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今週の主張10月16日
「皇太子さまお生まれなった」と三島の「祝婚歌」


(1)「鳴った 鳴った ポーオ ポーオ」。実にいい歌だ

 「皇太子さまお生まれなった」を久しぶりに聞いた。実に、いい歌だ。歌まで作って全国民が喜び、お祝いしているのだ。昭和8年12月23日、皇太子さま(今の天皇陛下)が生まれた。その喜びの歌だ。
 今年9月に秋篠宮妃に親王さま(男の子)が生まれた。あっ、昔なら歌が作られたろうに、と思った。そうだ、「皇太子さまお生まれなった」という歌だ、と思い出した。昭和8年だから、私はリアルタイムで聞いたわけじゃない。NHKだと思ったが、昭和の歴史を放映してる時、紹介されたのだ。小さな子供たちが歌っている。いい歌だ。こんなにも皆が、喜んで、日本人として全員が一体になっている。ほのぼのと温かいものを感じた。うらやましかった。


 その歌が入ったCDを、探していた。やっと手に入ったのだ。その前に、一冊の本から、この日の喜びを紹介しよう。工藤美代子『ジミーと呼ばれた日。若き日の明仁天皇』(恒文社)という本だ。明仁天皇は今の天皇だ。ヴァイニング夫人が来日し、皇太子さまの家庭教師になった。又、学習院でも教えた。その時、生徒全員にアメリカ名を付けた。皇太子さんは「ジミー」だ。凄い話だ。でも、抵抗はなかった。その頃の話を書いている。最近、又、読み返してみて、いろんな発見があった。さて、皇太子さまが生まれた日のことだ。
 待ちに待った誕生だったし、歌まで作られた。それほど国民が喜んだのには訳がある。昭和天皇と良子皇后の間にはすでに4人のお子さまが生まれていたが、内親王(女の子)ばかり。そして、やっとのことで、第5子が男の子。だから、国をあげての慶祝となったわけだ。今と違い、天皇は国家の元首だ。現人神だ。工藤の本から引く。

 〈待ちわびていた皇太子の誕生で、日本中が慶祝行事に沸いた。花電車が走り、昼は旗行列、夜は提灯行列と人々が万歳を叫びながら続いた。国民は、北原白秋作詞、中山晋平作曲になる「皇太子さまお生まれなった」と題された歌を口ずさんだものだった〉

 「お生まれになった」ではなく、「お生まれなつた」だ。「に」を取ったところに北原白秋らしいこだわりがある。このCDは必死に探して、やっと見つけた。Victorから出ている。「戦中歌年鑑」の第一巻に入っていた。ここには、全部で21曲入っている。「入営の歌」「討匪行」など有名な歌から、こんな歌もある。
 「満州行進曲」「満州国国歌」「満州国皇帝陛下奉迎歌」「肉弾三勇士」「東郷行進曲」…などだ。当時の歴史を知る上では貴重な曲だ。
 では、「皇太子さまお生まれなった」の歌詞を紹介しよう。

 皇太子さまお生まれなった
   作詞・北原白秋 作曲・中山晋平
 日の出だ 日の出に
 鳴った 鳴った ポーオ ポーオ
 サイレン サイレン ランラン
 チンゴン
 夜明けの鐘まで
 天皇陛下お喜び
 皆々かしわ手 うれしいなお母さん
 皇太子さま お生まれなすった

 日の出だ 日の出に
 鳴った 鳴った ポーオ ポーオ
 サイレン サイレン ランラン
 チンゴン
 夜明けの鐘まで
 皇后陛下お大事に
 皆々涙で 有難うお日さま
 皇太子さま お生まれなすった

 日の出だ 日の出に
 鳴った 鳴った ポーオ ポーオ
 サイレン サイレン ランラン
 チンゴン
 夜明けの鐘まで
 日本中が大喜び
 皆々子供が うれしいな有難う
 皇太子さま お生まれなすった

 昭和8年12月23日の誕生に流された。それから、しばらく流れたのだろう。さらに、このレコードは翌昭和9年1月に発売されている。
 三島由紀夫はこの時、8才。勿論、この歌を聞いている。その全国民の喜びの歌を覚えていたから、「祝婚歌」(昭和34年4月)を作詞したのだろう。今の天皇陛下は誕生した時も、結婚の時も、歌が作られ、祝福された。いい話だ。しかし、それ以後、こうした喜びの風潮がない。ちょっと淋しいではないか。三島の「祝婚歌」の歌詞は『決定版・三島由紀夫全集』の37巻(詩歌)に載っていたので紹介しよう。いや、その前に、「皇太子さまお生まれなった」の話をもう少しする。
 タイトルは「お生まれなった」で、歌詞の中では、「お生まれなすった」になっている。北原白秋の詩人としてのこだわりなのかもしれない。
 歌詞の中で、「サイレン サイレン」とあるのは、内親王(女の子)なら一回、親王(男の子)なら二回、サイレンが鳴りわたる決まりになっていた。それを言ったのだ。新聞記者に聞いたが、今回の秋篠宮妃の出産でも、号外は「親王なら4ページ」「内親王なら2ページ」と決まっていたそうな。それで、皆、4ページになった。さらに、最後のページはどこも英語版になっていた。各社で打ち合わせをしたのだろうか。

(2)何と、軍部、米軍、中国が「皇太子拉致」を考えていた!

 工藤美代子の『ジミーと呼ばれた日』には、明仁天皇(今の天皇)の誕生が、いかに国民に喜ばれたか、待たれたかが詳しく書かれている。昭和天皇と良子皇后の間には続けて4人の内親王が生まれた。女の子ばかり4人。国民も不安になる。そして、いろいろな〈対策〉が検討される。

 〈そのため、天皇に側室を持たせるという計画が水面下で秘かに進められたのは、今ではあまりにも有名な話である。
 ここで暗躍したのが元宮内大臣・田中光顕(みつあき)だった。田中が、自ら側室候補として三人の令嬢を選んだ。健康で多産系の家柄であることが条件だった〉

 でも昭和天皇は断わったのだ。第5子が男の子だったから良かったが、危うい賭けだ。奇蹟というか「神風」だろう。今回の秋篠宮妃出産だってそうだ。おめでたいことだが、かなり危ない綱渡りでもある。
 でも、田中光顕の選んだ3人は、どんな人だったんだろう。「健康で多産」の3人だ。見てみたい。歴史には登場しない3人だ。
 もし、このまま男の子が生まれなかったらどうする。昭和天皇も考えた。側近も考えた。天皇の弟宮たちがいるから、「男系男子」が絶えることはない。でも、心配だ。やはり天皇・皇后さまに生まれた親王が次の天皇になってもらいたい。そう思った。それで、「じゃ、側室を」という人がいる。さらに、こんなことを考えた人もいたそうな。

 〈良子皇后が第5子を出産する時期も近づいた昭和8年9月には、奇妙な噂が宮中とその周辺をかけめぐっていた。
 それは、もしも今度、皇后が親王を出産しなかったら、天皇は退位をして、弟の秩父宮に譲位するだろうという噂だった〉

 実際は、「そうすべきだ」と言った人もいたのだろう。憲法や皇室典範でも譲位など認めてないのに、「譲位すべきだ」と不敬なことを口走る奴がいるんだ。ひどいね。前に紹介したが、今の天皇が美智子さまと婚約した時、「こな屋の娘が皇后では尊敬できない」と反対した右翼が多くいた。又、「恋愛ごっこにうつつを抜かしている皇太子ではダメだ。弟の義宮に皇太子を譲れ!」と言う人もいた。さらには今回、秋篠宮妃に親王が生まれたら、この親王が次の皇太子になれるようにすべきだ。そのためには、今の皇太子はやめて、秋篠宮を皇太子にすべきだ、といってた評論家もいた。いつの世も、臣下から皇室に対し、ああしろ、こうしろと失礼なことを言いつのる人々はいるもんだ。
 工藤美代子は、ご出産前の〈奇妙な噂〉を書いてるが、この本にはさらに、敗戦直後の〈奇妙な噂〉もいくつか紹介している。ホントかな、と思うのも多い。一体、どこから聞いたのだろう。実は、こんな噂だ。

 〈東京でも無条件降伏を納得しない陸軍の少壮将校グループが宮中になだれ込む事件があった。それと同じように宇都宮連隊の一部抗戦部隊が皇太子を拉致して会津若松に籠り、徹底抗戦を継続しようとする動きがあったのである〉

 ホントかなと思う。でも、「宇都宮連隊」「会津若松」と具体的な名を出している。「幻の皇太子拉致事件」について書いたものは他にあるのだろうか。知りたい。
 でも、会津若松については別の噂も聞いた。敗戦の時、「万歳!」をやったという噂だ。役所でも民間でも、「これで薩長の日本が滅びた!」と言って喜んだという。まさか、と思ったが、「いや、本当です」と言う人が何人かいた。明治維新では〈賊軍〉とされ、抑圧され続けた会津。西南戦争の時は、警察官に志願し、「戊申の恨み、思い知れ!」と西郷軍に斬りかかったという。ここまでは本当だ。しかし、大東亜戦争で日本が敗れた時、「これで薩長の日本が敗れた!」と言って喜んだのだろうか。にわかには信じられないが。
 さて、工藤の本に戻る。敗戦直後の〈噂〉だ。
 〈これに続いてもう一つの情報が奥日光にもたらされた。それは憲兵隊からのもので、アメリカ軍が本土に進駐してきた場合、皇太子を人質としてアメリカ本土に強制拉致する可能性があるという内容だった〉
 又しても「拉致」だよ。北朝鮮よりずっと前に、軍人や米軍は拉致を考えていたんだ。でも、米軍の拉致は、報告した憲兵の「恐れ、作文」かもしれん。でも、憲兵のいうことだ。そうなったらどうするという対策も練られたという。

 〈そこで、もし進駐軍が押し寄せて来たら、同級生の1人を身代りに立てて、皇太子は会津若松に避難させるという案が出された〉

 「身代り」を立てて、アメリカに送るのか。かわいそうに。まるで歌舞伎の「寺子屋」のようだね。それに、又しても会津若松だ。会津は「薩長の日本が敗けた!」と喜んだんだよ。皇太子を連れてこられても迷惑だろう。ましてや、皇太子を立てて、徹底抗戦なんかしないよ。戊辰戦争の時にあれだけ会津は戦った。だから今回も戦ってくれ。という一方的な願望があるんだろう。やっぱり、迷惑な話だよ。そうそう、皇太子の「身代り」の話だ。続きがある。

 〈学友を身代りに立てるのは、いくらなんでも乱暴な話で後世のそしりを受けるのではないかと反対する侍従もいたが、皇太子の軍事教育御用掛である高杉善治は、身代りに立つ生徒も父兄も国のため喜んで引き受け、一世一代の栄誉だと思うはずだといい張り、いざという場合の準備をした〉

 ウーン、全くの無責任な〈噂〉じゃないのか。だって高杉善治と具体的な名前まで出ている。さらに調べる課題が増えた。昭和史研究家の人々に聞いてみよう。

 〈これとは別に、天皇と皇太子が中国に戦犯として連行されるかもしれないという情報も流れていた〉

 次から次と「衝撃の事実」が明らかにされるんですね。いや、「事実」か「噂」かは分からんが。しかし、皇太子さまも大変だ。生まれた時は、歌も作られてお祝いされたのに、11年後には敗戦。軍人に拉致されて会津若松に行くか。アメリカに拉致されるか。中国に拉致されるか。各方面からの拉致の危険にさらされていたのだ。

(3)天才三島の荘厳な「祝婚歌」。心して読め

 ちょっと話は変わるが、ヴァイニング夫人は皇太子に「ジミー」という名前をつけたが、姉宮にも名前をつけていた。

 〈皇太子のすぐ上の姉宮である順宮(よりのみや)も学習院女子部に在籍しており、夫人は週に一回、授業をしていた。女生徒たちにも英語の名前がつけられ、順宮はパトリシアと呼ばれた。その名前が好きだと、順宮は皇后に語っている〉

 語られた皇后さまも心中複雑だったでしょう。でも、「あら、よかったわね」と言ったのか。「毛唐の名前なんかつけられて、喜ぶなんて…」と思いながらも…。ついこの前までは「鬼畜米英」で戦ってたのに。変われば変わるもんだ。皇太子はジミー。姉宮はパトリシア。お父さんはチャーリー。まるでアメリカ人の一家だ。
 天皇が「チャーリー」と外人記者から呼ばれたという話は、映画「太陽」に出てくる。本当かよと思ったら、マーク・ゲインの『ニッポン日記』(ちくま学芸文庫)に出ていた。だから本当の話だろう。なんでもチャーリー(チャーリー・チャップリン)に似てるからだとう。失礼な話だね。でも、アメリカに負けたんだから、何を言われても仕方ないと思ったのか。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍びだ。
 でも、順宮のように案外、みん喜んでいたのかもしれない。じゃ、私も学校の生徒に英語名をつけて呼ぼうか。君はメロンちゃん。君はアップルちゃん。君はボインちゃん。君はペチャパイちゃん。君はナッシングちゃん…とか。クビになっちゃうだろうな。

 では最後に、三島由紀夫が作詞した「祝婚歌」だ。作曲は黛(まゆずみ)敏郎。昭和34年10月10日(金)。ご成婚パレードのあった夜、NHKホールで「皇太子ご結婚祝賀演奏会」が行なわれ、そこで演奏された。三島も出席している。演奏はNHK交響楽団、指揮はウィルヘルム・シュヒター、合唱、東京放送合唱団、東京混声合唱団、二期会合唱団。この模様は、NHKラジオ第一、NHKテレビ(午後7時30分〜8時)で放送、放映された。
 この時、私はラジオで聞いたのかもしれないが覚えがない。その後、黛敏郎の「題名のない音楽会」で演奏したそうな。これはいい番組だったし、よく見てたが、この回は記憶がない。ビデオは出してないのだろうか。それで誰かビデオを録ってる人はいないかと、メールを世界に向けて発信した。そうしたら、オーストラリアの人が一人、ビデオを録ってるという。ただ、いま、アフリカを旅行中で、帰るのは来年の2月だという。それからでもいいから送ってくれと頼んだ。手に入ったら、又、ここで報告しませう。
 さて、三島の「祝婚歌」だ。これが、何と、難解だ。聞いてる人でも意味の分かった人はあまりいないんじゃなかったろうか。少なくとも手元に歌詞がなかったら、分からん。あっても難しい。「皇太子さまお生まれなった」のように、分かりやすく、手放しで喜んでる歌ではない。三島34才だが、文豪・三島の名にかけて、北原白秋とは又、別の文学作品を作ろうと意気込んだのだろう。では紹介する。心して読むように。

〈  祝婚歌(カンタータ)
 --日本書紀巻十七
 勾大兄(まがりのおひね)の皇子と春日の皇女の婚姻の相聞歌のパロディー
(皇子唱ふ)
貴人(あてびと)に妻求(ま)ぎかねて
鞠競(まりくら)べ その庭もせに 賢(さか)し女(め)を 有りと聞きて
麗(くは)し女を 有りと聞きて 人目避く 菊の帷(とばり)を 押し開き 我出で立ち
妹(いも)が手を 我に纏(ま)かしめ 我が手をば 妹に纏かしめ さ婚(よば)ひに 婚(よ)ばんとすれど
たまかぎる はろかの声に 声のみぞ 天馳使(あまはせづかひ) 庭つ鳥 鶏(かけ)は鳴くなり
路つ鳥 車は動(とよ)む 愛(は)しけくも いまだ言はずて 明けにけり 我妹(わぎも)

 (妃唱ふ)
信濃なる 軽井の沢ゆ 流れ来る 竹の 茂(いく)み竹 吉竹(よだけ)
本辺(もとへ)をば 柄(え)に作り 末辺(すゑへ)をば 網に作り 長居(ながゐ)る 鞠場(まりば)の上に
下り立ち 我が見せば 天霧(あまぎ)らふ 雲場の池の 水下(みなした)ふ 魚も上に出て歎く
やすみしし 我が大君の 結び垂る 領(えり)の御帯(みおび)の 紅に 頬赤らけみ
声のみぞ 天馳使 汝(な)を除(お)きて男(を)は無しと言ふ
〔春祝 34.4〕〉

 今、書き写していて、やっと「パロディ」という意味が分かった。一番は勾大兄の史実。そして二番は、現在になっている。軽井沢のテニス場で、ラケットをもって、鞠競(まりくら)べをされる皇太子さまと美智子さま。それが日本書紀の物語のようだと三島は歌っている。さすがですね、この大文豪は。パロディというと、あまりいい意味では言われないが、これは違う。あくまでも日本書紀に題材をとって書きましたよ、という意味の謙遜なのだ。難解だ、と言ったけど、こうして書き写してみると、よくわかる。実にいい歌だ。

(4)まさに、「インペリアル・ルーレット」なんだ!

 ついでにもう一つ紹介しよう。三島は開戦の時も詩を作っている。「大詔」と題する詩だ。昭和16年12月8日の真珠湾攻撃及び米英との戦闘状態に入ったことを受けた書かれた詩だ。「文芸文化」(17年4月号)に載っている。これを書いた時、三島は16才。この年にして、こんな凄い詩を書いていた。やはり天才だ。

 大詔
 やすみししわご大皇(おほきみ)の
 おほみことのり宣(のたま)へりし日
 もろ鳥は啼きの音(ね)をやめ
 もろ草はそよぐすべなみ
 あめつちは涙せきあへず
 寂(せき)としてこゑだにもなし
 朗々とみことのりはも
 葦(あし)はらのみづほ国原
 みなぎれり げにみちみてり
 時しもや南の海 言挙(ことあげ)の国の首(かうべ)に
 高照らす日の御子(みこ)の国 流涕(りゅうてい)の剣(つるぎ)は落ちぬ
 眩しき声放たれぬ 敵共(あだども)の涜(けが)しし海ゆ
 海神(わたつみ)ら怒りきそひて 撃たれてし敵(あだ)の船人(ふなびと)
 玉藻刈る沖にしづめぬ
 かちどきは今しとよめど
 吉事(よごと)はも いよいよ重(し)けども
 むらぎものわれのこころは いかにせむ
 よろこびの声もえあげずただ涙すも。
〔文芸文化・17・4〕

 三島は16才の時だ。高校1年か、その年でこれだけのものを書けた。万葉調で大東亜決戦を詩にしている。天才だ。

 ここで終わろうと思ったが、ちょっと気づいたことがあるので、再び「皇太子さまお生まれなった」の歌について書く。
 元・楯の会の伊藤邦典氏が上京し、共同通信の記者と三人で飲んだ。共同では楯の会の人々を取材し、実にいい記事にまとめていた。「三島由紀夫と楯の会」と題し、「重い体験、次代に伝える」「語り始めた元会員たち」と見出しが書かれている。
 僕もコメントを求められて喋った。「神に出会った幸せと悲劇」と題して語った。〈神〉とは三島だ。共同発だから全国40紙くらいに載ったようだ。(9月20日に)その新聞をもらった。その時、僕が「皇太子さまお生まれなった」の話をした。秋篠宮妃のご出産で思い出したのだ。実にいい歌だった。…と。HPにもそれを書きましたよ、と言った。そしたら、共同の記者は、「倉田さんも今回、その歌を思い出したといって、原稿を書いてくれましたよ」と言う。皇室問題に詳しい倉田保雄さん(評論家)だ。あとでFAXしてくれた。「『万世一系』常にリスク」という原稿だった。倉田さんはロンドンのロイター通信にいたりして、世界の王室事情に詳しい。これは読んで勉強になった。
 イギリスなどの王室は外国の王室と縁つなぎで、「万世多系」だ。ロンドンで発行された『100人の英王位継承者』によると、1986年現在の英王位の継承順位は、チャールズ皇太子に始まり、ウイリアム、ヘンリー両王子を経て、50人目はノルウェー王家、52人目はルーマニア王家、70人目はユーゴスラビア王家、71人目はロシアのロマノフ王家、100人目がプロイセンのマリー・セシル王妃となっている。
 これは凄い。これでは断絶の危機はない。ヨーロッパの王室は皆、万世多系で、さらに女王容認、長子継承制など柔軟に時代の流れに対応しているため安泰だ。さしあたり「王冠安保」は確立している。
 倉田さんが、英人記者に日本の「万世一系」を説明したら、驚いたという。「インペリアル(皇室)・ルーレットだ!」と。つまり、「賭け」だと。今回の秋篠宮妃のご出産も、「ルーレット」を感じた。さらに昭和8年の「皇太子さまお生まれなった」を思い出し、「ルーレット」という言葉を思い出したという。

 〈戦中派の私はいまの天皇の誕生前のルーレット状況を子供ながら感じていた。それだけに昭和8年12月23日早朝にサイレンが鳴り始め、ラジオ(JOAK)の臨時ニュースで皇太子誕生の報を聞いたときにはとてもうれしかった。
 街中に提灯行列が繰り出され、お祝いムードは盛り上がった。JOAKは早速、皇太子さまご誕生奉祝の歌を流し始めた〉

 そして、「日の出だ 日の出に 鳴った鳴った ポーオ ポーオ」の歌が紹介されている。そして、こう結んでいる。

 〈まさか十年ほど後に、同じサイレンが空襲警報として鳴り響くとは----〉

 そうですね。大東亜戦争に突入し、初めはよかったが、米軍の本土空襲を受け、その時のサイレンになるんですよね。なかなか含蓄のある文章だ。いい文だ。オワリ。

【だいありー】

(1)10月10日(火) 5:30p.m.から「桜チャンネル」で潮匡人さんと対談しました。放映は10月14日(土)の夕方7時から。

(2)10月11日(水) 昼・取材。夕方、雑誌の打ち合わせ。夜、柔道に行った。腰もやっと治ったようだ。おそるおそる体を動かした。治って、本当に命びろいした。一時は、椅子に座っていられないほどで、寝床で腹ばいになって原稿を書いていた。喫茶店で座って本も読めない。腰が全体に痛くて、まるで生理の時のようだ。しゃがめない。トイレも出来ない。うん、こうしてはいられない。と思うが、できない。地獄だった。だから何日も出来ない。たまっちゃう。このままじゃ憤死しちゃうよ。苦しい。腹ふくるるわざじゃ。でも、腰が痛くて、しゃがめない。いきめない。このままじゃ腹がパンパンになって、カエルの王様になっちゃう。苦しい。思い余って、病院に駆け込み、「お願いだ!帝王切開してくれ!」と叫んだ。いや、駆け込みそうになった。
 そんで、骨法整体に2回、通った。それから、スーッと治っていった。忙しくて、眠れないし、いろいろ無理をしたかららしい。柔道で受け身をとりそこねて腰を打ったのだと思ったが、どうも頚椎の歪みだという。それを治してもらって、腰がスーッと楽になった。
 帰りに、薬局で便秘薬を買った。恥ずかしかった。でも、子供時代からクスリは飲んだことがないから、すぐ効くだろうと思った。さらに、牛乳を飲むと腹をこわすので、ずっと「封印」してきた。今こそ、その封印を解く時だ。そんで薬二錠と牛乳をガブガブ飲んだ。そしたら何と、1時間後に無事、オギャーだ。単純な肉体だ。一時は帝王切開まで考えたのに。よかった。よかった。骨法整体のおかげです。ありがとうございました。

(3)10月12日(木)11:00a.m. 新聞社の取材。3:00p.m.から河合塾コスモ。夜、取材。

(4)10月13日(金) 昼、浅草公会堂に行く。「戦場体験を語り継ぐ元兵士・軍属1000人展」を見る。とても勉強になった。実にいい展示だった。
 夜、牛込箪笥(たんす)区民会館。「おかしいぞ! 警察・検察・裁判所」の第5弾。

(5)10月14日(土) 2:00p.m. 雑誌の座談会。
 7:00p.m.から「桜チャンネル」。木曜に収録した、潮匡人さんの「桜戦略研究所」が放映された。

【お知らせ】

(1)10月16日(月) 「漫画実話ナックルズ」発売。見沢知廉特集。見沢氏の闘いが漫画になってます。又、塩見さんなど多くの友人が思い出を書いてます。私も書きました。これは是非読んで下さい。

(2)10月18日(水) 「わしズム」(秋号)発売。特集は「真の不安・偽りの不安」。座談会では、小林よしのり、森達也、富岡幸一郎、稲田朋美氏らと共に、私も出ています。
 「サイゾー」(11月号)発売。皇室問題について書きました。

(3)10月23日(月) 7時、一水会フォーラム。高田馬場駅前、サンルートホテル宮崎学さんが講師で、「突破者から見た安倍政権」です。

(4)10月29日(日) 午後6時から、神奈川県民センターホール。「週刊金曜日」を応援する会・神奈川主催で、「どうなってんだ日本は! 今、愛国心を考える」。北村肇さん(週刊金曜日編集長)と私の対談です。予約申し込みはインターネットで下記へ。

http://www.fiberbit.net/user/jo8c79/T1.htm
mail:jo8c79@fiberbit.net

(5)11月4日(木)から、ポレポレ東中野で「9・11〜8・15 日本心中」の公開。11月11日(木)は夜の回の上映後、10時40分から監督と私のトークがあります。

(6)11月8日(水) 7:30p.m.からロフトプラスワン。元日本共産党No.4の筆坂秀世さんと私のトークです。テーマは「改憲の是非を問う」。

(7)12月9日(土) 弁護士さんの集まりで講演。

【追伸】

(1)保坂展人さんの国会レポート「元気印通信」(No.56)に載りました。ネーキッド・ロフトでやった対談(9月15日)です。よくまとまってます。
 学校で愛国心を教えるというが、大体、愛国心を教えられる人なんているのか。愛国心検定をやって、「教える人」を育てるのか。あるいは、「有識者会議」でもつくるのか。それなら僕も入れてほしいと言ったら、保坂さんが言ってました。

 「その前に、教育基本法特別委員会の参考人に社民党推薦、あるいは野党枠で来てもらいましょう(笑)」
 「いいなあ。ぜひ呼んでください」と私も答えました。もしかしたら実現するかもしれませんよ。

(2)「日の丸・君が代強制」に違憲判決が出た。「アエラ」(10月9日号)で私がコメントした。でも、私なんかが「解説」したんでは申し訳ないと思っていた。ところが次週の「アエラ」(10月16日号)の「読者の声」でこんな投書が載っていた。ホッとした。
 〈今回の判決について、裁判長を批判したり、卒業式が混乱すると言う人もいたりと、反響は様々だが、新右翼の鈴木邦男さんが指摘しているように、日の丸・君が代を使って教員を強制したり、その忠誠心をはかったりすることが問題なのだ。
 新聞に載った投書を読んでいても、ポイントがバラバラで、誰か整理してくれないかと思っていたところだった。鈴木さんの意見は的を射ており、とてもわかりやすくて良かった〉

(3)足立正生監督の衝撃の映画「幽閉者(テロリスト)がユーロスペースで07年正月第2弾としてロードショー公開されます。日本赤軍のテルアビブ事件と岡本公三を描いた映画です。ともかく、凄い映画です。

 

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