4.どうして神経症になるのか


      神経症の原因をどう捉えるかということは、これを克服していく方法
     と密接に関係するので、大変重要なことです。今までの章でも断片的に
     触れてきましたが、その点を具体的に説明するのがこの章の目的です。
     しかし、理解は学習によって得られますが、解決は実行によってのみ得
     られるものです。その点を誤解しないようにしていただきたいと思いま
     す。いろんな解説書があるなかで、森田先生の書かれたものが一番わか
     りやすいように思いますので、それを元にして、以下に「どうして神経
     症になるのか」について述べてみたいと思います。

      
森田先生の見解

      森田正馬全集の第3巻「神経質の概念」で森田先生は、次のように述
     べています。
      『およそ病の起こる条件は、素質と機会と病因とが揃わなければ起こ
     らない。たとえばコレラ菌の病因があっても、体質が良ければペッテン
     コーフェル[という人]のようにこれに罹らない。また機会というのはバ
     イ菌に接触するとか、胃腸の弱い時とかいう事情をいうのである。[中略]

           病 = 素質 × 機会 × 病因

      神経質[症]の場合、素質は「ヒポコンドリー」性基調である。[ヒポ
     コンドリー性基調というのは、あれこれと物事を細かく気にする性質の
     ことです]。機会とは、前にあげたような、何かにつけてその病覚を気
     にするようになった事情である。病因は、これを詳しく調べると、頭痛・
     消化不良・身体衰弱とか、または実際の病症でなしに、寝過ぎて頭が重
     いとか、ものを気にして心部の不快感とか、鼻の先が見えて気になると
     か、大勢の人前に出れば硬くなるとか、当然あり得べき生理的、心理的
     の事を、自分勝手に病気と考えて、これに執着し神経質症状を発展させ
     るものである。[中略]、ただ最も重きを置くべきは、そのヒポコンドリ
     ー」性基調であって、これがなければ神経質[症]は起こらないのである
     。』([]内は著者補筆)

      これを私なりに、「不安」というものを中心にまとめてみますと、次
     のようになります。(「不安」のところを自分の「症状」に置き替えれ
     ば皆同じになります。)

     神経症発生の条件    神経質素質 × きっかけ × 症因 = 症状

      これを図示すれば次のようになります。


     図ー1

   




    
神経質素質

      私たちの日常生活は、何はともあれ「必要なことをする」ことが先決
     です。また、そうしなければ生きられないのが現実です。その「必要な
     こと」を大雑把に分ければ、「やらねばならないこと」と「やりたいこ
     と」と「どちらでもないこと」の三つになると思います。そして、現実
     の生活は「やらねばならないこと」や「やりたいこと」を中心にして動
     いていると言っていいでしょう。そういう必要性に、どう対応していく
     かということは、私たちにとってとても重要なことです。それは同時に、
     「どう生きるか」という生き方の問題でもあります。その生き方の基盤
     になっているのが「素質」とか「性格」というものです。その点につい
     ては「神経質の人の性格特徴」のところを参照ください。

      そこで、素質と性格の違いについてですが、素質というのは生まれつ
     きのものであり、私たちが遺伝的に受け継いでいるものです。それを核
     にして、その後の習い性がプラスされて「性格」というものができあが
     っていると考えられています。したがって、性格のなかには変えること
     のできない素質の部分と、変えることのできる習慣の部分があるわけで
     すが、通常は両者を一緒にして「性格」といっています。

      神経質者の主な性格特徴としては、完全欲があること、自己内省的で
     あること、心配性であること、執着性があること、などがあげられます
     が、何ごとも完全に成し遂げたいという強い欲求をもっている神経質者
     は、必要なことを完全に理想的にやろうとする傾向がありますので、そ
     れを実際に実行する場面においては、常に強い不安を伴うのが普通です。
     現実には、それに諸特徴がからんできますので、いろいろ複雑な展開を
     することになります。

     きっかけ

      神経症になるきっかけは、日常生活の中にいくらでも存在するので、
     いつどこで遭遇するか予測することはできません。
      たとえば、友だちと遊んでいるときに「赤面」したことを指摘された
     のがきっかけで「赤面」を苦にするようになったとか、体調の悪いとき
     に、ふと「不安」を感じたのがきっかけで、「不安」を苦にするように
     なったとか、何の前ぶれもなく急に不安になったのがきっかけで、「不
     安」を苦にするようになったとか、胃の不快感に襲われたのがきっかけ
     で、胃の不快感を苦にするようになったとか、人前で緊張して恥をかい
     たのがきっかけで、緊張することを苦にするようになったとか、その他
     いろいろなケースが考えられますが、このようなことはみんな心理的・
     生理的な自然現象ですから、意識的に避けることのできないものであっ
     て、すべて運命として受け入れるしか仕方のないものです。

      ただ、そのようなことを苦にするようになるには、そのような「不快
     感」があってはならないという「誤った認識」があるのが普通ですが、
     それについてはのちほど説明いたします。

     不安の発生

      不安というのは、欲求が満たされないかも知れないと予測されるとき
     に発生する不快な感情です。ですから「不安を作りだしているものは欲
     求である」ということができます。しかし、欲求は心の奥にあってはっ
     きり意識されない場合が多いために、私たちはつい勘違いして、不安だ
     けが単独に現れているように思いがちです。ですから、日頃から自己洞
     察を深めて、不安の裏にある欲求を自覚するように訓練する必要があり
     ます。この点については「2.なぜ不安が発生するのか」のところを参
     照ください。

      無意識のうちに自分を動かす力になっている「欲求」は、自然に発生
     してくる意欲として「感じとる」ものです。そして、日常生活のなかの
     具体的な問題の処理を通じて、その欲求を満たしていく必要があります。
     そういう欲求実現活動には、なぜか常に「困難な状況」が付随していて、
     実際にはそれ相応の努力をしなければ欲求を実現することができないよ
     うになっています。したがって、その状況が困難であればあるほど、不
     安もまた大きくなるわけです。このように、強い欲求と困難な状況が初
     体験の場合はとくにそうですが、不安の発生原因であることがわかりま
     す。

      それと同時に、一方ではそういう不安があるおかげで「事前の準備」を
     しますから、困難な状況を克服して、欲求を実現することができるという
     事情があるわけです。このように不安という感情は、事前の準備をするた
     めになくてはならない大切なものです。

      人は普通、不安がなければ事前の準備はしないものです。実際には、不
     安を少なくするようにできるだけの準備をして事に当たることになります
     が、そういう意味で、不安という感情は不快なものではあっても、実際に
     欲求を実現するためになくてはならない大切なものであると言えます。不
     安という感情の有用性は、このほかにもあると思いますが、このように不
     安という感情はけっして無駄なものではないわけです。

      ただ、ここで確認しておきたいのは、神経質の人は感受性が豊かなため
     に、不安をことさら強く意識する傾向があるということです。もともと「
     強い欲求」すなわち完全欲があるために、人一倍大きい不安をもっている
     のに、さらに感受性の豊かさが加わって、不安感を一層増幅させていると
     ころがあります。

      私たちは、そういう事実を素直に認めなければなりません。そして、仮
     にそういうことがあっても、それは異常でも何でもないということを知る
     必要があります。つまり、自分は「そういう感じ方をする人間なんだ」と、
     その事実を認めることが大切です。そして肝心なのは、その不安感を欲求
     実現のための準備とか対策にできるだけ活用していくことです。

      もちろん、能力の限界というものはありますが、先ほど述べましたよう
     に、不安は必要があって自然に発生しているものですから無駄なものでは
     ありません。同時にまた、不安という感情を意志の力でコントロールする
     ことはできませんので、そういうときはその意味するところをよく考えて、
     そのときになすべき準備とか対策などをびくびくしながらでも実行してい
     けば、結果的に事態は欲求実現の方向に進み、不安もその場かぎりのもの
     として流れ去り、まったく問題が起きないのであります。

   
   予期不安

      ところが一度強い不安を体験しますと、またあの嫌な不安に襲われるの
     ではあるまいかと心配するようになります。神経質の人は心配性ですから、
     とくにその傾向が強く現れます。このように、現実に起きないことを起き
     るにちがいないと思い込んだり、あるいは、起きるかも知れないと思って
     心配することを「予期不安」をもつといいます。これは、正常な人なら誰
     でももつ心配ですから、そのこと自体は異常でも何でもありません。そん
     なときは、予期不安が起きるままに不安・心配して、できるかぎりの準備
     をしたうえで、事に当たればよいのであります。つまり前項の場合と同様
     に、「人事を尽くして天命を待つ」態度で、現実にぶつかっていけばいい
     のであります。

      ところが、神経質の人はそのとき持ち前の心配性から、不安や恐怖で
     身体がふるえたり、発汗したり、緊張のため倒れそうになったり、今に
     も死ぬのではないかと心配したり、いろんな心身症状を起こすことがあ
     ります。が、しかし、それは不安や恐怖を感じたときの心理的・生理的
     な自然現象ですから、それによって実際に身体的異常事態が発生するこ
     とはないのであります。

      したがって、いくら苦しくてもそこから逃げることなく、そのときの
     感情の事実に服従し、すべてを成り行きに任せて、目的本位にそのとき
     の「勤め」や「なすべきこと」を果たしていかねばなりません。そうや
     っていると「感情の法則」によって、やがて不安も流れ去り、神経症に
     なることもなく、結果的に日々の生活が欲求実現に向かって進むことに
     なりますから、まったく問題が起きないのであります。

      ここでとくに述べておきたいのは、「不安を取り出して他人と比較す
     ることはできない」ということです。ですから、「自分だけがどうして
     こんなに苦しまねばならないのか」という考えは、事実に基づかない勝
     手な判断だということになります。人はみな、他人には言えない「独自 
     の悩み」をもっているものです。ただ、それを「口に出すか、出さない
     か」だけの違いであります。
      それらは、私たちが口に出さずに過ごしていれば、いつの間にか自然
     に忘れてしまう性質のものですが、口に出していると、いつまでも意識
     化されて忘れることができないようになります。

      ともあれ私たちは、人がどうであろうと、自分としては今現在の事実
     に基づいて生活するしか仕方がないわけですから、どうやりくりしたと
     ころで最終的には、今直面している問題にどう対処するか、ということ
     から逃げることはできません。
      問題は、自分自身がその場から逃げるか、それとも逃げないでやって
     いくか、ただそれだけのことです。

      ここまでのことは、日常誰もが経験する、ごく当たり前のことです。
     すなわち、図―1で太線で示したように、強い欲求と困難な状況から不
     安が発生し、つづいて予期不安をもつようになり、そこで不安をそのま
     ま忍受し、欲求実現のためにできるだけの準備をして、実行へと進んで
     いけばまったく問題はないのであります。

      その過程で起きてくる不安・恐怖などの不快感や、いろんな心身症状
     は、苦しくてもそのまま成り行きに任せておけば、自然に治まりがつい
     ていく性質のものですから、このサイクルを繰り返し実行していけば、
     私たちの生活はますます建設的に発展していくことになり、たとえ苦労
     はしても神経症になることはないのであります。



         

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