0501ミュンヘン・ザルツブルグ・ウイーン訪問写真集、
−ミュンヘンのオペラ、ザルツブルグのモーツアルト週間、ウイーンのオペラとコンサート−
0501ミュンヘン・ザルツブルグ・ウイーン訪問写真集、
倉島 収(千葉県,K.449)
1、2回目のミュンヘン市内訪問(写真集)、
(1)レジデンツ・マリエン広場・ニンフェンブルグ城・アルテ・ビナコテーク美術館、
バイエルン国立歌劇場に歩いていけるホテルに泊まり、夜のオペラまでは市内観光として、レジデンス、クヴィリエ劇場、新市庁舎などを歩いて周った。引き続きバスで雪景色のニンフェンブルグ城を訪ね、お城のレストランで昼食をとり、城内の一部の見学をした。これらは前回に全て見たものばかりであったが、良いものは何度見ても良く、大勢で見ると新しい発見も多い。帰りにアルテ・ビナコテーク美術館を2時間で廻り、ホテルで着替えをして6:30開始のオペラの準備をした。


レジデンツでは、駆け足であったが、11時まで全てを見ると言う目標で内部を見た。日本語のガイドさんがついていたので、前回よりも遥かに多くのホールを見ることが出来たと思う。貝殻で飾られた「岩窟の庭」の壁や奇妙な形の像には驚かされたし、宮殿内のアーチ状の屋根と70メートルに及ぶルネッサンス様式の「骨董の間」にも不思議な感じを覚えた。建築家の名前が付けられた豪華さで世界一と言われるロココ式のクヴィリエ劇場は実に優雅な姿を見せてくれた。「イドメネオ」を初演した劇場であり、レジデンツはモーツアルトの馴染みの場所であった。


マリエン広場にあるマリエンの円柱や新市庁舎は、前回に見たときと変わりない姿を見せてくれたし、4つの異なるメロデイと踊りがある新市庁舎の仕掛け時計も健在であった。また、博物館になっている旧市庁舎や隣の聖ペーター教会もあったが、残念ながらまだこれらの建物の中には入ったことがないので、次回の宿題としておきたい。


仕掛け時計の動く様子を写真に撮ってから、バスに乗ってニンフェンブルグ城へと向かう。方向はミュンヘンオリンピック会場の先の郊外にある。そこではお城のレストランで昼食をとり、城内の一部の見学をした。前回は広い庭園まで見ることが出来たが、今回はお城の中央の豪華なロココ調の部屋を覗き見したに止まった。帰りにアルテ・ビナコテーク美術館を訪問し、これも駆け足で歩いたが、一日かけても見飽きないほどの古い絵が飾られていた。

アルブレヒト・デユーラーの「四人の使徒」(1526)が、古いものでは有名なものと思っていたが、イタリア絵画の方に行くと、ダ・ヴィンチの「聖母子(1473)」やラファエルロの有名なが絵があったりしたりして驚いた。しかし、ここの圧巻はフランドルの
バロック絵画で中でもルーベンスのものが他を圧倒していた。
(2)バイエルン国立歌劇場のヘンデルのオペラ「アリオダンテ」を見る。
バイエルン国立歌劇場のこの日のオペラはヘンデルの大作オペラ「アリオダンテ」であり、情報によると今年の9月10月にこのオペラ劇場が来日して演ずるオペラの題目の一つであった。オペラの配役などは下記に示すとおりであるが、オペラのあらすじなど多少の予備知識を得ていたものの、所詮は初めて見るオペラであり、時差との戦いもあって、残念ながら理解し堪能するまでには至らなかった。
登場人物も性格が明瞭で、演出・衣裳・舞台装置はバロックオペラにしては豪華で変化に富んでおり、バレエがあったり宝塚並みの派手さや驚くほどきわどい演出があったりして、分かりやすくするための努力が施されていた。しかし、全体的に見ると、やはり音楽がソプラノもメゾもカウンターテナーなども同じように一本調子に聞こえてしまい、加えて繰り返しが多く総じて単調であり、言葉が分からないのでレチタテイーボがみな同じように聞こえてしまうなど、勉強不足以外の原因もあったと思う。
日本公演では、「タンホイザー」、「名歌手」に次ぐ演目のようであるが、日本にはこの演出と舞台装置をそっくり持ってくることは恐らく不可能であるので、字幕はあるもののどのような評価を受けるかとても気になるところである。

1月20日(木)バイエルン国立歌劇場、18:30〜22:45、86.5E、
ヘンデルのオペラ「アリオダンテ(Ariodante)」、バイエルン歌劇場、イギリス及びウエルシュ国立オペラの共同制作、D.アルデン演出、Harry Bisket指揮、バイエルン歌劇場O&CHO及び舞踊団、(配役)スコットランド王;U.Chiummo(B)、王女ジェヴーラ;V.Cangemi(S)、騎士アリオダンテ;C.Rice(Ms)、弟ルルカーニオ;K.Rensburg(T)、ポリネッソ;C.Robinson(CT)、女官ダリンダ;O.Pasicchnyk(S)、オドアルド;K.Roberson(T)、
2、05年ザルツブルグモーツアルト週間にて、
私達が参加した05年ザルツブルグモーツアルト週間は、初日から6日間であり合計して10コンサートに出席できた。ザルツブルグに着いたときは殆ど雪が無く、最初の頃に撮った「魔笛の小屋」には屋根にうっすらと雪が載っているだけで、芝生などは青々としていた。川沿いの見慣れた街並みにも殆ど雪はなかったが、新しく気が付いたのは河にカモメ風の川鳥が沢山群れをなしており、老人たちが与えるパンくずなどに群がっていた。これまでこれほどの大群を見たことはなかったような気がする。


祝祭大劇場では、ダニエル・ハーデイング指揮、マーラー室内管弦楽団による演奏会形式のオペラ「イドメネオ」が含まれていた。イドメネオ役は、最近日本にも来ているイアン・ボストリッジであり、声量豊かに堂々たるイドメネオ役であった。三人の女性役の中では、やはりエレットラを歌ったジュリアーナ・バンスが役どころを得て素晴らしいと思った。指揮者のハーデイングは若さ溢れる指揮振りで、とても好感が持てた。われわれの座席が指揮者の直ぐ後ろの最前列であったので、実に迫力ある演奏を楽しむことが出来たし、演奏後のあいさつの写真を撮ることが出来た。
日曜日にはザルツブルグの大聖堂における教会のミサに参加することが出来た。日常的な教会行事の中に、厳然として生きているモーツアルトの「クレドミサ」を教会で聴いて、寒かったけれども厳粛な気分になり、ミサというものは、何も分からないままでも、素晴らしいことだと深く感じ入った。フェライン例会で以前にドームで歌っておられた牧野先生から聞いていたピストールさんのソプラノの声が後ろからであるが良く響いたが、演奏者の姿を見ることが出来ず残念だった。ミサの後に時間があったので、皆さんと大聖堂に隣接するレジデンツ内部を日本語のガイドフォンを借りて、見せてもらった。モーツアルトが仕えたシュラッテンバッハ大司教とコロレド大司教の絵が飾られている「会議の間」やモーツアルトが演奏をした場所として名高い「騎士の間」など宮廷コンサートの会場がいくつかあった。今まで写真でしか見たことがなかったので、良く保存されていると感心した。


途中で大聖堂とはひと味違うハ短調ミサ曲の初演会場として名高い「聖ピータース教会」に立ち寄ってみた。教会の広さは大分こじんまりとしているが、内部の造りや飾りは古さを感じさせ、やはり格式の高い立派な教会であり、裏の墓地から眺める雪景色のホーエンザルツブルグ城趾の眺めは格別であった。


帰路にミラベル宮殿に立ち寄り、天使の彫刻がある「天使の階段」を通って、マルモアザール(大理石の間)として有名な豪華な部屋を覗いてきたが、折りからモーツアルテウムの会議か行事のための準備中であり、沢山写真を撮ることは出来なかった。


ザルツブルグ最後の祝祭大劇場のメータ指揮ウイーンフイルのコンサートにおいて、クリステイーヌ・シェーファーがコンサートアリアを3曲歌ってくれたが、中でもK.505「どうしてあなたを忘れられよう」が絶品であり、ここでも座席が真ん前であったので、彼女の素敵な写真をこっそり撮ることが出来た。
3、フリーメーソン博物館(シュロス・ローゼナウ城、)(ツヴァイトル)
ザルツブルグからウイーンに向かう途中で、チェコとの国境周辺のツヴァイトルの町に近い辺境のローゼナウというところにフリーメーソン博物館があるという情報を得て、今回の行程に組み込まれていた。ウイーンからはプラハに向けて約120キロのところにあり、プラハ行きのモーツアルトの馬車が途中で立ち寄ったのではないかとも噂されていた。秘密結社とされるフリーメーソンに関する情報は、公開されているものが少ないのである。


前日からの雪が降る中をザルツブルグからリンツまでは高速道路を、リンツからは地方道を、まるで除雪状況を視察しているように小型バスは走り、昼頃に林と牧場に囲まれた静かな辺境の里シュロス・ローゼナウに着いた。そこでは大きな三階建てのお城が博物館になっており、さらにレストランとホテルを兼ねていた。これだけのスペースがあれば、大きな冠婚葬祭にも利用できそうであり、避暑地にも利用できそうなところであった。


フリーメーソン博物館では、普段はウイーンにおられるオーナーが英語でご案内してくれた。モーツアルテウムのアンガーミュラー氏などとも親しい方のようである。入口に作者不明のモーツアルトが描かれているフリーメースンの儀式の絵が掲げられ、モーツアルトとフリーメースンに関する資料が飾られていた。モーツアルトがここを訪ねたとする科学的な資料は残念ながらないようであった。メーソン本来の儀式用の飾りが沢山飾られ、教会を兼ねた集会場などもあった。18世紀からのメーソン風の古い飾りや衣裳類が多く、興味が尽きなかった。季節が良ければ、宿泊して楽しめる異色の地という印象を得た。
4、05年ウイーン訪問写真集、
(1)新装なったリヒテンシュタイン美術館、(ウイーン)
04年3月末に新装オープンしたリヒテンシュタイン美術館には、ウイーンに着いた翌日の1月28日(金)午前中に時間をかけて全員で見学し、そこの落ち着いたレストランで昼食をとった。リヒテンシュタイン侯爵ハンス・アダム2世の個人コレクションは、4世紀にわたって収集されており、価値と規模において世界でも最高峰と言われている。 とても丁寧な写真の豊富な日本語の解説パンフレットがあり、それに添って目標を定めて各室を見ることが出来た。

古い宮殿が最新の技術で甦ったように各室には装飾が施され、天井には素晴らしいフレスコ画が描かれて見事に復元されていた。コレクションを飾る各室には、ラファエロやブリューゲルなどの絵が無造作に飾られていたりして驚かされたが、ルーベンスのコレクションで一室が出来るほど多いと思った。
(2)アルベルテイーナ美術館とホーフブルグ王宮、(ウイーン)
ウイーンに何回も来ているのに、中心にあるアルベルテイーナ美術館と王宮を見ていないので、一日かけてじっくり見る計画にした。その前に、準備行動として夜来ることになるウイーン・コンツエルト・ハウスとムジークフェライン(楽友協会ホール)の場所を確認し写真を撮った。また、72時間用のウイーンカード(16.9E)を購入したので、一度トライしてみたかった路面電車でリング一周を試みた。


アルベルテイーナ美術館では、折からマーク・シャガールとアレックス・カッツなどの特別展が開かれており、最初に入ったシャガールのフロアでは、月曜日の午前中だというのに絵を勉強する学生達で溢れていた。先生に引率されて、著名な絵の前では先生が解説をしており、どうやらシャガールの絵の断片を写生することが彼等の宿題であったようで、床に座り込んで絵を描いているものが多かった。考えてみれば、日本ではこういう風景は目にしたことがないと思った。
これまでシェーンブルーン宮殿など離宮には行っているが、本家を訪問するのは初めてである。ミハエル広場の正門から入り、銀器コレクションの部屋で、莫大な食器セットや食卓の調度品に驚かされる。団体客の後ろに繋がるようにシシイ博物館に入り、実際に使用したドレスや飾り・衣裳などの個人所有物を見て、専用列車のコピー、暗殺時の凶器なども展示されていた。皇帝の部屋は、68年もの間皇帝を務めたフランツ・ヨーゼフ一世の居間や執務室、控えの間、会議室などが沢山あり、離宮とは異なったハプスブルグ家の実務的な姿を見た。


王宮内のレストランで遅い昼食をとり、王宮宝物館を見た。権威の象徴とされる神聖ローマ帝国の帝冠など大きな宝石をちりばめた王冠が沢山陳列され、長い年月のハプスブルグ家の権力の証を見たような気がした。朝から歩きずくめであり、まだ新王宮の方にも見るべきところがあるようであるが、次回以降に残すことにした。
(3)ウイーンの劇場めぐり、
1)ウイーン国立オペラ劇場、
ウイーン国立オペラ劇場では、最初に小沢征爾指揮の「フィガロの結婚」をみた。ポネル演出の伝統的な舞台や衣裳によるもので、小沢の音楽もそうであったが、安心して見ていれるオペラであった。伯爵のキーリンサイド、フィガロのルチオ・ギャロはビデオで見ている人たちであったが、スザンナや伯爵夫人は初めての方で、パポールカスというケルビーノ役が舞台では人気者であった。


二日目には、ドニゼッテイの「愛の妙薬」であり、これも伝統的な演出・衣裳によるものであったが、知らない人ばかりであった。しかし、軍曹役が日本人の甲斐栄二郎、薬売りのドクターはインサン・シムと言う東洋人であり、アデイーナやネモリーノの主役と対等に活躍していた。
2)ウイーン楽友協会ホールとウイーン・コンツエルトハウス劇場など、
国立オペラ劇場では二年続けてオペラを見ているが、あとはフォルクスオーパー劇場しか知らないので、今回はコンサートで有名なウイーン楽友協会ホールとウイーン・コンツエルトハウス劇場を一夜づつ見ることにしていた。ウイーン楽友協会ホールでは、プラニヤフスキー指揮のウイーン交響楽団で、謝肉祭コンサートというふれ込みで、バッハ・モーツアルト・ハイドンなどの有名曲を編曲した「冗談音楽」をやっていた。バッハのカンタータを編曲してしまい、シュテファンドーム合唱団やソリストが三人も登場して「冗談音楽」を真面目にやっており、お客さんもそれを楽しんでいるのを見て、さすが大人の世界であると驚いてしまった。


一方のウイーン・コンツエルトハウス劇場では、折りから古楽器演奏チクルスが行われており、当日はそのフランス編とされて、サヴァールという指揮者がフランスからやって来た古楽器集団を率いて、リュリ・マレー・ラモーなどの古いオペラから編曲した長い組曲(舞曲集)を三オペラ分も演奏してくれた。これも珍しい趣向で、若い人たちが熱心に聴いていたのには驚かされた。


その他、ウイーンにはブルク劇場とか、「魔笛」の初演で有名なアン・デア・ウイーン劇場などがあるが、たまたま、アン・デア・ウイーン劇場の前を通りかかったので、劇場の外観を撮ってきた。歩道からでは大きすぎて一枚には収まらなかった。次の機会には、覗いてみたい劇場の一つである。
5、ウイーン市内のモーツアルトの足跡巡り(前回の続き)、
(1)「金細工師シュマレッカーの家」−泊まったホテルがこの家の所在地でした−
今回のウイーン滞在は、ホテル・カイザリン・エリザベートというシュテファン寺院の直ぐそばのホテルであり、リング内は全て歩いていけるのでとても便利であった。ホテルの名が「エリザベト皇后」であり、フロントの中央に見慣れたシシーの絵が飾られていて、エレベータなどの施設も古く、鍵も旧式のもので部屋の入り口は二重扉になっていた。オフシーズンであるから泊まれたのであろう。フロントにこのホテルの主なゲスト名の入ったプレートがかざられており、モーツアルトの名が最初に1767年と書かれていた。

驚いてホテルの住所を調べ史実をチェックすると、モーツアルト父子は2度目のウイーン旅行で最初に、1767年10月6日から23日までWeihburggasse3にある「金細工師シュマレッカーの家」と言うところに滞在していたが、これはこのホテルと同じ番地であった。建物が当時と変わってもこういう記録は残されているものと感心した。他の著名な音楽家のゲストの名には、クララ・シューマン(1838)、フランツ・リスト(1856)、アントン・ルービンシュタイン(1859)、リヒアルト・ワグナー(1862)、アントン・ブルックナー(1863)、エドアルト・グリーグ(1896)、などの名があった。98年にペテルスブルグで宿泊したときに、チャイコフスキーが宿泊した古いホテルに泊まったことがあったが、今回はこれに次ぐ快挙である。


シュテファン寺院の直ぐ傍なので、皆さんを前回探訪してモーツアルトの記録が明確な各所にご案内した。亡くなった家「クライネカイザーハウス」跡のデパート「シュテッフル」5階の記念コーナー、ドイツ騎士団の家(ドイチェスハウス)、シュテファン寺院のモーツアルトの記念プレート、フィガロハウス(目下、来年に新装開館を目指して工事中)、などである。今回は最終日に時間を見つけて、住居跡の幾つかを探訪してみた。
(2)グラーベンの「トラットナーホフ」の4階、−同名の建物を発見した−
シュテファン寺院から一番近い家がグラーベンの「トラットナーホフ」の4階の一室であるが、前回は分からずじまいであったが、今回はグラーベンの一角に「トラットナーホフ」という同名の建物を発見した。中に入り4階5階を歩いてみたが、記念プレートらしきものは見つからなかった。場所が確認できたので、時間がある時に、建物のオーナーを訪ねて聞けば分かるかもしれない。この建物で、わがピアノ協奏曲第14番K.449が作曲され、自筆作品目録の作成が開始されている。

(3)「アム・グラーベンの家」−最近作られた顔写真と説明書きを見つけた−
父レオポルドの強い要請によりウエーバー夫人とコンスタンツエが住んでいた「神の目館」から引っ越しをして、1781年9月5日から結婚間近の82年7月23日まで住んでいたのが、グラーベン通りに面する家具付きのきれいな部屋のある「アム・グラーベンの家」である。これらの二つの家は、互いにせいぜい200メートルくらいしか離れていないことが面白い。建物に入って通路の右手の壁に、最近取り付けられたような紙の顔写真の下に、この建物に住んでいたという簡単な説明書きが無造作に貼られていた。

(4)ユーデンプラッツの「ブルグ館」−この広場の一角に2度も住んでいた−
ユーデンプラッツの一角を探し回った末に、1784年にこの建物の二階に住んでいたとするプレートを貼った建物を見つけた。長男が誕生しザルツブルグに里帰りした頃に住み、ハ短調ミサ曲やリンツ交響曲などを作曲していた。このユーデンプラッツには、1789年にもこの建物の隣の「聖母館Zum MutterGottes」に住んでいた。1789年1月から90年9月までで、ピアノソナタK.570やメサイアの編曲K572などがなされている。
6、終わりに、
以上、写真集として今回の訪問先の写真を整理してアップしてみた。掲載した写真は全部で74枚にもなっているが、写真が撮れず案内のパンフレットなどに助けられたものもある。大部になりすぎたが、約2週間にわたる旅の写真を欲張って編集したので、出来が悪いものも掲載せざるを得なかった。また、写真は修正して掲載すべきなのであるが、枚数が多いとパソコンの手間が膨大なので、無修正にしている。手間を惜しんで申し訳ないと思っているが、お許し頂きたい。こうして編集を終えてじっくり眺めてみると、一つ一つの写真に思い出があり、自分なりの良い記録が出来たと喜んでいる。今回の旅行も無事に終え、元気に帰国したが、この旅行の企画立案に当たられた斉藤事務局長に、心から御礼申し上げる次第である。
(以上)(05/03/02)
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