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塩原の歴史
飛鳥奈良時代

前97〜679〜
平安時代1

806〜1089
平安時代2

1089〜1183
平安時代3

1183〜1187
鎌倉時代4

1187〜1250
鎌倉時代5

1250〜1335
鎌倉・南北時代6

1335〜1390
室町時代7

1390〜1461
室町・戦国時代8

1461〜1510
室町・戦国時代9

1510〜1569
安土・桃山時代
天正文禄慶長

1569〜1597
安土・桃山時代
慶長

1597〜1601
江戸時代初期
慶長元和
寛永
1601〜1631
江戸時代初期
寛永

1631〜1637
江戸時代初期
寛永正保

1637〜1656
江戸時代初期
明暦万治

1656〜1666
江戸時代初
寛文延宝
1666〜1680
江戸時代初期
天和貞享
1680〜1685
江戸時代中
貞享元禄
1685〜1695
江戸時代中期
元禄宝永
1695〜1710
江戸時代中期
宝暦正徳享保
1710〜1720
江戸時代中
享保
1720〜1729
江戸時代中期
享保元文
1729〜1738
江戸時代中期
元文寛保延享
1738〜1749
江戸時代中
寛延宝暦明和
1749〜1775
江戸時代中
安永天明
1775〜1796
江戸時代末期
寛政享和

1796〜1806
江戸時代末
文化

1806〜1811
江戸時代末
文化文政
1811〜1822
江戸時代末
文政
1822〜1832
江戸時代末期
天保

1832〜1836
江戸時代末期天保
弘化嘉永万延
1836〜1860
江戸時代末期万延
文久元治慶応
1860〜1868
江戸時代末期
明治
1868〜
参考書籍、文献類

徳一大師塩原温泉開湯1200年記念碑建立
塩原温泉開湯1200年の歴史資料
三島通庸の塩原道路開削事業





*無断掲載を禁じます。会長 加藤明徹 塩原甘露山妙雲寺住職(本山臨済宗妙心寺)


目次

  第一章 飛 鳥・奈 良 時 代
一、古代塩原のあけぼの(前97年〜
二、仏教文化の発展と塩原(679年〜


第二章 平 安 時 代
一、塩原之縁起と徳一大師(806年〜
二、関東武士団の到来(939年〜
三、塩原八郎家忠の台頭(1089年〜
四、塩原城築造と源頼政一族(1178年〜
五、福渡左靭(うつぼ)源(稚児が淵)の戦い
(1178年〜
六、尾頭(桃の木)峠の合戦(1178年〜
七、平肥後守貞能と妙雲禅尼(1183年〜


第三章 鎌 倉 時 代
一、源有綱岩窟に忍入隠住(1187年〜
二、長沼宗政(小山)の台頭(1189年〜
三、尾頭峠道開き塩原道改良(1204年〜
四、塩谷康朝(朝業) の台頭(1250年〜
五、大同禅師塩原妙雲寺開山(1281年〜


第四章 鎌倉・南北朝時代
一、塩原軍勢元弘の変鎮圧に出陣(1331〜
二、塩原軍勢紀州竜門山に出陣(1335〜
三、君島信濃守少弼(すけ)の台頭(1363〜
四、塩原支城離れ室城築造(1370〜


第五章 室 町 時 代
一、門前村守護のため塩原寺開山 (1390〜
二、武家相伝の地と湯元湯料奉寄 (1402〜
三、君島信濃守塩原防護計る (1428〜
四、長沼次郎再び塩原返還迫る (1449〜


第六章 室 町 ・ 戦国時代
一、湯元円覚院円谷寺開山 (1461〜
二、橘朝臣伊勢守源綱宗の台頭 (1467〜
三、戦いの弔いを観音堂に託す (1486〜
四、橘伊勢守会津軍勢に敗れる (1495〜
五、塩原越前守の台頭 (1510〜
六、塩原八幡宮造営 (再興)(1528〜
七、災害祈願と戦勝祈願 (1536〜
八、塩原軍勢早乙女坂へ出陣(1549〜


第七章 安土 ・ 桃山時代
一、塩原勢三依鶴渕城へ出陣 (1569〜
二、塩原小太郎薄葉ヶ原へ出陣 (1584〜
三、秀吉高原通過と朝鮮出兵  (1590〜
四、妙雲寺焼失と塩原要害城 (1593〜
五、宇都宮改易と塩原氏消滅 (1597〜
六、改易による目まぐるしい変貌 (1598〜


第八章 江 戸 時代(初期)
一、武家相伝子孫たち元湯に結集(1601〜
二、塩原守護のため社寺等再興 (1623〜
三、藩主入湯の為元湯大改修 (1631〜
四、名妓高尾太夫元湯に生まれる(1637〜
五、地震災害の始まり復興救済 (1652〜
六、運敝僧正塩湯山記を随筆 (1656〜
七、万治大地震で元湯温泉の壊滅(1659〜
八、御本陣元湯から古町に移る (1666〜
九、宇都宮藩元湯復興を計る (1669〜
十、河川流域の温泉の発展 (1673〜
十一、日光大地震と会津脇街道 (1680〜
十二、元湯居残り住民新湯へ移る(1683〜


第九章 江 戸 時 代(中期)
一、藩道大曾條(塩原筋)発達 (1685〜
二、藩主入湯で九箇条目定める(1694〜
三、会津脇街道制定塩原通行 (1695〜
四、廻米運搬で小滝宿場構成  (1704〜
五、宇都宮城主の入湯歓迎準備 (1710〜
六、城主塩原大巻狩りを展開  (1714〜
七、会津廻米運送で湯治場の繁盛(1714〜
八、如活禅律師と念仏講      (1720〜
九、大暴風(台風)災害が発生  (1722〜
十、塩原温泉湯治場街道の発達 (1725〜
十一、城主再び最大の巻狩を展開(1729〜
十二、如活禅師と妙雲寺住職   (1736〜
十三、塩原妙雲寺本堂再建    (1738〜
十四、村念仏講と供養塔建立   (1741〜
十五、塩原佐倉藩領に変更    (1749〜
十六、石高増加で宇都宮藩復活 (1753〜
十七、湯治場の繁栄と村人の生活(1766〜
十八、妙雲寺宮殿と湯治場繁栄 (1775〜
十九、災害地河川堤防普請の検分(1777〜
二十、天明大飢饉と神仏へ供養  (1783〜
二十一、引久保観音堂になる   (1793〜


第十章 江 戸 時 代(末期)
一、湯治場繁栄に見る塩原温泉  (1796〜
二、景気到来により信仰の盛況  (1802〜
三、会津脇街道と風祭の発展   (1806〜
四、宇都宮城主病気療養に訪れる (1811〜
五、御高札場と宇都宮御用場山論 (1818〜
六、塩原絵図と笹板代金子上納  (1822〜
七、好景気到来により治安発令  (1827〜
八、佐久山城主入湯「塩原考」出版(1832〜
九、宇都宮城主塩原入湯長期滞在(1835〜
十、入湯者減少と助郷免除嘆願書(1836〜
十一、会津脇街道と西会津街道  (1847〜
十二、幕末の塩原温泉の状態   (1860〜
十三、戊辰戦争前哨戦と塩原   (1867〜
十四、塩原全村焼き払われる   (1868〜
十五、護衛に大田原藩駐屯    (1868〜
十六、明治維新復興前の塩原  (1868〜
    あとがき