
![]()
![]()
新潟県妙高市斐太地区は弥生・奈良・戦国時代を語る史跡の宝庫です、
2006年には日本の歴史公園100選に選ばれました
そんな斐太史跡公園管理棟からの四季の移ろいを発信しています
![]()
| 斐太遺跡 弥生時代後期〜古墳時代(国指定史跡) | |
| 3つの竪穴住居群 | |
![]() |
今から約1700年前、弥生時代の終わりから古墳時代の初めにかけて、 人々が暮らしを営んでいた斐太遺跡。ここには小さな谷を挟んで南北に細長い 丘陵が、2つ並びそれぞれ中央の平らな土地に住居跡が残されています。 浅い円形のくぼみとなった竪穴住居跡は矢代山・上ノ平・百両山の3地区に 分かれて計130基発見され、推定によれば200〜300基を越える日本最大級の 大集落が存在したとか。 当時の暮らしを物語る土器や鉄器、ヒスイの勾玉なども発見されています。 |
| 環壕跡 | |
|
斐太遺跡には住居跡と同様に、土に埋まりきらない状態で発見された珍しい 環壕跡も残されています。 環壕とは外部からの敵の侵入を防ぐため、また雨が降ったときの排水の役目 として作られた堀のことで、ムラの形成と武装化に密接なかかわりを持っていると いわれています。 斐太遺跡では住居跡を囲むようにコの字状、あるいは平行してめぐらされており、 総延長はなんと665m。幅も一番広いところで10mもあり、日本有数の大規模な 環壕跡として注目を集めています |
| 斐太神社 奈良時代後期〜平安時代初め | |
![]() |
全国の名社を集めた「延喜式」にも名を残す斐太神社は、平安時代初めの大同2年創建 と伝えられる北陸地方の名刹。 古くは病気の神様として信仰を集め、中世には上杉氏の厚い尊信もあって、斐太地区の 産土神として発展。 その後高田藩主榊原家も代々参詣したと伝えられ、寄進された三本槍と一本槍・薙刀は、 今も社宝として安置されています。 |
| 鮫ヶ尾城跡 鎌倉時代後期〜安土桃山時代初め(戦国時代)(国指定史跡) | |
![]() |
鮫ヶ尾城築城 戦国時代、上杉謙信が武田信玄の進出に対し、信濃方面への備えとして築いた山城 が鮫ヶ尾城。春日山城の前衛として重きをなしたもので、標高186mの山頂からは 高田平野を眼下に日本海・米山・東頸城の山々を一望する大絶景。山頂一帯及び本丸から 南北へ延びる尾根に沿って、大小数十の曲輪跡や空堀・土塁・井戸などが残されています。 |
![]() |
御館の乱 謙信の死後相続をめぐって繰り広げられたのが御館の乱(天正6〜8年)でした。 謙信の2人の養子三郎景虎(北条氏康の7男)と景勝(長尾政景の嫡子)の後継者争いは、 越後中の武士が両派に分かれての戦にまで発展。鮫ヶ尾城は景勝の猛攻を受けた景虎が 自決した場としても伝えられています。遺跡からはこのときの戦火によって焼けた陶磁器や 炭化したおにぎりが多数出土しています 炭化おにぎり おにぎりは表面が握られたことによりつぶれ、その表面には布に包まれていたことを示す布目の 圧痕が付着しています |
![]() |
|
| |
※ 平成20年7月28日に鮫ヶ尾城跡が「国史跡」指定されました
| 合わせてごらんください 妙高市HP 斐太歴史の里 |
斐太・歴史の里アルバム
このHPに掲載の写真はこちらで大きな写真で見ることが出来ます
※掲載写真以外の斐太の写真も見れます!
kouennsyuuhenn.htmlへのリンク
kouennsyuuhennsup
ot.hイメージキャラクター景虎くんのリンク