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     3 第二次五ヵ年計画の期限前遂行をめざす闘争。
       ソ連邦における社会主義の勝利。新しいソヴェト憲法


 第一七回党大会後、第二次五ヵ年計画の期限前遂行をめざす党と国民のたたかいはつよまった。生産能力がとくに急増したのは、動力産業と鉄鋼業であった。大規模な発電所、高炉とマルチン炉が操業をはじめた。党のとった措置の結果、燃料産業の事態は改善された。国の機械化が急速にすすむのを見るのは、よるこばしいことであった。
 農業では、党は、コルホーズ員大衆の積極性の向上にささえられて、再編成期の結果を急速かつ精力的に克服していった。コルホーズ制度が勝利したのち、党は、コルホーズ制度の強化と発展にもとづいて、農業生産の新しい高揚を組織した。一九三四年の末、コルホーズは農民経営の約七五%を統合していた。粒殻作物と工業用作物の生産はふえた。この年、国家は、国民への供給を保障するに十分な量の穀物その他の農産物を手にいれた。一九三四年、全連邦共産党(ボ)中央委員会一一月総会は、第一次五ヵ年計画の初めに実施された、パンその他の食料品の配給制度を廃止することを決定した。中央からの割当てにかわって、各地でソヴェト商業が広く発展しはじめた。
 コルホーズ制度が強固になったので、党はエム・テ・エスの政治部を普通の党機関に改組することができるようになった。政治部は、党の地区委員会に併合された。エム・テ・エスの政治部は、立派に使命をはたした。政治部を改組することによって、党は、コルホーズ農村での全活動――政治、行政、経済、文化、教育、日常生活にわたる活動――を指導できる党機関とソヴェト機関を強化した。これは、党の組織指導に柔軟性があること、現地で党の基幹活動家が成長してきたことを立証していた。
 国民経済の技術的改造を完了するという、五ヵ年計画の基本的課題は着々と解決されていった。第二次五ヵ年計画のはじめの二年間だけでも、鉱工業、運輸、農業が受け取った工作機械、一般機械、その他の技術設備は、第一次五ヵ年計画の全期間に受け取った量とほぼひとしかった。国の生産力の今後の増大は、いまではこの技術をたくみに利用することにかかっていた。
 技術を習得してそれを十分使いこなす力のある基幹要員の問題が、決定的な重要性をもつようになった。党は「基幹要員がすべてを決定する!」というスローガンをかかげた。このスローガンは、党が改造期の初めにかかげた「改造期には技術がすべてを決定する!」というスローガンを補足するものであった。いま問題になっていたのは、工業であれ、運輸であれ、農業であれ、軍隊であれ、新しい技術のはいってきたところでほどこででも、この技術を動かし、これを十分つかいこなす能力のある人々が、数万、数十万ではなく、数百万必要だということであった。
 新しいスローガンをかかげるさい、党は、新しい技術の習得が実践ですでに解決されようとしていることを知っていた。国民経済のあらゆる分野で、古くさくなった技術ノルマを改訂しようとする先進的労働者の運動が広がっていた。この運動は、古い技術ノルマを乗りこえた多数の労働者の現われた石炭産業と鉄鋼業ではじまった。一九三四年、ドンパスの第一号炭鉱(ゴルロフカ)の先山《さきやま》ニキータ・イゾトフは、採炭突撃作業をした功によりレーニン勲章を授与された。多くの炭鉱労働者が彼につづいた。第一次五ヵ年計画の特徴であった、新建設の熱情は、いまや、新しい技術の習得の熱情、高い労働生産性をめざすたたかいの熱情でおぎなわれた。
 一九三五年に、新しい技術を習得し古い技術ノルマを改訂しようとする運動は、スタハノフ運動と呼ばれるようになった。それは、一交代に一〇二トンを採炭して普通のノルマを一四倍も突破した先山アレクセイ・スタハノフの名にちなんだものであった。彼の後につづく者は国民経済のすべての部門に現われた。党は生産革新者の創意を支持した。党は、先進的労働者のこの運動に高い政治的評価をくだし、この運動の先頭に立った。
 党は、「共産主義とは、自発的な、自覚した、団結した、先進的技術を利用する労働者の、資本主義的労働生産性よりも高い労働生産性である」というレーニンの教え(全集、第二九巻、四三二ページ)にしたがっていた。高い労働生産性をめざす生産革新者の運動は、大衆の社会主義競争の新しい段階であった。この運動は、第一級の技術と、この技術を習得した基幹要員とをよりどころにしていた。それは、国民経済のすべての部門に社会主義的生産関係が確立したこと、人々の労働にたいする考え方が根本的に変わったことと切りはなせない関連があった。運動をおしすすめた主な動機は、労働生産性の高い指標を達成し、社会主義の祖国の富をふやし、ソヴェト国民の福祉を向上させることであった。社会の幸福のために働くこと、社会主義国家の繁栄と威力の強化のために働くことが、生産革新者の運動の基礎となっていた。同時に、彼らの労働の高い指標は、労働者・職員の賃金が全般的に引き上げられることにつうじていた。この運動は、労働者の文化的・技術的水準の向上の反映であるとともに、社会主義的鉱工業の組織者の新しい部隊が輩出するのを促進した。
 一九三五年一一月、鉱工業および運輸のスタハノフ運動者全連邦会議の席上、参会者は新しい技術を利用する経験を分かちあった。ここには、社会のために自分の個人的な成果を全員の資産にしようとするソヴェト人の新しい特徴が現われていた。
 党は生産革新者の運動の先頭に立って、この運動を大衆的なものにしようと努力した。党組織は、新しい技術を習得し、古くさくなった低いノルマをもっと高いノルマに代えようとする貴重な創意を、なにによらず取上げ、この創意を共同の財産にした。革新者の経験を広めるために、生産技術会議が招集されて、すすんだ作業方法が審議され、作業経験を交流するための工場同士の情報公開がおこなわれ、先進的労働者はおくれた労働者の後援を、古参労働者は若い労働者の後援を引きうけた。先進的な経験をつたえる学校がつくられた。主導的な役割をはたしていたのは共産党員とコムソモール員であった。彼らは、通信教授や夜間講習会で、学校や職業技術学校や高等教育施設で、自分の技術的水準を高めていった。労働者の全大衆が彼らの範にならった。労働者階級の文化的・技術的水準を引き上げることは、党組織の関心のまとになった。
 新しい進歩的な運動はすべて、古いものとの闘争をつうじて進路をひらいてゆくものである。生産革新者の運動もそうであった。労働者の一部には、高い出来高ノルマが単価の引き下げ、賃金低下をもたらすのではないかとあやぶむ者もいた。一部の技術要員は、技術ノルマについてのこれまでの観念にとらわれていて、運動を支持し組織することができなかった。この障害を乗りこえることに取組んだのは、あらゆる先進的なもの、進歩的なものの担い手である共産党員であった。
 生産革新者の運動に大きな支持をあたえたのは、一九三五年の党中央委員会一二月総会であった。同総会は、スタハノフ運動の発展と関連して、鉱工業と運輸の活動状況を審議した。総会には、約三〇〇〇名の経営活動家、党活動家、技術者、先進的労働者が出席していた。総会は、古くさくなった出来高ノルマをもっと思いきって改訂し、先進的な労働者の経験にしたがって新しいノルマに代えるよう、呼びかけた。とくに重視されたのは、すべての男女労働者の技術的知識を高めることであった。
 生産革新者の運動の結果、鉱工業の労働生産性は、第二次五ヵ年計画中に、計画されていた六三%ではなく八二%向上した。
 農村では、耕作を改善し、粒毅作物と工業用作物の収穫率を高め、畜産業の立遅れを一掃するための闘争がくりひろげられた。農業生産の組織者の基幹分子が成長してきた。
 コルホーズ制度の基礎を固めるうえで重要な意義をもっていたのは、一九三五年二月にひらかれて、農業アルテリの新しい定款を採択したコルホーズ突撃隊員第二回全国大会であった。この定款は、コルホーズの蓄えた経験を概括していた。定款によると、コルホーズの耕作する土地はそのコルホーズに永久の用益地として割当てられたが、これはコルホーズの発展の強固な基礎をつくりだすものであった。定款には大規模な集団経営を組織し運営する主要原則が述べられていた。定款は、社会的生産の利益にかなうとともに、コルホーズ員一家の個人的な必要を充たすに十分な、個人経営の規模をさだめた。定款は、コルホーズ民主主義の幅広い発展にそなえて、コルホーズ員の権利をさだめていた。
 コルホーズ定款の実施は、農業に、労働規律の強化と労働生産性の向上に、よい影響をおよぼした。しかしこの強化と向上には、党と国民の奮闘努力が必要であった。党は、うまずたゆまずコルホーズの基礎を固め、農業生産の不断の発展につとめた。一九三五―一九三七年にひらかれた中央委員会諸総会では、作付と収穫の取りいれの準備と実施の問題、基礎の固まっていないコルホーズを援助する問題、穀物の国家調達と国家官付の問題が、たえず審議された。これらの問題は、党の地方委員会と地区委員会、コルホーズの党組織の注目の的になっていた。
 農村の党地区委員会は、コルホーズがコルホーズ内の労働と労働報酬の支払いを正しく組織し、労働規律を強化し、指導的要員を選抜し、生産の決定的な部門に共産党員を正しく配置し、コルホーズの党組織を固めるのを助けた。この面でとられた措置はいずれも、党にとって貴重な成果であった。コルホーズの共産党員は、新しい農業アルテリ定款を通用して、コルホーズの共同経営の基礎を固め、生産をたかめ、コルホーズ員のあいだに労働にたいする社会主義的な態度を育てていった。
 党は、コルホーズを強化するとともに、これに新しい農民層を引きいれることに努力した。定款が採択されたとき、コルホーズにはいっていない農家は約四〇〇万戸あったが、第二次五ヵ年計画の終わりには約一五〇万戸になっていた。
 第二次五ヵ年計画は、第一次五ヵ年計画と同じく、期限前の一九三七年四月一日に、四年三ヵ月で遂行された。
 一九三七年に、大工業の総生産高は一九三二年にくらべて二倍以上に、一九一三年にくらべて八倍にふえた。大工業、とくに機械工業の成長は、国民経済のすべての部門の技術が更新されたことに現われていた。工業総生産高の八〇%以上が、二次の五ヵ年計画中に新設されたか、すっかり改造されたかした企業から得られていた。農業では、一九三七年に、トラクター四五万六〇〇〇台、コンバイン約二一万九〇〇〇台、トラック四五万六〇〇〇台が働いていた。国民経済の技術的改造は大体において完了した
 五ヵ年計画は、農業についても順調に遂行され、農業の集団化が完了した。コルホーズは、農家総戸数の九三%に当たる一八五〇万戸を統合していた。コルホーズの粒穀作物作付面積は、農民の全作付面積の九九%あまりを占めていた。
 一九三七年はめぐまれた年で、粒穀と工業用作物の収穫は、これまでのどの年をも上回っていた。だが畜産業の復興は依然として遅々としていた。これを復興するには、穀物の生産を急増させ、飼料基盤を大幅に広げ、コルホーズ員を物質的にはげます必要があった。
 第二次五ヵ年計画中に、国民の生活状態は大幅に改善された。ソ連邦の国民所得は二倍以上にふえ、労働者・職員の賃金のフォンドは二倍半にふえた。コルホーズの貨幣所得は三倍以上にふえた。
 文化革命も着々とすすんでいた。小・中学校の生徒数は、五ヵ年計画中に八〇〇万人以上ふえた。一九三七年に、高等教育施設では五〇万人以上の学生がまなんでいた。中等および高等専門教育をうけた専門家の卒業は、第一次五ヵ年計画にくらべて二倍以上にふえた。ソヴェト・インテリゲンツィアは、約一〇〇〇万人に達していた。
 第二次五ヵ年計画は、レーニン的民族政策が大成果をおさめた点で特筆すべきものであった。民族諸共和国には、大規模な工業建設がくりひろげられ、多数の技術要員が生まれた。いくつかの民族――カザヒ人、キルギス人、トゥルクメン人、タジク人、北部地方とダゲスタンの諸民族、その他――が、苦しい資本主義的段階をとおらずに、社会主義に移った。全連邦共産党(ボ)は、この面倒な問題を理論的にも実践的にも解決することによって、前資本主義的発展段階にある、世界の多くの民族に社会主義への道を示した。
 ソ連邦で社会主義が勝利した基本的な結果は、社会主義的生産関係が国民経済のすべての部門に確立したことである。新しい社会主義経済を創出するという、社会主義革命の根本的課題は解決された
 ソ連邦における社会主義の建設は、レーニンの立てた計画にしたがい、レーニン的党綱領にもとづいておこなわれた。共産党は、社会主義の建設における最大の主導勢力であった。社会主義の勝利をめざす闘争の重荷をになったのは、主として、共和国、地方、地区の党組織と初級党組織にいた、多数の党基幹活動家であった。労働者階級、勤労農民大衆、ソヴェト・インテリゲンツィアは、こぞって党の政策を支持し、自分たちの懸命な努力で社会主義の勝利を確保した。
 ソ連邦の実生活に生じた深刻な変化、国の経済と社会制度で社会主義のおさめた決定的な成功は、一九三六年一二月、第八回臨時全連邦ソヴェト大会で採択された、新しいソ連邦憲法で法的に確認された。憲法は、ソ連邦で社会主義の勝利した事実を反映していた。それには、社会主義制度は国民経済のすべての部門で確立したとのべてあった。生産手段の社会主義的所有は、社会の強固な経済的基礎になった。「各人は能力に応じて、各人には労働に応じて」という社会主義的分配原則が実現しはじめた。この原則は、自分の労働の結果を改善するよう社会成員をはげまし、個人の利益と社会の利益を調和させることを可能にし、労働生産性の向上、国の経済の振興、国民の福祉の向上を強力に鼓舞するものになっていた。
 住民の階級構成は一変した。搾取階級はすべて一掃された。ソ連邦にのこったのは労働者階級、農民階級、インテリゲンツィアだけであった。だが彼らも、社会主義をめざすたたかいをつうじて根本的な変化をこうむっていた。
 ソヴェトの国の労働者階級は、資本主義を一掃し、生産手段を社会主義的社会的所有にかえて、本来の意味、古い意味でのプロレタリアートではなくなった。ソ連邦のプロレタリアートは、あらゆる搾取から解放された労働者階級になり、社会で主導的な地位を占め、社会の共産主義への前進を指導している。
 農民階級は、自分の一かけらの地所にしばりつけられて、地主・富農・商人・高利費に搾取される小生産者の階級ではなくなった。コルホーズ制度が勝利するとともに、農民はあらゆる搾取から解放された。農民の労働は、社会的所有にもとづいた集団的労働になった。
 社会主義的所有の二つの形態(全人民的形態とコルホーズ=協同組合的形態)の共通性は、労働者階級とコルホーズ農民を近づけ、労農同盟を固め、両者の友誼を揺ぎないものにした。
 ソ連邦のインテリゲンツィアも変化した。国民のあいだから出て、社会主義に献身的な新しいインテリゲンツィアが生まれた。
 労働者、農民、インテリゲンツィアの利害が共通なため、ソヴェト国民の揺ぎない社会的・政治的および思想的な統一が生まれた。
 社会主義建設の時期に、ソ連邦のすべての民族の面目は一新した。彼らは最終的に社会主義的民族になった。かつての相互不信感にかわって、相互の友情が生まれた。単一の連邦社会主義国家の体制のなかでの彼らの兄弟のような協力関係が打ち立てられた。
 憲法は、ソヴェト民主主義の全面的な発展とソ連邦諸民族間の関係における真の国際主義とをめざして、国家機構を大幅に改善した。憲法は、ソヴェトの選挙のさいの制限の遺物をすべて廃止し、多段階選挙を直接選挙に代えた。すべての勤労者代議員ソヴェトの秘密投票による普通・直接・平等選挙がさだめられた。ソヴェトの国のすべての市民はソヴェトへの平等な選挙権と被選挙権を得た。
 憲法は、ソ連邦のすべての市民が労働し、休息し、教育をうけ、老齢に達した場合、同じく病気や労働能力を失った場合に物質的保障をうける権利を、法的に確認した。
 人類の多年のたたかいの目標であった諸権利をすべての市民にみとめるとともに、憲法は、彼らに重大な義務をおわせた。それは、ソヴェト国家の法律を厳守すること、労働規律をまもること、自分の社会的責務に忠実であること、社会主義的共同生活のおきてを尊重すること、社会主義的公共財産を大切にし堅固なものにすること、ソヴェト国家の軍隊で兵役に服するという名誉ある義務を忠実にはたすこと、社会主義の祖国を献身的にまもることである。憲法は「祖国をまもることは、ソ連邦の各市民の神聖な責務である」と宣言した。
 ソヴェト市民の権利と義務には、社会主義的民主主義の諸原則が具現されている。社会制度と国家制度をさらに民主化することは、社会主義的民主主義を強化し発展させるのに貢献した。
 ソ連邦憲法には、ソヴェト社会で共産党の占める指導的な地位が強調されている。憲法にはこう書きこまれている。「労働者階級とその他の勤労者層の隊列のなかの最も積極的で自覚した市民は、社会主義制度の強化と発展をめざす勤労者のたたかいの前衛部隊であり、社会的団体であれ国家的団体であれ、勤労者のすべての組織の指導的中核をなす全連邦共産党(ボリシェヴィキ)に結集する」。
 勝利した社会主義の国の憲法は、歴史上知られるすべての憲法のうちで最も民主主義的な憲法であった。
 ソ連邦憲法は、資本主義諸国で民主主義のためにたたかっているすべての闘士への力づよい支援であった。この点にこの憲法の巨大な国際的意義があった。


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