むかーしの日記 2001年編
 

ホットプレート
テーマは演歌
ヴェネツィア空港から出発
映画のエキストラ
イースターのニュース
ミラノのレストランで一悶着
サッカー観戦
暖炉でグリル焼き
ミュンヘン小旅行記


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ホットプレート
今日はひっさーーーーしぶりに髪の毛を切った。半年以上経ってるんじゃないかな。ずっと行こう行こうと思っていたのだが、なかなか行かなかった。それが今 日、ステファノの両親と一緒に郊外の大型スーパーに買い物に行ったのだが、そこでふっと思い立って切りに行った。そのスーパーに行った目的というのが、 ホットプレートらしきものを見に行くことだった。私とステが日本に行っている間に、ステファノの両親が私にクリスマスとお誕生日をかねてプレゼントにホッ トプレートを買おうということになっていたらしい。実は去年、日本人の友達からホットプレートを借りてステの両親とロベルトを招待してうちで焼き肉パー ティーをした。結構お父さんもお母さんも気に入ってくれて、慣れない箸で一生懸命食べていた。それと同じのを郊外のスーパーで見つけたので買おうとしたと ころ、ロベルトが猛反対。彼はそのホットプレートが私のだと思っていたようである。お母さんは私が「友達のを借りた」と言っていたのを覚えていたのだが、 なんか自信がなくなってしまって、結局私が帰るのを待つということに話が収まったらしい。
その話を聞いてうれしかったのだが、でも日本のあのホットプレートはこっちでは売っていないはず。私も毎回日本から買ってこようと思っているものの、荷物 がかさばるのであきらめているアイテムナンバーワンなのである。でも両親が絶対に同じのだ!と言い張るので、一緒に見に行くことになったのである。

さてさて売り場に行くと・・・お母さんが「ほら!」と自慢気に指さして見せてくれた。うわぁ〜、全然違う!ぱっと見ると形も似ているのだが、プレートがで こぼこのグリル用になっていて、でこぼこの溝の部分には穴が開いている。こんなでこぼこじゃお好み焼きとかホットケーキができないよ〜。「え、違うの?」 お母さんの残念そうな顔。私は冷や汗だが(^_^;)、違うものは違うのである。
「じゃあ、これは?」とお父さんが指さすものに目を向けると、うわぁ、もっと違う!ラクレットというチーズ料理用のプレートだった。
「たぶんイタリアにはないと思うから、いいよ。」といったのだが、別のスーパーでも違うモデルを見たそうで、それを見てみようという。結局土曜日に別の スーパーへ行くことになった。でもたぶん別物だと思うんだけどな。
2001年01月19日 09時13分41秒



テーマは演歌
今日は友達とプールに行ってき た。やっぱり体を動かさなければ。。。
特に先週からずっと、コンピューターの前に座っていることが多く、もう肩がこっりにこっていて、昨日までピップエレキバンを貼っていた。イスを買い替えた せいか、腰の痛みはなくなってきたように思えるが、肩はひどい。

プールは空いていたので、一番端のおじさんが一人しか泳いでいないコースに入ったのだが、このおじさん、どうもだんだん疲れてきて真ん中を陣取って泳いで いる。このプールはどのコースも二方通行なので、右側を泳がなければならない。しかしおじさんがだんだん真ん中よりに泳いでいるので、反対方向からは泳げ なくなってしまった。でもしばらく泳いでいると、ひえー、今度はおじさんが真ん中でうつぶせになって浮いている!平泳ぎをしていた私は水の中のおじさんの 様子を見ながら泳いだのだが、ほっ、ちゃんと息はしている。そして、時々がばっと顔を出して呼吸をしている。なんだ、元気なのか。どうも呼吸の耐久練習の ようなことをしているつもりらしいが、真ん中でいきなりするなよ〜。おじさんが気でも失ったのかと思って、友達と焦ってしまった。

午後は1時間レッスン。大学生の女の子で、来週の月曜日が試験だという。レッスンが終わり、ちょっと雑談していると、彼女はそろそろ卒論の準備にかかって いるという。何を書くの?と聞いたら、なんと答えは「演歌」!彼女は音楽社会学というような授業をとっているらしく、演歌の社会的現象につ いての卒論を書くつもりだという。音楽の内容ではなく、演歌のイメージ、衣装、舞台装置、CDジャケットやポスターなどから受ける印象とかそういったこと を分析した内容にするらしい。ふーん、みんな色々なことを考えるんだなぁ。日本人の友達もいるらしく、ビデオとかを送ってもらっているらしい。ただ、彼女 はPAL方式のテレビとビデオデッキしか持っていないので、見れないのだという。私も去年の紅白のビデオを貸してあげようか、といったのだが、日本で録画 したものなので見れない。でも最近ではけっこう安くPAL方式のテレビでNTSC方式のビデオが見れるデッキが売っていることを教えると、それを見に行っ てみるといっていた。実際、私のビデオデッキもそうなのだが、日本から持ってきたビデオも、アメリカのも普通のテレビで見れる。
小林幸子の派手な衣装や、去年のヒット「孫」のこととかも知っていたし、また演歌とヒップホップを結合したような新しい演歌を考案している日本人グループ ともコンタクトをとっているといっていた。すごいなぁ。
私も別に演歌は好きではないが、でもいいなぁと思う曲もあるし、考えてみれば、あの音楽というのもけっこう日本独自のものではないかと思う。それに有線放 送やカラオケでは、その年のヒット曲とは関係なしに演歌は根強い人気があるのは事実である。ぜひとも卒論が完成したら、読ませて欲しいもの。
2001年02月23日 02時42分19秒


ヴェネツィア空港から出発
この題からすると、まるで私が 出発したようだが私ではない。仕事で、とある日本人の方達を空港まで見送りに 行ってきたのである。でもただの見送りではない。仕事の関係で機材など荷物の量が半端ではない人たちなのである。それでいろいろと問題もあるかもしれない ので、一緒に行ってきたのである。
まずは通関手続。これはちょっと時間がかかったものの、スムーズにOK。最初は係官がなんのことだかわからなかったようで、上司の指示を仰ぐために電話な どをしていたが、無事終了。次はチェックイン。まだチェックインカウンターは開いていなかったのだが、あまりにも荷物の数が多いため、先に手続が出来ない かと交渉したところ、NOの返事。やっぱ、ドイツの航空会社は融通が利かないなぁ。
晴れてチェックインカウンターがオープンし、手続開始。預けた手荷物、なんと15個。重さは300KG以上。最初は「航空会社から許可をとってないからだ めだ」とか何とか言っていたが、電話で確認をとったところ、すんなりOKがでたらしい。確認してから言えよなぁ。
他のカウンターの女の子達が「いくら超過になるかわかってんの、この人たち?」とおしゃべりをしていたが、彼らは当然仕事であっちこっちに行っているので 百も承知。彼らはヴェネツィアからフランクフルトまではドイツのキャリア、それからJALに乗り換えて成田までなのだが、JAL便の方はかなりの超過を認 める許可をもらっていた。丁寧にJALからはその旨を別の航空会社に伝えて、スルーチェックを簡単にして欲しいという趣旨の手紙まで出してあったのだが、 ヴェネツィアのチェックインカウンターでは、それは関係ない、と冷たい返事。だからヴェネツィアからスルーチェックにしてしまうと、そのJAL便の超過許 可は無効になり、超過分の料金を全て払わされることになるらしい。
仕方がない。フランクフルトで降り手荷物を全部とり、再びJALでチェックインし直して、超過許可を認めてもらうしかないのである。「まあ、しょうがない ですね」と彼らも納得して、それではお気を付けて〜、と挨拶をした。
私はちょうどヴェネツィア行きのバスがあったので、それに乗って出発を待っていると、携帯電話が鳴った。その日本人の方達からである。なんと、出発ロビー のところに行く荷物検査のところで引っ掛かったらしい。幸い、まだバスは出発していなかったので、急いで駆けつけると、荷物が多いから通さない、と警察に 兄ちゃんが頑張っている。だから全部チェックインし直せ、という。冗談じゃない!あの15個の荷物のチェックインでも時間がかかったし、おまけにチェック インカウンターは長蛇の列。
さらに食い下がって「どうしてだめなの?」口からでまかせ「先月同じ荷物の量で来たときは何ともなかったのに、今日はどうして?」と追及すると、次第に 「チェックインカウンターへ行け。あそこで何とかなる」とばかり、言い始めた。
仕方なくもどって、チェックインカウンターのお姉ちゃんに「通してもらえなかった」というと、「決まってるじゃない、それは全部預けなきゃだめ」という。 でもその手荷物のほとんどはカメラ類で、どうしても預けられないものらしい。預けて万が一何かあっても、航空会社は責任をとらないわけだし。
でも一つだけやはり大きい荷物があったので、それは預けざるをえなかった。超過料金をさらに取られるかと思ったが、長蛇の列だったため、彼女も面倒だった らしく、大丈夫だった。ホッ(*^^*)
でもその他のものには「機内持ち込み認可」という黄色いタグを付けてくれた。なーんだ。それがあればよかったんだな。知っていれば始めから聞けばよかっ た。
また荷物検査のところに戻ると、警察の兄ちゃんは黄色いタグを見て、「ほらね、大丈夫だろう。僕たちはここでチェックインカウンターに戻れとしか、言えな いんだよ」
まあ、つまり彼らは「機内持ち込み認可のタグを付けてもらいなさい」とは立場上言えなかったわけなんだな。何とか納得。
やれやれ、こうやって、無事に皆さんはヴェネツィアから旅立っていきました。

果たしてフランクでは大丈夫かなぁ。
2001年03月25日 01時53分01秒


映画のエキストラ
あー、今日は朝から雨。
雨漏りがしている。どうしよう。でも修復にはお金がかかるだろうな。

昨日は色々な仕事の区切りがついて、やっと落ち着いた感じだった。夜は色々なことをやろうと思っていたのに、結局ぼーっとテレビを見てしまった。
おとといの夜が遅かったせいか、なんか昨日は一日中ぼけていた感じだった。
そう、おとといはアルバイトで遅くなったのである。久しぶりの映画のエキストラ役であった。でも正直言って、今回のはエキストラ以上と言ってもよかったの ではないか。何と言っても通訳の“役”をやらされたのだから。。。でもギャラはエキストラ相当だったので、正直言って、ちょっと不満である。

1ヶ月ほど前に、ヴェネツィアでは映画のエキストラとか小物等を手配している友達に会い、3月の末にまたあるから頼むねー、といわれていた。気軽にいい よ、といっておいたのだが、日曜日の夜に電話がかかってきて、「明日衣装合わせに来て」という。衣装合わせ?「着物を持ってる?」と聞かれ、「持ってな い」というと、誰か友達から借りれないか、と聞く。借りたところで、私なんか一人では着れない。
というわけで、翌日指定の場所に行くと、衣装係に色々な洋服を見せられた。なんでも聞いてみると、1950年代を背景にしたストーリーであるらしい。2着 着せられて、写真を取ってもらって、ハイ終わり。「じゃあ、また電話するから」

5年ぐらい前から、時々頼まれて映画のエキストラをやるのであるが、いったい何の役?と思えば、何ということはない、立派な“日本人観光客”役 である。ヴェネツィアではよく映画やドラマの撮影をやっており、中世風から18世紀風、さらには現代まで、さまざまな時代背景に使われている。もちろん、 中世や18世紀には日本人観光客なんているわけがないので、私たちが出るのは現代を背景としたドラマや映画である。一年に数回ではあるが、友達から電話が かかってきて、「○日の○時、△△で、いつものヤツね」といわれれば、日本人観光客役なので、地図やガイドブック、カメラなどの小物を持ってこいという意 味である。ショッピングしたブランドの紙袋を持たされることもある。主人公達が話をしながら立っている橋の下を、ゴンドラに乗って写真をぱちぱち撮る、と いう役もやったことがある。

というわけで、今回のも同じようなものだと思っていたら、衣装合わせにまで駆り出された。そしておととい、やっとその撮影があったのであるが、メイクとか 髪のセットもするから、早く来いという。いってみると、もう他のイタリア人のエキストラ役もみんな衣装を着たり、メイクをしてもらったりしている。50年 代末、ということだが、日本だとモボとかモガの時代になるのかなぁ。生まれる前なので、よくわからない。メイクの部屋には壁に50年代の雑誌の切り抜きの コピーが貼ってあり、みんな時々それを見つめながら、考えて仕事をしているようであった。私はまず髪のセットをしてもらい、それから衣装を着た。でも、そ の衣装というのが、先日衣装合わせに着たものとは全く別のものであった。
そしてメイク。けっこう丹念に時間をかけてしてくれたそのメイクは、ひえぇ〜、私じゃない!もう塗ったくった、という感じだが、「50年代はこうなのよ」 と、メイクのお姉さん。彼女は自分の仕事に大変満足であったようで、喜んでいた。ヘアーの兄ちゃんも満足であったようで、最後には写真を撮りたい、とまで 言ってきた。

メイクをしてもらっているとき、ふと近くにある紙を見ていたら、そこには誰がどのシーンに出るかというリストであった。これはけっこう有名なイタリア人監 督の映画であったが、主人公は知らなかったので、興味深くみていると、あったあった、知ってる名前が!おぉ、Ezio Greggio!彼が出ている映画は見たことがないが、テレビではいつも観ているし、けっこう好きなほうである。この監督の映画にはよくCristian De Sicaとかが出ているので、彼が見れるかなぁと期待していたのであるが、Ezioの方がうれしい☆ でも残念。カメラを持ってこなかった。

そうして、やっと撮影が始まったのであるが、ほんの数秒のシーンを撮るのに、何度もやり直しさせられる。夜だったため、なんか私も眠くなってきた。私はこ の夜のシーンだけだったが、他のエキストラ役はずっと朝からやっているようであった。10センチ以上もあるヒールの靴を履かされており、歩くのもやっと だったが、幸い私の役は座っているものだったので、よかった。他の女の子は何度も背景を行き来しなければならないようだったので、大変そうだった。

とてつもなく長い時間に考えられたが、終わったのは夜の11時半頃。撮影は8時半からだったから、まあ3時間か。問題は帰り。場所はリド島だったので、水 上バスに乗らなくてはならない。でも運よく水上バスが来たので、思ったより早く家に帰れた。家に帰って、改めて鏡を見てびっくり!早く帰りたかったので、 口紅だけ落として帰ってきたのであるが、よくもまあ、こんな顔で歩いていたなぁ!
2001年03月30日 19時00分55秒


イースターのニュース
今はイタリアではイースター (パスクア)のお休みで、今日月曜日もイタリアでは休日。
毎年、この時期のニュースといえばイースター休暇で旅行に出る人たちの混雑ぶりを報道するものばかり。超渋滞の高速道路、ローマ、フィレンツェ、ヴェネ ツィアの混雑、山でのスキー、南の海水浴である。ところが、このイースターは異常気象で、なんと南イタリアの多くの場所が雪!ローマ近郊からアブルッツォ 地方へは大雪で、海水浴に出かけようとした人がみんな高速道路が通行止めでリターン。かわいそうなことである。
北イタリアは天気はいいものの、かなり寒い。今日も風があるようで、ヒーターもがんがんに入っている。もうそろそろ冬物をしまおうかと思っていたのに、ま だまだ要りそう。

ところでそんな毎年お決まりのニュースの中にも、今年は笑わせてくれるニュースが2つあった。いや、当人達は笑うどころではなかったと思うが、こちらから 見ればおかしい。
イースターの卵型チョコまず一つはチョ コレート事件である。イタリアのイースターでは、チョコレートをプレゼントする習慣がある。それも卵の形をしたものである。Uovo di Pasquaといって、卵は“誕生”を象徴するものなので、この復活祭のシンボルとして使われているようである。それで大きいものでは高さ50センチぐら い、小さいものでは2センチぐらいまでのものまで、大小様々なチョコレートが店頭に並ぶ。このチョコレート、小さいものは中も詰まっているが、大きいもの は中が空洞になっている。それでチョコレートメーカーはお客を惹きつけるために、この空洞のものには「おまけ」を入れているのである。くだらないおもちゃ とか安っぽいアクセサリーなのであるが、一応開けるときに「何が入っているかなぁ」とちょっと楽しみになったりもする。
さて、その事件なのだが、ある男の子がガールフレンドにプレゼントするチョコレートを特注。彼女を驚かせようと、中にはダイヤモンドのついた婚約指輪を入 れてわざわざ配達させた。ボーイフレンドからのチョコレート受け取った彼女、よく見るとパッケージには「ビターチョコレート」と書いてある。彼女はミルク 味のチョコレートが好きなので、ボーイフレンドのプレゼントのことを知らない彼女は近所のお店に行ってミルク味と取り換えてしまったのである!
少し後にそのことを聞いた彼、大激怒!急いでお菓子屋さんに行ったものの、既にそのチョコレートは売られてしまったあと。お店の人だって、まさかそんなこ とは知らないから、売ってしまったわけである。というわけで、このカップルは婚約どころか破局。
でも彼氏も、自分で渡してそれとなくプレゼントのことを匂わすなり、なんかもっといい方法があったのではないかと思うのだが。。。

もう一つは携帯電話事件である。とある男性が、愛人である既婚女性にイースターのご挨拶をしようと彼女の携帯電話に電話(注:イタリアでは 「イースターおめでとう」という挨拶を交わす)。この男性は電話会社の自分の番号がわからないようにするサービスを申し込んでおり、相手の携帯電話には自 分の電話番号が出ないようになる。だから万が一、誰か別の人が出ても大丈夫。というわけで、かけたところ、本当に運悪く相手の女性のだんなが電話に出てし まった。でも安心、安心。すぐ切って間違い電話を装った。どうせ相手は自分の番号がわからない。ところが、なぜか彼の電話番号がディスプレ イに出てしまっていたらしい。受け取っただんなはラインが不安定で切れてしまったのかと思い、ご親切にもかけなおした。彼女からだと思って出ると、なんと だんなから。というわけで、不倫がばれ、大げんかに発展したわけである。怒り狂った男性は電話会社を訴えた。ところが、電話会社側はイースター時期に電話 が混雑することを予想し、このサービスを一時停止する通告を出していたのである。
というわけで、こちらも破局を迎えることになったようである。

なんともとんでもないイースターのようだが、私はけっこうのんびりと過ごしている。
2001年04月16日 17時51分53秒


ミラノのレストランで一悶着
先週はトリノとミラノに行って きた。
暑かった。トリノに2泊、ミラノに1泊したのであるが、ホテルは冷房が効いていてよかったな。それにしても今回のミラノ滞在はちょっと幻滅。暑かったし、 疲れていたけれど、ホテルもレストランもいやなことが多かった。トリノのお店やレストラン、ホテルがどこも感じよかったのに対し、それに比べてしまうとミ ラノは本当にいやだった。これもヴェネツィアからそのまま行っていたら、全く気にならなかったんだろうけど、トリノはけっこうお気に入りの町なので、つい ついなんでもよく取ってしまうのである。

ミラノのレストラン、今回はキレた。日本人のお客さんと一緒だったのであるが、みんなが疲れていて、あまり遠くへごはんを食べに行きたくないというので、 ホテルに聞いて近くのレストランを紹介してもらった。何せ8月に入ってバカンスで閉めているレストランも多く、私としては行きたいところがあったのだが、 ちょっと遠いし、開いているかもわからなかったので、ホテルに頼ることにしたのである。
なるほど、紹介してもらったところはホテルから歩いて5分もかからないところだった。けっこうきれいなところだった。メニューを出されて、約15分かけて みんなに訳し、決めてもらっていざ注文。端から一人ずつ、前菜、パスタなど、食べたいものを言ってもらう。するとのっけから、注文を聞いていた兄ちゃん (どうもオーナーらしい)が、「それはない」「あれはできない」「これは今日は無理」と言い出す。 「え、どうして?」と聞くと、なんと翌日からバカンスで休業するので、もう色々な材料がそろってないという。だったら早く言えよ。こっちは15分かけて全 部のメニューを訳しているのである。そしてしきりにメイン料理にスズキのオーブン焼きを勧める。でも私はみんなが前菜やパスタだけで、メインをあまり食べ たがっていないのを知っていたので、「それは要らない」と言っているのであるが、他の人のところへ行ってしきりに「スズキ、スズキ」と日本語で言ってい る。他の人も笑って「スズキねぇ〜」と聞いているのであるが、あまり気が乗らないようであった。そうしてみんな勝手にパスタや肉のメインを注文していた。 5人の注文を取ったところで兄ちゃんが「マンマ・ミーア、みんな違うパスタ料理を頼んでいる。コックが大変 だ」と言い出した。これに私はむっときて、「別に私達は待ってもかまわないから。 ちゃんと注文したもの作って持って来なさいよ」 と言い渡した。ところが「でもコック が一人で何種類ものソースを作らなくてはならない」とぬかす。「そんなこと、私達 の知ったことじゃないでしょう。あんた、一応これだけメニューに載せてるってことはできるってことなんでしょう。既にこれはない、あれはない、って言うか らあなた達の材料の都合に合わせてるんじゃないの」と答えてやった。日本人のお客さん達も穏やかでない雰囲気に気づいたので、私は ざっとウェイターがこんなことを言ってるのだと説明した。日本の方達もけっこういいレストランを世界中まわっている人達なので(イタリアは初めてだった が)、「うーん、確かに日本とかでは、その理屈は通らないよなぁ」と相づち。7人目の注文に入った時、ついに私はキレた!その人はメニューにあった「海の 幸と山の幸和えパスタ」というのは頼んだのであるが、兄ちゃんが「山の幸というのはフンギ(キノコ)のことだ が、キノコはイタリアでは10月にしかとれないからから、今はない」と言ったのである!私は思わず声をあげて、「ちょっと〜、10月にしかない料理なら、なんで普通のメニューに一年中載せてんのよ!季節料理なら、季節料理として、その時 期にだけ別のリストにして出せばいいでしょッ!少なくともここと同じレベルのレストランはみんなそうしてるわよっ!」「だいたいねー、今日はメニューの種 類が少ないし、コックが無能で出来ないなら、初めからそう言ってくれればいいじゃないのッ!あらかじめ出来る料理の種類を言ってくれれば、こっちだってそ の中から選んであげるんだから。一体どういうつもりで商売してるわけ?」これにはもちろんイタリア語のののしり言葉も追加した。 私がこう吐いている間、反対側からは別のレストランのおやじ(こいつが本当のオーナーで、私達の注文を取ってる兄ちゃんの父のようであった)はこうぬかし やがった。「今の時期は市場もバカンスで休んでいるところが多く、今日はキノコが手に入らなかったのは、おれたちの 責任じゃないんだ」おれたちの責任じゃない?ちょっと、それじゃあさっきの「キノコは10月にしかない」という理屈はどうなるわけ?とにか くないっていうのはわかったけど、その言い訳を付けるなら、親子で統一して欲しいよね。 というわけで、何とか注文したのであるが、これが私一人だったら、もちろんレストランを出てしまっていただろう。でもそれが出来な かったのは、他の人達が疲れていたということと、近辺に開いているレストランがなかったという事実があったからである。こういったことは、イタリアのレス トランではしょっちゅうあるので、普段は私もあまり気にしないでやり過ごすのであるが、この日は暑かったし、ホテルでも一悶着あった後だったので、既に頭 の中は湯気が立っていたのである。そうして、爆発したのであった。 食事の方はかなりどれもおいしかった。残念である。せっかくミラノの中心地でこんなにおいしいのに、でももう二度と行く気はしない。 最後にコーヒー類を注文したのであるが、これがまたみんな違うものを頼むことになった。嫌みで「みんな違うんだけど、出来るかしら〜」と心配そうに言って みたら、兄ちゃんがフッと弱い笑いを見せて「大丈夫」と一言。これには思わず私も微笑んでしまった。

2001年08月05日 02時59分47秒


サッカー観戦

ティフォージ達の盛り上がりずっと書 こうと思っていたのは、サッカー観戦である!私もサッカー大国イタリアに住んで12年になりながも、本物のサッカーの試合を一度も観たことがないので あった。一番の原因はもちろん、私に全く興味がないからなのであるが、それでもまわりに好きな人がいれば、他方の影響を受けていたかもしれない。ところ が、彼氏のイタリア人やその他の友達でも、まわりにほとんどサッカー好きがいないのである。最初に7年ほど住んでいた家には、テレビもなかったので、テレ ビででさえサッカーの試合を観ることがなかった。だいたい毎週日曜日にサッカーの試合がやっているなんて言うことも、知らなかったのである。でもヴェネ ツィアのサッカー場に比較的近いところにすんでいたので、時々試合がやっていることは知っていた。窓を開けると、時々歓声が聞こえてきたりしたので、 “あ〜、サッカーやってるんだなぁ”ぐらいぼんやり思っていた。

そして今回、9月にお仕事でサッカー観戦にお供したのである!!私はこの話が来たときに、前もって、「サッカーに関しては全くわかりません」と言っておい た。しかし依頼主はそれでもいいというので引き受けた。当初の予定では中田を見に、パルマ-ブレッシャ戦を見に行くことにしていたのだが、なんとその日は 大雨。おまけに電車のストまであった!このストの話、実は私も全く知らなくて、そのサッカーの試合の二日ほど前に、たまたまポジターノからアマルフィに行 く船の中で話しかけられたオーストラリア人から得た情報なのであった。私達はミラノに泊まって、ミラノから日帰りで電車でパルマに行こうと思っていたので あるが、「どうしよう!」ということになった。でも私はまだ気楽に「きっと遠距離の特急とかは走るから大丈夫ですよ」と言っていた。さて当日の日曜日、取 りあえずどの電車が走るからわからないから、試合は午後3時半からだけど、早めに行ってみようということで、午前9時にミラノ中央駅に行ってみた。ガ ガーーン・・・ 全滅である。電車の発着掲示板は真っ白。1台も出ていないのである!私は念のため、ホテルで朝タクシーでパルマへ行く値段を確認しても らっていた。だいだいの予想通り240.000リラといわれる。タクシー会社は「今日は雨だし、見本市もあるから、行くならすぐに予約してくれ」とせかし てきた。取りあえず行くなら30分以内に返答することにして、駅まで行ったのであった。
「どうしますぅ?」私は依頼主に聞いた。彼も考えているようである。そこへ日本人の若い男の子達二人が声をかけてきた。「あのぉ、どうして電車がないんで すかぁ〜?」午後の2時までストだと説明すると、彼らも焦りだした。「もしかしてパルマに行くの?」の訊いてみると、そうだという。「中田を応援に行くん です」す、すごいなぁ。そこで駅の構内を見回してみると、どうもそれらしき日本人が結構いるのである。みんな状況がわからずに焦っている。取りあえず依頼 主とその男の子達に、「もし行きたければみんなでタクシーで一緒に行ってはどうでしょう?そうすれば費用も一人当たりにすると少なくなるし。」男の子達は すぐ話にのってきた。しかし私の依頼主は「うーん、どうしようかなぁ」とまだ思案中。彼は別に中田がそれほどの目的でもなく、“まあ見るならパルマ戦 を・・・”程度の興味であるらしい。それに外は大雨。やむ気配がない。聞くところによるとパルマの競技場はほとんど屋根がないので、結構濡れてしまうこと は確実である。私もいるし(内心はこんなんで風邪引いちゃたまらない、と思っていた(^_^;))、彼自身も雨の中見るのはちょっと・・・・と思っている ようであった。パルマ戦を見ない場合は、夜ミラノのサン・シーロ競技場であるミラン-ラツィオ戦を見ることにしていた。彼の心はどうもそちらへ向いてきて いるようであった。まだ9時半にもなっていなかったので、取りあえずもう少し様子を見てみることにして、男の子達とは別れた。彼らは他にも日本人を見つけ て、一緒にタクシーで行くことに決心したようであった。

というわけで日中はミラノの市内観光をすることにした。いろいろと回ったのだが、結局お昼過ぎても雨が全く止まないため、ミラン戦を見に行くことに決定し た。
試合は夜8時半からだが、切符を買っていなかったため、少し早めに行くことにした。ホテルの近くから地下鉄に乗ると、もうちらほらと試合に行く人達の姿が 見える。私も初めて行くところだったので、ホッとした。彼らについていけば大丈夫である。競技場が近づくに連れて、その人数はどんどん増えていった。競技 場に一番近い駅で降りると、もうダフ屋とかが近寄ってくる。取りあえず依頼主は、ちゃんとした正規の切符を買いたいと言っていたので、競技場の切符売り場 へ直行。しかし何だか私にはよくわからない。どうも観客席のカテゴリーで窓口が分かれているようであった。最初に並んだところでは、いきなり私の前の人か ら買えなくなってしまった。どうも売り切れたようである。言われるままに、別の窓口へ行くと、そこにはちゃんとあった。"Primo Anello Arancio"といわれるところである。うーん、よくわからない。
お水と焼き栗を買って、いざ入場!!しかし、入口もたくさんあり、よくわからず何人の警備員に聞いたことか。しかし無事に探し当てて、シートにたどり着く ことが出来た。おぉーっ、よく見える場所である。思わずヴェネツィアのミラン好きの友達のだんなに自慢電話までしてしまった。まだ試合開始まで30分以上 あったのであるが、ミランのティフォージ達はもう既に盛り上がって、というか出来上がっていた(写真参照)。何だかよくわからない掛け声や歌、ドンドン太 鼓の音がして、結構盛り上がっている。彼らを見てイルだけでも飽きなかった。私達のまわりも最初はちらほら人がいるだけであったが、だんだん埋まってき た。変な騒動に巻き込まれるといやなので、内心誰が近くに座るかびくびくしていたが、見たところ、まわりはほとんど50代ぐらいの男の人達であった。服装 も普通で、新聞なんか読みながらおだやかに試合開始を待っている。
しかし!このおっさんたち!試合開始と同時に豹変したのであった!
もうボールがあっちに行ったり、こっちに行ったりするごとに、感嘆詞やら罵詈雑言が出てきて、すごいのである。一度ラツィオの誰かにボールをとられたとこ ろ、もうまわりからすごいヤジが飛んできた。「あの選手って嫌われてるんですか〜?」と依頼主に聞いてみたが、彼もよく知らないようであった。
私自身もルールはよくわからないにしても、結構ボールの動きを目で追って、楽しむことが出来た。依頼主によると、これは強いチーム同士の試合なので、ボー ルの動きも速く、とても面白いらしい。私には比べようがなかったが、ほぼ時間がたつのも忘れて1時間半見入ってしまったので、面白かったのだろう。ミラン は2点入れ、勝ち。ホームのチームが勝ったから良かったようなものの、そうでなかったら大変なことになったらしい。
帰りにはやっと雨が止んでいて、無事にホテルまで到着。なんの騒動もなくてよかった。

というわけで、サッカー観戦初体験だったのであるが、もう見に行かないだろうなぁ。


(写真提供:dankichiさん)
2001年10月14日 00時15分52秒


暖炉でグリル焼き
ゆみこの不定期な日記は月記である。もう自信をもって断言できる。

10月も結局は忙しくて、ホームページの更新も何も出来なかった。11月こそは。。。と思っていたら、これも 全然無理だった。というわけで、もう12月、そして2002年、そしてユーロが始まるのである!イタリアでもあちこちで値段の表記が本格的にユーロになっ てきている。というか、まだ両方表記されているが、ユーロが大きく書かれている場合も結構ある。私も先日、銀行でユーロの小切手帳をもらってきたばかり。 早速1枚使ってみた。来年からは全部ユーロなんだよなぁ。でもまだ本物のお金が流通していないから、なんか実感が湧かない。
1ユーロ=1936.27リラ これは固定レート。

この間の週末はヴェネツィアから車で1時間ぐらいのところにある山へ行ってきた。新しい相棒であるシモーネの山の家へ行ったのであるが、私の楽しみは何と 言っても暖炉、そしてそこで出来るグリル焼きであった。私は一応都会の子であったので、暖炉とか薪とか、そういったことには縁のない生活をしていた。だか らもう暖炉というだけで大喜び。パチパチ火が燃えてうれしいなぁ、と思っていたら、それだけではない。なんとそこでグリル焼きも出来るというではないか。 肉を焼く、といえば普通の台所でのグリル用フライパンでしか焼いたことがなかったので、もうワクワク。おまけにシモーネが全部作ってくれるという。

肉を焼くシモーネ暖炉でどうやってグリ ル焼きをするのか?私は実際に見るまで知らなかった。単純に火が燃えているうえに肉をかざして焼くのかと思っていた(なんか原始的)。まず暖炉に最初の薪 を入れて、火をつけたのであるが、その際使った薪はブナの木である。肉などのグリル焼きにはこの木が一番いいらしい。他の種類だと熱で樹脂が出て、その匂 いが肉などにもついてしまうらしい。そしてまず、暖炉の奥の方で薪を燃やしてコークスを作る。ある程度の量のコークスが出来るとそれをグリル用の網の下に 並べ、網の上に肉や野菜を並べるのである。このコークス、写真だと灰のように見えるが、オレンジ色をしていてメチャクチャ熱い。別になんでもないようなの だが、肉はジュウジュウいって焼けるのである。網の上は熱すぎて、手などかざしていることも出来ない。
肉屋で売っていた串焼き(仔牛肉、ソーセージ)とポークチョップを並べて焼きはじめた。肉のほかにズッキーニ、そして今が旬であるラディッキオを並べて一 緒にグリル焼き。野菜の方が先に焼けたので、そちらには熱いうちに塩、コショウをして、オリーブオイルをかける。とりあえずくし焼きが出来上がったので頂 く。ウーン、おいし〜。とても香ばしい。ポークチョップも出来上がったので、食べてみる。もう食べる前からすごくいい匂い。いい具合に脂がのっていてとて もおいしい。大大満足であった。多すぎるかなぁ、と思っていたが、平らげてしまった。ただ、野菜は多すぎた。これはヴェネツィアに持って帰ってきたのであ るが、次の日食べようとタッパーをあけたら、木の香ばしい匂いがぷーんと漂ってきた。やっぱり本当のグリル焼きは違うなぁ。

また年内にもう一度ぐらい、味わいたいな。
2001年12月04日 01時09分07秒


ミュンヘン小旅行記
前言撤回。これは月記ではなく、週記。
日記を意味する"DIARIO"という言葉は、日を意味する"di"という言葉から来ているらしいが、月の"mese"と週の"settimana"から は月記とか週記という言葉が作れないのかと友達に聞いてみたところ、「だめ。"Diario mensile"とか"Diario settimanale"になるなぁ」と言われた。うふ、日本語の方が便利。

7日から10まで、ドイツのミュンヘンに行ってきた。本来なら旅行記のコーナーに入れるべきかもしれないが、 何と言ってもカメラを持っていたにもかかわらず、写真を1枚も撮らなかったのである。バカだった。シモーネと行ったのであるが、二人ともデジカメを持って いたにもかかわらず、1枚も撮っていない。
ところで、こんな時期に、なぜクソ寒いドイツまで行ったかというと、目的はクリスマスマーケット!(Weihnachtsmarkt)であった。本当はオ クトーバーフェストの時にミュンヘンへ行きたかったのであるが、忙しくて断念。残念だなぁとしけていたら、ミュンヘンの朋子ちゃんが「じゃあ、クリスマス マーケットでも見に来れば?」と提案してくれた。そうだ、忘れていた。ドイツ語圏のクリスマスマーケットはとってもきれいなのである。そういえば、ミュン ヘンのも住んでいたとき以来、あとは確か一度、ウィーンのに行ったな。だからおそらく10年ぶりぐらい。よし行くぞ、と張りきって電車に乗っていってき た。

7日の夜は朋子ちゃん手作りのドイツ料理をご馳走になった。南アフリカ産のワインと合わせて飲んで、とてもおいしかった。
8日と9日はクリスマスマーケット巡り。まず朋子ちゃんの家の近くにあるRotkreuzplatzのをのぞく。小さい規模だけれども、なかなか個性的な 屋台がある。私のクリスマスマーケットの目的は、クリスマス・デコレーションやプレゼントではなく、何と言ってもグリューヴァイン(Gluehwein) である。イタリアでも山の方ではあり、ヴィン・ブリュレ(vin brule)と呼ばれている。これは赤ワインにスパイスやオレンジ、リンゴなどの果物を入れて煮込んだもので、熱いのをフーフーしながら飲むのである。こ れが、寒いドイツの空の下ではとてもおいしいのである。体も温まる。
しかし、まだお昼時、ここでは我慢。もう少し夕方になってから飲むことにした。
地下鉄に乗って、まず中央駅まで行く。そこから散歩がてら中心のマリーエンプラッツまで行った。クリスマス前ということで、土曜日の午後もお店は全部開い ていたので、もうすごい混雑。もみくちゃにされて市庁舎前までたどり着いた。途中チョコレートがけしたフルーツの串刺しを食べる。すごいボリュームだっ た。柿にホワイトチョコレートをかけたのが、なかなかいただけた。
さて、マリーエンプラッツでグリューヴァインを飲もうと思ったのだが、ちょっと躊躇。というのも、クリスマスマーケットではグリューヴァインがそのマー ケットごとの独自のデザインの陶器のカップで出されるのだが、これは持ち帰ることが出来る。もちろんワインを買うときに3〜5マルク程度のカップ代をとら れ、カップを返しに行くとお金を返してくれる。いかにもドイツらしいリサイクル機構。で、このカップは毎年デザインを変え、コレクションアイテムにもなっ ているものである。ところが、このマリーエンプラッツのカップが全然かわいくない。俗なクリスマスの絵が描いてあり、趣味の悪いものであった。というわけ で、断念。それに屋台で売っているものも、なんかみんな同じでつまらなかった。

では、ということで地下鉄に再び乗って、今度はシュ ヴァービングのマーケットを見に行くことにした。Muenchner Freiheitという地下鉄の駅のところでやっているのであるが、ここは昔私が住んでいたところだったので、もともと行ってみようと思っていたところで あった。また、ここのマーケットは屋台で扱っているものも個性的でオリジナリティに溢れたものが多い。というわけで、まず着いてグリューヴァインを飲ん だ。カップも最初は2000年度のものだったのだが、一つ今年のに買えてもらい、これでカップを2つゲット。それでちょっとおなかが空いたので、クレープ を食べる。他にもいろいろなものが屋台で売っていたのだが、夕食はミュンヘン料理を食べに行くことにしていたので、我慢我慢。でもだんだん暗くなって、寒 くなってきたので、アパートへ帰った。

翌日は、オクトーバーフェストの会場になるテレージエンヴィーゼでやっているTollwoodというマーケットへ。これは10年前にはなかったような気が する。オクトーバーフェストほどの規模ではないにしろ、いくつかの大きなテントが建っており、屋台もたくさん出ていた。最初はずーっと寒い中を歩くのがつ らいなぁと思っていたが、大きなテントの中も実はバザールのように屋台がたくさんひしめいていて、もういろいろなものがあった。食べてみたいものもあった が、朝食が遅かったので、全然空腹になっていない。でも、グリューヴァインのカップを欲しいがために一杯飲む。ここのはまあまあかわいい。かわいいピアス も見つけたので、購入。マーケットでの買い物といえば、本当にそれだけであった。

その後は、地下鉄に乗って、再びマリーエンプラッツのマーケットへ。そこではお土産のレープクーヘンというお菓子を買うことにしたのである。これは私の大 好物で、絶対に買ってこようと決めていた。いくつかのパッケージを購入。
少し歩き回っていたのであるが、あまりにも寒くなってきたので、とりあえず一番最初の見つけたカフェへ。さて、温かいミルクコーヒー (Milchkaffee)でも飲むぞと張りきっていたら、ガーーーン(◎_◎;)!なんとイタリア風のカフェで、その名前はCaffe' Alfredo、出されたものはカフェラッテであった。せっかくドイツだからドイツコーヒーが飲みたいと思っていたのに、最近ドイツではイタリアのコー ヒーが人気で、けっこういろいろなカフェではエスプレッソを出すようになっていた。な、なんでドイツに来てまでエスプレッソを飲まなきゃならないんだ よ〜。残念。

しょぼくれた気持ちでカフェを出て、最後にSendlinger Torのマーケットをのぞいて帰ることにした。ここでは吹奏楽器の演奏をやっていたのであるが、ふと屋台を見ているうちに、音楽がやんだなぁと思って舞台 を見ると、楽器を演奏していた男の子達がいっせいに全員フーフーしながら、差し入れらしいグリューヴァインを飲んでいた。その姿がとてもかわいくて、思わ ず微笑。
私達も飲みたくなったが、この後朋子ちゃんの友達の家でやる"Advent Gluehwein"(待降節のお祝いに集まってグリューヴァインを飲む会)に顔を出すことになっていたので、我慢。

その日の夜は本格的なタイ料理のレストランへ。辛かったけどおいしかった。
というわけで10日の午前中にヴェネツィア行きの電車に乗って帰国。あっという間のミュンヘン滞在だった。来年もまた行っちゃおうかな。
2001年12月13日 01時28分43秒

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