C あるがままになるには  


       つぎに、森田理論を勉強していると、必ずといっていいほど「あるがま
      まになりたいけれどもなれない」「事実を素直に受け入れたいけれども
      受け入れることができない」という問題にぶつかります。この場合は、「
      あるがまま」になれば良いということがわかったから「あるがまま」になり
      たい、事実を素直に受け入れれば良いということがわかったから「受け
      入れたい」、という気持ちが強く働いていると思います。

       そのようになったのも、学習によって自分の生き方の誤りを自覚でき
      たおかげであり、それはそれなりに一つの進歩であって、順序としてそ
      うなるのが当然です。したがって、私たちとしては自然に「あるがままに
      なろう」「事実を素直に受け入れよう」と努力するようになります。何はと
      もあれその方向に努力して、今の苦境から脱出するために精進せざる
      を得ないからであります。

       ところがなぜかここで、その当然のことが通用しない現実にぶつかる
      のであります。というのは、「あるがまま」になりたいから「あるがまま」に
      なろうと努力すると、現実にはそうすればするほど「あるがまま」になれ
      ないのです。
       同様に、事実を素直に「受け入れよう」と努力すればするほど受け
      入れることができないのです。

       それはたんに求めているものが得られないばかりでなく、求めているも
      のとは反対のもの、即ち受け入れようとしているものとの対立を強めると
      いう皮肉な結果になるのであります。これは実に不合理なことなんです
      が、実際にそうなってしまうのでしかたがありません。

       なぜそう言うことになるのかというと、「意識して自然現象を作りだそうと
      する」からそうなってしまうのです。それは不眠症の人が、意識して自然
      現象である睡眠状態を作りだそうとして、「眠ろう」と努力すればするほど、
      頭が冴えてくるのと同じです。「あるがまま」も一つの自然現象ですから、
      意識してそれを作りだそうとすればするほど、受け入れようとしている対
      象との対立を強めてしまうことになるのです。

       そういう窮地に追い詰められますと、少なくとも自分の努力によってそれ
      を解決することは不可能だと観念せざるを得ないのですが、一方では現
      在が苦しいものですから止むを得ず現状の改善を執拗に求めざるを得ず
      、不本意ながらも受け入れようとする対象(すなわち不快感)との対立をま
      すます強めていくことになるのであります。

       なぜそのような不合理なことが起こるのかというと、そのときの心理は、「
      受け入れようとする心」が邪魔になって受け入れることができない状態に
      なっているのであります。したがって本当に「受け入れた状態」になるため
      には、「受け入れようとする心」をなくさなければならない。つまり、受け入
      れる対象を前にして私たちは「無心」にならねばならないのであります。
       とらわれている者に対して、とらわれを捨てて「無心」になれと言っても、
      私たち凡人には簡単にできることではありません。むしろそれは不可能
      なことであります。

       そこで「森田」では、さしあたって注意の転換を図り、「受け入れようとす
      る心」をできるだけ少なくしていこうとするのであります。そのために、心の
      中に鋭い対立をもったまま、それとはまったく関係のない別の目的をもっ
      た行動を起こすこと、すなわち何か仕事をすることを勧めるのであります。

       どうしてそれが好結果をもたらすのかというと、行動したり仕事をすれば、
      どうしてもそのことに注意が向けられます。100パーセント向かなくても、い
      くらかでも注意の転換が図れます。するとその分だけ、「受け入れようとす
      る心」がなくなって、対立したものを受け入れた状態になるのであります。
      そのときは注意が対立したものを離れていますから、それを意識すること
      はできませんが、その時点で私たちは、少なくともその分だけ「無心」の状
      態になっているわけです。じっと不快感と対峙しているよりも、体を動かし
      ているほうが楽なのはそのためです。

       そうして、仕事に打ち込めば打ち込むほど、ますます私たちは症状を受
      け入れて「あるがまま」の状態になることができるのであります。そういう苦
      行を繰り返し体験していますと、いつのまにか前向きに行動する癖がつい
      てきて、自然に不快感を受け入れて、それを問題にしない人間になって
      いくのであります。

       以上のことを要約しますと、「心の中のことはすべて自然の成り行きに任
      せて、日常生活を充実させるために日々努力すればよい」ということになり
      ますが、実際には〈不快感の問題視〉→〈森田理論の学習〉→〈不快感の
      受け入れ努力〉→〈不快感との対立の強化〉→〈不快感に対立したまま仕
      事をして〉→〈結果的に不快感を受け入れる〉という経過をたどるのであり
      ます。

       そのなかで私たちが最も意志的に努力しなければならないのは、言うま
      でもなく「森田理論の学習」と「不快感に対立したまま仕事をする」ことの二
      点です。「森田理論の学習」は、集談会や学習会での学習とか図書によ
      る自習によっても実行可能ですから、それほどむずかしいことではありま
      せんが、「不快感に対立したまま仕事をする」ことは、簡単にできそうで実
      際はなかなかむずかしいものです。それができるようになれば言うことは
      ないのであります。

       以上が、長谷川元会長が言われた、『不安のまま、やるべきことをやると
      きに初めて「あるがまま」が実現される』ということの内容であります。