フコサ
フコサ川は別名布佐古川ともいい上流で古池大谷川と合流する付近一帯の字名をフコサと称する延宝6年(1678)2月大石良雄は藩主 浅野長矩公の許しを得て、オオ村の海老名季清の子宗季を陸村庄屋とし同時に新田の開発を命じた 宗季は庄屋の初仕事として『丸岡新田』開発を完成させこの地を下賜されたが、この新田が今に残る字フコサ一円の地である
元禄5年(1692)城主の名代として、備中松山(現岡山県高梁市)へ赴き城を無血開城させた大石は
その功により弐百石加増され、那波五箇村は事実上彼の私領となったフコサの語源でのフコはフカ
(深)の転あるいは湿地をいうフケから転訛したもので『泥深い田や深田』に関することが考えられる
又語尾にサのつく地名例はかなり多く、その大部分は方向や場所を示す接尾語として解されてよい。
従って『フコサ』とは『沼地あるいは湿地帯』とのいみとなるこのことから考えるとフコサの字名は丸岡新田 開発以前の湿地帯に付けられていた字名、或いは泥深い新田に付けられた字名といえる
栄枯盛衰世の常とは言うが、オオ浦に君臨した海老名氏は古里を離れて久しく、彼らの事蹟の証である丸岡新田の名も今は知る人も少なくなった。いわんやフコサの字名は(普光沢川)の名に留めるのみで
地籍簿の奥深く閉じ込められ、日の目を見ることも稀となってしまった川面に囁くかすかなせせらぎだけが
悠久の昔に変わらぬ音を奏でている       石田氏(地名をほる)より
写真は今のフコサ川 冬にはかもが飛来しのどかな風景である