溝咋神社
本文へジャンプ
境内紹介
 当社は元来安威川を隔てた上ノ宮(うえのみや)(現在の学園町)と下ノ宮(しものみや)(現在の地)に分かれていたが明治42年(西暦1909年)に下ノ宮の現在の溝咋神社に合祀される。
 上ノ宮は現在の五十鈴町(旧馬場村)の村の祭神とされていたのではという説も考えられる。今も当神社の社額と変わらぬ立派な「上ノ宮」と書いた社額が保存されています。
  上ノ宮・ご祭神
        ●媛蹈鞴五十鈴媛命
      溝咋耳命
        ●天日方奇日方命

 江戸時代までは朝廷を初め、公家、大名、商人、農民の信仰あつく経済的にも豊かであったが、明治元年と9年に安威川が決壊し社殿、社領が荒廃する。



 
 

上写真: 本殿



右:本殿のご祭神
正殿・ご祭神
玉櫛媛命(たまくしひめのみこと)〈皇后母〉
媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)〈神武天皇の皇后〉
相殿・ご祭神
溝咋耳命(みぞくいみみのみこと)〈皇后祖父〉
天日方奇日方命(あめのひかたくしひかたのみこと)〈皇后兄・初代宰相〉
速素盞鳴命(すさのおのみこと)〈五十鈴媛命の祖先〉
天兒屋根命(あめのこやねのみこと) 〈藤原氏の祖〉
摂社:事代主神社(ことしろぬしのかみのやしろ)
ご祭神
  • 阿遇突知神(かくつちのかみ) 〈火の神〉
  • 沖津彦神(おきつひこのかみ) 〈かまどの神〉
  • 沖津比賣神(おきつひめのかみ) 〈かまどの神〉
  • 弥都波能賣神(みずばのめのかみ) 〈水分の神〉
  • 波通夜須毘古神(はにやすひこのかみ) 〈陶磁器の神〉
  • 波通夜須毘賣神(はにやすひめのかみ) 〈陶磁土の神〉

明治時代に目垣村のご祭神が合祀されている。》
末社:木花開耶姫命社(このはなさくやひめのみことのやしろ)
    厳島神社(いつくしまじんじゃ)〈池を海に観たて建てられている〉
ご祭神
  • 木花開耶姫神(このはなさくやひめのかみ) 〈安産子育ての神〉
  • 級長戸辺命(しなとべのみこと)     〈風の神〉
  • 市杵嶋姫命(いつきしまひめのみこと) 〈農耕治水の神〉
  • 菅原道真公(すがわらのみちざねこう) 〈学問の神〉

 
《現在の星見町(旧二階堂村)のご祭神が合祀されている。》

末社:手力雄神社(たちからおのかみのやしろ)
ご祭神
  • 手力雄神 (たちからおのかみ) 〈力の神〉


《現在の玉島(旧十一村)の了専(石崎喜兵衛)さんも祀られている。》

末社:天照皇大神社(あまてらすすめおおかみのやしろ)
    猿田彦神(さるたひこのかみ)〈道の神〉
ご祭神
  • 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)〈太陽神、皇室の祖神〉
  • 應神天皇(おうじんてんのう)〈大陸から文化を受け入れた天皇〉
末社:保食神社(うけもちのかみのやしろ)
    〈別名:稲荷社(おいなりさん)〉

ご祭神
保食神(うけもちのかみ) 〈食物の神〉
絵馬所と神楽所

絵馬を掲げる建物で神楽を上演する舞台(写真建物左側)も設けられています。
(現在はこの舞台での神楽の上演は成されていません。)
手水舎

両手を洗い口を漱ぎ心身を清めてお参りするために設けられています。
神門

神社の神域の境内と外部を隔てる門。

(神門の大注連縄(おおしめなわ)等は毎年年の瀬に氏子会の人達で新しく作り換えられています。)
神門横に2塔の石碑が置かれている、元もとは2塔とも、溝咋小学校(現JA星見付近・現玉島小学校の前身)の校庭にあったものが、安威川改修で閉校し移動、後の育英橋等の改修でこの場に移設された。

左の石碑は溝咋小学校(明治41年)開校の記念碑

右の石碑は忠魂碑である
(《このページのトップへ戻る》←クリック