墜落残骸と現場

墜落現場の状態

このサイトでも、ロズウェル事件の真相はモーガル気球の墜落だったという結論に賛成している。しかし、モーガル気球の墜落という結論に疑問符をつける情報が存在しないわけではない。残骸の量について気球とは考えられないぐらいに大量にあったという話もあるし、地面に事故のものと思われる大きな溝が残っていたという話もある。これらの話はどう解釈したらいいだろうか。

まずは残骸の話であるが、マック・ブレーゼルの話によると、残骸があった範囲は直径200ヤード(183メートル)の円ぐらいだったという。そして、残骸はゴム片の方が長さ18~20インチ(50センチ)厚さ8インチ(20センチ)の束になり、その他の残骸をまとめると、長さ3フィート(1メートル)、厚さ7~8インチ(20センチ)程度の束になるぐらいだったとのことだ。ブレーゼルが家族と共に回収して保管していた量となるはずだ。

マーセルとキャビットは残骸をブレーゼルから受け取ったほかに、墜落現場へ行っているということだが、ここでどれくらいの量の残骸を回収したのかについては確かな情報はない。ただ、残骸が運ばれるのをみたというロバート・ポッターの証言でも、自動車のトランクに入るぐらいの量であったとのことだ。書籍によっては、車に積み込めないぐらいの量の残骸が回収されたことになっているが、この話からわかるのは、実際のところそんなに大量の残骸があったわけではなさそうだということである。

次に、地面に付いた傷。地面に大きな傷をつけるような事故であったのならば、確かに気球の墜落という説明には無理があることになる。プロジェクト・モーガルに参加していたチャールズ・ムーア教授もそう考えている。

しかし、確実に当時現場に行ったベシーもキャビットも地面にそのような痕跡はなかったと言っている。ブレーゼルもマーセルも地面の痕跡については語っていない。はっきり現場の地面の痕跡について語っているのはAP通信のR・D・アデア氏である(但し、あとになってビル・ブレーゼルJr.も轍という証言をするようになった)。しかし彼が現場に行ったという話が本当なのかは怪しい。つまりは、地面の痕跡についてはあまり根拠のある話ではないのである。

残骸はどんなものだったのか

残骸の写真1

残骸の正体が何であるのかに関わらず、回収されたものについては新聞の記事と写真という情報が残っている。残骸は、アルミホイル、紙切れ、細い棒、グレーのゴム、スコッチテープ、花柄テープ等であった。当時の新聞に載ったブレーゼルへのインタビューや、後年行われたベシーへのインタビューの内容と写真の内容は一致する。

マーセルは残骸がすりかえられたと、信用できない主張をしている。しかし、少なくとも自分と一緒に写っている残骸は本物の残骸だと言っている。ということは、マーセルの残骸が摩り替えられたという証言を信用したとしてもここに上げた写真は本物の残骸ということになる。

残骸の写真2

つまり、当時発見された残骸は写真のようなものだという前提で話を進めても問題はないはずだ。写真からも分かるように、少なくとも私には特に不思議なものにも見えないし、空飛ぶ円盤の一部だなどという想像もできない。

1978年以降の証言でよく出てくる、非常に薄いのに強靭で曲げても折り目の付かないホイル状の物体*1や、象形文字のようなものが書かれた、軽く強靭なI字鋼も見当たらない。むしろ、マック・ブレーゼルのインタビュー記事で語られた残骸とぴったり一致するといえそうだ。

ML307レーダー・ターゲット1
ML-307C Radar Target

この物体は、残骸の正体だといわれている、プロジェクト・モーガルで使われたML-307レーダー・ターゲットの残骸と考えてもよいと思われる。残骸の写真とレーダー・ターゲットの写真を見比べていただきたい。マーセルと一緒に写った残骸がレーダー・ターゲットの残骸であったとしても、何も矛盾がないように見えるのではないだろうか?

 

ホイル状のものは不思議な物質だったか?

ML307レーダー・ターゲット2
C・ムーア教授とレーダー・ターゲット

ホイル状の物質は、「引き裂こうと思っても引き裂けず、くしゃくしゃに丸めても、皺が付かずピンと戻る」という証言があり、その物質については、プラスチックにアルミを蒸着したものか、プラスチックでアルミをラミネートした物質ではないか?という話が懐疑論者のなかからも出ている。実際にこのような性質を持った物質は1948年には軍の気球の材質として用いられている。*2

また、レーダーを乱反射させて混乱を狙う「レーダー・チャフ」には様々な種類のものがあるが、その中にはこのような材料を用いているものがある。*3

これがレーダー・ターゲットの材料として用いられていたのではないか?というわけである。確かにそう仮定すれば、一部の証言にも説明が付くだろう。しかし、基本に帰って写真を見てみると、残骸にそのような物質が使われているようには思えない。もちろん当時の新聞にも記載はない。いまのところ新たな仮定を追加する必要はないだろう。

ところで、説明だけを聞くととても不思議な物質に聞こえるホイル状物質だが、現代では、このような物質をすぐ身の回りで見つけることができる。もっとも分かりやすいのはスナック菓子の内側の銀色の面を見ていただければいいだろう。まさに、銀色のホイル状物質で、くしゃくしゃに丸めても元に戻り、手で引き裂くのは大変である。*4

残骸にあった不思議なマークは何だったのか?

冷静に信頼できる情報だけを眺めると、残骸の中で不可解なのは、なんらかの意味不明なマークがあったというところだけではないだろうか。このマークには「象形文字のような」や「花柄」という証言が残っている。

花柄テープ
テープの図柄。ムーア教授の記憶による。
 

ムーア教授はそのようなテープがレーダー・ターゲットに用いられていたと言う。軍のプロジェクト、しかもレーダー・ターゲットに花柄テープを使うということについては、ムーア教授も不思議に感じたためよく覚えていたそうだ。ムーア教授が花柄のテープについて問いかけたとき、ジョン・ピーターソン少佐は笑って「おもちゃ工場にそれを作らせたら、どんなものができると思う」と答えたそうである。

花柄テープセット
テープの状態。ムーア教授の記憶による。

アルバート・トラコウスキー大佐は、当時を思い出して「レーダー・ターゲットをつくるために玩具メーカーに行かなくてはならないというのは世界最大のジョークだ。おまけに、反射板をハートや花の模様のあるピンク色のテープでバルサ材に止めるとは。」と思ったと語っている。トラコウスキー大佐によれば必要なテープ等の資材が不足していたという背景があったということだ。

 

残骸は気象観測用気球?

気象観測用気球であったかどうかは別としても、当時の情報を追う限り「何らかの器具を吊り下げた気球であった」という事実に争う根拠はない。FBIテレックスでは、正体不明な空飛ぶ円盤に関する情報としながら、「形状は六角形で、気球からケーブルで吊り下げられている」と、気球の存在に触れている。*5

ところで、証言の中には、「気象観測用気球にしか見えなかった」という証言と、「気象観測用気球ではなかった」という相反するふたつのものがある。さて、どちらが正しい証言なのだろうか。結論から言えば、私はどちらも一部正しく、一部間違っていたのではないかと考える。

モーガル気球
図はフライトNo.2のものだが、構成はフライトNo.4と同じ

プロジェクト・モーガルの気球は、連結気球であり、20個以上のネオプレン製気球と複数のレーダー・ターゲットを付けていた。対して、当時のスタンダードな気象観測用気球はひとつまたは少数のネオプレン製の気球と、ラジオゾンデの組み合わせである。

つまり気象観測用気球を見慣れていた人であっても、スタンダードなものしか目にしていなければ、残骸の中で最も目立つレーダー・ターゲットを見たことがないということも、十分あり得るということである。不思議な物体という話は全て、レーダー・ターゲットの方を向いているように思われるため、レーダー・ターゲットの有無には大きな意味がある。

もちろん、レーダー・ターゲットを備えた気象観測用気球も存在し、実際に使われていたことは気象観測官のニュートン准尉の証言からわかる。また、Alamogordo News(1947年7月10日)の記事や写真からも分かるように、同種のものが他の目的でも使われていたようである。

これらのことから言えるのは、レーダー・ターゲットを備えた連結気球、プロジェクト・モーガルの気球ならば、「気象観測用気球にしか見えなかった」という証言も、「気象観測用気球ではなかった」という証言も一応の説明が付くということである。さらに、モーガルの気球の残骸がスタンダードな気象観測用気球に比べて大量であったと考えられることを考慮に入れると「大量の残骸」という証言にも説明がつくかもしれない。


  • *1 マーセルの「薄くても折り曲げられない」という証言があるが、これは曲げることはできるが、折り目が付かないという意味らしい。マーセル自身が初期の頃に注記している。
  • *2 これはレーダー・ターゲットを使わなくても目視での視認性とレーダー追尾性能の高い気球となった。ややこしいことに、このことが災いして、この気球もUFOとして報告されることになる。UFO報告では最も信憑性が高いとされる、レーダー目視事例の原因にもなったようだ。
  • *3 チャフはUFOからの落し物として扱われる場合もある。この材料はどこまでもUFOと縁深い。日本のUFO研究者の第一人者として知られる荒井欣一氏もUFOからの落し物としてチャフらしきものを所有していた。
  • *4 プラスチックの素材や厚さアルミニウムの厚さを調節することにより、元の形への戻りやすさや強靭さが変わってくるそうである。
  • *5 気球のようなものに対して「空飛ぶ円盤」という言葉を使うのは奇妙に感じるかもしれないが、当時は空飛ぶ円盤には「正体不明な飛行物体」という意味しかなかったためである。

MJ-12文書

さてMJ-12(マジェスティック12,エムジェイ12)文書については、デバンキングのページで触れたように、既に本物ではありえないと結論するのに十分な情報が揃っているといってもいい状況である。そのため、「信憑性を確かめるため」としては、これ以上の調査は必要ないと考えている*6。これ以上の言及は単なる趣味的な拘りの意味しか持たない。

内容の検討

Page 2

MJ-1としてこの文書を書いた人物とされるヒレンケッターだが、彼は退役後UFO調査グループであるNICAPに属しており理事も勤めていた。彼はUFOの事実を求め、時には空軍の未発表文書の写しを公開するなど精力的な活動を行った。そして時には、政府の秘密主義を批判したりもしている。ドナルド・キーホー(Donald Edward Keyhoe)との間のやりとりでは、ETHビリーバーであったことも分かっている。こういった背景から、ヒレンケッターをMJ-12のメンバーと考えるのには無理があるといえる。

ドナルド・メンゼル(Donald Howard Menzel)といえば、「フィリップ・クラス(Philip Julian Klass)でさえ、メンゼルの前では筋金入りのビリーバーに見える」という話が有名であり、UFO否定派とも呼べる人物である。その彼がメンバーに含まれることも、ちょっと無理があると言える。文書を作った人物の皮肉か嫌がらせではないかという話も出ているぐらいだ。

Page 3

ケネス・アーノルド事件に言及し、「9機の円盤型(disc-shaped)物体を目撃した」との事だが、良く知られているように、アーノルドが見たのは「円盤型」ではなかった。

ケネス・アーノルド事件以降、ロズウェル事件前までの間に、様々な機関が多くの調査を行ったように書かれているが、実際のところアーノルド事件とロズウェル事件の間には2週間程しかなく、文書に書かれているような雰囲気よりも一瞬の間であったと思われる。

「物体は誤誘導された気象観測気球だったという、もっともらしい虚偽の発表が行われた。」について。確かに、第一報に続いて発表されたコメントは気象観測用気球であるが、その後の新聞まで追ってみると、決してそれで話が終わったわけではなく、レーダー訓練用の気球だという話が軍の見解になっていることがわかる。虚偽の発表の話をするのならば、より詳細な内容まで語っており、説得力のあるレーダー訓練用気球の話の方が取り上げられなければ不自然である。

Page 4

「“地球外生物学的存在”すなわち“EBEs”という名称を採用する」この呼び方(Extra-terrestrial Biological Entities)は、ポール・ベネウィッツ(Paul Bennewitz)の造語だと考えられている。ここら辺から、ベネウィッツ、ドーティ(Richard Doty)、ムーアという繋がりが見えてくる*7

特に問題というわけではないが、「通常の推進・誘導方式に使われる装置らしきものが全く存在しない」ということと、「エレクトロニクス部品と思われるものが一切見つからない」という点については、チェックしておきたい。ロズウェルの墜落円盤からは、テクノロジーを得られそうに無いという話になりそうだからである。

残骸のなかから、一種の文字とおぼしきものが大量に発見された。これを解読すべく、さまざまな試みがなされたが、おおむね失敗に帰している。(添付書類“E”を参照)

これは、暗号解読に関する言及である。このページは具体的に誰が何を行ったのかという言及が見られるページなのにも関わらず、暗号解読を行ったメンバーに触れられていない。この文書が偽造されたと考えられている1984年頃までは、メンゼルが暗号解読のスペシャリストであるということは知られていなかった。そのため、MJ-12文書製作者は、そのことを盛り込むことができなかったのだろう。

Page 5

ブルーブックのトップであった、ルッペルト(Edward Ruppelt)とMJ-12の関係を示唆する文章があるがこれも事実とは矛盾するようだ。

機密保持のため、サインとマジェスティック-12の連絡担当者は、空軍資材司令部情報課の2名に限定された。両名の任務は、正式のルートを通じてある種の情報を交換することである。1948年12月、サインはプロジェクト・グラッジへと発展した。同作戦は、目下ブルーブックというコードネームで遂行され、連絡担当には、同計画の指揮をとる空軍士官があたっている。

MJ-12のメンバーとされるメンゼルは、ブルーブックの情報にアクセスする権限を持っていなかったため、アクセス権限のある友人のハワード・アイケン(Howard Aiken)に頼み、ブルーブックの情報を横流ししてもらっていた。これは、ルッペルトや、ウィリアム・ガーランド(William Garland)をはじめとするATIC関係者に良く思われていなかったらしく、ルッペルトの個人的な手記にからもメンゼルの行為に狼狽している様子が伺えるという。

MJ-12文書によれば、MJ-12のメンバーは、正式なルートでブルーブックのデータを得ることができたはずなのだから、このような状況が起きるはずは無い。

1950年12月6日の墜落事件については、一般に全く知られておらず、目撃者が出てきたという話も皆無である。

ムーアの告白

1989年7月1日にラスベガスで行われたMUFON年次総会で、ビル・ムーアは発表を行った。ムーアは通常、事前に行われている発表内容のレビューを拒否し、発表に対する質問も受け付けないと宣言した。そして、ホテルも総会を開催したホテルとは別のホテルに泊まるなど、とにかく他の人を避けていたようだ。

発表は、ムーアが政府のニセ情報工作に加担していたということ、ポール・ベネウィッツは偽情報に踊らされていたこと、リチャード・ドーティもその工作に関係していたことだった。自分は真実を知るために、政府のニセ情報工作に協力していたこともにも触れた。ムーアは政府の情報工作に協力することによって、真実の情報に近づこうとしたのだという言い訳を忘れなかった。

ムーアは発表を終えると、すぐにホテルから去り、その日のうちにラスベガスを後にした。

万能の論理

つまり、ムーアはMJ-12文書やアクエリアス・テレタイプ等も政府のニセ情報操作によって作られたものであって、文書に矛盾や間違いがあっても不思議ではないことを示唆した。そして、その情報操作に加担したムーアがそれらの文書をUFOコミュニティに流したという告白であった。

公平を期すなら、ムーアがニセ情報操作の中に、真実の情報も混じっていると言っていたことにも触れておくべきだろう。しかし、個人的にはこのようなグダグダな話は、未練がましさ、醜悪さを加速させただけに思える。

これを聞いた真面目なUFO研究家(ビリーバーを含む)は、開いた口が塞がらないほど呆れたそうだが*8、陰謀論者にとっては随分と便利ないいわけができた瞬間でもあった。なにせ、このいいわけを使えば、なんでも説明できるのである。

円盤墜落に肯定的な文書が出てくれば騒ぎ立て、懐疑論者からニセモノだという証拠を突きつけられれば「巧妙な政府のニセ情報操作だった」と言えばいいだけで、自分が傷つくことなく陰謀論を唱え続けられるのだから。

最大限擁護してみる

ムーアのいいわけは、マイナス評価しかできないと言っても過言ではないだろう。しかし、ちょっと立ち止まって、ムーアを最大限擁護する考え方をしてみてもいいかもしれない。例えば、ドーティが全ての黒幕だと考えればどうだろうか?ドーティは、軍の情報将校だった。そのドーティから全ての情報を得ていたと考えると、ベネウィッツやムーアがドーティに担がれただけだというふうにも、辻褄を合わせることが可能かもしれない。

想像を逞しくして考えると*9、1980年代前半からドーティがムーアにMJ-12の話などを吹き込んでおり、ムーアはそれに乗せられていたというわけだ。当時ムーアが証拠を欲しがっていたというところから考えると、ドーティに証拠を詰め寄ったかもしれない。ドーティはそれに対し、なんらかの理由から「文書そのものは見せられないが、内容なら教えることができる」などといった話をして、MJ-12文書の内容をムーアに教えたというわけである。ムーアはそのような情報を元にMJ-12文書をタイプした。

MJ-12文書の発表が1987年6月というタイミングになったのは、ロバート・ウッド(Robert M. Wood)が、自分もMJ-12文書のコピーを持っていて*10、それを公開するつもりだと言ったためだという話である。ムーアとしては、ウッドの前にMJ-12文書を公開したかったわけだ。

MJ-12文書はムーアがタイプしたことに間違いはない。ムーアはMJ-12文書の版権も取得していたことから、飯のタネになるはずのMJ-12文書を公開前に他のUFO研究家に送るとは考えにくい。私には、そのような横流しをする可能性がある関係者はドーティしか居なかったと思えるのである。ドーティが全ての黒幕だったと考えれば、こういった乱心には非常に納得がいくように思えてしまう。

ムーアはドーティの情報の問題に気付き、「ニセ情報操作」というアイデアに寄りかかることになった。

ちょっと妄想を進めてしまったが、1980年代のUFO事情についてはドーティが大きな役割をしていたことは間違いないと考えている。ただ、このような殆ど根拠のない想像とは無関係に、MJ-12文書のに関する結論は確定している。

結論

MJ-12文書は、ムーアがタイプしたニセ文書であることは、、デバンキングのページだけでも明らかと言っていいレベルであるが、ここで書いたようにMJ-12文書で語られるストーリーにも無理があり、ムーアからもニセ情報操作のために作られた文書だと明言されている。つまり、MJ-12文書を本物の文書だと考える理由はもうなにもない。徹底的にゼロだと言っていいだろう。


  • *6 一応、MJ-12に言及する他の文書については、まだ完了していないステータスであるが。
  • *7 実際のところ公式報告から、ベネウィッツとドーティがコンタクトをとっていたことは明らかである。また、ドーティを通じてベネウィッツとムーアは面識があったようである。
  • *8 もし質問を禁止されていなくても、質問する気も起きなかっただろうという人もいる。
  • *9 あくまで筆者の妄想に近いものなので注意。ムーアが純粋にだまされていただけという想像はプラット文書で否定されると思われる。
  • *10 フィリップ・クラスは入手経路について問い合わせたが、ウッドから答えをもらうことはできなかったようだ。

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