Tin Pan
(細野晴臣/鈴木茂/林立夫)
アルバム・レビュー

立東社『プリプロダクション』2001/2月号掲載



日本の音楽シーンの流れを
作った3人のプレイヤーの再会
〜ティンパン〜

「ティン・パン・アレー/キャラメル・ママ」のアルバム発売から25
年が経ち、日本のポップ・ミュージックの源流を作った3人のミュー
ジシャンが20世紀の最後に再び集った。ベーシスト細野晴臣、ドラマー
林立夫、ギタリスト鈴木茂。彼らの再会は何を意味するのだろうか。

3人の作った流れはどこに向かっているのか。その秘密を探るべく、
アルバムを開けてみた。

●ティン・パン・アレイ〜ティンパン


 1973年。細野晴臣は、ロックに日本語を乗せることで試行錯誤を繰り返した伝説の
バンド「はっぴいえんど」を解散し、当時細野の自宅であった狭山の米軍ハウスにエン
ジニアの吉野金治を招いて、ソロ・アルバムのレコーディングを行なっていた。楽器は
もちろんすべての録音機材を家に持ち込み今で言うところの「自宅録音」で作られたア
ルバムのタイトルは「HOSONO HOUSE」。そのレコーディングに参加した林、鈴木、
そして松任谷正隆の4人は、そのまま自然発生的に「キャラメル・ママ」という演奏家
集団を結成し、その後ユニット名を「ティン・パン・アレー」と変えて活動を続ける。
彼らはとても不思議な集団で、主な仕事場はスタジオであったが、ただのスタジオ・ワ
ークだけをやっていたのではなく、多くのミュージシャンのバックを勤めつつ楽曲制作
を手掛けプロデュースも行なうようになる。バンドではない、プロデュース/スタジオ・
ミュージシャンの集団。現在のユニットやプロデューサーという概念をすでに実行して
いたのだ。その"集団"たる所以はメンバーが固定されていないことによるもので、何ら
かの形で参加したミュージシャンを挙げれば、久保田麻琴、坂本龍一、矢野顕子、高中
正義、後藤次利、大貫妙子、山下達郎、吉田美奈子、佐藤博…などなど、そうそうたる
顔ぶれとなる。そんな状態で、ティン・パン・アレイは、荒井(松任谷)由実やアグネ
ス・チャン、雪村いずみなどのサウンド・プロデュースを手掛け、歌謡曲を含めた70年
代終盤の日本のポピュラー・サウンドの源流を作り上げて行く。そして、78年に荒井由
実が松任谷由実としてリリースしたアルバム『紅雀』を最後にティン・パン・アレーは
実質的な活動を停止し、細野はYMOを結成、鈴木はギタリストとして数多くのスタジオ
やライブ・セッションを行ない、林は数年後に一度音楽活動を離れることになる。

 再会の兆しは、奇しくもユーミンが96年に「荒井由実」として行なったライブのサポ
ート・メンバーに林と鈴木、松任谷が参加したことに始まる。そして99年、グラフィッ
ク・キャラクター「Chappie」のシングルで「ティン・パン・アレー」としてアレンジ
を行ない、2000年に松任谷を除く3人で「ティンパン」としてアルバムをリリースする
ことになる。


●プレーヤー集団「ティンパン」の再会


 ティンパンはなぜ再会したのだろうか。細野は数年前よりいろいろなメディアで「ベー
スを弾くことが楽しい」と発言している。YMOで一度肉体の訓練による演奏を排除し、そ
してワールド・ミュージック/アンビエントの世界へと進んだ細野が再びベースを手にす
る。鈴木も97年にアルバムをリリース、99年に自身のバンドを結成し、林は再びドラマー
としての活動を始め、99年よりドラマー5名によるコンサート「GROOVE DYNASTY」を
プロデュースする。3人ともが、いずれも演奏することが楽しみ始めた。

 ここで興味深いのが、ティン・パン・アレー時代について細野が「ミュージシャン的志
向が強くて…はっぴいえんどの反動だと思うんですけどね。再びベースを弾く意欲という
か、さまになるようにというカッコづけがはじまった(北中正和・編/細野晴臣THE END-
RESS TALKING)」と語っている。これまでアレンジ/プロデュースと様々な分野で活躍
していた彼らが再び「プレイヤー」としての方向に進み始めて、そして同じメンバーで再
会した。これは単なる偶然ではなく、あえていうなら「自然発生的再会」。自然発生とは、
小さい何かが積み重なって結果的に大きなものが生まれてくるものだから。"伝説"と言わ
れるようなユニットの再会にしては政治的な色合いが少ないのは「もう1回一緒に音楽や
らないかい?」という3人の素朴な意志でスタートしたからだろう。


●色褪せないティンパンならではのサウンド


 CDを最初に聴いての第一印象は「やっぱティンパンの音だね。でも、ちょっと違うよう
な気もする。いやしかし懐かしいね、でも結構今風かもしれない」と、とても不思議な気
持になった。当然、過去と同じメンバーがやってるわけだから同じ楽曲の雰囲気が出てく
ることは当然である。しかし「ちょっと違う」部分はどこから来るのだろうかと考えると、
当時のサウンドは3人の若さ、つまり楽曲作りの中での狙いとかコツなどがアクティブに
出されていたのに対し、今回は何の計算や打算もなく楽しむことを基本に楽曲が作られて
おり、音楽に対するピュアな状態がサウンドになっているからではないだろうか。実際、
アルバムの半分以上は、スタジオに入ってのセッションによって生まれた作品なのだ。

「ティンパンは演奏家集団だから。プレイヤーっていうのは演奏そのものが作曲だから、頭
で作曲するのとは違ったことができなきゃおかしい(細野:「ティンパン」パンフレットよ
り)」と言うように、自然発生的に楽曲が生まれている。3人だけでスタジオで延々とセッ
ションを続けて出来上がった「星空のストラット」、暇つぶしに手癖でポロポロと弾いてた
ベースに鈴木がギターを合わせて一気に曲になった「フラワーズ」など「ティンパンが録音
するには、自然発生的なものに身を委ねるのがいいとみんなが共通認識した瞬間(林:同)」
が収められている。これが「ティンパンとは何ぞや?」というひとつの答えかもしれない。

 自然発生と言えば、豪華なゲスト陣も同様である。たまたま聴かせたテープに興奮してそ
のままボーカルをとった久保田麻琴や小坂忠、「何で俺を呼ばないんだ」と細野宅に電話し
てきた忌野清志郎、ラジオ番組の対談で参加が決まった矢野顕子など、みんなが自然と集ま
ってきた。それは単に昔の仲間だから、というだけの理由だろうか。いや、そうではなく、
この3人から生まれるセッションに、何とも言い様のない魅力を誰もが感じているからであ
ろう。当時、ティン・パン・アレーにたくさんのミュージシャンが関わっていた状況と全く
同じである。


●21世紀へ続く流れ


 アルバムの冒頭を飾る「フジヤマ・ママ」は、25年前にカセット録音されたティン・パン・
アレーの演奏で、当時ボツになったテイクにギターとボーカルをオーバー・ダビングすると
いう、過去の自分達とセッションが行なわれた。しかも、ドラムは25年前のものがそのまま
使われているが全く違和感がなく、このサウンドこそが「ティンパン」を象徴している。25
年間、日本の音楽シーンを支えてきた大きな流れは途切れることなく、幾度かの激流を経て
今も続いていることを実感した。

 彼らの再会は単なるお祭りイベント的な"再結成"ではなく、必然的に発生したひとつの合流
点であり、そこからさらに21世紀に向けて流れは続くであろう。「引退したら、いっぱい曲
を作るんだ」と話す細野。まだまだ流れは停りそうもない。

ティンパン
リワインドレコーディングス RWCL-20009
\3,045 発売中



インタビュー&文:布施雄一郎