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核武装論関連記事一覧

本稿では、ウェブで検索できた記事の中から朱斑羽がとくに注目すべきと思ったものの一部を引用する。 ざっと一読して、日本の核武装論議の状況を理解して欲しい。
【項目】
「核の抑止力」を直視せよ!(西村真吾)
再燃している日本の核武装をめぐる議論について(防衛庁防衛研究所)
日本核武装論(東大オタク学講座・対談)
日本の核武装考察(時事問題喧々諤諤)
日本国核武装への決断(中西輝政)
小賢しき卑怯者たちについて(兵頭二十八)


「核の抑止力」を直視せよ!

衆議院議員 西村真吾

 先日、弁護士法違反で逮捕された西村真吾衆院議員であるが、議員辞職をしない旨の発表を行なった。 このような不祥事で、辞めるのは簡単だが有権者に託された議席を勝手に投げ出すことはできないという考えのようだ。 西村氏のように純粋に「公」のことを考え、私欲を捨てて挺身する議員は稀有である。 私は西村氏の選挙区(堺市)とはなんのゆかりもないが、一日も早く同議員が汚名を払拭して活躍されるよう願っている。
 ここに引用するのは、かつて「核武装発言」で不当に防衛政務次官を罷免された際の記事である。 非常に注目すべき論説であるので、氏の公式サイトから一部引用して紹介する。

自ら省みて直くんば一万人と雖吾行かん!

 私は小渕改造内閣で防衛政務次官に就任した。しかし僅か十六日後の十月二十日、同次官を辞任することになった。今回、私が「国会で核の論議を行おう」と問題提起したのは、この日本国を愛しているからだ。断じて、私利私欲からではない。国防という、国にとっての最重要課題をタブーなしで論議しようというのが,私の真意なのだ.。しかし、マスコミの風潮は,かくの如き騒動においては,人格なき粘土のようにまとわりつき、事実に反することが大報道された。この中にあって私を支えたものは支援者一人一人の励ましと、自ら省みて臆することなしという確信であった。
 戦後において「国防」は無視され、具体的な議論の欠落した領域であった。しかしながら、この領域が破綻すれば国民にいかなる惨害をもたらすかは、阪神大震災がその一端を見せたのだ。したがって、「東京を火の海にする」と声明して、核を保有しようという国家が存在する現在、我々は核からいかにして国家と国民を守るかという重要課題について議論をするべきなのだ。しかしながら、この核問題はタブーであり、国会はこのタブーを恐れて目をつぶってきた。
 今回、私はこのタブーの蓋を開けた。それは国のために必要だと確信したからだ。自ら省みて正しければ何も恐れることはない。私はこれからも何ら怯えることもなく、この道を進んでいく覚悟である。

「核の抑止力」を直視せよ!

 私は、国防を語るときには具体性がなければならないと考える。「わが国はヒロシマ・ナガサキに原爆を投下させた唯一の被爆国である、従って核兵器には反対である」という抽象的な議論ではなく、わが国を再び核被爆国にしてはならないという観点から語るべきではないのか。
 しからば、インド・パキスタンはいかなる動機で核兵器を保有するに至ったのかと言えば、それは明らかに第二のヒロシマ・ナガサキになりたくなかったからである。彼らが核兵器を持つに至ったのは、核兵器を他国を侵略するために使用するのではなく、自国に核兵器を落とさせないためにどうすべきかと、真剣に考えた末の結論であった。こうした両国の真剣な国防への取り組みに対して、わが国は単純に非難することだけでいいのだろうか。わが国は日米安保体制の下、アメリカの核の傘で守られていながら、「第二のヒロシマ・ナガサキになりたくない」として、核の抑止力を保持したインド・パキスタン両国を非難する資格があるのだろうか。
 わが国はもちろん、核を廃絶する方向に進むべきではある。しかし現実には、わが国はアメリカの核の傘に入って、核の抑止力に国の安全を依存している。わが国は唯一の被爆国であり、ヒロシマ・ナガサキに続いて三発目の核が落ちるような事態は断固として防がねばならない。そこで、わが国は現実にはアメリカの核に傘に入り、アメリカの核の抑止力で、国家の安全を確保してきたのである。
 しかし、日本の周辺を見れば、北朝鮮は昨年「東京を火の海にする」との国家声明を出し、隣国である中国は四十数回の核実験を実施している。しかも、中国の中距離弾道ミサイルの照準は日本に当てられていることを忘れてはならない。さらにインド・パキスタンも核を保有するに至ったのである。
 わが国がアメリカの「核の抑止力」によって守られているとするならば、我々は自らを守る核の抑止力というものについて、国会で議論するのは当然のことである。自らを守っている核の抑止力を、見て見ぬふりをするようでは国防は成り立たない。
 核兵器の問題だけではない。例えば、小銃一つとっても、また機関銃一つとっても、同様のことが言える。自らを守る小銃・機関銃を見て見ぬふりをして、訓練すらしなかったらどうなるか。自衛官は一人の国民の命すら守れないということになる。

防衛問題は具体的に語るべし

 国防は抽象的に論じても分からない、極めて具体的に論じなければ理解し難いというのが、私の持論である。私はこうした観点から約二時間に亘って、『週刊プレイボーイ』誌との議論を進めたが、この中で、私が「強姦」という言葉を使ったことは不適切であり、私自身これを深く反省している。しかし、ユーゴスラビア・コソボで起きた「民族浄化」の実態は一体何だったのか?
 国防というものの実態は、攻めてくる敵を撃破し、殺戮し、殲滅するという行為である。国防が破綻すれば、言葉で表現するのもはばかれるような事態が生じる。だからこそ、国防は具体的に論じなければならない。具体的なイメージをもって議論することによって初めて危機意識が芽生えるのだ。国防という具体的な行為を国際法上合法的にできるのが軍隊という存在だ。政府は自衛隊は軍隊ではないと強弁しているが、軍隊以外の主体が敵部隊と対処すれば国際法違反になる。したがって、自衛隊が敵部隊を排除することを命じられたら、自衛官が国際法違反の戦争犯罪人として裁判も受けずに殺されても、わが国は何一つ文句は言えないのである。
 しかるに今回、私が問題提起した中で、その言葉の片言隻語を取り上げて、「女性蔑視発言だ」とマスコミは非難したのだ。だが私は一貫して国防を重要視し、女性を大切に考える体制を作るべきだと言っているのだ。それがなぜ、女性蔑視になるのか。私はこうした観点から、「国軍の創設こそ、政治家としてのライフワークだ」と言い続けてきたが、この信念は微動だにしていない。

「空気」に支配される日本

 今回生じた事態は一体何だったのか。今回の問題提起は、ソクラテスの言う「議論の赴くところ、何処にも行こうではないか」という、言論の領域で処理できる問題であると私は考えた。私の立場は、自分に対する反論には反論をもって応え、同意すべきところには同意し、議論において出された結論に従おうというところだ。しかし今回の事態はこうした言論の領域ではなく、マスコミが私の問題提起そのこと自体を非難し、問題提起そのものを葬り去ろうとしたのである。マスコミの非難に、反論をもって応えることはできない状況だった。マスコミはこぞって、私という一人の人間をターゲットにして非難し、さらに非難を重ねることによって、非難の輪を広げようとしていた。
 今回、私は『週刊プレイボーイ』誌上で、「核武装すべし」あるいは「非核三原則を撤廃せよ」と主張したのではない。「核の抑止力について国会で議論せよ」と問題提起したに過ぎない。もちろん私は、小渕内閣が非核三原則政策を揚げていることは承知していた。私は「非核三原則を撤廃せよ」と主張したのではなく、「核の抑止力」について国会で議論すべしと言ったに過ぎない。実際は、これまでの政府答弁では、わが国も核保有することは憲法上許されるとしてきた経緯がある。
 しかも一方では、民主党の代表に選出された鳩山由紀夫氏が「徴兵制を導入せよ」と主張した。徴兵制は今の憲法解釈では明らかに違憲だ。しかし、マスコミは鳩山発言に対しては何の騒ぎも起こさなかった。
 こうした状況を見ると、まさに山本七平氏の如き知性が再び現れて、『続・空気の研究』を書くべき課題であろうと、私は考える。この「空気」は政治とマスコミの関係に際立って現れる。
 山本七平氏の書いた『空気の研究』は、日本社会が何らかの理由で非常に熱狂的になることがあることを研究した名著である。先の大戦で、戦艦大和は航空機の援護もなく出撃したが、当時の専門家には無謀だということは分かっていた。しかし当時の関係者は、異口同音に「その時の空気では、ああするより仕方なかった」という言葉を使って、当時の状況を振り返ろうとする。日本の現代史は常に、「その場の空気」という怪物によって形成されてきた。山本氏はこうした日本特有の現象を解明しようとしたのだ。
 さて、この「空気」の影響は重大である。私を取材しようとした新聞記者が内閣総理大臣執務室、官房長官執務室のドアの向こうの廊下を埋め尽くした。防衛庁最高幹部の部屋周辺の廊下も同様だった。このため国防行政の一日の停滞をもたらした。仮に私が「あたりまえのことを言って、なぜ、辞任しなければならないのか」と言っていれば、防衛行政は数日間に亘って停滞したに違いない。だからこそ、私は自ら辞任することを決意したのだ。
 防衛庁は危機に対処するための組織である。危機の本質とは、何時どこで何が起こるか分からないということなのである。米国のホワイトハウス、韓国の青瓦台を見るまでもなく、一国の最高指導者の執務室のドアのすぐ向こうに新聞記者が詰めかけるような国は、日本以外にはない。私が辞任に至る数日間、マスコミは山本氏の言う「空気」が支配していた。だから私は辞任を表明した記者会見で、「記者諸君は後になって、あの時なぜ熱に浮かされたように大騒ぎしたのか、その動機と自分の行動を説明できなくなりますよ」と申し上げたのだ。
 今回、私は核問題というタブーの蓋を開けた。
 再度述べるが、それは日本国のために必要だと確信したからである。核問題から眼を背けていては、国家の生存を守ることはできない。今こそ、タブーを打ち破らねばならないと考える。戦前、斎藤隆夫は反軍演説を行った。斎藤は当然のことを言ったのにもかかわらず、当時の議会は結局、賛成多数で斎藤を議員除名にしたという悲しい歴史がある。斎藤を議員除名にまで追い込んだのは、実は朝日新聞に代表されるマスコミであった。この事実を私は改めて強調しておきたい


再燃している日本の核武装をめぐる議論について

防衛庁防衛研究所 小川伸一

 以下に引用するのは、防衛庁防衛研究所に公開さてれいる、研究員による研究報告である。 この文章を読めば、核武装論議に関する論点をよく理解できる。 結論として、日本の核武装が困難かつ不合理であるとしており、 国際条約による核戦争の防止を提案しているが、ここでは日本の核政策に関する 論点整理部分のみを引用する。
 なお、同文書は防衛研究所の公式見解ではないことが明記されている。
 今日、北朝鮮の核開発疑惑の再燃を契機に、再び日本核武装論が目につくようにな ってきている。今日散見される日本の核武装論は、概ね二種類に分けることができる。 1 つは、北朝鮮が核兵器を保有・配備すれば、韓国や日本がドミノ式に核兵器開発に 踏み切るという見方である。2 つ目は、米国の対中政策のカードとしての日本核武装 論である。これは米国の一部の元政府関係者やコラムニストが唱える議論であるが、 その骨子は、日本の核武装を恐れるはずの中国が、北朝鮮の核兵器開発問題に真剣に 取り組まないのであれば、米国は日本の核武装を是認し、支援するというものである。 外交政策のカードとして他国に核武装をさせるといった発想の不遜さもさることなが ら、日本国民に植え付けた広島、長崎のトラウマに一顧だにせずに、米国内でこうし た議論が交わされることには不快感を禁じ得ない。したがって、外交カードとしての 日本核武装論は論外としても、第1 の論点については、検討しておかねばならない。 北朝鮮の核武装が日本の核兵器開発を促すとする議論には、日本に向けられた米国 の核の傘が北朝鮮に対して機能しない反面、日本が保有する独自の核兵器は北朝鮮に 対し抑止機能を発揮するとの前提、あるいは、日本が米国の核の傘に信を置いていな いとの前提がある。これらの前提は正しいのか。まず、米国の核の傘は北朝鮮に対し て機能しないが、日本の核兵器は北朝鮮に対し抑止機能を発揮するとの見方は、具体 的なシナリオとしてあり得ない。米国の核戦力が北朝鮮による対日核攻撃を抑止でき ないケースがあるとすれば、それは、北朝鮮による「最後の一擲」の場合である。具 体的には、朝鮮半島で戦争が勃発して米軍の進攻を招き、政権の生き残りの可能性が なくなったと判断した場合、北朝鮮が残存した核ミサイルを使用することも考えられ るが、こうした「死にゆく者の最後の一擲」は、米国の核戦力は勿論、仮に日本が核 戦力を保有していたとしても、抑止できるものではない。また、北朝鮮の為政者が特 異で非合理的な思想・考え方を持っているために米国の核抑止力が効かないと言うの であれば、日本の核兵器も同様に抑止力とはなり得ない。
 次に、日本が米国の核の傘を信頼していないとの前提であるが、40 年近くに亘って ソ連の核脅威に対抗してきた日米安保体制に鑑みれば、ここにきて急激に日本国民が 米国の核コミットメントに不信感を抱くといった見方は、これもまた非現実的である。 抑止論に立てば、逆に冷戦時代のソ連を対象とした米国の核の傘への不信感を募らせ る可能性の方が高かった。なぜなら、冷戦時代のソ連は、今日の北朝鮮と異なり、報 復核攻撃で米国を壊滅させるに足る核戦力(第二撃力)を保持していたからである。 それでも、冷戦時代、米国の核の傘は機能した。それは、守られる側である日本が 米国の核の傘に不安感を持っていたのと同様、ソ連の為政者もまた米国が対日核コミッ トメントを履行しないと断定し切れなかったからである。換言すれば、ソ連の為政者 は、米国との核の投げ合いが自国の壊滅へとエスカレートする危険があることを承知 していたために、米国による核報復の可能性を完全に否定できない限り、対日核攻撃 を思いとどまらざるを得なかったのである。そして現在においても、日本に対する核 攻撃が米国による核報復を招く可能性は消えていないのである。 このように、米国の核の傘の下にある限り、日本が敢えて核武装を選択する合理的 理由は見当たらないが、日米安保体制が何らかの理由で有名無実化した場合には、日 本の核武装の可否を問われる事態も排除されない。それでは、こうした事態において 日本が核武装に走ることに成算はあるのだろうか。
 日本の核兵器開発は、それが北朝鮮の核兵器を抑止するといった限定的な目的で着 手されても、歴史的経緯から、中国およびロシアに対し核戦力増強のインセンティブ を与え、より明確な形で日本を対象とした核抑止戦略をとることを促す危険が高い。 つまり、日本が北朝鮮を念頭に置いて核武装を決断しても、究極的には中国やロシア と核抑止関係に入ることを前提とする戦略核戦力の整備を余儀なくされるのである。 通常、戦略核戦力は、地上発射の大陸間弾道ミサイル(ICBM )、原子力潜水艦をプ ラットフォームとする潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM )、それに長距離爆撃機などを 運搬手段とする核戦力に三分されるが、日本が置かれた地勢的条件下でこれら三種類 の運搬手段を比較検討するならば、残存性を期待できるのは弾道ミサイル搭載原子力 潜水艦(SSBN )/SLBM 戦力のみと言ってよい。ICBM の残存性を確保するためには、配 備方式を移動式にせざるを得ないが、日本本土は言うにおよばず、周辺の島々を見回 しても、移動式ICBM を展開できるほどの面積を持った島嶼は見あたらない。同様に、 重爆撃機戦力についても、その残存性を確保することはやはり難しい。日本列島は、 南北に細長く、しかも中国やロシアに近接しているため、防御の縦深性に欠けている。 そのため、爆撃機の残存性を確保しようとすれば、一部の爆撃機を常時空中待機させ るなど、コストのかかる配備方式をとらざるを得ない。
 このように、唯一非脆弱な戦略核戦力として日本が期待できるのは、SSBN /SLBM 戦 力であるが、その報復能力が「対都市報復能力」のみで終わる場合、抑止力には不安 が残る。中露の都市に対して核報復の威嚇をかけても、両国が人口の集中している日 本の都市群に対し再報復の威嚇をかけてきた場合、心理的にこれに耐えることができ るか疑問が残るからである。説得力のある抑止力を備えるためには、対都市報復能力 に加え、報復攻撃で相手の抗堪化された戦略核戦力を攻撃し、破壊できる「硬化目標 即時破壊能力」をSLBM に付与しなければならない。この能力を確保しておけば、核エ スカレーションの脅しに対する信憑性が高まり、それだけ抑止力も強化されるからで ある。
 ところが、SLBM に硬化目標即時破壊能力を付与することは容易ではない。今日、SLBM にこのような能力を付与しているのは、トライデントD-5 を保有する米国のみである が、高度な軍事技術を誇る米国でさえ、これには30 年近くの年月を費やしている。ま た、硬化目標即時破壊能力の開発と並行して、核弾頭を攻撃目標に運ぶ「再突入体」 の複数個別誘導(MIRV )化を達成しなければならないが、MIRV 化を達成するには、ミ サイルの飛翔実験を繰り返さなくてはならず、さらに年月を要しよう。SLBM のMIRV 化は必須条件ではないとの見解もあろうが、MIRV 化を断念すれば、極めて多くのSSBN を配備しなければならず、財政上、単弾頭SLBM で戦略的に意味のある戦力を構築しよ うとすることは現実的ではない。
 以上、抑止力の視点から日本の核武装の成否を検討したが、政治的側面ではそれ以 上の課題が待ち受けている。そのうち最も懸念されるのは、周辺国の反応である。日 本の核兵器開発は、その意図がいかに防御的なものであれ、初期の段階から中国、ロ シア、それに韓国(あるいは統一朝鮮)の警戒心と対抗策を呼び起こす危険が高い。 その結果、日本が必要とするSLBM /SSBN 戦力を構築する以前の段階で、日本の安全 が極度に脅かされる事態も想定されよう。核兵器はその能力や残存性如何で核保有国 間の戦争を防止する力を有しているが、日本の場合、戦略的に意味のある核戦力を構 築するまでの過渡期に深刻な脅威にさらされることが想定されるのである。 また、日本の核武装が米国の国益に資するような国際情勢を想定し難いことから、 日本の核兵器開発が米国の反発、対抗手段を招く危険があることも忘れてはならない。
 NPT 体制の堅持・強化を中心とする核拡散防止が米国の重要な政策目標の1 つである こともさることながら、日本が米国の核攻撃を受けた国であることや、日本の核武装 が前述のようにいずれ本格的な戦略核戦力の整備に向かわざるを得ないことなどを考 慮すれば、米国が日本の核武装を容認するとは考えにくいのである。
 また、日本は、米、英、仏、加、豪州、中国の6 カ国と協定を結び、天然ウランや 濃縮ウランを輸入しているが、これらの協定では、輸入した核関連物資の使用を平和 (民生)目的に限定されている。したがって、日本が協定に違反した場合、禁輸措置 に直面することは明らかである。日本の総発電量の約30 %が原子力発電に依存してい ることを考慮すれば、こうした禁輸措置は、高速増殖炉を実用化し、核燃料サイクル を確立しない限り、日本経済に深刻な悪影響を及ぼすことが必定である。


日本核武装について

東大オタク学講座(対談)

 この対談文もウェブで公開されてるものである。以下の引用文は、米国を完全に信頼してはならない とする兵頭二十八氏の立場をよく現している。
 なお、引用部の他では兵頭氏が江藤淳に師事した経緯なども述べられている。
岡田 これまでは旧ソ連が日本の敵だとされていたのが、現在では、じわじわとではあるけどアメリカこそ敵だというお考えなんでしょうか。日本の国防上もっとも脅威なのは、ソ連の北海道侵攻ではなくアメリカだってことなんでしょうか。
兵頭 諸外国の日本に対する危害手段をぜんぶ比較してみたら当然そうなります。日本に届く核ミサイルをいちばんたくさん持っているのはアメリカでしょう。だったら、まずアメリカを仮想敵国とするのはあたりまえじゃないですか。
岡田 なんかどんどん複雑な話になってますけど、その場合、最強の敵から守るべき日本の主体、主権者はなんであるとお考えですか?
兵頭 現在、日本は民主国家ですから、国民一人一人が主権者ですね。あともう一つ、日本国という共同体コミュニティーのキャラクターがあります。
岡田 つまり「日本」という個性や文化ですか。
兵頭 よく日本人には個がない、自我がないという人がいます。しかしそれは程度の差のはずで、弱くなればアメリカ人も個我をひっこめるし、強くなれば日本人も自ずと個我を出します。アメリカにも「敵にできないのなら友達になれ」という現実的な処世訓があります。南北戦争では南部は最後に膝を屈して無条件降伏したでしょう。相手の意志の強さは一戦してみないと分からないところがあって、これだけは予測は不可能です。だから、南部のコミュニティーのキャラクターが脅威にさらされたとき、南軍は北部の意志に挑戦して立った。そして、聖域が奪われ、国家コミュニティーのキャラクターがどうなってももう仕方がないというぐらい、抵抗をし尽くしてから降伏しました。抵抗できるのに抵抗しないと、待っているのはジェノサイドです。だから私は、戦争ではつねに負ける方が悪い、侵略される方が悪いという考えです。昭和一二年に見せたような頑強な抵抗を最初からしていたら、中国は列強の侵略を招かなかった。アヘン戦争や日清戦争であまりにもあっけなく負けた中国人が悪いのです。動物ドキュメンタリーを見てください。健康な獅子は鹿の群の中からもっとも弱い一頭だけに追いつくことができる。が、健康な鹿には追いつけない。そして衰弱した獅子は、もっとも弱い鹿にも追いつけない。群のすべての鹿が例外なく全力を出して生き延びようとしなければ、この健全なバランスは保たれません。走れるのに走らない鹿が一頭でもいると、獅子を含めた生態系全体が不健康になる。だから、まだ財力があって、国家コミュニティーのキャラクターも持つ日本人が、あえて軍隊を持たず、アメリカを仮想敵として最大限の努力をしないとしたら、それ自体で悪です。
岡田 いやもう、熱い演説ありがとうございました。私たち国民は日本という会社の株主みたいなもので、政治家に対して株主の権利を行使することが可能なわけですね。で、その国には仮想敵がいて年がら年中ねらわれているんだけど、そのことに気づいている人はあまりいなくて、尖閣諸島問題とかでなんとなく理解できるという具合であると。外国からの侵攻があるかもしれないけど、大多数は有事の際直接戦えないから、そういう危機に対処できるよう、皆でお金出し合って自衛隊を持とうじゃないかと、こういうことでしょうか。
兵頭 わかりやすい喩えですね(笑)。信じられないことに、軍隊を持たなくてもいいじゃないか、侵略されたらひとりひとりがゲリラになれば、という人がこの立体戦争時代にもいる。
岡田 『週刊金曜日』にはときどきそう書いてありますね(笑)。
兵頭 組織的戦闘力は、個々バラバラの抵抗力の総和を上回ります。たとえば四トンダンプで運ぶような大きな庭石があるとしましょう。二〇人の職人がめいめい勝手に力を加えたって、そんな大きな石が動くものじゃない。しかし、親方のかけ声にあわせて二〇人が同時に一方向に力をこめれば、四トン以上の大岩だって転がってしまう。これが組織戦闘力です。すべての外国が軍隊という組織の力を備えているのに、どうして日本人だけ個々バラバラのままで抵抗が成り立つのですか。
岡田 じゃあ私たちのこの国も、普段は何も危険がないっていうような顔をしているけれど、いざとなったら「俺達も攻め込んでやるでえ! 声出していこ!」という根性があるわけですね。
兵頭 ないわけがない。だって紅白歌「合戦」とか、読売巨人「軍」、女性「陣」、合唱「隊」とか、まるで常在戦場じゃないですか(笑)。これを英語に訳したらどれもすごい表現でしょう。
岡田 僕は大阪人なもんで、戦争も商売に置きかえて考えるとすごく理解しやすくなるんすよ。敵というのは商売仇ですよね。お互いに利益がバッティングして争いが起こるという。たとえば資源問題にしても、国際的に見て北半球の方が穀物資源を独占しているけど、南半球の人たちが飢えているのを見ても平気でいられるから戦争にならないですむと。だけどなにかの原因で対立する可能性もあるから、カネと人を使って危機管理をしておくべきだという感じですね。
兵頭 南北格差はなぜあるか。西側先進国同士にも権力の格差がある。それから、最強のアメリカ合衆国のなかにも、より権力のあるものと貧民とがいます。その理由はすでに説明しました。人口がつねに食糧生産を飽和しようとしている世の中では、だれもが今日一日だけ豊かに暮らすことは可能だが、その全員が同じように明日もまた豊かに暮らすことはできないのです。なぜなら、今日人口が増えた分だけ、明日の一人の権力は減る。それをヒトという動物だけは予測ができる。だから、裕福/貧乏というシステムを国内社会、国際社会の中にビルトインすることで、せめて人口の自律的調節を促さなければならないんですよ。貧乏が戦争を抑制してきた。戦争とは成人同士の殺し合いでしょう。経済競争は、他人の子供の数を制限させることです。だから経済もまた人を殺してるんですよ。子供をね。ただ、経済の子供殺しは目には見えないから、ふだんは戦争よりも経済競争をしていた方が「安全・安価・有利」と思われているだけです。しかしもし人類がもっとお利口さんで、地球総人口を毎年一人ずつでいいから恒常的に減らしていくことができさえしたら、明日の生産力で今日の人口を養うのはじつに簡単だと予測がつきますから、人間の権力競争は消滅します。そうなったら、戦争だけじゃなく、経済競争も起こり得ません。
岡田 で、そういうことがあるために、兵頭先生は「安保やめちまえ論者」として活動なさっているんですが、安保ってやはりやめた方がいいんですか?
兵頭 仮想敵国と同盟できるわけがないでしょう。いや、アメリカが核兵器を全部日本に引き渡して、平和憲法を制定して日本の保護下に入るというなら別ですよ。みなさんはアハハとおっしゃるが、その考えられない大バカをしてるんですぜ、われわれは現に。
岡田 その日米安保を破棄または改正することによって、日本は失われつつある主権を取り戻せるとお考えなんですね。具体的には米軍が日本国内で自由に行動できないよう制限して単なる軍事同盟国として扱い、そして日本も固有で軍隊を持てるようにするべきであると。
兵頭 米軍が日本国内から自由に作戦するのを日本政府には止める力がないとしたら、それは占領とどこがちがうんですか。
岡田 でもしかし、いまの状態で日米安保を廃止したらどんななことがあるんでしょう。
兵頭 じゃあ安保がないんだから君の国はオレが軍事占領してもいいよね、とお濠端の第一生命にアメリカのGHQが復帰して四五年前に逆戻りするだけでしょう。いや、あのビルじゃもう手狭だからアークヒルズあたりかな。ただし自衛隊はいったん解散させられ、「スーパー日本国憲法」が制定されるでしょう。その繰り返しです。日本人が目覚めない限りは。
岡田 いきなりアメリカの軍事的後ろ盾を失うと攻め込まれる可能性も高くなるし、経済などで権利を訴えても「これまではおまえらにも半分の分け前を認めてたが、これからはうちの総取りだ」と脅されて、でも文句が言えないという立場になるんですね。では、どのような段階を踏んで安保改正と国体自立を実現すればいいんでしょうか?
兵頭 核武装です。それも段階を踏んでではなく、一挙に。
岡田 それは、「攻めてきそうな連中はみんな核持ってるからうちも用意しとこう」という低レベルな話ではないですよね。
兵頭 単純にいえばそうなるかもしれませんが、現実問題として、長距離核ミサイルだけが唯一アメリカ、ロシア、中国の権力に直接アプローチできる手段なわけですから。たとえばアメリカという国体にとってはワシントンやニューヨークのような中枢都市が被爆するのも、ナッシュビルやラスベガスみたいな田舎の都市が被爆するのも、痛みとして同じ大きさですからね。
岡田 そういえば『インデペンデンス・デイ』という映画の劇中で人口五〇万人くらいの小都市が吹っ飛んだとき、アメリカ大統領がガクッとする場面があったんですけど、たしかにアメリカ人はそれだけで戦意なくしますね。
兵頭 戦意はなくさないでしょう。ただ、これから起こり得る事態としては大統領はとても受け入れられない。そこが、アメリカに対する抑止力を考えるときに重要です。つまり、この場合の核は攻撃兵器ではなく抑止力ですね。相手を牽制するためのものだから、仮想敵一国当たりに対して二発もあれば足りるでしょう。フランスや中国が一〇〇発単位で所有してるのは、抑止力としての意味だけでなく、報復力としての計算をしているためで、あれを参考にしたらいけません。まあ日本の場合は抑止目的での核装備ですから、米ロ中に対してそれぞれ二発ずつ。合計六発あればいい。ただし、その六発をアラート状態で潜水艦に積んでおくためには、予備も必要になるから最低でも合計一二発の核ミサイルを造る必要がある。ちなみに長射程ミサイルの値段はというと、一発六〇億円。この価格はこの東大の宇宙研究所というところで開発した、ハレー彗星観測用の固体燃料式三段ロケットの価格です。ミサイルに取り付ける核弾頭は量産してしまえば一発一億円で調達可能なんですが、最初のコストもかかるでしょうし、製造数が少ないですから、一発二〇億円が目安でしょう。核搭載用の潜水艦は大型のものを使用するので一隻七〇〇億円くらいです。
岡田 潜水艦が意外と高い。
兵頭 通常動力で、特殊な運動性もいらないので、技術的にはなんてことないからです。さてそれで、潜水艦一隻につき核一発を装備するとして……。
岡田 ええと、ミサイル+核弾頭で一発八〇億。
兵頭 ただし配備前にも実験費用がかかりますし、約三〇発は研究用に必要です。つまり必要なのは潜水艦一二隻、核弾頭一二発、長距離ロケット三〇発。しめて一兆四四〇億円。こんな額で超大国に対する抑止力を手に入れることができるんです。
岡田 その一兆四四〇億円というのは、予算捻出が可能な額なんですか?
兵頭 湾岸戦争のとき、日本は不参加を決め込んだ代償として経済支援を押し付けられたでしょう。そのとき支払った「戦わないための落とし前」が一兆六〇〇〇億円でした。さらに農林水産省関係の補助金が全体でいくらあるかというと、たしか三兆円くらいつけています(会場どよめく)。
岡田 十分お釣りのくる金額ですね。すると核装備と海上自衛隊の兵力アップで……。

引用元


日本の核武装考察

時事問題喧々諤諤

 以下に引用する文章は、仮名でウェブに掲載されているものである。 同文は全体として日本の核武装に慎重な論調になっている。日本人の内面の問題や、 日本が核武装した際に「イラクのように」有志連合から査察や攻撃を受ける可能性まで言及 していることは注目に値しよう。引用部は、すでに日本が隠密に核武装している疑惑について 述べいてる一文である。その真偽は別にして、日本が米国の属国であることの実情を 指摘している点は鋭いといわざるをえない。
 これまでに述べたような外交的桎梏があるがゆえに、日本は常任理事国の黙認 や認可がなければ核武装はできない。また、先に述べたような核拡散の構造が あるがゆえに、核武装している事を「公表」する事も国益にそぐわない。
 だが、日本の自衛隊に米国が黙認して自国の核兵器を貸し与えていたら? ーーあるいは、米国が圧力を加えた結果で、無理矢理に持たされているのかも しれないが。実際にそうだとしたら、日本の指導者は、その事実を国民に公表 する事ができるだろうか。
 魚雷や対艦ミサイルは、通常弾頭型と核弾頭型がある。 しかもこの両者は、表示がなければ、偽装されていれば、外見で分かるもので はない。日本には有力な潜水艦艦隊、そして濃密な対潜哨戒機群があるが、こ れらは魚雷や対艦ミサイルを常備している。これらの装備に核弾頭型が混じっ ていても、素人が見て分かるものではない。(特に哨戒機は、根本的に足が長 く、常に任務で滞空している上に、即応機が常に準備されている。)
 いずれも海上自衛隊に属しているが、海上自衛隊が最も旧軍に近く、もしくは 旧軍の抱えていた闇に最も近い事は最近まで私も感知していなかった。 帝国陸軍にも相当な「情報の抜け穴」や「敗北の為の工作」があったのだが、 旧海軍の行っていたそれは周到で組織的なものだ。臨機応変な航空戦術を採ろ うとした山本長官は暗号が筒抜けで「暗殺」された。
 トラック島空襲の後、海軍は、陸軍の視察団に戦意を疑われる体たらくだった が、一月もしないうちに古賀長官機は行方不明。この時に参謀長は作戦計画書 をフィリピンゲリラに奪われるが、不問に付された。
 南西艦隊司令長官だった高須四郎は、この事件から約一月の間、連合艦隊の指 揮を執った。他の多くの人から非難されているが、現場に近いスラバヤにいて ニューギニア方面で動き出した敵を、持てる戦力で挫こうとした高須長官は、 実は臨機応変に現実に対応していただけだ。 そして、臨機応変に高須長官が機動部隊を指揮しようとした事は、次の大作戦 である「あ号作戦」に悪い影響を与えたとされているが、作戦計画書を奪われ ている以上、読まれ切っている「あ号作戦」などやってはならないものだった のである。
 海軍の「主流派」たちは、このように明白に「負けるための指揮」を執ってい た。大日本帝国の敗北と解体は、裏切り者たちによって支援され、構築されて いた。その結果、日本はペリーに遭った時の姿に戻され、その後も米国の属国 となった。 このために活躍したのが旧海軍の要人たちであり、彼らは戦後、自衛隊の創設 者として海上自衛隊や航空自衛隊に舞い戻っている。
 日本が米国の属国である以上に、自衛隊が米軍の属軍である事によって、日本 の現在の外交政策が左右されているように私には思える。自衛隊が既に核兵器 を持っている、あるいは持たされているなら、日本政府が米政府に一言一句も 反論しないのも道理である。
 その場合、米国側が日本を破滅させるには何をするまでもない。彼らは貸し与 えた核兵器の発射や起爆に必要なコードを変更あるいは停止し「日本は核武装 と地域大国となる野望を捨てていない。これがその証拠だ。」と事実を公表す るだけでよいのである。 ーーこれを基に、米国政府は日本政府をユスリ続ける事ができる。

引用元


日本国核武装への決断

中西輝政(『諸君!』発表論文)

 以下に引用するのは、保守派知識人の中西輝政氏が発表した有名な文章である。中西氏は アメリカが日本を守り続ける状態が去ることも予測し、全体として日本の核武装を推進する立場をとっているが、 日本の核武装に対し米国内でも対立があることを指摘し、安易に米国の戦略に乗せられることの危険を警告している。
 結局のところ、アメリカがいかに世界を奔走し、軍事力を含むその影響力を行使しようとも、核拡散への流れを完全に封じることは出来ないだろう。残念ながら、核の脅威は今後も世界に広がり続けると考えるべきである。
 また、「拡大抑止」、つまり超大国が同盟国の安全を守るために核を用いるという選択は、冷戦構造のような、完全な二局対立の状況の下でしか高いレベルの信憑性を享受することはできない。いまの日本は共産主義陣営に取り込まれる危険に直面しているわけではない。アメリカには、自らリスクをとってまで日本を守る根拠が希薄になっている。
 しかも、先に触れたヨーロッパ人の議論が端的に示すとおり、「拡大抑止」は冷戦構造下ですら、本質的には信憑性の疑わしいものとされ続けたのである。そのことは銘記されるべきである。
 やはり答えは一つしかない。
 核には核を持って応じる以外に有効な手だては見出し難いのである。
 核兵器を使用すれば、確実に自らも同様の報いを受ける。そういう脅威を相手に与え続けない限り、つまり「相互確証破壊」の状況を形作らない限り、本質的に自らの安全を担保することはできない。
 アメリカ以外の全ての核保有国が、必死の思いで核の選択に踏み切った根本的な動機はそこにある。
 もちろん、北朝鮮、中国をはじめとする周辺国の核兵器の脅威に対して、アメリカの「核の傘」が全く無意味である、などと主張するつもりはない。核抑止には「実存抑止」(核の存在、それ自体に一定の抑止効果がある)という考え方がある。
 アメリカは守るかもしれない。守らないかもしれない。今のところ、いずれとも決め難いが、中国の核ミサイル戦力の向上などにより、時間が経つにつれ、後者の蓋然性が高まるという一般的趨勢がある。それが日本の置かれた現実である事を直視しなければならない。
(中略)
 私の考えでは、以下、三つの事態のうち、いずれかひとつでも現実のものとなるならば、日本は核保有宣言することをためらってはならない。
 まず第一に、アメリカの日本防衛に関するコミットメントが明確に揺らいだときである。たとえば、米軍がグアム、ハワイにまで帰っていく気配を見せたとき、「核の傘」があてにならないことは、誰の目にも明らかであろう。そのとき、日本は自ら核抑止力を持つ決断をしなければならない。
 そうなる可能性は意外に間近にある。たとえば、昨年九月十七日の日朝首脳会談の直後、さる高名な朝鮮問題研究家がテレビに出演してこのように喋っていた。「これで年末までに日朝国交は正常化し、年が明ければ数千億単位の金が日本から北朝鮮に流れていきます。そうすれば北朝鮮は改革開放に向かって一気に走り出すでしょう」と。
 彼のいう通りに事態が進展していたら、どうなっていたか。それは1ヶ月後のケリー訪朝によって明らかになった。「数千億単位」の日本の金は、すべて北朝鮮の核兵器開発に投じられていたはずである。
 日本という国は、何と危うい国なのか。総理大臣が訪朝し、反故同然の共同宣言に調印する。それを政府系の評論家が「戦後外交最大の成果」と囃し立て、大金が北の核兵器工場に流れようとしていたのである。
 もし、その資金によって大幅に性能を向上させた北朝鮮の核ミサイルが米西海岸ロサンゼルスをその射程に収めていたら、そのとき日本はアメリカの「核の傘」による反撃を、全く期待できなくなっていた。米国政府にとって、ロス市民三百六十万人の命と、日本人一億二千万人の命とどちらが大切か。答えは明らかであろう。
 アメリカの「核の傘」がまったくその信憑性を失う事態、それはつねに起こりうることなのである。
 日本が核武装宣言すべき第二の事態は、中国の海洋軍事力が本格的に外洋化し、沖縄、尖閣列島周辺に恒常的なプレゼンスを確立するようになることである。中国海軍の航空母艦を備えた外洋艦隊がアジアの海を我が物顔に往来するようになったとき、日本は核兵器を保有して通常兵器における劣勢を補わざるを得ない。
 そして第三の事態は、これはもっとも差し迫った危機といえるが、北朝鮮の核が曖昧なままに見過ごされたときである。形ばかりの核査察で米朝合意が成立し、金正日体制の存続を保証、経済援助再開といった展開にいたるなら、日本は断じてこれを座視してはならない。
 いま、もっとも重要なのは、こうした局面にいたる前に、我々は核保有の実際的側面について、徹底的な議論をしておかねばならないということなのである。戦後長らく、日本の政治、言論は核問題について怠惰でありすぎた。若き日の石原慎太郎氏、防衛政務次官在任中の西村真悟氏のような、勇気ある問題提起もあったが、残念ながら大きな流れを生むにはいたっていない。


小賢しき卑怯者たちについて

兵頭二十八

「兵頭二十八・半公式ファンサイト」に兵頭氏がコラムを連載している。このコラムは事実上、兵頭氏によるブログとなっており、 何より早く時事に対する兵頭氏の解説を読むことができる。他にも氏は『武道通信』のメールマガジンなどでコラムを発表している。
 日本の核武装問題も、これはわたしたちのガッツの問題だけなのです。
 NPTと日米安保とマック憲法とサンフランシスコ講和条約と東京裁判は5枚綴りのセットメニューです。綴りのどれか1枚でも変えようと思ったなら、必ず他の4枚も同時に無効にしなければ話は前に進まないようなスキームができています。
 そしてアメリカはこれまでにもう何度も「日本国憲法の第9条はおかしいから改憲して自衛隊を国軍に昇格させたらどうだ」「日米安全保障条約は片務的だから真の攻守同盟に改めようではないか」「シナや北鮮に対抗するため日本が核武装するのもやむをえない」といったメッセージを発してきていますね。5枚綴りの1枚を変えろと誘っているのです。
 それは何を意味するのかといえば、他の4枚の変更(破棄)も、このさい黙認するよ、と言外に語っているわけですよ。
 さすがに「東京裁判が間違っていた」とはアメリカ合衆国の方から公然と認めてしまうわけには参りますまい。しかしそれも黙認いたしましょうとまで示唆してるんです。そこまでガッツを示せば、NPT脱退もクリアできる。国際慣行は、一国民が示すガッツの後から、ついてきます。
 このあたりが全く読めない人に幼稚なコメント(たとえば「日本の核武装をアメリカが認めるわけがなかろう」云々)を、一応のクオリティマガジンで、書き散らして欲しくはないんですよね。それは外国の情報機関に向け、「日本の知識人にはからきしガッツがありませんっ!」と声を大にして叫んでいるようなモンなんで、国権をすすんで減殺しているに等しい愚行です。
 「アメリカの助けがなくとも日本は核武装してシナと対抗する。北鮮には軍隊を送って同胞を奪還し、外道どもに裁きを下す」と実際の行動を以て示す。これができて、初めて米国の指導層も「やはり日本はイスラエル以上に頼れる」と観察し、核武装を認めるんです。ガッツが無いと、この順番についても分かりますまい。
 だからわたくしは、一方で核武装の話をすると同時に、もう一方では大いに昔の武士の話をし、武術について調べ、そのエトスの再生を期するのです。武士には少なくともガッツはあったからです。
 武士は家を出る前に、「もしも自分が今日、路上で、あるいは職場で、かくかくの最悪事態にとつぜん巻き込まれたら、自分としてはその場でしかじかの行動を選び、ここから先は決して譲るまい」と幾つものシミュレーションを脳内で練り、予め肚を括っていきました。
 変事が突発したとき、他人はどうあれ、自分だけはどうするのか、咄嗟に迷ってとりかえしのつかない失態を見せ、後悔せぬように、すっかり決めていた。特に、敵がどうしても我が主権を傷つけんとするのであれば、こっちから刀を抜くと決めていた。その結果、自分が死ぬようなことになっても、仕方がないと。どこまで我慢し、どこからは我慢してはならないか、平生によく考えていたのです。
 だから維新政府の外交には、致命的な誤りはありませんでした。あきらかに侵略的だった清国やロシア帝国に対する開戦も、正しいタイミングを逸しませんでした。
 自分の領民がX家に誘拐され、人質になっている。これはそのX家が自分に戦争を仕掛けたのと同じことですね。ただちに警告を発し、武器を持って押しかけなければなりません。維新政府ならばとっくに平壌に自衛隊を送り込んでいるはずでしょう。
 このあたりまえのガッツがないから、「6カ国協議」とは名ばかりの「米支2カ国ヤミ協議」に、日本は馬鹿面をさげて延々とつき合わされていくのです。

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