川畑隆子さんの学習コーナー

    
川畑隆子さん・・・昭和61年、「生活の発見会」に入会。札幌初心者懇談会代表。
           好きな言葉「自然に服従し、境遇に柔順なれ」

             
      「なりきること」
      

今回は「なりきる」というテーマでお話しします。

 単に「なりきる」と言いますと、なかなか現実には困難さを伴いますし、そして具体的にはわかりにくい言葉かと思います。
簡単に言いますと、「なりきる」とは不安、恐怖をそのまま受認し、苦痛から逃れるやりくりをしないことです。
苦しみの最中にいる時は自分自身のとらわれ、苦しさにばかり心が向いてしまっていますが、森田を学んでいく内に森田理論のポイントである「建設的なやるべき事から逃げずに行動する」とか「当たり前の事を当たり前に実践する」というような事を繰り返し教えられます。
私自身、対人恐怖でしたが必要なやるべき行動をやらずに逃げるという事を繰り返し、自己嫌悪に陥るという時期がありました。
しかし苦しいままに前向きな行動をするという事を続ける事によって、とらわれから解放されていき、現在のこのままの私で良いという自分自身を肯定できる心境になりました。
その過程の中で「なりきる」という事が私にとって大変、重要なポイントであったと考えています。
 私の場合、「なりきる」という言葉には大きな二つの側面があったように思えます。
一つ目は弱い駄目な自分に「なりきる」。
二つ目は目の前のやるべき事に集中して現在に「なりきる」。
この二つの「なりきる」という体験を通して、私はとらわれから解放されたと思っています。


 一つ目の場合、認めたくない嫌な自分を丸ごと受け入れるという事、
これはかなり辛ものがありました。
現場や周りの人々に対人恐怖で怯える私を知られたくない、またそんな自分自身を認めたくない、そのような事実を受け入れられないという私がいました。
理想の自分と現実の自分とのギャップ、駄目な弱い自分は受け入れ難く嫌なものです。
これは本来の自分ではないという思いがありました。
優越感と劣等感は裏表であり他者との比較によって生まれてきます。
私の例でいいますと同僚は看護士の資格だけだけど私はさらに上の学校に行って、助産師と保健師の資格を努力してとったというプライド、優越感があり、その裏腹に自信のない駄目で弱い自分がいるという劣等感がつきまとうという状況でした。
自分自身、全くもって嫌な女という自己嫌悪の日々でした。
                                        
考えますと、優越感の強いほど劣等感も強くなり、劣等感が強いほど優越感もあるはずです。
優越感がなければ劣等感もない、それがとらわれから解放された時の心の状態だと思います。
大体において、理想の自分と現実の自分とのギャップに悩みの元はあるように思います。

私の場合、仕事柄人前で話す機会が多く、逃げられる場合は何とかもっともらしい理由をつけては逃げていた時期がありましたが、それも限界があります。悩みの極みにいた時、ハッとしました。
こんな駄目な私でも受け入れてくれている職場がある、支えてくれている家族、同僚、上司がいるという事です。今まで自分の内面ばかりに目が向いていた私に、何と有り難い事だったかという気づきと感謝の気持ちが湧き上がってきたのです。
自分の心の中ばかりを問題にして誠に自己中心的な生き方をしてきた訳ですが、この心の変化から大きく自分自身が変わったと考えています。
多くの人々から助けられ生きているという自覚が生まれ他者への感謝、又自分はさておきという気持ちが出てきました。
弱い駄目な自分をそのまま丸ごと受け入れる事によって結果として対人恐怖は薄れていった。
そのような心境に変化していったという事は、私の場合間違いのない事実だと思っています。

森田先生の言葉の中にすべからく往生せよという言葉がありましたが、どうしても往生出来ない時期がありました。こんな情けない自分を認めたくないという頑固な気持ちがじっと私を苦しめ、とらわれから解放を遠ざけていたのだと思います。
しかし、どのように抵抗してもとどのつまり否応なく往生せざるを得なかったのです。
何故なら自分の感情を思い通りに変える事など不可能だったからです。
只、従順に無反抗で自分を投げ出す、もうこのままの私で生きていくより仕方ないと覚悟して弱くなりきった時考え方が明らかに変化していきました。

自然に服従し境遇に柔順なれという言葉通りなんですね。
絶望の海のどん底にまで沈んで、もう自分は駄目になると思ったのが、思いもかけずポッカリ浮き上がって生き返り、以前と違う考え方、生き方が出来るようになったという不思議な体験でした。身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もありという事ですね。
以前と違う考え方とは、このままの自分で良いのだという自己肯定ですし、違う生き方とは他への感謝、何と有り難いという思いが大変強くなったということです。


 二つ目ですが対人恐怖の常として人前で話すのが怖い、こんなに恐怖している自分を知られたくないという気持ちを持ち続けていた訳です。
人前で司会や発表をしなければならない時も予期恐怖で怯え毎日が苦悩の日々でした。

発見会への出席や学習で学んだ事を必死にすがる思いで苦しいままに逃げず行動するのみでした。
そのような場面を繰り返し重ねる内に自分なりに一生懸命やれば良いと言う事に気づかされました。

現在に「なりきる」状態になりますと自分の気分とか人がどう見ているなど意識する暇などなくいつの間にか注意が外の四方に向いているのです。
自分の声が隅々まで聞こえているか、聴いている人の反応や、居眠りしている人はいない、いるとすれば話題を少し変え興味のあるような話題を挿入するなど、状況がよくみえ工夫しながら話が出来るようになっていきました。
自分の心など気にしている時間はなく、その事のみに集中しベストを尽くしている事、全く対人恐怖は影を潜めてしまったのです。
自我を捨てた状態といえると思います。
このような体験を重ねて行く事により、自信もあとからついてきました。
もちろん、今でも緊張感はありますが、これは必要なもので予期恐怖や対人恐怖のとらわれからは解放されました。

思い返しますと、私はなるべくして、神経質症になり、そして治るべくして治った。これは必然だったのだと思います 。 森田理論で色々な真実な言葉の数々によってどんなに心が救われた事か、その時々に心に響いた言葉を書きとめ、心で何度もつぶやきながら苦悩を乗り越えられてきました。あの苦悩は私の人生において必要不可欠であり、何と有り難い体験をさせて頂いた事か、そして本当に森田療法によって私は助けられ、いま現在平穏で心豊かな日々を送らせてもらっている事に感謝の気持ちでいっぱいです。