城崎・餘部・出石 冬の但馬路  2006.12.29-30

2006年も残すところ後わずか。今年は息子風雅のやんちゃぶりに振り回されていただけのような1年だったが、それでも皆元気に年末を迎えられて何よりだ。子供ができてからはいわゆる「旅」の数もめっきり減ってしまった。1歳そこらの子どもを連れて行ったら、食事やオムツや不機嫌・・・の相手をしているだけで疲れてしまう。かと言って、お守を妻に任せて私一人で出かけるというのもこれまたある種の罪悪感にかられながらとなるので心から楽しめない。後が怖いのである。
お互いの仕事収めの次の日29日から一泊二日で一年の疲れを取りに山陰城崎温泉に行くことにした。天気予報では不吉な予報が・・・。まっ朝起きてから考えよう。
昨夜の天気予報は見事に的中した。前日までの好天気が嘘のように滋賀の大津でさえ真っ白に雪が積もっている。テレビでは日本海地方の大雪警報情報が流れている。チェーンは積んでいるもののできるなら使いたくない。電車で行くべきか、キャンセルすべきか、それてもノーマルタイヤでチャレンジすべきか・・。とにかく泊まる予定の宿に電話して状況を聞いてみた。
「大丈夫ですよ、今は晴れています」。なーんだ大丈夫なまかぁっよし車で出発だ。

朝10時に京都縦貫道を通り日本海側へ向かった。多少路肩に雪が積もっているが、まあなんとかなりそうだ。が、綾部に着いたころには一面真っ白で、車のタイヤ後だけが道路についている状況。それでも引き返すわけには行かない。ノーマルタイヤでどこまで行けるかチャレンジだ。しかしながら、高速道路はチェーン規制がはられてしまい、それ以上ノーマルタイヤで進むことはできない。うーん、よしっ下道でGOだっ。

結局、舞鶴〜宮津〜久美浜〜城崎と少し遠回りしたが、2.3回スリップして溝にはまりそうになっただけで無事?!に本日の宿に到着だ。ふーっ 我ながらすごいっ。
1400年の歴史をもつ城崎温泉はそれぞれに趣向を凝らした7つの外湯を持つ温泉地で、各宿で配られる浴衣に下駄を引っ掛けて七湯めぐりをする光景はここ城崎の風物詩にもなっている。

我々が到着したのは3時過ぎで、小雪まじりの寒い中を幾人もの浴衣姿の観光客を目にした。えらいっ。そこまでするかっ。

個人的には、3回目の城崎温泉。しかし宿に泊まったのは、2回目。後一回はもちろん車中泊でした。
あまりにも寒いため、ひとまず宿に戻って温泉に入ることにした。ゆっくりと食事も済ませてまだ夜8時前。少し風気味の風雅とめんどくさがりやの妻を残してひとり再び城崎の町を散策に出かけた。
趣のある風景は雪の夜もまた似合う。

城崎七湯の一つ地蔵湯

温泉地ならではの手はじき式パチンコ台。スマートボール店や射的もある。
次の日の朝、心配していた雪もいつの間にか雨に変わり、道もコンクリートが見えている。朝9時過ぎに宿を後にして海岸沿いを西に走った。

高台から城崎の海を見下ろす。冬の荒々しい日本海が広がっていた。

冬の日本海はどこに行ってもカニカニカニ。海鮮市場にふらふら〜っと寄ってみた。
兵庫県の北部、現在は、香美町となっている旧香住町に日本海沿いにJR山陰本線が通過している。ここに、何度見てもその巨大さや、造型の見事さに驚くひとつの鉄橋がある。
その名を「餘部(あまるべ)鉄橋」と言い、開通したのは、なんと明治45年(1912)。ここが有名になったのは、海から吹く強風で列車が転落したことがあるという悲しい事実。2007年春にはとうとう架け替えが始まるということで、この雄姿を拝めるのも後わずか。見ておかなければいけない。

山間部をここだけ山が開け、空中を通すしか方法はなかったという。当時の苦労がうかがえる。
餘部駅に行くには、鉄橋の下から約10分かけて小道を登っていく必要がある。普段は無人の寂しい駅も休日には観光バスも立ち寄るほどのスポットだ
餘部を後にして、続いて但馬の小京都と言われる出石へ向かった。餘部から車で約40分程度の距離で、お昼の時間にちょうどいい。

出石名物「出石そば」を食べ、町中をしばらく散策した。ずっと車の中でうずうずしていた風雅もおおはしゃぎで歩き回った。

380年も前から出石の町を見続けてきた「辰鼓楼(しんころう)」。町のシンボルとして今も時を告げる太鼓の音が聞けるという。

時間があればゆっくりと歩いてみたい町並み。点々とあるおみやげ物屋はそれぞれが趣向を凝らし、はしごするのも楽しそう。
一泊二日の旅も何とか無事に終えた。何よりも雪の日本海までの往復をノーマルタイヤで乗り切ったのだから我ながらすごいと思う。

風雅と一緒の旅も大分慣れてきた。さて、次はどこに行こうかな。