ストレートだったり、
やけに純情だったりとえげつなさや歯がゆさが混ざってまぁまぁだったかな。
とりあえず、そんな年になってもまだ諦めずに頑張るそのエネルギッシュさは
ホントにすごいわ。私はまさしく「ドクトル・ジバゴ」を見てる方がいいわ。
あと最後に「とても安全に撮影されました」「死ぬほど撫でられたけどね」
というメッセージを残す犬たちが可愛すぎてきゅんきゅんしてしまったよ。
△(2008/11/20 放映)
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逃亡者 | 11/24(月) |
「往年の逃亡者」リチャード・キンブルがあっちこっちを逃げまくり、
それと同時に妻を殺害した真犯人を突き止めるというサスペンスもの。
最初の事件から事故で護送車から逃げ出すまでは時系列がバラバラになっていて
パーティー会場に戻ったり妻との幸せな記憶が甦ったりと目まぐるしいけれど、
ジェラード警部との追いかけっこの導入部分はハラハラどきどきさせて面白い。
ダムにダイブして逃げ遂せるあたりからシカゴに舞い戻り、今度は真犯人を
突き止める推理物になるんだけど、最初のスリリングな逃亡シーンに比べると
ややだれるかな。もちろん義手の男を捜すためなので、無駄な事をやっている
わけではないんだけど、それと当然疾走感やスピード感はなくなっちゃうので
どうしてもね。物語のためには仕方がないといえば仕方がないんだけどね。
事件当時、キンブルと格闘した義手の男の様相が変わっててちょっとビックリ。
写真に写っていた医師が死んだと聞いた時、ああ、じゃあ黒幕はあの友達かと
わかってしまったのはちょっと安直だったかな?とはいえ車のキーの伏線は
「ああ、なるほど」と思わせたけどね。大体友達ももっと手を打っとけよ!
ジェラード警部がクールなくせに最後はキンブルの熱意と執念に観念して
手助けをしてやるところ(サンプルが入った冷却バッグを渡す=証拠として出せ
と言う意味で持たせてやる)など、かなりカッコいい役だったこともよかった。
最後まで変に馴れ合わないのもよかったし、そのくせキンブルが彼の堅固な
公平さ(「興味ないね」という言葉から)を買って彼に電話を入れたことも
ベラベラと説明するわけではないのに演出的にわかるようになっていていい。
そしてこのジェラード警部を演じたトミー・リー・ジョーンズがとても
いいので(当時はやはりハリソン・フォードがビッグネームだったから)
これが人気俳優への一番のきっかけだったことは疑いないといえるだろう。
(まぁだからって助演男優賞を取るほどとは思えんが…オスカーってそんなものか)
ギャンギャンうるさいキャラもいなかったし、逃亡劇のスリリングさ、推理劇と
なかなか面白かった。欲を言えばもうちょっと逃亡劇が長くてもよかったかな。
△(2008/11/18 放映)
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プリンス&プリンセス | 11/24(月) |
こんな作品が存在する事すら知らなかった影絵アニメーション。
6話のオムニバスからなるこのアニメ、影絵なので顔の表情も見えないし
動きだってほとんどない。なのに実に惹きこまれるのはどの物語も非常に
ウィットに富み、起承転結がしっかりしていてわかりやすく面白いから。
いや〜、最近フランス映画にはビックリさせられっぱなしだわマジで…
毎回とある製作スタッフが王子様とお姫様が出てくる物語を作るにあたって
アイディアを出しあったり衣装や舞台を決めたりするシーンから始まり、
そのスタッフが俳優も兼ねているのか衣装や髪形をチェンジして撮影開始。
【Chapitre1 プリンセスとダイアモンド】
呪いで動けなくなったお姫様を救出するために、途中で動物を救い、
恩返しによってピンチを脱してお姫様の救出しめでたしめでたし。
アリの巣に火を点けようとしたヤツが年は食ってるけど王子なのは
わかるけど、それを止めたのも別の王子なのか?従者かと思った…
【Chapitre2 少年といちじく】
舞台はエジプト。真冬に実ったいちじくを女王に捧げる少年が身に余る
褒美を貰ったため、それを見てやっかんだ政治官が少年に与えられた
宝物庫の通行証を横取りしてしまう。しかしそれは「この証を持ってきた
者の首を刎ねよ」という死刑宣告だった…これも何かの昔話にある話だけど、
なぜ王、または女王が何の罪もない少年を殺そうとするのかがよくわからん…
毎回増えていく褒美が多すぎるなら(自分で決めてるんだから)減らせば
いいだけだし、いちじくももういらないならそう言えばいいのにね。
【Chapitre3 魔女】
こちらはまさしく「北風と太陽」
難攻不落の魔女のお城をあの手この手で攻撃するのではなく、ドアをノックし、
入ってもいいですかと聞いてから許可を貰って城の中に入った貧乏な王子。
その城の中は快適で居心地のいい空間で、魔女はむやみに相手を傷つける
ような人ではなかった…というわけで王子は「魔女を退治した褒美」である
王女ではなく、魔女と共にその城で暮らす事を選んでめでたしめでた…し?
【Chapitre4 泥棒と老婆】
舞台は日本、しかも唯一女王様とかお姫様とかが出てこない。
力持ちの泥棒が老婆が持つショールを狙い、おんぶして送ってやると
言うんだけど、この老婆がヤマンバ並の力持ちで、泥棒は一晩中日本の
名勝を走り回らされてへとへとに…けれど老婆がくれた駄賃は世にも
美しいそのショールだった…という、一番意味がわからなかった話。
しかし日本が舞台だと間違い探しになっちゃってヒヤヒヤするわ〜
(高床式の家とか、婆さんなのに花魁みたいな簪とかなー)
【Chapitre5 冷酷なプリンセス】
舞台は西暦3000年へ。そこで冷酷非道な女王様に貢ぎ物を贈り、その代償を
受け取らないと「気づかれずに女王のもとまで辿り着く」ゲームが始まる。
この女王様が近づいてくる者たちを全てレーダーで見つけ出し、透明光線で
隠れている事もあぶりだして消してしまう。けれどウタドリの持ち主だけは
どこを探してもおらず、彼は自殺してしまったに違いないと絶望する。
結果的にはウタドリに化けて探索されない女王の部屋にいましたってオチ。
ウタドリはどう見ても人間が化けられるシロモノじゃないと思うな僕はっ!
それにしてもなんで相手を殺さなきゃいけないのかわからんなぁ…
【Chapitre6 プリンス&プリンセス】
愛を誓いあった王女と王子がキスを交わすとあれあれとんでもない事に…
カエルになったりナメクジになったり蝶になったりカマキリになったり。
魚になった時は息がつまり、キリンになったら下を向けず、鯨になれば
喋るのも億劫だ。そんな「次は何になるんだろう」と楽しく見ていたら、
なんと最後は王女が王子に、王子が王女になってケリがつく。男女逆転は
ないのかなぁと思ってたらここでそう来たか!姫の方はそうでもないのに、
王子の方がヒステリックにイヤがってるのがなんとも笑えるよ。
ちなみに私が一番好きなのは色々な動物に変わっちゃう上に、男女逆転は
ないのかなと思ったとおりの結果だった「プリンス&プリンセス」かな。
△(2008/11/24 放映)
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サウスバウンド | 11/23(日) |
「お父さんを見習うな」
でも、汚い大人にだけはなってくれるなよ…
あらすじだけ読んだら興味も沸かず、見始めた頃も一体どこに視点を置けば
いいのかわからず、トヨエツは破天荒、トヨエツにベタ惚れの天海祐希も
不気味だし、軸が大人のドラマなのか子供のドラマなのかわからない。
なのになんとなく見続けているうちに、ただただ迷惑極まりないトヨエツの
言ってる事はまぁ間違ってはいないんだよなと思えてくるし、子供たちの
演技が非情に素朴で自然だし、立ち退きを求める会社の正義が怪しいので
負けるな一郎!なんて思いだしてきてしまうのだから不思議なものだ。
ただしアラももちろん多い。
年金問題について役所の人間に言っていることはともかく、その結果が
どうなったかがわからない。二郎と黒木がカツを痛めつけた時、二郎が
目覚めたら黒木がいなかったけど、黒木はどうしたのかがわからない。
そしてそのカツの父親が乗り込んできて、なぜか一郎がいつの間にか
「プロレタリアートから金をカツアゲするような」子供に育つんだと
カツがやっていた悪行を知っているのも不思議で、なおかつその父親を
どう追い払い、どうやって決着をつけたのかがわからない(祖母からの
忠告があり、逃れようとした母が沖縄への移住を決めてしまったため)
つまり「やったはいいけど結論はどうなったのか?」がほとんどわからない。
わかったのは元担任の先生から手紙が送られてきて、「修学旅行の積立金は
業者との癒着のせいで高過ぎる」という事が本当だったということくらいだ。
最後の大きな事件である立ち退き騒ぎも夫婦で旅立ってしまったので、
その後の顛末が全くわからないままジ・エンドになってしまうのだ。
まぁ全てを見せろとは言わないけれど、一郎のエキセントリックな
行動がどんな結果を迎えるのかという事がもしかしたら敢えて意図的に?
描かれないためか、家族がどれほど嫌な思いをしているのかが伝わらない。
少なくとも母親は全く嫌がっていないし迷惑どころかついていきます
どこまでも、タイプだし、姉は少し嫌がっているようだけどそれでも
父の事は嫌いではないようだ。妹は幼すぎてそこまで考えていないし、
となると長男の二郎なんだけど…口ではイヤと言うけど反抗はしない。
実際にはカツたちの仲間に引きずり込まれている黒木を正しい道に
戻すために自分も身を張って立ち向かったわけだから、二郎にも
父親の血がちゃんと流れているわけで、それをむしろ後半ではなく
前半に持ってきて、お姉ちゃんの「お父さんの血が流れてんのよ」に
ああ、そういえばそうだよね…と思い出させるのはいいと思ったけど。
大体東京から沖縄ってのがあまりにも唐突だしなぁ…
もとが沖縄出身とはいえ、だったら実家に帰ればいいのにと思うし。
それにしても沖縄の海は綺麗だねぇ…ホントに何もなさそうだけど。
あと20年ぶりに訪ねてきた祖母に有機野菜をお土産に渡すところで、
「一郎さんはこういう事をしている友人が多い」と言っててついつい
笑ってしまった。そうね、何にせよ運動なんかやってた人はまともな
就職ができないから自営業とか農業とか香具師みたいなの多いもんね。
それにしてもバリケードを壊して侵入してきたパワーショベルが突然
ボコッと地面にめり込んだ時は大笑いしてしまった。どうするんだろ、
もしかしてあの角材でキャタピラを止めるのかとか考えてたから余計。
まぁラストは…子供たちだけを残すとなるとちょっとアレだけど、
お姉ちゃんが成人してるからね(それで年が離れてたのかと納得)
お姉ちゃんはきっとあの人のいいマツケンお巡りさんと結婚して
そのまま島に住み、二郎と桃子を応援してくれるに違いない。
なお上原二郎役の田辺修斗が非常によかったので、周囲が大切に育てて
いい役者になればいいと思う。「黒目の大きい」黒木も悪くなかった。
△(2008/11/16 放映)
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しゃべれども しゃべれども | 11/23(日) |
上方落語を元にした「ちりとてちん」がブレイクした昨年、
同じく落語をベースにしたこちらの映画も公開されていた模様。
都電荒川線や隅田川、浅草四万六千日など見慣れた背景が一杯に広がる。
二つ目であり、弟子としてもちょうど二番手という、上にも往けず
さりとてもちろん下でもない中途半端な状態にある今昔亭三つ葉。
そんな彼がひょんな事で知り合った十河五月は美人なのに愛想がなく、
空気を読まないズケズケとした発言で周囲を凍えさせるブリザード娘。
まぁ師匠の講義の途中で席を立って出て行くという事が気に障ったのは
わかるけど、普通は追いかけてまで制止はしないよね…金払ってるのは
本人だから退出すれば損するのはソイツだし…となんとも無理のある出だし。
彼女が聞きに来たのに逆にあがってしまって結果が散々だった三つ葉は、
この十河、大阪弁をバカにされてクラスメイトと打ち解けられない村林、
野球解説者なのにしゃべれない湯河原の3人に「しゃべり方」の基礎として
落語を教える事になる。いやでもこれ無理ありすぎだろ…「しゃべり方」と
「落語」は全然別物じゃないか…落語はむしろ話のタネとか教養じゃん…
三つ葉のキャラクターも「古典落語」が好きだからなのかやけに古風で、
ちょっと高いところから物を言う「男っぽさ」を前に出す感じなので
私はあまり好きになれなかった。十河に関してはホントに何を目標に
しゃべり方を学びたいと思っているのかわからない。笑いもしない
彼女がそれについて何か努力をしているのか見えてこないんだもん。
湯河原も同じ。陰では毒舌を振りまくし他人に対しても失礼千万だし、
マナーもなってないのでまずは人格を矯正した方がいいんじゃないか。
村林はよく喋るイマドキの子で、こっちは逆に宮田さえいなければ
明るいし面白いので多分人気者になれるだろうにと気の毒な感じ。
師匠から「自分の落語がない」と指摘された三つ葉が、一門会で披露した
「火焔太鼓」は三つ葉らしいものとなり、師匠にも褒めてもらえたのも、
うーん、結果的には何が決め手だったんだろう?屋台での十河の一刺し?
それに十河がなんでラストに「火焔太鼓」を演ったのかサッパリ意味不明。
「饅頭こわい」でいいと思うけど(…と思ったら原作はそうなのだそう)
隅田川の水上バスは乗ったら楽しいけど、高いからあんなに気軽に乗れない。
江戸東京の風情が残るロケ地の数々と、気風のいい粋な江戸っ子ばあさんを
演じる八千草薫、それに飄々としながら語り口調が抜群に面白くてついつい
聞き入ってしまう伊藤四郎がズバ抜けていいので、若手はそれに引きずられ
なんとかかんとか合格という結果かなぁ…あと早口で大阪弁なのでほとんど
聞き取れなかったものの、子役の「饅頭こわい」は大したものだと思った。
落語ものとしては逢坂みえこの「たまちゃんハウス」が上方落語の事も勉強に
なるので好きなんだけど、そろそろ「ちりとてちん」からも時間が経ったので
(近すぎると多分パクリと思われるから)これもドラマ化なんて話が出るんじゃ
ないかとヒヤヒヤしている(「正義の味方」がドラマ化「リアルクローズ」も
SPドラマ化、「プライド」が映画化とコーラス作品のメディア化進んでるし)
△(2008/11/17 放映)
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夏の庭 The Friends | 11/23(日) |
人が死ぬところをこの眼で見てみたい…
そんな興味を持った少年三人が、近所に住む老人の生態観察を始める。
ボロ家に住み、小汚い格好をしている1人暮らしの老人の名は喜八。
初めこそ疎んじられて追っ払われていた子供たちも、やがて庭のゴミを
片付けたり、草むしりをしたり、洗濯を手伝ったりし始め、しまいには
屋根のペンキ塗りや障子の張替えなど家の修繕までして一緒にスイカを
食べたり、台風の夜には集まって語り明かしたりするほど仲良くなる。
こういったシーンでよかったのは、じいちゃんが子供に媚びる事はなく、
まるでそれをやるのが孫であるかのように当たり前のように命ずるので、
子供たちもなんとなくつい「ハイ」と素直に従ってしまうところだった。
年寄りにできない仕事は元気な子供や健康な若いもんがやるということ。
まぁそれは古今東西当たり前といえば当たり前のことなんだけどね。
かつてはどこの家にもいた年寄りと子供の触れ合いやご近所づきあいは、
孤独死を迎える老人が多くなった昨今は、この映画が作られた1993年より
希薄で希少なものになってしまっている。古香弥生さんが入所している
老人ホームは公的なものではなく有料だと思うけどかなりハイグレードだ。
(介護保険前の93年に安価な老人ホームで個室なんて滅多になかったはず)
最初はカン高い声でこの「観察」を提案し、思ったことをズケズケと口に出し、
さして能力は高くないのに仕切りたがる川辺がややウザったかったのだけれど、
最終的にはどの子も皆「命のはかなさと大切さ」を学べたと思うのでいいかな。
この黒ブチの丸メガネに坊ちゃん刈りの川辺がどう見てもノビ太にしか見えず、
そのノビ太が体がゴツくて太っている山下を従えてるのだから笑ってしまう。
最もバランスの取れたキャラである木山は普通だけど普通ゆえに目立たない。
ノビ太・ジャイアン・スネオというよりは、ズッコケのハチベェ・ハカセ・
モーちゃんなのかも(ただし川辺がハチベェで木山がハカセのポジション)
喜八が語った戦争体験は、戦争を知らない子供たちにどれほどのインパクトを
与えたのかはわからない。軍人でもない女や年寄り、子供を殺し、しかも1人は
妊婦だったことから喜八は日本に残してきた身重の妻の元へついに帰ることが
できなかった。妻は夫の帰ってこない家にいられず、子供を産んで1人で育てた。
その彼女の孫が3人組の担任の近藤先生だったというのはさすがに出来すぎだと
思ったけど…それでも彼らが探し出した「古香弥生」に会いに行ってみようと
決意する喜八。3人も喜ぶものの、ちょうどその日はサッカーの試合があり、
喜八は1人で元妻の元へ向かう事になる。ヒゲを剃って、おめかしをして…
死んでしまった喜八を見て、声を上げて泣く川辺。
動かない冷たい体を温めるように必死にさする山下。
皆のために喜八が用意した果物を食べさせようとする木山。
人が死ぬという事は、もう二度と会えないし、話せないし、笑いあえない。
彼らがどれだけ泣いても哀しんでも呼びかけても、喜八の魂はもう戻らない。
死は遠いものではなく、特別なものではなく、ましてや関係ないものではない。
毒づくように「じじいが死ぬところを見たいんじゃ!」と喚いた川辺の言葉に
答えるように、自分が死んだら3人に知らせるように、貯めていた財産は全て
古香弥生に渡すよう遺言を残していた喜八。近藤先生に連れられてきた弥生は、
面変わりした夫を見てどうするかと思ったけど、膝をつき、三つ指を立てて
「おかえりなさいませ」
とお辞儀をする。彼女の中の、そして喜八の中の長い戦争は今終わったのだ。
公開された当初は興味を持ったけれど、なんとなく見そびれてしまった作品。
もう15年も前の映画になるのか…ジャングルでの体験を語る三国連太郎の
鬼気迫る語りは凄まじく、ずっと心に傷を負って生きてきたじいちゃんと
心を通わせていく少年たちとの交流は素直に温かくて微笑ましい。
普通の子供にとっては、死なんて自分が結婚したり親になったりという姿と
同じくらい異常で遠くて想像すらできないものだろう。ましてや女の子より
情緒面の発達では幼さの残る男の子ならなおの事…だから遊び半分とはいえ、
それに興味を持って実行に移す川辺はやっぱり変わっているのかもしれない。
コスモスが一杯に咲き乱れる庭で、空井戸の中から飛び出す蝶や鳥の演出は
やりすぎじゃないかと思ったけど、こんな体験をして心に沁みる人との別れを
経験したこの子たちが、この後一体どんな思春期を過ごし、どんな青年期を
経て、どんな大人になったんだろう…とちょっと気になる物語だった。
なお全編関西弁(神戸?)なので、子供が喋ってるセリフが多いせいもあり、
東京モンの私には何度かリピートしないと聞き取れないセリフも多かった。
△(2008/11/21 放映)
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無認可保育園 歌舞伎町ひよこ組 | 11/23(日) |
大川組の強面、工藤準次に命じられたのは当然組の若頭…
ではなく、「無認可保育園 歌舞伎町ひよこ園」の園長だった。
既に前に「工藤準次」が主人公の別の作品があり、その続編という形で
制作された映画らしい。映画といっても限りなくVシネマに近いのだが…
娘はいるけど子育て期間はムショに入っていて女房に任せっぱなし。
とにかく子供なんか育てたことのない準次は保育園の様子を見に行き、
地獄絵図のような子供がイパーイ状態に唖然とし、しかも園の唯一の
保育士には子供の世話を押しつけられて逃げられる踏んだり蹴ったり。
引き取りに来る親来る親に「別の保育園を探せ!」と凄んだおかげで
どうしてもひよこ組に通わなければならない子供は4人に減ってしまう。
売れっ子ホストの息子、ヒモを抱えた水商売の女の娘、どんな事情かは
不明だが24時間働き続ける夫婦の息子である兄弟はひよこ組が頼みの綱。
園児が減ったとはいえ、保育士がいない事に代わりはない。
というわけで新米であり極道である園長によるドタバタ保育が始まる…
とはいえ強面にめぞん一刻の響子さんご愛用の「PIYO PIYO」エプロンが
ミスマッチで何とも可笑しいのだけれど、なかなか勉強熱心な先生なのだ。
最初は子供たちを飲み屋に連れて行って渋いつまみを食わせようとした
準次だけど、子供たちには他に行き場がないと知ってからは、オムツの
替え方がわからなくて孫のおむつ替えをしながら女房と娘のレクチャーを
受けたり、本を読んだりお馬さんをして遊んでやったりとなんだかんだで
いい先生だ。子供と目線をあわせ、女の子を殴る事がなぜいけないのかを
説き、それがちゃんと子供に伝わったりと先生としてのスキルもアップ。
ところがそんな保育園に二つの魔の手が伸びてくる…
1つは大川組と敵対する屋敷組が抗争を起こそうと取り崩しが始まっている事。
もう1つがオリビアの母親のヒモが役所に保育園の実態とあることないことを
訴えた事。立ち入り検査に来られたら保育士のいないひよこ園は業務停止。
それは百歩譲っていいとしても、子供たちはどうすればいいんだろう…
こういう場合、役所が責任を持って行き場を探すべきだと思わない?
役所ってホント、こういう対処はしないで「あれはダメこれはダメ」って
言うだけなんだよね。少しはてめーらで苦労すればわかるだろうにさ。
委託してない公立の保育園の延長保育では夜の仕事をしてる親を
カバーする事ができないのは当然で、しかもこれだけ少子化が
進んでいるのに、なぜか未だに定員一杯待機児童数百人でしょ。
仕方がないから公的サービスをカバーする民間が増え、事故が起きると
今度は「それ見たことか!」とそこがいかに粗末な施設だったかと
バッシングするだけ。そもそもそういう施設でなければ子供を預けて
働けない親の声や、役所が整備しようとしないそういった隙間の実情は
何一つ論議されない。最近のマスコミっていつもそう。医療問題でも
年金問題でも目先の面白さにばっかり飛びついて、根本を探らない。
まずきちんとした取材してないもんなー、絶対。おめー、これネットで
調べてね?みたいなお粗末な穴だらけの記事ってあるよね、たくさん。
手入れを受け、ついにこれで保育園も閉鎖か…というところで前編終了。
録画失敗により続編(実際は1本の劇場版なのにDVD販売時に前後編に分けたらしい)
が録れてなくてショック。再放映のチャンスがあるので、続きはまた。
でもこの映画、極道園長の工藤も面白いキャラクターなんだけど、何より
そのアホ丸出しの喋り口調で参院選に出馬する工藤の娘婿、DJナルシーが
あまりにもキョーレツで面白すぎる。工藤との噛み合ってない会話は最高。
△(2008/11/22 放映)
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ランド・オブ・ザ・デッド | 11/22(土) |
ゾンビ映画というかゾンビ食堂というかグルメゾンビというか…
とりあえずゾンビが人間を食いまくる。腸を引きずり出して新鮮ナポリタン、
喉から引っこ抜いた生タン、アゴからひっぺ返したばかりの新鮮なヒト皮、
珍味のヒトミソ、ソーセージ風人差し指…軟骨がうめぇんだよ軟骨がぁぁ!
私としてはそもそも最近の「ただの汚らしいスプラッタ映画」には興味が
ないのだけれど、ゾンビは生きた肉を食うという設定があるので許容範囲。
時は街が腐海ならぬゾンビの群れに沈む事態になっても、貧富の差は激しく、
強き者は力を誇示し、弱き者は奪われ、バカにされ、搾取されている時代。
チンピラどもを率いて物資を運ぶライリーは、リーダーとしての素質も
人望もあるのに、どこか厭世的で「人のいない場所」に行きたがる。
そんな彼の護衛は、彼に救われ、顔半分を火傷した射撃の名手チャーリー。
問題児のチョロは特権階級に憧れ、カウフマンの依頼で死体を捨てる
汚れ仕事を請け負っていた。それがあっさりと裏切られて終わった時、
チョロは装甲車を奪い、金を払わなければ街を吹き飛ばすと脅し始める。
ところがその頃、街には統率されたゾンビたちが迫っていた…
ライリー曰く「人の真似をしている」黒人ゾンビが殺される仲間を見て
怒りを覚え、思考能力がないはずのゾンビを声で統率し始めるという
「ゾンビ成長物語」でもある。もちろん成長して欲しくはないんだけど、
人間がゾンビを娯楽に使っていたり、的にして遊びのように撃ったり、
息の根を止めるのではなくぶら下げて並べたりという下卑た行為を
しているため、「まぁ…それもいいかなぁ…」と思ってしまったり。
ゾンビはなかなか個性的で動きもそれぞれ違ってて面白い。
タンバリンやトロンボーンなど楽器を演奏してみたり、ガソリンスタンドで
ウロウロしてみたりと動きがユーモラス。行き止まりでは包丁を持ってる
ゾンビに板を割らせたり、工事現場の破砕ドリルを持って行こうとしたら
コンセントが抜けてあり?となったり、パワーは人よりあるけど知能で劣る
チンパン級のゾンビたちが、黒人ゾンビを軸に徐々に知恵をつけていくわけよ。
それまで渡れなかった川を渡ったり(水面に頭が出てくるシーンは地獄の黙示録もビックリだよ!)
銃を使ったり、そのうち車まで運転し始めたり、街を作ってコミュニティを
作り始めそうな勢いで進化するゾンビ。でもお食事はマナーがなってない。
死んだらゾンビ、咬まれたらゾンビになるんだけど、咬まれたヤツは自分で
自分に引導を渡すか、有無を言わせず撃たれるか、そのままゾンビ化するか。
でも実際に襲われてた連中は皆喰われ尽くされてたから、あれじゃなかなか
増えないだろうなぁと思う。食う物がなくなったらどうするんだろう。餓死?
カウフマンに雇われてチャロから装甲車を奪いに行ったライリーがそのまま街を
出るつもりでいたのはちょっと意外で面白かったけど、チャロが敗れてからは
結局人命救助に向かう事になっちゃって、非情なんだかヒーロー気質なんだか
よくわからんな。カウフマンも小物で、あんな豪勢な暮らしをしながら脱出の
ルートが車って…ヘリとか飛行機など空を飛ぶものならゾンビは飛ばんだろ…
最後はゾンビ化したチャロにやられ、黒人ゾンビが撒いたガソリンのせいで
吹っ飛んであっけなくジ・エンド。チャロが生き残って黒人ゾンビの片腕に
なるような雰囲気でもあればまた面白かったかもしれないんだけど…
ゾンビ歩く。ゾンビ撃たれる。ゾンビ泳ぐ。ゾンビ襲う。ゾンビ食う。
まぁストーリーなんか何を言ったって、とにかくこの作品を一言で言えば
最初から最後までのゾンビムービー。あそこからゾンビ、ここからゾンビ。
でもさすが元祖「ゾンビ」の第一人者のロメロ監督だけあって、少なくとも
バイオハザードのちっとも迫力のないゾンビ集団よりは見てて面白かったよ。
でも最後にライリーが彼らを見逃すのはどうなんだろう。
「行き場を探している」から何?事情はわかるし、進化もしてるし、
実際人の残酷性や愚かさも描いてたし…だけど人を捕食することに
変わりはないんだからやっぱり駆逐せんといかんのじゃないか?
△(2008/11/18 放映)
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オーロラの彼方へ | 11/18(火) |
太陽のフレアの関係でNY上空にオーロラが現れた日、古ぼけた
無線機から聞こえてきたのは、30年前に死んだ父親の声だった…
消防士の父を殉職から救いたい。
ただその想いだけで死の状況を教えてしまった警官のジョンと、
それを聞いて死を回避した父フランク。ジョンには見る見るうちに
「父が生きていた30年」の記憶が加えられ、これで幸せハッピーと
思ったのも束の間、ジョンは謎の葬儀が行われている悪夢にうなされる。
目覚めたジョンが一番にしたのは母に電話する事。ところがなぜか繋がらない…
なんと死を回避した父とは別に、ジョンの人生からは母が消え去ってしまった。
生き残った父が母の勤める病院に会いに行った時、若い医師が点滴を
間違えて死ぬはずだったJ・シェパードが生き残り、それによって
猟奇殺人「ナイチンゲール事件」は犠牲者が3人から10人に拡大して
ジョンの前に示された。しかも犠牲者の中にはジョンの母、つまり
フランクの妻が含まれていた。父が生き残った事で過去にひずみが
できてしまった…殺されなくていい人々が死に、母も犠牲となった。
というわけで30年の時を超え、2人で協力して犯人を捕まえようとなる。
以前、深夜の放映でチラッと見てちょっと面白そうと思ってたんだけど、
結構推理サスペンス調が強いのは意外だった。あたりをつけて外れたり、
指紋のついた財布を30年の時を経てやり取りしたり、殴ったり銃で狙われ
水の中まで逃げたりと座ってばかりの息子に比べてお父さんまさに大活躍。
ジョンの記憶が、「父がいない」ものと「10年前まで生きていた父がいる」
ものと二つあったりするのは面白いけど、過去を変えた事で起きる変化は
単純じゃないよね、多分。そもそもお父さんが生きてたら今のジョンが
警察官ではなく後を継いで消防士になってる可能性もなくはないじゃん。
むしろ反対を押し切って警官になったので父とは断絶状態とか、父と母が
離婚したとか、ジョンの結婚相手はサムじゃないほかの女性だったとか…
過去を改変したらいいことばかりに転んでいくとは限らないもんね。
シェパードが最初の犠牲者が白骨死体で見つかった土地の隣に住む
老夫婦の息子だったというのは、最初に彼の名前がクローズアップ
されたのでわかったけど、追い詰めてからはちょっと長く感じたな。
警官が一般人を「尾行てる」というだけでぶちのめしたりするんかな?
電流で気絶させられたシェパードを拘束もせず逃げ出したのにビックリし、
友達が戻ってくるまで待ってればいいのにと思ったけど、証拠を抑えに
行ってたわけね。水の中にひきずりこむのは自分も危ないだろうと思った。
TVニュースでは犯人は水死と言ってるのに、ジョンの記憶に母が戻らない。
その時後ろから何者かがジョン、そして30年前のフランクを襲う。
それは同一人物のJ・シェパード。いやはやしぶといなぁ…
どうやら警官のジョンより消防士の父親、それに母親も勇敢だったようで、
父がライフルでシェパードの手を吹っ飛ばすと、30年後のシェパードの手も
見る見るなくなって古傷が剥き出しになる。けれどピンチは変わらない。
やられると思ったその瞬間、奥から現れた誰かがシェパードを撃ち抜いた…
1人暮らしのはずのジョンの前に姿を見せたのは、30年経た父フランク。
殉職しなければ10年前に肺がんで死んだはずの父はきっぱりと禁煙し、
「死んだはず」の後、10年も生きて今、息子の眼の前に立っている。
ラストは大好きな野球に興じる自分と父、母、そして妻となったサム、
野球をやる息子、妻の体に宿る新しい命。お父さんが生きている事で
火事で彼に救われる人の数は増え、それは時の流れに従わないのか?
本当は火事で死ぬはずだった子供が、大きくなったら異常性欲を持つ
シリアルキラーになる可能性は?「少ないけどゼロじゃない」では?
父と息子が時を越えて出会い、協力し合い、最終的には幸せを掴む。
タイムパラドックスを考えるとどうなんだろうと思っちゃうけど、
単純に過去未来ものと見れば、野球の試合状況を説明する息子と
夢中になって聞く父ちゃんとか、親友に「YAHOO!」という秘密の
フレーズを覚えといた方がいいよとか忠告しちゃったりという
面白いシーンはあったけどね。フランクが机をタバコで焦がしたら
30年後の机にも見る見る焼け焦げができたり、財布を隠したとか、
段々収束して最終的に1つになった未来もわかりやすくていいかも。
多分こういう映画は理論や文句やツッコミを言ってもキリがないので、
ファミリー向けファンタジーとして気楽に見たらいいんじゃないかな。
△(2008/11/16 放映)
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南極物語(2006年) | 11/22(土) |
1982年に公開された日本映画「南極物語」のリメイク…らしいのだが、
舞台が南極であることと犬ぞりを使い、不測の事態によって犬たちを
置き去りにしなければならない事以外は全て別物というディズニー映画。
8頭しかいない犬のうち、鎖に繋がれたまま逃げようともせずに死んだ
最長老のオールド・ジャックと、オーロラに狂って崖から足を滑らせ、
その傷が元で死んでしまうデューイ(だと思う。瞼に傷があったから)は、
オリジナルの南極物語でもいたっけね(調べたところ「ジャック」だった)
嵐が来るというのに半日滞在を延ばした事で湖に落ちた博士とガイドの
ジェリーの怪我と凍傷のため、ケイティが犬を連れて帰るはずの飛行機は
肝心の犬を残して全員を退去させるために飛び立つ。鎖をきつく絞められた
犬たちは猛吹雪の中に取り残され、何日待っても迎えが来ることはなかった…
オリジナル同様犬たちのサバイバルが描かれるんだけど、メスのリーダー犬
マヤが群れを見事に統率し、海鳥を捕まえた犬たちがまずは戦利品をマヤの
前に差し出すという女王陛下ぶり(もちろんそれを独り占めするわけではない)
そんな犬たちの日々を誰の視点で見るかというと、若くてやんちゃなマックス。
これがまたまさしくチョビそのものの般若顔ハスキーで、ブルーの眼が美しい。
マックスは息絶えたデュークの傍を離れずにいたために仲間からはぐれたり、
シャチの死肉をあさっていたまるっきり恐竜のようなアザラシを囮になって
おびき寄せ、その間に仲間たちが肉を食べられるようにするなど八面六臂の
大活躍を見せる。オリジナルの南極物語はリキが統率しつつも勝手な行動を
取ったり、雪原の向こうへと消えていくローンウルフ…ならぬローンドッグも
結構いたけど、そうした離反離脱組がいなかったのは8頭と少なかったせいか?
犬たちがそんな活躍をしている頃、人間ドラマももちろん進行するのだけど、
健さんたちが「なぜ犬を自らの手で殺さなかったのか」と悩んだり、愛犬を
返してもらえなかったと少女に責められるような苦悩のドラマはあまりない。
唯一、ジェリーがケイティに「君を信用しすぎた俺が悪かった」と言った時は
辛らつすぎてこっちまで「うっ…」となってしまったけど、不思議なことに
このケイティ、その時はショックだったみたいなのに後々電話はしてくるわ
会いに来るわ…そりゃ元恋人という立場もあるだろうけど、普通の神経なら
会えなくね?自分を責めるなって、おめーも責められてるよ!責任感じろよ!
一番拍子抜けだったのは、南極への真冬の再上陸の資金が、
単なる前回の「予算の余り」によるものだった事だな。
だって隕石を見つけた博士がジェリーをわざわざパーティーに
呼んだ時、お、何かドラマがあるに違いないと思ったんだもの。
たとえば息子や妻、様々な人々への御礼の後に、南極で自分の命を
救ってくれた犬たちの命を救いに行きたいと訴えて募金が集まるとかさ…
なんだかんだでジェリーたちが南極に向かう途中、氷に阻まれ宗谷のように
難儀しているうちに、アザラシにやられたマヤが足を傷めて歩けなくなる。
いつも通りマヤの前に置かれたエサをやり取りするシーンは、なんなのかと
思ったけど新しいリーダーはマックスだという継承の儀式だったんだろうな。
イタリアチームの基地から略奪拝借した雪上車で基地に向かった一行は
ジャックの遺体を見つけたものの、その他の犬が全て脱出している事を知る。
そして感動の再会へ…となるんだけど、犬の苦労の描き方はオリジナルの方が
やはり印象強いので、あー、よかったよかったという感じ。それも間に合わず
マヤが死んでしまったのかと思ったらちょっと哀しかったけど裏切られたわ〜
とりあえず…イマドキの南極ってあんなに暖かいのか?!
温暖化の影響なのか真夏には15度を超える日も珍しくないなんて言われるけど、
少なくともこれは真冬の設定なのに、なんか上着一枚着ただけで前も留めずに
外へ出たり、細かい作業をする時だけだろうとは思うけど指先がモロに外気に
触れてたり、素手で金属に触ったり…せいぜいスイスやカナダなんかのスキー
リゾート風にしか見えんかったなぁ(アラスカやシベリアにすらも見えんかったよ)
久々に放映されたオリジナルのTV放映の時も愛犬と見て犬が出るたびに
吠えたり追っかけたりと大騒ぎだったけど、今回も画面の犬に呼びかけ、
犬が画面から消えると、TVの後ろに廻って飛び出してくるのを待っていた。
特にうちは猫が「マックス」という名前で、彼女はそのマックスのボスの
「つもり」なので、犬のマックスが名前を呼ばれるとさらに吠えて困った。
△(2008/11/16 放映)
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アンジェラ | 11/18(火) |
しょぼくれたチンケな醜男と美しい堕天使の物語。
なんというか…解釈が色々と難しくて賛否両論ありそうだなぁ…
そのへんはまさに「フランス映画」って感じではあるんだけど。
豪快で気風のいいアンジェラが、自信もなければ金もなく、出るのは
口からでまかせばかり、クソみたいな存在のくせしていっちょまえに
人並みのプライドだけは持ち合わせてるもんだから始末に悪いという、
ああ、こういうヤツってそこらにうじゃうじゃいるねという男を救う。
アンジェラのセラピーは自信を持って言いたい事を言い、やりたい事をやり、
何より傷ついている自分を愛してあげなさいというまさに福音なのだけれど、
そんな彼女に悪態をついたり居丈高になったり気弱におどおどしたりしながら、
いつしかアンドレは自信を取り戻していく。でもそれは本当は「アンジェラの
言うとおりにしたから」ではなく、アンジェラがあまりに惨めな自分のことを、
無邪気に受け入れてくれ、受け入れられ、愛された事が自信に繋がったからだ。
けれど愛された事のない人間は自分を愛する事ができないと言った
「過去のない」アンジェラも、実はアンドレと同じく誰からも心から
愛された事がなく、だからこそ彼の心からの愛の言葉に涙を流す。
任務は終わったと逃げるように天に帰ろうとするアンジェラを、
アントンは必死に引き止める。行かせたくないと。愛していると。
鏡の前では口にすら出せなかった言葉を何度も何度も叫びながら。
ここで天使を引き止めたら、もしかしたら南米でのオリーブ油事業も
30歳の美人弁護士との未来もないかもしれないけど、彼には現在しかなく、
眼の前の180cmもある娼婦の格好をした天使しかそばにいて欲しくない。
アンジェラが羽を広げたところはせっかくの見せ所なのにイマイチ綺麗でも
荘厳でもなかったのでちょっとガッカリ。なんちゃってキリスト教感しか
持ってない日本人の方が「天使」のイメージは勝手に膨らんでるのかもね。
アンジェラを演じたヴァイキング娘リー・ラスムッセンは実に美しく、
何よりその脅威のプロポーションは痩せすぎず、無駄肉もなく驚異的。
対照的に167cmしかないアンドレはモロッコ系のジャメル・ドゥブーズ。
アンドレはアンジェラが体を売って稼いでいると勘違いして心を痛めたり、
かと思うとルーマニア人の屋台で8ユーロを払わずに逃げようとしたり、
借金を抱え込んでにっちもさっちもいかなくなって身を投げようとしたり、
金が手に入っておだてられた途端、嘘の競馬レースで騙されて有り金を
すってしまったりという、ちっぽけな善とちっぽけな悪が常にせめぎあう
冴えない男を演じている。最初はホントに見てる方まで渋い顔をしちゃう
ダメ男ぶりだったのだけど、徐々に顔つきがしっかりしてくるのは感心。
アンジェラの自由奔放で奇抜な行動に振り回されるアンドレの悲哀という点では
面白かったけど、う〜〜〜ん、けどこの映画が一番言いたいのはなんだろうな。
誰かが受け入れてくれるから自信を持てるという「他力本願」こそがベストと
いう事か?自分で撒いた種を刈り取る事すらできず右往左往している阿呆を、
それでもいいのよと美女が受け入れれば万事OK?分相応を知らず、自分を
卑下しつつ同時に過大評価しているマヌケに、自分を愛してあげてと説けば
ノープロブレム?世界をわしづかみに出来そうな美女だってイケメンだって、
内面を見れば色々コンプレックスや悩みや問題を抱えてるんだよってこと?
こういう映画を見てちょっぴり元気になれる人がいてもいいだろうし、
「コンプレックスを持つこと=めちゃくちゃプライドが高い」という
実証になるなぁと感じる人もいるだろう。なんで引き止められた天使を
そのまま地上に残しちゃうかなぁと不満の人もいるだろうし、こういう
メンタルムービーはやっぱりハッピーエンドじゃないとと思う人もいそう。
私の感想は、パリという街はなぜこんなにも絵になるのだろうとため息が
出る事と、この映画最大の優れた点は「モノクロである」というもの。
(天使も人間離れしてとても美しいので、鑑賞している分には大変よい)
でも決して嫌いなタイプの映画ではないよ。
△(2008/11/18 放映)
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えびボクサー | 11/17(月) |
「しょーもない話だな…」
長年の懸案だった「タイトルからは全く内容が予測できない」映画の謎が
ついに解き明かされた。度の過ぎた品のないブラックジョークが満載で、
ただえびを嬲るだけの映画だったら即停止ボタンを押してやる!と
意気込んでいたけれど、実際は意外にも?頑張る親父の人情物だった。
私がとんねるずやダウンタウンが苦手なのは(もちろんダウンタウンの方は笑いの
才能そのものは認める)金魚やザリガニ、ニワトリを使った動物虐待系のギャグを
やるからなのだけど(これは心底許せないので企画した芸人は間違いなく私の
ブラックリストに載り、以降正当な評価は与えられない)、この映画も初めは
「醜くて気持ち悪いモンスターのえびを人間がぶちのめす」という企画により、
一攫千金を狙おうとするただの鬼畜守銭奴ストーリーとして始まるのだ。
カンガルー・ボクサーならぬえび・ボクサー。
なぜえびがあんなにも巨大になったのかは語られる事はなく、
なけなしの財産をはたいて巨大えびを手に入れたビルは、
落ち目のアマチュアボクサー・スティーヴンとその恋人シャズと
共にロンドンに向かい、えびをテレビ局に売り込もうとする。
タイトルを聞いた時には、えびをボクサーにすべく特訓をしたり、
街で興行を打って人気を集めて全国区になる話かと思ってたので
えびはずーっと抑制されたままで、バンの中、やがてはホテルの部屋で
エサを貰い、保湿剤を塗ってもらい、関節を伸ばすストレッチを受ける…
…って、それはただのえびの飼育じゃねーか!
と思わずツッコミを入れたくもなるのだが、難航していた売込みが成功し、
テレビ番組の制作という巨大な歯車が廻りだす頃には、えびで夢をかなえ、
一儲けすると守銭奴のごとくしゃかりきになっていたビルはもういなかった。
えびがテレビで水を見てはそれを懐かしむ様子に気づき、狭いバスルームで
えびを水に漬けてやったり、ついには悪趣味な「えびなぶり」番組が始まると
すっかり顔色が悪くなり、笑顔も消えてしまう。戦車にくくりつけたえびは
前に繰り出すパンチは見事なのに、横を向くことも出来ないから体を銛で
つつかれるとなされるがまま。それをさらに全員でやるというのだから…
ビルが止めに入らないならリモコンのスイッチを切るぞ!と構えかけつつも、
恐らくこの流れならこれ以上えびを戦わせる事はないと思い、実際ビルが
えびを海に返したいと言ったのでホッ。まぁ恋人がほしいって演説の方は
すまん、全く意味不明だった。何を言っとるんだこのオヤジはって感じ。
えびがテレビ画面のカニ(餌)を見て爆裂パンチを繰り出し、テレビが壁を
破って隣の部屋にぶっ飛んだり、実は「テレビ番組制作」までこぎつけた
一番の功労者であるアム(青いタコの被り物をしていた)を吹っ飛ばした時は
大笑いだったけど。もし日本人なら敵はあんな往年のムキムキマンにはせず、
海産物のぬいぐるみを着せて戦わせるよね、サメとかカメとかイワシとか弱そう
たとえクリーチャー(というほどもしっかりしたシロモノではないが)でも
えびの虐待シーンなんか見るのはイヤだけど、ビルとスティーヴンが抑制を
外し、自由に動けるようになったえびがムキムキマンどもをばったばったと
殴り飛ばしていくシーンは爽快だったので、ああいうシーンはもっと派手に
バカ丸出しでやっても良かったんじゃないかと思う。この映画、実は人情は
あるけど華がないので、最後にえびにうっぷんを晴らさせてやる悪ノリした
大騒ぎがあってもよかったと思うよ。もちろんギャグ満載でが前提だけど。
自由になったえびは、世話をしてくれたビルを殴るのではなく抱き締める。
ファック下手のスティーヴンと色ボケのシャズの別れも意外とよかった。
どうせ元鞘に納まるんだろと思ってたからなぁ…偉いじゃん、2人とも。
パブを閉めたビルは、どこか南国のホテルのバーで働いている模様。
愛するえびちゃんはビルが連れてきてくれた広い海で悠々と泳ぎ回る。
彼には恐れるものなどない。サメですら一撃のえびパンチは王者の証。
えびの繰り出すパンチを見て「シャコパンチに似てるなぁ」と思ったら、
このモデルになったえびは実際にシャコなのだそうだシャコうまいよねぇ♪
しかしこの映画で一番の功労者は、もちろん親身になって世話をした
ビルも偉いけど、やっぱりえびパンチをモロに食らったアムだよね。
△(2008/11/17 放映)
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オールド・ルーキー | 11/16(日) |
「It's your turn, COACH!(あなたの番です、監督)」
35歳でメジャーデビューした実在の速球投手ジム・モリスの物語を、
デニス・クエイド主演で映画化したものだけど、これはまたえらい
健全なファミリー向け優良映画だったディズニー制作なので無理はないが
とにかく前半1時間がジム・モリスが監督を務めていた高校の野球部での
物語だったのはちと驚いた。彼らは問題児ではなくごく普通の高校生で、
ある日ふとした事から監督が現役時代以上の速球を投げる事を知る。
自分たちが地区大会で優勝したら、監督もプロテストを受けてください…
そんな弱小チームの彼らとの約束は、破竹の連勝を続ける彼ら自身の力で
かなえられてしまう。仕方なくプロテストの会場に向かったものの、妻には
内緒なので3人も子供を連れて球場に訪れる姿にはなんとも哀愁が漂ってたよ。
後半に入ると今度は「20歳の頃より速い球を投げる」と騒がれながらも、
若いチームメイトとのわだかまりや月給の激減で家に残してきた家族とも
会えない遠征生活に、すっかり自信をなくしてしまうというどん底時代。
でもこの映画の不思議なところは、かつてプロでやってた頃のジムの姿は
全然出てこない事や、肩の手術を何度も繰り返して予後もさほどよくない
様子なのにそれについては問題ないみたいな描き方しかされていないこと。
あと軍属で転勤に継ぐ転勤を繰り返し、野球に没頭する息子の事など無関心で
顧みなかったお父さんとの確執を描くのはいいけど、助言が「やめとけ」と
遠まわしに言ったり(夢を思い描くのはいいが、やるべき事とは違う)と
仲直りさせてめでたしめでたしにしたいのか、わだかまりを残したままに
しておきたいのかイマイチわかりづらい。最後に野球場で再会した2人が
わかりあえたみたいな演出をされても、こっちには全然わかんないよ!
マイナーとメジャーが天と地ほど違うというのは何かの番組で新庄が詳しく
レポートしてたのが面白かったけど、映画的演出で見るとまたさらに感じるね。
何より球場が違うしね。いやー、レンジャーズの球場はめちゃくちゃ立派だな。
高校生との約束→プロテストってのはあまりにもフィクションっぽいベタベタ
過ぎる演出で、本人も教え子もこれを見てさぞ苦笑しただろうと思ってしまう。
ま、この映画でも一番偉いのは生活苦が眼に見えてるのに彼の夢を後押しした
奥さんだよね。男に自信を持たせる内助の功って、男には本当に必要なのね。
旦那をキツい言葉で叱ってばかりいる奥さん方よ、ゆめゆめ忘れるなかれ。
△(2008/11/15 放映)
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ひみつの花園 | 11/16(日) |
「ならその分お金でちょーだい」
お金が大好きな銀行員が、銀行強盗の人質になったおかげで
奪われた5億円の行方を知る唯一の人間になってしまったら…
最初、鈴木咲子役の西田尚美のトボケたテンポの演技がウザくて
何度か視聴を中断しようと思ったのだけど、樹海に金の入った
スーツケースを探しに行き、単独では無理だと悟ったあたりから
なんだか雲行きがどんどん怪しい方向へと向かっていく。
それにしてもまさか宝探しのために大学にまで入るとは!
しかも岩肌を登るためのロッククライミング(後に国際大会でも優勝する
レベルになる)水の底に沈んでいるスーツケースを引き揚げるための
水泳(カナヅチだったのに、こちらも後に大会で優勝するレベルになる)、
水底まで潜るためのスキューバダイビング…と、そのためには努力を
惜しまず、全力で挑む咲子の姿にあら不思議、いつの間にか引き込まれ、
最後にはぜひ5億円入りスーツケースを手に入れてもらいたいと思っちゃう。
5億円のアテがあるためか、銀行を辞めて定期を解約したり、測量機器を
ポンと買っちゃったり、挙句家賃や学費が払えなくなり、せっかく翌年に
特待生になれる大学を辞め、ランパブでUFOを歌って踊って金を稼いだり。
咲子の欲望のためのバイタリティはすごいけど、計画性がありそうでない
アコムもビックリの猪突猛進人生は呆れるばかり。まぁでも本人はどこ吹く
風で「わが道を往きまくり」なのでそんなのはどうでもいいようだけどね。
ところがそれが彼女の結構おかしな魅力になっていて、助手の江戸川は
恋愛感情というほどのものではないけれど惹かれてるし、その江戸川を
巡って勝手に恋のライバルとして張り合う弥生は咲子のケツを追っかけ
まわしてるうちにいつの間にか水泳の五輪強化選手に選ばれてたり…
最後にはついに手に入れた5億円でさぞウハウハライフかと思いきや、なんと
見事目的を達した金の亡者咲子はそれをどこかに埋めてしまったのだという。
そう、そここそが人生を元気に生きる活力を与えてくれる「ひみつの花園」
計画は計画しているうちが、目的は達成されるまでが一番楽しいってこと?
今はどうやら水泳やロッククライミングのインストラクターをやりながら
相変わらず飄々と暮らしている様子。そして次なる目標も決まった…
目指せバミューダ・トライアングル!
ただ口から色々と吐き出すギャグが多かったのはかなりゲンナリ。
樹海から二度目の生還をした咲子を見つけたドライブ中のカップル、
補欠合格の咲子が繰り上がるきっかけになった死んじゃった受験生、
原付で追いついてきた弥生、そしてニュースを見て牛乳噴いた江戸川。
汚いっつの!こういう演出はちょっと下品だよね、矢口監督は。
でも大家が「森三中の村上知子がそのまま老けたみたいなオバハン」だったり
いきなり床が抜けたシーンではあまりに意表を突かれて笑ってしまったとか、
若々しく、荒削りなコメディ映画としてはそれなりに面白かったかな。
何より、ただの「単なる宝探し映画」に終わらせず、人生には目的や
モチベーションが大事で、それがあれば充実した日々を送れるという
押しつけがましくないテーマこそがなかなかのものだったと思うよ。
あと咲子のお母さんを見て、あ、私この人ものすご〜〜〜くよく知ってる
女優さんだと思い、その後5分くらいで龍騎の花鶏のおばさんだと気づいて
納得したよ。ほらね、やっぱり「あたしの勘に間違いはないわ!」
△(2008/11/15 放映)
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マレーナ | 11/15(土) |
ええい、ここまで来たら「イタリアが舞台の映画」で固めてしまえと
勢いで観た。モニカ・ベルッチは本当に綺麗な女だなーと思いつつ。
内容的には思春期真っ只中のレナートの「ヰタセクスアリス」
イチモツの長さを測って比べあったり、マレーナを見てテントを張ったり、
ベッドのスプリングが軋んでお父さんに怒鳴られるほどカきまくったりと
健全といえば健全な部分と、マレーナの後を追い回し、私生活を覗いたり
下着を盗んだりとストーカー及び侵入・窃盗罪を重ねるので気持ちが悪い。
お父さんに娼館に連れて行ってもらうなんていかんせんやり過ぎじゃね?
美しいマレーナは夫が出征中のため街の男たちにとっては眼の保養であり
高嶺の花であり、反面おかみさん連中にとっては娼婦並に蔑まれる存在。
マレーナは最初は実際に身持ちの堅い女だったけれど、夫が戦死してしまい
生活が苦しくなると、男たちの援助に頼って生きるしかなくなってしまう。
それでも一線は守ってきたのに、ラテン語教師である父親に匿名の手紙が
届くほど街での噂は大きくなり、父にも断絶されてますます苦しくなる。
しまいには歯科医の妻に訴えられ、夫亡き後頼ろうとした中尉は遊びだったと
言い残して転属になり、弁護士に払う金がないので彼と肉体関係を持つはめに…
狭い村社会の噂は怖い。噂が人生をめちゃくちゃにし、刷り込みが人を殺す。
どんどん立場が悪くなり、転落していく彼女を、子供のレナートには
助ける事も、忠告する事も、それどころか声をかける事すら出来ない。
そう、この映画はマレーナについてはレナートの想像や妄想がほとんどを
占めるので、彼らが初めて言葉を交わし見つめあうのはラストシーンだけ。
中でもやはり一番えげつなかったのは、ドイツ兵相手に売春をし始めた
マレーナを、連合軍の上陸の日に広場に引きずり出し、リンチした事かな。
「コレリ大尉のマンドリン」ではドイツ兵とダンスを踊ったというだけで
縛り首にされてたから、おかみさんたちに殴られ、髪を切られたくらいで
済んだマレーナへの仕打ちは甘い方だったかもしれないけど、それにしても
誰一人おかみさんたちを止めようとせず、傷ついたマレーナに手も差し伸べず
上着を貸してやることすらしない男どもの腰抜けっぷりったら!!
イタリア男はマダオばっかりで、一方やっぱりマンマは強いんだなぁ…
このまま街を追い出されたマレーナの行方はようとして知れない…で終わるかと
思ったら、なんと戦死したはずのマレーナの夫が戻り、妻を捜して訪ね歩く。
でも身を落とし、さらにあんなひどい仕打ちを受けて姿を消した彼女の事を
誰も彼に教えてはくれない。もちろんレナートも相変わらず見てるだけ…
でもさすがに半ズボンを卒業し、あの頃よりは成長したレナートはようやく
行動に出て、ニノに手紙を書いてマレーナが出て行くまでの顛末を語る。
というわけで、だけど彼女を探しに行ったニノも戻らない…で終わるんだと
思ったら2人とも戻ってきたので仰天した。えええええ?探し出したの!?
92分と短いからと思ったんだけど、なんか心に引っかかりそうで引っかからず、
結局132分の「ニュー・シネマ・パラダイス」よりずっと長く感じてしまった。
おかみさんたちがいくら美しくても「相手が決まっている=夫がいる」なら
マレーナのことを受け入れるという現金ぶりを見せるラストには笑ったけど。
△(2008/11/6 放映)
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ニュー・シネマ・パラダイス | 11/15(土) |
「友達は顔で選ぶ。敵は頭のよさで選ぶ」
これも「まだ見てなかったの!?!?」と驚かれるであろう超有名作。
いつかは見られるだろうとタカをくくっていたら、その後さっぱり
機会がないまま20年も経ってしまった。今さら見るのも恥ずかしいが、
今を逃せばさらに後になってしまいそうだったので恥を偲んで視聴した。
それにしてもさすがは有名作品。
困った事に導入部も結末も大体何かの旅番組やらクイズ番組やらで映像を
見ていたらしく、まるで以前「見た事がある」かのような既視感で一杯だ。
ちょっと思ったのと違ったのは、トトの青年時代が意外と長かった事である。
いや、むしろ子供と大人の壁が厚く、その境界線が明確なヨーロッパ映画では
珍しく子供時代にかなりスポットを当てているとは思うのだけど(トトの母が
「いい年をして子供と遊ぶなんて!」とアルフレードを罵倒するシーンなど、
ヨーロッパ人の考え方らしくて笑ってしまう)、言いにくいことだがやはり
青年時代に入ったら恋愛中心だったせいもあって冗長な感じになってしまった。
アルフレードが火事によって思ったより早く引退したのは意外だったけど、
映画館での変遷は面白かった。神父さんが検閲し、曰く「ポルノシーン」
であるとされた濡れ場はもちろんキスシーンは全てカットの対象になる。
この時カットされたフィルム(本来は元に戻さなければならないけれど、
アルフレードが戻す場所を忘れてしまったためにそのまま放置されている)
がラストシーンに生きてくる事になる。不自由な眼で繋ぎ合わせたのかな…
村の唯一の娯楽であった映画館は仕事に疲れた男たちの癒しの場であり、
男女の出会いの場であり、不謹慎なイトナミの場であり、オナ場であり、
娼婦の商売の場であり、トトの少年から青年時代という青春そのものだった。
ホント、青年時代の恋愛は粘着質っぽいしつこさ(窓の下に立ち続ける)で
彼女を口説き落としたはいいけど引き離され、徴兵期間中に彼女とは連絡も
取れなくなってしまい、トトはその傷心のままアルフレードの言葉に従って
シチリアを去ってローマに向かう。ところがそこでどうやら著名な映画監督に
なったらしいんだけど、その過程がぶっ飛んでいるので「なぜ?」というのが
ぬぐえない。確かに子牛の屠殺シーンやエレナを撮影したりはしているけど、
それで即「映画技師ではなく映画を撮りたい」となるかというと怪しいし…
何しろおちゃめな笑顔を見せてこまっしゃくれたガングロチビのトトが可愛く、
仏頂面でおっかないアルフレードが優しく、トトが知らない父を演じていて、
この2人の関係が微笑ましい少年時代が良すぎる。神父さんも、連れ合いを
亡くして途方に暮れる母親も、5×5は「クリスマス」なんて答えてしまう
ちょっとヌケてる友達連中も、俺の広場だと主張する人も、映画を見に来る
おっさんたちも素朴で垢抜けなくて教養もないのだけど何とも憎めない。
そんな彼らのために広場の壁に映画を映してやるアルフレードもいい。
テーマ曲や数々のBGMの素晴らしさはもはや言うまでもない。
古き善き時代は戻らないけれど、30年故郷に帰らなかったトトの胸を
数々の想い出が締めつける。まるでここでずっと暮らしていたように…
大好きな映画と大好きな人を軸に、哀しい恋やあふれんばかりの夢が
甦っていくノスタルジーが全編を包む、「好きだ」という人が多いのも
頷ける映画だった(というかこれを好きな映画に挙げれば間違いがないという感じ?)
有名なラストシーンは「キスシーンの嵐」と聞いていたんだけど、
おっぱいペロンやフトモモちらりなども入ってたのが予想とは違った。
他にちょっと驚いたのは「南イタリア」だと思っていたナポリでさえ、
さらに南のシチリアからすれば「北のヤツら」になるんだなぁという事。
ちなみに私が見たのはエレナが出て来ているので「劇場版」ではないようで、
とはいえエレナとトトは再会しないまま終わるので「完全版」でもないみたい。
ホント、後になって追加されたり削られたりしたバージョンが出るのは困る。
△(2008/11/5 放映)
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旅情 | 11/15(土) |
オールドミスとロッサノのおっさんのアバンチュール。
これまた超有名な名作映画なのだけど、機会がなくて長いこと見逃していた。
何しろまず驚いたのはこれが50年前の映画であることだ。
1955年といえば先日見た「ノンちゃん雲に乗る」や「生きものの記録」だ。
少し前なら「生きる」や「東京物語」だ。その少し後の時代が、CGとはいえ
その当時の日本を再現した「三丁目の夕日」に出てくる昭和30年代の風景だ。
それらに残っていた日本の景色は今は残っていない。道路も建物も乗り物も
皆変わってしまった。知らない人が見たら、昔の東京と現在の東京は全く
別の街だと思っても不思議ではないだろう。それくらい日本は変わったのだ。
ところがベネツィアロケで撮影されたこの映画に心底ビックリするのは、
50年の年月を経てなお、街の風景はほとんど変わっていないことである。
嘘ではない。2年前にベネツィアに行ってきた私だってビックリである。
サン・マルコ広場もサンタルチア駅もドゥカーレ宮殿もそのままだし、
私がカーニヴァルの夜にめちゃくちゃ歩き回ったアカデミア橋近くの
サンステファン広場まで出てきて、しかも全く雰囲気が変わってなくて
感動した。違いといえばヴァポレットの船体が黄色くなった事くらいだ。
ヴェネツィアの風景を楽しみながら見るにはうってつけだし、ロックフェイスの
大女優キャサリン・ヘップバーンが貧しいストリート・チルドレンのマウロを
お供にあちこち廻ったり、写真を撮って後ずさり、水路にぼっちゃんしてしまう
おちゃめな演技も楽しい(でも一番笑ったのは引き上げられた彼女の真似をして自分も
本当に水路に落ちちゃったおじさんと、それをまた助けようとわっと人が群がるシーン)
ただねぇ、まさしく「女性を見て口説かないのは失礼」と言わんばかりの
ニヤけたイタリア男で「口説キング」のロッサノのおっさんがねぇ…
実は「旅情」のレビューの最高峰は佐藤愛子が書いた「娘と私のアホ旅行」の
「ベニス」編だと思うので(それが面白すぎてなかなか見なかったのもある)
身持ちの堅いオールドミスが、昼間からヒマを持て余すロッサノのおっさんに
口説かれ、拒絶し、ほだされ、ついには陥落し、けれど妻子持ちの嘘つきとの
関係に未来はないと見切りをつけ旅立っていく。何より宿代がかさむし…
…という「佐藤愛子視点」で見てしまって、「なんだとこの嘘つきめ!」
「仕事はどうした!観光客がウロつく時間にヒマなんてろくでもないぞ!」
といちいちツッコミを入れてしまいロマンティックどころの騒ぎではない。
最後のホームを走る「短い足で必死に走る」ロッサノのおっさんも、
まさに「必死で走ってたらホームから転げ落ちるはずだ!」と思い、
成就しない恋を思うどころではない。そもそも来るのが遅すぎるのは
心変わりして列車を降りて残られても困るからだろうと勘繰ってしまう。
ウサギちゃんヘッドの赤いサンダルが「イタリアらしいな〜」と思った。
あとあのヴェネチアングラスはやっぱり大量生産の偽物だと思うな僕は。
△(2008/11/12 放映)
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ダーウィンの悪夢 | 11/15(土) |
「戦争には殺戮がつきものだ…そういうもんだろ?」
1950年代、ビクトリア湖に誰かがナイルパーチを放流した。
肉食で大型のこの魚は、ダーウィンもビックリの速さであっという間に
数千年という時間で築かれた生態系をぶっ壊し、弱い水棲生物を駆逐した。
ところが鯨を食べる人間は野蛮人と決めつけている肉食種族の「環境厨」を
発狂させそうな「殺戮魚」ナイルパーチは、一方でダイヤモンド鉱山の如く
タンザニアに富をもたらす。高値で売れるこの魚は美味であり、ヨーロッパや
日本で売り買いされ、加工工場は大繁盛、ヨーロッパ便輸送機のパイロットは
大航海時代の船乗りや戦争中の将校よろしく左うちわで、羽振りよく女を買う。
搾取するものと搾取されるもの…
貧困と戦争から抜け出せないアフリカの暗部を抉るドキュメンタリー映画。
それにしてもこの映画を見て改めてみれば、この題名ほど皮肉なものはない。
ダーウィンも草葉の陰で泣いていることだろう。「用不用説」のラマルクも
これを見たら「そういう意味の『要不要』ではない!」と叫びそうだよね。
パイロット相手の売春が1人10ドル、侵入者に矢を射たり、時にはナタで
バラバラに嬲り殺される危険もある研究所の夜警は一晩でわずか1ドル。
漁師たちがどれほどの稼ぎになるかは明かされなかったけど、食い扶持を
減らすために子供は放り出されてストリート・チルドレンに、亭主を亡くせば
女房たちは娼婦に身を落とし、蔓延するHIVに感染してバタバタと死んでいく。
ナイルパーチを運ぶ輸送機はロシアなどヨーロッパから飛んでくるけれど、
来る飛行機には荷物は何も積んでいないという。救援物資も輸入品もない。
誰もが口をつぐんでしまう。けれどだからこそまざまざとわかってしまう。
そこからは明らかにキナ臭さ、武器や戦争という名の臭いがすることが。
ナイルパーチが生態系を壊している事から切り崩そうとしても、政府は
ネガティブな事ばかりクローズアップするなと真実から眼を逸らそうとし、
タンザニアが武器の密輸に関わっているのではないかと突き詰められれば、
大統領は「秘密裡に調査を行う」と言葉を濁して逃げを打つ始末。
貧困の連鎖は止まらず、子供たちはわずかな飯を巡って醜い争いをし、
梱包材を燃やして有毒ガスを吸って神経を麻痺させ、娼婦は客に殺され、
仕事があっても明らかに給金に見合っていない彼は戦争をしている方が
まだマシと言う。そして飢えた人々はナイルパーチの廃棄分をかき集め、
不衛生な環境で日干しにし、それを売って日々の足しにしている。
それにしてもあまりの生産性の悪さにあんぐりだ。
日本だって国土のほとんどを焼かれてどうしようもない状態にあったのに、
日本人の倫理観と勤勉性はいつまでも絶望の中にいて立ち直らないという
状態をよしとはしなかった。アメリカの投資があったにせよ、あれほどの
戦争を起こし、かつ敗戦国となった国が不死鳥の如く甦り、安全で清潔、
かつ世界で戦える生産性と競争力を身につけたのだからそりゃ驚かれる。
しかも圧倒的な白人優位世界である現在、その国の民族が白人ではなく
アジア人であるということはやはり世界の中から見たらものすごい異例だ。
我々はなんでもないことのように享受しているけど、ホントにすごいのだ。
一方的なアメリカ人や教育が行き届いていないアジア人たちに憎まれて
誇りを失っている我々が気づかないだけで、こうした経緯からも日本は
非常にアメージングな国であると思っている人たちもいるはずだと思う。
ナイルパーチを輸出用に加工するのはいい。
生態系が壊れて環境問題が露出しても、今それを日々生きる事に
必死な彼らに問いたって馬の耳に念仏、何の役にも立たないだろう。
でもたとえば国内向けにも市場を開拓しようと思うヤツはいないのか。
街に人が集まっているのだから、道路を整備し、自らの手で輸送を行えば
国内産業にもなると考えるヤツはいないのか。政府は漁師たちのコロニーの
衛生環境や倫理環境を整えるために何らかの手を打とうとは思わないのか。
国を支えるのは政府でも経済でも軍隊でもなく、
まずは「人ありき」である事がなぜわからないのか。
誰も彼も自分が手に入れた富を独り占めしようと必死になり、
国のことや未来のことなんかこれっぽっちも考えられない。
そして貧困は連鎖する。貧しいとんびから鷹は生まれない。
餓死寸前のカエルの子は干からびたオタマジャクシでしかない。
そしてアフリカの人たちの「搾取する者」であるヨーロッパへの憎悪は
根深い。確かにヨーロッパ人の搾取はあまりにもひどすぎるからなぁ…
けれどその反面、彼らは大切な顧客であり、その地域は重要な市場でもある。
黒檀のように黒い皮膚の彼らがキリスト氏の名を呟くのは何ともやるせない。
彼らの言葉に「アメリカ」は出てこない。語学として話される「英語」は
「イギリス語」であり、彼らにとって世界を牛耳るのはヨーロッパ人だ。
情報ネットワークが発達した現在の一番の戦力はミサイルでも核でもなく
「情報」であるのだから、こうしたアフリカなどの貧しい地域の実情を
ヨーロッパ人が掴んでいないはずがない。けれどあまりにも強大で巨大な
「経済機構」である「ヨーロッパ人」は、それに対して何ら手を打たない。
それによって自分たちの生活が脅かされるわけでもないからだ。
遠い国で魚の死骸が転がっている汚い泥の中で娼婦が殺されようが、
ワニに食われて死のうが知った事ではない。一晩1ドルで危険な仕事を
しようが、10ドルで客を取ろうが飢餓に苦しむ人々がいるアフリカに
向かう輸送機が「何一つ積んでない」事になっていようがどうでもいい。
サンタはこの国のブドウ畑にいる子に銃を渡す。
そしてヨーロッパの子供はブドウを貰う…
私は世界中の子供たちの幸福を祈っている。
「でもどうしたらいいかわからないんだ」
本当にこの悪循環と惨状はどうしたらいいのか。
武器の輸出など、密告も出来ず、国の調査機関も信用できないとなればやっぱり
公平な第三者がやるしかないだろうけど、そんなことが金にも利益にもなるとも
思えないので「世界の警察」がわざわざやるはずがない。何をするにも「利益」
を生まねば動かないのだ。日本は利益を生むと判断されたから重用されたのだ。
そして私はこの映画を見て少しだけ考え、けれど数時間もすればアフリカの
ひどい現状などすっかり忘れてしまう「最低最悪の幸せな日本人」なのである。
△(2008/11/13 放映)
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カーラの結婚宣言 | 11/13(木) |
「オリーヴ・ジュース!」
なんでもこの言葉を言った時の口の形が、遠くから見ると「I love you」と
言っているように見えるのだとか。実際言ってみると、オリーヴの「オ」は
日本語の「オ」ではなく「ア」に近い形で言うんだなと初めて知った。
何しろ発音が苦手な日本人、もしかしてこういう発音練習法はいいかも…
知的なハンディを持つカーラが愛する人と結婚するまでの物語。
軽い発達障害を持つカーラを、「ギルバート・グレイプ」ではディカプリオが
演じた障害を持つアーニーをあるがままに受け入れたジュリエット・ルイスが
熱演し、その演技はもしこの作品が日本で作られたものだったら「障害者を
バカにしている」なんて抗議が起きそうなくらい特徴的なものになっている。
「マグノリア」で鳥を撃ったり息子たちとネイティヴよろしく火薬をしこたま
撃ちこんで鳥を追い払っていたお父さんを演じたトム・スケリットがこちらは
物分りのいい穏やかなお父さんを演じ、さらに「この人ホントは何歳だ?」と
気になるダイアン・キートンが、小さい頃から特殊学校に預けていたカーラを
今度こそ愛したいと願いながらちぐはぐな行動を取ってしまうお母さんを好演。
何よりカーラと、同じく発達障害がある恋人ダニエルの恋が進展していく様が
微笑ましくもあり、ヘタなサスペンスなんかよりスリリングでハラハラする。
まるで思春期のように甘酸っぱい上に、2人の行動の一つ一つが危なっかしくて、
好きだという気持ちをぶつけるのも、キス以上の事をしたいと思う気持ちも、
「ヤる」ために踏むプロセスも、全てが幼稚であり、ストレートなのである。
けれど最初こそお互いにマイペースを貫いていた彼らが、試験に落ちた事で
多くの人にバカにされながらもなんとか自立生活を送ってきたダニエルが
「きみにバカだと思われることが耐えられない」と泣いたり、そのダニエルの
失言によって深く傷ついたカーラが、愛しているがゆえに彼に怒りをぶつける
姿など、少しずつお互いに向き合い、気持ちを育てていった事がわかる。
ゆっくりとだけど、2人とも確実に成長していくのがわかるのだ。
現実にはこうした障害者の性の問題は結構えげつなくて、私も道端で
体をまさぐり合ってる知的障害の人たちを見てぎょっとした事もあるし、
ベンチに座っていたら知的障害者カップルの幼稚な痴話げんかが聞こえて
退散した事もある。オブラートに包むという事を理解できない事が多いので
なかなか難しい(「おちんちんなんて言っちゃいけません!」と電車の中で
叫んでる人は、きっといつもお母さんにそう言われて叱られているんだろう)
けれどいくら成長しても、彼らは決して普通になることはない。
こういう書き方をすると「じゃあ普通ってなんなの」と噛みつく人がいるけど、
やっぱり「自立」し、「自律」でき、「自活」できる事じゃないかな、基本は。
だけどその一方で、カーラが言ったように「テニスも出来ないし、画家にも
なれない」のは私たちだって同じ事。自分は自分が努力する以上のものには
なれない。自分である以上、自分なりの成長をして自分でいるしかないのだ。
カーラはかなり裕福な家の娘なので、生活に対する甘さが多分にあるし、
2人で生活を始めても周囲のサポートなしで絶対に生活が成り立つはずがない。
だからお母さんがあれこれと心配する気持ちはわかるし、ついつい口出しを
したくなってしまう事もわかる。日本だったらまず知的障害者に1人暮らしを
させるなんて決断する親は少数派も少数派のはずだ。火の心配、盗難、事故、
詐欺、事件に巻き込まれる事…トラブルはいくらでも考えられるからだ。
実際、皆が正装しているクリスマス・パーティにベロンベロンに酔っ払って
乱入したり、結婚式に闖入してプロポーズをしたダニーにはヒヤリとした。
もし短気でカッとなりやすい私がダイアン・キートンの立場だったなら、
逆ギレして、カーラとダニーを二度と会えないようにしてしまったかも…
そんな事を思いながらも、手作り感丸出しの結婚式に最後には
お母さんもちゃんと来てくれていたことにはホッとしたり。
お母さんが断固として認めなかった長女の恋人をカーラが招待し、
それによってわだかまりを残していた長女とお母さんも和解する。
こんな風にこの物語はむしろカーラより、頑なだったお母さん…
発達障害の娘やゲイの娘を受け入れられず、善人ではあるけれど
独善的な彼女の成長こそが一番の見どころだったのかもしれない。
そして余計な口を利いたりはしないけどそんな母と娘を辛抱強く
見守った歯科医のお父さんこそがこの映画の一番の功労者かも。
△(2008/11/13 放映)
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マグノリアの花たち | 11/13(木) |
「私ほど幸せな母親はいないわ」
あんな素晴らしい娘が生まれた瞬間と去っていく瞬間に立ち会えたのだから…
騒々しくて華やかな結婚式で幕を開けるこの作品は、花嫁のシェルビーと
しっかり者の母親マリン、美容室を営む明るく気のいいトゥルービィと気弱な
助手アネル、前町長夫人でチャーミングな老婦人クレリー、そしてストレスで
脱毛症になったセントバーナードを飼っている超毒舌家のウィザーを軸にして
物語が進んでいく。舞台になるのは居心地のよさそうなトゥルービーの美容室。
シェルビーが低血糖の発作を起こすシーンでは、我々はそれを初めて眼にして
うろたえるアネルと同じ視点で見る事になる。そこで視聴者は、幸せ一杯で
あるはずの花嫁のシェルビーがかなり重度の糖尿病で、子供を産むことは
身体的な負担を考えると難しいということを否応なく知らされるのだ。
直前まで娘と口喧嘩をしていた母親のマリンが、ひどい発作に苦しむ娘に
落ち着いた口調でジュースを飲ませようとする姿を見て、ああ、母親って
こうなんだよねぇと思う。せっかく綺麗にしてもらった髪がつぶれたと
気にするシェルビーを、「いいのよ」と慰めるトゥルービーが優しい。
感謝祭、クリスマスと季節が移り、シェルビーは母に妊娠した事を告げる。
手放しで喜べない母に憤るシェルビーの気持ちはわかるけど、マリンの心配も
わかる。母になりたいと願うシェルビーの幸せの意味が、母であるマリンに
わからないはずがない。健康ではない娘の体を心配するのは当たり前の事。
この時「無関係だからこそ」パーティーに参加した皆が祝福する中で、
マリンの心配を汲み取ったトゥルービーたちが彼女の手に自らの手を
重ね合わせていくシーンがいい。心配なのはわかる、だけど可能性を
信じてあげましょうという温かい励ましをもらい、ようやくマリンも
心からシェルビーを祝福してあげられるようになるのはちょっと感動。
最初に出てきた時は本当に毒舌家でイヤなヤツにしか見えないウィザーが、
この頃にはイヤミたらたらだけど憎めない魅力たっぷりの女性になってる。
アネルは蒸発した夫とサッパリ切れて、地味なメガネから派手なブロンド
美人に変身し、結婚式で知り合ったサミーとつき合い始める。まぁその後
なぜか宗教活動に没頭してまた最初のジミーちゃんに戻っちゃうんだけど。
やがて子供を生んだ事で病状が悪化したシェルビーが透析を受けるようになり、
マリンの腎臓を移植する事になる。暗い影が忍び寄ってきているのだけれど、
女性たちはいつでも明るくおしゃれに熱心で、おしゃべりに興じながらも
誰かを愛する気持ちで一杯だ。本音をぶつけ合いながら相手をいたわり、
厳しい事を言いながらも思いやりの気持ちやフォローを忘れない。
毒舌家のウィザーがシェルビーの前で早くくたばりたいなんて…と
落ち込んでも、クレリーは誰も気にしないわとサラっと流してやる。
ウィザーにとってはヘタに慰められるよりその方がラクなはずだ。
やがてとてつもない哀しい別れがやってくる。
昏睡状態に陥ったシェルビーの傍を片時も離れず、リハビリをし、本を読み、
話しかけて意識を取り戻させようと献身的に看病するマリンの姿が痛々しい。
脳死判定が下りたシェルビーの人工呼吸器が外され、脈が徐々に少なくなる…
夫も父も病室を出て行き、けれど母だけはぬくもりの残る娘の手を握り続ける。
魂が離れる最期の瞬間まで一緒にいたのは、シェルビーを産んだマリンだった。
シェルビーが埋葬された墓地で、夫にも息子にもぶつけられない哀しみ…
むしろ娘を奪われた事へのどうしようもない「怒り」をぶちまけるマリン。
トゥルービーだから、クレリーだから、ウィザーだから、アネルだからこそ
見せられる本音が、彼女の怒りに転化したあまりにも深い哀しみを思わせる。
「殴るならこの人を殴って!」
そしてそれを見事なまでに笑いに変えてみせたクレリーには泣き笑いの喝采を!
シャーリー・マクレーンのとびきりの名演によって魅力的な魔女?となった
ウイザーのうろたえぶりは最高に笑える。そしてこの2人の仲直りがこれまた
素晴らしい。あたしのベンチよ!って、まるでハイスクールの少女みたいだ。
ウィザーとは犬猿の中であるマリンの夫ダリルの背中を軽くとんとんと叩く
彼女なりのお悔やみもなんともいえない。やはり往年の名女優と思わせる。
とんでもない「ぶっ飛び女」ウェザーをあれほどまでに魅力的な女性に
仕立て上げてしまったシャーリー・マクレーンの演技は本当に見事だが、
他にも「フォレスト・ガンプ」でも母親役を演じたサリー・フィールドが
優しく強く溌剌とした母親役を好演している。常に夫を励まし、仲間たちに
明るさとハッピーと「美」を与えるトゥルービィのドリー・パートンもいいし、
上品で知的で素敵なおばあちゃんクレリーのオリンピア・デュカキスもいい。
アネルには初めはとてもそうとは思えなかった美人女優ダリル・ハンナ、
そしてシェルビーにデビュー間もない頃の若々しいジュリア・ロバーツ。
私は「エリン・ブロコビッチ」も見損ねているので(何年か前にBS2で放映した時
録画したのだが誤って消去してしまったのだ)彼女が演じた中では今のところこの
短い生涯を精一杯生きたシェルビーが最高の役ではないかと思っている。
しかしこの魅力的な6人の女優たちは本当に甲乙つけがたく素晴らしい。
季節は廻り、復活の春が来る。
やがてまた新しい命が生まれ、この優しい物語はずっと続いていくのだ。
アネルはじきに生まれる自分とサミーの子に「シェルビー」と名づける事を
宣言し、母の事を知らずに育つことになったジュニアにはクレリーをはじめ
多くの人たちが愛を注ぎ、今はもういないシェルビーの事を語って聞かせる。
クレリーが悪い魔女だと教え込んだウィザーがジュニアに殴られるオチまで
隙がなさ過ぎて、哀しみの中にあっても、人はいつだって気持ち次第で前に
進んでいけるのだという強さとたくましさを感じられる素敵なラストだった。
ずーーーーーーーーーーーっと見たいと思いながら、これもなかなか機会が
なくて20年近くも経ってしまった。けれどこういう名作は色褪せる事がない。
89年作品だが、まさしく「温かくて少しほろ苦い」人生賛歌が詰まっている。
実はこの映画は私が世界で一番信じる「映画評論家」である母のお薦めの
1つなのだが、やはりその眼に間違いがないことを強く感じた作品である。
△(2008/11/8 放映)
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ノンちゃん雲に乗る | 11/13(木) |
子供の頃に原作を読んで面白かった作品の映画化作品。
この作品は冒頭に注意書きがあるように「よいこの皆さんのための映画」であり
恐らくは学校での上映などを目的に作られた優良映画なのだが、配役が豪華で、
エピソードは適度に削られているものの原作にかなり忠実に作られている。
(ちなみに後援は「雪印乳業株式会社」であった)
映画があると知ったものの、こういうマイナーで古い作品は今のように
ビデオやDVDが簡単に手に入る時代ではなかったので見る機会がなく、
ずっと心に引っかかっていた作品なのだが、念願かなって見ることが
できた。ハプスブルグ家の血を引く、かつて天才子供ヴァイオリニストと
もてはやされた鰐淵晴子が主演、脇を原節子や藤田進、徳川夢声が固める。
藤田進が出ると柔道技で投げるんじゃないかとか、原節子とのコンビを見ると
「我が青春に悔いなし」であんなに過激に反戦運動に突っ走らなかったら
こんな穏やかな家庭生活を営んでいたのではとついつい考えてしまう。
原作は戦前の日本の田舎を舞台にした、よい子のノンちゃんが雲の仙人に
自分の家族の事をあれこれ語らせ、最後に彼女がなぜわぁわぁ泣いていたのか、
そしてそれは実は池に落ちて所謂「お花畑を見てきた」臨死体験であったという
ニッポニア・ファンタジーである。けれどこのノンちゃんが語る物語の中に、
上品で規律正しい、古き善き日本人の倫理観が生き生きと描き出されていて
読後感がとても爽やかなのだ。ああ、日本人に生まれてよかったとさえ思う。
兄ちゃんの「ストップ」事件など、あまりにもイメージどおりで楽しかった。
お父さんが帰ってきてから兄ちゃんを叱るまでのあの何ともいえない間!!
ああ、怒られるとわかっていてそれを待っている時のあのやるせなさ、
自分が悪いとわかっているけど取り戻せない悔しさ、そして実際に
叱られ始めるともう身が縮む思いで下を向くしかない情けなさ…
そんな子供の頃の苦い、けれど懐かしい思い出が甦って苦笑してしまう。
バレエや歌が多いのは子供たちが飽きないようにという演出だと思うが、
池で溺れたノンちゃんが眼を開け、雲に乗った話をする時のお母さんの
気持ちを思うとそれはたまらなかったろうと思う。子供の頃も「ああ、
ノンちゃんは実は死にかけていたんだ。だからお母さんはそんな話は
聞きたくないと言ったんだ」と思ったが、大人になった今、しかも映像で
見たらそりゃお母さんはさぞや胸が潰れる思いだったろうと同情してしまう。
ちなみに原作ではさらに10年ほど後の後日談があり、大学生になった兄さんと
エスの哀しい別れや、長吉のこと、そして段々近づいてくる戦争の影などが
語られる。アークトゥルスが麦星という和名を持つと知ったのもこの作品だ。
なお原作者の石井桃子氏は今年4月、101歳でお亡くなりになられたそうだ。
上質な日本ファンタジーを創作してくださった氏のご冥福をお祈りします。
△(2008/11/12 放映)
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椿三十郎(2007年版) | 11/9(日) |
黒澤の娯楽傑作「椿三十郎」の、森田・織田版リメイクバージョン。
今年はこれまでほとんど見た事がなかった黒澤映画をガンガン見ており、
もちろん「椿三十郎」も既に見たし、レビューもしているのでリメイク版も
見てみたいとは思ってたけど、こんなに早く放映が来るとは思わなかった。
少しは物語に現代風のアレンジが加えられているのかと思ったけど、
脚本はオリジナルをそのまま使い、演出が若干変わっている感じかな。
正直見ている間中、セリフなどはほとんどそのまんまなのに、なんで
わざわざリメイクなんかしたんだろう?という疑問がぬぐえなかった。
むしろ黒澤三十郎の三船や仲代、入江たか子の演技があまりにも強烈過ぎるので
モノマネ大会のようになってしまい、「似てない!」「お、今のは似てた!」と
比べて見ちゃう。織田裕二もむしろ時代劇をほとんどやった事がないという事を
もっと強みにして、どうせならイマドキのアンちゃんっぽい三十郎にすれば
よかったのに、最後まで迷いが捨て切れなかった感があって中途半端だった。
逆にトヨエツの室戸半兵衛は、仲代にあった「かなり悪い奴だけど、
侍としては一級品」という「品性」が欠けていたような気がして、
あれじゃただのチンピラ侍の大将にしか見えなかったよ。
中村玉緒のおっとり夫人はよかったけどね。
入江たか子に対抗できるのは今や元祖お姫さま女優の彼女くらいだろうし。
9人の若侍は、オリジナル版のレビューでも書いたように、もともとあまり
個性がはっきり立っていなかったので、今をときめく役者たちが演じても
特に違和感はない。むしろ現代版は若い侍たちにスポットを当ててるかと
思ったけど、そんなアレンジもなかったな。やるとしたらそれだろうに…
それにユーモアの点でも、主役の三船敏郎が何しろコワモテだった分、
金魚の糞みたいにくっついて歩く若侍とか、夫人のおっとりした言葉に
三十郎が壁を向いて困ってるシーンとか、コメディ要員の押入れ侍なども
オリジナルの方が断然冴え渡っていた。う〜ん、メリハリの差かなぁ…
白黒だったオリジナルと違って椿に色がついてるなど、小さな違いはあっても
一番違ったのはラストシーン。オリジナルは一瞬の斬り合いで、室戸の体から
ブシューッと血飛沫が飛び散る衝撃のシーンだったけど、今回これをカラーで
やるのかなと思いながら見ていたら、互いに抜こうとする刀を抑えこむという
力技シーンに変更になっていた。その後、一瞬の差で三十郎が室戸を斬る。
う〜ん…なんともビミョーなリメイクだったなぁ…
この映画は一体何を言いたくて作られたんだろう?
まぁ、これを見てまず思ったのが「オリジナルの椿三十郎は面白かった!」
という事だったので、黒澤作品が面白いという再確認ができるという事なら
意義はあるけど、それってわざわざ膨大な制作費をかけてまでやる事か…?
△(2008/11/9 放映)
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真珠の耳飾りの少女 | 11/9(日) |
これも公開された時見に行きたかったけど、毎日レビューに忙しかったのと
確かシネスイッチかどこかでの上映だったからめんどくさくて行けなかった。
とにかく17世紀のオランダの風景や館の様子、衣装がレトロで美しく、
光の使い方や小物の1つ1つまで凝っている美術が実に素晴らしかった。
窓から光が斜めに差し込む扉の向こうで、台所仕事や掃除をしている
グリートの姿などはまるで絵を切り取ったような構図になっている。
フェルメールの家に下働きとして雇われたグリートは、口やかましい妻と
守銭奴の妻の母、下卑たパトロンに囲まれながら、寡黙に絵を描いている
主人の絵に魅せられていく。「窮屈そうだったから」と、椅子をどけて
絵の構図を改めて見直させたり、色の違いを理解し、窓を拭けば光の加減が
変わると、そうとは知らずに彼の絵を「芸術」として捉えているグリート。
フェルメールもまたそんな彼女に色の混合を教えたりと絵の制作を
手伝わせるようになり、やがてはグリートにモデルになる事を命ずる。
その絵こそがフェルメールの代表作「真珠の耳飾りの少女」だった。
フェルメールとグリートは「芸術」を通じて徐々に惹かれあうのだけれど、
彼には妻がいて次々と妊娠させるし、グリートにも肉屋のピーターという
身分相応の恋人がいる。2人が愛を囁く事は一度もないし、触れ合う事さえ
ほとんどない。ないのだけれど、互いの気持ちの描写がこれまたうまい。
すぐ近くに置かれているのに、触れ合いそうで触れ合わない2人の手と手とか、
ピアスホールを開けさせるグリートとか、彼女の涙を見てフェルメールが頬に
優しく触れる…だけど彼女が感極まって振り向くと、彼はつと立ち上がって
絵に取り掛かり、キスはしないというように、全編「寸止めの嵐」なのだ。
時にはフェルメールの娘の意地悪で盗みの容疑をかけられたグリートが
妻と義母に疑われて追い出されそうになった時、いつもは穏やかで無口な
フェルメールが家中を引っ掻き回し、なくなった櫛を探し出すのだけど、
そのいつもと違う姿は妻に疑いを抱かせるには十分すぎるものだったり。
はっきりそれとわかる言葉もシーンもないのだけど、想像を膨らまされる。
だけどそれがいい。あまりに安直過ぎる恋愛映画なんか見る気もしないもん。
フェルメールと魂が触れ合いそうになったのに、何でいかがわしい酒場で
飲んでるピーターに会いに行くのかというのもなんとなくわかる気がする…
もちろん奥方の苛立ちもね。ホント、女心って不思議で微妙なものよね。
結局絵の完成と共にグリートは追い出され、恐らくはピーターと結婚して
新しい生活を始めたんだと思うけど、そこにフェルメールから便りが届く。
文字が読めない彼女が受け取ったのは手紙ではなく、真珠の耳飾りだった…
そこにこめられたのは、あまりにプラトニックな想い。
芸術を介して確立していた、恋とすら呼べない淡い関係が心に響く。
そのラストは「真珠の耳飾りの少女」の絵だった。
映画を見てからその絵を見ると、思った以上に大きな眼の少女が、控えめながら
とても華やかで明るい笑顔であることに気づかされ、また少し感動してしまう。
△(2008/11/9 放映)
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スペースカウボーイ | 11/9(日) |
宇宙に飛び出すオールドカウボーイの冒険譚。
かつて宇宙を目指していた4人の空軍兵士が、旧ソ連が打ち上げた
「通信衛星」の修理のため、40年の月日を経て宇宙へ向かう。
チンパンジーに宇宙飛行士の座を奪われ、宇宙への夢を捨てきれないまま
日々を過ごしてきたフランクが、仲間たちにかつての夢を甦らせていく。
牧師をしているタンク、ジェットコースター技師をしているジェリー。
けれど一番の難物は、かつてのパートナーであり、ムチャばかりしていた
スピード狂のホーク。月へ行きたがっていた彼がテスト飛行中に墜落事故を
起こした事で、「チーム・ダイダロス」の夢はあえなく潰えてしまったのだ。
一癖もニ癖もあるご老人たちのNASAでの訓練が楽しい。
衰えた視力をホークやフランクの言葉を記憶して誤魔化したり、
若い連中と栄養ドリンクやベビーフードをやり取りしてみたり、
筋力トレーニングのハードさに「部屋で泣いてくる」と消えたり。
愛嬌たっぷりのおじいちゃんたちは恋愛にも熱心で、女殺しのジェリーは
父親に続いて親子二代で診察してくれた女医さんと、ハイスクールの頃に
アメフトの花形選手とトイレにしけこんでいた妻を亡くしたホークはサラと。
この地上訓練は楽しかったのだけど、シャトルが発進していよいよ宇宙空間が
舞台になったら、なんだかやけに重力感たっぷりの無重力シーンで今ひとつ…
無重力映像がもはや「見慣れぬもの」ではなくなった現在、現実の方がより
「無重力感」を感じさせるせいか、作り物の無重力がどうにも軽く見えない。
正直「プラネテス」の、摩擦のない無重力の方がリアル感があったし、
ぽっかりと闇が広がる宇宙空間の怖さも表現されてたからなぁ…
デブリもあんまり早く見えないし(ホント、「プラネテス」を見て以来
秒速8メートルのデブリは恐ろしいものと身に沁みてしまってるからな)
彼らが修理するロシアの通信衛星だと思っていたそれは、実は武装した
核搭載サテライトだったからさぁ大変。もともとそのまま地球に落とせば
燃え尽きるのに、それでは困ると言われれば容易に想像できちゃったけど、
ホークがミサイルで推進力をつけて核と共に月に飛び、自爆させるってのは
いかんせんムチャすぎるだろう(実際は月までの軌道の途中でなんだけど)
ホークは妻も子もおらず、がんで余命いくばくもないからってお手軽だよ!
結局残った3人も途中で脱出はせず、シミュレーション時にホークが
やってみせたマニュアル着陸をフランクが真似て無事に帰還する。
ところで途中で意識がないまま突き落とされた脱出させられた
若い飛行士たちは、あのまま無事に着地できたんだろうか…
宇宙に出てからは危機また危機の連続で、最後は無事に着陸という
アポロ13みたいなセオリーどおりのクライマックスだったんだけど、
何と言うか、宇宙空間での作業が何をやっているのかわからないので
残念ながらあまり盛り上がらないんだよね…どうせなら外に出たイーサンが
実はテロリストで、核ミサイルをそのまま発射させ世界の混乱を招くなんて
話の方が面白かった気もする。9.11前の映画だからそれくらいできたろう。
そもそもホークの無茶な特攻も皆あまり止めないのも違和感があった。
実際「月に行けたかしら」とフランクと妻が月を見上げるラストシーンによれば
ホークは途中で核ミサイルと共に爆散したのではなく、月に辿り着き、地球を
見ながら死んだ…という夢をかなえロマンティックな最期?を迎えたらしいし…
魅力溢れるおじいちゃんたちはとてもよかったけど、物語的には今ひとつ。
でも当時50代のトミー・リー・ジョーンズは仲間入りにはちょっと早くね?
△(2008/11/4 放映)
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インビジブル | 11/7(金) |
これはひどい。あまりにもひど過ぎて大笑いだ。
何がひどいって、脚本がひどい。設定がひどい。結末がひどい。
あまりにもひどい上に古臭いので、「90年代半ばくらいの映画か?」
と思ったら、2000年だったのでこれまたひっくり返りそうになった。
物語もひどいが、とにかく出てくる科学者たちのひどさは目に余る。
主人公が自らの体で実験を買って出るのはいいんだけど、元に戻れなくなり、
その事に苛立って反抗的になり、脱走を繰り返し、しまいには仲間たちを
殺して出て行こうとする。しかもいただけないのはコイツがただのエロ男で
透明になったのをいいことに勝手に女性の体に触れたり覗いたり襲ったりと
もう最低…悪役ヅラのケビン・ベーコンもよくまぁこんな役を受けたもんだ…
しかも劇中では2/3以上が透明なので、顔なんかほとんど出ないしだからこそか?
エリザベス・シュー演じるリンダもひどすぎる。
サラの言うとおり、セバスチャンを止める機会は何度もあったし、苛立つ彼に
「私が自由だから羨ましいんでしょ」みたいな事を言うなんて言語道断じゃん。
ってかヤツが脱走を企てた時点で生体ビーコンくらい埋め込んどけっての。
主人公を含めてロクでもないキャラばっかりなのでなんの思いいれも出来ず、
ラストなんかもー、このままコイツが全員殺して脱走してもええんちゃうと
思ってしまった。第一セバスチャンも詰めが甘過ぎてイライラするんだよ。
脱出するまで透明のままでいればいいのになんでわざわざ見つけられやすい
変装をするかなぁ…それにカウントゼロになったのにニトロの爆発が遅い!
もともと見るつもりはなかったんだけど、最近見た1992年版の「透明人間」が
小品ながら上品でとても面白い作品だったので、透明人間繋がりということで
「見てみるか」と思い、見た後は「見なくてよかった…」とちょっと後悔した。
透明にはなれるけど戻るのが難しいという設定は斬新で面白かったし、
皮膚や筋肉が透明になる過程や、そこから元に戻ってくる姿はグロいけど
正直すごいと思った。これだけのアイディアと技術があればもっと面白い
映画になりそうなのに、なんでちっぽけな研究所での殺し合いなんだか…
せめて「相討ち全滅エンド」だったら少しは見た甲斐もあったろうに。
だって何も知らない連中を巻き込んでおいて、しかもセバスチャンの精神状態が
悪い事も知ってて何もしなかったくせに、あの2人が生き残るなんて許せんよ!
△(2008/11/7 放映)
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40歳の童貞男 | 11/6(木) |
重い映画を続けて観てしまったので、次はコメディがいいなーと思って
見たのがこの「40歳の童貞男の汗と涙のロストバージン」もの。
ソフィー・マルソーやケビン・コスナーなど、バカ騒ぎしてはバージンを
捨てたがる映画は80年代に多かったけど、時代が変われば童貞も変わる…
というわけで、今作は真面目でオタクなアンディ(40歳)が主人公。
そりゃ40歳で童貞とか処女ってのはねぇ…
まぁ人それぞれなので別に差別はしないつもりだけど、「経験値」としては
圧倒的に少ない(つか「ない」)わけで、それはちょっと…そう、勿体無いというか…
けどアンディにも何回かチャンスはあって、それがまた歯の矯正具丸出しで
フェラされそうになったとか、キツいブラをはずすのに手間取ってる間に
イッちゃったとか、足を舐められてくすぐったくて蹴っちゃったとか、
結構悲惨な体験になっている。あまり1人でもしない(する時は写真や
フィギュアを全て裏返しにする潔癖性を持ってたり)し、性欲自体が
希薄と本人も思っている(毎朝の朝立ちと、持続時間は長いようだが)
でもきっとこの映画が一番言いたいのは「童貞」はダメって事じゃない。
愛する人と理解を深めあい、互いを尊重し、大切に思うという事こそが一番
大切で、セックスはその延長線上にある(生殖行為としての意味も持ちつつ)、
愛情表現のためのコミュニケーションの1つなのだという事だと思う。
だからアンディは友人たちから色々な恋愛指南を受ける。
ただ経験したいだけなら、街に玄人さんはたくさんいるから、
お金さえ払えば筆下ろしはしてもらえるわけだ(これは女性には難しいだろう)
でもそれじゃダメなんだよね。
声をかけたり、会話を盛り上げたり、雰囲気を作ったり。
女性を神格化せず、かといって蔑みもせず、対等なパートナーとして
会話し、理解しあい、歩み寄っていくことが恋愛の醍醐味なんだから。
努力せずにモテたいとかヤリたいなんて無理。モテる奴は必ず努力してる。
中でも「モテる容姿になるには努力しなきゃダメだ!」という意見には
本当に賛成だよ。相手が自分に好感を持ってくれるためには自分自身も
努力しなきゃいけないのに、ブクブク太ったり悪臭を撒き散らすなんて
なってないよ。女がどーこう以前に人間としてどうなのと言いたいよ。
胸毛をワックス脱毛するのが「ミカ」だったり、トリシュとのデートが
日本の鉄板焼き屋だったり(「幸せなら手を叩こう」を歌ったりね)するので、
フィギュアにも日本のアニメものがあるかと思ったけどよくわからんかった。
G.Iジョーやスパイダーマンなどの有名どころだけでなく、昔から持ってた
というアイアンマンは私も最近見たのでおお、わかるわかると思ってしまった。
とは言っても、私もその一方でアンディがいかに快適な生活を送ってるかが
よ〜くわかってしまうので、何も今さら死ぬほどめんどくせぇ異性関係に
わざわざ踏み込まなくてもいいや…と思ってる気持ちも理解できるなぁ。
そんなアンディの前に「セックスしない」事を条件につきあいたいという
トリシュが現れ、アンディは彼女に心を開き、徐々に愛情を育んでいく。
後半のぎこちない恋愛も面白かったけど、やっぱり前半の男友達とのドタバタが
楽しかったかな。実際、私だってエロ話をする相手は断然男友達の方が面白い。
女友達とはやけにリアルな話になっちゃうので嫌だけど、男友達ってホントに
アホな経験ばっかしてるから笑えるし、しかも一応こっちが女性だと、あまり
女性を侮辱するようなエゲツない話は封印してくれるので楽しくて仕方ない。
(往年のたけしのオールナイトみたいな「コーマンハメハメ」話はさすがにちょっとねー)
カーセックスとか人妻の誘惑とか高い車を買うためにスカトロありのSMクラブで
バイトした体験談とか(おかげで彼の車は皆から「ウンコソアラ」と呼ばれていた)
一晩中そんなくだらないエロ話をしては大笑いしたものだ。バカだよなぁ。
最終的にはトリシュと結婚し、初夜が愛する人とのロスト・バージンという、
めでたい結末に。しかも一発目はワン・ミニッツ・フィニッシュだったけど、
その後はすっかり虜になってしまったようで…お相手も大変ですなぁ…
明るくて、笑えるシーンも多かったから楽しかったよ。
でも時々繋ぎの悪いシーンが出てくるのは気になった。
ランコンの事でジルが怒鳴り込んできたシーンなんかよくわからない…
あれはジェイが書いたメモを自分が書いたとアンディが庇ったって事?
あと最後のエンディングのダンス?はバラバラもいいとこで笑ってしまった。
△(2008/11/4 放映)
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悪い奴ほどよく眠る | 11/6(木) |
「これでいいのか…これでいいのかっ!!」
結婚式での複雑な人物紹介、庁舎の形をした奇妙なケーキは、1つの窓にバラ…
そしてその席で記者たちが噂していた通りに、贈収賄で捕まっていく公団社員。
まず何よりもこの映画が面白いのは、冒頭のシーンを見ただけでは
「一体主人公は誰なのか」という事がはっきりわからないところだ。
そう思い始めたところで出てくるのは、和田課長補佐が自殺しようとするのを
止めた公団副総裁・岩淵の秘書であり娘婿…つまり結婚式を挙げた新郎の西。
西は実は5年前に同じく収賄事件のしわ寄せで飛び降りた男の隠し子だった。
彼の復讐は親友の「西」と戸籍を交換し、岩淵の秘書となり、その娘で
片足が不自由な佳子と結婚して彼の娘婿に収まるところから始まっていた。
父と同じように上司から自殺するようほのめかされた和田を救い、
共に復讐をしようと持ちかける西。でも火山の煙の中で絶叫が
聞こえたので、初めはホントに突き落としちゃったのかと思った。
サスペンスものとして痛烈な社会批判と風刺がこめられているんだけど、
ところどころに黒澤映画お得意のコミカルな演出も多いので厭きさせない。
隠し金庫の件で疑われる白井のカバンに500万円が入っててビックリ仰天とか、
和田が「幽霊役」を務めて上司の白井を怖がらせ、白井はすっかり精神的に
参ってしまって部屋の隅から動かなかったり。業を煮やした岩淵が殺し屋を
雇って殺そうとするんだけど、それが田中邦衛に似てて驚いたら本人だった。
白井は窓から落とされかけ、さらには「劇薬が入っている」と嘘をついて
ウィスキーを飲まされて昏倒し、最終的には気が触れてしまったようだ。
物語上、西の正体がばれるのがちょっと早かったような気もしたけど、
その後、守山を監禁して物的証拠を掴もうとするシーンあたりからは
西の人間性も少しずつ見えてきてキャラクターとしての魅力が増していく。
ことに戦後何もないところから色々な事をやったと親友の西(現在の板倉)と
語ったり、これだけ罪を重ねれば大手を振って自首できると笑ったり、
いじらしい佳子に愛情を感じ、しかも手すら出していないとわかったり。
だからこそあの結末は本当にやりきれない…
何がやりきれないって、娘を騙す岩淵のあの演技の嫌らしさ!!
騙されるな、西の居所を喋るなと願い、ついていくならまだしも、
薬を飲まされて眠らされてしまう佳子の姿に、結末を思って絶望…
暖炉で肉や野菜をあぶり、娘にあーんと食べさせる姿は、娘や息子が
言うように普通のいいお父さんなのに、一皮剥けばとんでもない悪党。
眼を覚ました佳子と、狩から帰ってきたボンクラ息子のどちらもが
我々と同じく結末を知らず、恐る恐る防空壕に下りていくシーンでは
演出の妙に息を呑んだよ。だってこれまでの事を何も知らない彼らと違い、
我々は彼らが行く道で暗澹たる気持ちにさせるものとすれ違っていたから…
西は数人の男たちに抑えつけられ、薬用アルコールを注入され、
酩酊状態のままで車に乗せられ、線路に放置されたのだ。
どんなに抵抗したろうか。
どれほど怒りの咆哮をしたろうか。
そしてどんなに悔しかったろうか。
それを知る板倉は泣く。
自分ももう西には戻れない。西は西として死んだ。
知っているのに、全てが醜悪で単純なのに、自分には何一つないのだと。
それにしても90億で入札している企業の中で、最も高値の120億で落札!
しかもその差額の30億が全てリベートて!つか普通は10%が相場て!!
ゼネコン絡みの贈収賄は桁が違いすぎる…50年経った21世紀の現在でも
数10億単位となれば破格も破格なのに、この時代の30億っていくらだよ。
この頃コーヒーが60円くらいでしょ?となるとざっと10倍で300億…キャー
そしてもっとイヤなのが、例えこの復讐が成功して岩淵を追い込めても、
巨悪の正体は彼ではないということ。彼が何度となく電話していた相手…
もちろんそれはもっと大きな権力を持つ者であり、甘い汁を吸い続ける
バケモノである事が示唆されている。それが非常にやりきれない。
岩淵の最後の挨拶が間違えたとはいえ「おやすみなさいませ」なのが
この映画のタイトルが何を意味しているかを雄弁に語っていて唸らせる。
いやはや、まさかの絶望エンドに声も出ない。
いよいよ巨悪の実態を白日の元に晒せると笑っていた西はもういない。
父の仇を晴らすどころか、トカゲの尻尾切りに巻き込まれて殺された。
和田は再び殺され、全てをゲロってしまった守山も始末されたんだろう。
自分のせいで西を失った佳子は狂い、辰夫も父に三行半を突きつける。
だけど誰もが綱渡りをしながらゴールを目指しているこの映画の中で、
2時頃起きて狩に行くなんて辰夫のボンクラぶりは非常に気になったぜ。
△(2008/10/4 放映)
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コールドマウンテン | 11/6(木) |
南北戦争を背景に、世間知らずのお嬢様と無口な男の一途な愛を描いた物語。
公開当時見に行きたかったのだけど、南北戦争が背景というと大体が
脱走兵狩りだの略奪だの陵辱だのという「弱者に対する残酷な描写」
があると推測出来たので、ついつい見に行く事を躊躇してしまった。
実際この映画もそういうシーンはあったけど、でもそれ以上に
キッドマン演じる世間知らずのエイダが、レニー・ゼルウィガー
演じるルビーの指南で逞しい農場主に成長していく過程や、
インマンが過酷な旅の途中で出会う魅力溢れる(時には腹黒い)
人々との交流が楽しく、非常に見応えのある作品になっていた。
やもめで牧師の父に大切に育てられた美しいエイダのお嬢様ぶりは、
彼女自身が言っているようにその土地に似つかわしくない存在だった。
そんな彼女と惹かれあうインマンは無口で無愛想で無骨そのもの。
けれどほとんど言葉も交わさないあまりの晩生ぶりを見せた二人を
戦争が引き裂いていく。戦地に向かうインマンにエイダは本と自分の
写真を渡し、そこで初めて互いの気持ちをぶつけ合うキスを交わす。
こうして書き出してはいるものの、映画は時系列がかなりバラバラで、
戦闘シーンや出会いや教会の落成パーティーや農場で耕すインマンに
エイダがピアノで曲を弾いて聞かせたりと、父を失ったエイダの回想や
怪我をしたインマンが朦朧とした意識の中で思い出す形で語られていく。
南北戦争が過酷な戦争だったというのは映画や小説でも知ってるけど、
何よりイヤなのは同国人同士が憎みあって殺しあうという構図だよなぁ…
まぁでもこれのおかげで日本はあのメチャクチャだった幕末の混乱期に、
アメリカの干渉を英仏から受けるほどには受けずに済んだんだけどね。
(開国にはペリーやハリスが関わった割に、アメリカが意外なほど内政干渉にしゃしゃり出てこないのはこの戦争のせい)
アメリカがあれほどの多国籍社会でありながら、やたらと国家や国旗での
団結や統合を謳うのも南北戦争の悲劇があったからこそなんだろうな。
血で血を洗う苛烈な戦闘、共に故郷を出てきた仲間の死…
負傷し生死の境を彷徨ったインマンは、脱走してエイダの元へ帰る決心をする。
途中、牧師のクセに黒人の娘を孕ませたエロ親父に出会ったり、その牧師共々
変な農夫と売春婦に引っかかって義勇軍に売られてしまい、九死に一生を得て
森の中でヤギを飼っている老婆に救われたりするインマン。時には夫を亡くした
寡婦と赤ん坊の家に止めてもらい、そこで北軍の兵士と遭遇してしまったりも。
でもこの時、確かに北軍の兵士は無体だったけど、赤ん坊に布を巻いてくれ、
自分の上着までかけてくれた優しい若い北軍の兵士まで殺されてしまうのは
ちょっと忍びなかったなぁ…あの人はホントにいい人だったのになぁ…
脱走兵を追う南軍も、男たちのいない町や村を守るという名目で組織された
義勇軍も、そしてヤンキースと呼ばれる北軍も、皆同じ人でなしばかり。
「男たちは自分たちで雨を降らせておいて、『雨が降ってきた!』と騒ぐ」
と言うルビーの言葉に頷いてしまう。事実女性に選挙権がなかった時代だし。
一方「役に立つ事は何も出来ない」エイダも苦労に苦労を重ねていた。
蓄えは底をつき、信者からの施しや物を売っては食いつなぐ日々。
そんなにまでして「夫でもない男」を待つ娘は変わり者でしかない。
しかも昔ながらの土地を奪われたと逆恨みし、虎視眈々と狙っている
元地主がいやらしい眼でつけ狙うんだからたまったもんじゃないよ。
「大草原の小さな家」でいえばオルソンさんのような商店の奥さんや、
息子たちを兵士に取られたサリーと夫が、そんな気の毒な彼女に優しく
してくれるのが救いだった。さらにこの時、サリーの家の井戸に映った
映像が彼女の運命を暗示する(正確にはインマンの運命なのだけど…)
そして一気に流れが変わり始めるのがルビーの登場。
無愛想で遠慮がなく、けれど知恵と生命力に溢れ、何より逞しいルビー。
暗く陰鬱な物語にはこういうバイタリティのあるキャラが絶対に必要だ。
この役でアカデミーの助演女優賞を取ったというゼルウィガーには納得。
ルビーは家を手入れし、柵を直し、畑を耕し、家畜を育て、穀物を収穫する。
家と農場が生き返り、エイダもまた生まれ変わったように逞しくなっていく。
でもいいことばかりではなく、脱走してきた息子を匿っていたサリーは
義勇軍に夫と息子2人を眼の前で殺されて、身も心も傷ついてしまう。
さらに、飲んだくれで最低だったとルビーが毒づいた父親との和解は
心温まると共に残酷な結末を連れてくる。ってか義勇軍の若い奴らは
なんで兵隊に行かないのさ!おまえらこそ戦場で戦ってこいや!!
けど戻ってきたインマンとエイダのベッドシーンは別にいらないと思う。
それを示唆するシーンだけの方が上品でいいよ。キッドマンの乳首とか
別に見たくねーよ。売春宿のシーンも含めて、R-15指定にするほどでも
ないと思うけど、かといってもっとソフトなら万人受けするのにとも思う。
インマンはルビーの父を撃った義勇軍を片付け、サリーの息子たちを
面白半分のように殺した鼻持ちならない金髪と相討ちになって倒れる。
それはまさしく、井戸の中に見た雪の中で倒れこむ彼の姿そのものだった。
2人が辿った苦難の道を思えばあんまりなアンハッピーエンド…
けれど、戦争が終わったコールドマウンテンには穏やかな春が来た。
庭にいるのは喋れないけれど真っ白な髪をして優しく微笑むサリー。
朗らかにヴァイオリンを弾くルビーの父と、ルビーの夫となった
ジョージア、その子供たち。そしてエイダには可愛い娘が1人いる。
寄せ集めの家族が囲む食卓にはささやかな幸せがあり、哀しみの影はない。
哀しみの過去はなくならないけれど、我々は学ばなければならない…
冒頭から続いていた手紙は、今もいなくなった夫宛てに書かれているのか。
戦争によって、自分の中にあった善いものは全てなくなってしまったと
告白したインマンは、今はもう安らかな気持ちで眠っているのだろうか。
2人の恋は悲劇に終わってしまったけれど、遺されたものは少なくはない。
皆の優しい笑顔と暖かな春の日差しに、少しだけ救われたラストだった。
△(2008/10/25 放映)
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暗いところで待ち合わせ Wating in the Dark | 11/5(水) |
「ありがとう」
失明し、父を失って1人暮らしをしている孤独なミチルの家に、
ある日突然大石という男が気づかれないようにもぐりこむ。
大石は近くの駅で起きた突き飛ばし殺人の容疑をかけられており、
潜伏先の他、ある目的のために目の見えない彼女の家に侵入した。
2人の奇妙な共同生活は、やがて意外な展開を見せる事になる…
淡々と進んでいく日常描写が続く前半は非常に静かで、岸辺一徳演じる
父親と田中麗奈演じるミチル、その友人のカズエ、そして毎朝窓を開ける
ミチルを眩しそうに見上げていた大石以外はスポットが当たらない。
次にその大石がミチルの家にやってきて、息を殺しながら彼女の孤独な生活に
溶け込むパートへ。時にはニアミスしそうになったり、互いに相手の事を強く
意識したり、それでも見えないミチルには確信が持てず、知られないように
細心の注意を払って生活している大石もまた、時計板に反射する光を彼女に
当ててささやかなアピールをしてみたり…このへんの演出もよかったから、
2人の気持ちが触れそうで触れないという繊細さをよく表してたと思う。
多くの人が「盲人は眼が見えない分、その他の気配に敏感なはず」と
ひとくくりにして勘違いしてるのでいつも非常に腹が立つのだが、
「気配」や「空気の流れ」や「温もり」が残るからわかるだろうと
いうのは、少なくとも中途失明者にはかなり難しい事だと思う。
先天障害と中途障害は大人と赤ちゃんが競争するくらい違うからだ。
だからこのへんは「ミチルが気づかない、あるいは確信がもてない」事の方が
実際にはリアルであり、それゆえに下手なサスペンスよりもハラハラさせる。
盲人の何たるかを知らず、「わかんないわけないじゃん、盲人には心眼とか
第六感があるはずだし!」とか言っちゃうような、眼が見えないという事を
全く理解していない、第一盲人と実際に会った事もないし深く接した事も
ない人には、むしろこれはうそ臭く思えるのかもしれないな。
いや、この映画は意外と中途失明者にとって最も困難なのが「1人歩行」とか、
非常に難しい点字の読み書きの練習とか、結構リアルに描けてたと思うよ。
反面ビジュアル的に仕方ないとはいえ、家の掃除が行き届いている事とか、
洋服の色のコーディネイトがちゃんとできてるとか、ちょこちょこと
「ん?」って事はあるけどね。それはまぁフィクションだからね。
物語は突然そんな奇妙な同居人を抱え込んだミチルの日常を描きながら、
いきなり飛び込んできた大石の過去を掘り下げていく。大石は中国人との
ハーフで、日本語がやや不自由なせいか学校でも職場でも浮いた存在だった。
そんな大石に意地の悪い態度を見せたのが職場のリーダー的存在である松永。
付き合いが悪い大石も悪いのかもしれないけど、それだけでいじめるなんて
度量が狭すぎる。しかもクソ生意気な後輩の若木がいかん。あいつが元凶だ。
その松永がホームから転落死し、大石がその場から逃げているとなれば当然
「犯人=大石」となる。実際、途中までは映画でも真相は全く明かされない。
うん、これは正直ちょっと驚いた。ミチルと大石の距離が縮まるにつれ、
「でも大石が犯人なら幸せになるはずがない」と自制していたところで
どんでん返し的に真相が明かされるわけで。それは松永の言動からも
ああ、そういえば…と思い当たらされる事で…う〜ん、やられたわ。
やがて、椅子から落ちたミチルの上に落ちてきた鍋を大石が受け止めて
防いだ事で、この家には誰かがいると確信したミチルは「ありがとう」と
お礼を言い、そしてその日からその「誰か」の分も食事を作り始める。
会話もなく、触れることもなく、ただそこにいるだけの奇妙な共同生活。
一方ミチルには新たな友人が出来ていた。
レストランに勤めるハルミは、ある時風で飛ばされた洗濯物をわざわざ
届けに来てくれた親切な女性。そのレストランに二度目に遊びに行った
ミチルは、帰りにミチルの将来を心配するカズエと大喧嘩をしてしまう。
カズエに背を向けられて一人ぼっちになったミチル。
苛立ちと哀しみから買い物を全て床にぶちまけて去った彼女を見送り、
話を聞いていた大石はそれらを全て片付け始める。一人ぼっちなのは
異国で誰も信じられずに生きている自分も同じ。ミチルの深い孤独が
わかるのか、彼女がカズエと仲直りするためにあれほど嫌がっていた
1人での外出をしようと決意した時、大石は思わずその手を引き始める。
それにしてもミチルとは気の置けない仲だし、本当に心の底から彼女の事を
心配してるということはわかるけど、カズエの言葉はかなりキツいよなぁ…
まぁあれが家族だと「可哀想だから」という感情優先で言えないし、支援員は
第三者の立場としてしか言えないし、医者なんかもっと言ってくれないから、
やっぱり厳しく言ってくれる友人というのはありがたい存在なんだろうけど、
それにしてもキツいよね…つか、ニートにもヒッキーにもキツいよね、あれ…
隠されてきた「真実」が明かされた時、写真を見た大石の記憶が甦る。
けれどそれは同時にミチルに危険が迫る事にもなってしまう。
もうじき結婚するハルカさんの恋人は、死んでいるんじゃないですか?
ミチルが「どんな人だったんですか」と過去形で聞いた事で、ミチルが
何かを知ってるのかも…と気づくのかと思ったけど、それはなかったな。
あと殺された松永が実はあの時、大石にメールを打っていた…なんていう
設定だったらベタだけど少しは救いがあったかもと思ったけど、実は大石は
携帯が嫌いだからと言って持っていないのだった(こういうのもパソコンを
やるのはイヤ、そもそも嫌いと即座に拒否したミチルとの対比なんだろうな)
だって松永はケリをくれたりするいやなヤツではあったけど、実は「おまえ、
人が信じられないんだろう」なんて助言っぽい事もしてたとわかったからさ。
真犯人が捕まった事で大石の疑いは晴れたけれど、会社は明らかに迷惑顔。
住んでいるアパートも追い出されそうだし、本当はやったんじゃないかと
疑っている人も多い…そもそも、あの女が現れなければ俺は本当に背中を
押していたかもしれない…まぁ確かに殺意剥き出しだったもんねぇ、初め。
こんな風にただ「ノーテンキにハッピーエンド♥」とは行かないところも、
なんとも歯がゆいけど無理もないかなと思える。それに、殺されかけた事で
どうやらミチルの視力は完全に失われたらしく、その孤独は計り知れない。
それでも2人は明るい太陽の下を、のんびりと散歩し始める。
逃亡生活を送りながらも、母に電話をかけていた大石は、幼い頃に別れた
母を泣き叫びながら求めていたミチルを見て、ひどく心を震わせていた。
他人への警戒心から本当の自分をさらけ出すことができなかった大石は
誰の姿を見ることも出来ないミチルの前では、素直に優しさや気持ちを
さらけ出す事が出来た。ミチルもまた、1人で過ごすより誰かの気配を
感じ、危ない時に支えてくれる腕に掴まって歩く楽しさを知った。
もしかしたら2人の間に何かが始まるのかもしれないし、もしかしたら
何も始まらないかもしれない。それは正直、どちらでもいいことだ。
2人が互いを認め合い、ふっと心が通ったあの瞬間の、なんともいえない
心地のよい温かさを感じるだけで、十分いい作品だったと思えるからだ。
万人が認めるであろう小粒作品だけど、なかなかの佳作だったと思う。
△(2008/11/3 放映)
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ヘルボーイ | 11/5(水) |
「私は彼をこう呼ぶ…『息子よ』と」
魔界から召還された異形の戦士「ヘルボーイ」が、世界中に暗躍する
魑魅魍魎と戦う物語なんだけど、B級アクション満載の娯楽作品だった。
いや、正直この作品自体の存在を知らなかったんだけど、結構面白かった。
何より全身真っ赤っ赤で、折り取られて研磨されてるけど二本の角を持つ
完全に悪魔的な容姿を持ってるヘルボーイが、ブルーム教授の元で愛情深く
育てられたため、いくら見た目が強面でも「ただの生意気なやんちゃ小僧」
でしかないのがなんだか可笑しくて。
パパには逆らえないんだけど、恋もするし、外の世界にも憧れる。
しかも口ではFBIのメンツに対して偉そうな事を言いながら、
食事は誰かに運んでもらうというボンボン・プリンスぶり。
そのあまりのギャップがすごく可笑しくて可愛いのだ。
復活したラスプーチンの力で甦った悪魔を退治する事が彼の仕事ではあるけど、
これがまたただの力任せで特殊能力があるわけでも知恵で戦うわけでもない。
(むしろブルーことエイブの方が特殊能力があるし知能もずっと高い)
ホント、異形でなければただの20歳前後のマッチョ・ボンボンなんだよ。
最後もラスプーチンの策にまんまとはまっちゃうあたり、精神力弱過ぎ。
ヒーローがそんなんじゃダメじゃん!でもそんな弱さも魅力なのかも。
それにしても何気にジョン・マイヤーズが嫌な男なのでガッカリだったよ。
最初、ジョンの役目は博士が自分が死んだ後、レッドにとって友達であり、
保護者であり、相談者であり、相棒であるようにと願って呼んだんだろうと
思ってたから、2人が最初こそ距離があったものの、事件を通して信頼関係を
築いていくエピソードが中心になるのかと思ってたんだけどちょっと違った。
まぁ最後にちょこっとそれらしき雰囲気はあったんだけど、ヘルボーイと
一緒にいる時間は長かったのに、結果的には嫌味なマニングとヘルボーイの
和解エピソードの方が印象に残ったくらいだもんね。特にエンディングのあと、
スタッフロールまでの間に出た取り残されたマニングには笑ってしまった。
ああ、そういやアイツあの不気味な部屋に残されてたっけなー、みたいな。
何よりリズをちゃっかりデートに誘うなんてサイッテー。
リズの気晴らしというならともかく、ヘルボーイの気持ちを知ってるくせに
何してんだって感じ。それでもまだヘルボーイの事をよく知りたいからとか、
2人の間を取り持ちたいからというならまだしも、てめーが惚れてどうすんだ!
ドサクサに紛れて肩を抱こうとしたり、任務中に「僕の事好きか」と気持ちを
確かめようとしたり、ホント、やってる事はただのサイテー男じゃねぇか!
それにトップクラスの成績で卒業した割には戦いぶりもイマイチで、
オタオタしてるうちに仲間を眼の前で殺されたり、ヘルボーイが1人で
戦ってるのに加勢もせず、助けようとしたリズの事も引き止めたり…
んもー、なんかイライラするんだよな、コイツの行動はいちいち!
同僚の異形の人・エイブは謎が多い分、これまた非常に魅力的な半魚人。
リンカーンが暗殺された日にカプセルに保存されていたという謎の出生といい、
サイコメトリー能力やテレパスもあるようだし、レッドと仲がいいのもいいし。
二本の角が生えたヘルボーイは、実は魔界の扉を開く「鍵」を右手に持つ
破壊を呼ぶものだった。それにしても後ろ髪がチョンマゲになってる事に
気づいた時は、一時停止までしてマジマジと見てしまったじゃないか。
最終的には「鍵」となってしまう事を拒むきっかけをジョンが与えてくれたり、
パイロキネシスを持つリズも実はヘルボーイの事が好きだったという事がわかり
とりあえずハッピーエンド。「とりあえず」である理由は来年1月に続編公開が
決まっているから。博士が死んじゃって後、彼の立場は大丈夫なんだろうか。
ただのFBIの「悪魔退治の道具」扱いされてないといいけど…
△(2008/10/26 放映)
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アゲイン/明日への誓い | 11/5(水) |
ついに男たちの挽歌シリーズも最終章。
とはいえ時系列はDQシリーズのように「三作目が一番過去」である。
もちろんロト伝説のようにうまい事辻褄が合うことはなかったけれど、
ケンも着たマーク愛用のコートは、実は1974年のベトナムでキットに
もらったプレゼントだったとわかった事が収穫っちゃ収穫かな?
何しろこの作品、「なんでベトナム?」という事がまず一番の疑問であり、
次の疑問が「なんで時任三郎が(ホントは日本人らしいんだけど)カンボジア人?」
というもの。他にもキット役の故・梅艶芳は唇の山部分と鼻の線がなぜか
合ってなくて、当時流行の真っ赤なルージュだとそれが余計に目立つので
気になってしょうがなかったとか、まさに「三作目だよねぇ…」という感じ。
実は一番興味深かったのは、この映画が作成された頃のこと。
中国では天安門事件が終わってわずか数年、そういえばこの頃中国が
相変わらずこんな状態だと、間近に迫った「香港返還」は果たして
大丈夫なのかという不安が広がってたっけ。だから90年代中は、
富裕香港人はずいぶんオーストラリアに逃げたなんて話も聞く。
(実際には今でも香港はちゃんと香港してるわけだけどね)
世界では東西ドイツ統一やソ連崩壊が起き、冷戦構造は終わったものの、
中東の動きが活発になって翌年が明ければすぐに湾岸戦争勃発だったし。
世界の状況が不安定な中、ベトナムなんて全く「今どうなってるんだろう」と
日本からは知る由もなかったっけ。ベトナム戦争、ヒッピーやラブ&ピース、
ボートピープル、カンボジア侵攻、ベトちゃんドクちゃん…日本にいる我々が
知る事が出来る情報なんか一握りで、観光に行くのもなかなか難しかったはず。
舞台はそんな「未知なる国ベトナム」、ベトナム戦争末期、陥落直前の
サイゴンにマークが現れたのは、組織の仕事…ではなく、従兄と叔父を
救い出すため。スローモーションを多用した乱れ撃ちガンアクションは
健在だったけど、多分この頃には既に様々な手法のアクション映画が世に
出ていた頃だろうから、そろそろオールド・ファッションになってたかも。
物語は全体的にバランスが悪かった。
ホーが出てくるのが遅いので対決の動機が唐突だったし、ベトナムパートと
香港パートの繋ぎが荒すぎる。最後にベトナムに行くのも、女を追いかけて
行くだけというのがどうにも軽すぎるような…もうちょっと重厚なテーマが
欲しいところかな。まぁホント、「三作目だしね」だけだよ、感想は。
1作目2作目と大きく違うといえば、物語の軸に恋愛があることかな。
キットを巡るマークとマンの三角関係、マンが脱落したと思ったらホーの
復帰参戦でまたしてもかき回されていき、最後はキットの死でカタがつく。
それにしても叔父さんは空港であのまま心臓発作で死ぬかと思ったのに
無事に生き延び、ところが今度はなぜかいきなりホーが送ってきた花束で
爆死してしまうという「ええ〜?」という珍妙展開だった。なんでや?
「愛人(ラマン)」前の泥臭いレオン・カーフェイが見られるのはいいかも。
△(2008/10/2 放映)
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秘密の花園 | 11/4(火) |
「結婚しよう…ずっと一緒にいたい」
あまりにも可愛いプロポーズにこっちが照れるわ!
「英国児童文学」の映画化というだけで「地味」のイメージが
つきまとってしまうけど、非常に映像が美しく、各キャラや
心境の変化などがとても丁寧に描かれている良作だと思う。
使用人に囲まれ、着替えすら1人ではしなかった植民地生活を送っていたのに、
ある日突然大地震で両親を失ったメアリーは英国の叔父の元へやってくる。
その先に何があるのか見えないような寒々とした荒野の中の荘厳な屋敷。
暗く陰鬱な英国の冬、変化のない風景、やる事もない毎日、忙しい使用人…
放っておかれる事には慣れているメアリーは、優しいマーサに世話をされ、
そのマーサの弟ディコンと出会い、隠され、閉ざされた花園を見つけ出す。
それは、叔母がここで亡くなったために叔父が悲しみのあまり閉じた
花園なのだった。2人は自分たちの手でこの庭を蘇らせる事にする。
そして同じ頃、メアリーはもう1人の見捨てられた少年に出会う…
とにかく笑わないし泣きもしない気難し屋のメアリーと、虚弱で憂鬱な
癇癪持ちのコリンがイメージぴったり♪で可愛いったらありゃしない。
特にコリンは児童書の挿絵だと、綺麗な顔立ちをしてはいるんだけど
貴族のお坊ちゃんらしい?オカッパ頭だったりする事が多かったので
結構不満が多かったんだよね、私は。でもこの映画のコリンは短髪で、
しかも虚弱そうだけど、年齢相応の少年らしい風貌なので気に入った。
逆にディコンは随分控えめな描写だな〜という印象を受けた。
子供の頃に原作を読んだ時、一番印象深かったのがディコンだったから。
ディコンは優しいけれどワガママ王子とワガママ姫を甘やかしすぎず、
放り出しもせず、自然体で接しながらもいつの間にか2人の手を引いて
太陽の下に連れ出したナチュラル・ヒーラーというイメージだったけど、
まぁ、なんというか…このディコンはフツーの田舎の子って感じかな。
そもそもこの映画のメアリーは最初からガンガン自分で動いてるし、
花園の鍵も叔母の部屋で偶然見つけた設定にアレンジされてるので、
あんまりディコンの助けがいるようなタイプには見えなかったりして。
でもそんなアレンジの中でも、コリン・ディコン・メアリーの
ほのかな三角関係も描かれているのが何とも微笑ましい。
これはさすがに原作にはない要素(身分制度がカッチリしているため)だけど、
やっぱり今の世では「メアリーはホントはどっちが好きだったのか?」
とついつい物語には関係のない余計な事を考えてしまうからだ。
中でもコリンが父と母の写真を見て、メアリーとディコンに同じような
ポーズを取らせて写真を撮ろうとしたら、自分でそうしろと言ったくせに
見つめあう2人にヤキモチを焼いてやめさせるのがなんとも可愛いのだ。
実際にはディコンは全くこうした恋愛感情に関わっていないので、コリンと
メアリーはケンカしながら惹かれあっている可愛いカップルなんだけどね。
だってようやく歩けるようになったばかりのコリンが、一生懸命メアリーの
部屋にやってきて、写真を見ながら話し込み、結局そのまま一緒に寝ちゃった
シーンなんか、まどろむ2人が可愛くて可愛くてニヤニヤしっぱなしだったよ。
朝方、帰っていくコリンがバイバイと振り返るシーンなんか大人顔負けだぜ♥
マクゴナガル先生演じるロッテンマイヤーさん…ならぬメドロック夫人も
おっかなくてスパイスになっていたし、鬱々としていたクレイヴン伯爵が
最後に花園で子供らしく健康に走り回るコリンを見つけて驚くシーンは
カタルシスがあった。それに、全てを変化させる発端となったメアリーが
抱き合う父と子を見て、自分が孤独である事を思い出し、邪魔者だと感じて
走り出してしまうというのも、「泣けないメアリー」の成長の証としては
面白い表現だと思った。ちゃんと伯爵にも「ありがとう」と言わせたしね。
コリンはもっと癇癪もちで鼻持ちならないイメージだったり、ディコンは
せめてもう少しビジュアル的に美しくても…と欲張りたくもなるけれど、
とにかく映像が綺麗で子役が可愛いので、それだけでも見る価値があった。
コリンを初めて花園に案内した時の幻想的な見せ方もとても綺麗だったし、
あと動物がやたら一杯(ある意味不自然なほど)出てくるのも可愛かった。
ところで原作の記憶がかなりおぼろげな私は、「ラストでは大人になった
コリンとメアリーが出てくるんだよね」と勝手に思ってたんだけど、あれは
祝日になると時々NHKで流れる名作のTVドラマ版・オリジナルなんだそうで。
(秘密の花園は昔映画を見たと思ってたのはこのTVドラマ版だったようだ)
余談だが「秘密の花園」と聞くと「月明かり〜青い岬に〜♪」で始まる
聖子ちゃんソングも思い出してしまう。別に特に好きな歌でもないので、
こういうことに無駄なメモリを使わないでほしいよ自分…
△(2008/11/2 放映)
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赤ひげ | 11/2(日) |
「もう1度言う。おまえは後悔するぞ」
口ではそう言いながら、いかにも嬉しそうな赤ひげの背中が可愛いじゃないか。
「酔いどれ天使」「静かなる決闘」に続く「黒澤医療三部作」最後の作品で、
江戸時代、貧困と無知蒙昧が引き起こす病や怪我を、「赤ひげ」と呼ばれる
無骨で荒々しく、そのくせ人情味に溢れた医師が治療にあたるという物語。
小石川療養所を訪れる患者やその家族に秘められたエピソードが
いくつも積み重なっていくのだけれど、彼らの人生に関係しながら
世界を広げていく、若き医師・保本の成長物語にもなっている。
この保本演じる加山雄三が思った以上によくてびっくりした。
だって加山雄三なんて変な棒読みの歌を歌ってて、当時のアイドル俳優が
怖いもの知らずのスーパーヒーローを演じてるだけのバカ若大将シリーズで
芸能界お得意の「売れてる間だけ担がれる」御輿に乗っかってるノーテンキな
俳優だとばっかり思ってたからさ。「椿三十郎」でちょっと見直したものの、
あの時はなんたって仲代達矢がよかったので残念ながらかすんでしまったし、
若手でも「天国と地獄」での山崎努ほどのインパクトもなかったからなぁ…
あと、俳優として特筆すべきはやっぱり二木てるみ。
彼女の演技は私が知る少女女優の中ではピカイチかもしれない。
素晴らしく自然な演技で、子役にありがちなうそ臭い台詞回しが全くない。
それに誰も信じず、信じられず、傷ついて病んでしまった心を持つあの表情!
下からのパンライトの演出もあって、眼だけがギラギラ浮かび上がるあの顔は
ものすごく怖かった。この子はもう狂ってるんじゃないかと本当に思わせたよ。
そんな彼女が保本の献身的な看病を受け、何度振り払っても根気強く
薬を飲ませようとする赤ひげの行動に動かされ、さらには保本の心を
試そうとして茶碗を割る。そんな風にしか心を表せないおとよを見て、
怒るどころかかわいそうだなぁ…と泣いた保本を見たおとよは、
乞食をして銭を手に入れ、粗末な茶碗を買って返そうとする。
それを見てなお、もし自分が茶碗を割った事を怒っているように見えたなら、
それを気にさせてしまったのなら謝る、と逆に謝る保本に、ついに気持ちが
あふれ出し、泣きじゃくるおとよ。このシーンは2人ともとてもよかったよ。
そしてこの時代にも実に「愛情不足の子供」を観察していると感心したのが、
ようやく赤ひげや保本に心を開いたおとよが、まさえがくれた着物を破いたり、
誰が何を言っても反抗的な態度しか取らない「ギャング」に変わったこと。
虐待を受けていた子供が保護され、もう安心して生きていけるのだと悟ると、
今度は愛情を注いでくれる人の愛情を完全に独占しようとして乱暴を働いたり、
他人を傷つけたりするというひどい愛情の飢餓状態になると聞くそのままだ。
そんな、まかないのおかみさんたちの手を梃子摺らせるおとよをただ1人、
赤ひげだけはちゃんと見ていて、愛情の向ける先が広がってきたのかもと
分析し、そしてその通り、おとよは「子鼠」と呼ばれて忌み嫌われている
盗人を働く貧乏人の小僧に対して、優しい気持ちを向けている事がわかる。
物干し場での子役2人の長台詞の応酬は本当に見事。
用心のために布団に隠れて台詞が貼ってあるのかもしれないけど、
そんなの見てたら多分視線が泳いじゃうので実際は見てないと思う。
2人の会話と優しいおとよの気持ちにほだされたおかみさんが泣き出し、
その後子鼠のために残飯を用意しようとするおとよを支援しようと
おかわりした仲間に喰い過ぎだ!と怒るシーンは可笑しくてホロリ。
このおかみさんたちは後々にもおとよを取り返しにやって来た遊郭の主人に
大根で殴りかかったり、毒を煽った子鼠の魂を取り返そうと皆で井戸の底に
呼びかけたり、狂女の世話をしている優しいお杉さんをからかったりと
実にいい味を出してる。そういえば黒澤映画で女性が明るく元気なのって
珍しいのでは?(見ていない「どん底」や「白痴」はわからんのだが)
他にも保本が直面するエピソードがいくつか積み重なっていく。
幸せな生活を送る資格がないと、地震と共に行方をくらましてしまった
おなかの遺体と暮らしながら、長屋や養生所の人々のために弱った体で
仕事をしては稼ぎを全部皆に振る舞って、罪を償おうとしていた佐八。
何一つ語らず、哀しく苦しい人生を自分の胸にだけ閉じ込めて死んだ六助は、
女房に自分の弟子と逃げられていた。しかも女房は男を繋ぎとめるために、
娘をその男の妻にし、その後も関係を続けたまま娘を憎み続けていた。
数々の壮絶な人生を目の当たりにし、自身の今の身を呪い、立場を愚痴り、
不埒な婚約者を怨んでばかりいた保本も変わっていく。長崎留学を誇り、
上昇思考の塊でありながら、一方で美しい狂女に迫られればデレデレして
殺されかける始末。そんな保本を随分長いこと放っておいた赤ひげは、
実は全てを知っており、彼自身が立ち直る日を待っていたというシーンは、
もうもうどうにも、自分で掘った穴に身を投げたいほどの恥ずかしさだった。
自分がいかに小さな人間であったか。
いかに世間知らずで、「幸せ」の上にいかにどっかり胡坐をかいていたか。
婚約者を別の家に嫁がせてしまった事を申し訳ないと思う天野は、保本に
義理立てし、娘に帰ってくる事を許さないという。その妹は縁も所縁もない
保本の母の看病を買って出て、おとよのために、自分の着物を仕立て直して
くれるような心優しい女性だったりと、冒頭の狭い視野だけでは実は何一つ
見えていなかったのだと保本自身が気づいていく姿は本当に感動的だった。
何より赤ひげ初め彼を取り巻く周囲の人々の優しさや大きさが素晴らしい。
三船敏郎演じる赤ひげ先生も相変わらずチャーミングなキャラクターで、
遊郭でならず者を全部ぶっ飛ばしておきながら「これは酷い!やり過ぎだ」
と1つ1つ診察?していったり、メタボな殿様へのただの栄養指導に50両と
ふっかけたり、亭主を刺した六助の娘の罪をチャラにするために恐妻家の
奉行に隠している妾の存在をチラつかせてウヤムヤにさせたりと大活躍。
「治せる病気などない!」
そう言いながら、六助や佐八、おとよのように体以上にむしろ心を病み、
苦しんでいる人々に寄り添い、ちゃんと見守ってやるという本当の意味の
「優しさ」こそが、本当は患者や家族には一番求められるものだと思う。
「皆保険」という世界でも数少ない「奇跡の制度」を持ちながら、医療の崩壊が
叫ばれる今、医療は「手術」や「治療」も大切だけど、やっぱり根源にあるのは
「優しさ」であって欲しいと思ってしまう。傷ついたり痛かったり苦しい時は、
誰だって優しくされたい。いたわられたい。わずかでも安楽でいたいもんね。
幕府から「軽い治療はするな」「通院治療はだめ」と命じられるなど、
現代の縮図としか思えないような医療費の経費削減に憤る赤ひげ。
そんな赤ひげにずっと反発していた保本は、赤ひげの後継者として
養生所に残り、ここで医師として働き続ける事を選択する。
ここには見返りなどない。地位も名誉もない。命の危険すらある。
けれど、これから生涯赤ひげの背中を追いかけ続けるだろう保本は
きっと後悔などしない。初めは高慢で鼻持ちならなかった彼にとって、
お仕着せを着る事だけがこれからのたった一つの矜持になるのだろう。
黒澤映画最後のヒューマンドラマと言われる「赤ひげ」
確かに3時間もの時間を飽きさせることなく、のめりこませる傑作だった。
△(2008/11/1 放映)
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あるいは裏切りという名の犬 | 11/1(土) |
「クラン…」
ティティの最期の一言が、怒りと哀しみ、憎しみを怒涛のように押し流す…
この瞬間のカタルシス!
それを得るためだけに見たと言っても過言ではない。
冒頭の、全く関係ないと思われた伏線が最後に生きる脚本の秀逸さが光る。
物語は交錯し、それゆえに複雑化し、悪影響を及ぼしあい、
気づいた時にはどうしようもない袋小路へと進んでしまった。
味方のいない、逃げ場のなくなった敗者がまさかの生還を果たし、
勝利者であったはずの者が絶望のどん底へと叩き落されていく。
次期警視庁長官としてしのぎを削る、仲間からの信奉厚いレオと
力任せの強襲を得意とするクランがそれぞれ追っていたのは、
200万ユーロと9人の命が奪われた現金輸送車強奪襲撃事件だった。
彼らの正体がわからないまま手をこまねいていたレオの前に、
一時帰宅してきた縁ある情報屋・シリアンから連絡が入る。
(ところで釈放直前に一時帰宅なんて日本でもあるんだろうか)
少し前に連中の情報を握るといわれた1人をミスで自殺させてしまったレオは、
情報を得るためではなかったのにシリアンの申し出を受け、何も知らないまま
彼の復讐につき合わされる事になってしまう。もちろん怒りに燃えたレオは
シリアンを殴って責めたのだけれど、その見返りにある情報を受け取る。
レオの運命の歯車が狂いだしたのはここから。
けれど本当はもっと前から運命は動き出していた。
それは友人でもあるなじみの元娼婦、マヌーへの暴行事件。
彼女の仇討ちとしてロルフとブリュノというならず者の兄弟の
1人を痛めつけた事が、後半まさかの場面で生きてくる事になる。
きっと人の顔を覚える事が得意な人ならニヤリとするシーンだろう。
シリアンの情報どおり、強奪犯たちのアジトを突き止めたレオは
慎重に事を進め始める。それが面白くないのはもちろんクランだ。
自分が長年追っていたヤマを横取りされそうになればそりゃ誰でも
頭にくるだろうけど、だからってあんな命令違反はないだろう…
クランはレオの指揮下に入りながらも作戦を無視して独断専行し、
結果的に自分の部下のエヴを人質に取られた上に犯人には逃げられ、
かつレオの親友であるエディを撃ち殺されるという大失態を呼び込む。
エディの葬列でティティたちが取った態度は尤もだとは思うけど、日本人なら
たとえフィクションでもあんな事は絶対にやらないので、フランス人の反骨的な
気質には恐れ入るよ(そのくせ意外とケンカ(=戦争)に弱いんだよねぇフランス人って…)
エディを失って団結したレオたちは破竹の勢いで彼を撃った強奪犯を逮捕し、
一方命令無視の罪を問われたクランは組合からも背を向けられ、停職の判決が
出ることは確実に…ところがここでまた運命のルーレットは逆に廻りだす。
クランの情報屋が連れてきた女は、シリアンが殺した男の相手をしていた。
彼女が見たシリアンの共謀者…それは警視庁前で犯人を連行していたレオ…
レオを殺人共謀罪で告発したクランは一切の責任を問われることなく無罪放免。
一方で自分をハメはしたものの、実際には強奪犯の情報提供者であるシリアンを
売ることを拒否したレオは、警官嫌いの判事に当たった不運も手伝い、美しい妻
カミーユと娘のローラに会うことすら許されない。何という皮肉な逆転劇…
しかもちょうどポストが空いた長官席にはクランが就任するというオマケ付。
シリアンは責任を感じ、シリアンに会ってはいけないとレオから言われていた
カミーユを呼び出して金を渡す。けれど家の電話を盗聴していたクランたちに
追い詰められ、転倒した車の中でカミーユは死亡し、まだ息のあったシリアンは
クランに射殺される。しかもクランは銃を持つシリアンの手を持ってカミーユの
死体に発砲させ、あたかも「シリアンがカミーユを射殺した」演出を謀って。
そして7年の年月が流れる…
このままの展開なら、香港映画や日本映画、いやハリウッド映画であっても
絶望の底に沈んだレオが復讐の牙を研ぎ始め、その日を迎えるという結果に
なるとは誰もが思いたくもなる。ところがさすがは天邪鬼のおフランス映画、
そんな単純明快に事は運ばない。運命は思い通りいかないからこそ面白い。
出所したレオはマヌーの元へ。
7年間の間にマヌーの恋人クリストは死に、長官就任パーティーが開かれていた
会場でクランに小便を引っ掛けた(なんと過激な!)ティティは警官を辞職し、
ローラは祖父母の元で大学生になっていた。田舎の派出所に飛ばされたエヴは
レオに真実を語り、レオは誰が愛するカミーユを撃ったのかを突き止める。
自分を見張っていた警官の身分証で長官主催のパーティーに忍び込んだレオは、
クランに銃を突きつけて真実を問う。あの時、カミーユは既に死んでいた…
危険とわかっていながらの強襲作戦だったゆえに、その死に責任はあるにせよ、
生きていたカミーユを殺したわけではない…怒りは収まらずとも、レオは引き、
クランに銃を遺す。自らを護るか、人を傷つけるか、自分に引導を渡すか…
結果的にクランは去っていくレオに悪態をつきながらその銃を振り回すだけで
使う事はなかった。何もする間もなく、ラルフとブリュノが彼を撃ったからだ。
翌日、長官が射殺された事を新聞で知るレオ。
ロルフたちから致命的な暴行を受けて脳死に至ったティティが、
「あの場にいた者」として糾弾したのは、「その場にはいなかった」
クランの名。砂の王としては思ってもみない方向からの流れ弾だった…
一体どう結末がつくのかと思わせる二転三転していく物語もさることながら、
伏線の使い方のうまさには恐れ入った。「思いがけない意外な展開」というのは
物語の途中でも作者がインスピレーションを受けることで起きると思うけれど、
伏線だけは物語がちゃんとできていなければ「張れるわけがない」ものなので
その物語は「最初から最後まで一貫していてぶれがない」といえると思う。
天才肌の「ええっ!?まさかそんな」展開の物語も確かに面白いけれど、
「うわ、そう来たか!やられた!!」感が強いのは伏線が張り巡らされた
物語の方じゃないかと思うので、制作側に転がされるのが好きな私としては
ちょっと判官贔屓気味に後者に軍配を上げてしまうかなぁ…ちょっとだけだけどね
ところでレオを演じたダニエル・オートゥユが、同じラテン系のせいか
「デ・ニーロに似てるなぁ」と思ってたら、なんとデ・ニーロ自身が
この映画のハリウッド・リメイクを予定しているとか。ビックリだ。
警官の中とか大学やパーティー会場などモブの中に美形が多いので
目の保養にもなる。最後のレオが飴を買う店の店員も美形だったよ。
△(2008/10/18 放映)
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ナイトメア・ビフォア・クリスマス | 11/1(土) |
今も根強くディズニーキャラクターとして残る「ナイトメア」ではあるけど、
昔からクレイアニメやヌイグルミアニメが好きではないのでこれまでは
ずっとスルー。でもテレビでやるならまぁ見て(やって)もいいかな…
という気持ちで見てみたんだけど、これまた意外にも面白かった。
ケーブルを入れて一番よかったことは、「映画館ではまず見ない、
ましてやDVDを借りてまでは見ない。テレビでやれば見るんだけど、
地上波でやってくれる作品(=採算が合う)なら、既に見ている
場合が多いし、吹き替えはなるべく避けたい」から、結局延々と
見る機会を逃し続けてしまった良作品を気軽に見られること。
「映画は好き、でも金を払うのは嫌い」という、制作側にとっては
すべてをメタメタにこき下ろして辛口の批判をする評論家以上に
「最低最悪の視聴者」である自分にとっては最も相性のあう方法だ。
(実際ケーブルはタダじゃないし!元を取らなきゃやってられん!)
ハロウィーン・タウンの支配者であるジャック・スケリントンは、
大成功を収めたハロウィーンが終わっても気持ちが晴れなかった…
毎年毎年同じことの繰り返し…誰かを怖がらせたり震え上がらせたり、
それを見て笑い転げる事が楽しみであるはずなのに何か物足りない…
そんなジャックが辿り着いたのはハロウィーンの先にある華やかな祝日。
小さな木に光る紐をぶら下げ、空からは白い欠片が降りしきる。
街中は甘いお菓子のにおいで一杯で、おもちゃを作る小人たちは大忙し。
怖がったり怯えるのではなく、わくわくした顔で暖かな暖炉の前になぜか
ソックスを飾っている…一体この街はなんなのか?雪だるまにぶつかった
ジャックが見つけた看板には「クリスマス・タウン」と書いてあった…
世界にはそんなハッピーな行事がある事を知ってしまったジャックが、
「クリスマスをやりたい!真っ赤な衣装を着て、大きな爪を持つロブスターの
オバケ「サンディ・クローズ」になって、子供に贈り物を配って廻りたい!」
と言い出したから、ハロウィーン・タウンもさぁ大変。大体ジャック自身が
クリスマスの趣旨をちょっと間違えてるのに、クリスマスなんか全く知らない
ハロウィーン・タウンの住人たちに、正しいクリスマスができるはずがない。
贈り物といえば子供をビックリさせたり怖がらせたり襲い掛かるものとしか
思ってない連中が作るものといえば、墓場に転がっていた生首だったり
うじゃうじゃと這い出る虫だったり、噛み付いてくるピエロだったり…
しかもジャックが成り代わるためにさらわせて来たサンディ・クローズを、
あろう事か乱暴者のブギーの元で「おもてなし」させるなんて狂気の沙汰。
そりゃゾンビのサリーじゃなくても「悲劇の予感」はプンプンだ。
サンタと間違えられてさらわれてきた卵を持ったウサギはイースターだけど、
木に描かれた祝日の扉は他にもあって、ハートのマークはヴァレンタインで
七面鳥は感謝祭かな。他にもあったようだけど、さすがにわからなかった。
それにしても実際にサンタ・ジャックが「恐怖の」プレゼントを配って歩くと
街中から苦情の電話が殺到、しまいにはハレンチ極まりないテロリスト扱いに
なっちゃうのは面白かった。そりゃもう嫌がらせにしか見えないもんねぇ、
不気味に動く呪い人形とか動き回る動物の死体なんかが届けられたら…
「なんて事をしてしまったんだ!」と絶望に沈むジャックだけど、
それでも楽しかった、精一杯やったといきなり立ち直って吹いた。
立ち直り、早っ!アッサリサッパリしてるのはやっぱホネだから!?
ブギーの体が蟲の塊というのも面白かったなぁ。
表面の皮(袋)を取っちゃうと蟲がバラバラと落っこちていき、
ついには体がなくなってしまう。逃げようとする蟲をぶちっと
踏みつけるサンタも何気にきっついじーちゃんだと思ったけど、
ジャックが図らずも撒き散らしてしまったダーク・クリスマスを
見事に取り返し、幸せと喜びが溢れるクリスマスに変えていく。
実際さらわれた挙句殺されそうになって酷い目にはあったものの、
最後はハロウィーン・タウンに初めての雪を降らせてくれたりと、
懐の深いところも見せてくれたしね。
この街で唯一まともだったのはゾンビのサリーだけ。
ジャックの孤独な心をわかってくれるのもサリーだけ。
その気持ちに気づいたジャックは、博士に見捨てられて
独りぼっちになったサリーを迎えに行き、ハッピー♥エンド。
奇しくもハロウィーン・タウンの「赤鼻のトナカイ」となった、
空中をふわふわただよう犬の幽霊「ゼロ」が可愛かったよ。
△(2008/10/31 放映)
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