松本市の歴史を感じるもの
松本市の「花いっぱい運動」
 
戦後間もない昭和27年に花いっぱい運動は松本市で産声をあげました。
すさんだ人びとの心に花を咲かせ、明るく住みやすい社会を作るという理念が根底にあると思います。


「花いっぱい運動発祥の地」の碑

縄手通り入り口、千歳橋北側にあります。

運動の創始者の小松一三夢(いさむ)は上伊那郡高遠町に生まれ、小学校代用教員となった。
教職を辞して求道的な放浪生活を続けたこともあったが、戦後、松本市立旭小学校教諭のとき、内臓を病んだ三年間の闘病生活の間に、理想実現のため花いっぱい運動に取り組むことになった。
昭和27年4月8日の「花まつり」の日、六九町(ろっくまち)の食堂に、小松一三夢の話に賛同した七、八人があつまった。
会の名称を「街を花いっぱいにする会」としたが、活動は順調に進まなかった。
冷笑をあび、「腹いっぱい運動こそ」との声もあったが、降旗徳弥市長が、運動の本質を市議会に説明し、年額30万円の補助を決定した。
「街を花いっぱいにする会」の発足3年後の30年10月、「全日本花いっぱい連盟」が結成され、第一回全国大会が松本市で開催された。
翌31年9月には、「全信州を花いっぱいにする会」が結成され、第一回の県大会が松本で開かれた。
(一部略)
松本市花いっぱい運動は、国内の各都市に花と緑の種子や種苗を配布したり、高山植物の保護を訴え、駅のホームや鉄道沿線の空き地を花いっぱいにするよう呼びかけた。
学校や教育施設にも花や緑の種苗を送って、環境を美化し、病院・養老院などや各種団体の大会開催地に花の種や緑の苗木を送ってきた。
花いっぱいコンクールを町会や各種団体・商社などの協力を得て実施し、優秀なものを表彰し、国際親善の行事に、花の種やメッセージを送るなどもした。
(一部略)
平成2年に、国のふるさと創生1億円が交付されると、松本市は、花いっぱい運動基金として積み立て、利子を「美しい松本づくり」事業に使うこととなった。
平成6年度から、同資金は、地区別景観整備計画に盛り込んだ重点事業を補助することとなった。

「松本市文書館」様のご了解をいただき、『松本市誌』第二巻歴史編V(近代)掲載の「花いっぱい運動」より転載させて頂いております。

  
 
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