ドイツには畑の名前と並んで、ワインを造る人々やそれを飲む人々にまつわる、様々な伝説があります。ここではそ
のいくつかをご紹介します。


第一話 ヨハニスベルクの奇跡

第二話 リューデスハイムの雪解け

第三話 貧しい粉ひき

第四話 ツェルティンゲンの貴酒樽

第五話 欲張りな居酒屋

第六話 葡萄畑の悪魔

第七話 酒とバラと人生




右写真はトリアーの昔の居酒屋の看板。






1716年にヨハニスベルクがフルダの修道院に売却されてからというもの、葡萄畑の世話をしていた修道士たちには
受難の日々が始まった。それというのも、フルダの大修道院長にして貴族でもあったコンスタンティン・フォン・ブットラ
ーは厳格極まりない男で、ヨハニスベルクの葡萄畑と酒蔵を管理するための査察役人を、うんざりするほどひんぱん
に送ってよこしたからだ。

主の恩寵により天候に恵まれたある年、豊かに実った葡萄を収穫するために修道士達はせわしなく働いていた。
ところが、不運なことにいくつかの葡萄畑では、まだ最初の一房さえも収穫していないというのに、思いがけないほど
早く初霜がおりた。そんな時、よりによってフルダからの査察役人の来訪が告げられた。

修道士達は朝から晩まで熱心に働いていたので、ケチをつけられる謂われはないと思ったものの、何はともあれ大
事をとって、査察役人をすでに収穫の終わった畑へ案内することに決めた。だが、役人の耳に悪魔が耳打ちでもして
いるかのように、まだ手つかずの、半ば凍りかけた葡萄が至る所にぶらさがっている畑へと馬をすすめるではない
か。

査察の後、集会所に集まった修道士達を前に、役人は院長をこっぴどく叱責し、このように怠惰な者達にまっとうなワ
インを飲ませるわけにはいかん、今すぐ収穫作業にとりかかれば、あの半ば凍って腐りかけた葡萄からもいくばくか
飲めるワインが取れるであろう、翌年はそれでしのぐがよい、とのお達しを残して去っていった。修道士達がやり場の
ない憤懣をどうやってぶちまけたかは、定かではない。

さて翌年、くだんのワインが仕上がって院長のグラスに注がれ、最初の一口を飲んだとたん、彼の憂鬱そうな表情が
ぱっと輝いた。院長に続いて試飲した修道士達も口々に賛嘆の声を上げた。
「奇跡だ!」
「主が熱心な仕事ぶりを認めて下さったのだ!」
「かじかんだ指で収穫した苦労を報いてくださったのだ!」
と口々に神を賛美した。そして皆、これは今まで飲んだことのないほど高貴なワインであるとの意見で一致した。

その年から、修道士達はわざと霜がおりるまで収穫の一部を畑に残しておくようになった。そうして奇跡と思われた
結果が再びもたらされ、貴腐ワインの秘密が発見されたということである。


(取り残されて干からびかけている葡萄。到底まともなワインが出来そうには見えないが、しかしトロッケンベーレンア
ウスレーゼなど濃厚な甘口ワインが出来るのは、やはり神の賜物というべきか。)


参考文献:Christine und Dietmar Werner, Die schoensten Sagen vom deutschen Wein, Husum 1999.






ある年の冬、カール大帝が現在のラインガウの対岸にあるインゲルハイムの居城に滞在していた時、吹きすさぶ北
風であたり一面、深い雪に埋もれていた。やがて春が近づいたある日、遠くに見えるリューデスハイムの南向きの丘
の一角の雪が融け、銀色に輝く景色の中で小さな黒い染みのように岩肌がむき出しになっていた。その染みが日ご
とに広がっていく様子を見たカールは、あのあたりに葡萄を植えたらどうだろうか、と考えた。

春になるとカールはオルレアンから葡萄の苗木を取り寄せ、リューデスハイムの斜面を開拓し、葡萄を植えさせた。
それは見込み通りにすくすくと育ち、3年半の後には最初の収穫が大帝に捧げられた。ワインが樽の中で熟したこ
ろ、インゲルハイムの居城で各地のワインを取り寄せてのワイン比べが開催された。ヴェスヴィオ山近郊の炎の様な
ワインや、ギリシャの銘酒に加え、ブルゴーニュやモーゼルからのワインも供されて、どれも大いに賞賛されたが、最
も高い誉れを勝ち取ったのはリューデスハイムの赤であった。それはどのワインよりも強く、香りは他の全てのワイン
をあつめたほどであったという。

今でもラインガウの葡萄農民たちは、恵まれた年は大帝のお陰だと信じている。葡萄の花の咲くころ、カール大帝の
霊が訪れ、ライン河沿いをゆったりとした足取りで葡萄を祝福していったのだ、と。


雪の中で、春をまちわびる葡萄。

参考文献:Jancis Robinson, The Oxford Companion to Wine (2nd. Edition), Oxford 1999, Art.
Charlemagne; Christine und Dietmar Werner, Die schoensten Sagen vom deutschen Wein, Husum 1999.






その昔、ザール河の中流にあるレーリンゲン村の川沿いに、水車小屋があった。
水車小屋には妻と子供と一緒に、貧しい粉ひきが住んでおった。きつい仕事で何かと不自由しておったが、それでも
暮らしに満足して、困っている人を助けずにはおれない優しい心を持った男だった。もっとも、ひとつだけ、不満に思っ
ていることがあった。一度でいいから、うまいワインを心ゆくまで飲んでみたい。男にはそれだけが不満であった。と
はいうものの、あの貧しさではワインなど高値の花、夢のまた夢であった。

ある夜のこと。トントンと戸をたたく音がするので開けてみると、そこには見知らぬ貧しげな老人がたっておった。ちょう
ど夕食時で、テーブルにはパンとチーズが少々乗っているだけだったが、それでも老人はよほど腹がへっておったの
だろう、物欲しげにじ〜っとそれを見つめておった。粉ひきの家族はその様子を見て追い返す気にはなれず、小屋に
招き入れてパンとチーズを分けあうことにした。お祈りのあと、みなでそれを食べておると、老人は「すまんが、ワイン
を一口いただけませんかのう。」
と言ったそうな。それを聞いた粉ひきは肩をすくめるばかり。ワインなんて贅沢品は、小屋には一滴もなかった。
すると老人は「それは気の毒。いっしょに来なされ、ワインの有り余っている所を知っておるから。」
と言う。「たいまつと水差しも持って来なされ。持ち帰るのに入り用になるじゃろ。」

そうして粉ひきと老人は暗闇の中、たいまつの灯りをたよりに山道を登っていくと、ほどなくして大きな鉄で出来た城
門の前に出た。見知らぬ老人は勝手しったる様子で門を開けると、いつのまにやら二人は広大なお城の地下倉に立
っておった。いくつもと知れぬ樽がどこまでも並ぶそれは見事な地下倉で、粉ひきは驚きのあまり言葉につまってあ
ごがはずれたようじゃった。老人はかまわず最初の樽から味見すると、それは実にうまいワインであった。早速持って
きた水差しいっぱいにワインを満たして帰途についたのだが、また取りに戻ることができるよう、門にたいまつで印を
つけておいたのは抜け目のないことであった。

二人は水車小屋に戻り、その夜は心ゆくまで飲み明かし、水差しのワインが空になる頃には皆深い眠りについた。
翌朝粉ひきが目を覚ますと、どうしようもなくもう一度、前夜のワインが飲みたくなった。そこで再び、今度は朝日の中
を同じ道を辿ったのだが、たいまつでつけたはずの印はおろか、城門も見つからぬ。大急ぎで小屋にとって返して老
人に聞こうしたのだが、寝床はすでにもぬけの空。そうしてあの老人は二度と男の前に姿を現すことはなかった。貧
しい粉ひきにはただ、夢とも現実ともつかぬ、あの素晴らしくうまかったワインの思い出だけが残されたのであった。


ザールブルクの町の中には小さな滝があり、そばに水車が並んでいる。

参考文献:Christine und Dietmar Werner, Die schoensten Sagen vom deutschen Wein, Husum 1999.






モーゼルのツェルティンゲン村の背後の葡萄畑の丘の上には、その昔マルティンスホフという修道院があった。
そこに住んでいた修道士達は、祈ることと賛美歌を歌うことの他にも、葡萄を育ててワインを作ることにも熱心であっ
た。修道院は日当たりの良い急斜面の葡萄畑を所有しており、そのワインは近隣の村でもいちばんの出来との評判
であったが、なかでも最上のワインは『母樽』と呼ばれる大樽に貯蔵され、修道院に親しいか、よほどの寄附をしなけ
ればありつけない伝説的なワインであった。

修道院の『母樽』のワインのうわさはトリアーの選帝侯フィリップの耳にも入り、彼はなんとしてもそれを飲んでみたい
ものだと思った。だが、代価はいくらかかってもよいから、小樽ひとつぶんを持ち帰るようにと使者に何度命じて送り
出しても、一度として一瓶すら持ち帰ることが出来なかった。

しびれを切らした選帝侯は、巡察を理由に自ら修道院に出向き、その場でかの有名なワインを飲もうと企んだ。何と
言っても、選帝候はトリアー大司教区の最高権力者である。直々に赴き所望したならば、断られることはまずあるま
いと踏んだのだ。数日後、選帝候は大勢のお供を引き連れてくだんの修道院に現れた。壮麗な出で立ちで高位聖職
者達と護衛を脇に従えた選帝候の前に、マルティンスホフの修道院長も深々と頭をさげて跪き、指輪にうやうやしく口
づけをして恭順の意を表した。そこで選帝候はおもむろに口を開いた。
「親愛なる院長、そなたの修道院の評判は耳にしておる。こたびはそれをこの目で確かめるべく、直々に検分に参っ
たのであるが、まずは慣例通りに、余と余の従者に歓迎の杯を所望いたす。半日がかりの船旅で、余の喉もからか
らじゃ。」
院長は一礼して客人達を食堂へと導くと、修道士にケラーから水差し一杯のワインを取ってよこさせ、彼らの杯をワイ
ンで満たした。ほどなく、食堂は賑やかな笑い声で満たされ、それは常日頃静寂が支配している修道院に似つかわ
しくないほどの喧噪であった。訪問の目的がいまひとつ腑に落ちなかった院長は、彼らが一向に審問を始める様子も
なく飲み騒いでいることに、今回の訪問の目的は巡察ではなく、ワインであることに感づいたのであった。院長はテー
ブルの賑わいを眺めつつひとりごちた。
「好きなだけ飲むがよかろう。だが、母樽からは一滴たりとも出しませんぞ。」と。

とっぷりと日も暮れたころ、客人達の騒ぎも一区切りつき、選帝候は赤ら顔で満足げに告げた。
「親愛なる院長よ、まことにあっぱれなワインであった!修道院が申し分なく運営されておることがよく分かった。そち
がトリアーに来ることがあれば、余のワインでもてなそうぞ。もっとも、ツェルティンゲンの銘酒には及ばぬがの。」
院長は一礼し、悪戯っぽい笑みを浮かべて答えた。
「過分なるお褒めの言葉、かたじけなく存じまする。されど隠し立てした訳ではございませぬが、当院の母樽のワイン
は、本日差し上げたものとは比べものにならぬほど美味でございます。次回の真摯なる巡察まで、お楽しみになされ
ませ。」
選帝候らの酔いもこの一言で、一気に醒めていったことであろう。


トリアーのホスピティエン醸造所のケラーにて。これは正真正銘の貴酒。

参考文献: Christine und Dietmar Werner, Die schoensten Sagen vom deutschen Wein, Husum 1999.






ある貧しい男が8人目の子供の洗礼を祝ったおり、名付け親や親戚が大勢祝福に訪れたので、この日のために樽に
ワインを用意していたのだが、それも間もなく底をつこうとしていた。男はいちばん年上の娘を近くに呼び寄せて言っ
た。
「ケラーからワインを持ってきておくれ。」
しかしもうケラーにはワインが無いことを知っていた少女は、きょとんとして問い返した。
「お父さん、いったいどこのケラーのこと?」
「そうさな、丘の上の城にある騎士の酒蔵から取っておいで。」
父親は冗談のつもりで言ったのだが、素直な少女はそれを冗談とは思わず真に受け、水桶を持って町からほど近
い、その昔赤ひげの皇帝バルバロッサが住んでいたというキフホイザーブルグの山道を登っていった。さほど探し回
ることもなく、目指す酒蔵への入り口は簡単に見つかったのだが、その扉の脇には大きな鍵束のぶらさがった帯をし
めた老婆が座っていた。
「騎士の酒蔵のワインが欲しいのじゃろ。」少女を見ると老婆は言った。
「はい。」少女はうつむいて答えた。「でも、うちは貧しくて、ワインを買うお金がないんです。」
「そんなこた、かまわんよ。」と老婆。「ただで持ってお行き。」
少女は老婆について暗く朽ちかけた通路を進むと、やがて左右にずらりと大樽の並んだ見事な酒蔵に着いた。ぼう
ぜんと立ちつくす少女の手から老婆は水桶を取りあげ、樽の一つからワインをなみなみと満たし、少女へと手渡して
言った。
「祝い事でワインが入り用になったら、また来るがよかろう。じゃが、おまえとおまえのお父さんの他には、このことは
誰にも言ってはならんぞ。ましてワインを売ってもならん。ただで手に入れたものは、ただで与えるのじゃ。よいな!」
そう言い終わるなり、老婆はかき消すように見えなくなった。

家に戻ると、誰もがその上等なワインを褒めた。お客は一体どこで手に入れたワインなのか知りたがったが、父娘は
決して口にしなかった。別の祝い事の時も、少女は再び騎士の酒蔵からワインを持ち帰ったのだが、一人としてその
出所を知る事が出来た者はいなかった。

ところが、ある時お客の中に町の居酒屋の主人がいた。彼はそのうまさに驚き、これほど上等なワインなら、少しぐら
い水で薄めても充分売り物になるぞ、と考えた。そうして少女が次の祝い事の為にワインを取りに行く時、こっそりと
跡をつけて行き、老婆に案内されて酒蔵へ入っていくのを見届けたのである。
「しめしめ、秘密を知ったからには、存分に利用するまでのことさ!」
居酒屋に水桶一つで足りる筈はなく、翌晩さっそく男は大きな酒樽を馬車で引いて山を登ったのだが、城のあたりで
老婆をいくらさがしてもみつからない。そのかわりに突如として雷鳴がとどろき、猛烈な嵐が巻き起こった。上下左右
から吹き付ける雨つぶての中で突然地面が裂けて崩れ落ち、男は酒樽と馬車もろとも城跡の地下納骨所へ転落し、
意識を失った。

教会の鐘が真夜中を告げる音で男が目を覚ますと、目の前に音もなく一人の修道士が現れた。男は心臓が止まりそ
うなほどに驚き恐れたが、修道士は無言で彼を地上に連れ戻し、幾ばくかの金を握らせただけで、再び闇の中へ消
えていった。

恐怖と疲労で弱り切り、足を引きずるようにして家にたどり着いた居酒屋の主人は、床につくとそれっきり二度と立ち
上がることなく、三日後に息を引き取った。修道士が彼の手に握らせた金は、ちょうど男の葬式をまかなうだけの額で
あったという。


ザールブルクの古城跡。この城にも酒蔵があったはずである。

参考文献:Christine und Dietmar Werner, Die schoensten Sagen vom deutschen Wein, Husum 1999.






モーゼル中流、ブラウネベルクにほど近いフィルツェン村に伝わる昔話。

収穫を間近に控え、畑に葡萄がたわわに実る頃、昔は交代で夜通し晩をするのが普通であった。村の修道院の二
人の下男も見張りをするよう申しつかったのだが、そのうち一人は畑へむかう道すがら、どうしたらあの退屈な役目を
さぼることができるか思案した。そして畑に着くと、葡萄畑に住んでいるという悪魔に呼びかけたのである。
「悪魔様、悪魔様、私に代わって葡萄畑を見張ってくださいませんか。」
するとたちまち、まるで地面からわき出たかのように悪魔が下男の前に現れた。
「引き受けてもいいが、何をもらえるのかね。」
「かごいっぱいの葡萄をさしあげましょう」と下男は答えた。「日暮れから夜明けまでお願いしますよ。もし誰かが葡萄
畑に入り込んだら、首をへし折ってください!」
よろしい、と悪魔は承知し、下男はやれやれと修道院へひきあげた。

修道院に戻った下男は、折悪しく院長に出くわした。見張りのことを問いただされて答えて言うには、"親友"に代理
を頼んできたのだという。見張りをしているのが実は悪魔だということは、無論口に出さなかった。だが、男の言い分
に院長は納得せず、再び畑へと追い返した。

真夜中、下男は相棒の下男と一緒に葡萄畑の見張り台に登った。すると突然奇妙な物音がした。それは、誰かが生
い茂った葉をかきわけて畑を歩き回っているようにも聞こえた。悪魔との約束を知らない方の下男は相棒に言った。
「おい、盗人が畑をうろついてるんじゃねぇか。」
「大丈夫だよ。」
「大丈夫って、何でそんなことがわかるんだよ。」
「それは、つまり、その...。」
悪魔と約束を交わしたなどとは、おおっぴらには言えなかった。
「ちょっと見てくる。盗人ならとっちめてやらないと。」
「おい、まてよ。俺が行って来る。」
事情を知らない相棒を畑にやって、悪魔の餌食にしてしまうのも忍びなかった。約束を交わした本人なら、悪魔も手を
出さないだろうと考え、下男は松明を手に葡萄畑へと向かった。ゆらゆらと揺れる炎はしばらく斜面を登っていった
が、そのうちふと見えなくなり、一面の闇が広がった。

翌朝、下男は自ら悪魔と交わした約束通り、首の折れた姿で発見されたという。


夕暮れの木立。どこかに悪魔がひそんでいそうだ。

参考文献:Christine und Dietmar Werner, Die schoensten Sagen vom deutschen Wein, Husum 1999.






ローゼンゲルチェン(小さなバラ園)という畑名は、モーゼルに14あるローゼンベルクという畑名に最も多いバリエーシ
ョンである。その他、ローゼンライ(リーザー)、ロゼンハング(コッヘム近郊のグロースラーゲ)という畑名もある。バラ
にちなむ畑名が多いのには理由がある。ひとつにはその人を惹き付けて止まない、芳醇な香りを予感させる名が、ワ
インを一層引き立てることがあげられる。しかしその本来の意味は、ケルト語由来のロスross(もしくはrost)で、そび
え立つ丘を意味するローゼンrosenの小指形である。また、太古に遡るバラと葡萄の神秘的関係に由来するという説
もあり、エピソードには事欠かない。葡萄からはディオニソス的神話のワインと血の象徴関係や、キリスト教の聖餐
が、バラからは古代の愛のシンボルであることとともに、マリア崇拝におけるバラの神秘的な意味が思い出される。
ワインとバラの相互関係はまた、太陽、色、香りに酔いしれる喜びという共通点に端を発するものであるのかもしれな
い。

バラは愛の象徴であり、酒の神に捧げられた聖なる植物でもあったから、古代の酒盛りでは参加者や酒器を葡萄の
蔓や蔦とともにバラで飾った。13世紀の放浪学生の歌集カルミナ・ブラーナの204番では、1節から3節でトリアーを
ドイツ最高のワインの都市(gens Teutonica nil potat melius)として讃えた後、ヴィーナスをもって赤ワインを讃え
rosam rosario dari pre ceteris、バラとワインと人生の喜びを歌い上げている。

Iovis in solio
coramque superis
fuit iudicio
conclusum Veneris
rosam rosario
dari pre ceteris.
  per dulzor!
Her wirt, tragent her nu win,
vrolich suln wir bi dem sin.

ゼウスの玉座のその前で
いずれのワインが最高か
神々の衆議があった時
ヴィーナスが下した結論は
赤の中の赤が
いかなるものより優れていると。
   愉快ではないか!
おい旦那、ワインを持ってこい、
ワインを楽しく飲もうじゃないか
Quid est iocumdius
presigni facie:
rosam rosarius
decorat hodie,
unde vox letius
sonat letitie!
  per dulzor!
Her wirt, tragent her nu win,
vrolich suln wir bi dem sin.

これほどすてきなことはない
バラというバラが
今この時を彩るのは、
故に喜びの声よ
より声高に響け!
 愉快ではないか!
おい旦那、ワインを持ってこい、
ワインを楽しく飲もうじゃないか
(カルミナ・ブラーナ第204番4節・5節)

バラとワインの関わりは、トリスタンとイゾルデの説話のラストシーンにも見られる。
『そしてこの物語の語る所によれば、王はトリスタンの亡きがらの側に葡萄を植え、イゾルデの亡きがらの側にバラを
植えたという。そいのどちらも一緒に育ち、誰も何を持ってしても二つに分かつことは出来なかった。』
ゲーテもまた葡萄とバラの神秘的な類似性について、開花の時期が同じことを通じて意味深に示唆している。

葡萄が再び咲いたなら
出来たワインは樽の中
バラが再び咲いたなら
わからない、私に何が起きるのか


余談だが、トリアーの大聖堂の中庭には通称『1000年のバラ』と呼ばれているバラがある。本当は1000年も古くな
く、16世紀に植えられたものであるが、400年を越える樹齢に似合わず、こじんまりとした佇まいをしている。このバラ
に免じて、トリアーをワインとバラに縁の深い都市としてもよいかもしれない。


トリアーの葡萄畑に咲いていたバラ。

参考文献:Carl Fischer/ Hugo Kuhn, Carmina Burana. Die Lieder der Benediktbeurer Handschrift,
Zweisprachige Ausgabe (dtv weltliteratur, Duenndruck-Ausgabe 2063), Muenchen 1979
Benedikt Konrad Vollmann (hrsg.), Carmina Burana (Bibliothek des Mittelalters Bd. 13), Frankfurt a.M., 1987


記事および画像の無断転載・転用を禁じます。

 『葡萄畑のある風景』トップへ

  『Yutaka's ドイツワイン紀行』へ