感情の法則3

      
   次に、第3の法則について考えてみますと、これも感情が消失する場合
        の法則であって、どんな感情でも「感情は、同一の感覚に慣れるに従っ
        てにぶくなり不感となる」というものです。

       私たちは第1の法則によって、感情はそのまま放任すれば、自然に消
        失していくものであることを知りましたが、現実には好むと好まざるとにか
        かわらず、刺激の継続や執着によって同一の感情が永く続いて困ること
        が多いものです。そういうときに私たちを救ってくれるのがこの法則です。

       たとえば、大勢の人の前で話をするとき、初めのうちは緊張して落ちつ
        かないけれども、そのまま話を続けていると次第にその雰囲気に慣れて
        きて、話題に注意が向くようになります。また、私たちの社会生活は不安
        なことが多く、とくに新しいことを始める場合には不安はつきものですから
        、不安のあるのが当り前と考えて、いやなことでもしんぼうして続けていけ
        ば、初めに感じたほどの不安感や嫌な感じはなくなってくるものです。

       このように「同一の感覚に慣れて不感となる」のは、注意そのものが「意
        識的注意の状態」から「無意識的注意の状態」になるからであって、その
        結果、一つのことに注意を集中していると、いつの間にかそのものを意
        識しなくなるのであります。苦痛の中にひたりきっていると苦痛感がなく
        なり、辛い辛いと思って過ごしていると、いつの間にか辛いことを意識し
        なくなってくるのです。

       このように、そのものと一体になってしまえば、たとえば「山の中に入って
        しまえば、山の姿を見ることができなくなる」ように、あるいは「喉にかかっ
        ているタンは汚いと思わない」ように、それを批判することができなくなりま
        すから、違和感が消えてしまうのです。

       これは快の感覚についても同様で、いつも喜びの感覚に接していると、
        それを喜びと感じなくなりますし、楽が続くと楽と感じなくなるのであります。
        裕福な人が必ずしも幸せ感をもたないのはそのためです。

       このように、不快感に徹すれば不快感が消え、快感に徹すれば快感が
        消えてしまいますので、そのときの感じにあまりこだわっても意味がない
        のであります。

         結局、苦しいときは苦しいまま、嬉しいときは嬉しいまま、そのとき、その
        ときの「感じ」をじっくり味わって生きてゆくのが一番良いということになります。

         そして現実は喜怒哀楽が適当に混ざり合っているおかげで、私たちは退
        屈しないで生きていられるのだと思います。

       また、森田理論でいう「なりきる」という体験を通して、神経症の「とらわれ」
        から抜け出すことができるのも、この法則のおかげですが、その辺のことに
        ついての私見を少し述べておきます。

       たとえば、「苦しみ」に遭遇した場合についていうと、そのとき私たちはま
        ず真っ先に、その「苦しみ」から逃れようとするはずです。苦しい状況から「
        逃れたい」と思うのは、自衛的な逃避欲求だと思いますので、人情として
        当然なことです。また一方では、これを打算的に考えて、こんな苦しい状
        態が続いたのでは、自分の向上発展のために良くないとして、一日も早く
        こういう状態から逃れたいと思うようになります。

       こうして私たちは、苦しいという事実と、逃れたいという欲求と、逃げられ
        ないという現実の間の悪循環のなかで悩むことになりますが、どんなに苦
        しんでも、もうこれでいいということはなく、いつまでたっても「この苦しみか
        ら逃れたい」という気持ちはなかなかなくならないものです。したがつて、
        神経症でとらわれている人の基本的な態度は、「苦しいから逃げる」もの
        になっていると思われます。

       これに対して森田理論では、そのときの事実に素直に従う態度として「苦
        しいから苦しむ」ことを求めていきます。なぜかというと、神経症を克服する
        ためには、逃避欲求に従って逃げるのは好ましくないと考えているからで
        す。また、「苦しいから逃げる」というのは、比べて迷う相対の世界の態度
        だと言えますし、「苦しいから苦しむ」というのは、比べない絶対の世界の
        態度だと言えます。そして「なりきる」という状態になるには、後者の態度を
        とった場合のほうが、早いということができます。

       とえば、夜寝るときの体の姿勢について申しますと、神経質の人は「一番
        楽な姿勢で寝なさい」と言われると楽な姿勢を求めて、一定の姿勢になる
        までに時間がかかるものです。はじめは真っ直ぐ上を向いて寝ていても、
        そのうち嫌になって、右側を下にしてみたり、あるいは左側を下にしてみた
        りして、なかなか落ち着かないものです。何回も同じことを繰り返すうちに、
        やがて飽きてきて、いつの間にか眠ってしまうというのが普通だと思います
        が、極端な場合には、楽な姿勢を求め続けて朝まで眠れなかったというケ
        ースもあるわけです。

       これに対して、初めから一定の姿勢をとって、苦しくてもできるだけそれを
        変えないで、たとえ眠れなくても体を横にしているだけでいいんだと覚悟し
        ていると、いつの間にか苦しいという感じになりきって、意外に早く眠ってし
        まうものです。これは体験してみるとよくわかるのですが、前者が「苦しいか
        ら逃げる」態度であり、後者が「苦しいから苦しむ」態度であると言うことが
        できます。

         このように「なりきる」という体験は、そう難しいものではなく、私たちの日常
        生活のなかでいつでも経験することのできるものです。

       ところが、前述のように神経症でとらわれている人は、すでに苦しみから
        逃げていますし、それが癖になつていますので、なかなか素直に苦しむ態
        度になれないで、どこまでも苦しみから逃げようとするのが普通です。この
        場合、逃げ場があるかぎり逃げるのを止めることはできないのですが、や
        がて立場や境遇上から、逃げるに逃げられない状況に追いつめられて、
        往生せざるを得ないようになるものです。

       それは、症状のあるまま、やるべきことをやっていれば、自然にそうなって
        くるものですが、こうして私たちは、最終的にはやはり「やむを得ず苦しむ」
        態度になり、恐怖に突入して、苦しみに「なりきる」体験を通して神経症が
        解決されていくわけです。このように、はじめから素直に苦しむ態度になれ
        ない人が、仕方なく苦しむ態度になるには、かなり時間がかかることになり
        ますが、これは仕方のないことです。

       いずれにしても、「なりきった状態」というのは、心の中を単一の感情で支
        配されてしまった状態だということができます。神経症の場合、それはたい
        てい「絶望状態」になることが多いのですが、前記の「苦しみ」の場合につい
        て申しますと、「苦しい」感じで心の中を染めてしまった状態だということがで
        きます。

         現実には、それはとてもつらいことなんですが、やむを得ずそういう状態を
        維持していますと、「感情の法則」によって、やがて意識的注意の状態から
        無意識的注意の状態になり、「苦しい」という感じがなくなって、感じの執着
        から解放されていきます。

       これは体験の世界のできごとですから、理論的にいくら追求しても得られ
        るものではありませんが、そういう状態に早くなるために、森田理論は前記
        の「寝るときの姿勢」のように、そのときの事実に素直に従って、「苦しいか
        ら苦しむ」態度になること、すなわち「恐怖突入」することを勧めているので
        あります。

         私は今でもよく頭重と頭痛感に襲われますが、そんなときにはできるだけ、
        その「感じ」に意識を集中させるようにしています。そうして行動しています
        と、いつの間にかその感じがなくなっていきます。

       このように、「苦しいから逃げる」態度をとっても、「苦しいから苦しむ」態度
        をとっても、最終的にはいずれも「苦しみになりきる」体験を通して、神経症
        が解決されていくわけですが、「苦しいから苦しむ」態度をとったほうが、早
        く「なりきった状態」になることができるということです。

       よく考えてみますと、私たちが「苦しみ」を問題にするようになったのも自然
        のなりゆきですし、「苦しみになりきって」それを解決するのもまた自然のな
        りゆきだと思います。これらは、環境の影響はあったにしても、誰から強制さ
        れたものでもなく、みな自分でそうしているわけですから、それは、「苦しみ」
        を問題にするようになった人の「さだめ」のようなものだと思います。そういう
        意味で、神経症になったということは、一生かかってそれを解決しなければ
        ならない運命を背負わされたと言っていいと思います。神経症になっている
        人は、そのような体験を通して人間的に成長していくことを求めてやまない
        人であると言うことができます。



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