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カステラかすていら、カステーラ、カステイラ、家主貞良とも。ポルトガル語:castella)は、卵を十分に泡立てて小麦粉、砂糖(水飴)を混ぜ合わせた生地を、正方形から長方形の大きな型に流し込んで、オーブンで焼いた後に棹型に切った菓子の一つ。

種類

一般的に長崎カステラと呼ばれる物は、長崎県長崎市の福砂屋が最も歴史があるとされている。長崎県の銘菓だけでなく、製法が同じ物を総称している。水飴を用いる事でしっとりとした食感をもたらしており、牛乳・抹茶・黒糖・チョコレート・チーズなどを加えて味付けをする変種も多い。この他に釜カステラ(東京カステラとも言い、一つ一つの型に入れてオーブンで焼いたタイプ。水飴を用いない事からさっぱりとしており、カステラの原型に近いとも言われる)、蒸しカステラ、カステラ饅頭、ロールカステラ、人形焼等が有る。又、カステラを応用した菓子としては、福島県の会津葵、愛媛県のタルト、島根県の八雲小倉、長崎県平戸市のカスドース、長崎県壱岐市のかす巻、長崎県長崎市の桃カステラ等が有る。長崎カステラを洋菓子化した物として銀装のカステが有る。

又、本来の製品ではないが、カステラを棹型に切り揃える際に、切り落とし(耳)が発生する。これを袋詰めしたりラップで包んだりして、本来の製品よりも割安で販売する場合も多い。材料は本来の製品と変わらず、寧ろ砂糖が蜜の様に集まったり結晶化したりして、甘みを増している場合も有り、贈答以外の用途(おやつ等)で人気が有る。

歴史

名前の由来はスペインのカスティーリャ王国(Castilla)のポルトガル発音カステーラ(Castela)と言われている。この原型は、中国の点心の一つであるマーラカオ(マーラーイコウ、馬拉?)、沖縄のちいるんこう(鶏卵?)と呼ばれる蒸しカステラ類の始祖でもある可能性が高い。

カステラはオランダ(一時スペイン領になった事が等る)から製法を伝えられた為ポルトガル語「pao de Castella」(パン・デ・カスティーリャ、カスティーリャ地方のパンの意)や中南米似た菓子のビスコーチョが由来とされる物や、カスティーリャ地方に似たお菓子はない為ポルトガルの焼菓子である「pao de lo」(パォン・デ・ロー)が製法的に似ている事から、こちらを始祖とする説も有り、日本独特の菓子に発展、創作していった為諸説有る。

室町時代末期にポルトガルの宣教師によって長崎に伝えられたとされる。当初のカステラは卵、小麦粉、砂糖で作ったシンプルな物であり、ヨーロッパの菓子類としては珍しく乳製品を用いない事から日本に残る事が出来た。カステラにはオーブンの存在が重要であり、江戸時代まではオーブンに代替する天火の開発が進められた。岐阜県の恵那市岩村町に残るカステラ(松浦軒本店)は、長方形の型に水飴を入れない生地を流し込み、上下から木炭の火で焼いたと言う(現在はオーブンを使用)。あっさりとしてさっくりとしており、天火が本格的に開発される以前の古い形を残したカステラである。 尚、日本で最初にカステラを食べた有名人は織田信長であるとの説が広まっているが、真偽については定かではない。

(松浦軒のカステラの歴史。 岩村藩郷士神谷数右衛門の長男、 名は譲、字は文礼、神谷雲澤(通称雲澤)。 安永二年(一七七三)。 叔父岩村藩医神谷宗元積善の養子となった。 一七才の時名古屋の医師佐枝玄達に入門。 儒学は同じ尾張藩の秦鼎に学んだ。 寛政八年(一七九六)二四才にて長崎へ留学。 ここで通辞小川善之丞について蘭学を修業し、 名村逸諦に西洋外科医学(蘭方)を学んだ。 二六才の時岩村へ帰郷し、医者として開業。 長崎より帰郷するに当り、 長崎カステーラの製法を学び、岩村へ伝えた。 この菓子舗が松浦軒である。 (一八二O)二月一五日四八才にて死去し、富田赤禿山に埋葬された。)

主流に於いては菓子製造の盛んだった江戸・大坂を中心にカステラの日本化と天火の開発が進められ、江戸時代中期には現在の長崎カステラの原型に近い物が作られている。長崎カステラの特徴である水飴の使用は明治以降の西日本で始められたと言われ、これにより現在のしっとりとした触感となった。西日本に於いては原型のパウンドケーキの様なさっくりとした感触が好まれなかったと見られる。伝来当時、肥前国平戸の松浦家に於いて、南蛮菓子としてカステラが宴会に出された時、その味に馴染めず、包丁方がカステラを砂糖蜜で煮たと言う逸話も有り、これが上述の「カスドース」の原型になったと伝えられている。

カステラの製法は江戸時代の製菓書・料理書に数多掲載され、茶会でも多く用いられた。その一方で、カステラは卵・小麦粉・砂糖と言った栄養分の高い材料の使用から、江戸時代から戦前に掛けて結核等の消耗性疾患に対する一種の栄養剤としても用いられていた事も有る。こうした事例によって各地に広まり、近代を経て戦後の大量生産によって一般に普及したものと思われる。しかし今尚長崎の街角には多数の自家製カステラ舗が点在し、長崎の風物に彩りを添えている。

スポンジケーキとの違い

カステラに似た物にスポンジケーキが有る(尚、スポンジケーキは卵白と卵黄をそれぞれ別に泡立てる(別立て)方法によって作られる”ヴィエノワーズ(viennoise)”と、卵白と卵黄を共に泡立てる(共立て)方法によって作られる”ジェノワーズ(genoise)”に分類される)。 カステラとスポンジケーキとの間に明確な区分は無いが、日本に於いては一般に前者には”しっとり感”を、後者には”ふんわり感”を求める傾向が強い。この為、カステラはスポンジケーキの中でもよりしっとりした食感の得られる共立て法によって作られるのが一般的であり、更にしっとり感を増す為に糖類を多めに用いたり、同じ糖類でも上白糖や三温糖等の転化糖、或いは水飴や蜂蜜と言った保水性の高い糖類が用いられる。カステラにはスポンジケーキと比べて濃い焼き色のついた物が多いが、これはこれらの糖類に含まれるブドウ糖や果糖がグラニュー糖の主成分であるショ糖に比べてメイラード反応を起こし易い事による。 カステラのスポンジ状の生地は基本的に卵を泡立てる事で物理的に取り込まれた空気が焼成時に熱膨張し、同時に生地に含まれる卵のタンパク質が熱により変性して凝固、気泡が固定化される事により形成されている。ベーキングパウダー等の膨張剤によって膨らませる事も可能であるが、これらの添加剤はカステラに求められる”しっとり感”を損なう場合が有る為、大量生産品を除けば余り用いられない。

主なメーカー

  • 文明堂(ぶんめいどう):1900年(明治33年)に長崎で創業、経営分離などを経て現在では複数の『文明堂』を冠する企業がある。『カステラ一番、電話は二番』のコピーに代表される印象的な広告展開で全国的に知名度が高い。カンカンダンスを踊る三匹のクマの操り人形のCMでも有名。
  • 福砂屋(ふくさや・「福」の字は正式には旧字体):1624年(寛永元年)創業。『カステラ本家』を商標登録している。中国でめでたい動物と言われる蝙蝠(コウモリ)を商標とする。長崎本店の他、東京・福岡等にも支店を持つ。
  • 松翁軒(しょうおうけん):長崎市。1681年(天和元年)創業。『カステラ元祖』を名乗る老舗。チョコレート味のカステラ(商品名:チョコラーテ)等も扱う。
  • 長崎堂(ながさきどう):本店大阪市中央区心斎橋。1919年(大正8年)創業。因みに長崎市内・愛知県にも同名のメーカーが有るが、別会社。愛知の長崎堂は親戚筋が経営していたが、経営不振でポッカコーポレーション傘下になる。
  • ナガサキヤ(倒産・現存せず):京都市。上述の長崎堂やスーパーの長崎屋との関連は無い。(菓子メーカーでもあった)
  • 一六本舗(いちろくほんぽ):松山市の郷土菓子メーカー。タルトと並ぶ主力商品として製造販売。
  • 匠寛堂(しょうかんどう):長崎市魚の町。「献上 五三焼」が有名。毎年皇室、宮家へ献上している。