映画「文化衝動としてのベーシックインカム」
日本語字幕の文章化したもの

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ベーシックインカム/生活基本金 ★★★

★★★ 文化衝動としての生活基本金制度BI★★★


★はじめに

●フィルム「ベーシックインカム」日本語字幕版全編公開
ドイツフィルム「文化衝動としてのベーシックインカム」
Grundeincommen Kulturimplus 日本字幕版

ドイツで制作されたベーシック・インカム紹介のための長編
フィルムです。

2008年に公開されたこのフィルムは、映画館で自主上映され
たり、DVDでの配布を通して、数多くの人に観られています。
内容はおもにドイツの実業家ゲッツ・W・ヴェルナーの提唱
するプランに基づいて構成されており、ドイツでは
BI=ゲッツ・プランという理解が広がっているようです。

日本語字幕版を通して、多様なベーシック・インカムの
ひとつの可能性に触れていただければ幸いです。
なお、本フィルムの内容のより深い理解は、
『すべての人にベーシック・インカムを ― 基本的人権
としての所得保障について』
(ゲッツ・W・ヴェルナー著,渡辺一男訳,現代書館刊)
をご覧ください。

なお、翻訳者によれば、このフィルムの日本語吹き替え版
の制作も進行中とのことです。

●Grundeinkommenの日本語字幕が完成致しました。
字幕を担当された吉田さんからのコメントを記しておきます。

日本の皆様
今年始めの映画ベーシック・インカム/Grundeinkommenの紹介
フィルムに引き続き、この度、約100分に及ぶ全フィルムの翻訳
を完了させましたので、このメールをもちまして皆様にお知ら
せ致します。

http://dotsub.com/view/26520150-1acc-4fd0-9acd-169d95c9abe1

を開いて画面下方のGerman[100%]のところをJapanese[100%]
にセットし直してスタートさせて下さい。

紹介フィルムと同様、皆様の思いつくかぎりの友人、知人の
方にこの完全版フィルムを紹介していただくと共に、御自身
のブログなどに組み入れ、宣伝して頂ければ幸いです。
製作者のダニエル・ヘーニー/エンノ・シュミットと共々、
日本での映画に対する反響を楽しみにしております。

2009年11月17日 ミュンヘン近郊プッハイムにて 
吉田和彦(音楽家)

以上は、『BIの実現を探る会』のホームページからのコピペです。

http://bijp.net/

(日本語吹き替え版がそのうち出来るかも知れませんが)


●これは、ゲッツ・W・ヴェルナー案に基づくもので、
ヨーロッパで広く知られたひとつのBI案だそうですが、
私は個人的には政府公共通貨で新しい貨幣を発行した方が、
財源を必要としないので、今の所、社会信用論を支持しています。
さらに、社会信用論では、その後のインフレ対策がセット
になっています。
クリフォード・ヒュー・ダグラス
1890年?1879年?〜1952年
(ルドルフ・シュタイナーを無視すれば、
ベーシックインカム=国民配当をはじめて提唱した人)の
社会信用論(Social credit)は、次の3つでワンセットに
なっています。
1)公共通貨 = パブリック・カレンシー
2)国民配当 = ベーシック・インカム
3)正当価格 = ジャスト・プライス
ただし、融資先を国家が決めるのではなく、国家は経済の
中の法である貨幣の公正な維持管理だけ責任を持ち、
融資業務自体は、市民の自主管理に基づき原則自由で、
不正だけ法で取りしまる様にすべきでしょう。
いずれにしても公共の精神に基づかなければなりません。
ただし、政府通貨の発行は、今の所日本では実現して
いないので、それが無理なら、ヴェルナー案などに近く
なるでしょう。
詳しくは、下記URLリンクの、
関氏の『生きる為の経済』講演録をご覧下さい。


http://bijp.net/transcript/article/27


わかりやすく内容の濃いよくまとまった
素晴らしい名講演となっております。
●もっと言えば、循環する貨幣を全廃し、人間を支配する
労働と分配の間の貨幣の連鎖循環を完全に断ち切り、すべて
循環しない万能商品券の様な貨幣あるいはマネーカードに
するという究極の選択肢もあるのです。


http://www.geocities.jp/momoforall/booknote8/index.html



●しかし、いずれにしてもこの映像は、BI全般に
とって、大変参考になる素晴らしい超大作だと思うので、
長いですが、是非最後まで一度ご覧下さい。
貴重な紹介映像だと思います。
●とても長いので、ドイツ語が出来ないと、字幕に理解が
追い付かなかったり、字幕を追うのに疲れてしまう、あるい
は見逃したりしてしまうので、以下に私個人が、字幕を
文章化したものをつくりました。
理解と勉強と資料にお役立て下さい。
いずれ日本語音声吹き替え版も作成される予定だそうです。
それではゆっくりご覧下さい。
そして私達の生きる社会と人生について今一度一緒に考え
直して見ましょう。



★★★「文化衝動としてのベーシックインカム」★★★


2008年ドイツ/約1時間39分
制作:ダニエル・ヘーニー/エンノ・シュミット
邦訳:吉田和彦(在ミュンヘン)

映像によるエッセイ

ダニエル ヘーニー & エンノシュミット

共同制作

邦訳 吉田和彦

★ベーシックインカムって何?


●所得とは翼の周りの空気の様に、
無条件に存在すべきものです。
ベーシックインカム(国民配当)によって、
所得は市民の権利となります。

ようこそこの地上にお生まれになりました。

誰もが多かれ少なかれ所得を得ています。
そうでないと人は生活出来ません。
では、どの様な条件で、所得を得ているのでしょうか?
10人中4人のドイツ人は所得を得ています。
それは賃金労働に従事しているからです。
その労働で生活資金を得る事が出来るので、
賃金獲得目的の労働です。
10人中約3人は、家族から収入を受けています。
とりわけ子供や青少年がこれに当たります。
10人中約2名は年金や恩給による生活です。
そして残りの約1名は失業保険や生活保護を受けています。
これら全ての収入が賄われているのです。
しかし実際にはたった41%の市民しか、
賃金労働に従事していません。
それ以外は別の収入を得ています。
それは譲渡による収入―すなわち、
仕事とは直接関係の無い収入です。
そう考えれば、生活基本金制度BIも
それほど特別な事ではありません。
●聞き慣れないのは、それが無条件である、という事です。
でも所得を得る為に、条件に縛られる事が、
時代に合っていると言えるのでしょうか?
各々がそれなりに頭を働かせて、ある程度
事を判断出来れば予想がつく事ですが、
今の労働市場では、将来、社会制度で人々の調和を
保つ事が、出来なくなってしまうと言う事です。
生活基本金というテーマが頭に浮かんだ時、
まず考えてしまうのは、それを経済成長とだけ
結び付ける事です。
今日それが現実的で政治的な考え方です。
右から左のどの隅々に至っても、
経済成長の事しか頭にないのです。
つまり人は量的にしかものを考えず、
それが原因となって、新しくクオリティの高い
社会制度モデルを、質的に構想する事を、
押しのけてしまっているのです。
●労働市場の拡大が経済成長につながるとは、
今日、もう言えません。
それどころかそれは間違いです。
いずれにせよ、経済的成長の前提となるのは、
購買力の存在です。
つまり誰もがお金を持っている、という事なのです。
●世界最大の財産管理会社と、世界最大級の銀行の最高責任者
クラウス ヴェラースホーフ氏は、無条件の
生活基本金について、どう考えるでしょうか?
「人々に対する条件無しの援助についてですか?
勿論それは将来に継続されるべき
根本原理にかわりないはずですが、
私達が抱える様々な課題を考えると、
難しい事です。」
それはつまりどんな課題の事なのでしょう?
恐らく職場を確保する事でしょうか?
政治家は皆、それを望みます。
が、仕事そのものについて、考えているのでしょうか?
それとも税収入の事?
社会保険の受給者を増やさず、
国の経費が増大しない様に・・・と?
でもね、費用増大の原因となる
『悪い国家』という風にではなくて、
様々な成果がもたらした必然的なものと考えてみましょうよ。
その成果がもたらした必然性、それは合理化です。
それは自宅の前でも行われています。
(自動ゴミ回収機付きトラックが、家庭ゴミを回収している。)
●もし、所得が保証されたら、あなたは何の仕事をしますか?
将来どう発展してゆくべきかを考える時、
この生活基本金に関する問いが生じます。
ベーシックインカムには異なったモデルがありますが、
関連組織全てに共通する生活基本金の定義は、
国家に属する全ての人に、無条件で支給される所得である、
という事です。
そこには4つの基準が掲げられています。
【生活基盤を保証し、社会生活を可能にする】
【個人に合った権利を現実化する】
【何の審査も無しに支給する】
【就労を強いない】


●ここで言っておかなければならない事は、
生活基本金によって、全ての人にとってお金が増える訳ではない
という事です。
天から舞い降りて既存収入の上に被さるのではなく、
その既存収入の中で成長するものなのです。
賃金所得は少なくなります。
収入総額に変わりはありませんが、
内容が違うのです。
生活基本金は性格の異なる収入です。
最低賃金とは違います。
報酬でもありません。
仕事とは関係ないのです。
人間そのものに支給されるのです。
どんな事があっても。
●個人を抑圧する共産主義だとか、
個人が孤独に陥る市場自由主義とは異なって、
ベーシックインカムにおいては、
個人が自分で決断出来得る最大限の
自由の確保を保障出来なければなりません。
それは所得の保障によってのみ可能ですし、
収入を得る他の仕事をしなくても生活可能な
金額でなければならないのは当然です。
それは又、他人との関係を同じ目の高さで築く事の
前提条件にもなる訳です。
●今日、社会保障に頼る殆どの人は、
自身の生活基本金によって解放されます。
ベーシックインカムは国の支給能力を、
最高限まで補う事が出来ます。
その限度を超えた社会保障が必要な場合にのみ、
その分を受け取る事が出来ます。
基本金に因ってお金が増えるのは、今日あまり
お金のない人達です。
それはとりわけ子供や青少年、つまり家族という事
です。
あるいはわずかな年金で生活する人、
収入の少ない労働者や自営業の人などです。
生活基本金は貧困を除去し、
保証された基盤によって、中産階級を安定させます。
年老いる事も怖くなくなります。
●この基本金は誰かが他の人と契約して譲渡する様な
ものでなければ、急に必要になってから支給するもの
でもなく、全ての人の将来を見通したものなのです。
ベーシックインカムは、より良い人間づくりを
想定している訳ではありません。
そういう問題は、お金では解決しません。
でも人間によって、今までより多くの問題解決が可能です。


●トーマス・ペインは人権擁護運動の創始者であり、
アメリカの建国に携わった一人です。
アメリカ合衆国というのは彼の命名です。
彼が出版した『コモンセンス』(健全な人間の理解力)に
おいて、ペインは北アメリカ植民地のイギリス王室からの
独立宣言を、推し進めました。
彼は世界中の初期の民主主義的考え方に、大きな影響を与え
ました。私達は、全ての人間が平等に創造され、その創造主
から、生活、自由、幸福、という譲渡する事の出来ぬ権利を
与えられて居ると言う真実を知っている。
人間の権利。
昔は言語道断でした。
でも今日でも同じです。
平等な人間存在の権利を説くなんて
馬鹿げています。
まだありませんから。
権利は財産を所有している人が持っていますから。
財産のない人はちょっと生意気になるしか仕方がありません。
人間の権利?
つまりそれは奴隷を解放する事です。
そしたら誰がサービス業をやるのでしょう?
お金にも名誉にもならずに嫌がられる
力仕事を誰がやるのでしょう?
そうした心配を人はします。
例えばベーシックインカムにおいて・・・
経済は破綻し社会は混乱。
●でももっと大変だった時があります。
それは地球が丸いって解った時なんです。
教会は地が円板だと永らく信じていました。
それは混沌とした水に囲まれており、
誰かが円板の淵にまで行こうとすれば、
突然その水の中に落ちてしまうのだ、と言われていました。
また地は屋根の様な天空に覆われ、
その上を星が巡り、そして更にその外側では、
人間の杞憂を司るとてつもない力が
天を支配すると考えられていました。
それと同様に、
今日私達はお金と経済を見ています。
地が円板であるという事が、当時の世界観、秩序、安全保障の
全ての基盤になっていました。
新しい意見も聞かず、地は円板でその上に人が存在するのだと、
言われ続けて来ました。
では地が円球だったら、どうなってしまうのでしょうか?
それが解った時でも、
もちろん、地球は宇宙の中心で、自転しているなどとは思われて
いませんでした。
だから惑星の軌道の法則性をつかむ事が、限りなく困難になって
しまったのです。
この様に人がどこに観点を見据えるか・・・という事が
いつも重要なのです。
●ベーシックインカムも全く同じです。
困難になってしまうのは、自分自身の『動き―可能性』を知らない
からです。
理解の限界に達した時、見栄えは良いが実はイデオロギーに包まれた
既存の事柄からものを判断していたのでは、もう先へは進めません。
でもまず人間について、そして今後の発達について考えれば、
事は簡単になります。
様々なシステムは自らの正当性を主張し、他のシステムに変わる
事は不可能です。
でも人間ならこれは可能です。
●ベーシックインカムは、オーストリア、スイス、ドイツで
テーマとして話し合われています。
「もう、時がみちているんじゃないかしら。」
「人間の尊厳が奪還される事になるんだよ。」
「贅沢する為にあるのではないんです。」
「ベーシックインカムは何と言っても我々が今抱える
社会的緊張の増大を抑える効果があるんだよ。」
「結局、多くの人がしたくもない仕事をやってるんだわ。
すると人は、そういう人こそが職場を占領し、
本当に働きたい人には職場が無いと考えます。
働く事を望むのか望まないのか、それを言う決断が
自身に与えられた時、社会に動きが生じます。」
「でも一番すごい事は、人生が終わりに近付いた時に
この人生でやりたかった事がお金が無くて出来なかった
などという言い逃れがもう出来なくなってしまう事だわ。」
まさしくその通り、言い訳不可能。
●「諸君、誰が親が望むが為にのみ、ここで勉強しているの
だろうか?
どんな社会の中で我々は生活したいのか?
こんな疑問を持てないのであれば、
コンピューターとだけ付き合えば良いのさ。」
「このテーマに取り組んでいるイニシアチブはもうたくさん
ありますよ。」
「そんなの無理に決まっているよ。いゃー絶対に無理だよ。
だって報酬が保障されてしまったら、仕事をやる気なんか
なくしてしまうよ。全くなくしてしまうだろうね。」
「賃金労働によって人は病気になります。
何故なら、これは経験的に言える事ですが、
労働の時間がどんどん制約され、人がその中で圧迫されて
いるからです。」
「根本的にベーシックインカムは、束縛の無い社会を
もたらします。これこそ最重要です。
賃金労働の束縛から放たれ、自主性へと向かいます。」
「でもね、どうせ後になって出る問題は、どうやって
資金を調達するかって事。だってお金がどこかにないと、
出来ないでしょ。」
「でも経済学者として、これは可能だと言えますよ。」
「その通り。ただ大変なのは、これを実行する為の
ノウハウを皆が学ばなければならない事です。それは
ただ事ではないし、経験もありません。資金の調達方法
そのものは、もう解決しています。
それより自由になる事こそ難しいのです。」
資金調達の可能性は解決している。
自由の獲得こそ困難な修行である。



★ベーシックインカムの必要性と労働の在り方


●21世紀のヴィジョンは既に存在し、新聞はその話題で
溢れています。そして同じく自分達も。
生活基本金は、今世紀最初の希望ある未来像です。
それは人がただ傍観するだけの手の届かぬ世界的テーマ
ではなく、誰にでも関係する事なのです。
つまり各自が、責任を持って行えぬ事は、もうやらなく
てもよくなり、本当に望む事を行なえるからです。
それとも皆、家でゴロゴロするだけになってしまうでしょう
か?
誰も働かなくなってしまうでしょうか?
長期ストの時と同じ様に車輪も停止し、責任者も
遊び呆けてしまうでしょうか?
責任。それはもう消え去り、舵取る者も無く、誰も学ばなく
なる、大学も空っぽになる?
より優れた能力に対する意欲を、生活基本金は削ぎとって
しまうのでしょうか?
強制される事なしでは、人は能力を生かせないのでしょうか?
が、それだったらとっくに企業の専門職は不足している
はずです。経済はどの様に進展するべきでしょうか?
●「経済が本来何の為にあるか・・・という理解が欠けて
いる事、それが私を一番憤慨させるんです。」
経済は人間の共同生活において、活動する事を可能にし、
何か役立つ良い事を行なえる様にします。
でもその考え方がもう消滅しています。
つまり経済は、人間自身の生活とは関係のない目的へ
向かう、単独な循環行程を持ってしまい、人間生活を
破壊する事さえ可能なのです。」
「何と言われても僕が固く信じるに、我々に必要なシステム
は、労働量や良い業績に対して報酬が支払われるシステム
だよ。もしこれが、じょうろで全ての植木に水をやる様に、
全ての人に一定金額を支払ったり、ベーシックインカムが
導入されたりしたら、あげくの果てには、全ての業績社会
制度が崩壊してしまうだろうね。」
●2001年のドイツを例にとってみると、560億時間の
労働に報酬が支払われたのに対し、無報酬の労働は960
億時間にもなるのです。それは家事や親としての仕事、
ボランティアなどの仕事です。ベーシックインカムは
業績による報酬を妨げるものではありません。
むしろ課題となるのは、企業や社会における責任者が
金銭的状況にさほど束縛されなくなった人達を
報酬の支払いを武器にかざすことなく、どの様に指導
してゆくのか、という事であり、またおのれ自身を
どう導くのか、という事なのです。
●でもやっぱり皆、プールで寝そべるのでしょうか?
そして街路にはゴミが溜まってしまうのでしょうか?
結局老人だけが公園の整備をするのかも。
生活基本金は、業績社会のみならず、
人間としての自覚や成功への喜びをも埋没させてしまう
のでしょうか?
全ての人間が報酬を受けるのも、何だか退屈かも知れま
せんね。
昔のヒッピーや、シュタイナー学校の生徒だったら、
人間とは本質的に優れたものだと思っています。
でも人間は動物でもあるから、生活基本金よりも、
獲物を捕らえるなわばりの方が良いのかも。
まあ、焦らずに、新しい市場が何をもたらすか、様子を
見てみましょう。
●扉の外側で多くの人が、飾られた食卓につけずにいます。
生活基本金制度は、人のつながりを緻密に出来るでしょうか?
それとも、階級社会はこのまま存続してしまうのでしょうか?
高額な報酬や目も眩む学費、そして固定資産などを
管理する人もいれば
その他方では生活基本金制度の準備をする人もいます。
それは、希望や趣味に時を充て、自給200円の為に
でも仕事をし、本質的な事を妨害しない人達です。
●間違った生活基本金制度も起こり得ます。
それは、生活必要額に満たない基準を、設けた時に
起こり得る事です。また全ての社会福祉制度を抹消
すれば、人に労働を強いる事になってしまいます。
中国の様に個性を見ずにただ賃金を払ったり、
生活基本金制度の中で、仕事を断れなかったり、
また金銭の往来が様々な出所や特別なモデル、照合計算や
書類などによって複雑になってしまうと、およそ今日ある
様な状況を、より悪くしてしまうだけです。
●間違った生活基本金制度は、
―金額が低い時、
―社会保障が削除された時、
―条件を付けた時、
に生じる。


●『働かぬ者は喰らう事無かれ』と
使徒パウルは言いました。
でもそれは教会活動に献身的では無い人を指しての事
でした。
『もし教会の救済がすぐ近くに来ているとすれば』
とパウルは続けて語り、
『つまり行なうべき事を与えて下さるのであれば、
食べるものだって与えて下さるに決まっている。』
パウルにはユーモアがありましたが、
他の人には解りませんでした。
●寄宿舎の生徒が籠に入れられて、食卓上の天井に吊り下げ
られ、何も食べさせてもらえません。
仕事を十分にしなかったからです。
食事没収!
精神性が失われる時、どんな決まりであろうともひどい
ものです。
●ベーシックインカムについて議論する際、
初めに課題となるのは、古い考え方を踏破(とうは)して
ゆく事です。例えば以下の観念。
『賃金労働に従事する者のみ、食する権利を有する。』
この間違った、働く者のみが社会の為に有用なのだという
考えを、ベーシックインカムの議論において、取り除か
なくてはなりません。
何故なら、世の中にはこれとは全く逆の賃金労働だって
存在しているのです。
『働かぬ者は喰う事無かれ』という言葉が、先ほど心に
響いたばかりですが、芸術家ヨゼフ・ボイスはその言葉
を、『考えぬ者は出て行け』・・・と、書き換えました。
だって食べる物は勿論、その他の物も充分にあるのです
から。
●「でもその点、仕事に関してはどうでしょうか?
こうした自然物、物質、そして加工に関する労働は、
有り難い事に上手く行っている。
しかし経済は人間を労働から解放するという課題を
背負っているんだよ!」
経済は人間を労働から解放するという課題を持つ。
こんな事、新聞には載って居ません。
一体どこに開放するのでしょう?
こんな事企業要綱にも載って居ません。
従業員の解雇は誰にとっても辛い事ですが、
現実にそれは起こっています。
しかしそれを現実の事として
もしくは課題として理解すれば、
少し変わった解釈も可能です。
つまり、労働から解放されると言う事は、
同時に労働への自由を獲得する、という事です。
労働という名の囲いの外にヴァカンスとホリデーしか
思い浮かべられないなら、そんな考えは、自主性から
来るものではありません。
●「職場にとって、何が投資されるべきなのでしょうか?
新しい時代の職場に投資するすべての事は、
同時に合理化へと向かうべきである。
そこではつまり労働を節約する事が展開して行くのです。
そこでは『どうやってもっと多くの仕事が来る様にすれば
よいか?』などと言うマネージャーはいません。」
『どうやってもっと多くの仕事が来る様にすればよいか?』
???
経済の課題は需要を満たす事にあります。
お判りの通り、効果的にです。
仕事をもたらす事が経済の課題ではないのです。
●人生の目的や疑問、課題を携えて来る人々が、それでは
収入が得られないので、他の事をしなければならない状況
に対して立ち向かう事、これが課題です。
「現代社会における問題点、それは今日、大勢が職場を持って
いるとは言うが、実際、それは金稼ぎの場でしかない・・・
と言う事なんだよ。」
金稼ぎの場があると言う事は、つまり人は、金を得る為の
手段を、学ぶという事なのです。それに魅力を感じないので
あれば、社会的にこれは問題です。
何故ならそれがストレスや病気につながって行くからです。
ドイツでは12%の労働者が、その職場が自身に全く
適していると感じています。10人中1人以上の割合です。
半分以上の54%の人は、仕事に対してさほど満足して
いませんが、良い点を挙げる事も出来ます。
そして34%の人は自身の仕事に全く不服です。
およそ3人に1人の割合です。
●労働争議って言いますが、それは結局賃金闘争の事です。
その労働争議は仕事がなくなってしまう事に対して、抗議
します。・・・って事は、仕事=私自身です。
しかし仕事の斡旋は正当なものではありません。
義務そのものが正当ではないのです。
身を売買される事が、正当であるはずがないのです。
●人が自身から望み行なう労働を得る権利こそ、
正当なものです。
誰にも左右されずに、その正当性の為に賃金も正当で
なければなりません。
「仕事の為の労働局があっても『賃金管理局』がないのは
ちょっとおかしいねぇ。」
この男性はつまり、やる仕事はいくらでもあるけど、
それでは稼いでゆけないというのです。
●もし所得に対する権利が存在するなら、社会にどの様な
影響を与えるでしょうか?
スイスの社会学者メーダー氏の意見は・・・
「賃金労働に於ける偏ったこの批判的な状況の中で、
人は『人生の根本価値』という問いに焦点を当てます。
所得の権利は人々を激励し、安心感を与えます。
またやる気を与え、満足感をもたらします。
したくもない事を、肘をはって無理して行う必要も
減るのです。
他人の犠牲によって得られる利益に、常に執着しなければ
ならない現状から、人々は少しずつ解放されて行きます。
その今日の現状は激しい競争システムによって生じ、
それに因り、人間の連帯機能もうまくいかなくなって
います。」
●以上が社会学教授の意見でしたが、ちょうど仕事を終えた
人が初めて生活基本金について聞いたら、何と言うで
しょうか?
「・・・って事は皆同じ給料を貰うって事?」
「そうではなくて給料はまちまちだけど、生活基本金が
貰えるんです。」
「でも働けばでしょ?」
「いいえ、無条件で。」
「無条件?」
「全員に支給されるんです。」
「そんな事したら必ず問題が起こるよ。基本給が保障
されたら仕事に就かなくたってよくなってしまう。」
「あなただったらどうしますか?」
「喜んで仕事に行くよ。家にいたって何もならないし、
自分の仕事が好きだからね。でも必ずや仕事に行かなく
なる人が出て来るだろうね。」
●生活基本金が貰える場合
それでもあなたは仕事に行きますか?
この質問に
○約60%の人が、
即座に「はい、今まで通り」と答え、
○30%の人が、仕事には行くが、「少し時間を減らす」
か「内容を変える」と答え、
○10%の人がとても正直に、まずは家でゆっくりして
から、先の事を考える・・・
旅行に行ったり、他人の世話をしたり、何か勉強を始め
たり・・・と答えました。

では、生活基本金が貰える場合、
他の人は仕事を続けると思いますか?という質問に
対しては、
○80%もの人が、「いや、大抵の人が仕事へと
向かう力を失ってしまうだろう。」と答えています。
●仕事に必要なこの力って一体何なのでしょうか?
自身から湧き起る力ではありません。
何が仕事へ向かわせる力なのでしょうか?
足踏み動力
児童労働
全ては当然の事でした。
でも今なお存在します。
何かの製品がどこかアジアの国で作られ、
そこでは人がしたくない様な不快な作業がなされ、
その為に、更にどこかから、安い労働力が導入され、
その為の契約書も保険も何の保証もないのです。
病気になれば、お金も貰えません。
でもこうした『汚い仕事』と呼ばれる仕事は、
それ自体が汚いという訳ではなく、
その誤った価値観や低賃金や労働条件などが、
その仕事を汚くしているのです。
しかも大抵、その仕事は他の人が汚したものを
片付ける仕事です。
誰が一体その仕事を汚しているのでしょうか?
●生活基本金があれば、誰もが「イヤだ」と言える
様になります。そしたら誰が『汚い仕事』をする
のでしょうか?
その為の3つの解決策は・・・
1.その仕事に対する賃金を上げ、労働条件を向上
させる。
2.自動化や合理化を推進する。
3.各自が自身で処理する。


●「例えば、スーパーのレジで働いている人を思うと、
たぶんそんなに楽しい訳ではないと思うわ。
レジの人達は生活基本金が貰えても仕事に行くのかしら?」
それでは実際に尋ねてみましょう。
「えぇ、私は仕事を続けるわね。だって家にいて何も
しないなんて考えられないわ。例え1000ユーロの基本金
を貰えたとしてもね・・・」
「まあとりあえず、1000ユーロって事ですが、もっと
高くするべきでしょうね。それとも少なく?」
「どのみち1000ユーロじゃ全然足りないわよ・・・。」
だからこそ『基本金』なのです。
それは文化的水準にかなう生活の為に最低限必要な額を
補います。だから今と同じ様にお金をもっと稼ぎたいと
大抵の人が思うのは当然です。
レジに戻りましょう。
「『夢の職場』って訳ではないでしょう?」
「勿論『こんなレジの仕事なんて』って考える人もいるけど
この仕事では多くの人間と接触出来るし、自分の態度が
雰囲気にも影響を及ぼすんです。また私は開放的な性格
ですから・・・。だから仕事についても悩んでいないし、
ここがとっても気に入っているわ。」
生活基本金があったら、何の仕事をしますか?
より良い条件で同じ仕事を・・・
だとしたら、ベーシックインカムが導入されても、
極端な変化は起こり得ません。
「仕事無しじゃ生きていけないわ。そんなの退屈ったら
ありゃしない。」
●でも変化は起こるでしょう。
「旅行に行ったり、色々視察したり、今出来ない事が
可能になるわ。仕事をする為には教養を積まなくては
ならないしね。そして仕事に付きまとうストレス。
皆仕事を見つけるのにも苦労しているしね。
ふさわしい職場は直ぐふさがってしまう。
でも生活基本金があれば、職場探しもそんなにストレス
にならないと思う。」
「現在私達は、生徒達が大人になって社会に出る時の為に、
自身に合う職場を必死になって探せる様な状態に導かなけ
ればなりませんが、そんな職場が十分に存在しない事は
もう皆知っていますよ。そんな偽りの中に私達は生きている
んです。」
「ベーシックインカムというテーマは、若者にとって
本当に大切だよ。今日どれだけの若者が将来に不安を
抱いているか、様々な学校で観察する事が出来るしね。
よく考えもせずに単に就職の準備を学校で行って、
納得がいかなくても仕事について安心する事で、
その先問題が生じるんだよ。人が本当にやりたい事を
最善をもって行なえる様に、ベーシックインカムは
現在の問題を改善してゆけると思う。」
「でもやっぱり問題は起こるだろうね。意識の問題が・・・。」
「何事にもふさわしい時と場所が必要だよね。」
ではベーシックインカムが及ぼす仕事への意味は?
「恐らく仕事は複数の人によって分担されるだろうね。
そしたら満足が得られるのさ。」
では『意識の問題』は?
「僕ら人間は大抵大きな錯覚の世界に生きています。
僕らが生きていられるのは、自然があるからであり、
また、次世代やパートナーがいるからです。
自分以外の物や人が自分を支えているという
依存関係や人間愛の事をはっきりと理解しない限り、
自分はまだ他の人に対して負債がある訳です。」
人間愛についてでしたが、人間の平等や民主主義に
ついては?
「私にとってベーシックインカムは民主主義が機能して
いる証拠の様なものだわ。生活基本金が保障されて
いればビクビクする事もない訳だし、全ての人の為の
民主主義社会に多様性をもたらす事が可能になるわ。
貧富の差に関係なくね。」
では芸術分野では?
「実際に作業していない時でも、目に見える作品が
存在しない時でも僕は働いている訳でしょ。芸術家に
とっては色々複雑で想像力を得て作品を作る為に
必要な人生全体の時間に対して、お金をもらえるのでは、
無い訳で、注文を受けて実際に工房で作品を製作した分
のみ、お金が支払われるんだよ。インスピレーションを
得てそれを保持する為の時間をどう経済的に支えるか?
人生そのものが芸術なのだから!」
さて若いお母さんにとっては?
「それはもう最高だわ。そしたら何も後悔する心配なく、
自分がやりたいように育児に専念出来るし、やっぱり
働きたくなったら、労働斡旋所の紹介するがままにでは
なくて、自分の希望に沿って仕事をしていけるわね。
そういう事を考えたら、とっても良い事だと思うわ。」
そして子供が成人になったら、独立するのも容易に
なります。



★収入と労働の分離


●さて、ベーシックインカムで基本金が保障された中で、
人は正しく成人になれるのでしょうか?
ベーシックインカムと人々の意識成熟の関連は?
「恐らく僕は社会に対する反抗に、そんなに時間を
要さずにすんだだろう。経済的な心配がさほどなければ、
世の中に容易に溶け込めただろうし、人の中にも容易に
溶け込めただろうね。そして本当に大切な事を諦める
事もなかっただろうね。至る所に存在する必要のない
癒着関係を、解いて行く事が可能になるでしょうね。」
●○ゲッツ・W・ヴェルナー
「私達人間は、もっと社会や世界で起こる事に対して、
責任を持たなければならない。
こんなに収縮した世界で人間は孤立して生きてゆけない。
ともかく大切なのは、まずは全ての人が頭の中で、
収入と労働を切り離して考えられる様になる事です。
つまり仕事をする為に収入があるのであり、収入を得る
為に仕事をするのではない、と言う事です。」
「ベーシックインカムは私にとって、アルキメデスの
原理の様なものだよ。それによってまた様々な疑問や
課題が沸き起こって来るだろう。でもこう言う事は
色々な所でいっぺんに始めても大きな社会運動には
つながって行かないだろう。
それよりも大切なのは、ひとりひとりの個人の力。
この個人の力こそが重要なのさ。」
●ヨーロッパのとある中央駅で人々がつくりものの冠を
かぶって歩いている。戴冠式の光景。
人が飛べると言う事は永い間空想の産物でしかありません
でした。
失敗ばかり重なって不可能だと思われていました。
今日では技術的に当然の事となりました。
そして選挙権も!
全民衆が決定権を持つ社会が成り立つなど、
信じられていませんでした。
限られた視野しかない、教養のない町民が、社会の事も
知らずに決定権を持つ事が、国家の為に有益なのか?
・・・と。
しかも男性ばかりではなく、女性までも!
女性、それはとっても感情的だから、すべてがゴチャゴチャ
にされてしまうのを、守らなければならない・・・と。
また家事は一体誰がやるのか?
一連のこうした主張が、再びベーシックインカム反対者の
中に見出せるのです。
スイスでは婦人の選挙権が1971年から施行されました。
その3年前には既に月へ人が飛んでいます。
それまであった事を覆す様な事が、実際に現実となる前には、
それが可能になるなどとは、誰も信じて居ませんでした。
今までなかった事も上手く行くはずです。
●その昔、市民は国家に統率されていました。
それが今日ではひっくり返り、市民一人一人が主権者として、
自由選挙や市民投票を通して、国家に課題を委託します。
同様に仕事も、労働市場がそれを制するのでもなく、
また人間が経済の為に存在するのでもなく、全てはひっくり
返り、一人一人が経済的な主権を握り、自分自身の課題だと
判断する事を、権利として守られるべき自由所得の原理の
中で、行なう様になるのです。
●トマスモアはイギリスのヘンリー8世下の大法官でしたが、
側近達の間違った考えに抵抗した為に、処刑(断頭)され
ました。その行為によって彼は1935年に聖人と定められ
たのです。更に2000年には法王ヨハネパウル2世が
彼を政治家の守護聖人に定めました。
トマスモアは、その『ユートピア』という著作の中で、
より恵まれた環境にある遠い島での旅行記を著しました。
それを他の著作家も真似ました。この著作以来、私達は
ユートピアという言葉を使っているのです。
『無い』『場所』という意味です。
生活基本金の構想は、すでにルネッサンス時代の社会的
ユートピアに見出せるのです。
ユートピアという場所を通して、人間の発展段階が判ります。
●過去には考えでしかなかった事に、後世に人は真剣に取り組み
ました。たとえば啓蒙思想。つまり自らが見て考えて真実
と思う事を主張するのが、啓蒙思想です。
更に自らの知識を他にも分け与え、新しい解明が常に生じて
行きます。ここで重要なのはどう言う事でしょうか?
大切なのは、思考の自立、自分で分析すると言う事です。
感情が揺れ動く時期に、両親や教師、牧師や博士を通して、
受け継がれる思考のパターンは、突然間違いだとか、狭義な
ものだと認識され、すぐさま新しい思考パターンを見つけて
自分の為に確立させて行かねばならないのです。
それを通して、自分で考えた事を信じると言う事を学んで
ゆきます。
●マッターホルンに登りたければ、早起きする事を考えます。
下山する時に暗くなったり、寒くなったりしない様に、
お昼には山の上についていたいからです。スイス人は皆
知っている事です。でも原油消費量の事は、誰もよく
考えずに、それがもう頂点に達してしまいそうです。
原油供給量のピークはもう真近で、それからあとは、
ただ急降下しかありません。
賃金労働の完全雇用も同様に、一時的なもので、
すでに頂点は越えています。
●未来学者のジェレミーリフキンは、将来どの様なスケール
で、完全雇用が無くなって行くのか、1995年に予言して
います。2050年に、今ある様な産業形態を維持して行く
為には、恐らく5%の人間のみが必要とされるだろう。
農場、工場、オフィスには、人が殆ど必要なくなる。
リフキンの予測は議論を呼んでいますが、単なる空想とは
違います。1982年にアメリカでは7500万トンの
鋼鉄を生産する為に、30万の人が働いていました。
20年後には、1億トンもの鋼鉄が生産されたのに、
その為に働いたのは、たったの4分の1の人だけです。
無論新しい職場も生まれましたが、それはいくらかの
コンサルタントか特別な技術職のみです。
そうした事は産業界だけではなく、サービス業でも
同じ事です。オンライン銀行は、その顕著な例ですが、
これからまだまだ発展してゆきます。
同じ数の顧客の預金業務に、今までの銀行の10分の1
の従業員しか必要ではありません。
こうした変化は先進国に限られた事ではなく、基本的に
世界中の至る所で生産量に対する労働者の数が減る傾向に
あります。
●21世紀における世界資源は、人間の創造力そのもの
である。―アドリエンヌ・ゲーラー
「将来の職場は、今の芸術家やジャーナリストを模範として
どんどん変わって行くでしょうね。
企業体にはまらずに、自由にお金や仕事の量、いつ誰と
仕事をするのか、その期限を決め、自宅で仕事をする事も
多くなるでしょう。」
「新しい時代は、人間が、不安、欲望、憎悪を克服して、
理想的なヴィジョンに近づいて行く事を要求します。」
●100年前の農業では、1人の労働者が3人分の作物を
生産していましたが、今日では120人分の作物を生産
出来ます。その訳はご覧のとおり・・・(大型機械の写真)
そしてそれはどこでも同じ事です。
現代の労働者は100年前に比べて100倍も動かなく
てはなりません。技術が多くの労働を担う事、一昔前は
これが目標でした。では今日の目標は?
多くの人の後退につながる様な、今の状態が目標と言える
のでしょうか?生きる為に不安を持つ事が目標ですか?
もう新しいアイデアなど必要ないと言うのでしょうか?
技術改新はどんどん先へ進んでいますが、社会福祉改新と
なると全く事情が異なります。
小舟は、一度沈まなければならないのでしょうか?
でも頭を冷静に保てば、体は再び浮いて来ますよ。
福祉の在り方を変えるのには、機械の動力とは違う
別の力が必要です。発展の波の中に社会福祉はまだ
埋もれてしまっています。
福祉国家はどうなっているのでしょう?
●コメディ風?
ゲーテ『ファウスト』
メフィストフェレス:生命あるものを認識し、それを
叙述しようと欲する者は、その中に存在する精神を
まず除去してしまうのさ。
すると手元に残るのはバラバラになった部品だけで、
それを結合する精神―或いは生活基本金―がそこには
残念ながら欠けているのさ。
一体何の事を語っているのか私にはよく解らない。
頭の中で風車が回転しているかの様だ。
私には理解し難い。
●所得を得る為に仕事に行く・・・
と誰かが考えるのであれば、
そこからもう誤解が始まるのです。
所得というものは誰でもが必要だから、
皆が得るべきものです。
誰もが他の人のお陰で生きているのです。
もし所得が労働と結合しているとすれば、
機械が給料を得なければなりません。
しかし所得を必要とする人が、
今も引き続き仕事を引き受けています。
(所得が必要なら仕事しなければならない)



●ベーシックインカムによって賃金労働が
無くなるのではなく、その中の絶対権力を
取り消すのです。
そして真実性に対して空間を与えます。
他にも色々可能性があります。
●約50年前のスイスで
洗濯機はおよそ3550フランもしました。
これは大金です。
その後発達した洗濯機は、今日、
3195フランで購入出来ます。
つまり価格はほぼ同じです。
でも50年前の1フランには3倍の価値があり
ました。と言う事は、50年前に比べて
洗濯機の価格は、3分の1になったと言う事です。
床屋は50年前には3フラン50ラッペンだったのが、
今日では40フランもします。
この様に、技術の進歩によって、昔の様に人の手を
借りなくても済む所では、価格は下がりました。
でもそうではない所―例えば床屋では―価格は上がり
ました。高いのは人件費です。なぜなら所得が必要
だからです。しかも税金も加算されます。
購買力を考えた場合、床屋が昔よりも良い賃金を
得ている訳ではないのです。
どこでどの様に合理化が進んだのか、また合理化には
どういう意味があるのか、それを知る為に価格の比較を
してみると、もし洗濯機の値段が床屋の値段の様に
上がったとしたならば、今日40000フランにも
なるのです。もし私が洗濯機にどれだけの意味が
あるのかと言う事を理解出来なければ、(洗濯する
機能の事を言っているのではない)、無条件の
生活基本金が文化衝動であるかどうか、その質問に
対する答は得られないでしょうね。
●もう今から212年も前に、トマスペインは著書
『農業の合理性』の中でベーシックインカムを推進
しました。そこで彼が述べたのは、全ての人間は
平等であり、大地はそれを養う。だから誕生の時
より人間を養う大地の一部に対する権利が与えら
れるべきである。が、その大地が幾人かの人間に
割り当てられてしまっている場合、―それを財産と
いうが―そこに均衡がもたらされなければならない。
土地を所有しない為に、自給出来ないこうした人々
に、均衡をもたらすのが、生活基本金であるべきで
ある。
●それから今日に至り、様相は変わってしまいました。
今日では土地を所有していても、自身を養う事は
出来ません。自分の為にだけトラクターを製造したり
大地に肥料をまくのではなく、自身の仕事の成果が
ほかの人々の為になるのであったなら、世の中は
もっとうまく行くでしょう。
自給というのは、自分で製造出来るものによって、
生活すると言う事です。
でも自給の様に見えても、本当は違う事もあるのです。
私達は助け合いの中で生きています。
私の労働は他の人の為にあり、私が手に入れるものは、
他の人の労働によって、存在します。
そしてその往来がお金によって機能しています。
労働によって商品となったものが、お金で買われます。
お店ではチーズと現金が、店頭で交叉する訳です。
給料には自給的な性格も含まれています。
何故なら自身の行為に対してお金が払われるのだから、
結局自分の為なのです。
●イスラムのスフィ伝説に出て来る、天国と地獄の違い。
地獄ではおいしい御馳走が準備出来ています。
そこに(すごく)長いスプーンがあります。
それぞれがひとつずつ手に取ります。
(人々は何とか自分が食べようとして競い合いますが、
スプーンが長すぎてうまく食べられません。いさかいが
起きそのはずみで大鍋がひっくり返ってしまいました。)
天国でも全く同じ状況です。
おいしい御馳走とスプーンが準備出来ています。
それぞれがひとつずつ手に取ります。
(そしてお互いの口にスプーンで食べ物を運んで、
皆が仲良く食べさせ合っています。)


助け合いの社会では、自身の仕事の成果が他の人を満足
させる。自分のもとに今ある事は、他の人のイニシア
ティブ(主導)によって存在する。イニシアティブを
買う事は出来ないが、可能にする事は出来るのである。
●「こうして考え方を変えれば、解る事なんだけど、
自分の為に働いてくれる人々に対して、生き延びる為に
這いつくばっても働け!等と酷な言葉をとばすのは、恥
だと言う事だよ。」
●「新しい時代の特徴は、社会における絶対的な個の
存在性だよ。全ての人は自身の目標や概念を持ち、
それを可能にする方法を探している。今の社会では
そこでお金が重要な意味を持っている。すなわち、
お金が自由への手段になってしまっている。
その考え方を今後変えて行かなくてはならないんだよ。
でも人々がそれを出来ずに、お金の奴隷になり下がり、
自由への喚起を結局の所再び失う事になれば、それは
悲劇であり、現代社会における皮肉とも言えるよ。」
●お金の奴隷になるって、どう言う事でしょう?
それはお金で測れる事だけは全てやる、と言う事です。
つまりお金そのものが価値である、と言う事です。
そしてお金を利用して、もっと多くのお金を持たなければ
と考えます。
またお金を行使して他の者やその生活に権力を振います。
そしてこのお金の奴隷達は、その支配権によって、彼ら
がお金を与える人達をも奴隷としてしまうのです。
ベーシックインカムでは、民主主義によって流れるお金の
一部が、市民にくまなく分け与えられ、自由への手段と
なるのです。そうすればお金は雇われものとなり、
人間が支配者になります。



●グローバルな課題を持つ今の世の為に、これは好条件と
なるでしょうか?
「いやぁ、それは当り前だよ。まず社会に必要なのは、
自由の概念を作り上げる事。というのも世の中は
馬鹿げた事ばかり・・・。『世の中に金があり過ぎる
のが問題なんだ』・・・と投資コンサルタントが嘆く
一方で、至る所で商品が過剰生産されている。
そして増え続ける膨大な失業者。とにかく課題が山積みだ。
人間がグローバルの泥沼に埋もれたくなければ、多くの
事を早急に行わなければ・・・。」
●世界全体の農業は、120億人分の生産が可能です。
この地上には66億の人が生きています。
なのに1時間当たり1000人が食料不足で死亡しています。
「水は食料品にあたるから、他の食料品の様に、
市場価値を定めるべきだ。」―ジャンツィーグラー
『パン』
「今日食料不足で子供が死んだら、それは殺されたのと
同然です。」
お金は、必要な所に流れてゆかず、社会の現実とは断絶され
ています。利子を増やす名目のもと、保管されていますが、
ドアの外の社会では不足しています。
多量のお金がひと所に寄り集まっています。
そこから出て来た所で、人々の為には何もならず、
例えば配当金として激烈なシステムの中で、破裂するだけ
です。
これが未来ではないでしょう?
●「所得と労働を分けなければならないと言う事は、
次第に明らかになって来ています。
そしてベーシックインカムは、失業問題に対する本当の
解決策だと思います。やるべき事はたくさんあるけれども
お金がない訳です。だからベーシックインカムで必要な
所にお金が流れ、人々のインパルス(想念)が現実の
ものになればと思います。」



★ベーシックインカムにおける税と財源


●労働と所得を分ける事。ベーシックインカムにとって
最高の事です。でもどうやってそれを達成してゆける
でしょうか?この円は国民経済における生産価値を
表しています。生産が多ければ円も大きくなります。
国民経済における生産価値というのは、ひとつの国で
一年間の間に何がサービス業や生産業で生産され、
更に加工されたり販売されたりしたかを表わします。
この生産価値は国家と個人という領域に分けられます。
生産された半分は国家からの税金や出費で賄われます。
それによって教育機関や警察、社会福祉、その他の
サービス業など個人が支払うのではなく、公共費用で
あるべきもの、民主主義的に委託された仕事などへの
費用が賄われています。
2005年の国家出費率は、スイスでは36%、
スウェーデンでは56%、オーストリアではちょうど
半分の50%、そしてドイツでは47%となっています。
●さてベーシックインカムの導入で、これがどう変わる
でしょうか?実際の所、国家が支払う基本金で変わるのは
支払いの性格が少し変わるという事だけなのです。
何故なら基本金の為のお金は、既に存在する税制度で
国家が所持しているからです。
今日だって国家は税金からこの『基本金』を所得として
公務員や役人、配当金の受取人などに、支払っているの
ではありませんか。こうした既存の基本金は、ベーシック
インカムの導入に際して、その簿記の方法が変わるだけ
なのです。
個人経済の領域では、基本金の為のお金は、まだ国家に
属していません。まずそれを税金として国に収める事に
よって、基本金の支払いが可能になります。
それにより国家の負担率が増します。
それじゃ国が力を増すってこと?
いいえ、そうではなく国による統率や管理はかえって減る
のです。ここでは国家は基本金の為の単なる保証人に
過ぎません。でも税金が高くなるんじゃないの?
そうです。でもどの税金でしょうか?
その場合いつも頭に浮かぶのが、高額所得者からお金を
頂くと言う事です。高い所得税にとって、基本金資金を
調達するというこの考えは、すでにミルトン・フリード
マンにもありました。必要な(定額所得層)家庭には
(逆に)所得税が支払われるというもので、それをネガ
ティブな(負の)所得税と彼は名付けました。彼の提案
したモデルは1990年代まで、ベーシックインカムの
討議で他の意見を制していました。それは1960年代に
展開され、アメリカでは導入直前の所まで行きました。
フリードマンはスリムな自由主義の福祉国家をめざして
いたのです。
50年後の今日、所得税による国家予算は、減りつつある
賃金収入によって、支えられているのです。
それが今日の福祉国家です。失業者の増加は、つまり所得税
の減少をもたらします。かと言って所得税を上げれば、賃金
労働に負担をかけます。猫が自分の尻尾をかじっているのと
同じ状態です。所得税における不条理な点は、自身の業績が
税にかけられる為、自身の基盤を消耗させてしまう事です。
●では今日にふさわしい税収入とは何でしょうか?
今日税金がどの様になっているのか、この企業の例をよく
観察してみましょう。
スイスバーゼルにあるカフェ。
1日当たり1000人以上の来客があります。
40人の男女従業員。年間350万フランの売上高。
では税金はどの様になっているのでしょうか?
企業にとって税金とはいつも経費って事なんです。
そして経費はすべて売り上げによって賄わなければなりません。
さもないと企業は存在出来なくなります。
さて基本的には、3つの税金の形態があります。
ひとつは付加価値税(消費税)で、これは客が払います。
その他に社会保険費と所得税があります。
付加価値税(消費税)はレシートに明記されていますから、
誰にでも判りますが、企業にとっては経費にあてはまらない
ので、明細書にも記載されません。
では社会保険費の場合は?
その場合には従業員と企業が半額ずつ、費用を払っているか
の様にしなければなりません。
従業員の給料明細書には、その様に記入します。
それは決まりであり、そうしなければならないのです。
そして会計簿にもその様に記載されます。
が実際に費用を支払っているのは、雇用主であり、そのお金
は客が払っている訳です。
所得税の為のお金を、従業員は税務署に納金する前に、
実際に受け取っているのです。
お解りの様に、所得税もすでに商品価格に含まれているの
です。
ここで、ラテマキアートを飲んだら、価格の内訳はどうなって
いるのでしょう?牛乳とエスプレッソが混ざったこの飲み物は
ここでは5フラン20ラッペンです。
価格の4分の1は経済基盤、つまり建物、光熱費、運輸、食器
などに充てられます。
更に4分の1は商品の原材料である。牛乳、コーヒー、砂糖の
為の費用です。
その他の大部分は人件費、つまりサービス料です。
がその中には清掃料金や管理者の給料も含まれます。
更にその上に付加価値税(消費税)が加わります。
スイスではたったの7.6%です。
これは商品が購入された時に、初めて課される税金で、
生産物に含まれる全ての努力がお金に変わった時に
有効となります。もしウェイターがラテマキアートを
落してしまったら、生産価格はこれで消失です。
アルプスの牧場に始まる全ての労働が無駄になる訳です。
こぼれたラテマキアートは、もうラテマキアートではない
のです。ですから、付加価値税も無くなります。
付加価値税が生産の最後に来る事は明らかです。
しかし商品価格の中には、その製造過程で生じた
目に見えない税金が含まれています。
給料の中には所得税、保険料、福祉税などが含まれています。
原料の中にも税金が含まれています。その生産過程でも
所得税が払われている為です。それは原料費の中に含まれ
ている訳です。企業維持の基本経費についても同じ事が
言えます。それを消費者が支払っているのです。
その支払いによってお金は機能し、それによって税金も
支払われるのです。
●これまでの事を要約してみるとどうなるのでしょうか?
もし様々な税金がひとつにまとまった経費として、
付加価値税(消費税)の様に誰にでもわかる様に、生産物の
最後で課税されるのであれば、林檎が熟れてから初めて
税金をかければ良いのであって、それまでに何段階にも
分けて課税しなくてもよくなり、全ての消費者は値段を見て
どれだけのお金が国に流れるのか、税金となるのか、すぐに
解るのです。
民主主義はレジで行われています。
レジでは誰もが平等です。
もし税金が消費税だけになれば、所得税隠しもなくなります。
労働には税金が課されなくなるのですから。
その代わり税隠しに誘惑される人が現われるでしょう。
床屋で40フランの代わりに20フランで済むとしたら?
大きな違いです。勘定書を記載さえしなければ、高い税金
を着服する事も可能でしょう。でもこの付加価値税しか
ないとすれば脱税の捜査も簡単で効果が上がるでしょう。
ただ税理士の皆様方にはお気の毒です。
企業や財政事務所の複雑な経理の仕事も減ります。
敷居の無くなった社会にはチャンスがあります。
それは税金がしっかりと納められる様になると言う事です。
しかしその為には、人々が逃れられない様な財源が必要
です。つまり付加価値税をしっかりと定着させる必要が
あります。この税は、消費者が現金を支払う時に有効と
なります。ですから、消費税と名付ける事が出来ます。
消費税はラテマキアートを飲む人が払うのであり、
運んできた人が払うのではありません。
●それに対して所得税の事を考えると、
労働による収穫物であるかの様です。
所得税は自給による税金です。
ですから、助け合いの社会では問題となります。
高齢化や失業問題も、消費税があれば国家の財政に問題は
起こりません。
何故なら常に消費は為され、十分に生産もされるからです。
これを考えた時、やはり所得税の問題が浮かび上がります。
それは仕事をする機械が、税金を免除されている事です。
ここに同価格の2つの製品があるとします。
ひとつは殆ど手作りで、もうひとつは機械製造です。
手作りの方には税金が多く含まれていますが、
機械製造の方は違います。
つまり機械に所得はないので、税金もさほどかかっていない
のです。脱税労働の様なものです。
左のグラフは床屋の場合、そして右は洗濯機の場合です。
現在人の仕事に税が課せられますから、一方では税金が
多く含まれ、他方ではそれが少なくなっています。
ここで両方の実質的な価値だけを見てみましょう。
それまでの税金の事は抜かして考えます。
そこに同率の消費税をかけ、先程グラフの赤で示されていた
税金の量にまで上げて行きます。するとひとつは安くなり、
他方は高くなります。(機械の方の税が増える)
なぜなら機械の仕事に税的な助成がもう無いからです。
人間による仕事と機械による仕事が税金の上で平等に
なりました。というのも税金が、商品の生産価値にのみ
かかるからです。
そうすれば機械も、その機能故のみならず税収入にとっても
有益になります。
更に床屋の価格を今日と同じ所まで引き上げれば、
全体の結果として国家の税収入は益々増えるのです。
●今日の様に商品に税金の殆どが含まれている場合、
その税金は商品と共に外国へ輸出されます。
もしその商品がスイス製だとしたら、スイスにおける教育
や公共事業、社会福祉の費用を、商品を買った外国の人が
払う事になるのです。これは正しくありません。
では逆の場合は?
スイスで外国からの製品を格安な価格で買えますが、
そんなに安く買えるのは、色々な理由の中でも特に
原産国の人々に対する保障が行き届いていないので、
それにかかる費用が少ないからなのです。
消費税は全ての輸入品、売られる為に運び込まれる
全ての物品にかかります。
そして国産品にも同じ税金がかかります。
国内で売られる全ての物品にかかるのです。
それが国内で生活する人々に還元されます。
が消費税は輸出出来ませんから、商品が輸出されても
税金はついて行きません。個々の国が自らの良き判断で
財政を執り行い、それを自ら賄うべきです。
消費税はグローバルな社会における適切な税金です。
公正な取引の為の公正な税金です。
●この様な、商品を売る時に課される税金は、ここドレスデン
エルベ川沿いのブリュールテラスで始まりました。
ブリュールのハインリッヒ伯爵が考え付いた税制度です。
200年以上経って、ドイツでは似た様な税制度が施行され
ましたが、付加価値税という全く違う計算方法によるもの
です。それは作業の分担に余裕を与え、競争経済にも無影響
です。ドイツに於ける19%の高めの税金は、統一的な
国家収入として定着しています。
スウェーデンでは25%です。
この税金はヨーロッパ共同体加盟の条件のひとつです。
新時代の税金です。
助け合いの社会にふさわしい税金です。
ドイツでの付加価値税の導入を推進した一人、それが
このベネディクトゥス ハードルプ博士ですが、
彼もこれを支出税、あるいは消費税と名付け、これこそが、
唯一の税金であるべきだと述べています。
所得税が常にブレーキになってしまっているのを見て来た。
でも消費税によってまず全ての労働過程がより発展して
行く事になるだろう。
支出税が導入されれば、人々は人生における方向性を
はっきりと定める事が出来る様になる。
もし消費税しかなければ、事は簡単だ。
税金申告等もしなくてすむ。
だって何にも税金がかからないのだから。
●でも消費税しかなくなったら、免税制度はどうなって
しまうのだろう?
「なんたって免税制度は社会福祉の構成要素だからね。」
「消費税においては貧富の差に拘わらず同率の額を支払う
訳です。福祉の観点からこれをどう見ればいいのでしょう
か?」
「そうだね、そしたらこうすればいいんだよ。
つまり生活基盤を支える為に誰もが消費税の払い戻しを
受ける。」
この払い戻し金こそが、生活基本金なのです。
こうしてまた生活基本金のテーマに、私達は戻って来ました。
でも変わったのは、『どう資金を調達するか?』という問い
が、『消費税をどう福祉的にするか?』に進歩した事です。
生活基本金とはすなわち、生活基盤の為の消費税の返済、
払い戻される免税金なのである。
この様に消費税を通してベーシックインカムは免税金の
払い戻しとして、社会福祉的にも論理にかなった道を歩む
のです。
だから無条件であるべきなのは、誰にでも理解出来るはず
です。
●では実際にはどう言う事になるのか、計算してみましょう。
とりあえず生活基本金を1000とします。
1000ユーロです。それを免除額の払い戻しとして、
誰もが受け取ります。誰がいくら収入を得ているのかは、
全く関係ありません。
他に収入がなければその1000ユーロが総収入になります。
他に500ユーロの収入があれば、総収入は1500ユーロ。
他に1000ユーロの収入があれば、総収入は2000ユーロ
となって行きます。
ここでは誰もが生活基本金という形で、1000ユーロの
税金を受け取る訳です。ではそこからどれだけ税金を払う
事になるのでしょうか?所得税が無くなり、商品価値に
かけられる消費税だけになった場合、税率はおよそ100
%となります。つまり価格の半分が税金となると言う事です。
10ユーロで何かを買えば、その中に5ユーロの税金が
含まれています。
1000ユーロ買い物をしたら、500ユーロ
の税金を払ったと言う事です。
でも1000ユーロの税金の払い戻しはもう受けています。
ですから実際にはマイナス500ユーロの税金を払いました。
(500−1000=−500すなわち基本金との差額=−500)
言い方を変えれば実際には生活基本金によって
実質500ユーロを受け取っていると言う事です。
1500ユーロ買い物をしたならば同じくその半分750
ユーロが税金です。
実際にはマイナス250ユーロの税金を払いました。
(750−1000=−250すなわち基本金との差額=−250)
言いかえれば生活基本金によって実質250ユーロを
受け取ったと言う事です。
2000ユーロ買い物をしたら、1000ユーロの
税金ですから、生活基本金を実質的にはもらっていない
事になります。この時初めて実際には税金の支払いも
払い戻しも無くなる訳です。
生活基本金の倍額以上の支払いで、はじめて実際の消費税
が加算されます。
3000ユーロの支出では、実際に500ユーロの税金を
払ったという風になって行きます。
生活基本金の倍額を支払う時、税金はプラスマイナスゼロ
なのです。
そしてここから、累進税率が始まる訳です。
3000ユーロの支払いではその内の17%が実際の税金
です。5000ユーロの支払いではその内の30%が
税金です。それより高額な支払いに含まれる税金は最高
50%近くとなります。
そして逆の方向にも累進税率は効果を及ぼします。
消費税に於ける社会福祉的な累進税率は、ベーシックインカム
によって容易になり、何と言っても効果があるのです。
●「民主社会党は、裕福でない人達が個々の状況に合わせた
税金ではなくて、一律の消費税をその給料の中から多く
支払わなければならないのは、後退的な税制だと言って
いつも反対しておられます。でも所得税が個人の状況に
合わせて機能しているかというと、そうではありません。
何故なら高額所得者には、その収入の一部をどこかに
隠したり、税金の控除を申請したり、色々な可能性が
あるからです。」
出来る人は所得税が高くならない様に、収入を縮小します。
それが出来ないと所得税がのしかかります。
しまいには、生活基本金が福祉の均衡を保つ事も出来ない
うちに、先程にも出て来た様に、しわ寄せが商品価格に
現われて来ます。所得税ははっきり姿を表さないばかりか
しっかり見られる事も阻むのです。
●税金がはっきりとひとまとまりで商品に現われると
こう(右図)なります。
それまでの過程で課された所得税が、商品に現われると
こう(左図)ですが、ここでは価格の半分近くが、
従業員にかかる経費になります。
右の場合にはおよそ4分の1で済みます。
左の場合には激しい価格競争の中で、仕事をしなければ
ならず、それが価格に反映されています。
必要のない者はすぐに飛ばされ、従業員は限界ぎりぎり、
新しい事を試みる事も出来ません。
右の場合には余裕があります。
ストレスも無く考えるゆとりがあり、従業員を増やす事も
出来ます。消費税はその様に仕事に影響を及ぼします。
生活基本金も同じ様な感じです。
●生活基本金の一部は税金に因って支払われます。
その他の部分を税金は膨らまし、生活基本金として
個人経済の収入の中へ成長してゆきます。
運送や建物管理に関わっている人達にとっても同じ
です。全ての税金は、客の前に姿を現す製品にのみ、
課されるのです。ですからラテマキアートがテーブル
に出された時、価格の内訳はこうなるのです。
下の3分の1が、ラテマキアートの原材料費などの経費、
真ん中の3分の1が、生活基本金の為のお金、
上の3分の1が、その他必要な国家予算の為のお金です。

そしてこの価格すべてが所得です。
下の3分の1は、製造過程において、直接従事した人達の
所得、
上の3分の1は、それ以外の周囲の課題や、公共の課題を
果たす為に、働く人達の所得、
真ん中の3分の1は、皆の為の生活基本金です。

このカフェ店が支払わなければならない従業員の給料は、
今日価格の約半分であるのが、将来約6分の1になります。
でも従業員の給料は変わらないのです。
税金を削り基本金を増やすのです。
(商品の値段は変わりません。)
●生活基本金は、既にある所得の中に成長します。
総収入額は変わりません。
これが基本です。



★ベーシックインカムによって開ける未来


●基本金は実際の生活の中で交渉する際の、基盤となります。
例えば労働で得る収入が少ない場合には、
基本金があるんだから、家にいて子供の世話をした方が
マシだ・・・その子供にも基本金があるんだし・・・
と言える様になります。それともやっぱりハンモックに
寝っ転がるか?
職場には行かず家に留まるか?
考え得る様々な状況で、生活基本金によってその行動を
可能にし、独自の生活を立ててゆける様になります。
単独、合同に拘わらず。
生活基本金によって浮かんだアイデアにもチャンスが
もたらされます。
所得はもうあり、それを職場に持ち込むだけです。
何か新しい事を始める事も出来ます。
一緒にやろうかどうか、他の人に尋ねてみる事も可能です。
その人にだって生活基本金があるのですから!
●今まで通りの仕事を続けるにしても、新しい事が起こります。
職場では皆同じ目の高さで話せる様になるからです。
仕事がどうあるべきか、自分の意見に重きを置く事も出来る
様になります。
本当の意味での共同作業です。
雇用主がもう少し多く給料を払わなければならない様になる
かも知れません。企業内で幾つかの事に変化が起きて行きます。
給料がいくら必要なのかも、話し合って行けるのです。
そしてこの話し合いは、様々な側面を持ちます。
ある家庭で夫婦の内一人だけ、所得を得ていてもう一人は
無職。子供の為には養育費援助がある場合、一人が得ている
所得から、無職の人も子供も所得を得ていますが、
生活基本金により、こうした会社や家族との所得面における
今までの結び付きが解け、個々の人間の立場に立った
民主主義的な新しい全体の結びつきが築かれます。
ベーシックインカムは解放を意味します。
家庭内でも同じ目の高さで話せる様になり、
労働市場にもチャンスが与えられます。
●ヴィリーとハンスは仕事仲間です。
同じ会社で、同じ仕事、同額の所得を得ています。
ここはスイスです。10000フランあれば、
かなりの生活が出来ます。しかし、それで何人養われるのか
にもよります。ハンスには奥さんと2人の子供がいます。
例として、スイスで生活基本金が2500フランであると
し、子供にはその半額支給されるとします。
こうしてハンスの家族の生活基本金が集まります。
奥さんの分、子供達の分、合わせて7500フランです。
以前ハンスは、家族を養う為の額をひとりで稼がなくては
なりませんでしたが、今は2500フランの為だけに、
仕事に行けばよいのです。でも家族に何も変化は起こり
ません。
ヴィリーは独身です。まぁ、愛犬がいるんですけど。
でも犬に基本金は支給されません。
ヴィリーが仕事を続けて7500フラン稼ぐとしたら、
彼の生活は、以前と変わりありません。
でも労働市場ではハンスの方が優位です。
何故ならハンスには家族があり生活基本金もあります。
ですからヴィリーよりもずっと安い給料額が、交渉の対象
となるからです。
だからと言って家計に影響が及ぶ訳ではありません。
ではこうした、所得の金額の問題にどう対処すればよい
でしょうか?
同じ仕事に対して様々な給料が支払われると言う事では
ありません。
そういう風にはならないのです。
また給料の額を、ヴィリーに合わせるのでも、ハンスに
合わせるのでもないのです。ここに新しい水準が必要に
なります。
それはつまり真ん中、5000フランです。
同じ会社、同じ仕事、同額の所得。
ヴィリーにもハンスにも5000フラン支給されます。
●お金で計れる生産価値の他に、お金では計れない
第二の生産価値が存在します。
福祉、文化、人間社会における、お金にはならない創造的
活動です。
こうした活動は、ベーシックインカムの導入によって、
その数を増すでしょう。
例えば、健康管理の分野、好意ある生活保護、精神的な
活動、人との交わり、自分を鍛える為の習得行為、
様々な分野での自由研究、社会に新しい事をもたらす、
自由企業の設立、合理化も出来ず、またお金にもならない
行為。ベーシックインカムは、自身の事を認識する為の
時間をも与えてくれます。
でもそうしたら、お金で計れる商品価値が減ってしまうの
ではないでしょうか?
多分そうかも。多くの人は週に2日しか働かなくなるかも
知れないし、残った時間でおばあちゃんの世話でもするの
かな?でもそのおばあちゃんにだって、生活基本金が
あるんです。今日の様に自動化が進んだ社会では、
ベーシックインカムによって、生産量が落ちると言う事は
ないでしょう。
健全で、不安から解放され、自覚を持ち創造性に満ちた
社会の基盤の中で、多くの事に新しい価値が見出される
でしょう。
そして今日まだスタート出来ない事の多くが、可能になる
でしょう。
経済は活力を増し、お金で計れる生産価値も向上します。
●後は、一体何が欠けているのでしょうか?
「それは信頼です。」
「あなたが一番悩むのは?」
「冷淡さです。」
「ベーシックインカムは単なる空想、それとも理想?」
「それは論拠のある事だし、経済的に可能だ。」
●ではどうしてまだベーシックインカムが施行出来ない
のでしょうか?
「それは心の中のコンパスの様なものがまだぶつかり合って、
社会が抱える問題と可能性を、ひとつのまとまりの中で、
考える事が出来ないからですよ。
自分達のしている事が、本当に納得の出来る事なのか?
それとも、その納得している事が、本当に時代に合って
いるのかを見てみる必要は無いのか?そうした事を
問うほど人間はまだ進んでいない。
だから今ある事を維持しようとします。
そして学校や大学などをより一層将来の就労に合わせて
整備してゆくのです。
一度手放してみる事が出来ないからです。
これこそが病気の症候ですよ。
人間が今いる可能性のある新しい環境の中に、
時代遅れの感覚が鉾(ほこ)を突き付けている。
この時代遅れの鉾こそ、物事が進歩してゆかない
病気の原因なんだと思いますよ。」
「今の社会のシステムが今後も機能してゆくかどうか
という事ではなくて、私達は目に見える別の可能性を
作り上げて行かなくてはなりません。
それがベーシックインカムであると思います。
例えそれが今、所々で行われている地域通貨という形で
あるとしてもね。それは特別に変わった事でも、革命的
な事でもない訳だから、新しい可能性を示す事の出来る
良い例です。」
「ベーシックインカムは、慈善行為でもなければ、
単なる資金援助とも違います。それは市民の権利なのです。
ベーシックインカムは、国家財産を共有出来る、
人ひとりひとりが持つ権利です。」
●無条件のベーシックインカムが、将来の目標として、
既にブラジルの法律に掲げられているのは、スプリーシー
上院議員の功績によります。
どこの国でだったら、ベーシックインカムの事を、真剣に
考えられるでしょうか?
「エジプトでだって考えられるよ。
でも考え方を変えないと。
ヨーロッパで考えられているモデルとは比べる事は
出来ない。でもエジプトにふさわしく考え、観察する
事はとても重要だ。」
ベーシックインカムは、エジプトの人にどんな影響を
及ぼすでしょうか?
「まずは解放。生活が存続出来ない危機から解放され、
全く違った目で将来を見て、可能性を見出せる様になる
だろう。今はただ生き延びる事のみだから!」
スプリーシーさんは何故、ベーシックインカムに力を
注いでおられるのですか?
「真実を見つけたいからだよ。
私は道を見つけたい。
貧困をなくす道、
公正な社会を築く道、
所得の配分をより良くする道、
権利を確立する為に・・・。
そしていつか誰もが、
友愛という名のひとつのテーブルに、
座れる日が訪れる事、
それを願って戦いたいのです。
その昔、マルティンルターキングが、
(アメリカの有名なキング牧師の事)
その演説『私には夢がある』で述べた様に。」
私には夢がある。今日、私には夢があるんだ。
●ベーシックインカムは、子供から始める事が可能です。
例えば2000年に生まれた子供達からです。
そして子供達と共に、社会の中で育って行きます。
でも考え方さえ変えれば、自分の所得でも始められます。
「給料を払う時に私達は、もたらされた業績を決算する
訳ではなく、給料によって共同体への寄与を可能にして
いるんだよ。従業員の労働は、お金で支払われるものでは
なく、給料によって仕事をする事が、可能になっているん
だよ。」
●ベーシックインカムは、ひとつの地域からでも始められ
ます。例えばひとつの州、或いはひとつの街。
例えばグライフスヴァルトでも。
人々を条件無しで財政的に自由にするならば、財団でも
始める事が可能です。
「国家が金銭的にも援助する事がある財団法人では、
自由な精神活動や福祉活動を、経済的に助ける為の、
準備が出来ているはずです。
でもそこには社会福祉や文化活動のプロとして中心で
支える人間が欠けているんです。
それに代わってやれ企画書だの、構成や基準がどうのこうの
と言った事ばかり。人間個人について、真剣に考えていない
んですよ。」
その個性こそ、ベーシックインカムによって真剣に捉え
られる様になります。
それとは裏腹の意見として、人はその個性に信用が
おけなくなっていて、自分の考えもないし、自分から
何かを始めようともしない・・・と言う人もいます。
ではフランクフルト失業者対策センター代表
ボンマースハイムさんの見解は?
「皆、自分の考えは持っていますよ。
でも何が出来るか、許されるのか、望まれているのか、
と言う事を正しく考えられず、その正しくない想像に
よる生活の不安によって埋没してしまっています。
ベーシックインカムが導入されれば、皆にもっと力が
湧くのは間違いないと、私は納得しています。
要するにそれは再び経済と社会に還元されると言う事です。
そこで疑問に挙がるのは、生活基本金が支給されたら、
人々が仕事に戻る率が上がるのか?と言う事ですけれど・・・
とても高い率で上がると私は思います。」
では私達は、人に投資を始めなければなりませんね。
でもそれは、私がとっても嫌いな人にでも行なわれる投資
ですよ。
「それこそ、とても重要だと僕は思うね。」
「『私は今までずっと規律ある生活をする様に努力して
来たし、意義ある事を行なう様に務めて来た。
でもあそこにウロウロしている若者達には、秩序も何も
ありゃしない。そんな人達にまで金を配るなんて、
スキャンダルだ。』
こういう見解を持つ人達は、心のどこかでベーシック
インカムを拒んでいるのです。でもこう言う言い方を
しては品がないし、そう言う意見は悪い印象を与えます。
だから言葉を変えて、『どうやって資金を調達出来る
のか?』と言うのです。」
「私達は人間を開放する為に仕事を機械化して来ましたが、
今度は逆に職場が無くなって溜息をついている訳です。
そして誰も、『全く忌々しい。今までずっとその事に
対処して来たのだから、今さらもうやる事は無い!』
なんて言える政党はないのですよ。
それがとっても腹に立つわ。」
とっても大切なのは、正に個人的な『妬(ねた)み』の
問題です。何で他の人が自分よりも恵まれなければ
ならないのか、という妬みです。そしてこの妬みが
ベーシックインカムで打ち砕かれるのです。
人が自身をこうした妬みから解放出来れば、その人は
ベーシックインカムの為にばかりではなく、自身の健全な
精神と社会に生きる人間としての能力の為に貢献した事に
なるのです。



















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