平成29年9月20日10月版掲載
日暮里周辺の寺

        
                                                              
                  
    
    西日暮里駅西南に、谷中の総鎮守である諏方明神があり、 古くから
     「虫鳴きの名所」として有名でした。

    江戸百景諏訪の代には谷中七福神の寺院があり、享保年間頃からは
    暮れていく日のことを忘れるほど美しい「日暮らしの里」と言われる
    ようになり、日暮里となったそうです。

         また、「月見寺」「花見寺」「雪見寺」などの別名の名前をもつ寺社があり、
    当時の雰囲気が感ぜられます。
   
 
        
         西日暮里公園


 JR西日暮里駅の南にある公園内に
 道灌山虫聴の案内板があり、緑の
 木々が木陰をつくる落ち着いた公園
   です。
         正直親切の石碑

 公園のすぐそばに劇作家の久保田
 万太郎が大正震災後に一時期、
 住んでいたという。

 又、荒川小学校の正門前に詩人の
 高村光太郎の直筆が彫られた
 「正直親切」の石碑もありました。
 
  
  淨光寺  ( 雪見寺)     (真言宗豊山派)      西日暮里3-4
 
 
 
 

   法輪山法幢院といい田端にある与楽寺の末寺で、お隣りの諏訪神社の
   別当寺でした。本尊は薬師如来。 

   山門の前に「六地蔵三番目」と書かれた石塔があり、境内の左側に3m位の
   銅製の地蔵菩薩像が建っています。

   元禄四年(1691)仏像造りの名人、無空上人が勧化して建立した江戸六地蔵
   のうち三番に当たる一体であり、現存するのは文京区千駄木の専念寺との
   二体だけだそうです。

   眺めのよかった諏訪台にあり、将軍吉宗など狩の途中の御膳所でもあり、
   雪見にも適していたのでしょうか雪見寺とも呼ばれています。

 

   
諏訪神社                                     西日暮里3-4
 
 
 



   日暮里、谷中の総鎮守として、元亨2年(1322)御柱祭りで有名な信州諏訪
   から豊島左衛門尉経泰が勧進して社殿を造り、その後太田道灌が江戸城の
   出城を築いた際に砦として修営したという。

   慶安2年(1649)には社領5石を与えられ、鳥居には別当寺である浄光寺の
   名があり、別当浄光寺に宛てた朱印状と目録が残されています。

   狛犬や鳥居などは町火消し9番組「れ組」からの寄進されたものという。

       、
 
 
 青雲寺 (花見寺)      (臨済宗)          西日暮里3-6
 
 
 


   門の前に花見寺と書かれた石柱があり、佐倉藩城主の堀田家代々の祈願所
   でした。

   宝暦年間(1751-64)佐倉城主の堀田正亮は、入間郡の浄居寺という廃寺を
   引移して再興し正亮の法号の青雲院殿より、浄居山青雲寺と称したという。

   当時は広大な庭園に多くの諸堂が建っていましたが文化4年に焼失、庭園も
   お堂も失いました。

   本堂の前に滝沢馬琴筆塚の大きな碑があり、谷中七福神の一つで恵比寿神。

 
 
 
 
修性院   (花見寺)      (日蓮宗)       西日暮里3-7
 
 
 
 

   この寺も花見寺として庭造りの名人岡扇計を招いて築山などの素晴らしい庭
   園が造られており、当時は花見寺の中でもずばぬけて人出が多かったようです。

   谷中七福神の一つ、ひぐらしの布袋尊があるこの寺は日蓮宗身延山久遠寺の
   末寺であり、当初は谷中の天王寺の6世日運上人により天正元年に創建され、
   寛文3年(1663)に当地に移転して来たという。

 
 
法光寺   (日蓮宗)                     西日暮里3-8
   
 
 


   法華宗陣門流に属し新潟県三条の本城寺が総本山です。慶安3年(1650)に
   開基されています。

   門前の左に陸軍少年飛行兵慰霊碑が昭和45年に建てられ、ノモンハン事変
   以来、少年飛行兵として空に散った4万5千人もの霊を慰めるために建立され
   ました。

 
 


                南泉寺  (臨済宗妙心寺派)                 西日暮里3-8
 
 
 


    元和2年(1616)徳川家から土地を拝領し、大愚禅師が創建しました。

    その後家光や綱吉などにお仕えした大奥の老女岡野の遺言により朱印
    30石を賜ったという。

    本堂内の聖観音菩薩像は鎌倉時代の作であり美濃の遠山氏の念持仏
    あり、本尊は江戸期の釈迦如来座像。

    本堂への入り口にと書かれた大きな額が掲げられているのは、現世と
    仏教界の境を示していると説明を受けました。

    境内左の菅谷不動尊は、明治の9代目団十郎の弟子、新蔵が目を患った
    時に願掛けて治癒したところから団十郎不動と呼ばれています。

    境内には男女の和合を示すお招きさまの祠や蛙塚、墓地には横山大観、老
    女岡野の墓、講談の名人 初代松林伯円と2代目伯円の墓などがあります。

    
 

 

          岡倉天心邸宅跡  

  岡倉天心史跡記念六角堂が、昭和41
  年に建てられ、お堂の中に天心座像が
  あります。            

           富士見坂

  都内に富士見坂がいくつかありますが、
  今でも冬の空気の澄んだ時には富士
  山見られるという唯一の坂です。

    
 
 
 
 
 
                                 養福寺   (真言宗)                    西日暮里3-8
   

  
 
 


    朱塗りの仁王門があり、この地域には珍しいです。

    宝永年間(1704~11)の建築と伝えられ、一対の仁王像運慶の作といわ
    れ裏側には四天王のうちの広目天、多聞天の像が安置されている。

    多くの文人との深い関わりもあり、境内には壇林派歴代の句碑が並び、
    これらの句碑は、井原西鶴の100年忌を記念して寛政4年に建てられた
    ました。

    他にも江戸時代の詩人や文人の墓などあり、文学に興味のある人には見応
    えのあるお寺です。
    
    左奥に本堂があり、境内一面桜の木々があり百花繚乱魅了されます。


 
 


                                       延命院        (日蓮宗)                       西日暮里3

 

 

   開基は四代将軍家綱の乳母三沢の局だといわれ、慶安元年(1648)慧照院
   日長は将軍家光の側室三沢が家綱を出産の際に安産を祈祷し、甲州身延山
   の七面大明神を勧請、別当寺として延命院を開創したという。

   七面大明神は秘仏とされて七面堂に祀られていますが、この七面明神に願掛
    けして、かの八百屋お七も生まれ、お七と名付けられたという。

   この門前から谷中銀座へ下る夕焼けだんだん坂のことを七面坂といいます。


            

 
 
 
                              経王寺   (日蓮宗)                      西日暮里3-2
    
 
 


    明暦元年(1655)日暮里の豪農、冠勝平が、要詮院日慶のために土地を
    寄進し堂宇を建立したことに始まると伝えられ、身延山久遠寺の末寺であり
    大黒山という。

    境内の大黒天堂には、日蓮上人の作と伝えられる谷中七福神の大黒天
    が祀られています。

    また山門や柱に残る穴は、慶応4年(1868)の上野戦争で敗れ逃げ込んだ
    彰義隊を新政府軍が攻撃した銃弾の跡なので貴重なものです。

     
 
 
 

                            本行寺 (月見寺)     (日蓮宗)            西日暮里3-1
     
 
 


   日暮里駅からすぐの御殿坂にある月見寺の名で知られ、長久山という。

   開基は太田道灌の孫、太田大和守資高が、大永6年(1526)に三浦で討ち死
   にした父の資康の菩提を弔うために江戸城内に建立し、その後移転を繰り返
   し宝永6年(1709)に現在地に移転してきたという。

   本堂の前に道灌丘碑があり、小林一茶とも交流があったといい自然石に
   「陽炎や、道灌どのの物見塚」と刻まれた句碑が建っていました。

   山門正面には見事なしだれ桜があり、花見の時季は混み合いますし、太田
   道灌が奉納したという30番神の大祭は、毎年2月28日にはが行なわれます。

 

   ご覧頂きまして、有り難う御座いました。

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