Majestic 12

MJ-12(マジェスティック・トゥエルヴ)文書とは、ロズウェル事件の最高レベルの証拠として扱われた文書である。1952年11月18日付の文書であり、ロスコー・ヒレンケッター(CIA初代長官)から次期大統領であるアイゼンハワー大統領に宛てられたMJ-12の概要説明文書である。通常、添付書類Aとして、トルーマン大統領のサインが書かれた1947年9月24日付の特別機密行政命令No.092447も含む。

Majestic 12とは、この文書で触れられた、12人から成る委員会の名称である。

MJ-12文書自体は1984年12月11日、TVプロデューサーのジェイム・シャンドラへ未現像の35ミリフィルムが送られてきたのが、その登場だったと言われている。シャンドラはムーアに相談、スタントン・フリードマンもが加わり、1987年6月11日に世に出た。

MJ-12文書の話については、『分析ページのMJ-12文書の項目』も参照のこと。

 

Majestic 12 文書 全文

以下の訳文は『MJ-12の謎と第18格納庫の秘密』二見書房 ティモシー・グリーン著における南山宏氏の訳を引用させて頂いた。

MJ-12文書 Page 1

MJ12文書 Page1

概況説明書:マジェスティック12作戦

ドワイト・D・アイゼンハワー次期大統領宛(マル秘)

1952年11月18日付

警告:これは合衆国の安全保障に必要不可欠な区分済み情報をおさめた最高機密=マル秘である。本文書内容の閲読は、マジェスティック-12秘密情報使用許可を有する者にのみ限定される。いかなる形の複写行為も、手書き、機械を問わずメモすることを厳禁する。

 

MJ-12文書 Page 2

MJ12文書 Page2

件名: アイゼンハワー次期大統領のためのマジェスティック-12作戦に関する予備備的概況説明

書類作成 1952年11月18日

説明担当官:ロスコー・H・ヒレンケッター将軍(MJ-1)

注意:この文書は、あくまでも予備的な概況説明のために作成された。今後予定される全作戦概況説明の予備文書とお考えいただきたい。

* * *

マジェスティック-12作戦は、アメリカ合衆国大統領にのみ直接責任を負う極秘研究開発/情報作戦である。本プロジェクトの作戦行動は、マジェスティック- 12(マジック-12)委員会の統制下で遂行されるものとする。当委員会はヴァネバー・ブッシュ博士とジェイムズ・フォレスタル国防長官の勧告に基づき、 1947年9月24日付のトルーマン大統領の特別機密行政命令によって設置された。(添付書類“A”を参照)マジェスティック-12委員会の指名メンバーは次のとおり :

  • ロスコー・H・ヒレンケッター提督
  • ヴァネバー・ブッシュ博士
  • ジェイムズ・V・フォレスタル国防長官 *
  • ネイサン・F・トワイニング将軍
  • ホイト・S・ヴァンデンバーグ将軍
  • デトレフ・ブロンク博士
  • ジェローム・ハンセイカー博士
  • シドニー・W・サワーズ氏
  • ゴードン・グレイ氏
  • ドナルド・メンゼル博士
  • ロバート・M・モンタギュー将軍
  • ロイド・V・バークナー博士

1949年5月22日のフォレスタル国防長官の死去にともない、1950年8月1日まで欠員が生じたが、同日付でウォルター・B・スミス将軍が後任として常任委員に任命された。

 

MJ-12文書 Page 3

MJ12文書 Page3

1947年6月24日、民間人パイロットがワシントン州カスケード山脈上空を飛行中、高速度で編隊飛行する9機の円盤型物体を目撃した。こうした物体の目撃事件はこれが最初ではないが、マスコミが大々的に取り上げたのは、この事件が初めてである。以後続々と、おびただしい数にのぼる同様物体の目撃事件が報告された。報告を寄せた者の多くは、きわめて信頼のおける軍人、民間人だった。こうした報告の結果、国防上の観点から、軍のさまざまな機関がそれぞれ独自に、この物体の性質と目的を確かめるべく努力した。多数の目撃者を事情聴取しただけではなく、失敗には終わったものの、円盤出現の報を受けるたびに、飛行中の円盤を航空機で追跡する試みも何度か行われた。ときには、一般大衆がパニックに近い反応を示すまでになった。

こうした努力にもかかわらず、これらの物体の実体は杳(よう)として不明であったが、やがて、ある牧場主から通報があり、ロズウェル陸軍航空基地(現ウォーカー・フィールド基地)の北西約75マイルの地点にあたるニューメキシコ州内の僻地に、1機の円盤が墜落したことが判明した。

1947年7月7日、科学的研究のため、この物体の残骸を確実に回収すべく、秘密作戦が開始された。この作戦の過程で円盤が爆発する以前に、機内から4体の人間に似た生物が脱出したらしいことが、空中偵察により判明した。この生物たちは、残骸墜落地点の2マイル東方に落下していた。4人とも死亡しており、死体が発見されるまでに一週間ほどかかったため、肉食獣に食われ、風雨にさらされた結果、損傷がはなはだしかった。特別科学チームが研究のため死体移送の任にあたった。(添付書類“C”を参照)また機体の残骸も分散して各地へ移送された。(添付書類“B”を参照)同地域の民間人・軍人の目撃者には厳重な緘口令がしかれ、新聞記者に対しては、物体は誤誘導された気象観測気球だったという、もっともらしい虚偽の発表が行われた。

 

MJ-12文書 Page 4

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大統領の直接命令に従って、トワイニング将軍とブッシュ博士によって秘かに分析の努力が続けられた結果、問題の円盤は短距離用偵察機である可能性が最も高いという暫定的合意が出された(1947年9月19日)。この結論はもっぱら、機体の小ささと糧食らしきものが積み込まれていなかったという事実に基づいている。(添付書類“D”を参照)搭乗員の4死体に関しても、ブロンク博士の手で、これと同様の分析がとり行われた。同グループが提出した暫定的結論(1947年11月30日)では、この生物たちは外見上は人間に似ているが、彼らの進化を司る生物学的進化過程は、ホモ・サピエンスにおいて観察・仮定されるそれと、まったく異なるらしいとのことである。ブロンク博士の研究チームは、協議の結果もっと明確な名称ができるまで、この生物の通称として、“地球外生物学的存在”すなわち“EBEs”という名称を採用することを提案した。

こうした航空機が、地球上のいかなる国にも起源を有するものでないことは事実上確実なので、もっぱら考察の対象となったのは、航空機がどこから、どうやって地球に飛来したかという問題である。火星は過去も現在も有力な候補地とされているが、科学者のなかには、メンゼル博士をはじめとして、この研究対象となっている生物は別の太陽系からきたと考える者もいる。

残骸のなかから、一種の文字とおぼしきものが大量に発見された。これを解読すべく、さまざまな試みがなされたが、おおむね失敗に帰している。(添付書類“E”を参照)同様に、推進方式および、内部動力源のエネルギー伝達方式の原理や仕組みを解明する努力も不成功に終わった。こうした方面の研究が大いに難航しているのは、翼、プロペラ、ジェット機関その他、通常の推進・誘導方式に使われる装置らしきものが全く存在しないうえ、金属製電線や真空管、またはこれに相当するエレクトロニクス部品と思われるものが一切見つからないためである。(添付書類“F”を参照)おそらく推進装置は、墜落の原因となった爆発により完全に破壊されたものと思われる。

 

MJ-12文書 Page 5

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1947年12月、こうした航空機と飛行特性、目的に関する追加情報を可能なかぎり多く集める必要から、合衆国空軍プロジェクト・サインなる計画が開始された。機密保持のため、サインとマジェスティック-12の連絡担当者は、空軍資材司令部情報課の2名に限定された。両名の任務は、正式のルートを通じてある種の情報を交換することである。1948年12月、サインはプロジェクト・グラッジへと発展した。同作戦は、目下ブルーブックというコードネームで遂行され、連絡担当には、同計画の指揮をとる空軍士官があたっている。

1950 年12月6日、テキサス・メキシコ国境間にあるエルインディオ=ゲレロ地域で、おそらく同種の起源を有すると思われる第二の物体が、大気圏内に長い軌跡を残して、高速度で地面に激突した。捜索隊が到着するころには、すでに物体の残骸は燃え尽きて、ほとんど完全に灰になっていた。回収できた資材は、研究のため、ニューメキシコ州サンディアにある原子力委員会の施設まで移送された。

これらの訪問者の動機と最終的意図がまったく不明であることは、国家安全保障上の観点から依然として重大問題である。しかも、こうした航空機に対する監視活動が、本年5月から秋にかけて激増した事実は、何らかの新展開がさし迫っているのではないか、との懸念をいちじるしく高めている。以上の理由に加え、国際関係と科学技術上の明らかな諸問題、ならびにいかなる犠牲を払っても大衆のパニックを回避するという究極的課題にかんがみ、マジェスティック-12委員会は、新政権下においても厳格な機密保持上の予防措置を中断することなく継続するべきだとの見解を、全員一致で支持する。同時に、事態の公表を迫られた場合に備え、非常事態プランMJ-1949-04P/78(最高機密=マル秘)を、従来どおり維持すべきと考える。(添付書類“G”を参照)

 

MJ-12文書 Page 6

MJ12文書 Page6

添付書類一覧

添付書類“A”・・・・・・特別機密行政命令 No.092447(TS/EO)

添付書類“B”・・・・・・マジェスティック-12作戦現状報告書
No.1・パートA 1947年11月30日付
(TS-MAJIC/EO)

添付書類“C”・・・・・・マジェスティック-12作戦現状報告書
No.1・パートB 1947年11月30付
(TS-MAJIC/EO)

添付書類“D”・・・・・・マジェスティック-12作戦予備分析報告書
1947年9月19日付
(TS-MAJIC/EO)

添付書類“E”・・・・・・マジェスティック-12作戦ブルーチーム報告書
No.5 1952年6月30日付
(TS-MAJIC/EO)

添付書類“F”・・・・・・マジェスティック-12作戦現状報告書
No.2 1948年1月31日付
(TS-MAJIC/EO)

添付書類“G”・・・・・・マジェスティック-12作戦非常事態プラン
MJ-1949-04P/78 1949年1月31日付
(TS-MAJIC/EO)

添付書類“H”・・・・・・マジェスティック-12作戦 地図、写真(抜粋)
(TS-MAJIC/EO)

 

添付"A":大統領命令

トルーマン大統領命令

1947年9月24日付

国防長官宛の覚え書き

フォレスタル国防長官殿

過日貴殿と行った本件に関する協議に基づき、貴殿の任務をあたうかぎり迅速かつ慎重に遂行する権限を、貴殿に授与する。今後本件は“マジェスティック-12作戦”とのみ呼称することとする。

将来、本件の最終的処理に関する問題が生じる場合、貴殿とブッシュ博士、中央情報局長官の適切な協議に従って、もっぱら大統領府が単独で決定を下すべきというのが、当方の変わらぬ見解である。

ハリー・トルーマン(署名)

 

MJ-12信憑性の問題と疑問点

MJ-12文書には様々な問題が指摘されている。

ヒレンケッターの階級

文書ではヒレンケッターの階級が「ADM.」と書いてあることが分かる。しかし、これは「海軍大将」を意味する略語であって、本当の階級であった「RADM.」つまり「海軍少将」ではない。単純な1文字の違いでしかないが、さすがに少将が大将を名乗るのは酷い間違いだろう。

ヒレンケッターの名前の記述

MJ-12文書では「Roscoe H. Hillenkoetter」と書いてある。これは名前の書き方としては普通であるものの、ヒレンケッターは他の文書では必ず「R.H.Hillenkoetter」と書いてあるのである。この文書だけ違うのは納得いかない。

基地名

MJ-12文書には「Roswell Army Air Base」や「Walker Field」といった記載が見られる(Page 3など)。しかし、本来は「Roswell Army Air Field(RAAF)」と「Walker Air Force Base(Walker AFB)」と書かれるべきであった。ロズウェル・デイリー・レコード紙でも、「Roswell Army Air Field(RAAF)」と記載されている。

日付の書式

「01 August」や「07 July」など、日付の一桁目に0をつけるのは通常の書き方ではない。「06 December, 1950」のように不要なカンマもあり、本当なら「6 December 1950」と書かれるべきである。このような日付の書き方は、政府文書ではまず存在しないものである。そして、ヒレンケッターの他の文書でもこのような書き方は見つからない。逆に、ウィリアム・ムーアが親書で用いている形式と同じである。

ページのナンバリング

機密文書では、「Page 1 of 6 pages」何ページあるうちの何ページ目かという表示がされている。これは、ページ抜けの確認のために必要だからである。しかし、MJ-12にはそのような表示はない。

用語

「press」を「media」、「alien」を「extra-terrestrial」と書く、「impacted」を動詞として用いるなど、1960年代以降に一般的に使われるようになった単語を用いている。コピーを禁じる文言は「COPY ONE OF ONE」と書かれているが、これは当時使われていない書き方だった。

押されているゴム印

「TOP SECRET / MAJIC」というゴム印のスタンプが押してあるが、このスタンプは文字をひとつひとつ組み合わせてひとつの文にするタイプのゴム印であると考えられた。通常、政府文書では組み合わせて使うゴム印は使わない。そして、このゴム印のフォントはムーアの使っているゴム印と同じものであった。また、個体差と思われるアルファベット「I」の位置ズレまでもが、ムーアのものと同一だった。

タイプライターの状態

大統領命令のタイプライターのリボンは使用感のあるもので、キーも汚い状態だったと考えられる。この時期のトルーマンの文書は新しいリボンと、綺麗なキーで印字されている。

タイプライターのフォント

大統領命令のフォントはスミス・コロナ・モデルと考えられたが、このモデルは1962年以降でないと製造されていない。文書が書かれたとされる1947年には存在しなかった。

大統領命令の書き出し

大統領命令は「Dear Secritary Forrestal(拝啓 フォレスタル国防長官殿)」で始まるが、この時代のメモには、このような書き出しで始まるものはない。絶対に存在しないというまでではないかもしれないが、これは手紙ではないのだから、このような書き出しは不自然である。

大統領命令の番号

大統領命令の番号はNo.92447であった。大統領命令は初代から続き番号になっていて、どの時代にどの範囲の番号が使われていたのかはわかる。例えば、モーガル気球に関する文書が機密解除されることとなった1972年3月6日のニクソン大統領の行政命令の番号は11652であった。このことから、大統領命令の番号がありえない数字であることがわかる。実はこの番号は、09/24/47(1947年9月24日)と分割してみれば分かるように、日付なのである。このような番号のつけ方はありえない。

また、この日には実際のところ行政命令は出されていない。前後近辺の日付では、9/15, 9/20(2通), 9/23, 9/30, 10/2に出されている。この期間において記録にある行政命令は#9891~#9896であり、欠番はない。

大統領命令のサイン

トルーマンサイン

大統領命令に書かれたトルーマン大統領のサインは、1947年10月1日にヴァネバー・ブッシュ(Vannevar Bush)に送った文書のものと同じであった。ちょっとした違いはその大きさだけである。大きさの違いは3.2%程度だということだ。大きさだけが違い、全く同じ形のサインということは、コピーにしかありえない特徴である。

また、他の文書ではトルーマン大統領のサインはタイプ文字に重なるように書かれているのが普通だが、この文書では重なっていない。ヴァネバー・ブッシュに送った手紙の方でタイプ文字と重なっている"T"の横棒の一部は、大統領命令では修正液で修正したかのように少し細くなっている。

 

FBI調査

FBIは空軍に対し、MJ-12がこれまでに存在したことがあるかと問い合わせた。空軍の答えは、そのような権限を与えられたものは、一度も存在したことがないと答えた。

MJ-12のアイデア

ロバート・プラット(Robert Pratt)はムーアと協力してMJ-12に関する小説『Majik』を執筆していた。これは1982年か1983年の頃ということだ。UFOにまつわる小説で、MJ-12に言及していた。プラットは、MJ-12のようなものについて、ムーアと何年も話をしていたため、MJ-12文書を知ったとき、すぐに眉唾ものだと思ったそうである。

この情報に関する詳細は、2007年にコロラド州デンバーで行われたMUFON大会において、ブラッド・スパークス(Brad Sparks)によって発表された。ロバート・プラットは2005年に彼が亡くなる前の時点で、MUFONに対しファイルを渡していた。これは1981年までさかのぼることのできる、MJ-12のアイデアの起源に関するファイルである。

 

カトラー=トワイニングメモ

1985年7月、ムーアによって国立公文書館より情報公開法で開示された文書の中から、MJ-12に言及するロバート・カトラー(Robert Cutler アイゼンハワーの特別補佐官)の文書、カトラー=トワイニング・メモ(1954年7月14日)が見つかる。これは、FOIAで得られた文書であったため、MJ-12実在の決定的証拠とみなされた。

ムーアが国立公文書館へ行ったのは、ニュージーランドから届いた差出人不明の手紙にワシントンDCの国立公文書館へ行くよう書いてあったためだったという。

シャンドラとムーア、フリードマンは、公表前に文書の信憑性を確認するため「政府の高い地位に居る匿名の将校」にコンタクトをとったと主張している。後に、この匿名の将校はリチャード・ドーティだったと判明する。

以下、全文の引用も『MJ-12の謎と第18格納庫の秘密』の南山宏氏の訳文を引用させて頂いた。

全文

カトラー=トワイニングメモ

1954年7月14日付

トワイニング将軍宛の覚え書き
件名:国家安全保障会議/MJ-12特別研究計画

MJ -12SSP(特別研究計画)概況説明を、先に定めた日程を変えて、すでに7月16日に予定されるホワイトハウスでの会合時に行うよう、大統領閣下が決定された。さらに細部の取り決めについては、貴殿が来訪された折りに説明させていただきたく。これに合わせて、貴殿のスケジュールを変更されたい。

上記の取り決め変更に関して、貴殿が快く承知くださるものと了解する。

ロバート・カトラー
大統領特別補佐官

 

カトラー=トワイニングメモの問題と疑問点

カトラーの予定

カトラーは文書が書かれたはずの1954年7月14日には、ヨーロッパと北アフリカの軍事施設を訪問中で、アメリカにすらいなかった。

文書の形式など

公式の政府レターヘッドが使用されていない。カトラーは鷹の透かし模様が入った用紙を使用していた。しかし、この文書にはその透かし模様が入っていない。

登録番号

最高機密に分類される文書には、登録番号が存在するはずだが、この文書には登録番号が存在しない。

機密区分

メモの機密区分は「Top Secret Restricted」だったが、国家安全保障会議(NSC)でこの機密区分が使用されはじめるのは、ニクソン政権時代以降(1969年~)である。それ以前には使われていない。そもそも、「Top Secret」と「Restricted」という2つのレベルの機密区分が組み合わされた表記は奇妙なものであるため、間違いとは考えにくい。

会議の予定

文書のいう1954年7月16日に国家安全保障会議は開催されていない。私事まで書いてある予定表にも会議の記載はなく、この文書以外に会議自体の存在を示すものがない。7月の全ての会議記録を調べてもMJ-12に言及するものはない。

米空軍、統合参謀本部、および国家安全保障会議への問い合せでは、何も得られなかった。国防長官、統合参謀本部、本部米空軍の記録を調査しても、関連する詳細情報は得られなかった。文書がひとつしか存在しないのは不自然である。

NSC情報の検索

そもそも、"MJ-12", "Majestic", "unidentified flying objects", "UFO", "flying saucers", "flying discs"といった検索でも何も見つからない。

国立公文書館のコメント

国立公文書館の証印を押して、ある文書を証明する場合、当館としては、複写された文書が当館に所蔵されている文書のコピーであることを証明するだけである。文書ないし、文書の内容が本物だということを証明するわけではない。

発見された場所

このメモが発見されたのは、公文書館のファイルの中ではなく、ファイルとファイルの間だった。

 

アクエリアス文書(Aquarius)

プロジェクト・アクエリアス テレタイプ

MJ-12が初めてUFOの歴史に登場したのは、リチャード・ドーティがMJ-12に言及するアクエリアス文書(テレタイプ)をUFO研究家のウィリアム・ムーアに渡したとき(1981年2月)ということになっている。アクエリアス・テレタイプは1980年11月17日付けの文書。

この文書は1982年8月6日にKPIX_TVで取り上げられた。番組では、空軍の調査によって矛盾点が示され、偽造された文書だと判明する。

ドーティとムーアは、この後プロジェクト・アクエリアスの大統領概要説明書も持ち出している。

後に、ムーアはこの文書を自分がタイプして、政府文書に見えるようにスタンプを押したということを認めた。

 
 

MJ-12年次報告(Annual Report)

1990年代前半、ティモシー・グッドが、ミルトン・ウィリアム・クーパーから受け取る。1948年付と思われる1st Annual Reportと1952年夏版がある。タイプライターのフォントやタイプライターを打つときの癖(シフトキーの押し込み量)のためにずれた「G」と「N」の文字が、ミルトン・ウィリアム・クーパーの手紙と同一であることから、クーパーが偽造した文書だと考えられている。

 

ヒレンケッターメモ(Hillenkoetter's memo)

スタントン・フリードマンが受け取る。この文書が書かれたはずの1948年2月には存在しなかった、USAFOSIの文字があった。この矛盾から偽造文書だと考えられている。

 

Special Operations Manual(SOM1-01)

SOM1-01

1994年、ドン・バーリナーが未現像のフィルムを受け取るというジェイム・シャンドラと同じ経緯で、MJ-12関連と言われるSpecial Operations Manual(SOM1-01)という文書を手に入れた。

文書に用いられているタイプフェースは30年後の、レーザープリンタかインクジェットプリンタが登場するまでは存在しないものだった。

異星人の遺体や円盤の残骸はArea51のS-4に送られるべきだとされているが、ネリス空軍基地がArea51の名前を与えられたのは、SOM1-01が書かれたはずの1954年4月よりも後だった。

 

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