奇跡の女(ってほど偉そうな内容ではない(笑))

1967年8月日本の四国で3日も
陣痛に耐えている一人の女性がいた。
やっと出てきたその赤ん坊はなんと息もしていなければ
心臓も止まっていた(;・∀・)
この病院の先生はもう〜駄目だ。と判断した。
そのころではもちろんない立会い出産を余儀なく
された父親を呼び出しこう言った。
先生「このお子さんの死体を研究用に下さい。」
この夫婦には結婚5年目にできた子供だった。
父親「わかりました・・・」

天国に行こうとしている赤ちゃんはびっくりした。
赤ちゃん「このままじゃ〜やばいじゃん(;・∀・)」
パトラッシュとネロを迎えに来た天使たちと
大喧嘩して自分でへその緒からなにやら伸びる
糸を三十結びして神様にアッカンベーして
産声をあげてとりあえず生きてることを
アピールしてみた。
「皆驚いたみたいだぁ〜つかみはOKだなっ」
そう、こうやって誕生した赤ちゃんこそ
このHPの管理人MOMOだったのだ(;・∀・)

こうやって生まれて、大事に育てられたかと思いきや
そうでもない。なぜって?
この子はとても親の手をやかせたのである。
とにかく寝ない子だったのだ。
2歳には納戸を寝室にさせられ
夜になるとそこに押し込められた。
それでも一人でずーと夜中まで遊んでいる変わった子だった。
女の子なのに折り紙とかおままごともせず
男の子とずーと夕方遅くまで泥だらけで遊んでた。
ある時こんな私にも近所の女の子が
「あそびましょう〜」と声をかけてもらった。
おままごとをしていた、その時女の子が
「ぎゃ〜〜!」と声をあげて大泣きしているではないか?
ままごとのお茶碗にダンゴ虫をてんこ盛りして
ご満喫の私の笑顔が・・・(;・∀・)
こんな私は女の子の友達は作りにくかった(涙)
色も真っ黒だったし髪も床屋で切っていた。
その上声もダミ声でかなり低かった。
いっつも男の子に間違われていた!

こんな私も4歳で無事幼稚園に通った。
そんな時かならず言われることがあった。
「MOMOちゃんって歩き方変だよっ」
「MOMOちゃんの走り方変だよっ」って
そんなにおかしいかな〜?
でも私はかなりのマイペースだったので
あまり気にしないでいた。

小学生になった。
やっぱり体育の時間
「MOMOちゃんの走り方変だよねっ」と言われた。
運動会でも父も母もお前の走り方は変だと言った。
先生までも走り方を注意するし、なんでだろう?と思っていた。
でも運動神経もまぁまぁ普通だったので
誰もそれ以上気にしなかった。

中学生になった。
千葉の中学に通った。
ついに足を引きずってると言われた。
でも私はあいかわらず全然気にしてなかった。
どうせいつもの歩き方変ってやつでしょう?
と軽く考えていたのだ。
一応女の子だったので少し気にして歩いてみた。
でも足はずーと引きずっていた。
部活も剣道部に入って体育も普通にこなしていた。
中学2年のある日布団から起きようと思ったら
足が全然動かなくなった。
くの字に曲がったまま伸びもしなけりゃ
曲がりもしない。「どうしたんだろう?」
父が近くの接骨院に連れて行った。
手で触ってなんともないと言った。
治療を受けても足は全然動かなかった。
そのうちこの医者は父を呼び出して
医者「この子は学校が嫌だから足が動かないんだ」
と言った。父にかなり叱られた(´д⊂)‥ハゥ
でもどうやっても足が動かなかった。
それどころか足も腰も痛くて寝れなくなっていた。
父はしょうがないので近所の整形外科に連れて行った。
腰のレントゲンをとったら椎間板ヘルニアになっていた。
これから医者通いが始まった。

高校にいっても社会人になっても足も腰も痛い。
私に痛みからの解放はなかった。
酷いとまったく動けない。何度も手術が
進められたが、この頃はお腹から臓器を
取り出して手術しなければならないと聞いて断った。
20歳になった。また動けなくなった。
その頃立ち仕事をしていた私は
医者からドクターストップがかかり退職した。
この痛みは本当にすごかった。
足もまたどうにも動かなくなった。
手術をついに決意した。
その病院は腰からの手術ができると聞いた。
ヘルニアの手術が終わった。が
足が全然動かなかった。また検査(;・∀・
どうも足の膝の骨中のかつ膜がおさらの骨に
挟まっているということで膝が動かないんだそうだ。
でそのまままた手術(´д⊂)‥ハゥ
リハビリ合わせて5ヶ月も入院した。
それでも腰も足も痛かった。
手術して1年もたたないうちにまた動けなくなった。
その時この病院の先生は
先生「あれ〜言ってなかったっけ?
MOMOさんの両膝はお皿が生まれつきの畸形で
変な風にくっついているんだよ」
私「・・・聞いてません(;・∀・)」
先生「膝だけでなく骨盤も股関節も
全部脱臼してるよ」
私「えぇ〜〜〜〜〜(;・∀・)」
その後すぐ椎間板ヘルニアは2本も再発した。
毎年毎年1年に何回も病院に通った。
転院するたびに医者は難しい表情でこう言う。
「40歳になるまでに車椅子になるでしょう」

私はこの言葉を完全無視した。
やりたいように生きてやったのである。
スポーツも水泳もなんでもやった。
痛い時は尾てい骨にブロックの注射とカイロプラテリック
電気治療、針、お灸、もう手当たりしだい
痛くて動けなくなったら何でも試した。
それまで病院に全然いかない(笑)
どんな手術しても、もう無理なのはわかっていたから。

こんな私は今も全然元気だ。
たまに動けなくなるし、1年に何回も
松葉杖を使っている。
でも痛みが軽いと全然使わない。
膝はあれからまた、かつ膜を挟んで手術した。
走っているしスポーツもしている。
40近いけど車椅子になってません(笑)

こんな私だから痛みに強いでしょう?
と聞かれるが、全然弱い(笑)
手術なんか何回しても嫌だし入院も大嫌い。
入院だけだったらもう何回したかわからない。
この間の大腸癌の手術あわせて
私が抜糸した数は軽く100本超えている(;・∀・)
女だからって傷なんていちいち気にしてられない。
傷は女の勲章なのだ!
点滴や注射の数はもう無限だろうなぁ。

でもあの赤ちゃんの時実験用になっていたら
この今の人生はないんだよね。
この38年が、もはやおまけの人生なのだ。
こんな私が生きるということを止めなかったのは
ただたんに死にたくなかったという単純な理由から
体の骨がバラバラだってちっとも平気
ガンになった時に、わりと客観的に冷静で
いられたのも多分この体のお陰だと思う。
大変だったねって友達がいう。
なんでお前ばかりがと親がいうけど
これが私には普通なんだもん。
それに生きるってすごいし、素晴らしと思う。
人生いいことばかりじゃ〜ないけど
悪いことばかりでもないよねっ?