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名駒集覧
 こだわりの将棋駒          「温故知新」
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11/05 新規 豊嶋龍山作 水無瀬中納言兼俊卿筆跡
11/01 新規 元禄四方木口盤
08/27 追加 静山龍山  安清書
08/21 新規 奥野作  清龍
07/28 新規 奥野作  宗歩好
07/21 追加 木村作  玉舟書・二種類
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                        清安・花押

 
清安花押
水無瀬写
 
      清安・花押 (水無瀬形)  瓜唐草蒔絵 将棋盤・駒箱

江戸中期の終わり頃、11代将軍・徳川家斎の頃の将棋盤と駒箱そして安清の駒のセットです。
徳川美術館に収蔵されている掬折枝蒔絵の駒と同じ作者による作品です、清安の銘を持つ作者についての詳細は解明されていませんが、その作品の出来からも並の駒師とは違い、将棋が庶民の遊戯として広がる時代に駒の書に心を込めた清安の作品だったのでしょう。
また、盤や箱についても同様にその素晴らしい出来栄えは目を見張るもので、もはや、単なる棋具ではなく見事な美術作品です。
                        俊光・花押

 
俊光花押
中将棋駒
 
      俊光・花押   彫駒(中将棋駒)

江戸前中期の頃に水無瀬家から別れた一派で清安や安清とは流れを異にする一派ではなかろうかと推測されている俊光の作品です。
残されている俊光の作品の多くは小将棋ですが本作は珍しい中将棋駒でさらに珍しい彫駒です。
俊光についての詳細は判明しておりませんが、江戸期に活躍した駒師である事は確かで、本作は一見非常識とも思える作品であり、その資料的価値だけでなく現代作者とは異なる彫りの素晴らしい出来栄えをご覧下さい。
                        安清・花押

 
安清花押
天童草書体ルーツ
 
      安清・花押 (天童草書体のルーツ駒)

江戸期に多くの安清銘の駒が残されていますが、駒作者は不明です。
本駒は、平成16年・発行・桜井和男(掬水)氏著者「玉庭駒」調査報告書に天童草書体の元となった駒として紹介された駒で、歴史的にも貴重な作品ですが、多くの安清の作品の中でも普通の駒とは少々違い、非常に大型で分厚い駒です。
天童草書体の元となったその書体は非常に独創的でまるで絵画のようにさえ感じ、この書体を創作した人物の書に対する造詣の深さには関心するばかりです。
本駒も歴史資料だけではなく芸術作品です。


歌川国芳  
 
        歌川国芳・錦絵そのほか2点

駒蒐集ではありませんが、江戸期には将棋に関する浮世絵や錦絵が残されています。
中でも歌川国芳の「駒くらべ盤上太平棊」は有名で、国立図書館発行の「囲碁・将棋文化史展」の表紙を飾りました。
また、将棋文化史展の中に紹介されている「手駒なし詰め将棋」の図も面白い作品ですのでご覧下さい。

 
安清花押
中象棋
 
      安清・花押    (中象棋の駒)

本駒は、安清の駒の中でも公家などの高貴な人々に楽しまれた中象棋の駒です。
現在、中将棋の駒は残されている数も少なく、古い中象棋の駒は出来の良し悪しや程度の良し悪しに関係なく全てコレクターズアイテムです。
本駒は、前沢碁盤店が所蔵している駒と同じ安清作者による駒です。
                         大橋宗桂
 

大橋宗桂造
 水無瀬形
 
         大橋宗桂造   水無瀬形

十一代大橋宗桂直作りの駒で、宗桂作の駒は現在はほとんど残されていません。また本駒は竹内淇洲の父親である竹内伊蔵が昇段の祝いに宗桂より贈られ、愛用していた駒で、竹内家出入りの棋友・西田半三郎に竹内伊右衛門が贈呈した駒です。
黒柿の大橋家本式の駒箱に桐製外箱の二重箱に納められた当時の最高級品です。
本作品は歴史的資料として名駒大鑑(熊澤良尊氏)に紹介された駒です。
                        竹内淇洲  
 

 淇洲伊藤駒

       錦旗の駒  淇洲伊藤駒

「錦旗の駒」の原点となった竹内淇洲筆の幻の駒。
関根名人が愛用し快進撃となった事による「錦の御旗の駒」はあまりにも有名だが、その兄弟駒と子孫駒は全部で15組製作され、竹内淇洲本人によってこの15組を錦旗の駒と賞した。
現在、所在が確認されて残されている駒は数が少なく、幻の駒となった。
本作は錦旗駒の孫駒にあたる伊藤駒に淇洲自筆の揮毫入りの大橋本家型の駒箱と淇洲家特製駒袋のフルセットです。
 

 香園作 淇洲書
          香園作 淇洲書

竹内淇洲門下、遠藤弥太郎は山形県の将棋棋士の強豪で県下一の実力者であった。戦後まもなくの頃、竹内淇洲は遠藤弥太郎に自筆の字母による作成を許し、銘「香園」を贈った。
淇洲書の駒として最初に量産された駒で、「香園」は彫師名ではなくブランド名です。
                          塩見吉浦
 

 塩見作 坂田好
          塩見作 坂田好

大正6年朝日新聞社主催の紳士将棋大会の優勝者に記念に贈られた駒、塩見吉之助作の「塩見作 坂田持」は熊澤良尊氏の(名駒大鑑)にも紹介されており、又、日本将棋連盟関西将棋会館の「将棋博物館」所蔵の「大正丁巳年 塩見吉浦作 坂田好」の駒、そして堺市の阪田三吉記念室保管(木村朝子氏所蔵)の三組の駒が知られ「坂田好」はあまりにも有名です。
                          豊島龍山 
 

初代作 豊島造
 法眼薫斎書
        初代作  豊島造・法眼董斎書

「豊島龍山」は豊島太郎吉(1862〜1940年)と2代目・豊島数次郎(1904〜1940年)親子二人の名です。豊島太郎吉は明治より趣味(内職)として駒作りをしており、大正の中頃から本格的に駒作りを始めるようになり、息子の数次郎(10歳前半)に駒作りを教え込み現在の駒字の基本となる字母帳を残し、黄楊駒木地に虎斑や根杢等の模様の入った駒を作り「高級美術駒」として販売し、現在の高級駒の基礎を築いた。その初代豊島龍山である太郎吉40歳の作品と思われます。
 

 初代 龍山作
 董仙書
        初代 龍山作・董仙書

豊島太郎吉と同時代に活躍した書家でもあり将棋棋士でもあった松本董仙が残した書体。
将棋棋士でもあった太郎吉と書家董仙のコラボレーション作品でもあります。
実戦に使われ、彫埋め状態に近くなった駒ですが、初代龍山と二代目龍山の感性の違いもわかる程に後年の数次郎の董仙書とは作風が異なります。
豊島龍山作品は現代駒書体のオリジナルであり全て芸術作品として高い価値があります。
 

 龍山作・金龍書
            龍山作 金龍書 (淇洲書写)

金龍書体は幕末三筆の一人、市河米庵の書体を得意とした駒師金龍の書体といわれている。
がしかし、豊島の金龍書とは本当に駒師金龍の書体なのでしょうか。
この双玉の金龍書がその答えのヒントになります。
本作は大正10年の作品で漆の一部が欠け彫埋め状態になる程使用されており、数次郎16歳の作品ではないかとも思われます。
 

   豊島作・董斎書
            豊島作 董斎書

当作は平井芳松の大正11年作と一緒に古家から譲り受けた駒で、駒そのものも大正期の駒ですので、同年代に買い求めたのだろう思われます。
大正期の小さめの駒一面に書かれた董斎書はなかなかに迫力もあり、数次郎17歳にして天才と呼ばれたその才能の片鱗を見せる作品です。
 

坂田名人就位記念
豊島龍山造・金龍書
       坂田名人就位記念  豊島龍山造・金龍書

大正十四年四月、坂田三吉名人推薦式及び祝賀会で坂田三吉が後援会の品川氏に贈られた駒台、駒箱、に「豊島龍山造」の「金龍書」の駒。
「豊島龍山造」の造銘を持つ特別な豊島作品であると同時に将棋棋士の歴史の一ページを飾った駒でもあります。
 

豊島作 無名
            豊島作 彫(信龍書)

多くの書体を開発した豊島ですが、駒名の無い駒は珍しいでしょう。
駒形から大正から昭和の駒と思われ、普及品の廉価版の彫駒です。
作品的には何の変哲もない彫駒ですが、用いられている書体は豊島が信龍書と名前をつけた書体です。
 

 豊島作無剣逸人
 
       豊島作 成辰秋無剣逸人

豊島に貴族議員の渡辺千冬子爵より自筆による書体から駒を作る依頼がありこれを作った。渡辺は号を無剣と称し書家でもある。
戦後になって多くの駒師により作られ、無剣書駒はその迫力から「王者の駒」と呼ばれる事になりましたが、豊島の字母は門外不出で静山や影水による字母より製作されています。
金井静山氏の証言によると数次郎が「ある人(貴人)から依頼されて作った駒が生涯で唯一の会心作だった」と言っており本作がその作品と思われます。
 

豊島作・鵞堂書 
        豊島作 鵞堂書  (小野書)

鵞堂は明治・大正時代に活躍した、かな書道の大家で現代のかな書道の基礎を築いた書家、小野鵞堂の書体です。
豊島作品の中において本書体は一般的には小野書として用いられており、本作の彫銘の鵞堂は御蔵島黄楊の古木根杢を用いた作品として、豊島の名作品の一つに数えられます。
 

龍山作・清安書  
         龍山作・清安書  (宗歩好)

豊島の清安系書体は数種類が存在し、本作品は中でも珍しい宗歩好書体の清安書。
名人駒で有名な「奥野一香の宗歩好」は安清の書を参考にした奥野オリジナルの駒文字といわれています。
が、しかし、豊島龍山も奥野の宗歩好書体の駒を清安書として販売しています。


将棋大成会記念
関根書
     将棋大成会創立記念 龍山作 十三世名人関根書

昭和11年、将棋大成会(現在の将棋連盟)創立記念として関根名人の書体による駒を7,80組ほどを豊島に発注し、創立関係者に配られた。
現在はそのほとんどが戦災などにより消失し数組しか残されていないが、本作品は未使用のまま残された作品です。


龍山作・安清書 
         龍山作・安清書

安清・清安の書体は豊島でも古くからあり、数度の書体変更をしています。
本駒は古い安清の書体といわれております。
本駒と清安書と見比べて見れば豊島の書体の謎に迫れるのではないかと思います。
 

豊島龍山作・三邨書
 
       豊島龍山作・三邨書


将棋棋士六段であり財界官僚で詩を読み筆も書くなど幕末から明治にかけて多義に渡り活躍した熊谷三邨の書体。
豊島が残した豊島字母帳にも残されており、多くの駒師に手本とされていますが、豊島による三邨書の駒は現存数が少ない作品です。

 
水無瀬中納言兼俊
卿筆跡
豊嶋龍山作

       水無瀬中納言兼俊卿筆跡 豊嶋龍山作

豊島龍山の水無瀬書体が現在では多くの駒作者に模倣されます。
しかし、多くの駒作者が水無瀬書とする書体は豊島が大正時代に水無瀬兼俊の駒を写し豊島の感性で模倣創造された豊島流の書体です。
豊島は昭和初期以前には水無瀬大納言としておりましたが、昭和十二年以降には水無瀬中納言と修正していたようです。
本作品は数ある彫り銘の逸品の中でも使用されている木地は最高級の虎斑木地が使用され、数次郎の個性が良く表れた、名品中の名品です。
 

 龍山作・錦旗 
          龍山作・錦旗

豊島の「錦旗」は後水尾天皇御宸筆写の駒を手本に写した書体を採用しています。
後水尾天皇御宸筆の駒を写した駒は大正時代に将棋宗家の大橋家から十二世名人小野五平の手を通じて旧黒田侯爵家に渡り、黒田家の依頼により豊島龍山が写し駒を作ったとされており、後水尾天皇は水無瀬駒を手本にしたといわれています。
                          奥野一香
 

一香作
贈 六段勝浦
          初代 一香作 贈 六段勝浦 (錦龍書)

錦龍書の元書体となる奥野藤五郎の掘り駒。
明治の後期に勝浦松之助が六段に昇段し奥野藤五郎が勝浦六段昇段の祝いに製作した駒で、まだ奥野商店設立以前の藤五郎が将棋棋士であり趣味あるいは内職として作製した駒。
本作の一香銘は奥野藤五郎の駒師としても極めて珍しい銘ですが、将棋棋士として藤五郎は一香と名乗っていた時の作品で、奥野藤五郎の原点が見える作品です。
 

 初代 奥野一香
奥野作
           初代 奥野一香作 (戦前の天童楷書体)

奥野一香による董斎書の写しではないかと思われ天童に掘駒を伝えた書体。
大正時代初期から中期の作品で奥野一香が東京掘り駒の旗手として名を馳せ、大正初期に天童へ彫の技術と共に伝えた書体の駒です。
大阪掘りでもなく天童掘りでもない東京掘りとして、豊島の盛り上げ美術駒に対抗し覇を争ったであろう時代の駒で、奥野藤五郎の駒師としての実力を示す素晴らしい作品です。
 

 奥野一香
宗歩好
 
           二代目 奥野一香作 宗歩好

二代目奥野一香こと奥野幸次郎が大正時代に駒作りを開始した初期の作品で、将棋連盟の名人駒として有名な駒の初期の書体です。
まだ駒師として、特に漆の扱いに未熟な作品ですが一度途絶えてしまった奥野一香の駒作り復活への意気込みが感じられます。


奥野一香
清龍
 
           二代目 奥野一香作 清龍

初期の宗歩好と同時期に製作された駒で、外職である清龍の書体です。
今日に残された多く清龍の駒は奥野商店出入りの無名作者の駒ですが、幸次郎の手による清龍の駒は珍しい作品です。
本駒以外には後年に幸次郎が製作した根杢の清龍の駒が連盟に残されていると聞いています。
 

 奥野一香作
昭和大典記念
菱湖書
           二代目 奥野一香作 昭和大典記念 菱湖書

即位の礼とは天皇が皇位を継承したことを内外に示す儀典で、最高の皇室儀礼とされます。
昭和3年11月6日から11月21日の16日間に渡り、昭和天皇の即位の礼・大嘗祭が執り行われ一連の儀式を御大典と称され国民的な大祭典でもありました。
その昭和大典を記念して丹精込めて作られた二代目奥野一香である幸次郎の作品。
奥野一香の銘では非常に珍しい彫り銘で、奥野一香を代表する名逸品です。
 

奥野一香作
錦旗
            二代目 奥野一香作  錦旗

竹内淇洲が関根名人に贈った本当の「錦旗」の駒である淇洲書。
豊島龍山の後水尾天皇御筆写しによる豊島錦旗。
木村文俊の安清写しによる木村錦旗。
そして、江戸期の駒師金龍の駒を写したと思われる奥野錦旗。
そんな錦旗のなかのひとつである謎に包まれた二代目奥野一香の錦旗駒です。
                         増田芙蓉 
 

増田芙蓉
増田開進堂
          増田芙蓉筆 芙蓉花押 水月 増田開進堂 

幕末から続く伝統の安清書体を引き継ぎ、彫駒の一大産地として大阪が栄え、その大阪彫を代表する芙蓉の駒は現在も数多く残されていますが、そのほとんどは外職の普及駒で、初代弥三郎や二代目虎造の作品は以外にも珍しい作品です。
豊島に嫁いだ信華の実家としてもその名は知られ、かつては西の増田、東の豊島とその人気を二分した芙蓉の彫駒です。
                         小林重次 
 

重次作
後水尾天皇御筆跡
          重次作  永澤好 後水尾天皇御筆跡の写


大正から昭和にかけて関西で活躍した彫駒師の重次が残した作品は豊島の錦旗に採用された「後水尾天皇御宸筆写」と同じ書体を得意としていた駒師です。
深彫の八代目駒権が師と仰いだ駒師重次の大正から昭和にかけて作られた駒の三作品です。
                          木村文俊 
 

木村文俊作 
 
       木村文俊作 錦旗・木村名人書・金龍書・玉舟書

初代実力名人である木村義雄名人の実弟。
豊島に弟子入りして7年ほどして独立したといわれ、「木村名人書」「玉舟書」を作り得意とした。
木村も豊島や奥野に対抗して、木村独自に安清を手本にした「錦旗」を残しています。
一時は飛ぶ鳥を落とすほど売れ、天童の彫り師に下職に出したほどの駒師です。
(1984年昭和59年76歳)
                           信華 
 

 信華作 清安書
 
         信華作 清安書(源兵衛清安)・安清書・金龍書

信華は大正から昭和にかけて活躍した女流駒師と言われ、大阪の駒師で芙蓉銘で知られる増田開運堂増田虎造の娘で、二代目豊島龍山こと数次郎に嫁ぎ、その後離縁して実家である大阪に戻り駒を作ったとされています。
本作品は豊島の木地に豊島の字母紙を用いて製作された信華の作品です。
                          大竹竹風
 

初代・竹風

     初代竹風  昇龍書・金龍書・錦龍書(一乕)・長禄書

大竹 治五郎師 (1914 〜2006) 東京に生れ 家業の黄楊木地卸の手伝いで奥野一香の外注駒師、松尾昇龍へ駒木地を届け駒作りを覚え、昭和3年頃十四歳より駒作りを始めた。
最後の東京駒職人とも言われ、家業の駒製作は息子日出男氏 (1944〜)に引き継がれ、妹も涼風の銘を持つ職人として現在も活躍している。
                          金井静山 
 

金井静山作
 
         静山作 錦旗書・長禄書・菱湖書

昭和15年より骨董屋の店番をしながら豊島の下請けで駒を彫りはじめ、1年後、豊島親子が亡くなり、その後未亡人に請われ龍山銘で駒の製作を始めました。中村碁盤店からは「潜龍」銘で駒作りをし、さらに初代宮松の下職としても駒を作り、自分の銘にこだわらず他人銘でも頼まれれば駒を作り、淡々と一生を駒作り職人として過ごしました(1991年平成3年87歳)
                          宮松影水 
 

宮松作 昭和壬辰
錦旗
 
         宮松作 昭和壬辰 錦旗

本作は昭和27年宮松幹太郎24歳の作品で、幹太郎は昭和20年から46年にかけて活躍し、マニアから高く評価されたが、若くして43歳で病死した。生前、数多くの名品を残しております。
其の中でも、駒銘に年号を記した作品は幹太郎自身が生涯における会心作と言った作品です。
書体は豊島の残した錦旗字母を用いております
 

幹太郎作品
美水作品
 
      影水作・水無瀬書  土居駒・昇龍書  美水作・清安書

宮松幹太郎の後期作品ですが、影水の水無瀬書体は彼の駒文字を代表する書体です。
影水作品の中でも最も影水流が生きた書体ではないでしょうか。
又、勘太郎が二十歳の頃の作品として珍しい土居駒と美水さんも掲載しました。

                          木村香順 

 
木村香順作・菱湖書
黄楊駒台
         木村香順作・菱湖書 黄楊駒台

木村香順は木村茂夫とその子、木村順一・順二3名の銘で企画・渉外を父茂夫が、指物は長男順一が、駒製作は順二があたっていました。
将棋駒の製作は本業ではなく駒台などの指物を主に手掛けており、次男順二を将棋駒師と育成すべく昭和52年頃、熊澤良尊氏が当時「駒作りの会」の講習会を大阪、名古屋、東京で開き、その東京会場に参加したおよそ20名の中の一人で、これを機会に駒作りを始めました。
いわば、今日のアマチュア駒作りの先駆者でもあります。



                    将棋盤
                          江戸期・将棋盤 

 
元禄四方木口将棋盤
  
       江戸期  元禄四方木口・四寸将棋盤

将棋盤では珍しい四方木口の盤です。
江戸前期の元禄時代に流行した四方木口の木取りは、贅沢な木取りで、その後作られる事はなく、現在ではほとんど見る事もできません。
また、用いられている材も、本土の千年榧材が用いられ、おそらく吉野榧ではないかと思われます。
                          平井芳松 
 

4.4寸将棋盤
 
        
 平井芳松作 四.四寸将棋盤

芳松の作品に超一級品の材を用いた作品を見た事はありませんが、当作は大正11年8月の作品で、四方柾の作品で90年経ったにも関わらず、反りは勿論ヒビや割れも見られません。
また、組み立て式の駒台に豊島の董斎書の駒も一緒に古家から出た物です。
流石に芳松、見事な出来ばえで、その脚の作りや形にも彼の作品には技が光ります。

 

3.5寸将棋盤
 
 
        
 平井芳松作 三.五寸将棋盤

当作は昭和13年9月の作品です、材は一級品ではありませんが、駒台に駒台箱に将棋盤覆いのセットです。
脚は並脚ですが、品格がありその脚の作りや形にも彼の作品には技が光っています。
平井の碁盤は多数の作品(数百)が残されていると思いますが、将棋盤は少なく貴重な一品です。
  

5寸碁盤
 
          平井芳松作 五寸碁盤

近代における碁盤師の巨匠といわれた平井芳松氏は、ついに妻もめとらず子ももたず、飄々として仕事に打ち込み、晩年は、養老院で淋しく死んだそうです。 彼は気が向かなければ1ヶ月でも2ヶ月でも仕事をせず、水気の有る盤には絶対に手をつけなかったといわれています。
現在、平井芳松の作品は大正から昭和初期16年頃までの物が残されており、その作品は100年経た現在でも反りや割れが見られず日本一の碁盤師としてその名を残します。