開湯1200年記念の経緯
塩原温泉郷土史研究会

 まず、昭和55年3月塩原町誌編纂委員会発行の「塩原町誌」を見ると、年表には『大同元年(806)塩原はじまると伝う
(元湯温泉発見)」とあり、第2編・第1章の『塩原之縁起」の項に「緇素(僧侶)往来、入二 此薬湯一消二 寒熱二病一而己。
此の時の寺建立【神亀元年(724)】法楽寺【寺山観音の前進、寺の在所に建てた此の薬湯【塩原湯元温泉】と考えられる。
于時、弘仁10年(819)6月21日塩原の縁起(湯元のはじまりを言うのではないか?)とあり、特定した人物は記して無かった。

(1)はじめに”如葛仙”という人物を見ると、明治24年7月中愛社書舗出版の杉田丑太郎編集兼発行者「塩原温泉誌」
  の古湯元の項に「この地は塩原山中温泉を開きし最初の処にしてその発見は古く大同元年にあり”如葛仙”初めて此地
  に来て温泉の効を示すと伝ふれども如葛仙とは何人なるか史に其の伝を存せず」とあるが、塩原温泉ではこの時より
  ”如葛仙”が塩原の発見と者といわれてきました。また、元塩原郷土史研究会員・塩原町誌編纂委員・福渡戸山形屋
  主人礒俊夫氏(俳人)の研究調査書には「民話著作者小林友雄先生塩原講演で如葛仙は小野老氏で天平9年(737)
  没」とある。(発見年代に疑問あり)

  参考に「じょかつ」は同名の”如活様」(如活禅律様)という人物がいました。江戸中期に塩原を往来、村人を病から救って
  くれた大和尚で、塩原妙雲寺と新湯円谷寺に如活様の石塔が建立してあります。
  塩原を訪れたのは元文元年(1736)頃とみられます。湯元村に的斎和尚(君島三衛門)並びに徳眼和尚(君島喜兵衛)
  と下塩原に陽庵和尚が禅師の門弟として修業しておりました。塩原妙雲寺は同系の臨済宗で、住職の乙道祖藁和尚とは
  特に交わりをもち、本堂再建の相談役として貢献しました。地域の利を求めず、ひたすら仏の教えを重んじ
  村人の中に溶け込み念仏を唱え講を普及させた禅師でもありました。享保元年1719年会津中荒井に草庵を創立
  寛保元年(1741)他界するまで禅師の身分は不明でした。死期に及び「われ臨済38世上龍下水如活禅師なり」と明かした。
  生涯寺をもたず、粗末な庵を好み質素なお方で、地方を転々として、寺の住職は勿論、関東北部の大寺の僧侶とも
  交わりを持っていました。その間、庶民の救済念仏を広め、仏弟子もおおく、解剖学でもあり、妙薬等も残しています。

(2)次に”徳一大師”という人物は、先人たちの残した記録を元に、会員が高原山麓にある矢板市長井に足を運び
  大同元年(806)に徳一大師が寺山観音寺を移築開山、本堂には徳一大師の位牌が祭られていたことを確認しました。
  また、会員たちにより墓所である会津磐梯山麓まで足を運び、大同2年(807)に恵日寺を開山、天長元年(824)に
  此地で入滅していることを確認しました。20数年間”徳一大師”は会津、塩谷、塩原等を往来し修行したことになります。

(3)最近”猟師”説が問われはじめてきました。それは、佐久山の殿様(福原)が病のため、天保三年(1832)8月、
  塩の湯温泉(塩原)に入湯に訪れた時、家臣の三斎林知修織は共奉を命ぜられ塩原温泉にきて随筆「塩原考」
  を著しました。元本は国会図書館蔵本「輪池叢書」の代二十冊中の一項に「塩原考」とあり其の文中に「塩原の
  温泉たるや、大同元年朦月の頃、猟師此所を見出す」とあります。この文章は「塩原之縁起」のなかにあり、猟師
  此所をみいだすとは、猟師が案内したと解釈します。著者は勤務の暇あるとき、塩原の温泉や旧跡等を見ながら
  地元民の口伝を聞き合わせ、大同元年(806)より天保三年までの塩原の概略を書き、なお後継者に訂正をお願い
  するとあります。(猟師は原住民である)

   研究会では以上の成果を元に、”塩原名湯発見者”は如葛仙・猟師・徳一大師説を選定いたしました。この3者を
  学術的ではないが、塩原温泉の名湯(すぐれた効能で有名な温泉)を発見した人物は誰か、研究をかさねた結果、大同
  元年(806)寺山観音を開山、次の年大同2年(807)恵日寺を開山している”徳一大師を選定いたしました。
  矢板から会津に向かう途中猟師の案内で温泉を発見いたしました。そして「塩原之縁起」の緇素という人物が徳一大師”
  であろうと、研究会では結論がまとまりました。

  本年、那須塩原市主催である塩原温泉開湯1200年記念事業実行委員会による「塩原温泉を発見したのはだれか」
  の歴史シンポジュウムを平成18年6月25日那須塩原し三島ホールにおいて、開催することになりました。
  パネルでスカッシション形式、田代芳寛氏のコーデネーターの元に実施され、塩原発見者は藤原仲麻呂の子である
  ”徳一大師”をアピールしました。
  塩原温泉観光協会手塚秀男氏のコメントで「今後は”徳一大師”説を尊重、塩原温泉発見者に統一してゆきたい」との
  運びとなり新聞紙上に発表されました。

   平成18年(2006)10月4日、甘露山妙雲寺本堂に”徳一大師”にお位牌を祀り、参堂に徳一大師開湯1200年記念碑
   建立法要と除幕式典を執り行い、塩原温泉1200年の歴史経緯の足跡を偲び、塩原温泉の発展を祈願しました。
   つづいて花園会館において塩端温泉歴史発表会を開催しました。(発祥地は元湯であると思われますが、
   塩原温泉繁栄のためこの地塩原(下塩原)に建立しました。

   ここに、塩原温泉郷土史研究会では開湯1200年の節目の年である平成18年(2006)12月13日
   徳一大師開湯1200年記念碑の前にて記念撮影を行い、"徳一大師”の研究成果の労い塩原温泉の
   益々の発展と繁栄を祈願ししました。添付資料として歴史シンポジュウムの資料・徳一大師開湯1200年
   記念碑刻文・塩原歴史発表会の資料等及び新聞紙上に記事を添付、以上の研究資料を塩原温泉妙雲寺
   に末永く保存し”徳一大師”の遺徳を伝えたいと思います。
 
                                                   平成18年12月13日
                                                   塩原温泉郷土史研究会会長  君島栄七撰文
                                            



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