C−2 「誤った行動」   
  

       次に「誤った行動」についてですが、一般に行動というものは、実際の必
     要性によって生まれてくるものです。その場合、そのものに関する認識もま
     た事実に基づいたものになっていなければなりません。 すべてのものが事
     実に基づいていれば、基本的に問題はないわけです。 私たちが何かする
     場合には、そのものに対する認識とか判断とかが先行して、それによって行
     動を起こすのが普通です。 したがって、そのときにそれをどう認識し判断す
     るかによって行動が決まってくるわけです。 その判断の元になっているの
     が、そのものに対する認識です。 したがって、認識の仕方によって行動の
     仕方が変わってくることになりますから、誤った認識から誤った行動が生ま
     れてきても不思議ではありません。 「感情は意志の力で変えることができる」
     という認識を持っている人は、意志の力によって感情を変えようと努力します
     。 また「気分は常にすっきりしていなくてはならない」という認識をもっている
     人は、いつもすっきりした気分になろうと努力します。 そうしないではいられ
     ないのが人間です。 こういった行動は理にかなったものであり、欲求を満
     たそうとする前向きな努力として正しいように思うのですが、客観的に見れば
     誤った行動になっているわけです。なぜかというと、その元になっいる認識
     が誤っているからです。

       私はそういった、誤った認識から発生するすべての行動を「誤った行動」
     と考えていますが、ここでもう一度全体を客観的に眺めてみますと、この場合
     の認識も判断もみな事実に基づかない「かくあるべし」という理屈が元になっ
     て発生しているものです。 そういう理屈に基づいて行動を起こすこと自体に
     問題があると、森田先生は指摘しているのであって、この場合、誤った認識
     をなくせば判断もなくなり、残るのは事実に基づいた「感じ」だけになりますか
     ら、その「感じ」に従って事実本位に行動を起こせばいいと言っているのだと
     思います。こうして「誤った認識」がなくなれば「誤った行動」もなくなります。
     そこのところを間違わないようにする必要があります。


     

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