『われら地球人/自然の力を借りて砂漠を緑化する。よみがえれ、地球』

福岡正信×藤岡喜愛(聞き手)

 

わからないのが一番いい

藤岡 さっそくですが、伊予市で自然農法を実践してこられた福岡さんが、アフリカやアメリカへおいでになるようになったきっかけは、どんなことだったのでしょうか。

福岡 国連の砂漠化局長に呼ばれて、砂漠を緑化する案を考えてくれないかと言われたのがきっかけでした。七年前のことですが、私が四十年余りやってきた自然農法は、肥料を施さず農薬も使わないのだから、何もない砂漠の中でやる安上がりの方法として、役に立つのではないかと思いはじめたのです。

藤岡 砂漠の緑化に応用できるというのはすばらしいことですね。ところで、その自然農法のことを先に少しうかがっておきたいのですが。

福岡 自然農法は、米と麦を続けて毎年つくりながら、土地は耕さない。肥料をやらないし農薬も使わない。種子は直播きだから田植えはしない。脱穀の後の稲ワラや麦ワラは全部もとの田へ返す。草取りもせんから、田を見れば雑草はいっぱい混じってるし、昆虫もいっぱいいます。これを四十年余もやっていて、このあたりの科学農法をしている田に比べても、収量 は実際、多いんです。
畑の場合も同じことで、ここを見て下さい。この畑には何十種類もの種子を一緒にまいてあります。雑草も放ってあります。雑草だらけのこの畑を、見苦しい、メチャクチャだ(笑)と思うか、渾然一体となっていると見るか……。雑草だらけのようですが、下には、大根、カブ、ナタネ、白菜なんかが育っているんです。季節が来れば、上の夏草が弱って、下の野菜がワッと出てきます。
この畑の野菜は、消毒をしなくても虫食いが出ません。皆さんびっくりするんですが、なぜかということはわからない。言えるのは、いろいろなものが生えているからじゃないかということだけです。この 柿だって何度も消毒しなきゃいけない富有柿ですが、虫がつかない。あそこに飛んでいる蝶はアゲハですね。ミカンの大害虫です。こらんのようにミカンもたくさんつくってますが、駆除したりはしません。それがどんな役割を果 たしているかはわからない。それがいいのです。この山にあの蝶が何匹いるのがいいのか、シラサギが何羽おればいいのか。わかったら殺してみたり助けてみたりするでしょう。だから、わからないのが一番いい。

藤岡 すると、“自然”ということと“放任”ということとあまり変わらない印象を受けますが、

福岡 放任というのは人間の勝手が入っているのです。ミカンがほしい、イネもつくりたい、そうして自分の欲求を満たすはずのものだけ植えて、あとは放っておく。これなら放任ですね。これは虫がついたり、病気が出たりしてだめになるんです。この自然農園はいまいったように、はじめから自然に任せてあるんです。人間の知恵や勝手をいわないんです。

一歩前進二歩後退

藤岡 自然農法の反対が、人間の知恵を最大限に生かした科学的な近代農法ですね。

福岡 アメリカの近代農法は、自然が作物をつくってくれるのではなく、石油エネルギーを変換しているだけなのです。機械で土を砕いて微粒子にして、そこへ地下からくみ上げた水と化学肥料をかけるというやり方ですから、塩田をつくっているようなものです。土を殺しておいて、悪くなった分、機械と化学肥料で補給する。日本も同じですね。農業機械が大きくなってますが、その意味はね、より力の強い機械で、もっと細かくしたり、もっと深く掘らなきゃならないような土にしてしまったということです。こういう農業は、石油をスイカにしたりメロンにしたりしているだけで、土を利用していない。だから、水耕栽培というような、土はいらないという説まで出てきたんです。本末転倒やと思います。
農業というものは、無から有を生み出すものです。自然を殺しておいて、役に立たないようにしておいて、人間の知恵をつかう。知恵をつかったことで楽になったように見えるが、一歩は楽になっても、二歩は苦しくなる。一歩は自然を守ったように見えても、二歩は壊しているんです。

藤岡 近代農業は自然科学にもとづいた農業の技術ですね。自然科学というのは全体を細かくバラしておいて実験で証明していく方法ですから、そうしてわかったことの一つ一つを積み上げていくと、もとの全体が構築できるというたてまえなんですけど、このたてまえがうまくゆくのは物理や化学、それから工学的なことまではうまくゆくのかもしれませんが、“自然”というのは、そうもそれではうまくゆかないのですね。
さっきおっしゃったように、ようわからんことがいっぱいあったうえで、一つの全体としての“自然”がある。だから砂漠の緑化というと塩害に強い植物を選んで、一本一本植えて水をわざわざ運んでかけてやってもうまくゆかない。このことは他の所でも書いておいでですが、そこにある雑草には注意を払わなかったり、植えた木と共存共栄してくれるはずのバクテリアなんかを考えに入れなかったり、自然科学で“自然”を構築しようとすると、なにかわからんものが抜けていて結局ダメになる。残念ながら自然科学は、まだ生物的自然を全体として扱う力はなにのですね。それにもかかわらず科学の力というものをエレクトロニクスなんかで知っているもので、つい砂漠の緑化なんかも、自然科学の力によらなければできないと思い込んでいるフシがありますね。

爆撃機で種子をまく

福岡 あのね、私が七年前に自然農法をすすめたランバーグという人がいるんです。ロスアンジェルスの北のチコーで三〇〇〇ヘクタールの農場を持つ人です。そこで自然農法の水田を実行しているんです。感心したのは、水田の中に、自然農法の水田やから、ヒエがいっぱいはえているのに平然としている。日本なら、これはもう失敗田です。ところが彼は「お前に会ってから心が広くなった。みてくれ、今は兄弟四人でやっている」というわけです。実際、ランバーグの自然米(ブラウン・ライス)はもう全米に知られています。
私はアメリカでは国連の他にもオレゴンからカリフォルニア全部まわった。大学では講演もし、国際会議にも出席しましたが、外国の人たちの方がどうもわかりが早いような気がする。たとえばオレゴンのアシュランド市で農場を訪れて話をしたときなんか、一人の青年が立ち上がって、私はパイロットで種子をまく飛行機もある、だれか利用しないか、というのです。するとまた一人、婦人が立ち上がって、私の三〇〇ヘクタールの荒れ地を提供するから試してごらんなさいというのです。

藤岡 数年前でしたか、NHKのテレビで近代農法による土地の流出、土地の砂漠化の特集がありました。アメリカでは大規模な土壌危機が始まっているという意味では、かれらの方がずっと真剣に考えているのでしょうか。
そこで砂漠の緑化の問題にもどりたいのですが、できるだけたくさんの種類の種子を集めて、それを土でくるんでまくという方法をすすめておいでですね。爆撃機から種子をまくんだということをおっしゃっていますが。

福岡 自然農法は農薬をつかわない、いろんな生きものと共存していくということですから、ふつうに種子をまいたんでは鳥やネズミにやられてしまうんです。ところが、鳥やネズミは土が少しでもついていると種子を食べないんです。この方法は砂漠につかえるんじゃないかということです。
砂漠に種子をまくという話をNHKのテレビでしたら、東京の主婦の人たちが飛行機賃を集めてくれたんです。それで、松山の種子屋さんなどに協力してもらって、百種類くらいの野菜や穀物の種子を持ってソマリアへ行きました。ルーく地区という、エチオピアから非難してきた人が何十万人もキャンプしているところです。外国の援助でつくられた大農場があるんですが、ほとんど失敗していて無惨なものでした。
僕は最終的には、その百種類の種子をまぜて、土でねって、ボールにして飛行機からバラまくということをやりたかったんですが、現地にはとてもそんな余裕はなくてできなかった。それで、キャンプをまわって家庭菜園をつくることにしたんです。

どう始めるか、砂漠の緑化

藤岡 爆撃機をつかって、ばくだんではなく土団子の種子をはいて砂漠を緑化するイメージなんて、こんにち“世界”についてのさまざまなイメージの中では、最もすばらしいイメージの一つだと思います。
ところでその家庭菜園はどういう結果になったんでしょうか。やはり土団子にしてやるんですか。

福岡 土団子にするのと、種子をばらまいたところに水を流し込んで、ジャブジャブと足で踏むのをやりました。これが田植えだって言ったら、みんな喜んで、何十人もでジャブジャブ、大騒ぎになりました。
ほとんどの野菜なんかは芽が出たし、果樹苗も持っていったんですが、活着するところまでは見てきたわけです。その後の様子を聞いてみると、太い大根ができたり、まずますうまくいってるようです。特に、“田植え”したところは濃い緑になってます。成長が速くて、根が深いアカシアやねむの木も、砂漠緑化の糸口になると思って種子をまいたんですが、もう地下水にとどいているはずです。こういう方法なら塩害はおきないんです。

藤岡 種子を土でくるんで土団子にしておくと、鳥もアリも食わないし乾燥も防げるし、簡単なようで、しかもこれが一つのポイントになっていますね。
そうして、いろんな種子をまくことで、人間の知恵ではなくて、どの種類の種子を定着させるかはその所の土地に全面 的にまかせてみるという考え方に、自然農法の真髄といいますか、「何もしないのがいちばんいいんだ」という福岡さんのお考えが見えるところだと思います。
肥料や農薬はいらない。耕すことさえしないで、農作物は十分にできるんだというのが自然農法ですね。それを、一切無用論という言葉で表現しておられますね。

福岡 今は科学農法の時代ですね。科学的に分析して、ああすればいい、こうすればいいと考える。僕は、ああしなくてもいいんじゃないか、こうしなくてもいいんじゃないか(笑)。それが一切無用論なんですが、実はそれは自然農法をやった結果 じゃなくて、スタートなんです。まず、お釈迦様が、一切は無だと言っているじゃないか、ということに気がついた。それから、あれもしない、これもしない。具体的には耕さないとかね。やってみたらちゃんとできた。それで米も麦も反(たん)当たり十俵とれるんです。科学という分別 知ではだめなんです。

藤岡 自然科学には、全部を見るための方法論というのは、そもそもないんです。

福岡 ソマリアで見たことからいうと、自然を滅ぼしたのは完全に人間がやったことですね。人間の科学的な知識、農業や政治のしくみがアフリカを砂漠化したんです。それを回復するには、まず、人間の知恵を否定することから始める。知恵を否定して、土を自然の状態に戻すんです。

自然にまかせる

藤岡 人間が地球を砂漠化したんだということは、科学者はもう知っているんです。問題は、それを元に戻そうというときに、科学の力で戻さないといかんというふうに思い込んでいることですね。しかし、知恵を否定するのはどういうことですか。

福岡 何を植えたらいいかなんてデータを出してたんでは間に合わない。捌くの緑化というと、苗木を一本一本人海戦術で植えて、それも、松がいいとか、塩害に強いとかいって一種類の木だけを植えて、トラックで水を運んでかけるというようなことをする。その隣にはトゲのある木、乾燥地に適したマメ科の植物なんですが、そういうのが生えていても、それは雑木だといって気にしないんですね。じゃまにしてブルドーザーで踏みつぶしてしまったりする。それではだめなんです。そういう科学というか、知恵をつかうのをやめて、自然にまかせてみればいいんです。一年目はいろんな種子を人間がまいてみる。二年目は自然がチェックしてくれる。そこに合ったものが残るし、鳥やネズミが種子をまきなおしてくれる。ソマリアでは地下水が二メートルから四メートルくらいまできているので、砂漠を緑で覆うことは十分できるんです。

藤岡 まずその土地の力で何かが生えてくれば、それが土をつくり始めるわけで、さらに緑がふえてくると雨も降るだろう。雨は上から降るんじゃなくて下から降らすんだと、どこかで言われていましたが。

福岡 僕がアフリカでやったことは、わずかなことです。とても雨を下から降らせるようなものじゃない。ただ、自然農法で砂漠を緑化できることはわかった。ソマリア政府も家庭菜園の効果 を認めて、二か所で家庭菜園プロジェクトがスタートしました。しかし、アフリカは広いですからね、砂漠の緑化が一挙にできるような方法を考えないとしょうがない。何とか飛行機で、爆撃機で、世界中からいろんな種子を集めてまくということをやってみたいんですがね。

藤岡 この土地はもとこれこれの植物が生えていたというイメージとしての記憶が、かえって、本来の種類のものでない緑を引き入れて、まるでちがう景色をつくり上げそうな恐れを感じて反対する向きもあるかもしれません。しかし、人間がいったんその土地の景色を破壊してしまったのですから、こんど新しく緑が再生されるときには、その土地にまかせてみるという態度こそ、もっとも自然を信頼した姿勢といえるのでしょうね。
いろんな種子をまくんだ、自然にまかせるんだというのは、実は地球にまかせているんだと、あるいはそれぞれの種子にまかせているんだということですね。 地球が、私はここの砂漠をこう改造する、この場所はこうするんだと言えるように、人間が助けるという……。

福岡 新しい植物が入ることで生態系が乱れるとかいいますけれど、今はそんな場合じゃないです。とっくにくずれてます。今は、もう一度自然にきくことで、新しい生態系をつくるときですよ。それしか自然が生き残る道はないと思います。

(構成・張替政展)

 

福岡正信(ふくおか・しょうしん/まさのぶ)
大正二年、愛媛県生まれ。横浜税関植物検査課、高知県農事試験場に勤務後、郷里で農業を営む。あるがままの自然を信頼した独特の農法は、特に外国で高く評価されている。

藤岡喜愛(ふじおか・よしなる)
大正十三年、大阪府生まれ。京都大学理学部卒、医学博士。現・甲南大学理学部教授(精神人類学)。トンガ王国、タンザニアなどでフィールド・ワークを重ね、「イメージと人間」(NHKブックス)で毎日出版文化賞を受賞。


入力:村井啓哲/2003.10.15