ジルジャン・ビンテージ・シンバルの蒐集
皆さんも、若かりし貧乏学生の頃、欲しくても買えなかった物ってあるでしょう。
私は学生時代にバンドをやってましたが、明るく澄んだ音色のZildjianには特別な想いがありました。
当時一枚4万から5万するジルジャンシンバルはとっても購入できる品物ではなく、自分にとって遠くから眺めるだけの憧れの物だったんです。
大学卒業後は全く音楽から離れ、自分がドラマーだった事すら忘れていたのですが、40年の眠から覚めさせられ、再び、初恋のジルジャンシンバルを求める旅が始まりました。

 

Zildjian社の歴史のお勉強


ドラマーに限らず、バンドやってる人なら誰でも知っているシンバルメーカーのジルジャン。
そもそも、Zildjianとはアルメニア語で、"Zil"とはシンバルやベルの意味 "dj"はメーカーとか職人の意味 "ian"は継承者とか家本の意味で、シンバル製造本舗と言う事になる。

さて、Zildjianの創始者アベデス(AVEDS)は1596年に生まれ。彼の父親はオスマントルコ(旧トルト帝国)お抱えの錬金術士として仕えていました。彼も又、皇帝に金属工として仕えていたのです。
1618年、ついにアベティスは皇帝よりシンバル製造を公式に認可されました。彼の作るシンバルは当時では考えられない薄さで強度のあるシンバルだったので、皇帝から正式な認可と”Zildjian”の性を授けられました。即ち、トルコ皇室御用達シンバル職人と言う意味の名前と製造許可を授かったのです。
ジルジャン家では、代々直系の長男にシンバル製造技術の秘伝を継承する事を家の掟として引き継がれていきました。


1618年から1865年の間の資料がないので判りませんが。
初代ハルーチェンには2人の息子がおりました、長男がアベディス二世、そして次男がカローペといいアベディス二世が秘伝継承者となりカローペが手伝っておりました。
1865年にアベディス二世が亡くなった時、長男ハルーチュンとアラムの二人の息子がいました、しかし2人とも幼少だった為、アベティス二世の弟カローペがシンバル製造技術の秘伝を一時的に継承し、K.Zildjian_Cieの名で、トルコ(コンスタンチノープル)でシンバルを製造し、1909年にカローペは亡くなります。
次の正統な後継者であるアベティス二世の長男ハルーチュンはシンバル製造業をキライお役人になって生涯を終えたそうですが、息子アベディス三世を残しました。
アベディス三世は、父親がシンバル製造継承者にならず、カローペが秘伝継承者となったので自分には継承の権利が無いと思いアメリカに渡り、お菓子の製造メーカーとして事業を行ったそうです。
さて、カローペには継ぐべき男子がおらず、秘伝はカローペの兄の息子達に譲る事になりますが、長男はお役人ですから、次男アラムにシンバル製造技術の秘伝を継承しました、アラムはブカレストでA.Zildjian_Cieの名でシンバルを作ります。
この時、カローペには娘婿がおりコンスタンチノープルでシンバルの製造は続けられており、アラムはブカレストとコンスタンチノープルの2つの工場の面倒を見ていたとの事で、コンスタンチノープルの工場で生産されたシンバルはK.Zildjian、ブカレストで生産されたシンバルはA.Zildjianとなりました。

さてアラムも高齢となり次の後継者を決めなくてはなりません、しかし、アラムには継承すべき息子がいなかったようです。
そこで、1929年、アラムはアメリカに渡り兄ハルーチュンの長男アベディス三世をくどき、シンバル製造の秘伝を伝授して、アベディス三世にその総てを託したのです。
そして、新天地アメリカでトルコシンバルの製造メーカー、AVEDS Zildjian社がアベディス三世によって誕生したのです。
アベディス三世は1979年に亡くなり長男アーマンドが会社を引き継ぎ、現在はアーマンドの長女クレイギーが最高経営責任者となっています。
代々直系の長男にシンバル製造技術の秘伝を継承する事を家の掟、としてたんですが、男子が生まれなければ仕方ないですね。
しかし、代々親族に経営を委ねる親族会社としては世界で5番目に数えられるんだそうです。

   アベディス2世の父ハルーチェン1世後のジルジャン家の男系家系図
         

本来正当なジルジャンシンバルはカローペが作成した1909年までのK・ジルジャンとその後アラムが作成したA.Zildjian_CieそしてアメリカのA.Zildjian_Coとなります、1910年から1978年までのK.Zildjianは正当なジルジャン家のシンバルではない事になりますが、数百年続いた伝統技術を守り作られたシンバルです。
アメリカのA・ジルジャンは正統なジルジャンの名を継ぐ会社ではありますが、製造技術はアラムからたった1年間の指導により引き継がれ、その後はアベディス三世の工夫により伝統的なトルコシンバルとは違う新たなシンバルへと発展してゆきます。
1978年以前のKジルジャンをオールドKと呼びアメリカのAジルジャンとは全く異なったシンバルです。


AVEDS Zildjian社


      アラムから指導を受けるアベディス3世
            


1929年から始まったアベディス・ジルジャン・シンバルにその時代の音楽スタイルや時代背景やシンバル製造技術の違いから微妙に音色も変わり非常に興味深いですよ。
アベディス三世がアラムからシンバル製造の秘伝を伝授されたと言っても、たった1年間の修行で終ってしまいました。従って当時のトルコ製のシンバルとは明らかに違った音色で発展していきます。
例えば、溶鉱炉に使われる石炭や冷却用の海水や原料の銅やスズなどの産地もアラムは指定したようですが、アラムが帰国した後にアベディスは全部変更し、製造技術もアベディスなりに改良に取り組んだようです。
この当時のシンバルはまだ完全に手作り、一枚一枚違った個性を持ち、作成した者がシンバル・カップの裏にサインをするのが一般的でした。
アベティス三世は元々ビジネスマンで技術者タイプではなかったので、早くからシンバル製造の近代化に取り組み均一な製品を作成する様努力したようすが、カップ裏のサインにも現れており手書きではなくスタンプを用いており、1940年前半頃まで続けらたようです。


30年代
 サインではなくスタンプです       


  1930年から1940中期の刻印       

A・ジルジャンの30年代初期物はヘビーウエイトの物ですが、30年代前期からそれまでのシンバルとは違う新しいシンバルを生産し始めます。
厚さや、サイズなど様々な製品を世に送り出しました、現在のドラムセットの基となったのもこの時代のアベディス.ジルジャンの功績です、ハイハット・シンバルを発明生産し、またスウィッシュ・シンバルやシズルなどもアベディスが発明したんですよ。
特に非常に薄いシンバルを作りペーパーシンと呼び、これがアメリカのジャズ・ミュージシャン達に支持されました。
当時のジャズのビートはスネアー・ドラムとかウッドブロックとか中国製の木魚を使っていました、ま、手元にある物なら何でも叩いたんですね。カウベルは今でも使用します。
ラテン。アメリカンのリズムには、その辺にある物なら何でも叩いて音楽を楽しんだんです。そんな時代にハイハットのあのチッチッチッチッってビート音聴いたら誰でも欲しくなっちゃいますよね。
この当時の音色はヘビーウエイトの物はチンチンした響きがあり、同年代のコンスタンチノープルとは違い、歯切れの良い音で、今でも十分通用する音です、どこかカナダKに似た響きがあります。
ペーパーシンは正にオールド・ジャズそのもの!強く叩けばバシャンバシャンとチャイナみたいな音ですが、ソフトに叩けば、バーボン片手にタバコの煙、鉱石ラジオから流れるレトロな響きです。キャーカッコイー!
ま、早い話、短いサスティーンにどこまでもダークな貧乏くさい音なんです、まブルースやるならこのシンバルがピッタリって感じですね。
今のシンバルでは決して出せない本当に貴重なシンバルです。
この当時の刻印の特徴はZILDJIANのIが短い事とトレードマークの模様が違います、トレードマークの下に点が3つありますが40年以降は点2つにバー2つになっています、それとトレードマーク左上のWみたいな文字にバーが2つですが、40年以降は離れた点2つになってます。
ZILDJIAN_Coの文字の長さは1.9Cmと非常に小さいですよ。年代を知る上でマークの大きさは大変に重要な手掛かりになりますから覚えてください。
トレドマークのIの字が短いのはこの時代の刻印の特徴としてコレクターの常識なんです。私は現在この刻印のシンバルは8枚ほど収集してますが、1枚だけIの文字が長い刻印の物を所有しています。

   Iが長い30年代の刻印     

現在調査中ですが、不明です。僕の個人的な推測では、おそらく最初は刻印のIの文字は長かった!途中でIの部分が欠けてしまい、欠けたその型を使い続けていたのではと思いますが、真相はどうなんでしょうね、わかりません、最近オークションで何枚かこのIの文字が長い30年代のシンバルを見ましたので判型は混在していたのかも知れません。
この当時には16インチから18インチのライドと12インチのハイハットが主流だったようです。
この刻印は40年代後半まで用いられました。



ZILCO

         ZILCO刻印        ZILCOハンマー痕 

この時代はまだアベディス・ジルジャン社の名前はメジャーではなく単なるアメリカ国内のシンバル会社としか認知されていなかったのでしょう、ZILCOブランドでも販売されました、ZILCOと言えば70年代のカナダ製のZILCOと思っておりましたが、実は30年から40年代にもアベディスジルジャンで生産されていたようです。
上のシンバルのハンマー痕からもハンドハンマーによる生産だと判断できると思います、70年代のZILCOとの見分け方は刻印によって判断できます、ZILCOの下にConstantinopleと刻印されている物が30年から40年代にアベディスにより生産されたZILCOだそうです。

Alejian
また30年代から60年の中期頃まで、スリンガーランドを通じてアレジャン「Alejian」というブランド名のシンバルも生産しています。


       Alejianの刻印          Alejianのハンマー痕

ZENJIAN
他にもZENJIANブランドでも生産していました、ZENJIANの刻印はイタリのアブランド名だと思っていたのですが、LEEDY DRUMS 向けにZILDJIANが1930年代にOEM生産したそうです、ZENJIANはその後UFIPによって生産が継続されたそうです、LEEDY DRUMSは1950年代にスリンガーランドに買収されてしまいました、ですからZENIJIANの1930年代物はジルジャンのシンバルだそうです。


        





今でこそ世界のシンバルメーカーであるジルジャン社も創業当時はトルコ製シンバルの前では単なるトルコシンバルを真似た安物のシンバル程度にしか市場では扱われなかったんでしょうね。
正統なジルジャン継承者であってもシンバルはトルコ製が常識の時代ですから、ジルジャンの名を捨て食べる為にはOEMをしなければならなかったのでしょう、ただしZILDJIANのスタンプを押してあるシンバルとOEMのシンバルでは音質が異なると感じます、おそらくシンバル最終テストで優秀な物はZILDJIANのスタンプを押し、B級品をOEMに回したのかもしれません、OEM物は音に深みがなくシートシンバルぽい感じがします。それはZILDJIANの刻印の無いシンバルには僕は胸がときめかないからかもしれません。



40年代
1940年代初期にはA・ジルジャンのシンバルは19ドル50セントだったそうです、パン一斤が12セントの時代ですから、今の価格にして3万円から4万円です、あまりシンバルの価格は変わってないんですね。
しかし日本が終戦直後の混乱期には家一軒が5000円で買えた時代だそうです、シンバル一枚で家が5件買えた事になります。
しかし、私が学生時代の60年代には一日働いてアルバイト代が800円でした、それでもジルジャンのシンバルは当時4万から5万だから今の価値にして30万から40万円って事になります??????ショエ〜〜〜〜〜〜高すぎですよね。まだまだ日本そのものが貧乏だったからしゃーないね。

 1940年後期の刻印
         
 

ちょうど、第二次世界大戦の真っ最中、シンバルの原料である銅やスズは品不足でしたがシンバルは軍指定物資として優遇されたようです。(米国軍指定のドラを作った)、しかし大勢の職人が兵士として出兵してしまい、ジルジャン工場の職人は3人になってしまったそうです。生産枚数が少なかった時代ですね。
しかし、肝心のミュージシャンも兵士として出兵していましたから意外と需要がなかったんでしょうね。
終戦後は長男アーマンドがシンバル製造に関わり職人の先頭に立って製品開発したそうです、同時にミュージシャン達とも交流を深めていきミュージシャンが求める製品作りをしました。
40年代後期の刻印は50年までの短い期間に用いられましたが、戦後の復興期でもあります、意外にも現存枚数はあるようでアメリカのオークションでも年間10枚以上は見かけます。とは言えレア物には間違いなく日本ではほとんど見かけません。私も24”、20”、18”、16”、15”HH、14”HH、とフルセット収集出来ました。

この頃のジャズスタイルは、ハイハットを中心にタイムキープするスタイルから、ライドシンバルでスイングするスタイルに変化してきた時代です、いわゆるモダン・ジャズの時代です。
この時代のジャズスタイルに合わせシンバルも大口径化し(最大で24インチ)、ウエイトもペーパーシンから、シンまたはミディアムシンへと変化してきています。
今のAジルよりも柔かい音で、Aジル独特のジンジンした響きにダークな音色が特徴で、静かに鳴ります。
この時代も又、シンバル個々の個性があり、とんでもなく良く鳴るシンバルに出会えます、幸運にも私も一枚のとんでもなく良く鳴る15インチを授かりました。その音色の違いはドラマーでなくとも一発で判るほどです。
1940年後期のトレードマークや刻印は、ZILDJIAN_Coの文字の長さが2.4Cmで70年代のカナダAの刻印に酷似しています、しかしこの当時の刻印の特徴は左右の刻印の深さが深く中央が浅い特徴があり割合簡単に見分けられます。
上のハンマー痕はシンバルの裏面ですが、ハンドハンマーリングの痕が分かると思います。
個人の好みにもよりますが、最もオールドのAジルジャンシンバルらしい音で、温かい音ですからジャズプレイヤーには絶対お薦めです。




50年台




                


50年代に使用された刻印
 ラージロゴ   ラージ・ホーローロゴ     


画像では判断しずらいですが、刻印のサイズが大きいのです、俗にラージロゴと呼びます。
ZILDJIAN_Coの文字の長さが3.2Cmもありホーローロゴに至っては3.9Cmもあります。
この当時にはジルジャン社は年間70,000枚のシンバルを作っていたそうですが、その割合にしては中古市場でもレアです。
ラージロゴは2種類存在します、特に中抜きロゴの刻印の物は美しいでしょ。
この刻印のシンバルは、22インチのライド・シンバル以外、めったに見れる事はありません。小口径の物はこのシンバルに限っては超レア物です、従って22”のライドと20”のライドしか所有していませんでしたが、最近やっと18インチと17インチのクラッシュをオークションで手に入れました、さずがにレア物なだけに他のコレクターにとっても絶対に手に入れたい物だったのでしょうメチャメチャ高値での落札となりましたが頑張っちゃいました。
過去に一度このスタンプのハイハットを見た事がありますので必ず他のサイズのシンバルが存在しているはずです、何とか死ぬまでにはフルセット収集できたらいいな。

この頃になるとウエイトも多少ミディアムになり、音色も明るくなりましたが、大口径ですからダークです、しかし大音量ではありませんが音色は豊かです、ハードヒッターよりソフトヒッター向けでAジルでオールディースやるならこのシンバルがお勧めです!
20"の物は逆に薄くシンの物が多いようですジャズ向きですよ。

シンバルとしての完成度は高く、一度このシンバルを使うと手放せないらしい、なぜなら、中古市場でこのシンバルの健全な物は少なく、ほとんどの物はキーホールがあります。中にはキーホールが5Cm以上ある物も時々見ます。
中古市場ではキーホールのあるシンバルは当然価値が低いのですが、キーホールの有るシンバルを使って見れば驚きます。よくシンバルの音が枯れているとドラマーは言いますが、音が枯れるって表現は適切じゃないと思います、音が豊かになると表現した方が適切だと思うのですが、ま、とにかく、キーホールのあるシンバルは長い間一定の箇所だけ叩かれた結果キーホールができたのです、じゃ反対側はと言うとあまり叩かれていないはずです。シンバル本来の音がするはずですね。
実際にその音を比べると、長い間叩かれた部分だけ倍音の広がり方が違います、明らかに音が豊かで、とても良く鳴ってくれますよ。
シンバルは叩かれて成長するってのは本当なんだ!と実感します。
キーホールとは、良いシンバルだからこそ長い間、愛され、使われてきた証拠なんですね


ま、ここまでのシンバルが本当にビンテージ・シンバルと呼べる物で、その時代の音楽と供に生き、その時代を知っています。きらびやかな中にもダークな倍音で、スイングからロックンロールまで彼らは歌ってくれます、今のシンバルでは決して表現できない貴重品だと思います。
アメリカ・ジルジャン社が本場ジャズ・ミュージシャンに認められ支持される礎となったシンバル達ですからジャズ向きですよ。
上の刻印以外にも50年代から60年代に用いられたようですが、上の刻印は年代がはっきりしています。

    

上記の刻印は一見ホーローロゴに似てますがラージロゴではありません。
50年代から60年代前半に用いられたようです。


60年代



      



1960年代頃によく使用された刻印

                


                   





1960年代になるとビートルズやベンチャーズの出現により、シンバルの生産枚数は飛躍的に伸び、受注枚数は一挙に10万枚に跳ね上がったそうです。
シンバル大量生産の時代となったのです。
音色を決める大事なハンマリングも自動化され均一な製品が大量に生産されました、特に中期以降のシンバルは金太郎アメのようにどのシンバルの音色も一定してしまいます。
この時代はロック向きなヘビーウエイトのシンバルで、エレキギターにも負けない大音量なシンバルが主流となり、キラびやかな中にジンジンした響きのAジルジャン独特の音が確立された時代です、まさに、アメリカ・Aジルジャンがシンバルのグローバルスタンダードと呼ばれる時代です。
50年代から用いられた刻印や70年代まで用いられた刻印もあり、刻印による年代の見分け方も難しいのですが、トレードマークの右下のUの字の中に点が3つない物、ZILDJIANの文字が他よりも若干太く2.9Cmくらいの長さが見分ける目安でしょうか。
70年代になると2.5Cmの長さです。
むしろ、大量生産する為にマシンハンマリングからロータリーハンマーに変った時期ですからハンマー痕で古い新しいを見分けるのが良いのではと思いますが、シンバルとしては60年代と70年代ではさほど差があるとは思えないんですが、材質も音も若干柔らかく感じます。すんません研究不足でハッキリとした事が言えませんが、少なくとも60年代と70年代のシンバルは只の古いシンバル、又は中古のシンバル程度で価値も安く取引されていますが、中にはとんでも無く良く鳴るシンバルがありますよ。
70年代にはギターアンプもパワーアップして大音量になりシンバルもミディアムウエイトからヘビーウエイトの物が好まれ、70年代はヘビーウエイトの物が多いですよ。
60年代の後半頃からシンバルの裏にZildjianの黒のスタンプを押したようで、白ヌキロゴと呼ばれますが70年代の製品に多く用いられ、80年代まで続けられます、白ヌキロゴだけで年代を特定する事はできませんが、およその年代は判断できますね。
90年代には現在用いられている黒のスタンプと同じ物が用いられています。

70年代
この年代はジルジャン社にとって大きく変化した年代でもあります。


  白ヌキロゴ 




  70年代に使用された刻印

           


         
 



JILDJIAN_cie
1970年代の一時期アラムを偲んで、A.JILDJIAN_cieの刻印で復刻シンバルが生産されました、この時初めてブリリアント仕上げが登場し、サビにくいシンバルが登場しました。
このシンバルは割りとレアなシンバルです。
音色は70年代のAジルとちょっと違います、ヘビーウエイトなので若干チンチンした音が耳につきハンマリングが不十分と言いますか俗に枯れた音ではありません。
ハードヒッターかロック向きだと思います、パイステが好みの方にはお薦めです。
シンバルコレクターにとってアラムが作成したA.JILDJIAN_cieは幻のシンバルで今だ私は見た事がありません、最初にこのシンバルを見た時には「もしや」と胸躍らせたのですが、手に入れてみるとピカピカのブリリアント仕上げでガク!
ま、刻印を良く見ると三日月と星マークの周りにMADE IN USAって書かれているではありませんか、これで二度ガク!
アラムがブカレストでA.JILDJIAN_cieを作ったと記録されている以上、アラムのシンバルは絶対に存在しているはずです、何とか探したいものです。


近年再び「Zildjian & CIE Vintage」が発売されました、これはこのZildjian & CIEの復刻版ですが、見た目のハンマリングもレイシングも違います。しかも刻印が Zildjian & CIEではなくZildjian_coです、もちろん刻印はレーザーです。ただシンバル表面に「Zildjian & CIE Vintage」と黒いスタンプが押されています。
ま、アラムがアベディス3世に継承せずケローペの娘婿に継承したら今のジルジャン社は無かったんで、ジルジャン社の大恩人って事ですから記念品って事で皆さん納得しましょうかね。


A.JILDJIAN_cie     




ジルジャン・カナダ工場
また、ジルジャンは、1968年にカナダのニュー・ブランズウィックに新たなシンバル製作工場を設立し、アベディス三世の次男ローバートに運営を託します。
社名をAZCO(Avedis Zildjian Co, Canadaの頭文字)と言い。1968年から1979年の間30年代から40年代に使用されたZILCOブランドが復活し製品を生産します、AZCO社は安価なシンバルを製作する為にマシン・ハンマリングを施さないローリング加工という技術を開発しコストを押さえました。
60年代後半からOEM生産も拡大し、このAZCO社がロジャースや日本のヤマハなどのOEMの生産をしていたんです。最盛期にはジルジャン社全体の40%ものシンバルを生産したようです。
70年代のAジルジャンと現代のAジルジャンとでは何となく70年代のAジルジャンの方が金属が柔かい感じがします、30年という年月がそう感じさせるのか分かりませんがなんとなくそんな気がするんです、私だけでしょうか?



  ZILCO          ロジャース

      ローリング加工

短期間ですがカナダ工場でマシン・ハンマリングを施したA.ZILDJIANブランドの製品も製造しました、俗にカナダAと呼ばれ、レア物となりましたが。音色は普通の70年代のAジルジャンです
シンバルコレクターとしては絶対にフルセット蒐集しなければと燃え上がり、根性でフルセット蒐集しました、おそらく日本中捜してもフルセット集めたのは僕くらいのものだと思いますヽ(^。^)ノ
普通の70年代のAジルジャンで刻印だけが特別なんです、MADE IN USAじゃなくMADE IN CANADAと刻印されています、刻印は40年代と同じ刻印ですが、左右が深くなく、全体に浅く刻印されています。
世界中捜してもなかなかお目にかかれるシンバルではありません非常に珍しいレア物なんですよ。


       カナダAの刻印       カナダA





お宝カナダA
さて、1975年ロバートジルジャンはトルコのカローペジルジャンの子孫達をカナダに呼び寄せました。
オークションで、カナダAに彼らの伝統技術であるハンド・ハンマリングを施した奇妙なシンバルを手に入れました。刻印は間違いなくカナダAの刻印が打たれておりますが、ハンド・ハンマリングが施されてます、しかもハンマー痕を良く見るとカナダKと同一のハンマーで打たれています。
ウエイトは22”で3.7Kgと超ヘビー、音色はヘビーのオールドKに近く、オールドKより粒立ちがハッキリクッキリとしていて存在感バッチリです。
我が家に音楽好きが来ると、シンバルの利き酒ならぬ利きシンバルをやるんですが、何十枚ものライドシンバルを聴かせて「どのシンバルの音が好い?」って聞くと全員がこのシンバルを指名しました!
私個人としてはオールドKのヘビーが好きなんですけどね!

このシンバルは私の憶測の域を出ませんが、当時のトルコ職人による試作品だったのではないかと思います、いずれにしても、カナダKジルジャン誕生前の資料となる、私のお宝シンバルです。
写真で分かると思いますがハンマー痕がビッシリでしょ。

     お宝カナダA 


Kジルジャン誕生

さて、75年にトルコの職人をカナダに移住させた事により、カナダでトルコの伝統技術と近代機器を融合させた「K.ZILDJIAN」がカナダで誕生します。
これは俗にカナダKと呼ばれるレア物です、音色もAジルの明るさとオールドKの響きが混ざった独特な明るい音色で、ジャズからロックまでオールマイティーに使え、とにかくよく鳴ります、Kジルジャンでは暗いけどAジルジャンでは明る過ぎると感じる方には絶対にお薦めです、音量も十分あり綺麗な音色です。
結構誰にでも好まれる音で、シンバルの音がイイって言われる事は受けあいです。
とても個性豊かな優れた傑作シンバルで、トルコ製オールドK.ZILDJIANのヘビーをさらに明るくした感じのシンバルです、20インチで2.7KGのウエイトが標準ですからヘビーライドです、ハイハットもヘビーが標準です。
Aジルジャンが好きな方が一度このシンバルを使ってみればカナダKの虜になりますよ。

このシンバルは私のお気に入りのシンバルのひとつで、必死になってフルセット収集しました。ライド・シンバルは4枚収集したのですが、その中の一枚が鳴りすぎて唸るのでハンマーで叩いて修正したんです。
が、素人のハンマリングって怖いですね。見事に唸りを消しました。
でも、、、、、、、
同時に鳴りも消えました!
鳴らないシンバルって、ベコンベコン音がするただの青銅板なんですね・・・・・・・高い勉強になりました、グス。
焼きを入れると元に戻るらしいのですが、僕も焼きが回ったら一緒に火葬場で焼いてもらう事になるんでしょうね。

カナダKの刻印のトレードマークを見て下さい月と星(トルコを表す)の下の奇妙な文字です。後で説明するトルコ製のオールドK後期の物と同じ刻印が用いられています。
今では非常にレアなシンバルですから、もし見つけたら是非手に入れたいシンバルですよ
存在枚数が少ないので高額になりますが手に入れたいと思ってもなかなか見つからないシンバルです、今後高額になっても値が下がる事のないシンバルだと思いますし、何より実際にプレーに使えるシンバルです。



      カナダK    カナダK 


1978年「K.ZILDJIAN」をカナダで生産する事に成功したロバートはトルコ製シンバルにK.ZILDJIANの商標を用いる事を禁止し、名実共にZILDJIANの名はアベディス社の物となったのです。



80年代


1979年にZILDJIANの名を統一する事に成功したアベディス三世は亡くなり、長男アーマンドが会社を引き継ぎました。
1981年次男ロバートはそれまでカナダ工場と海外部門を任されておりましたが、この年に遺産相続の問題を解決し米国内の工場とジルジャン社を長男アーマンドが相続し、弟のローバートはカナダ工場を相続して社名をセビアン社としました。セビアン社は、ロバートの子供達であるサリー、ビリー、アンディの頭文字をとってSEBIANとしたそうです。
セビアン独立はかなり急に決定したようで、セビアン初ロットのシンバルを手に入れましたがゴムスタンプのみで、刻印が打たれておりませんでした。
独立したての初期のセビアン・シンバルはカナダKよりも明るい感じが強く感じますが、セビアン社がカナダKの流れを引き継いでいます。


       セビアン 


EAK
さて、カナダ工場を失ったジルジャン社は1982年からK.ZILDJIANをアメリカで製作する事になります、1981年からわずか1年でハンドハンマリングの技術を習得し製品の開発を行いましたが、1982年から1990年代に入るまでに作られたK.ZILDJIANは、非常に出来の良い音色で、カナダKよりダークで、明らかにカナダKとは異なります、ウエイトはカナダKと同じ20インチで2.7Kgが標準でヘビーです。
本来Kジルジャンはハンドハンマーですから職人の技量や感性により異なりますが、この当時のKジルジャンは製品も一定しており何よりも音にクセがなく使いやすいシンバルです。
よく、曲によりチンチンした音が欲しい時にはシンバルの中央、カップを叩きますが、このシンバルはカップ音も良く、トータルバランスに優れています。
ハンド・ハンマリング痕も、音色もカナダKとは全く別物のシンバルで、静かに鳴ります。
俗にアーリー・アメリカンK(EAK)と呼ばれ、ドラマーには今なお絶大な人気があり、1990年以降のKジルジャンと比較して価格で2倍以上高額で取引されていて年々高額になっています。
1990年以降のKジルジャンとも音色が異なり別物です、特に米国ではEAKはドラマーにとって実際に使用する為のシンバルとして高額で取引され人気があります。
おそらく製作技法の違いによるものと思いますが今では貴重なシンバルです。



    EAKの刻印   EAKのハンマー痕とレイシング


 90年代のKのハンマー痕とレイシング 


1990年以降のKとEAKの外観上の違いはEAKはレイシング(音溝)が浅い事と裏にKのスタンプが押してあります、(1990年以降はZildjianのロゴが押してあります)日本では裏Kと呼んでいますが、カナダKも裏にKのスタンプが押してありますが表には押してないようです。
EAKのハイハットには裏にKスタンプが押して無い物もありますからご注意下さい、それから、EAKの刻印の方向が外向きの物と内向きの物がありますが、外向きスタンプはEAKのハイハットだけに見られる変わった特徴でもあります。
カナダKはEAKよりさらに2割ほど高値で取引されていますよ。
近年、裏にKのスタンプを押した製品が発売されました、EAKの復刻版で見た目もレイシングが浅くそっくりですが、Kの横に小さく、○にRのスタンプがあります、紛らわしいですね!、それと刻印がレーザーになりシリアル・ナンバーが付いてます。
EAKはA・ジルジャン社のKシリーズを世に認めさせた傑作シンバルです。


  EAKの表     EAKの裏    カナダKの裏

ここで、EAKとカナダKのKのスタンプの違いに気付いた人!そう貴方!もう貴方は私の友達ですね!気の毒ですが.......ジルシャンに恋してます
1960年以降のAジルジャンの音色はどのシンバルも他の同系のAジルジャンとほとんど変わらない音色です、60年代からいかにジルジャン社が機械化を進めて来たのか推測できますよね。
事実、Kシリーズはハンドハンマリングだと思っているユーザは多いと思いますが、実際にはローリング加工されたシンバルにハンマー痕を出す為にマシンハンマリング工程を加えているようです。

最近のジルジャン社のシンバルは多種多様なシンバルが発売され、あらゆるニーズに応えております、どのシリーズがどんな音なのか実際に試打してみないと自分に合ったシンバルを選ぶ事ができません、それに、本来ジルジャンはキャストシンバルの歴史でもありますが、近年はシートシンバルの明るい音色が流行で楽器屋さんにはシートシンバルばかり置いてあります。
もちろんシートシンバルは製造も簡単でプレス機でカッポンカッポン製造できますから安価で、見た目も綺麗です、しかし、学生時代には日本製の安価なシートシンバルを使用してましたから、シートシンバルは只の丸い青銅板にしか感じないのです。
日本の美術品として日本刀は世界に認められる物ですが、日本刀に見られる古刀の鍛え上げられ歳を重ねた鉄の味は、同じ製法で鍛えた現代刀では決して表現できません、シンバルも焼き入れやハンマリング、レイシングと日本刀と同じ工程を踏み鍛え上げられた物であり、作者の感性がこもっているはずです、シンバルにそんな作者の作為を音の芸術として感じても良いのではないでしょうか。
自分の腕では今だシンバルの持つ音の個性を発揮させる事が出来ず残念なのですが、一流ドラムプレイヤーがこのシンバル達を叩いたらどんな音で鳴いてくれるのか想像するだけでも胸がワクワクして来ます、、、、、もし、そんな機会に恵まれれば幸せなんだけどな〜〜〜〜。
試打ご希望のドラマーさん、是非試打に来て下さい、コレクションされたシンバル達も喜ぶと思います。

オッ、決まった!うっとり〜〜

最近の製品Kジルジャン・コンスタンチノープルは後で説明するオールド・K・イスタンブールの復刻版です、このシンバルはとても良い出来で現在のジルジャン社の傑作シンバルですが、オールド・Kの持つ清涼感は再現されていないと感じるのは僕だけでしょうか。




 オールドK・Zildjian社

   K.Zildjian_Co  晩年のミカエルとアゴップ 


1865年にアベディス二世が亡くなり弟のカローペがシンバル製造技術の秘伝を継承しK.Zildjian_Cieを製作していましたが、1909年にカローペが亡くなり、秘伝はカローペからアラムA.Zildjian_Cieにシンバル製造技術の秘伝を継承しました。
この時期アラムはブカレストに工場を持ちコンスタンチノープルのK.Zildjian_Cie工場とも連絡を持っていて指導していたようです。
正当な秘伝継承者カローペを失ったイスタンブールのK.Zildjian工場は、カローペの娘婿ミカエル・ダルカリアン「ミカエル・ジルジャン」(後のジルカン)達によりK.Zildjian_Cieの名で製造は続けられていました、秘伝継承者にのみシンバル合金の配合を伝えるのがジルジャン家の伝承でしたがアラムはK.Zildjianも支援していたようです。
シンバル合金の配合秘伝を正式に伝えられていないとは云え、伝統的なシンバル製造技術のハンドハンマリングの技術やレイシングの技術は持っていましたので、職人達により研究され改良されていき、又、アメリカのドラムメーカー・グレッチが独占販売権を買い取り販売の道が開け、K.Zildjian_Cieは高級トルコ製シンバルの代名詞となっていました。

1930年後期までのK.Zildjianはヘビーなシンバルでチャイナみたいなドラみたいな音色がします、ほとんど、現在の音楽には使えない代物です。
もともとシンバルは合わせシンバルから始まりました、(両手にシンバルを持って叩くシンバルです)厚手でなければ良い音が出ません。現在のようにスティックで叩く奏法はジャズによって確立されたのです。
当時は最大でも16インチまでの物しか作りませんでしたし、音楽の中でのシンバルの役目もアクセント程度にしか使われませんからそれで良かったんでしょうね。
今日でも合わせシンバルは教会や鼓笛隊やビックバンドやオーケストラで使われます。最近は、葬式の読経でお坊さんが使いますよね。
お葬式の時いつも思うんだけど、坊さんの使ってる合わせシンバルの音って最低だよね、バジャバジャバジャジャジャーってな音で、聴いてると気分悪くなる。僕の葬式の時は20インチくらいのオーケストラ用の合わせシンバルでやってもらいたいな、シンバルは用意してあるから誰か頼むよ!絶対!やんないと化けて出るよ!

30年代
 コンスタンチノープルK(K.Zildjian_Cie)

     Kジル・コンスタンチノープルの刻印
                    
    
1900年代からアメリカで発祥したジャズ、次第にシンバルの役目は重要な地位を占めるようになり、ジャズプレーヤは自分達に合ったシンバルを求めるようになりますが、ちょうどその頃アメリカで創業を始めたAジルジャンが地の利を生かし、新しいジャズに適した薄手のシンバルをいち早く売り出し、大躍進しておりましたが、販売権を持つグレッチは本業のドラムの販売に忙しいかったのか、トルコに新しいジャズ音楽に適したシンバルの情報はあまり与えていなかったようです。
1930年の後半になり、やっとK・Zildjian_cieも薄手のシンバルを作りはじめたのですが。時遅く販売枚数は非常に少なかったようです。
私はこの当時の12インチのペーパーシンを手にいれましたが、その薄さにビックリしました、シンバルエッジで手が切れる程の薄さです、音色はバシャンバシャンと鳴りますが当時のトルコ職人達の技術力の高さを偲べます、音色に拘らなければ正に職人技というべき物です。
ここまでのオールドKをコンスタンチノープルと呼び、非常にレア物なんですが、人気は無くコレクターの間で割と安い価格で取引されています。


40年代
 イスタンブールK(K.Zildjian_Co
シンバルの刻印が変わり。Kジルジャン・イスタンブールとなります。(コンスタンチノープルとイスタンブールは同じ都市、江戸から東京に変わったみたいなもん)
シンバルの製造のキーポイントは鋳物合金の調合とハンマリングとレイシングにありますが、機械化されてゆくA・ジルジャンとは違い、古くから伝わった伝統技法により製作されているので一枚一枚が手作りです、当然職人達の技量により製品も異なります。
総じて音色はダークでソフトな感じでキラキラとした音ではありません、音量も押さえ気味です。
ま、いい言葉で言えばシンバル一枚一枚に強い個性があります。



   グレッチ社が販売権を持っていた当時の刻印 
           グレッチ社のGマーク    


50年代
1950年代にアメリカのジルジャン社とグレッチ社との間で裁判が行われ、K.Zildjian_coの商標権を認める代りに販売権はアメリカのジルジャン社に移る事となります。


   職人達のカップ裏のサイン
    





      

さて、販売権がアメリカのジルジャンに移ってからが、手作りシンバルのオールドKは真骨頂を表します。
どんな理由なのか知りませんが、イスタンブールの刻印は何度も変更されました。
1950年頃から販売権を取り戻したアベティスの情報の下、メキメキとイスタンブールの職人達は腕を上げていきます。最初期の頃はドラみたいな音色だった物が、シンシンと響くダークな音色へと進化して行きます。
但し、手作りの悲しさ、製品によってかなりのバラツキがありますが、Aジルでは決して出せないシンシンとした響きは清涼感を感じさせます、当時のプロミュージシャンはKジルを購入する時には50枚ほどの中から2枚程度を選び使用していたとの事で、ジャズミュージシャンに好まれたのです。
まだこの当時は手作り感バッチリでしょ。手作りですから固体により音色のイメージに差があります。





60年代以降78年まで

この頃になると作品は製品も安定し個体差が少なくなりました。一流ミュージシャンに好んで使用されプロミュージシャン御用達となりました。
また、音色もやや明るめになり、オールドK独特なシンシンと響く音色は完成の域に達し、ビートルズが使用していた事で最高級シンバルの名を欲しいままにしたのです、ベンチャーズも日本初来日の65年にはこのシンバルを使用しています、18インチと14インチのハイハットだけの組み合わせであれだけの音色変化を表現できたのもこのシンバルのおかげではないでしょうか。
主にシャズプレイヤーに好まれましたので割合に薄いシンバルが多く、ロック向けのヘビーライドは数が少なく貴重品ですが、ヘビーライドはアタック音がとても良い音で私の大のお気に入りです。
クラッシュシンバルは立ち上がりが遅いのですが、クシャーンとガラスを砕いた時のような音です。
製造方法も完全手作りから機械の導入もされたのだと思います、ハンマリング痕やレイシングもスッキリと綺麗になりました。

今なおドラマーにはその人気は衰える事がありませんので、中古価格もベラボーに高く1インチ当たり1万円が相場です、しかし貴重なシンバルですからオークションなどで見つけたら是非手に入れて下さい。
オールドKはダークだと言われます、確かに音色はダークですがそれはオールドKは20インチで2kgの物が一般的でシンバルとしては薄い部類に入ります、他のシンバルと同じウエイトのシンバルと比べると、むしろアタック音がはっきりしていてシンシンした響きはそのままですから強く叩いても決してウルサイと感じさせません。
シンバルの汚れやサビを落とせば明るい音が復活しますし、スティックのチップの硬い物を使えばキラキラとした明るいシンバルに変身します。
スティクの選択で音色に変化が付けられるのですから一枚のシンバルでジャズからロックまでオールマイティーに使え、しかも清涼感のあるシンバルはこのオールドK以外に勝る物はないと思います。
下の刻印は米国のアベティスジルジャンにトルコ工場が買収されていた時代の刻印で、僕個人的には最も好きなシンバルです、製品の当りハズレも少なく、ウエイトにより音色が異なり、20インチで2Kgがジャズ用として平均ですが2.5Kg以上のヘビーシンバルはオールマイティーに使え最高です、ま、絶頂期のシンバルでしかも数が少ないので見かけたら絶対に買いですよ。


           



 オールドKのハンマー痕   

残念ながら、アメリカ・Aジルジャン社は1978年にトルコ工場を閉鎖してしまいます。
以降トルコ製シンバルはK.Zildjian_coの商標は使えなくなり、K.Zildjian_coの商標はカナダ工場へ移る事となります。
トルコのK.Zildjian_coは完全に消滅させられてしまいました。
ここまでがオールドKジルジャンと呼ばれ最高級シンバルとして今でも超人気のシンバルで、これからも中古価格が下がる事の無い本物のシンバルです。






トルコシンバルのその後



Zilciler と Zildjiler

アメリカ・ジルジャンによってK.Zildjian_coは解体されてしまい職を失ったトルコのシンバル職人達は、1980年に優秀なシンバル職人だったアゴップとミミットの基に集まりました。
そしてトルコ製シンバルの製造を再開させます、彼らの最初の会社名はジルジラー(Zildjiler)と命名して主にヨーロッパへ販路を求めました、しかし、アメリカ・ジルジャン社から社名がジルジャンと酷似してるとのクレームから社名をZildjiler・coとしてそのまま残しブランド名をジルシラー(Zilciler)と急遽変更して黒のスタンプを押しました。
そして、その後会社名もジルシラーに変更して刻印も変更します。
ま、でもやっぱりアメリカ・ジルジャン社のクレームは止む事はなく、アメリカ市場に本格的に参入する為にイスタンブール社(ISTANBUL)と社名を変更し今日のイスタンブール社発展の基となりました。

”Zilciler”"Zildjiler"ブランドの使用は僅か1年間の間だけ使われISTANBUL社の礎となる製品ですので刻印以外はオールドKそのものです、製作者が同じなのですから当たり前と言えばそれまでなのですが、イスタンブール社も発展と共に機械ハンマリングの安価な製品を製造せざるを止むなくなってしまいますが、この当時の製品はアゴップとミミット達の職人魂の込った製品だったのではないでしょうか。


現在、この僅か1年間に製造されたZilcilerブランドのシンバルはコレクターズアイテムで、非常にレアです、私も丸4年でやっと一組のZilcilerのハイハットとZildjilerの16インチを手にいれました。フルセット集めるのに何年かかるか分かりませんが是非フルセットで集めたいと思います。


 Zildjiler
刻印はZILDJILERですが表面にはZILCILERと黒のスタンプが押されています
           




 Zilciler

          





その他
この時期多くの職人達も独立して、ボスフォラス、グラント゜マスター、マスターワーク、アナトリアン、ターキッシュなどのシンバルメーカーとなりました。
次に紹介するシンバルはみんなカローペ・ジルジャンの流れを汲むシンバル達です。





ISTANBUL

ISTANBUL社は1996年に創業者の一人アゴップが残念にも事故で死亡した後、アゴップとマーメットの息子達により"Istanbul Agop"と "Istanbul Mehmet"の2つの会社に別れてしまいました。
Agop側はアゴップの2人の息子、アルマン、およびサルキスにより経営されていますが、現在はZilcilerブランドで再びシンバルを製造しています、しかしオールドZilcilerの刻印とは異なり、「ZILCILER LTDの下にA・TOMURCUK S・TOMURCUKと刻印されています

 イスタンブール・アゴップ   NEWスタンプ 

 イスタンブール・ミミット  





   ボスフォラス   




ジャンジャン!ジルジャン♪
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