天主堂01
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   天主堂の目次 

 1.栄光の折島天主堂
 2.折島の思い出
 3.折島付近の写真集
 4.新上五島町の写真集

 11.浦上天主堂
 12.三浦町天主堂
 13.イグナチオ天主堂(旧)
 14.石造りの教会堂
 15.大浦天主堂
 16.青砂ヶ浦天主堂
 17.頭が島天主堂
 18.大曽天主堂
 19.大阪・聖マリア大聖堂(玉造天主堂)
 20.予備
 31.司教座のある天主堂(カテドラル)


1.栄光の折島天主堂


 これが栄光の折島天主堂です。


 1983年9月、引渡し前の折島に上陸!大急ぎでシャッターを切った。


 折島天主堂裏側からのカットです。


2.折島の思い出


 折島は、上空から見るとひょうたん型に見えることから、一部の人からはひょうたん島とも呼ばれていた。私し個人的には、四つの鰭(ひれ)を広げた魚竜の形に見えることから、恐竜島と名づけていた。  ところで、この島の旧小学校(分校)付近は、元々小さな砂浜のある湾になっていて、学校の石垣により、砂浜が狭くなったものの小さな砂浜でも充分プライーベートビーチの要素をが残していた。遊泳禁止でしたが、内緒で海水浴をしていた。
 この湾には桟橋があり、青方との定期渡海船(はまゆう)が一日数回往復していた。(青方−浜の浦−折島ル−トでした。)


 写真中央の木造2階建ての崩れかけた建築物は、旧折島小学校(浜ノ浦小学校折島分校1966年1月廃止)である。後に、青方小学校と統合される。
 右側のひし形の石段は島の主要な山道に階段状に敷設している石段の一部である。


3.折島付近の写真集


折島の全景のカットです。


折島裏側のカットです。左側の写真は折島で最も広い原っぱ通称名「千畳敷」と呼ばれる場所の裏手にあたる。

 折島は1976年(昭和51年)に無人島化した島。面積0.32k屐∩環890m、最大高60m、最大人口230人。江戸期迫害を逃れ、長崎の大村方面からキリシタンが島を買い上げ移住した。


4.新上五島町の写真集


 青方郷方面のカットです。

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  ( ヽノ   ヽ/  )   ハァ
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11.浦上天主堂




 この写真は改装前の浦上天主堂です。




 この日は絶好の写真日和でした。






12.三浦町天主堂





13.イグナチオ天主堂(旧)





14.石造りの教会堂


 こんな石造りの教会堂もあるもんだ!
 栃木県内の教会堂だと思われます。



15.大浦天主堂





16.青砂ヶ浦天主堂






17.頭が島天主堂


 近くの島から切り出された天然の石造りの天主堂です。



 この天主堂がある島は過疎化が進み・・・・。


18.大曽天主堂





19.大阪・聖マリア大聖堂(玉造天主堂)


 塔屋のカットです。ここの鐘の音は玉造り中に響き渡ります。


 聖堂入り口と歴史に残るキリシタン「高山右近」と「ジュリア」の絵?

20.準備中


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31.司教座のある天主堂(カテドラル)



 長崎大司教区の大司教座大聖堂(浦上天主堂)である。
長崎市内爆心地より東北側数百メートル(爆弾は空中約百メートルで炸裂)の小高い丘の上にひっそりとそびえ建っている。 赤レンガに模様替えしたのは、西暦1980年(昭和55年)である。




 大阪大司教区の大司教座大聖堂(聖マリア大聖堂)である。
私の記憶が正しければ大阪市旧東区玉造にある。




 韓国ソウル市内にある明洞大聖堂である。
韓国キリシタンの歴史を感じさせて貰える。




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