宇宙人解剖フィルム(Alien Autopsy)

ロズウェルに墜落した円盤に乗っていた宇宙人を検死解剖した際の記録ビデオという体裁をとっている。イギリスの音楽プロデューサーであるレイ・サンティリ(Ray Santilli)が、1994年11月にアメリカの従軍カメラマンから、10万ドルで買い取ったという話である。サンティリは、エルビス・プレスリーの無名時代のビデオを手に入れる際に、宇宙人解剖フィルムの話を聞き、買い付けたとのことだ。

最も有名な解剖シーンフィルム、解剖シーンの画面奥にトルーマン大統領が映っているというフィルム、テントでのシーンを撮影したもの、残骸を移したフィルム、というように4種類のフィルムがあるといわれていた。解剖シーン(下のビデオ参照)とテントのシーン(テント・フッテイジ)は公開されたが、トルーマンの映っているというフィルムは公開されなかった。サンティリとコリン・アンドリュースはトルーマンフィルムについて、鮮明なものを見たといっているが、トルーマンは7月~10月にかけて一度もダラスに行っていないため、解剖に立ち会えるはずもなかった。

1947年7月にアメリカのテキサス州ダラスのフォートワース基地内で撮影されたとのこと。撮影の経緯については、自称従軍カメラマンといわれる人物の「カメラマンズ・ストーリー」という覚え書きを参考のこと。

ロズウェル事件に詳しくない人が設定を考えたらしく、一般に伝わっているロズウェル事件とのストーリーとは整合性が悪い。

カメラマンズ・ストーリー(Cameraman's Story)

カメラマン
ジャック・バーネット

私は、1943年3月から1952年まで軍隊に居ました。この10年間は、私の人生の中で最も国に尽くした10年間でした。

私の父は映像ビジネスを行っていました。これは私がカメラと写真に関する詳しい知識を持っていることを意味します。私は子供の頃ポリオを患っていたので、普通だったら徴兵検査をパスできなかったのですが、この知識のおかげで入れたものと信じています。

軍隊の登録とトレーニングの後、私は自分のカメラの技能を買われて、数少ない献身的なカメラマンの一人になることができました。私は戦時中多くの場所に送られ、難しい状況のもとで撮影ができる能力をすばやく身に着けました。

私のバックグラウンドに関するその他の詳細を話すつもりはありませんが、1944年秋に空軍の情報報道官の主任補佐に任命されて働きました。私はホワイト・サンズでのテスト(マンハッタンプロジェクト/トリニティ)もたくさん撮影しました。

私はホワイトサンズへ行くために呼び出しを受けたことを非常に明瞭に覚えています。私は、新しいラムジェット(リトルヘンリー)の撮影のため、ミズーリ州のセントルイスに行っていましたが、戻ってから間もない頃でした。

マクミュラン将軍
マクミュラン将軍

マクドナルドが特別な任務のため、マクミュラン将軍へ連絡するように言ってきたのは6月1日でした。私はマクミュランと働いた経験はありませんでしたが、彼と数分はなした後は、決して彼の敵になるべきではないことを把握しました。

マクミュランは要点を的確にのべ、私はソコロのすぐ南西の事故現場へ行くよう命令されました。それは緊急でした。私の仕事は緊急に全ての光景を撮影することで、破片は残らず回収するとの事でした。事故現場の全ての場所に近づく権利を持っていました。もし問題があるようだったら、担当指揮官からマクミュランに電話させるよう言われました。

マクミュランからの命令の数分後に、事故がロシアの偵察機の墜落であるというトゥーイー(訳注:カール・スパーツ, Carl "Tooey" Spaatz)から同じ指示を受けました。同じ日にふたりの将軍から指示を受けるほど、この仕事は重要でした。

スパーツ将軍
スパーツ将軍

私は、殆どが医学関係の16人の役員・人員と共にアンドリュースから飛び立ちました。私たちがライト・パターソンに到着すると、さらに多くの人員と機材が集められ、C54でロズウェルへ飛びました。

ロズウェルにつくと、私たちは陸路で現場まで行きました。はじめからそれがロシアの偵察機でないことは明白でした。周りで熱が立ち昇っている巨大な「空飛ぶ円盤」でした。

指揮官はSAC医療班に現場を引き渡しました。彼らはなにをしたら良いのか分からず、ただ、ケニーが来て命令を出してくれるのを待っていました。

火災が危険だったので、熱が収まるまで中に入るのを待つことになりました。乗り物のそばの異常な生物の悲鳴によって、状況は最悪でした。一体、彼らが何者なのか、誰もわかりませんでした。しかし、ひとつ言えるのは金を取らないサーカスフリークのようだったということです。彼らはそれぞれ、胸のところに箱を離さず抱えていました。彼らは箱を抱えてただ泣いていました。

テントが設置されると、私はすぐに撮影を開始しました。はじめに乗り物、そして墜落現場と残骸を撮影しました。6:00には安全に中に入れる状態だと思われました。一方、そのとき異常な生物はまだ泣いていました。そして、近づくとより大きな金切り声を上げました。そいつらは、箱を離しませんでしたが、ライフルのバット(床尾)で頭を殴り、なんとかひとつを取り上げました。

3体の生物は引きずられて行き、ロープとテープで拘束されました。他の1匹は死んでいました。医療班は生物に近づくのを嫌がりましたが、何匹かが負傷していたので、彼らに選択の余地はありませんでした。一旦生物が集められたときも、まだ火災の危険があったので、簡単に集められる残骸を集めることになりました。その破片は、下から小さな円盤を支えていて、円盤がひっくり返ったときに折れたに違いない部品に思えました。部品は残骸搬送のためにテントへと運ばれ、トラックに積み込まれました。円盤を動かすため、3日後にワシントンから完全なチームが派遣される決定がなされました。内部の空気は非常に重かっく、2, 3秒以上まともに居ることは不可能でした。そのため、円盤をトレーラーに乗せライト・パターソン基地に持ち帰って分析することが決定されました。私も同行しました。

残骸に関する問題をフォートワース(ダラス)に報告するために働きながら、3週間ライト・フィールドに居ましたが、生物が医学的脅威であるかもしれないという発見があったため、医師と同じ防護服を身に着けなければなりませんでした。適切にカメラを扱うのは不可能で、フィルムの装填とフォーカスのコントロールは非常に難しいものでした。最初のふたつの検死解剖は1947年7月に撮影されました。

私が撮影した数百のリールがありました。私は現像に特別な注意を必要とするリールを切り離しました(後で現像するため)。最初の分は全てワシントンへ送りました。そして私は数日後、残りを現像しました。残ったリールを処理すると、最終的な回収を依頼するため私はワシントンへ連絡を取りましが、信じられないことに何度連絡しても、彼らは回収に来なかったのです。それ以来、一連のフィルムが私のところにあるというわけです。

1949年の5月に、私は3回目の検死解剖を撮影するように頼まれました。

フィルムの年代に関する問題

解剖フィルムは1947年のフィルムを用いているということになっているが、この話の根拠にはふたつの前提がある。ひとつは、フィルムの入っていたとされるフィルム缶に張られたシールであり、もうひとつは、フィルムの識別記号である。

フィルムの識別記号について

コダック社での鑑定(と呼んでいいものかはわからないが)は解剖シーン前のドアのようなものが写っている場面のみである。その場面のフィルムに付いている記号が1927年か1947年か1967年のものだとわかった。確認されたのは、その記号のみであって、フィルム自体を鑑定したわけではない。

ドアの写っているシーンは本当に解剖シーンと同じ時に撮られたものであるかを保証する証拠はない。ドアのシーンと解剖シーンにはブラックアウトしたコマも入っており、連続している保障がないためだ。このシーンは最初の上映会のときには無かったシーンであり、それだけに疑惑は大きい。

クライブ・トビンの指摘によると、ドアのシーンは後年にコピーされたものであるということである。フィルム脇の歯を掛ける溝の周辺の傷がベル・ハウェル社の「Cプリンター」(Bell & Howell C-printer)特有のものであるとのことだ。「Cプリンター」は1960年代になって登場したものである。

フィルム缶のシールについて

フィルム缶のシールからは「Cine Kodak Super XX」と、「Reel # 52; Truman; 85 Filter 2/3 stop; Force X 2 stop - Possible.」という情報が得られる。ケント・ジェフリー(Kent Jeffrey)の分析によると、「85 Filter」はカラーフィルムのみに使われていた表示であるそうだ。

ロバート・イルヴィングがアルフレッド・ゴールドバーグに問い合わせた結果、このシールが示すフィルムは1947年10月8日以降でなければ使われていなかったフィルムであるそうだ。

さらには、シールには3人の経験豊富な従軍カメラマンが見たこともない鷲のマークがシールに入っていた。もちろんこの鷲のマークは国防総省を表すためにつけたのだろうが、事件当時、まだ国防総省(また、その前身の国家軍政省)は存在しなかった。

つまりは、このシールが宇宙人解剖フィルムに使われているフィルムとは全く関係ないシールだということである。

1947年という根拠

1947年のフィルムだという根拠については、ドアのシーンの識別マークと、フィルム缶に貼ってあった「Cine Kodak Super XX」というフィルムが1927年にも1967年にも使われていなかったという理由に拠っている。宇宙人解剖フィルムの宇宙人が映っている場面のフィルム自体は鑑定されていない。

しかし、シールはフィルム自体と無関係のものだということが明らかであるし、ドアのシーンは1960年代以降に、現在のフィルムにコピーされたものであることも判明した。これは、たとえドアのシーンのフィルムが1947年のものであっても、撮影した年とは無関係であることを意味する。つまりは、1947年撮影だという根拠は全てなくなったと言っていいだろう。

医療関係者からの突っ込み

解剖学者のポール・ヒギンズ(Paul O. Higgins)は、フィルムから判断すると数時間で解剖を終えているように見えるが、それは科学的に非常に重要な検死のはずなのだから、数週間かかるようでなければおかしいと指摘している。

クリーブランドの外科医ジョセフ・バウアー(Joseph A. Bauer)は「解剖フィルムで医者が着ているものは、細菌感染などの不可知のものから身を守るための装備にみえるのだが、もしそのような装備であるなら、ポンプとホースで新鮮な空気を供給するシステムが必要である。そうでなければ、医者は窒息してしまうだろう。しかし、窒息していないところを見ると、十分換気できるような防護服だったようだ。そうなると、細菌感染などから身を守れないのだから、このような装備はいらない。」といった趣旨のことを話している。

ヒューストンの病理学者エド・ウスマン(Ed Uthman)は、エイリアン体表は人間と同じようなものなのに、内臓の構造が非現実的だということを指摘。「ハサミの使い方が病理学者や外科医よりは、仕立屋のように見えた。そして切り方はハリウッド映画のようだった」と語っている。

皆神龍太郎氏の調査によれば、医者はハサミのリング状の部分には親指と中指を通し、人差し指はハサミがぶれないように押さえるのに使うのだということだ。解剖フィルムでは、親指と人差し指をリング状の部分に通している。

他にも、細々とした指摘は存在する。通常、人間の体にメスを入れると、傷口が自ら開くが、エイリアンの体にメスを入れた際には、全くそういうことが起きていないようだ。

特殊メイクなどの専門家からの突っ込み

特殊効果のスペシャリスト、クリフ・ウォレス(Cliff Wallace)は本当のエイリアンの検死でも、変死した人間の検死でもなく、よくできた作り物の体のように見えると言った。エイリアンの死体の姿勢は、立った状態型取りしたように見えるということだ。また、彼は作り物で再現するのが難しい部分を避けたように感じたと指摘。内臓が外部と繋がっていないように見えたということや、フィルムの一場面で腕の下側に継ぎ目のモールドを発見したとも語った。

ハリウッド特殊効果、モーションデザイナーのトレイ・ストークス(Trey Stokes)は、エイリアンは軽量でゴムのように見え、肩と上腕がテーブル面から浮いており、動かされるときの動きも不自然に見えたと指摘。トレイ・ストークスとマイヤ・ビートン(Maija Beeton)の調査では、アカデミー賞受賞者を含む特殊メイクの専門家にアンケートを行い、対象となった18人全員から「特撮だと思う」という回答を得ている。

特撮の専門家であるスティーブ・ジョンソン(Steve Johnson)は、「宇宙人解剖フィルム」が特撮で再現できることを見せるために、サンティリのオリジナルよりリアルな解剖フィルムを作成している。

元従軍カメラマンからの指摘

ロズウェルでもアラモゴードでも各地の基地には従軍カメラマンがいたのだから、地元のカメラマンが呼ばれないのはおかしい。

従軍カメラマンは自分でフィルムを現像することはない。またフィルムの長さは厳密に管理されており、回収されないなどということは想像できない。

医学に関する撮影は全てカラーフィルムで撮影されていたのに、なぜ白黒フィルムなのか。

医学的に重要な記録の場合、軍で採用されていた撮影方法は、2台の固定カメラを使う方法だった。手持ちで頻繁に動きながら撮影するのはおかしい。

従軍カメラマンならば動画と写真撮影の二人一組で行動しているはずだ。なぜ写真を撮影するカメラマンが居ないのか?

どんな理由があろうとも、近づいての撮影がぼけたりなど、従軍カメラマンとして信じられないほど恐ろしく撮影能力の低い映像である。

ドラマの演出っぽい要素

「フィルムナンバー53」のフィルムの終わりは宇宙人の足を上げ下げしている場面で切れている。フィルムを装填しなおして再び撮影を始めた場面でも宇宙人の足を上げ下げし続けているのは不自然である。まるでドラマのカット割りと勘違いして演技しているかのようだ。

元東京監察医務院院長の上野正彦氏は宇宙人が白目を剥いているのが不自然だと指摘している。宇宙人だから普通の人間とは異なる反応だという指摘は可能だが、そういった過程よりも、作り物の演出という考え方の方が自然である。欧米の医師も「ハリウッドっぽい演出だ」と指摘している。

壁は奥の二面しか写らない。まるでテレビのスタジオセットで撮影しているように見える。

医師がカメラを全く意識しないのが不自然である。重要なビデオ記録をより有用に残せるように、説明したり指示したりしてもいいようなものだ。ドラマならカメラがあることを意識しないほうが自然だといえる。

フィルムの再装填の後の撮影開始時には、フィルムが安定するまでの無駄コマがあってしかるべきだが、このビデオでは存在しない。ドラマならそのようなコマは当然カットするだろう。

手術室でのエイリアン解剖をガラス越しに見ている者が、マスクをしているのも、実際の解剖映像というよりは、自然に出演者の顔を隠すための演出に見えるという話がある。

カメラマンに関する疑問

カメラマン・ストーリーとサンティリの話によると、ジャック・バーネットは以下のような映像を撮影しているはずである。

リトルヘンリー

マクドネル・ダグラス社に問い合わせたところ、リトル・ヘンリーのテストフライトを撮影したのは、マクドネル社お抱えの2人の民間人カメラマンのみ。動画はチェスター・ターク。写真はビル・シュミット。ジャック・バーネットも含めて従軍カメラマンは撮影していない。

マンハッタン計画

撮影のために参加していたのは、バーリン・ベリックスナーを含む4人。全て民間のカメラマン。ジャック・バーネットも含めて従軍カメラマンは撮影していない。

エルビス・プレスリー

ユニバーサル映画『クリーブランドのバイパー」の一シーン。1955年、クリーブランドの高校で行われたロックコンサートにエルビス・プレスリーが出ていた。撮影者はジャック・バーネット。但し、従軍カメラマンではなく、軍に属したこともなかった。撮影したジャック・バーネットは1967年に亡くなっている。

テント・フッテイジ(Tent Footage)

テント・フッテイジの一場面

テントで応急措置を施した際に撮影したというフィルムである。3人の医者らしき人物が、シーツを掛けられベッドに横たえられた宇宙人を検証している。画像は悪い。

コリン・アンドリュース等は、鮮明なバージョンを見たと言っているのだが、公開されたのはひどく劣化したフィルムであり証言と一致しない。墜落現場での緊急手術という設定なのに、腸を引き出したりなど、明らかに助けるのではなく、殺しているようなものである。

テントフッテージは1998年12月28日に放送されたFOXテレビの番組にて、医師の役をしていた人物の一人が特定された。医師は音響技師エリオット・ウィリス(Elliot Willis)で、1994年にサンティリからフィルムの作成を依頼されたと語っている。1999年のメイル・オン・サンデイ紙では、イギリスのAKミュージックという音楽会社のプロデューサーがフィルムの作成をしたことを明らかにした。エリオット・ウィリスと共に医師の役をやっていたのは、肉屋のオヤジだったということだ。

他にも、初期の上映で"Restricted acces / A01 classification / JULY 30th 1947"という表示があったが、「Restricted acces」も「A01 classification」も米軍で用いている分類ではなく、日付の書き方も、米軍形式の日、月、年ではないという問題点が指摘されている。

ジョン・ハンフリーの告白

ハンフリーは「ある守秘義務」に従い、フィルムに関係したことを明かさずにいたのだが、「Alien Autopsy」(宇宙人解剖フィルムをモチーフにしたパロディー作品)においてエイリアンのモデリングを担当したことをきっかけに告白に踏み切ったとのことだ。当時のエイリアン人形は捨ててしまったそうだが、新たに作られたエイリアンは、「宇宙人解剖フィルム」に登場するエイリアンと瓜二つである。

エイリアンの体を作るのにはラテックスを用い、臓器は鶏の内臓や羊の脳などを用いたそうである。ハンフリーは、宇宙人解剖フィルムの中で、外科医の役も演じていたとのことだ。

レイ・サンティリの告白

Eamonn Holmes提供のドキュメンタリー番組「Eamonn Investigates: Alien Autopsy」において、サンティリとシューフィールド(Gary Shoefield)は宇宙人解剖フィルムの一部だけが本物であり、残りの部分はハンフリーに依頼して作った模型で再現したものだと主張した。本物のフィルムはサンティリが初めて見たときは顕在だったが、入手するまでに劣化してしまったとの事だ。後にカメラマンとして登場したジャック・バーネットはロサンゼルスの路上にいたホームレスだということだ。

サンティリの主張によると、サンティリが初めて宇宙人解剖フィルムを見たのは1992年であり、そのとき、フィルムが本物であることを確認したのだが、その当時、フィルムを買い取るのに十分なお金を持っていなかったということだ。

3年後には、十分なお金が用意できたので、22ロールを買い取った。しかし、最終的にロンドンについたときには、95%のフィルムが酸化しており、残り5%も非常に状態が悪かった。箱を開けたときは臭いまでしたと主張している。

そのため、サンティリとシューフィールドは、ジョン・ハンフリーを雇い、1992年に見たビデオを作り物で再現しようとした。ハンフリーはロンドンのカムデンタウン(Camden Town)のロチェスタースクエア(Rochester Square)にあるアパートで、3週間半かけて「宇宙人の遺体」を作った。カメラも1947年の映像になるように慎重に選ばれた。

解剖フィルムの出演者は、サンティリ、シューフィールド、ハンフリー、シューフィールドの使用人の一人、ガレス・ワトソン(Gareth Watson)である。

サンティリは、はじめの撮影が失敗したため、ふたつ目の宇宙人を作らなければならなかったと語っているが、ハンフリーはこの件に関して何も言っていない。

サンティリは、解剖フィルムが「偽造」であることを頑として認めていない。それは、「偽造」ではなくモナリザやシスティナ礼拝堂の修復と同じ「修復(restore)」であると主張している。オリジナルが存在するのだから、ニセモノではないと言いたいようだ。

また、サンティリは「修復された」フィルムには、酸化していなかった5%のフィルムが含まれていると主張するが、サンティリもシューフィールドも、それがどの場面なのかについては、「思い出せない」と言っている。

残りの「本物のフィルム」は、ドイツの匿名の人物が持っているという話だが、「本物のフィルム」が提示されることはなかった。

残骸シーンのフィルムに写った6枚の指状のパネルと、宇宙人の遺体の6本の指に関しては、「芸術的許容(artistic license)」だということだ。


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