中国・湛江発電計画   18 Jan.,2001 起草
   前回の印度出張は辛い仕事に終始し、その2年後の1984年夏、副甲状腺機能亢進症という珍しい病気で、首を切開して患部を摘出するという命がけの大手術を受けた。

   そして生還した、翌年1985年(昭和60年)1月半ばの中国本土への出張が、今回記述するもので、この案件は、当社製品の売り込みというか、技術PR、いわゆるプレゼンテーションである。350MW2基・石炭火力発電所の総合的な話をするので、社内関連部門は勿論、当社販売品目にないものを作っているグループ企業や建設業の関係者と徒党を組んでゾロゾロの海外出張だから気楽であった。

   当時の中国は招請状(Invitation)が無いと、こんなに大勢の人間が入国するのは無理な上、実際の入国に際しても査証や国内旅行証を取るのに時間がかかるという非能率的な出張だった。その上更に、本当はフライトで行くはずのところ、気象の関係で陸路を行く羽目になり、とんだハプニングに遭遇した。東京〜大阪の約500KM近い距離がある広州市から広東省西南端の 湛江市までをポンコツのマイクロバスに乗って、田舎の砂利道をガタガタと粗末な座席でケツを傷めながら、片道約12時間かけて往復したのには大いに参った。途中には3つの珠江他の大河があり、フェリーを利用する。我々の目的地・湛江市は、石油資源の産地・海南島(ハイナンダホ)のすぐ近くにあり、すぐ隣はベトナムになるが、中国全体地図をみるとその位置関係が分かる。湛江近くの大河は、名前を失念したが、ベトナムが攻めて来ないように用心のため、橋を架けずにカー・フェリーを主な輸送手段としている由である。

   湛江は、日本語では「たんこう」だが、北京語は「ZHANGJIANG ジャンジャン」、広東語では「ツアムコン」だそうだ。

   湛江市は、我々が訪問した当時、14解放都市の一つに指定され、人口約88万人、今までは農業に注力していたが、今後は電力、交通、通信の3つの近代化を海外との合作(提携の事)で進めたい意向であった。(あれから16年経った今、どうなってるだろうか。近隣の南沙列島界隈は、今でも、もめているみたいだが。)

   日本を出てから4日目に湛江に着き、2日間発電所建設候補地サイト調査と会議、また
3日かけて帰って来るという、結局1週間の出張であった。おかげで、普通はみられない珍しい中国の田舎風景、街、河を見る事が出来たのが、せめてもの救いになった。

▼全行程

   昭和60(1985)年1月13日(日) 19:00成田発 同日 22:50 香港着。
         INTER・CONTINENTAL系ホテル・フラマ泊。
   1月14日(月) 商社現地事務所にて打ち合わせ。査証取得。ホテル・フラマ泊。
   1月15日(火) 12:00 香港発 同日12:30 広州着。国内旅行証取得。チャイナ・ホテル泊。
   1月16日(水) 08:30 マイクロバスにてホテル前出発。同日20:05湛江市・海濱賓館着。
   1月17日(木)〜18日(金) 湛江市・海濱賓館にて打ち合わせ。サイト候補地調査等。
        16日以降、海濱賓館泊。
   1月18日(金) 20:00 湛江市・海濱賓館出発
   1月19日(土) 07:40 広州・東方賓館着。14:00 広州出発ー(フェリー)ー17:10 九龍着。
         ホテル・フラマ泊。
   1月20日(日) 09:30 香港発 同日 14:00 成田着。 同日 19:50羽田着

▼香港〜広州往路(1/13〜1/15)

    過去の出張で香港はトランジット(空港経由)ばかりだったので、中に入ったのは今回が初めてである。到着した翌日は、香港現地駐在事務所への挨拶、関係者の紹介、PRの準備などが主であったが、査証もここでもらうことになる。今後のスケジュールについても説明があったが、広州から湛江市までは、フライトが駄目で、陸路になると聞いてがっかりした。

   香港では、空きの時間があり、ゆっくりしていたので、夜は仲間と街に繰り出して、紹興酒をやりながら、夕食を楽しんだ。来て3日目は昼の広州行きであるから、午前中の香港、午後の広州とも時間的な余裕があった。暇つぶしに、泊まったINTER・CONTINENTAL系ホテル・フラマの部屋の「御意見承り」に適当に書き込んで、置いてきたら、帰国後次のような手紙が来ていたが、実態がどうなっているか、検証したことはない。要するに浴衣が無いというクレームをイタチの最後屁で残して来た訳だ。

   Dear Mr Kojo

   Many thanks for taking the time to complete our guest questionnare upon your departure from
   the Hotel.
   Whilst we are happy to see that you enjoyed your stay with us,we have also taken note of your    request for supply of night wear in the guest rooms which we will definitely consider to provide    this amenity in your guest rooms in the near feature.   All of us at the the Furama look forward    to welcoming you back to our hotel ,or any athoer Inter.Continental Htels around the world.

   Sincerly yours
   G.K
   General Manager

   ホテル・フラマ

   お世辞じゃないけれど、このホテルから、あれはコーズウエイと言うのだろうか、港の風景の見晴らしは抜群で、ホテルの窓から写真を写しておいたのを紹介する。勿論、銀鉛写真である。本当は「慕情」の舞台になった高台に行きたかったけど、ビジネスの身の上では、残念ながら勝手が利かない。広州のチャイナ・ホテルはなかなか見晴らしが良かったので、香港と同様ホテルからの風景をカメラに納めた。

  ホテル・フラマの窓から   同左

 広州・ホテルの窓から  同左

▼広州〜湛江(1/16)

   日本を出て4日目。この日の湛江行きは難行苦行と言って良かろう。全行程に書いて置いたけど、出発の 08:30 から到着の20:05迄、丸一日、ガタガタ・バスの中で過ごした広州から湛江迄の道のりは、一筋縄では表現出来ない。名前も知らない幾つかの村落と尽きる事のない砂利道と、大河を渡ってやっと行き着いたという実感だ。このような車の長旅は、生まれて初めてであった。途中、カー・フェリーで、のんびりと河の風景を楽しんだ事で、尻の方傷みも幾分癒されたと言えよう。途中何処かの村落で狗(いぬ)を食用に売っていた。中国人は犬を食すのか。戌年の小生は複雑な気持ちであった。

  途中風景   途中の川   途中風景

  同行仲間
  フェリー乗船前
  同型のフェリー   対岸間近

  池と小屋のある風景   小休止の売店   望楼のある風景

  ある村落の人達   ある村落の人達   ある村落の人達

▼湛江市(11/17)

   我々の泊まったホテルは、椰子の沢山生えた庭にバンガローの様に点在している平屋の建物であった。グッスリ寝て、昨日マイクロバスに終日揺られて来た疲れをいやした。今日は発電所建設候補のサイト調査に出かけた。中国大陸は大きいが、日本のせせこましい国土と違って、ここのサイトもダダ廣くて建設用地に困らないようだ。我々は海南島近くの濱まで降りて、しばしの異国の時を過ごした。難破船と書いたが、あの船には人がいるようだ。この日の夜は湛江市主催の歓迎夕食会が行われた。

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  建設候補サイト   建設候補サイト   建設候補サイト

  海を臨む   難破船?   海浜散策

▼湛江市(11/18)

   我々の泊まったホテルの会議棟を使い、相手は湛江市人民大会常務委員会副主任(副市長相当)を頭とする市の幹部達10人、当方も通訳を入れて10人で会議が進行した。双方のメンバー紹介、湛江市の計画概要説明、当方の技術説明。双方質疑等が行われた。取り交わした名刺を見ると、中国側はあれを簡体文字というのだろうか、奇妙な省略漢字に驚かされた。我々はスライドを多用したので、分かりやすかったと言われた。昼は、当方グループ主催で答礼昼食会が行われた。会議は夕方まで友好裡に進められた。そして再び宿舎を20:00に出発して夜行マイクロバスに揺られて広州へ向かった。

  会議前の談笑   会議中(右列中国側)

  会議棟前で   しばし休憩中

▼広州〜香港(1/19)

   今度は一夜をマイクロバスに揺られて来た。途中トイレ休憩があったが、小用は良いにしても大用は全くの覆いがないトイレ構造にあきれ果てた。当方流に言えば恥も外聞も無いのだから。流石に夜中で、暗いのはいいにしても、小生はそこで用を足す勇気は無かった。夜中でも村落の売店は開いていて、何か食い物を買って腹を満たしたが、何を買ったか覚えていない。朝方、広州の東方賓館に着き暫く休憩を取り、広州見学に行く。三民主義の孫文の中山記念堂以外のお寺の名前は記録が無い。小生は歴史に疎いが、この広州は阿片戦争の舞台になった由で、「近くの公園」と適当に名前を付けた処は、その昔、ドンパチやった処と思う。往路はフライトで来たが、帰路の広州〜香港は水路を船で渡る事になって良かった。途中、あれは税関船とでも言うのだろうか、兵士とも役人とも見えるコスチュームの人達の検問を受けた。香港の中国返還前で、中国からの出国だから、水上通関という事になろう。下の広州・ホテルの窓からの写真は左から右へつながっているのである。

 広州・ホテルの窓から  同左(向こうは国際
 見本市の建物?)
 同左

  広州のお寺   同左   近くの公園

  中山記念堂   孫文宣言書   仲間と一緒に

  お寺の前で   寺の塔   寺の塔から見下ろす

▼帰国(1/20)

   中国本土は初めての体験であり、仲間も一杯いて楽しい旅が出来た。もう忘れてしまったが、土産も買って来たと思う。一度行くと縁ができるのか、数年後に上海、北京を訪れる事になる。


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