亜細亜の街角
スールー海を定期フェリーで往復する
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スールー海とスールー王国  (参照地図を開く)

フィリピンとボルネオ島の間には多くの島が点在している。ルソン島からミンドロ島,パラワン島を含む島々はボルネオ島の最北部にまで続いている。また,ミンダナオ島のサンボアンガからボルネオ島東北部に向ってスールー諸島が点々と連なっている。

これらの島々に囲まれた内海はスールー海と呼ばれている。スルー海の周辺の島々には13世紀頃からイスラム商人のコミュニティが形成され,15世紀にはスールー諸島のホロ島にスルタン制度が確立され,その勢力がスールー海全域に及ぶようになった。

これがスールー王国であり,その範囲はサンボアンガ半島,スールー諸島,パラワン島,北ボルネオに及んだ。16世紀後半にフィリピンの主要な島々を征服したスペインに対してスールー王国は周辺のイスラム勢力とともに激しく抵抗し,スペインの支配権は及ばなかった。

スールーのスルタンの宗教的権威はスールー海全域に及んだものの,次第に世俗権力は各イスラム領主たちに移り,半独立化が進んでいった。

スールー王国は中国やマレーとの交易により繁栄したが,奴隷貿易もさかんに行っていた。ジャワやマレーでは奴隷が重要な労働力となっていたが,地域がイスラム化すると奴隷の供給が困難になってきた。イスラム教ではムスリムを奴隷として使役することは禁じられていたからである。

そのため,非イスラム地域に奴隷の供給源を求めざるを得なくなり,その役割をスールー王国が担っていた。王国は軍をミンダナオ島や周辺の島に送り奴隷狩りをさかんに行った。そのため,フィリピンやスペインからは「海賊」として恐れられた。

19世紀の後半にスールー王国の首都であるホロ島がスペインにより征服され,その属国もしくは保護国となった。1878年の条約でスペインは属国,スルー王国側は保護国と解釈したためこのような違いが起きた。

米西戦争の結果,フィリピンは米国に統治されることになリ,20世紀の初頭にミンダナオ島南部とスールー諸島はフィリピンに併合された。

併合後もこれらの地域ではイスラム教徒が多数を占め,フィリピンからの分離・独立を主張するいくつもの武装勢力が地域の安定に暗い影を投げかけている。


フィリピン独立後の動き

フィリピン独立後もこの地域はイスラム教徒が多数を占め,キリスト教徒の国であるフィリピンからの分離独立を目指す「モロ国民解放戦線(MNLF)」の武力闘争につながっていく。

フィリピン・ムスリムは歴史的に「モロ」と呼ばれている。これはスペインがアラブやベルベル人に対する蔑称として用いていた「ムーア人」が転訛した言葉であった。しかし,モロ国民解放戦線の誕生によりモロは新たな意味をもつようになった。

モロ国民解放戦線(MNLF)は1970年にフィリピン政府軍に対して武装闘争を開始し,紛争は1996年まで継続した。MNLFは1996年にフィリピン政府との和平協定を締結して武力闘争を終結させた。その結果,住民投票によりいくつかの地域でイスラム自治区が誕生した。

しかし,あくまでも分離独立を目指す勢力は1981年にモロ・イスラム解放戦線(MILF)を結成し,政府軍との武力闘争を継続している。MILFとの間には二回の停戦協定が締結されたが長続きはせず,現在も武力衝突は続いている。

1990年代になるとイスラム原理主義勢力もこの地域に勢力を伸ばした。アブ・サヤフはフィリピン政府軍および一般市民に対して爆弾テロ,暗殺,身代金目的の外国人誘拐を繰り返している。

スールー王国の一部であった現在のマレーシア・サバ州とは結びつきが強く,サンボアンガとサンダカンの間には週2便の定期フェリーが就航している。ただし,この航路はイスラム過激派から金目当ての誘拐犯罪集団になり下がった「アブ・サヤフ」の活動地域に近いため危険視されている。


外務省の海外安全情報

サンボアンガのすぐ沖合いに浮かぶバシラン島は武装犯罪集団「アブ・サヤフ」の根拠地の一つである。2009年12月の時点で外務省の海外安全情報ではミンダナオ島の西半分とスールー諸島は「渡航の延期をお勧めします」のレベルになっている。

外務省の最新スポット情報でも2009年10月と11月に二件の重要な情報が掲載されている。

・ミンダナオ地域における誘拐事件の頻発 (2009/10/23)
昨年来,ミンダナオ地域では,身代金目的の誘拐事件が頻発していますが,最近の10日の間だけでも,以下のとおり,3件の誘拐事件が発生しました。ミンダナオ地域における本年の誘拐事件は既に40件を超え,中には援助関係者,教育関係者も含まれています。

・ミンダナオ島における非常事態宣言の発令(2009/11/25)
フィリピンのミンダナオ島西部に位置するマギンダナオ州においては,11月23日,来年5月に予定されている同州知事選挙に立候補予定の地元政治家の親族,支持者及び報道関係者40数人が武装集団に拉致され,フィリピン当局発表(24日)によれば46人が殺害されました。アロヨ大統領は,混乱を避けるため,マギンダナオ州,スルタン・クダラット州及びコタバト市に対して非常事態宣言を発令しました。

マギンダナオ州に対しては12月4日に戒厳令を発令された。事件を主導したとされるアンパトワン一族は州の行政,警察を牛耳っており,戒厳令により国軍と国家警察はアンパトワン一族の自宅などを捜索し,迫撃砲や機関銃など大量の武器を押収するとともに一族の62人の身柄を拘束した。


サンダカン,サンボアンガ間の移動情報

サンダカンには大勢のフィリピン人が居住しているし,サバ州に出稼ぎに来ている人も多い。そのため,サンボアンガとサンダカンを結ぶ定期直行フェリーが運行されている。地元の人たちはより安く移動するため,スールー諸島に立ち寄る小さな船を利用するとサンダカンの宿のおばさん(彼女はフィリピン人でときどきフィリピンに帰る)は話してくれた。

しかし,このスールー諸島に立ち寄るローカル船は外国人には極めて危険であり,イスラム過激派や武装犯罪集団に誘拐してくださいといっているようなものである。間違っても利用しないでいただきたい。フィリピン南部とサバ州の間の空路はセブ→コタキナバルくらいしかない。レイテ島のタクロバンにある旅行会社で料金を確認すると9500ペソであった。

サンダカン→サンボアンガのフェリー便は火曜,金曜の16時頃に出港し,サンボアンガ→サンダカンの便は月曜,木曜の15時頃に出港する。所要時間はおよそ24時間である。

料金はエコミー,エアコン,キャビンに分かれており,エコノミーは二階(下層)と三階(上層)の甲板に置かれたベッド,エアコンは下層の冷房の入った大部屋のベッド,キャビンは上層の船室となっている。

フィリピンを一周してからサンダカンに戻るとき,サンボアンガのチケット窓口にはチケット料金に加えて1620ペソの旅行税がかかると表示されている。そのとき僕の手持ちのお金は3300ペソくらいだったので,両替をして再度窓口に行くことになった。

なんのことはない,「旅行税は外国人にも必要ですか」とたずねると,「外国人はいらないよ」という返事であった。このため,サンダカンに到着したとき2000ペソも余ってしまった。このペソは宿のおばさんがフィリピンの親戚を訪ねるというので10%ほど安値で売ってあげた。

定期フェリーの運行情報

運行情報 サンダカン発 サンボアンガ発

運行曜日
出港時間
所要時間
料金(E)
料金(AC)

火曜,金曜
16時頃
24時間
250リンギット
270リンギット

月曜,木曜
14時頃
24時間
2600ペソ
2800ペソ



サンダカン→サンボアンガ チケットの購入

サンダカンとサンボアンガを結ぶ定期フェリーは市内から7kmほど離れた「カラムンティン」から出ている。さてチケットはどこで買えばよいのであろうか。宿のおばさんに相談すると,「ほれ,あそこのホテルの左側にある建物の1階でチケットを買えるのよ」と教えてくれた。

ラマイ・ラマイ地区を通るレイラ通りを南西に少し歩いた右側に中国語とマレー語の併記されたビルがある。ここの東側にチケット売り場がある。09時に行くとすでにたくさんの乗客が集まっている。窓口に貼ってある料金表をチェックするとエコノミーでも250RMもする。財布の中には230RMしか入っていなかったので,宿にお金をとりに戻ることになった。

インドネシアではメインザックのポケットから所持品を抜き取られる事件があったので,安全のためエアコン室にする。料金は270RM,60$を越える金額である。インドネシアの安い航空券に慣れていたのでとても高く感じる。


カラムンティンに移動する

出発時間はよく分からないが15時に港に行けば良さそうだ。14時少し前にチェックアウトすると,宿のおばさんは表通りでミニバスをつかまえてくれた。このミニバスは1RMほどの追加料金で港まで行ってくれた。

イミグレーションの建物の前にはすでにたくさんの荷物が積まれているが,15時になってもなんの動きも無い。他の乗客と一緒に待っているとリンギットをフィリピン・ペソに両替する人が声をかけてきた。

レートは10%ほど悪いので無視したが,船内の食事代は両替すべきであった。国際フェリーにもかかわらず,船内ではフィリピン・ペソしか使用できない。船内の両替レートは20%ほども悪くとてもその気にはならない。


イミグレーション

イミグレーションの門が開いたのは15:30,しばらくは荷物と人でごった返しており,とてもそこに入っていく気にはならない。僕が列に並んだのは15:50,イミグレーションの手続きはとてものんびりしており,通過したのは16:40になっていた。

建物から出ると集金人がやってきた。船まではミニバスで行く規則になっており,料金は2RMである。わずか300mの距離にこの値段はひどい。港内は写真撮影が禁止されており,目の前のコンテナの山を一枚撮ったら監視員から注意を受けた。


デッキは二層になっている

船のデッキは二層になっており,下層の前半分はエアコン室,後ろ半分はエコノミーになっている。上層は最前部にキャンティーンがあり,その後ろにがデッキ(個室),後部のデッキはエコノミーとなっている。

エコノミークラスは甲板に4人用の二段ベッドがほとんどすき間無く詰め込まれている。ベッドとベッドの間の仕切りはない。これでは荷物を置くスペースもままならない。ベッドの1/3は空いていたので多くの乗客は上段のベッドを共通の荷物スペースとして利用していた。

船が動き出すと風が入ってくる。熱帯地域の海とはいえ夜になるとぐっと気温は下がる。エコノミー客のため夜間は風の入ってくる側の舷側に風除けの布が下ろされる。

エアコン室は大部屋になっており,一つの区画には二段ベッドが6個,12人分のベッドがある。いちおう座席は指定されているが,空いているのでどこを使用しても問題なかった。こちらは隣り合うベッドの間には仕切りがあり,その反対側は1mほどの通路スペースになっている。


出港(18:00)

ペソは持っていなかったので,とりあえずこの日の夕食はとなりのベッドの男性にチキン弁当を食べさせてもらった。そのままキャンティーンで日記を書く。ここはカラオケになっており,かなりうるさい。

エアコン室はかなり寒い。冷気を避けるため噴出し口の下の上段ベッドで荷物と一緒に眠ることにした。冷気は頭上を素通りしてくれるので長袖でちょうどよい温度で寝ることができた。荷物があるため,ちょっと寝る姿勢が良くなかったのか,翌朝は少し首が痛かった。


06時少し前に朝焼けになる

06時少し前に朝焼けになっていることに気づき外に出る。雲が多いのでそれほどきれいなものではない。安全のためか,船はスールー諸島のかなり西側を航行しているらしく,それらしい島影は見えない。

朝食は非常食のビスケットにする。お昼が近くなると上層の操舵室の近くでは船員たちが昼食をとっていた。彼らに誘われるままに,ごはん,豚の脂身,キャベツスープをいただく。ということで,なんとかペソ無しで24時間を過ごすことができた。

サンボアンガ市が近づくといくつかの島が見えてくる。その中でバシラン島と思われる平坦な島が遠くにかすんでいる。ここはアブ・サヤフの本拠地であり,サンボアンガからは30kmほどしか離れていない。


サンボアンガが近づく

13:30にミンダナオ島の尻尾のように伸びる半島の先端が大きく見えるようになる。サンボアンガは半島先端部の東側にある。何ヶ所かの水上集落があり,それを押しのけるように大きなLNG貯蔵タンクある。


バジャウの人々の小舟が集まってくる

船は港の近くで30分ほど停船した。東の方からアウトリガーの付いた小舟がこの船を目指してやってくる。ほとんどが手漕ぎのものであるが,中にはエンジンを備えたものもある。

彼らは舷側に集まり,乗客に向ってさかんに声をかける。小舟の主はマレーシアでもよく見かけた「バジャウ」の人々である。彼らは海の遊牧民とも呼ばれており,スールー海を自由に行き来して漁労で生計をたてていた。

彼らの船は文字通り家船なのだ。国境線が引かれた現在でもバジャウの人々はフィリピンとマレーシアの間をパスポート無しで行き来している。

そのような,伝統的な生活は20世紀の終わりからは困難になってきた。彼らも水上集落に定住し,国家という枠組みと貨幣経済にしっかり組み込まれるようになった。かってのような自給自足の生活はとてもできない状況である。

フェリーの周辺に集まってきたのは家船ではなく漁をするための小舟である。小舟には子どもを含め一家総出で乗り込んでいる。乳幼児を抱いた母親や小学校に上がる前の子どもたちも含まれている。

フェリーの舷側は小さな小舟でいっぱいになる。アウトリガーが付いているため,一艘の小舟の占める面積はずいぶん大きなものになる。そのため,お互いに身動きできないような混雑となる。人々はフェリーのデッキから眺めている乗客に向って手を伸ばす。これはコインを投げてくれという合図である。

彼らの求めに応じて乗客がコインを投げると,見事な潜水で沈んでいくコインを拾い上げる。お金を恵んでもらうというよりは,コイン拾いの芸で稼いでいるという印象を受けた。

水中ではコインといえどもそれほどの速さでは沈んでいかない。そのため,コイン拾いが可能になる。成人男女はもちろんのこと小学生くらいの子どもも十分に水中キャッチの芸を身に付けている。


入国審査

この騒ぎが一段落するとフィリピンの入国係官が乗り込んできてキャンティーンで入国審査が始まる。入国審査の前にも同じ場所で乗船券とパスポートの照合チェックがあるので船内放送と乗客の動きに注意する必要がある。

入国審査の混雑は乗船時と同じである。荷物運びなどに人が乗り込んでくるので荷物をすべて持って行列に参加しなければならない。15:30に並び始め,入国審査が終わったのは16:20であった。


サンボアンガ→サンダカン 移動

サンボアンガのフェリー港のチケット売り場に行っておどろいた。窓口には料金表が貼ってあり,そこにはフェリーチケットの2800ペソに加えて旅行税が1620ペソとなっていた。これは誤算であった。そのとき僕の手持ちのお金は3300ペソくらいだったので,両替をして再度窓口に行くことになった。また,パスポートのコピー(本人確認ページとフィリピンのビザページ)が必要と告げられ,これも用意した。

なんのことはない,「旅行税は外国人にも必要ですか」とたずねると,「外国人はいらないよ」という返事であった。このため,サンダカンに到着したとき2000ペソも余ってしまった。このペソはサンダカンの宿のおばさんがフィリピンの親戚を訪ねるというので10%ほど安値で売ってあげた。


サンボアンガのフェリー港に向かう

フェリーの出航時間は15時頃なので10:30にチェックアウトして港に向かう。宿からは1kmほど離れているのでトライシクルを利用しようとする。最初の運転手に「フェリーポート」と告げてもまったく通じなかった。二台目の運転手は30ペソと相場の3倍ほどの値段をつけてくるので,ノー・サンキューでお別れする。結局,港までは歩くことになった。昨日,チケットを買うときに受け取ったのはフィリピンの到着カードだったので窓口で出国カードをもらう。


乗船手続き

サンボアンガ行きのフェリーの乗船手続きは少し離れた埠頭近くの建物の中で行われる。港湾施設使用料の11ペソを払い,荷物検査を受けて待合室に入る。ここには100人分くらいのイスが並べてあり,マレーシア側とはだいぶ待遇が異なる。イミグレーションは男女別になっており,数の少ない男性が早く終了する。その後はチケットとパスポートを照合し,これでようやく乗船が認められる。


出航

乗船時間は12時前であり,フェリーの出航時間は14:10であった。最初はサンボアンガと周辺の島が見えており写真に精を出すが,2時間もすれば海だけの世界になる。船の船首では押しのけられた海水が白く泡立ちながら両側に伝わっていく。海の色はとても暗く,黒々という表現がぴったりする。

水平線は左右が少し湾曲しているように見える。これは地球の曲率が出ているのではなく,脳による作られた錯覚だとされている。つまり,実際には水平線は直線なのだが,地球は丸いことを知っている脳が丸く見えるようにしているというのだ。

確かに,光を感じるのは目という感覚器官でも,それをどのように見えるか調整するのが脳の働きである。脳は左右の目から送られてくる視覚信号を処理して遠近感のある映像を作り出している。人は目で見てるのではなく脳で見ているのだ。

その情報処理の中に「地球が丸い」という知識情報が加わることにより丸く見えるのだという。これはかなり説得力がある。その証拠に展望台や船のデッキにある水平な手すりと水平線をほとんど重ねてみると,水平線もちゃんと水平に見えるという。

関東では千葉県の太東崎は水平線が湾曲しているように見えるので「地球岬」とも呼ばれている。残念ながらこれも脳により加工されたものである。北海道の室蘭市にも「地球岬」はある。こちらは水平線の湾曲とは関係なく,アイヌ語の「ポロ・チケップ」(親である断崖)」が語源となっている。


積乱雲

積乱雲がいくつか浮かんでいる。積乱雲ができるためには強い上昇気流が必要であり,点在する島が関与していることが多い。島により熱せられた大気が周辺の海域より強い上昇気流を生むこともあれば,海域で暖められた大気が島の山に沿って上昇気流となることもある。

積乱雲は温帯地域で5-16km,熱帯地域では20kmにも達する。この激しい上昇気流をもたしているものは地表付近と上層大気の温度差である。簡単にいうと地表付近で周囲より暖められた大気が対流により上昇していく現象である。

上昇する暖かい空気の塊は100m上昇するごとに1℃ほど温度が低下していく。この割合を「乾燥断熱減率」という。一方,大気の垂直方向の温度変化は100mにつき0.6℃ほどである。したがって,上昇開始時は周囲よりも温度が高かった空気の塊はある高さで周囲と同じ温度となり,それ以上は上昇できなくなる。

温度が均衡するおおよその高さは次式で求められる。
均衡高度=(上昇開始時の周囲との温度差/0.4℃)X 100m
つまり温度差が5℃のときは1250mとなり,とても積乱雲のように10kmというわけにはいかない。ところが上昇する空気の塊が水分(水蒸気)を含んでいると話が変わる。

このような空気は上昇とともに温度が下がり雲を生み出す。雲は水蒸気が微小な氷粒に変化したものであり,この相変化(気体→固体)のときに昇華熱を放出する。地表の水が太陽により熱せられ,蒸発したときに取り込んだ気化熱+アルファの熱エネルギーを放出するため,上昇する空気の塊の温度変化は100mにつき0.5℃ほどになる(湿潤断熱減率)。

この値は周囲大気の垂直方向の温度変化(-0.6℃/100m)より小さいので,上昇気流は高度を上げても周囲より温度が高い状態を維持できるので,高い雲に成長することができる。このような雲を積雲という。積雲はどこまでも上昇できるわけではない。対流圏と接する成層圏下部では温度が逆転するため,雲の最上部はそこを突き抜けられず頭を押さえられたかっこうになり,横に流れる。これが積乱雲である。


船内の食事は高い

船は南西に向かっており,前方の海は光の反射でキラキラ輝いている。こうして何もしないで海を眺めているのも悪くない。船の進路と風の方向との相対関係から片側ではかなり強い風が吹いている。一般船室は甲板に二段ベッドが置かれており(エアコン室は大きな船室にある),夜になると強風側は風よけのシートが下ろされる。

船の中では2回のチェックがある。最初はチケットを所持しているかというチェックであり,二回目はパスポートと乗船者名簿を照合していた。このときマレーシアのアライバル・カードを渡される。船の中の食事は高いので,昼食は買い置きのパン,夕食はカップメン(25ペソ)と買い置きのポテトチップスであった。


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