人権市民会議
桔川純子さんのインタビュー

2010年5月、東京と大阪で、それぞれ「希望ある市民社会の創り方」、「韓国併合100年と日韓市民の新たなパートナーシップ」をテーマとした日本希望製作所(1)NPO法人化記念イベントがありました。私自身は参加できませんでしたが、その後、韓国の光州広域市で行われた光州アジアフォーラム(2)という国際会議で、主催者である日本希望製作所事務局長の桔川純子さんにお会いすることができましたので、帰国後の6月2日にお話をお伺いしました。

桔川純子さん桔川純子(きっかわ・じゅんこ)さん プロフィール
東京生まれ。大阪外国語大学大学院外国語研究科修士課程東アジア語学専攻修了。韓国慶熙大学修士課程留学後、女性の健康に関わるNGO等の勤務を経て日本希望製作所日本支部設立に関わる。成蹊大学、明治大学の非常勤講師も務める。


−希望製作所は「地域から社会をつくる」ということを一つ掲げていらっしゃると思いますが、その取り組みのお話をお伺いしたく思います。これには代表でいらっしゃる朴元淳(パク・ウォンスン)さんの姿勢が大きいと思いますので、まず、朴元淳さんについて教えてください。
朴元淳常任理事は、もともと検事でした。検事をやめて弁護士になったのですが、市民運動に関わる過程で、最初に「参与連帯」(3)という市民団体をつくりました。その参与連帯というのは、国政や企業や地方知事などの監視を中心の活動を行ってきました。つまり監視異議申し立て運動が中心の団体でした。

2000年には落薦・落選運動というのを行って、日本でも話題になったんですよね。「この議員を当選させるべからず」というキャンペーンを行って、正確な数字ではないかもしれませんが、指定した議員の7割から8割を落としています。韓国でそういう大きな市民団体をつくっていたんですが、市民運動を続けていくには財政的な基盤がないといけないので、すごく苦労したそうです。自分の後輩たちにそういう思いはさせたくないという思いがあって、韓国の中で寄付文化を作っていくという目的で、次には市民運動を財政的に支援する「美しい財団」という財団を作りました。誰もが参加できる1%寄付という、お互いに助け合うというキャンペーンをして、現在、日本円で10億円くらいが集まる韓国でも代表的な市民団体になりました。

参与連帯とは性質が違うこの団体を作って、その傘下にリサイクルショップを作りました。それが「美しい店」という市民団体で、イギリスのオックスファムと日本のウィショップという生活クラブ生協の組合員の人たちが中心となっているリサイクルショップをベンチマーキング(4)して作ったんです。韓国では誰も中古品なんか使わないといわれるなかで始めたのですが、今では100何店舗かあります。そこも年間で20億円くらい売り上げる大きな財団になっています。

いまのように格差は広がっていないけれども、大多数の国民が貧しかった頃、とにかくみんなが食べられる社会をつくらなければ、ということを最初の頃から言っていて、そういうことをずっと考え続けているんだと思うんですね。皆がちゃんと食べていけるということと、昔あった地域の助け合いの文化というものを、もう一度今の社会の中でつくっていく、そのための一つの仕掛けだと思います。1%キャンペーンもそうで、もちろん寄付をしてもらうことも大事、だけども、そのことによってお互いに助け合うとか、他者に対する関心を持つ、社会に対する関心を持つということを、訴えかけていたということです。

一方で、韓国の中で市民運動や知識の蓄積がされていかない。政府や企業のシンクタンクはあるけれども、純粋に市民のための知恵を集めて政策提言まで持っていく機関がないことから、市民社会のアジェンダをテーマにした希望製作所を作りました。

希望製作所に社会創案センターというのがあるんですけれども、センターでは、インターネット上で一般の人からアイデアを募るんですね。それが日常生活であったり、社会のなかでこう変わったらいいとか、そういう個人のアイデアを送ってもらって選別して、それを専門家と一緒に議論しながら政策提言まで持っていくということをやっています。これによって、ソウル市の地下鉄のつり革の長さを背の高さにあわせて変えたとか、そういう具体的な提案をしています。具体的なオルタナティブを提案するということを最初から大きな課題としてやってきました。
−日本はどういう活動をなさっているんですか?
韓国はソウルに大体4分の1、京畿道(5)を含む首都圏で大体2分の1の人口が集まっているという、一極集中の国です。ある意味、日本よりも地方の疲弊が進んでいるので、地方都市をもっと活性化していかなければ国全体がだめになってしまうだろうという思いが朴元淳常任理事にあって、韓国の中でもいち早く、まちづくりとか地域活性に取り組もうとしていたんです。そのときにどこをモデルにするかということですが、制度的にも情緒的にも地理的にも日本はすごく近いので、いい意味でも悪い意味でも、ベンチマーキングする対象になったんだと思います。

朴元淳常任理事は、いろんなところからアイデアを吸収して、韓国社会にあわせる形で展開していくのが上手な人なので、日本にサンプルを求めたんですけれども、日本は分野を乗り越えて連帯するとか、相互のネットワークが醸成されているわけではないので、日本に拠点が欲しいと思ったようです。結局、点ばかりあって線にならないという意味で、もどかしかったんだと思います。だから日本に拠点があれば、深くいろんなことも知ることができるんじゃないかということで、最初は韓国のための支部としてできました。

日本の中で、日本社会の中で何をやっていくのかという議論も特にしませんでした。とにかく始めるんだと。韓国式発想ですよね。そうしているうちに、たくさん視察団が来るようになりました。それを全部受け入れるだけで手一杯になってしまって2008年は過ぎました。せっかく来るのだから、そのときにシンポジウムをやったらということも考えるようになって、2009年には自治体長同士のシンポもやったりしましたが、結果的にいろんなところを訪問しました。

いろんな地域に行きましたが、そのなかで地方都市もたくさん訪ねました。受け入れる日本の人たちが「日本に来て、学ぶことがあるんですか」とたくさんの人が言うんですけれども、外から来る人というのはいいところを探すんですね。わざわざ視察に行くからということもあるからでしょうが、いいところを発見していくんです。日本の方にはいいところを説明していただくんですけれども、やはり日本は大変でとかそういう話をするなかで、韓国の人は同じことをポジティブに言い換えたりして、日本の人たちには逆に自分たちの地域について改めて考える機会になったようです。

韓国の人はすごくエネルギーがあるんですよね。特に市民団体の人だといろんなことを学ぼうという気持ちがあるので、そういう人たちに出会ったときには自分たちももっとがんばろうという日本の人たちに刺激を与えるということがあったのではないかと思います。単に旅行に行くというのではなくて一定の課題とか、自分の中にある疑問を持ちながら来ているので、見る目が違うというのがあって、日本でも同じ課題を持っている地域に行くわけですから、すごく共感するし、言葉がわからなくても、言っていることは共通しているというか。共通の課題を持っているときの交流は違うものを生み出すのかな、と感じました。
−受け入れる方の得るものも大きいですね。違う国であると共通する部分があるとしても、別の視点からの解決というか、新しい発見があったりします。
朴元淳常任理事が希望製作所をつくったときは、韓国は日本から学ぶという立場だったんですが、始めてみると、希望製作所のことをおもしろい、もっと知りたいという人が多かったんですね。朴元淳常任理事が思った以上に韓国に対する関心が日本のなかで高いことがわかって、盧武鉉政権やその前の金大中政権の国家人権委員会もそうですけど、日本にない制度とか法律がたくさんできたので、日本から韓国に調査に行ったりということが増えてきたこともあって。一方通行ではなくて、何か学びあえる関係を作る交流が可能なんじゃないかということが、始めて1、2年続けていく中でわかってきました。

社会的企業育成法(6)が韓国にできて、日本からもその調査に出かけていく人たちが増えていったので、日本からの視察もやってみようかということで、意識的にやってみることになりました。依頼を受けて、視察プログラムを作るようにもなったんですが、一定の課題、やっていることが似ている場合は特に、成果を具体的に生み出すことができる。どちらかに行って学んできましたというのではなく、視察も通り一遍のものではなく、一箇所を深く掘り下げていくというものを前提に協同するというか、そういう交流ができるんだということが3年目ぐらいからはだんだんわかってきたように思います。

一番大きかったのは、韓国を通じて日本の中で横につながることができたことだと思います。韓国を経由して入ってくると、日本のなかのネットワーク作りにもなるかなということで。
−初めて希望製作所のことを伺ったのは、地域から社会をつくっていかないと人権が保障されることにならない、だからそこから力をつけさせるというコンセプトで活動しているところということだったのですが。
希望製作所自体はソウルにあるので、どこかをフィールドとしているわけではありません。韓国社会で認知度が高い朴元淳がそう草の根のことを訴えているので、地域にフィールドを持っていると思われがちなのですが。人権も含め、いろいろなことが地域に根を下ろしていくことによって大きな可能性をもつということだと思います。

彼は2000年に3カ月くらい日本にいて、日本の市民団体を訪ねています(7)。インタビューしてまわって本を書いたんですが、日本のなかで地域に根づいて地道にこつこつやっているNPOをたくさん見ているんですね。小さいことが美しいことで、こつこつやっていく日本のよさを発見して感動したと言っていました。地域に目が向いたのはそのことも大きかったと聞いています。
−光州人権条例の制定に、日本の希望製作所が関わっていたということですが、それについて教えてください。
桔川純子さん 去年9月に国家人権委員会の光州事務所が視察に来ました。実は人権というテーマは初めてだったんです。私自身は人権に取り組んできたわけではありませんし、人権条例も知っているわけではないので、コーディネートを部落解放・人権研究所の友永さんにお願いしたんです。その年の5月に光州事務所でフォーラムをやる際に、日本の人権条例を知っている人を紹介してくれと言われて、友永さんたちに行っていただいたんですね。それが縁で、下半期には視察に行きたいということになりまして。韓国で人権条例を制定するのが目的だったので、自治体で先進的な取り組みをしているところということで、堺市と三重県を訪問するプログラムを作っていただきました。

そういう視察だったんですが、たくさん行き来があるようでも、光州の人たちは部落差別を全然知りませんでした。大学の先生とか弁護士さんとか市民団体の人など人権条例を作る勉強会の人たちが来たんですが、部落差別も日本の状況も知らなかったんですよね。そういうところから、一つ一つわかりやすく丁寧に、友永さんが訪問先にもついていってくださったのでよくわかったようで、特に解放運動が勝ち取ってきた成果とか、いろんな人に会って感動したという感じでした。そして日本の視察が光州日報で大きく連載されて、人権条例の制定にも影響を与えたのではないかということでした。でも、何よりも、視察のときに得た感動とエネルギーがその後の韓国内での活動の活力に繋がっていると言っていただきました。

資料であれば韓国からでもインターネットで手に入れることはできますが、人に会って、現場に行くということが落としたものは大きかったようで、今年のかなり早い時点から、光州アジアフォーラムには三重と堺の人に発表してもらいたいと言っていたのも、その時の感動なり、結束力なりが続いていたということだと思うんですね。

11月くらいだったかな、法律が通過したという連絡がありました。先の視察には光州日報という新聞社の記者も一緒に来たんですよ。国家人権委員会光州事務所の所長のイ・ジョンガンさんは地域で人権運動をずっとやっていた人なんですが、国家人権委員会が所長を公募した際に選ばれた人です。彼はマスコミの力も知っているので、その記者を個人の負担で連れてきたんですね。それだけ大きな成果を生み出すと思って。記者自身は人権条例に通じていた人ではないんですが、日本にいる間、ずっと所長から教育を受けていました。そして、日本での視察が光州日報に4回の連載で掲載されました。記事にはどこを訪問したかということなども書かれています。民主化の聖地である光州市に人権条例がないのかということで、これが報道されたのは大きかったみたいです。

研究会(8)のメンバーは、別の仕事をしながら研究会に参加している人たちなので、動機付与を繰り返し行っていかないと活動自体が継続されないということで、その意味で視察はよかったとい言っていました。視察を通じてすごく学び、お互いの結束も強くなったということです。いま、各地で人権条例をつくろうという動きはあるようですが、横のつながりはあっても、なかなか一箇所に集まって情報や意見を交換するということはあまりないそうです。視察をしたことは他の地域にもいい影響があったようで、今年の9月には他の地域の人とも来たいと言っていました。

地域のなかで識者や市民団体の人たちのとりまとめを光州事務所がやっているんですが、ネックは公務員だったそうです。新しいことをやりたくないというか、仕事になってしまうからということで。日本の公務員の人たちって、結構市民運動に関わっている人も多いですよね。団塊世代の人で、自分の活動を続けるために定時で終わる公務員になった人が、真摯にこつこつやっていたり、地域の活動も公務員の人が事務局をやっていることも多いですし。それは韓国ではありえないので、まずそれがすごい驚きだったようです。仕事じゃないところで、日本にそういうことをやっている公務員がいることが驚きだったみたいですね。人権問題に真摯に取り組む公務員の姿を韓国に知らしめて公務員を刺激したいという気持ちが所長にはあるようです。

いままでの視察のテーマは、社会的企業、コミュニティビジネスが圧倒的に多く、そのときに、成功しているビジネスモデルや、アイテムが見たいというリクエストがずいぶんありました。でも、考えてみたら、社会的企業を考えるうえでも、ちゃんと生存権を保障するということが基本にあり、そういったことを確認するということも、とても大切ではないのかということを考えるようになりました。いろいろなことを改めて考えるきっかけになった視察だと、私自身、印象に残る視察になりました。
−最後に今後の展望があれば、お聞かせください。
今まで活動を続けてきて感じたことは、日韓で交流もたくさんあると思いますが、きちんとコーディネートしたり、つなげていったりすることが意外と少ないのかなと感じました。国家人権委員会も、日本ともいろいろ交流はあるのだと思うので、最初うちに依頼がきたのが意外だったんですね。言葉の問題もあるのでしょうが、気軽に相談するところというのが、思ったよりも少ないのかなと思いました。ですから、いろんな交流を行うときに、お互いの目的に合った交流であるとか、こことここをつなげたらおもしろいかなというコーディネートを行っていけたらと思います。そういう協働をしていける交流、一過性ではなくて、お互いに学び、お互いに作っていけるような交流を行っていきたいです。

また、日本ではなかなかネットワークづくりが難しいのではないかと思います。分野を超えたりとか、世代間を超えたネットワークですが。韓国は若い人が活動しているので、日本から韓国に視察に行く人は、現場に若い人がたくさんいるのを見て、すごくうらやましがったりするんですが、そういう若い人を育てていかないといけないのではないかと思います。ですから、日本の中でも世代間を超えた交流ができる場を作れればいいかなと思います。いま、「希望の種を探そう」という若い人の交流イベントをやっています。もともとは、うちのインターンをやっていた人が振り返りをする場があったほうがいいかな、ということで始めたんです。それと、日本に留学している人は、韓国と同じだと言うんですね。日本に住んでいて、街ですれ違う人は日本人なんだけど、友達になることはないと。そういう若い人が企画して活躍する場を作れたらというのが始めた理由なんです。それは次の世代を作っていくために、継続してやっていきたいと思っています。

(1) 日本希望製作所のウェブサイト
(2) 1999年から毎年5月頃に開催され、人権専門家、民主化活動家、学者などが集まる会議。平和や人権、民主主義といったことを大きなテーマに掲げている。
(3) 1994年に政治への市民の参加、連帯、監視、代案を掲げて設立された韓国を代表する市民団体。
(4) 地域、企業、国家などでその政策やビジネスで非効率なプロセスを改善するため、同じプロセスに関する優良、最高の事例と比較分析を行う手法。
(5) 韓国の北西部にある道(行政区画)で、中央にはソウル特別市がある。
(6) 「脆弱階層に社会サービス又は就労を提供し地域住民の生活の質を高めるなどの社会的目的を追求しながら、…営業活動を遂行する企業」の支援を通じて、「十分に供給されていない社会サービスを拡充し新しい就労を創出することにより、社会統合と国民生活の質」を向上させることを目的とする法律。この日本語訳は協同総合研究所のサイトを参照した[PDF]
(7) 市民団体訪問は『朴元淳弁護士の日本市民社会紀行』にまとめられている。
(8) 市民団体の活動家、大学教員、弁護士、議員、人件条例に関心をもつ市民などが集まって行っている私的研究会。光州事務所がとりまとめをしている。

トップ人権市民会議の活動(インタビュー)現在位置
人権市民会議 Copyright 2010 人権市民会議.