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   フランス共産党

 フランス共産党は、フランス労働者階級の前衛部隊であり、民族の独立、平和、民主主義、社会主義をめざすフランス人民の闘争における指導勢力である。
 フランス共産党は、大十月社会主義革命の影響をうけて生じた大衆的労働運動の高揚の条件のなかで結成された。フランス共産党が結成されるまでには、社会党との長い闘争があった。一九二〇年十二月のトゥールの社会党大会では、コミンテルン第二回大会(一九二〇年)の活動に参加したM・カシャンの報告に大多数が賛成し、二十一カ条〔コミンテルンへの加入条件〕にもとづくコミンテルンへの加入決議を採択した。労働者階級の裏切者レオン・ブルームを頭とする分裂的な漸進社会主義者の少数派は、大会から退場して、社会党という名称をつけた自派の党を結成した。
 共産党は、ソ同盟共産党の経験を広範に利用しながら、コミンテルンの指導と支援のもとに成長強化した。
 一九二一年五月に、マルセイユでフランス共産党第一回大会がひらかれた。大会では、ヴェ・イ・レーニンが大体それに賛成した農業綱領〔レーニン『フランス共産党の農業問題にかんするテーゼ』、全集第三三巻一〇六―一二ページ〕が採択された。一九二二年十月に、パリで第二回党大会がひらかれた。党の革命的中核は、大衆を動員し、労働者階級の統一戦線を結成するための非共産主義的傾向および社会民主主義的残滓との闘争をやりとげなければならなかった。共産党は、中間派的・左翼的分子の反抗を克服しながら、労働組合、ことに、労働者階級の裏切者によっておこなわれた総同盟の分裂ののち、一九二二年に結成された統一労働総同盟のなかで活動を展開した。ルールの占領と新しい帝国主義戦争の脅威に反対して、一九二三年に党が展開した運動は、大衆のなかで党の勢力を強化することを促進した。この時期に、日和見主義的・排外主義的分子が党から除名された。党は、自分の陣列をつよめ、大衆との結びつきをひろげるために根気づよくたたかった。フランス共産党は、一九二四年にはじまった資本主義の一時的・部分的・相対的安定の条件を日和見主義的に適用しようとする傾向に反対し、改良主義的合法主義者の幻想に反対する執拗な闘争をおこなった。党を組織的・思想的に強化するための闘争、党の陣列を粛清するための闘争は、リヨン(一九二四年)およびクリシー(一九二五年)における第三回、第四回党大会の注目の中心にあった主要な問題であった。イ・ヴェ・スターリンは、一九二六年三月六日のコミンテルン執行委員会第六回拡大総会のフランス委員会における演説のなかで、フランスは危機にむかってすすんでおり、フランス共産党内には右翼からの危険が増大していることを強調したのち、つぎのように指示した。「党の当面の任務は――右翼的危険を根絶し、右翼を孤立させることである。」〔スターリン『コミンテルン執行委員会第六回拡大総会のフランス委員会における演説』、邦訳全集第八巻一三五ページ〕トロツキストおよび右翼日和見主義者にたいするソ同盟共産党(ボ)の闘争の経験は、フランス共産党が党の発展にブレーキをかけている敵対分子から救われるのをたすけた。一九二四―二八年の時期に、マルクス主義党のマルクス=レーニン主義の理論的・思想的・組織的・戦術的基礎に反対した右翼およびトロツキスト・グループ、さらにまた、大衆のなかでの党の勢力を掘りくずし、党をセクト的組織に変えようとした「極左」分子は、その正体をばくろされて党から追放された。この時期に、党の指導部には、モーリス・トレーズのまわりに結集した強固な中核がつくられた。リヨンにおける党大会(一九二四年)で中央委員に選出されたモーリス・トレーズは、一九二五年七月に、中央委員会書記局員となり、組織書記となった。彼の指導のもとに、ボリシェヴィキ的原則に基礎をおいた党の組織的再編成が開始された。
 一九二五年に、フランス共産党は、モロッコおよびシリアにおける帝国主義的植民地戦争に反対する広範な運動を組織した。
 リヨンにおける第五回党大会(一九二六年六月)は、フランス共産党の個々の組織の偏狭さとセクト主義にたいする闘争に重点をおいて開催された。モーリス・トレーズは大会で演説をおこなって、共産党員こそ真の愛国者であり、フランスの力であることをしめした。「共産主義者こそ、この国際主義者こそ、現に国民の財産の最良の擁護者である。多くの世代の労働の成果が、英・米の銀行の手ににぎられているようなことをのぞまないのが共産主義者なのである。」
 大衆のなかで党の勢力を強化するためにたたかいながら、共産党は、右翼社会主義者の裏切的・分裂的行動の暴露を強化した。一九二八年の国会選挙では、フランス共産党は、「階級にたいする階級」の戦術を適用することができた。党の候補者は一〇七万票(一九二四年よりも二〇万票上回る)を獲得した。サン・ドニにおける第六回党大会(一九二九年)は、企業内の大衆活動の強化、全党員の教育、積極的党活動へのひきいれの方法と形式とをさだめた。
 一九二八―二九年に、フランス共産党は、ソ同盟にたいする戦争の危機と帝国主義的干渉の脅威とたたかう運動をおこなった。党指導部の大部分の逮捕、政府のテロル、さらにまた、党指導部にはいりこんだ裏切的・セクト的グループの反党活動は、一時的に党をよわめた。一九三〇年七月から中央委員会書記長になったモーリス・トレーズは、党の陣列を粛清するための闘争の先頭に立った。一九三一年に、政治的解党派のグループが党から追放された。
 一九三〇年のなかばから、フランスは、すでに一九二九年に全資本主義国をまきこんでいた世界経済恐慌の時期にはいった。経済恐慌は、国内の階級的矛盾をふかめ、勤労者の物質的状態をいちじるしく悪化させた。フランスにはファシズムの危険がつよまり、一九三三年に、ドイツにヒトラーの独裁が確立したのちに、ファシズムはとくに成長した。フランス共産党は、勤労者の生活上の利益をまもり、ファシズムと戦争の危険に反対する闘争の広範な統一戦線を樹立するための活溌な闘争を展開した。パリにおける第七回党大会(一九三二年三月)は、党が政治的・組織的に大きく成長し、大衆のなかでの党の勢力がつよまったことを強調した。フランス共産党は、強力な反ファシスト運動を組織してその先頭に立った。共産党のおかげで、一九三四年二月六日に計画されたファシストのクーデターの企ては粉砕された。フランス共産党によっておこなわれたきわめて大きな活動の結果、フランス国民の広範なグループが、平和を擁護し、ファシズムと戦争の危険に反対する積極的な闘争にたちあがった。自党の平党員の圧力によって、社会党の指導者たちは、やむをえず一九三四年七月に、フランス共産党との統一行動に参加することに同意した。労働者階級の統一戦線の基礎のうえに、フランス共産党によってしめされた活動力《エネルギー》のおかげで、一九三五年には人民戦線が結成され、一九三六年には、統一労働総同盟が復活された。共産党は、フランスのすべての勤労者にたいすると同時に、カトリック教徒の勤労者にたいしても「手をさしのべる」政策をおこない、「自由で強力な、そして幸福なフランス」のために勇敢にたたかうよう彼らによびかけた。
 コミンテルン第七回大会(一九三五年)は、反ファシズム闘争の統一戦線の結成におけるフランス共産党の活動を高く評価した。一九三六年一月二十二―二十五日にヴィルールバンヌでひらかれたフランス共産党第八回大会は、「二〇〇家族」の寡頭政治に反対するフランス国民を労働者階級のまわりに統合することにむけられた選挙前の党綱領を審議した。
 一九三六年四―五月の国会選挙は、人民戦線の諸政党に大きな勝利をもたらした。共産党員は(一九三二年に獲得した七九万票と一〇議席のかわりに)一五〇万票を獲得し、下院では七二の議席を得た。
 選挙ののち、共産党員は労働総同盟と協力して、一九三六年六月に展開された強力なストライキ運動の組織者となった。ストライキ運動の圧力によって、ブルーム政府は、勤労者の状態を楽にしたいくたの法案を採択した。しかし、人民戦線の上層部の性格、社会党と急進党の指導者の裏切りは、人民戦線綱領の条項の大部分は実行されないままにのこされ、勤労者が社会的に獲得したものは、まもなくうばい去られるという結果をもたらした。
 ヒトラー・ドイツ、ファシスト・イタリアのがわからの攻撃、アメリカ合衆国、イギリス、フランスの帝国主義者のがわからの侵略者にたいする協力の危険が増大しつつあったために、フランス共産党は、平和、フランスの民族的独立、一九三五年のソ・仏相互援助条約にもとづくフランスとソ同盟の協力と友好のための断固たる闘争を展開した。アルルにおける第九回大会(一九三七年一二月)で、共産党は「フッシストの侵略の危険にたいする闘争のための広範な平和戦線を組織するよう、全国の勤労者と民主主義者によびかけた。共産党は、共和制スペインにたいする伊・独干渉軍の協力にむけられた裏切り的「不干渉」政策をばくろした。国際旅団の一員として、一九三六―三八年に共和制スペインのがわに立ってたたかったフランス義勇軍は、反ファシズム闘争におけるすぐれた模範と団結とをしめした。フランス共産党は、あらたな世界戦争の脅威として一九三八年のミュンヘン協定をばくろした。一九三九―四五年に、フランスが第二次世界戦争に参加したのち、フランスの反動政府は、そのときまでに党員三〇万をかぞえたフランス共産党を禁止した。共産党の出版物は封鎖され、共産党議員は議席をうばわれて軍法会議にひきわたされ、何千人もの共産党員と労働組合の活動家が投獄された。地下にもぐることを余儀なくされたフランス共産党は、民族の利益を擁護し、反動的支配者一味の裏切政策に反対する徹底的な闘争をおこなった。フランス共産党は、一九四〇年五月にフランスに侵入したヒトラーの侵略者にたいして全国民的闘争をよびかけたただ一つの党であった。フランスの支配者が、背信的にもヒトラー・ドイツのまえに降伏し、侵略者との協力政策に移行したのち、フランス共産党は、迫害と弾圧にもかかわらず、ファシスト占領者とその協力者にたいする抵抗運動を展開することにつとめた。一九四〇年七月十日に、フランス共産党中央委員会は、モーリス・トレーズとジャック・デュクロが署名した宣言のなかで、侵略者とヴィシーの裏切者に反対してたたかうようフランス国民によびかけた。一九四一年に、フランス共産党は、民族戦線と、義男兵《フランティルール》およびパルチザンの戦闘組織を結成した。一九四一年六月に、ヒトラー・ドイツにたいするソ同盟の大祖国防衛戦争が開始されたのち、共産党がその先頭に立っていたフランス愛国者の解放闘争は、とくに広範な規模をもつようになった。フランス共産党は、全国抵抗《レジスタンス》評議会(一九四三年三月結成)の主導者となり、一九四四年に結成された、五〇万をかぞえるフランス国内の武装力の軍事行動の組織者となり指導者となった。占領軍との英雄的闘争で、党のすぐれた活動家ピエル・セマール、G・ペリ、L・サンペ、その他をふくむ七万五〇〇〇人のフランス共産党員が死んだ。フランス共産党は、ソヴェト軍によって獲得されたドイツ・ファシストの侵略者にたいする世界史的勝利の条件下の一九四四年七―八月におこなわれたフランス人民の民族解放蜂起を準備した。フランス国内の武装勢力は、国の大部分を占領者から解放した。フランス共産党は、民族蜂起の仕上げであった一九四四年八月の勝利したパリ蜂起の指導者として進出した。
 ヒトラー占領軍とその走狗から国を解放したのち、フランス共産党は、国の経済的・政治的独立をめざす闘争、一九四四年の夏からフランスに駐屯していたアメリカとイギリスの軍隊に依存し、ファシスト独裁を確立することをその目的としていたド・ゴールにひきいられる反動勢力を孤立化させる闘争のために、真に民主主義的な国民の勢力を動員した。一九四五年六月にパリでひらかれた第十回党大会は、国民経済の早急な復興と国の社会・政治・経済的生活の真の民主化を要求した。
 一九四四―四七年(一九四六年十二月―一九四七年一月をのぞく)に政府の構成員にくわわった共産党員は、人民大衆の強力な支持のもとに、フランスの労働者階級と勤労者の利益のための政策をおこなうために頑強な闘争をおこなった。共産党員の努力によって、工業と銀行の若干の部門の国有化にかんする法案と、工業および農業労働者の社会保険にかんする法案が採択され、新しい、より民主的な憲法が確立された。共産党の指導のもとに、勤労者は工業のもっとも重要な部門を急速に復興した。国会選挙は、共産党の勢力が増大したことを証明した。一九四五年十月の憲法制定議会の選挙で、共産党は五〇〇万以上の票と一五〇万の議席を獲得し、一九四六年十一月の国民議会の選挙では、五五〇万以上の票と一八五の議席を獲得して、国民議会における最大の政党になった。
 一九四七年五月に、右翼社会主義者P・ラマディエ政府は、アメリカ合衆国帝国主義者の指示によって、共産党員の大臣を政府から追いだした。フランスの反動は、アメリカ帝国主義者の右翼社会主義的代弁者の支持をえて、フランスを政治的・経済的にアメリカ合衆国帝国主義者に直接的に従属させた反民族的・反人民的政策を強化した。
 ストラスブルグにおけるフランス共産党第十一回大会(一九回七年六月)は、アメリカの膨脹主義と、それが民主主義と平和にあたえている脅威をばくろした。
 フランス共産党は、共産党労働者党情報局が組織した一九四七年九月の会議に参加した。会議は、個々の党活動家に生じた議会の幻想から脱却することをたすけた。これらの幻想は、モーリス・トレーズが、一九四七年十月の党中央委員会総会の報告で述べたように、「ラマディエ政府に反対する労働者と民主的大衆の急速な動員にかなりの損害をあたえ」、「労働者階級の力の過小評価と大衆運動の恐怖にあらわれた」日和見主義的傾向に餌をあたえた。情報局の決定を実行するために、総会は、大衆とのより緊密な接触に基礎をおくよう党によびかけ、党を勤労者の重大な利益をまもる闘争にむかわせた。共産党は、アメリカ独占体によるフランスの奴隷化政策に反対し、勤労者の物質的状態をいちじるしく悪化させ、フランスの主権をきずつけた国の「マーシャル化」に反対する断固たる闘争をおこなった。
 戦争の危険と、侵略的軍事同盟――西欧ブロック(一九四八年)と北大西洋ブロック(一九四九年)――へのフランスの加盟の情勢のなかで、フランス共産党は、フランス人民の利益の表明者として、中和と民族の独立のための闘争を行動の中心においた。一九四八年九月三十日、フランス共産党中央委員会政治局は、宣言を発表して、そのなかで、「フランス国民は、ソ同盟に敵対して戦争しないであろう、けっしてたたかわないであろう」と声明し、侵略的な北大西洋条約の調印されるすこしまえの一九四九年二月二十四日に、モーリス・トレーズは国民議会で、ソ同盟にたいするフランス人民の友好的態度にかんする声明をおこなった。
 ソ同盟の平和愛好的傾向を支持しながら、共産党はまず第一に、平和擁護のためにたたかっている自国の労働者と農民を支持している。
 共産党は、フランスにおける平和擁護者の諸組織を支持している。党は、フランス議会による北大西洋条約の批准に反対する大衆的カンパニアに積極的に参加した。共産党の積極的支持のもとに、軍事資材の生産と積みおろし拒否のための勤労者の運動が全フランスに展開された。
 一九五〇年四月にパリでひらかれた第十二回党大会は、フランス共産党の重要な任務――平和とフランスの民族的独立を擁護し、勤労者の重大な利益と民主的権利を擁護する闘争――を決定した。共産党員は、「平和と自由をまもる戦士」の組織と協力して、原子兵器禁止にかんするストックホルム・アピールと五大国平和条約締結にかんする世界平和評議会の呼びかけにたいする署名獲得に積極的に参加した。それにもとづいて一九五一年夏に国民議会の選挙がおこなわれた新しい、詐欺的選挙法によって、大衆のなかでの党の勢力をよわめようとするフランスの反動とアメリカ帝国主義者の企図は成功しなかった。共産党は選挙で、五〇三万八〇〇〇票と九九の議席を獲得して、得票数では第一位に進出した。
 フランスの反動ブルジョアジーの支持を得ているアメリカ帝国主義者の侵害から民族の利益をまもりながら、フランス共産党は、社会的地位、政治上の信念、信仰とは関係なく、独立と平和と民主主義的自由をまもる闘争のために、労働者階級の行動の統一の基礎のうえにすべてのフランス人を団結させることを、自分の任務としている。共産党に指導される、「シューマン・プラン」に反対し、ドイツの再軍備とボン、パリ両条約の調印に反対するカンパニアは、住民の各種の層の広範な支持を見いだした。
 一九五三年一月二十七日に、フランス共産党中央委員会、ドイツ共産党幹部、ドイツ統一社会党中央委員会は、その助けをかりてアメリカ合衆国帝国主義者が、西ドイツを侵略的な大西洋条約にひきこもうとしている、ボン、パリ両軍事条約の批准に反対するアピールをもってドイツ、フランス両国民によびかけた。このアピールには、ドイツ、フランス両国民は、帝国主義者の雇人にならないであろう。両国民は、反ソ戦もドイツ、フランス相互の戦争もおこなわないであろうことがしめされている。
 共産党は、国内でもっとも人数の多いそしてもっとも勢力のある労働組合組織である労働総同盟と協力して、失業者の増大に反対する闘争、賃上げと勤労者の生活条件の改善のための闘争における労働者階級の統一行動の組織をつくりつつある。
 フランス共産党は、小ブルジョアジーの正当な要求を擁護している。フランス共産党は、一九二一年のマルセイユの大会で採択され、一九五〇年に修正された党の農業綱領に立脚して、農民のなかでその勢力を強化し、「耕作者に土地を」あたえることを要求している。党は大きな活動をおこない、フランスのインテリゲンツィアのあいだに大きな勢力を得ている。フランス共産党は、フランス植民地諸国民の民族独立のための闘争を断固として支持している。共産党員は、広範な規模にひろがったヴェトナムにおける「けがれた戦争」に反対するカンパニアの鼓吹者である。
 公然たるアメリカの手さきである右翼社会主義者の暴露とならんで、共産党は、ファシスト運動に反対する積極的な闘争をおこなっている。共産党は、破壊活動によって党をよわめようとする帝国主義者の手さきの企てをばくろしている。
 プロレタリア国際主義の精神で勤労者を教育しながら、フランス共産党は、ソ同盟と人民民主主義諸国の成果をひろく宣伝し、フランス、ソ同盟両国民の友好を強化するためにたたかっている。マルクス=レーニン主義理論とソ同盟共産党の経験に指導されながら、フランス共産党は、自己の陣列の組織的・イデオロギー的強化と統一をまもり、あらゆる偏向、分裂的行動のあらゆる試みに反対する積極的な闘争をおこなっている。
 フランス共産党は、フランス国民の広範な大衆を労働者階級のまわりに結集して、フランスの支配グループとその協力者である右翼社会主義者によっておこなわれている反人民的・反民族的政策に反対する断固たる闘争をおこなっている。フランス共産党は、平和、民族的主権、民主主義的自由をまもる闘争に労働者階級とフランス国民を組織し、多くの大衆的・民主的諸組織に影響をあたえている。
 党は、民主主義的中央集権主義の基礎のうえに建設された。党の下部組織(細胞)は、地域的・職域的原則にしたがって結成されている。細胞は地区に従属し、地区は地区連合と地方の党組織に従属している。党の最高機関は、二年に一度召集される党大会である。大会が中央委員会と中央財政管理委員会を選出し、中央委員会総会が政治局を選出する。
 一九五〇年には、フランス共産党の党員は八〇万人であった。党の中央機関紙は『ユマニテ』、党の理論機関誌は月刊の『レ・カイエ・デュ・コミュニスムス』である。共産党はまた、農民むけの特殊な新聞『ラ・テル』、週刊誌『フランス・ヌーヴェル』、月刊誌『ヌーヴェル・クリティーク』、『デモクラシー・ヌーヴェル』、『エコール・エ・ラ・ナシオン』、その他若干の刊行物を発行している。共産党はまた、州の大都市では多くの日刊紙を発行している。地区連合の大部分は週刊機関紙をもっている。

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