なぜ神経症になるのか


         ところが、私たち神経質者の場合は当たり前にいかないところがあるために、
       いろいろと面倒なことが発生するのであります。というのは、もともと不安は不快
       な感情ですから好ましいものではありません。そこで神経質者は、先に「感情の
       法則」のところでも述べましたように、その不快感が自然に消えるまで待つこと
       ができず、早くなくそうと「はからう」ことになるのですが、それと同時に、持ち前
       の完全欲と自己中心的で功利主義的な考えから、最小の努力で最大の成果を
       得ようとして、「幸せになるためには不快感をなくせばいい」という短絡的な発想
       をするようになって、できることなら「不安を感じないで欲求を実現したい」という、
       虫のいい考え方をするようになるのです。

        ここのところに神経質者の根本的な間違いがある、と言わざるを得ないのです
       が、さらにそのうえに、神経質の人はどういうわけかとくに面倒なことが嫌いで、
       見かけ上単純で楽な「かくあるべし」という生き方を好む傾向があるために、そ
       ういう自分の間違った態度を当然のことのように思い込ませる「誤った認識」を
       もっているのが普通です。その認識は、先に「神経質の後天的な性格特徴」の
       ところで述べたように、現実を無視したきわめて自分に都合のいいものになっ
       ています。

        たとえば、「不安を感じをなくそうとしている」人は、「感情は意志の力でコント
       ロールできる」という「誤った認識」をもっているものです。あるいは、それは「感
       情を意志の力でコントロールしたい」という願望であるかも知れませんが、両者
       は一体になって働いているように思われます。それに「観念的理想主義」とか「
       幼弱性」が加わってきますと、あたかもそれが当然のことのように「不安を異物
       視」する方向に進むことになります。理知的で真面目で完全欲の強い者ほど、
       そういう方向に進みやすいのであります。

        このように、私たちが本当に求めているものは「真に建設的なもの」すなわち
       「欲求実現サイクル」の推進であるはずなのに、それをそうさせないで、私たち
       を「不安を異物視」する方向に進めてしまうものは何かというと、先ほど述べた
       「不安を感じないで欲求を実現しようとする」私たちのわがままな態度であり、
       それを正当化しているところの「症因」、すなわち「誤った認識・観念的理想主
       義・幼弱性」等であると言うことができます。こういうものがなかったなら、私た
       ちは「欲求実現サイクル」から外れることはなかったと思うのです。

        その「症因」が不安を否定し、それを邪魔者扱いし、除去することを正当化し
       いるのであって、「症因」が「不安除去欲求」を作りだしていると言ってもいいと
       思います。そのために、不安だけを目の仇にして「この不安さえなければわが
       人生はバラ色だ」と思うようになるのです。とんでもないことです。欲求実現の
       ためなくてはならない不安を抹殺しようとするのですから、けっしていいはずは
       ありません。

        ところが、その「症因」を作りだしたのは、ほかでもない自分自身なんですか
       ら、これもまた因果なものです。私たちは自分で原因を作りだし、自分で苦し
       んでいるのです。ですから、その点をはっきり自覚する必要があります。
       私たちの「認識」は、自分の過去の経験やものの考え方、知識などによって
       作られたものです。また「観念的理想主義」は、完全欲を基盤にして作られた
       ものですし、「幼弱性」は、主として経験不足によるものだと思います。いずれ
       にしてもここでは、神経質の性格特徴である、欲求が強く、自己内省的で、心
       配性で、ものごとに執着しやすいという性格が大きく影響していることを否定す
       ることはできません。

        「誤った認識」が神経症をつくる

        では、「症因」の中心となっている「誤った認識」とはいかなるものでしょうか。
       それを一口でいうと、「事実に基づかない認識」「自分勝手に作りあげた認識」
       ということができます。そうなった原因には、幼少時からの教育や周囲の影響
       が大きいと思いますが、その最大なるものは「感情」に対する認識の誤りでは
       ないかと思います。
        「感情は意志の力でコントロールできる、できないのは努力が足りないからだ
       」という考えが、神経症の人にはあると思います。とくに「感情の法則」を知らな
       い人には、その傾向が強いと思われます。私たちは永い間、そういった「誤っ
       た認識」に支配されてきたところがあります。

        その「誤った認識」が、すなわち「感情を思うように変えようとする理知的なは
       からい」が、すべての神経症の発生原因になっていると私は考えています。認
       識というものは、私たちの意志的な努力方向を決定づける重要な役割をもっ
       いますから、そうなるのが当然です。「森田」ではこれを「思想の矛盾」と言って
       問題にしていますが、これらの「事実に基づかない誤った認識」の例を挙げれ
       ば次のようなものが考えられます。

        ? 「感情は意志の力で変えることができる」と思っている人は、不快な感じを
        なくそうと努力するようになります。
        ? 「素質は意志の力で変えることができる」と思っている人は、素質を変えよ
        うと努力するようになります。
        ? 「ものごとにくよくよしてはいけない」と思っている人は、くよくよすることを苦
        にするようになります。

        ? 「心配したり、気を遣いすぎてはいけない」と思っている人は、心配すること
        を苦にするようになります。
        ? 「気分は常に爽快でなければならない」と思っている人は、不快感を苦に
        するようになります。
        ? 「常に100%の安全を求め、不安があってはならない」と思っている人は、
        不安があるのを苦にするようになります。

        ? 「どんな人の前でも緊張することなく、平静でなければならない」と思ってい
        る人は、緊張することや震えることを苦にするようになります。
        ? 「人前で恥をかいてはいけない」と思っている人は、恥をかくことを苦にす
        るようになります。
        ? 「失敗してはならない」と思っている人は、失敗することを苦にするようにな
        ります。

        ? 「他のことを忘れて一事に集中しなければならない」と思っている人は、雑
        念のあるのを苦にするようになります。
        ? 「体調は常によく、違和感があってはならない」と思っている人は、身体的
        な違和感を苦にするようになります。
        ? 「夜はぐっすり熟睡しなければならない」と思っている人は、不眠を苦にす
        るようになります。

        ? 「赤面は恥ずべきことである」と思っている人は、赤面を苦にするようにな
        ります。
        ? 「人の目を見つめて話をしなければならない」と思っている人は、視線にこ
        だわるようになります。
        ? 「不快な感じがあってはならない」と思っている人は、不完全なことを苦に
        するようになります。


        このほかにもまだ、いろいろな「かくあるべし」という誤った認識をもっている人
       がいると思いますが、数え上げればきりがありません。私たちはみな大なり小な
       り、こういった「かくあるべし」という誤った認識をもっているのではないでしょうか
       。先に「神経質の後天的な性格特徴」のところで述べたように、これらはみな「事
       実に基づかない誤った認識」になっているということができます。

        こういうものが私たちを誤った方向に、あたかもそれが当然のことであるかのよ
       うに、現実を無視して駆り立てていくのであります。向上欲が強ければ強いほど、
       真面目であればあるほど、その方向に進む度合いを高めます。ですから学習
       によって、自分がどういう「誤った認識」をもっているか、ということに気づくことが
       必要になるわけです。「誤った認識」は、気づくだけでもかなり効果がありますが、
       それをなくしていくためには、体験的に納得する必要があります。そのためにも「
       気づく」ことが不可欠であり、気づかなければ改革は起きないのであります。


        「観念的理想主義」も神経症の原因

        次に「観念的理想主義」ですが、これは前記の「誤った認識」を作りだす大元
       になっている精神的傾向のことです。観念的というのは「現実から離れて抽象
       的・空想的に考える」ことですから、これを要約しますと、観念的理想主義とは「
       空想的な理想像の実現を最優先させること」だということになります。神経質の
       人は、完全欲が強いために、誰しもそういった観念的理想像をもっていると思
       います。「事実を基盤にして進む」ことよりも、「理想を求めていく」ことのほうを
       優先させてしまうことが、事実に基づかない「誤った認識」をもつようになる大き
       な原因であると思います。

        また、この場合に無視することのできないのが、私たちをとりまく世間の「か
       くあるべし」という類の常識です。一般に常識というものは、途中の経過を省い
       て結論だけを示しているものが多いように思います。たとえば、「人生は小さな
       事にくよくよせず、おおらかに生きるべきだ」などとよく言われますが、どうした
       ら、そうなることができるのかは教えてくれないのが普通です。ですから、それ
       がわからない人には、それはほとんど役に立たないのです。それはむしろ、
       ストレートに結果を求めることになって、観念的理想主義を助長することになり
       良くないのであります。

        私たちは小さいときから、そういう「かくあるべし」という常識の影響をまわりの
       人を介して強く受けているので、そういう点についてもそれらの常識の正体を
       見極め、それを打破していく必要があります。
        さらにまた私どもは、森田理論を勉強していく過程においても、無意識のうち
       に理論を「かくあるべし」の形にして、それを取り込んでいるケースがありますの
       で、くれぐれも注意しなければなりません。

        「幼弱性」も神経症の原因
 
        次に、「幼弱性」についてですが、これは、主として体験不足が元になって生
       じているものだと思います。それを具体的に申しますと、自己中心的でわがま
       まであるとか、依頼心が強くて甘えがあるとか、こらえ性が足りないとかいうこと
       です。こういうものは無意識のうちに「不快感」を避ける方向に働きますから、
       不安を邪魔もの扱いする原因になります。

        「不安を異物視する」ことの誤り

        こうして、一度「不安を異物視」するようになりますと、何とかしてそれをなくそ
       うとするものです。ましてや「感情は意志の力でコントロールできる」という誤っ
       た認識がそれに加わりますと、意志的にも強く不安をなくそうとするようになり
       ます。

        ところが、不安は必要があって自然に発生している感情ですから、意志の力
       でこれをなくすことはできません。そこで、不安と意志との限りない戦い、すな
       わち「葛藤」が発生するのであります。そうなると注意が不安に集中して、不安
       を一層強く意識することになり、意識すればするほどますます注意が不安に集
       中するという悪循環(精神交互作用)により、不安に対する注意の固着が発生
       します。
        こうして、不安に「とらわれ」た心ができあがります。そうなると不安が四六時中
       頭から離れなくなって、もはやそれは認識とか意志的努力では、どうすることも
       できないものになるのです。

        ここで、心の「とらわれ」を作りだすもう一つの心的態度につい述べておきます。
       というのは、先ほどは不安を取り除こうとすること、すなわち不安を攻撃し不安と
       戦うことによって「とらわれ」が発生すると言いましたが、それとは逆に不安から逃
       げることによっても「とらわれ」が発生するということです。

        実際には、不安を取り除こうとするけれども、取り除くことができない。そこで今
       度は、不安から逃げようとするわけですが、それはちょうど、視野の中に入るある
       特定のものを見ないようにするのとよく似ています。(この点は前章と重複します
       が)、私たちがそのものを「見ない」ようにすれば、注意は逆にそのものに注がれ
       ます。さらに進んで「見てはならない」ということになれば、注意はますますその点
       に集中し、「絶対に見てはならない」ということになれば、注意はそこに釘付けに
       なってしまいます。こうして注意の固着、すなわち「心のとらわれ」が発生すること
       になります。

        このように、不安と戦うことも不安から逃げることも、ともに不安に対する「とらわ
       れ」を作りだすことになります。戦ってもいけないし、逃げてもいけないのなら、
       何もしないのが一番良いということになりますが、もともとそれが嫌なために始め
       た「はからい」ですから、簡単に不安と共存することができないのです。そこに
       私たちの悩みがあるわけです。


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