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完全ネタバレ「桐島、部活やめるってよ」レビュー

※これは「浅草文庫亭」という個人ブログの記事です。

完全にネタバレになっているので、ご覧になる場合は、どうぞお気をつけ下さい。

【キャラクターについて】

この映画の魅力の一つは明らかに「キャラクターの魅力」だと思う。どのキャラクターも「ああ、こういう人いるなぁ」と思えるいわば「実在感」。これは役者の演技も素晴らしいし、一つ一つのセリフがいちいち素晴らしい。例えば「吹奏楽部」を「すいぶ」っていうところとかね。普通に大人が脚本書いたら「ブラバン」とかにしてしまうところだろう。

学園モノというと例えばキャラクターをある意味平坦に描く場合が多い。つまり、不良は不良、がり勉はがり勉、という風に。確かにこれはひとつの有効な方法であって話をスムーズに進めていくにはその方法のほうが早い。

でもこの映画はそういう方法ではない。「みんな大変なんだよ」という平凡なメッセージを言うつもりもないけど、それぞれのキャラクターが基本的に非常に重層的に描かれている。その一方でその重層さをにおわせるだけにしておいて明確な説明はしていない。これがいわば「行間」を生んで「なぜこの人がこのようなことをしたのか?」ということについて非常に想像力を掻き立てられる。

これが正に「実在感」の元になっていると思う。だって人間ってそうじゃないですか。まるっきりの悪人はいないしまるっきりの善人はいない。特に17歳の頃なんて自分でも何をしたいのか、何を言いたいのか分からないことばかりなんだもの。

最も大きな「行間」はなんと言ってもヒロキだと思う。例えば、最後の屋上のシーンで前田にカメラを向けられたヒロキは「俺はいいって…」と涙を流す。ここで「なぜ彼が泣いたのか」ということに明確な説明は無い。またそのままの流れでラストシーン、野球部の練習を見つめるヒロキの後姿。そして桐島に電話を掛ける。これもなぜ彼がそうしたのか、また桐島に何を言いたかったのか、ということの説明がない。想像するしかないのでどんどんと広がっていく。例えば「野球部に戻るよ」と言いたかったのかも知れないし「桐島、なんで部活やめたんだ?」と聞きたかったのかも知れない。それぞれの人に取って解釈の余地があると思う。

これがこの映画の最大の魅力だと僕は思う。

最近の、特に日本映画は「台詞で説明する」シーンが本当に多い。そう思ってみると本当にあきれるくらいなんでも台詞で説明している。試しに観てみてください、あきれるから。これはね、つまり厳しい言い方をしてしまうと作り手が観客を馬鹿にしているんです。「どうせはっきり言わないとわかんないだろう」と。自分を馬鹿にしている人が作った作品が自分にとって面白いわけないよね。

そこがこの映画は大きく違う。かすかな視線のやり取りだけで「あ、この人はこの人のこと好きなんだ」と気づかせたりしている。そしてそのかすかなやり取りは人によって解釈違う。その視線を「好意があった」と解釈する人もいるだろうし「いや、あれは感情の一切こもっていない視線だ」と解釈する人もいるだろう。ただし共通しているのは「何かがある、と気づかせる」ということです。これは脚本、演出、そして俳優の演技力がなければ出来ない。解釈は人によるけど何が起こっているかはみなわかる。だから「俺はこう思った」「いや、私はこう思った」と「語られる」要因になっているんだと思う。

もう一つの魅力はキャラクターに対して平等の視点を持っていること。平坦な作品と言うのは「悪者」「善人」が明確になっている。だけどこの作品ではどのキャラクターも悪い面と良い面を見せている。それはなぜかというと「学校生活ってそういうものでしょう」ということなんだよね。どの子も17歳という微妙な年齢であれば生きるのに必死で(食べるのに必死ということではないよ)、生き慣れてもおらず、いい面と悪い面を持っている。そしてそれは結局のところ我々も一緒だよね。それぞれのキャラクターに同じく平等に「希望」と「残酷さ」を見せつけている。

例えばリサ。彼女は一見完全無欠に見えるけど、最強のシンボルであった「桐島」を失うことで傷つく。本当に残酷だなと思うのは、リサに対して話しかける男子は誰もリサのことを聞きたいのではなくて、「桐島はどうした?」ということしか話しかけない。つまりこれはリサという個人性がまるでなくて「桐島の彼女」という記号でしかないということだと思う。この残酷さというのはひどい。自意識が高まる17歳という時期にこの「記号性」というのは、特にリサのような人間なら耐えられないだろう。それが「残酷さ」。

前田。最後の屋上のシーンでカスミが去っていくとき一瞬だけ前田を観る。これが「希望」。これだけで「あの子は俺のことを好きだった」と勘違いするかもしれない。ええ、バカみたいな勘違いかもしれない。でも、そんな勘違いくらい無ければやってられないじゃないですか。

という視点でそれぞれのキャラクターを取り上げていきます。ただただ「好きだなー」と言いたいだけなので役に立つ話はまるでないと思います。

■友弘

2回目に観たときに僕が泣けてしょうがなかったのがこのキャラクターです。彼はヒロキと竜汰と共にクラスでは目立つ方にいる。でも彼はヒロキほどかっこよくないし人気も無い。(もちろん見た目で言えば役者さんなんだからかっこいいけど、この映画の中では決してかっこいい男として設定されているわけじゃないと思う)

彼のディティールをちょっと挙げておく。

・「桐島を待っているためにバスケやっていたから桐島のいない今はなんでバスケやっているんだろう?」と竜汰が疑問に思った時、彼だけは「好きだから」と答える。でもバスケ部に入るほどではない。

・進路について3人で話している時に、「卒業したらみんなで住まない?」と聞く。でも誰も答えない。彼の質問はむなしく消える。

・ヒロキも竜汰も来ないバスケゴールで一人、バスケをしている。ゴールは一度も入らない。(実はこの劇中、彼のボールは一度もゴールに入っていない)

・ヒロキと竜汰と三人でつるんでいるけど、友弘だけは彼女がいない。

このあたりのディティールが本当に泣ける。彼は友達もバスケも好きなんだろう。でも彼のその好きという気持ちはどこにもいかない。なぜなら彼は何にも真剣になっていないから。真剣になって、たとえ誰かと衝突をしようとも自分の何かを貫こう、という感じがまったくしない。好きだというバスケについてもバスケ部に入って真剣にやるほどではない。ある意味そんな薄っぺらい人間が何かを成し遂げられるわけがない。

自分の高校時代に一番似ているのはこの人かも知れないなと思った。もちろん見た目の話じゃないよ。

ちょっと僕の個人的な思い出話をしますね。僕の高校時代の体育の授業。僕が高校3年の頃の体育の授業は先生ももう気を抜いていたのでだいたい「体育館で自由に」という感じだった。僕の友達とかはバスケ経験者が多かったので僕らはだいたい体育の授業はみんなでバスケをやっていた。僕はそんなにバスケが巧くないけどみんなと思いっきりバスケをするのはかなり楽しかった。だいたい毎回の体育の授業で汗ぐっしょりになり替えのTシャツを持ってくるくらいだった。もちろん体育のバスケは好きだったけど本格的にやろう、というほどではない。このあたり、友弘を見ていて思い出した。

■前田

なんと言ってもすごいキャラクターだったね。これは圧倒的に神木隆之介という俳優さんの力によるものが大きい。メガネの上げ方からしてもういいんだよね。

いいなぁ、と思った演技をいくつか。

・朝礼の時の手の演技。前で組むわけでもなく後ろで組むわけでもなく、どうしていいか分からない感じ。日頃、注目を浴びることのないキャラクターの感じがよく出ていた。

・友達に「今月の映画秘宝読んだ?今週、秘宝けっこうがんばってるよ」という台詞。これはたまらなかった。こういうタイプの人はこういう上から目線な言い方するんだよなー。

・サッカーのシーン。空振りしてスローインになり、スローインしようとしてもどこに投げていいか分からない。そこを竜汰にボールを取られる。これも竜汰が嫌がらせとして取ったのであればまだ怒ることも出来るんだけど、竜汰はむしろ好意で「お前、こういうこと苦手だろ、俺がやるよ」という感じで取るのがいい。それによって前田の気持ちはどこにも行けず、取られた後の「パンパン」という感じの手拍子をするしかない。あれ神木君のアドリブだってさ。すごいね。

・映画館でのカスミとのシーン。もう最高ですね。この映画における珠玉の一つ。先にコーラを開け、ベンチに座ったカスミ。近づく前田。席を少しあける(つまり、前田が座るのだろうと思って)カスミ。だけど!座らない前田。素晴らしい! そしてカスミが帰った後の午後ティー一気飲み。パンフを観ると実はこのシーンは前田のシャドーボクシングで終わるはずだったらしい。それを一気飲みにしたのも神木君のアドリブ。素晴らしい。

彼は一応学校の中ではあまり相手にされない「オタク」ではあるんだけど、それでも大好きな「映画」があって、わかってくれる友達(武文)もいて、映画部員という仲間もいる。はっきり言って傍目から見たら好きでもない女と付き合ってる宏樹なんかよりずっと楽しそうに見える。いいなぁと思うよ。将来役立つとかそういうことなんかより、今好きなことがあって友達と一緒にそれに打ち込めるって最高の学生生活じゃないですか。

あとやっぱり僕は彼の最後のほうのセリフで涙腺崩壊した。あのセリフの見せ方が最高にうまい。

もちろん、

「戦おう、この世界で。俺たちはこの世界で生きていかなければならないのだから、、、覚えといてよ」

というセリフの事です。

こんなセリフ、普通に言われたら「くさいな」と思ってしまうけど、この作品の中では「シナリオのセリフを後輩に教える」という設定で出てきている。確実にこのセリフがこの映画のテーマの一つだよね。

2回目に見るとこまかーいところでちょこちょこ前田が「観てる」ことに気づく。前田は決してクラスの中心に出るキャラクターではないんだけど「観る」ことでいろいろなシーンに関わっている。この「観る人」としての設定が非常にうまい。女子が竜汰のパーマの話をして頭を触る(でもカスミだけは触らない)シーンで前田はそっちを見ているし、久保がリサにつっかかるシーン(リサが風助に「ガンバレ」って言って馬鹿にするシーン)では前の席にいる前田が見ているのがわかる。

■沙奈

これも非常に心に残るキャラクターだった。パッと見はこの映画の中で「悪役」と思えるけども、僕は嫌いにはなれない。よくよく考えると非常にもろく儚い人なんじゃないかと僕は思っています。女性の、というと語弊があると思うけど、高校生の、もっと言っちゃうと「普通の人」のめんどうな部分とまっすぐな部分をごちゃまぜにした複雑なキャラクターだと思う。僕だって彼女のような気持ちになることはあるよ。みんなそうでしょう?

そして友達がリサ(学校一の美少女)であること。この時点で彼女は非常にコンプレックスを抱えているのではないかと思う。サナにとって学校の中でいいポジションにいられるかどうかは非常に大事なことなわけで、そのためにリサと友達であるというポジションは非常に重要。でもリサと近くにいればいるほど、自分の劣等感につながってしまう。その劣等感の解決のために自分が「ナンバーワンの桐島と同じくらいのポジションにいる宏樹と付き合っている」ということを非常に重要に思っていると思う。もう彼女にとっては「宏樹が好き」なのか「宏樹と付き合っている自分」が好きなのか分からなくなっているんじゃないかと思う。

傍から見れば、いつもキャッキャと楽しそうにして、学校一のリサと友達で、ヒロキの彼女であるサナには悩みなんて無いように思えるけど、こういうところが見え隠れするのがこの映画の残酷なところだよね(そこがいいんだけど)

この映画の後の話を僕は妄想する。おそらく宏樹はサナと別れるだろうと思う。そのあとにサナはどうなってしまうんだろうか。

一つの想像として「サーフサイドハイスクール」の彼女パターンと言うのがある。(サーフサイドハイスクール」の話はめんどうなのでしません)

ヒロキと別れた後にボロボロに泣いてすがるけど宏樹は振り返らない。そのうちに宏樹と別れたことを知った別の男がサナに告白する。そして付き合うことになる。まるで宏樹のことなど無かったかのようにべたべたと付き合う、というパターン。この確率が高いかな。

もう一つのパターンはどんどん病んでいってリストをカットしちゃうみたいな感じだけどそこまでは行かなそうな気もする。

■実果

このキャラクター大好きです!二回目観たとき一番涙腺が決壊してどわぁと来たのがこの人のセリフです。

バドミントンの事は好きだけど自分が姉のようになれないことを痛感している。友達のカスミにもかなわない。リサとサナとは仲がいいけど心は開いていない。

ああ。「あの人たちに言っても仕方ないから」というのは残酷な台詞だったなぁ。この台詞はリサとサナに対しても残酷だし、そう思っている二人と巧くやっていかなければいけない、という意味でミカにとっても残酷。

そんな彼女がバレー部の風助のことが気になっている。廊下でつい目で追ってしまうシーンなんて本当に美しい、愛おしいシーンだったよね。町山智浩が「映画の中で誰かが誰かに恋に落ちていくのを観ることは楽しいことです」と言っていたけど正にその通り。

そしてバレー部の特訓を観ているミカ。いい表情してましたねー。桐島が来ていると聞いて駆け出していく風助に「いいよ、行かなくて!」と声をかける。もうここで涙腺決壊ですよ。

たぶんね、僕の解釈だけど、ミカは風助には自分を重ねていて、ぶれずに練習をしている風助に自分の希望を観ていたんだと思う。でもやっぱり桐島を追いかけてしまう。そこに対しての「いいよ、行かなくて!」だったんだと思う。

僕が勝手に思っているだけかも知れないけど、この実果は映画の中でどんどんかわいくなっていったような気がする。たぶん、映画の最初は自分の言いたいことも言えなかった(4人で話している時に「バドミントンは内申書のため」とうそをつくところがあったよね) だけど、風助を見ながら徐々に自分を出して行ってその頂点が「いいよ、行かなくて!」なんじゃないかと思う。女子4人の中で明確に成長したのが彼女なんじゃないかと思うし、だからこそ僕は好きだなーと思う。

下世話な想像をするけど、この後この二人、ミカと風助はどうなるでしょうかね。たぶん付き合うことはないと思うんだよねー。なんとなく似たもの同志として、お互いに大切な存在として、でも二人の人生は重なることはなく生きていくんじゃないかと思う。

■久保

バレー部のリーダー格。これもまた残酷でしたね。バリバリに部活やっているけど女子からは「あのゴリラ」と馬鹿にされている。あのシーンはほんと全員女子をぶん殴りたくなったわ。お前らさー、一生懸命やってるヤツがそんなに面白いか、って。

■沢島

吹奏楽部の部長。いいキャラクターでした。何度か観た後に「あ」と気づいたんだけど、劇中でこの人が宏樹を好きということは一切言葉にしていないし、宏樹とは一言も話していないんだよね。でも映画を見ている人はこの沢島が宏樹を好きなことは誰にでもわかる。視線とかちょっとした行動とかで。これが本当に素晴らしい。これこそ映画の力ですよ。なんでもかんでも台詞で説明して「さびしい」とか「うれしい」「愛してる」とかいちいち声に出して、場合によってはナレーションで「その時私は悲しかった」とか言わせるそこらへんの映画とはちょっとレベルが違う。ただただ目に映る映像だけで「あ、この人はこの人のことが好きなんだ」と気づかせる。学校における他人の恋愛もそうじゃないですか。誰かが気持ちを隠していてもなんとなく周りは「あの人はあの人を好きなんだ」というのに気づく。素晴らしいね。

この作品の中で彼女は片思いの相手、宏樹が彼女とキスをするのを目の前で見せられる。その辛さとか悲しみを「音楽」という芸術にぶつける。それがラスト近くの吹奏楽部の「ローエングリン」の演奏になるわけだけど、この「何か大切なものを失った人がその気持ちを芸術として昇華させる」というのは本当に素晴らしい。失恋したり、悲しいことがあってもそこに「芸術」がある限り人は生きていける。ミサンガの件を観た前田が「映画」という芸術に気持ちをぶつけたのと一緒。だからある意味、前田と沢島というのはお互いに鏡のような存在なんだと思う。

その鏡に映った二人の対決(ってのも変だけど)も素晴らしかったですね。特に後半の科学棟裏のシーン。前田はちょっととっちらかっちゃってる沢島を観てそれだけでなんとなく彼女の苦しみを理解した。このシーンも台詞では沢島は大事なことを言っていない。「好きな人がここに来るからここにいたいの」なんてダサい台詞は一切言わない。ただ「自分がしっかりしなくちゃいけない、こんなことは最後にしたい」と言うだけ。その台詞から前田は何かを感じ取った。人間の心の交流というのはそういうことだよね。その前の屋上では「ここを使う許可証あるの?」だとか「論理」で対峙していた前田(女の子に論理で向かっていくのが完全にモテない男子って感じだよなぁ)が、沢島の「感情」の言葉をちゃんと理解できた。ここは沢島が前田を大人にした、という見方も出来ると思う。

■リサ

良かったですねー。まずね彼女の「中学の頃に大学生と付き合ってた」という噂。あのね「中学の頃に大学生と付き合ってたと言われている同級生女子」ってね、いるんだよ! だいたいどこの学校にも。僕の地元の場合、近所に大学が無かったのでだいたい「20歳くらいのヤンキー」とかになるけど。女子との経験が少ない男子なんかにしてみると「大学生と付き合ってるという噂の同級生女子」ってだけでもう「すげー!」って思うんだよなぁ。

このキャラクターの良さはまず圧倒的なルックスの良さだと思う。この役をやっている女優さんはモデルらしいんだけど「桐島と付き合ってる、校内1の美人」と言われれば「ああ、このルックスならね」と思えるし「中学の頃大学生と付き合ってた」と言われても「そうかも」と思える。もちろんカスミも美人ではあるんだけどカスミがリサ役だったらなかなかこうはいかない。

演技も素晴らしかったよね。昼休みにベンチで女子4人と話している時の「いま、笑ってなかった?」とすごむシーンではウェーブのかかった髪が顔半分にかかってて迫力あった。廊下で風助に「桐島、俺たちのこと何か言ってなかった」と聞かれて「眼中になかったんじゃない?」と背中越しに答えるシーンのアップも素晴らしかった。

■宏樹

もう腹立ってしょうがない人ですね。顔も良くてスポーツも出来ておそらく成績もいい。友達も多い。更にさ、本当に腹立つのが前田に対してもすごく普通に接するじゃないですか。もうこれだけやられたら彼の悪口言うこっちが悪い人になっちゃうんだもん。いや、こっちが悪いんだけどさ。

たった一つだけ彼に大して言えるとすると「カラッポ」ってことなんだよね。彼は何かに対して本気になったりしていないんだもの。高校生なのにキスにすら本気になってない。どこかで「なんでも出来るけどなんか何にも楽しくないな」と気づくんじゃないかと思う。

■カスミ

悶々とするねー。「彼女は前田に気持ちがあったのか?」ということはこの映画の争点の一つであると思う。このキャラクターは何せ女性の感想を聞くのが面白いよ。

彼女自身が何かを表現することが無いのでそれについては想像するしかない。男性の感想を聞くと「少なくとも前田のことを嫌いではないだろう」というのが多い。朝礼で映画部のタイトルを聞いても一人だけ笑っていないし、放課後に教室の後ろで話ているときも彼女だけ笑っていない。映画館であった時も普通に会話していたし食堂でも「映画出来たら教えて」と言っていた。

で、面白いことに女性に聞くと「気持ちはないでしょ、ただ話しただけじゃん」と言う人が多い。

ここの男女の感想の違いが面白いよね。男はちょっと話掛けられただけで「あ、いけるんじゃない?」と思うけど、女性は「ただ話しただけじゃん」という。この違いで幾人の男どもが戦死してきたことか。。。

多くの女性が共感したのが、友弘が「マジわけわかんねー、女子」と言った後に「本当に。私も女子だけど」と言う台詞。僕の身の回りにいる女性はだいたい「私も高校の頃、そう思ってた」という人が多い。

あと重要な「ミサンガ問題」があるんだけどそれについては後述。

■キャプテン

いやー、最高のキャラクターでしたね、野球部のキャプテン。ぼけっとした感じで、練習に来なくなったヒロキに対して叱るでも見捨てるでもなく、でも強く言えるわけでもなくなんとなく話しかけている。

「今日、寒いな。。。そうでもないか」とか最高。なんて言っていいかわかんないんだろうなぁ。「内野の連係がダメダメで時間たんねーよ」とか「監督にどやされたわ」とか、ほんと野球部キャプテンが言いそうな感じが良い。

キャプテンが出てくるシーンは全部好き。

ルックスもいいんだよな。かっこいいという意味ではなくて。あの日焼けと坊主の感じ。はっきり言って頭の形がすごくイイ!もうただただイイ! 最初に登場した時、僕は一瞬この人を野球部の監督だと思った。でもさ、こういう「オッサンみたいな野球部のキャプテン」っているよね!

このキャプテンは「夢追うバカ」の象徴だったと思う。

何でも出来るようで実はカラッポのヒロキ、何にも出来ないけどただバットだけは振っているキャプテンとの対比が素晴らしかったね。

関係ないけど、wowowでこの映画の特番をやっていてキャプテン役の人がゲストで出ていた。いいキャラクターだったよー。

そしてねぇ。部活を引退しない理由がねー。もう涙ですよ。あのシーンで笑う人も結構いて、その気持ちはよく分かる。来るはずもないドラフトを待ってるなんてねぇ、小学生じゃないんだから。でもね、笑うところじゃない。僕は全然笑えない、むしろ泣ける。たぶんキャプテンは周りからも馬鹿にされてるだろう。普通は夏で引退して受験勉強してそれなりのいい大学に入ることが褒められるべき道だろう。そういう道が正しいと信じている人たちはたぶんキャプテンみたいな人を笑うだろう。でもね、そんな普通の道がそんなに偉いのか。馬鹿な夢を追ってる奴を笑う権利が誰かにあるのか。はっきり言って「来るはずの無いドラフト」ってなんにでも置き換えることが出来る。「スターになること」「運命の人と出会うこと」「いい大学に受かること」「会社が上場すること」、、、いわば僕らだって全員「ドラフトを待っている」んです。だからキャプテンを笑うべきじゃない、あそこは絶対に笑うところじゃない。どうか、、、笑わないでください。

■桐島

本作品のタイトルでありながら、明確には出てこない。屋上の男子はあくまで「屋上の男子」であってあれが桐島かどうかというのは誰にも分からない。「桐島が何なのか」ということは深読みするといくらでも深読み出来る。「絶対的な存在が突然いなくなる」ということのメタファーでもある。明確に描かれないが故にいくらでも大きく捉えることが出来る。たとえば一番大きく言ってしまえば「ロールモデル(見本)がいなくなってしまった」というのは今の日本と一緒と例えることだって出来る。「絶対的な存在が突然いなくなる」というのは現実社会でいくらでも起こりうることだと思う。例えば言ってしまえば「大事な人が突然亡くなってしまう」ということだってそうだろう。だから「桐島が部活やめる」というのは現実社会に置き換えるといくらでも同じような事が考えられる。

【各種問題】

キャラクターについて書いたので次はこの映画の中で起こる様々なシーンについて。

■廊下問題

桐島が来ている、と聞いてバレー部員が屋上まで廊下を走る。このシーンが僕はすごく好きです。よくある青春もののステレオタイプなシーンとして「海辺(あるいは川沿いでもどこでもいいけど)を夕陽に向かって走る」というのがあるじゃないですか、非常に古いイメージだけど。以前の青春ものであれば未来は大きく広がっていてどこにでも行けた。でもそれって幻想で、高校時代なんて学校と言う狭い社会に囲まれてどこにも行けない。特に今の学生たちなんて卒業後に光あふれる未来がまっているとは限らない。そんな彼らの有り余る体力が狭い学校に抑え込まれている、全速力で走ってもそこは結局学校の中で、たどり着くのは行き場の無い屋上。彼らの閉塞感というか結局、どこにも行きつけない、という感じがすごくした。

■後輩問題

まともにキャラクターとして立っている「後輩」は吹奏楽部の詩織だけだと思う。映画部の後輩たちは一人一人名前がなく単に「映画部部員」というだけだから。この詩織というキャラクターは非常に良かった。階層が違うが故にすべてが見えている。そういうことって現実によくある。

ヒロキを観るために屋上にいる沢島に対して「今日はやってませんでしたね、バスケ」と言う。僕はこれは、詩織は沢島がバスケを観るために屋上にいる、ということに気づいていると思っている。

彼女は詳細には描かれないので彼女のことは想像するしかない。何がしたいんだろうね、彼女は。「先輩が演奏しているところ観たら、好きになる男子いっぱいいると思いますよ」という台詞は意味深だよねぇ。

非常にドロドロとした想像をすると、彼女もヒロキが好きということもあり得ない話じゃないと僕は思う。もっとドロドロを想像すると詩織は沢島が好きってのだってあり得ない話じゃない。

詳細に描かれない分、想像力を掻き立てられるキャラクターで素晴らしい。

とにかくこのキャラクターのルックスがいいんだよなぁ。ただかわいい、というわけではなく。グレーのカーディガンの裾の出し加減がリアルでいいし、太ももが太いのも「ああ、高校1年生だなぁ」という感じで素晴らしい。それは僕の友人の女性も言ってた。

ちょっと画像はっとこう。

イイね! 彼女は彼女でたぶん別のドラマがあるんだろう。スピンオフで作ってくれないかな。「後輩、部長さがしてるってよ」とかで。

■映画部員問題

ルックス話が続くけど、彼らがまた最高のルックス。もうただただルックスがいい! 彼らは個人名が出されず、ただ「映画部員」としか描かれていないけど、あれだけのルックスの人をあれだけ集めると非常にいい。はっきり言ってアベンジャーズよりいいよ、彼らは日本のアベンジャーズです(何言ってんだ)。 太っちょ、ロンゲ、チビ、メガネ、もうよく揃えた! しかもさ、共学なのに作中の女役をロンゲの男子がやってるという悲しさね。

あの部室がまた最高でしたね。剣道部の奥の暗がり。そんでさー、武文が部室入っての第一声が「誰かガンツの38巻持ってない?」、もう最高。僕だって部室行って「編集王の9巻無い?」とか言ってたもん。

■ゾンビ問題

これ、賛否の分かれるところだと思う。僕はもちろん大賛。ああ、わかるなぁと思ったのが冒頭の映画部顧問と前田・武大の会話。「題材は自分の半径1m。リアリティが大事。ゾンビにリアリティがあるか?」と言われ前田は間髪入れず「はい」と答える。もちろん間髪入れず「ないだろ、ゾンビにリアリティは」と否定される。

これははっきり言って顧問のほうを僕はぶん殴りたいよ。顧問の感じがすごくいいんだけどね、ああいう先生いるよね。

あのね、だってさ、前田に感情移入したら自分の半径1mにいわゆる「青春」なんてねーんだもん。かわいい子とのキャッキャもないもの。むしろ、画面に映るゾンビのほうがよっぽどリアリティあるよ。僕はそういうタイプの高校生ではなかったけど気持ちはよくわかる。

なぜ映画少年たちがゾンビを撮りたがるのか、というのも面白い。洋画の「スーパー8」でも自分たちで映画を撮ろうとする少年たちが撮っていたのはやっぱりゾンビだった。おそらく「普通の人が顔色悪いメイクと血のりを用意すればゾンビに見える」という現実的な要因もあるとは思う。だけどやっぱり「死者がよみがえる。ゾンビに襲われた人もゾンビになってしまう」というゾンビの設定が彼らに感情移入させるんだと思う。

そういう意味で言うとやっぱりこの映画における映画部が撮るのはゾンビで無くてはダメだ。幽霊やモンスターではなく。ゾンビという存在は日頃、死んだように存在し周りからは注目されていない彼ら自身に重なる。

前田の「こいつら全員食い殺せ!」で映画部員がゾンビとして他の人たちを襲い始める。このシーンで映画館では少し笑いが起こったけど僕は全然笑えなかった。むしろちょっとグッと来ていて泣きそうになっていた。ゾンビは映画部員である彼らそのものなんだろう。いつもは死んだように思われていて相手にもされない彼らが心を投影出来るのはやっぱりゾンビなんだよね。

そして画面が8ミリ風になり、おそらく前田の妄想に移る。そこで竜汰のミサンガ付の右腕はゾンビに引きちぎられ、カスミの首筋からは血が噴き出す。もう最高だよね。自分でもなぜこのシーンが最高なのか分からないけどとにかく最高。

■ミサンガ事件問題

最大の事件ですね。これについては前にネタバレとして書いたのでメインの話は割愛。ただその後、思ったことを追記しておきます。

前田に見られて、

あ、このさ!見られるシーンのカメラワークが素晴らしいよね!その話ちょっとします。前田目線でガラッと扉を開けたらまずカスミがこっちを見ている。そこからカメラがカスミの背後に移りカスミ越しに自分の席に向かう前田をカメラは追って横に振られるそこでカスミの後姿、ミサンガの手、そしてもう一人の手、その手の主である竜汰、と映っていく。すごいカメラワークだと思いましたね。本当に自分があの教室にいて、あのシーンを盗み見ているようなリアリティがあった。

話戻します。

前田に見られて、竜汰が「そろそろバラさね?俺たちのこと」と聞く。カスミは「女子はいろいろ面倒なんです」と秘密にしておくことにする。この時のカスミはどう思っているのだろうか?

僕はただ「ああ、友達に心開いてないだけかな」とも思ったんだけど一つの見方として「竜汰と付き合っていることは真剣ではない」というのもあるのかなと思った。真剣ではない、というかなんとなく「この人でいいのかな」というもやもやを抱えているとか。だから周りにオープンに出来ない。どうなんでしょうね。

結論は描かれないので分からない。これが恋愛のリアリティだよね。相手がどう思っているのか分からない。だからまぁ想像するしかない。

例えばもしカスミがそう思っていて、竜汰が真剣だとしたら「日曜日の喧嘩」は痛いよねー。これがきっかけでカスミの気持ちが一気に離れる可能性はある。

カスミを「結構裏のある子」と観るか「裏表のない子」と観るかでこのあたりは全然変わってきますね。裏表のある子だったらすでに竜汰に心無い、とも取れる。

でさ、この子が完全に裏表がある子だったとしたら前田との関係も微妙になってくるよね。

食堂で前田に「映画出来たら教えて」って言うけどこれを真に受けて誘ったら余計前田が傷つくかもしれないし、案外乗ってくるかも知れん。この辺の「本気なのかどうなのか分からない感じ」というのが高校生男子の常に悩みの種だよね。こういう台詞をいちいち真に受けてぶつかって玉砕して傷ついたり、びびって延々「あの時、いってたらイケたかもなー」と思い続けたりする。これが高校生ですよ。

ここの感想としてやっぱり女性の話が面白かった。その人が言うには彼女が竜汰と付き合っていることをばらさない理由は実果のことが頭にあるから。カスミに彼氏が出来てしまうと4人グループの中で彼氏がいないのが実果だけになってしまう。そうすると彼女が面倒くさいことになるかも知れない。ほら、部活休んだり泣いたりしてたから。そこでそうなると部活やめちゃったりグループから外れちゃったりするかもしれない。そういうめんどうくさいことを避けるためにばらさなかったのでは?という感想を女性から聞いて「なるほどなぁ」と思った。なかなか男子には無い考え方だ。

■映画館ベンチ問題

ミサンガ事件につながる重要な問題ですね。

前田が一人で映画を見に行くと(この時の映画が「鉄男」という非常にマニアックな映画なのは素晴らしいけど、でもちょっとマニアックすぎかも知れない。地方都市のイオンにある映画館でやる映画じゃないだろう。まぁ映画の中の話なんだからいいんだけど)偶然カスミに出会う。

映画の後、カスミに前田がコーラをおごる。ここなんだけど、その前の会話、つまり映画館の座席で目が合ったところからこのコーラを買うまでが描かれていないのでどうか分からないけど、このコーラというのはカスミのリクエストなんだろうか。もしそうでないとしたら前田の女慣れしてないところがよくわかるよね。元々おごるつもりだったろうから何買ってもいいんだけど、せめて「何飲む?」と聞くとかコーラと紅茶を買って「どっちがいい?」と聞くとかが必要だろう。それをしない、というのが前田っぽい。

しかしさぁ、ここの会話最高だよね。うろ覚えだけど再現してみる。

「今日の映画ってタランティーノがリメイクするって噂があったんだよ」

「へー、観た?」

「いや、結局リメイクされなかったんだ。。。タランティーノの映画観たことある?」

「あるよ」

「何観たの?」

「なんか人がいっぱい死ぬやつ」

「だいたい死ぬよ」

ああ、もーう最高。「なんか人がいっぱい死ぬやつ」なんて映画の感想をたとえば友達の女性(えーっとチャコとかウキタとか)から聞いたら僕とドッピオさんならビールぶっかけるね(冗談ですよ、もちろん) そんなことになったらレザボアからパルプフィクション、ジャッキーブラウン、イングロまで全部説明して4時間コースですよ。

僕がたまに言う「男は映画を語りたがる」というパターンですね。ああ、男ってめんどうくさい。

もしここでカスミが「えーっとレザボアドッグス」なんて言っていたものなら前田のマニアックトークが炸裂していたところだろう。万が一、「キルビルは観たけどパルプフィクションは観てない」なんていったらもうアウト。前田はたぶん一晩話す。そうなればカスミは確実に引いていたはずで、そう考えるとここでカスミが具体的な作品名を挙げなかったのは良かったともいえる。

ここで「ああ、もう!」と思っちゃうのがさ、カスミはベンチを少し空けるんだよね。当然、前田も座るもんだろう、と思って。そこを前田は少し観るけど座らない。ここがいいよねー。一回目に観たときは「前田、ここは座れ!」と思ってみてました。二回目の時はこの後を知っているので「あ、座らなくて結果的に良かったね」と思ったんだけど。

たぶん、前田はレンタルビデオ屋で「鉄男」を観るたびにこの時のことを思い出すんだろうなぁ。

【妄想編】

キャラクターが巧く描かれている作品というのはついつい「あいつら今頃どうしているだろうな」と思ってしまうものです。例えば僕なら「北の国から」なんかはついふとした時に「純君って結局ゆいちゃんと結婚したのかなー」とか「蛍と正吉は結局復縁したのかなー」と考えてしまう。その流れでこの映画の彼らのその後を妄想してみる。

まずミカだけど、彼女はおそらく高校卒業後短大に進学。そこから地元に戻って信用金庫か市役所あたりに就職。何せ制服を着る仕事が似合うと思いませんか? 案外、結婚も早いんじゃないかと思う。

カスミはなかなか想像がつかない。おそらくそれなりにいい大学に行って普通の会社に入るんじゃないかな。そんで結婚は結構遅いような気がする。

リサは「芸能界デビューするんじゃない?」と言う人もいるんだけど僕は違うと思う。彼女はそういう大変な道は選ばないような気がする。おそらく結構いいお嬢様系の大学に推薦で行って無難に総合商社の受付嬢とかに就職するんじゃないかな。そしてその頃合コンで知り合ったIT系の社長と結婚。どうこの妄想。案外いい感じじゃない? 欲を言えばその旦那の会社が倒産して離婚してシングルマザーとして実家に帰ってくる、というパターンがいいな。(何がいいのか自分でも分からないけど)

サナは東京の大学に進学。在学中に読者モデルとかやって芸能界入りを狙う。なんかよく解らない事務所に入って結局泣かず飛ばずで最後はAVに。そこで傷ついて地元に戻りスナック勤めくらいじゃないでしょうか。そこに地元で働いている友弘あたりがふらりとあらわれて宏樹が東京で幸せそうにやってる噂を聞いちゃう、とかだとドラマティックだね。

竜汰は僕の想像では実家が商売をやっているんじゃないかと思っている。彼のあの人当りの良さは商売人の子供であるが故なんじゃないですかね。作中でも「進路調査票どうした?」と聞かれて「親に任せた」と言っているし。たぶん卒業後は継ぐことになっているんじゃないかと思う。結局地元で働いて普通に結婚もし、悩みも迷いも無い人生を送るんじゃないかと思う。それを彼が幸せだと思うんだったらそれでいーんじゃないスカ(ひがみ)。カスミとはどうせ高校時代に別れるんだろうけど、せめて数十年後の同窓会でカスミがすごい綺麗になっててしかもまだ独身で「俺、失敗したかなー」と悶々としてください(ねたみ)

宏樹はおそらくそれなりの大学行くだろうね。早慶か悪くともMARCHあたり。大学行ってもそれなりに無難で女の子にもてるけど、何かに一生懸命になったりすることが無いような気がする。周りに流されるがままに就職活動してそれなりの会社に入り、気立てのいいかわいい子と結婚して二子玉川あたりにマンションを買うでしょう。45歳くらいになって「オレの人生なんだったんだろう?」と思ってくれたらこっちとしては「ざまみろ」と思えるけどそうでもないだろうなぁ。もういいや、宏樹は。

前田はたぶん、あのまま行くんじゃない? そうあってほしいな。大学に入っても映画好きでたぶん彼はまた彼なりに自分の居心地の良い場所を見つけるんだと思う。心のどこかにカスミがいるままね。そう考えると彼って結局「最強」だよね。学校の中では相手にされない立場だけど彼は彼の好きな事があってずっとそれと共に生きていけるんだもん、最強ですよ。

【総括】

長々書いてきました。

最後に「僕はなんでこの映画がこんなに好きなんだろう」と考えた。もちろん話として良くできている。キャラクターはそれぞれ魅力的だしシナリオもいい。それに加えて僕は「こういう日本映画こそ、僕は見たかったんだ」と思うんです。

人気俳優やアイドルが出る事を前提に適当な漫画を基に適当なシナリオを作り、とりあえず話題先行でワイドショーに主役をゲスト出演させて、予告編でいい所を全部流す。一回観てくれればいい、その感想がどうあれどうでもいい、という日本映画があふれる中で、この映画は「ちゃんと真面目に」作っている。

どれだけ真面目かと言うと俳優のほとんどはオーディションによって選ばれている。何度もオーディションを重ねて「この役にぴったり」という人を選び、その選ばれた人たちにそれぞれの指示を出して役作りをさせている。たとえば帰宅部3人(宏樹、友弘、竜汰)なんかは決まった瞬間に監督から「これからお互い敬語禁止、すぐ飯食いに行け」という指示があったらしい。そういう事前の役作りが劇中でもよい効果を発している。前田についても決まってすぐ役作りと言うことでゾンビ映画を何本も観るように指示があったとのこと。

大きな役ではない、キャラクター名も無いような役でもきっちりと合う役者を選んでいる。こういうところって普通の日本映画だと芸人を当てちゃってその人が無駄な演技をして台無しになったりすることがあるでしょう。例えて言えばバレー部の「親ネットワーク」という台詞がある彼。彼なんかすごくぴったり。ここに普通なら適当な吉本芸人とかあてちゃいがちじゃないですか。それを彼がきっちりやっててよかった。

こういうところを非常に真面目にやっているなぁという感じがする。

そして舞台設定。おなじタイミングのハリウッド映画である「アベンジャーズ」が「世界を救う」というのとはまったく逆方向だよね。舞台はそのへんにある小さな高校で、特殊な力を持っている人は誰も出てこない。だけど、だからこそ、この学校という「舞台」はいわば「この世界」の象徴ともとらえることも出来る。世界を描くために舞台を広げるのではなく、極限まで小さくする、という方法もあるんです。

そして、台詞に関してもカメラアングルにしてももちろん俳優の演技にしても、自然でありながら細かく意味がある。細部まで気を配り一つ一つちゃんと作っている。

つまり「真面目に作っている」ということですよ。

邦画って面白くないという声はたくさんあって、その理由は「予算が無いから」「いい俳優がいないから」「シナリオがダメだから」などいろいろある。だけどこの映画はそうじゃないことを証明した。つまり「真面目に作れば邦画だって面白いものが出来る」ということです。予算をたっぷり取ることは難しいだろう、いい俳優がいないことも事実だろう。だけど「真面目に作る」ということは努力の問題です。

僕が2012年個人的ナンバーワンに選んだのはそこなんです。もちろん映画としても良かった、でも映画としてだけ言うなら「アルゴ」だって良かった、「レ・ミゼラブル」だって「ダークナイト・ライジング」だって良かった。でもね、僕はこの映画観て嬉しかったんですよ! 真面目に作れば、予算なかろうがそんなに有名人が出ていなかろうがこんなに良い映画が出来るということと見せてくれて。心底嬉しかったんですよ。だから3回も観たんです。

そしてこの映画に流れる「甘くはないけど暖かい視線」にグッとくる。何でも出来るように見える宏樹も、学校一のリサも、決して完璧ではなく苦しみを抱えている。報われないように見える前田や沢島には「芸術」という救いがある。

彼らは17歳で、これから無限大の可能性があるけどもそれは逆に言うと「まだ何者でも無く、何も持ってない」とも言える。彼ら全員を無条件に讃えるわけでも貶すわけでもない。ただただ暖かい視線が注がれている。

たぶんその視線は、もはやあの学校にはいない僕らにも注がれているんだろう。僕らだって明確に何かを持っているわけじゃない。

だから、僕らは戦わなくちゃいけない。来るはずも無いドラフトを待ちながら。桐島のいない世界で。

だって。

「僕たちはこの世界で生きていかなければならないのだから」

 

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