なぜ日本語を教えるようになったか?

 外国に住みはじめる日本人には、会社などの転勤をのぞいて、2つのタイプの人間がいると思う。一つ目はその外国の地に憧れてくる人、もう一つは日本が嫌で日本を出てくる人である。私は後者に属する。とにかくどこでもいいから日本を出たかった。そして行った先はたまたま知り合いがいてまあ、縁のあったとも言えるドイツであったわけで、これで知り合いがイギリスにいればイギリスだったかもしれないし、中国だったら中国へ行ったかもしれない。それで今度はどこにあるかも知らなかったイタリアへひょこひょこやって来て、居座っているのある。要するに、日本でなければどこでもよかったのである。

 外国に住みはじめるとなぜか日本というものを意識するようになる。町で日本人を見かけたり、何か日本に関する記述があったりすると「あ、日本人だ」とか、「何が書いてあるんだろう」と注意を傾ける。ここで海外在住者は2つのタイプに分かれる。「あぁ、やっぱり日本人てダサい」とか「あぁ、やっぱり日本人は欧米にはまだまだ追いつかない」と日本嫌悪になる人と、「あ、日本にはこういうこともあったのか」と新しい点に気づき、外から見て、なんとなく日本の良さを認識し始める人である。前者はさておき、後者を見ると、ここでまたまた2つのタイプに分かれる。「やっぱり日本の方がいい」と「やっぱり日本もいい」である。前者はこれで、よほどの弊害がないかぎり、日本へいずれ帰国する組である。たとえ居残っても、1年に2回は帰国し、「日本はこうなのに・・・」となんとなくいつも不満に思っている。

 私は後者に属している。外国もいいが、やっぱり日本もいい、というか悪くない。その中でも特に私がいいと思うのは日本語である。ドイツ語とイタリア語を勉強しながら、ふと日本語についても知りたいと思うようになった。自分なりに日本語や言語学に関する本を読んでみた。そして日本語教師養成講座を通信教育で始めたのである。その時はイタリアにもいつまでいるかわからなかったし、ただ単純に「どこの国行っても出来る職」と思い勉強していた。そしてたまたま友達の子供が日本語を習いたがっているというので教え始めた。本に書いてある通り、実践を始めたのである。その子が11歳だったこともあり、平仮名やカタカナ、漢字もどんどん覚え、おもしろいようにマニュアル通りに進んでいった。そうしてちょこちょこと個人レッスンでいろいろな人に教えるようになったのである。

 その頃は定職として、私はヴェネツィアの某イタリアン・ブランドのブティックに勤めていたので、日本語教師としては空いている時間に数時間やっているだけであった。しかし店員の仕事にも嫌気がさし、オーナーと大げんかもしたので辞職届を出した。そこへちょうど3つの語学学校から「コースを持ってくれないか」と同時に声がかかり、即引き受けたのである。

 私は今、個人的に使命と感じているのは、各生徒の日本語の上達ももちろんだが、それよりもいろいろな人に「日本語」というものを知ってもらいたい、ということである。イタリア人や多くのヨーロッパ人は「外国語」といえば英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語しかないと思っている。日本語、ロシア語、中国語、アラビア語などは眼中にもない。たとえ他にも外国語があると知っていても、アルファベットを用い、文法体系もヨーロッパ系言語と同じだと思っている。そういう彼らの根本的概念を崩してやりたいのである。

(2000年2月10日)


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