9月8日 放送  
   
青は、遠い、遙かな色。空の青も、夜の青も、手に取ることが出来ないからです。ウルトラメール・フォンセ。ブルー・アズール。ブルー・ド・プルス。ブルー・ド・コバルト。青は、彼岸の色。天上の色。人は、その青に近づこうと、幾つもの色を創り出して来ました。20世紀初めの事。青い色の奇跡を起こした画家がいました。二十歳の若者です。名は、パブロ・ピカソ。パリのマレー地区は、貴族の館が立ち並ぶ古い町。その館の一つが、美術館になっています。ピカソ美術館
ピカソは、1973年に亡くなりました。莫大な遺産を残された遺族は、相続税の代わりに彼の作品をフランス政府に納めました。ピカソの生涯に渡る作品3500点。それがここに収められているのです。その中に今日の一枚。パブロ・ピカソ作「青の時代の自画像」。この絵を見ていると奇妙な感覚に襲われます。見ている筈なのに見られている。その二つの眼差しに。削げ落ちた頬と眼窩が青の影を落としています。漆黒の闇のような外套に包まれて浮かび上がる孤独の肖像。海よりも深い青の中で。パブロ・ピカソ、二十歳の自画像。
パリから遠く離れたスペイン・バルセロナ。この街にもう一つのピカソ美術館。ここでは、天才の誕生の足跡を辿ることが出来ます。15歳で描いた『科学と慈愛』。そして、二十歳の『青の時代』。
ピカソが、初めてパリに向かったのは、19歳の誕生日を迎える直前の事。その時、同行した画家がいます。カルロス・カサヘマスという若者。この親友が、ピカソを青の時代へと導いていったのです。自らの死をもって。パリで何が起きたのか?この青の世界には、若きピカソの激しい青春の日々が秘められています。
パブロ・ピカソは、十代で自画像を描き始めた画家です。完璧な筆さばきで見つめた自信と野心に満ち溢れた顔。その彼が、大人の入口に立った時。突然、青の世界に魅入られていくのです。亡霊のように。19世紀の最後の秋。パリに着いたピカソと友人のカサヘマスはその足でモンマルトルを目指しました。19世紀の末から20世紀にかけて、モンマルトルはボヘミアンの楽園でした。ヨーロッパ中から集まった貧しい芸術家たちが身を寄せ合うように生きていたのです。
ピカソが最初に暮らしたアパート。二人は、知り合いの画家のアトリエに転がりこんだのです。そして、パリの町を歩き回りました。毎日、美術館と画廊を巡り続けたのです。今、どんな画家が活躍しているのか?どんな絵を描いているのか?その黒い眼差しに、焼き付けていったのです。気に入った画家の一人が、トゥールーズ・ロートレック。夜のパリの華やかな喧噪。ロートレックは、パリの香りそのものです。ピカソは、はやりのスタイルを一瞬のうちに自分のものにしてしまいます。19歳のピカソが見た、パリの享楽。
ピカソが、パリで受けた印象は衝撃的なものでした。大都会の熱気に煽られるように意欲的に創作を始めたのです。しかし、他の画家から刺激や触発を受けても、影響されるということはありませんでした。いつも、自分のスタイルを持っていました。それは青の時代、バラ色の時代、キュビズムと一貫しています。最初にピカソが道を開き、後から大勢の画家がついていく。その頃には、彼の興味は別の所に向かっている。そういう資質は、若い頃から持っていました。
重いスペインの空気から解放されたピカソは、パリの風を全身に満たし、新しい作品を描いていきました。しかし最初のパリ滞在は、2ヶ月で終わってしまいます。カサヘマスの精神状態がおかしくなってしまったのです。ジェルメーヌという女性との恋愛問題が原因でした。マラガは、ピカソの生まれた町です。ピカソは、親友の気分を変えるには、アンダルシアの強烈な太陽が必要だと考えました。しかし、カサヘマスの気分は一向にすぐれませんでした。塞ぎこんでしまった彼は、パリに戻ってしまったのです。ピカソの20世紀は、悲しい報せで幕を開けます。カサヘマスが、命を断ったのです。
ピカソが、再びパリにやって来たのは、その年の6月の事。カサヘマスが借りていたクリシー通りのアトリエで暮らし始めたのです。ピカソは、取りつかれたように絵を描き始めます。彼の死を、反芻するように。そして、青い色に魅せられていくのです。ピカソが描いたあの世とこの世。友人の召され行く魂を。果たせなかった願いを。青い絵の具で染め上げたのです。二十歳の無名の画家は、どん底の貧しさの中で、アトリエにこもりました。闇の中、青い情熱を迸らせて。そして、思いがけない行動を取るのです。ピカソは、カサヘマスの恋人ジェルメーヌをその手で抱いたのです。親友が死を賭けて愛した女と。罪悪の奈落の底で。親友の生と死を自分の体に宿すように。
青ざめた孤独が亡霊のように佇んでいます。人生の深淵を見てしまったような二つの眼差し。絶望、後悔、背徳。青春の彼岸へ向かうパブロ・ピカソ、戦慄の青。
その年の冬、ピカソはバルセロナに戻りました。そして、青の世界を深めていきます。バルセロナの町の底で出会った貧しい人々の姿を描き始めたのです。青のイコンを描くように。本当に見えるとは、どういうことなのか?自分の眼を問い続けながら。青い闇の中で。出口を探して。しかし、その青の世界の中に新しい時代への胎動を宿していたのです。そう、その唇にも。
来る日も来る日も、ピカソは、青い絵を描き続けました。その歳月は3年に及びました。ところがある時を境に、フッとその姿を変えたのです。1903年、一つの作品に取り組んでいました。『ラ・ビィ』と題された絵です。人生と訳す人も、命と訳す人もいます。青の時代、最後の大作。身を寄せ合う男と女は、親友カサヘマスと恋人のジェルメーヌです。二人の前に赤ん坊を抱いた母親が立っています。そして、コラージュされた「苦悩する人々」『ラ・ビィ』の制作に、ピカソは長い時間をかけました。構図が決まるまで、幾度も描き直したからです。
当初男は、ピカソ自身。二人の前に立っていたのは、懸命に何かを説得している父親らしき人物。しかし男は、カサヘマスに。父親は、赤ん坊を抱いた母親へと変更されたのです。恋人と共に死の世界に旅立とうとする男。その眼の前には、母親に抱かれた生まれたばかりの自分。親友の生と死を結晶させるのにピカソは、3年の歳月を必要としたのです。
そして、再びのパリ。モンマルトルに舞い戻ったピカソは、「洗濯船」と呼ばれたアパートで暮らし始めます。青い闇の中で悶え続けた貧しい若い画家は、成功と魂の救いを求めていました。 ピカソは一人の女と出会います。フェルナンド・オリビィエ。ピカソの最初の愛人。彼女との暮らしの中で、ピカソの絵は静かに変わっていくのです。青く血の気を失った体に、赤味がさしていくように。パリのピカソ美術館には、もう一枚の自画像があります。25歳のピカソ、鮮やかなる変貌。青の時代からの脱出。
青は、遠い、遙かな色です。手に取ることが出来ない天上の色。しかし、二十歳の画家は、発見したのです。3年という歳月をかけて、友人の死の淵を覗いたその涯に。魂の色は、青であると。人間の苦悩と孤独の色だと。20世紀の初め、一人の天才が登場しました。夜よりも、海の底よりも、暗い青を携えて。漆黒の闇の外套を身に纏い二つの眼差しを世界に向けて。唇から漏れた挨拶の言葉は、「芸術は、悲しみと苦悩から生まれる」。「青の時代の自画像」ピカソの青春、戦慄の一枚。
 
「青の時代の自画像」所蔵先:ピカソ美術館