chapter1 chapter2 chapter3
 
 

オマエ、何とも思わないか?

 今考えてみると、なぜ私が夫と結婚したのか、答えははっきりしていた。母は小さな頃から私を愛さず、「お前は嫌な子だよ」「父親似のお前の顔を見ていると腹がたつ」と私を否定し続けていた。 私は母から愛されたいと一生懸命勉強し、母の賞賛を期待するが「もっとがんばったらもっといい成績だったのに」とそれを認めてはもらえなかった。母との生活が嫌だった。母の口汚い言葉を聞くのがたまらなく嫌だった。この家を出るには、母から離れるには結婚しかないと思っていた。 幼い頃からの貧乏暮らしで、お金のない辛さはいやというだけ体験していたから、安定した職業と経済力は三高のうち、一番優先順位が上だった。だから知人の紹介で夫と会った時も、これが「白馬の王子様」でも「運命の赤い糸の相手」とも思わなかった。もしこれが打算的だと言われ、だから幸せになれないのだと後ろ指を指されるならば、男性が結婚相手を求める時、帰ったら沸いている風呂や清潔な部屋と寝具、朝起きたときに鼻をくすぐる味噌汁の匂いを夢見ているのと、どれ位差があるのかと尋ねたい。

 夫は経済力も名刺を渡しても恥ずかしくない職種についており、結婚相手としては特に欠点はなかったし、誰に対してもとても優しかった。私は猫を被って相手に気に入られようとする気持ちがまるでなかったので、お姫様にでもなったようになんでも好きなことが言えた。ただ一度だけ、どうでもいいことで口論になったことがある。 その時の彼の顔はいつもの温和な表情とはまるで違っており、私はあっけにとられその場を去った。翌日、「悪かった」と彼から電話が入ったが、私はすぐに返事が言えなかった。何かが違う、とは思ったが何が違うのかはわからない。 でも結婚式はもうすぐ目の前に来ていた。スペースシャトル出発の秒読みが始まっているのに、どうして今更「やめた」と言えるだろうか。「これはよくあるマリッジブルー」と思うことにして、小さなシミのついた心をなるべく見ないようにした。

 無事に結婚式も終わり、海外への新婚旅行に出かけた。私は旅行が大好きだったので小金を貯めては何度か海外旅行に行ったことがある。しかし夫は初めてのため、終始私がリードをする旅行4日目頃、夫の様子がおかしくなった。明らかに不機嫌なのである。友達と長い旅行に行くと、疲れから普段なら気にならないことが原因で不和になったりする。「疲れたんだろう」と気遣いつつも、 不機嫌な連れ合いを少々もてあましてもいた。

 私は結婚してからも働くことは夫も了承していたし「私も働いているんだから、家事は手伝ってね」と結婚前に約束していた。「私が料理をつくる日は、あなたが後片付けをしてね」と家事分担の話し合いもしていた。 1日目、夫は皿洗いをした。しかしその日だけだった。翌日、食事が済んでも夫は立ち上がらず、テレビを見ている。「お皿洗って」と言っても、不機嫌そうに知らんふりしている。その不機嫌な様子は、それ以上私が要求するのを決して許そうとしない 断固たるものだった。「私が洗えばいいことなんだ。皿洗いくらい、大したことじゃない」そう自分に言い聞かせて私が洗った。その習慣は19年後の今も続いている。

  約束と言えば、私は「4年に一度は海外旅行」の約束もしていた。しかし、夫は「飛行機恐怖症」だった。新婚旅行は「死ぬ気で乗った最後の飛行機」だったそうだ。夫は約束なんか守る気は最初からサラサラなかったのである。 もちろん私も長い間生きているわけだから、結婚前の約束なんて全部守られるとは思っていない。でも毎日が3日に一度、4年に1回が10年に1回になる程度だと思っていた。 私を手に入れるため、夫は守る気もない約束を次々としたのである。

 結婚前、夫は私に「俺は親父のようにはならない」とよく言っていた。と言ってどういうことがあったかというような具体的な話は何もしない。「ただ親父のようにはならない」をきっぱり言う。私の小さい頃の話をすると、それは自然に父が自律神経を病み、酒乱になって暴れまわる、 という話になる。私はそこから私を理解して欲しかった。私の性格の原点はそこから始まるのだから。しかし、夫は話を聞こうともせず「俺は親の悪口を言うやつは嫌いだ」とそっぽを向いた。私たちはいまだにお互いの過去を知らない。 どこで生まれ、どこでどう育ったか、学校時代の友人の話、なんにも知らない。そして夫は「親父のようにはならない。ふたりで助け合って生きていこう」と言った。 よもや結婚後「オマエはおれと同等だと思うなよ」などどいうセリフを聞かされるとは夢にも思わなかった。

 結婚して2週間目頃、突然夫が口をきかなくなった。不機嫌そうにテレビを見たり、新聞を読んだりしている。私も最初は「どうしたの?」と話かけたりご機嫌をとったりしていたが、 一向に直らない。不機嫌なまま朝起き、一言も言わずに家を出、また一言も言わずに寝る。そんな日が3日続いた。食事の後片付けをしていると、いきなり後ろから声がかかった。
「オマエ、なんとも思わないのか?」

なんとも思わないのか、といきなり言われても何のことだかわからない。
「え?」
「なんとも思わないかと聞いているんだ!」私はうろたえた。

なんだろう?なんだろう?なぜ怒っているんだろう。

「オマエ、俺の親父になんて言った?」
「は?」
数日前、新婚旅行のお土産を置きに夫の実家へ行き、酒好きの義父には洋酒を置いてきた。その時私は「これ、日本で買うとすごく高いんだけど、海外だからとっても安く買えたんですよ」と渡していた。
「オマエ、俺の親に恩を売る気か!」
新婚2週間目、夫の不機嫌の原因はこれだった。 私が何気なく使った言葉がここまで人を激怒させるのか。それほど私がしたことは大変なことだったのかと、夫に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
私は言動を注意することを約束した。そしてそれからこの「なんとも思わないか?」は私を責める時に使う キーワードになったのである。

 結婚1ヶ月目、給料日がやってきた。夫が私に給料を手渡し、私がやりくりするんだワ、と心密かに思っていた。ずっと貧乏だったから、やりくりは慣れている。 お金を貯める術も、増やす術も心得ていた。 「お給料は?」 手を出すと、肩をそらして夫は言った。
「なんで金を稼いでいるオマエに、金を渡さなければいけないんだ」
 夫の言い分はこうだった。家賃も光熱水費も自分が払っている。だから残りの部分は私が出すべきだ。
確かに光熱水費も家賃も夫が払っていた。でも家賃と言っても古いアパートだったので普通の相場の半額程度。 夫の住宅手当で充分カバーできる金額だった。電話が嫌いだから電話代はほんの少し。光熱水費は全部基本料金だった。 「俺が家計を預かるからオマエ、給料を全部よこせ」今度は夫が手を出した。

 私は子供の頃、自分のこらえきれない感情を酒に費やす父のため、家はとことん貧乏だったから小遣いなるものはなかった。 学用品など必要なお金をもらおうと母に言うと、必ず母は般若のような顔になって「金食い虫!」と怒鳴った。 「金食い虫」も「ごくつぶし」と言われるのはもう沢山だった。 そして父は私と口論になるといつも「誰のおかげでメシが食えると思ってんだ!」と怒鳴った。 だから私は母に小遣いをもらわなくてもいいように早くからアルバイトをし、自分の使うお金は自分で稼いできた。 私が結婚後も勤めをやめようと思わなかったのは、この言葉を二度と聞きたくなかったからである。

 夫の今までの言動をみると、生活するのに十分なお金をもらえるとは到底思えなかった。 きっとぎりぎりのお金を渡され、その中でできなければ小言をつかれると容易に想像できたから、私はお金を夫に渡すことを断固拒んだ。 そしてそれは今現在も続いている。私は夫からお金をもらえるのは盆暮れの準備のためにともらう1万円だけである。 ボーナス時には「貯金してやるから全部出せ」と言われた。これは死守せねばと思い、渡さなかったところ、とたんに口をきかなくなった。 しかたなくボーナスを渡すと「必要なときは言えよ」と持って行った。 しかしその後、「○○が欲しいのから、お金、出して」と言うと、「そんなものいらん!」と怒鳴られた。 私は私が住む部屋と光熱水費を年2回、夫に渡していることにした。そう思うことで諦めることしか、私には方法がなかった。


トップページ   このサイトのご案内   モラル・ハラスメントとは   相談機関の紹介と推薦図書
   盟友たちが集う広場です   管理人のコラム   チャット板   家庭板と職場板がある掲示板です   リンクのページです  


1 1 1