◆文学散策◆


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原  阿 佐 緒
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原阿佐緒記念館 歌碑(野草園) 略 歴 参 考 文 献

宮城県大和町生まれの女流歌人。明治21年(1888)〜昭和44年(1969)。
宮城県高等女学校(現:県立第一女子高等学校)を経て日本女子美術学校日本画科に入学。その頃から短歌を始める。与謝野晶子に認められ、『スバル』『アララギ』などで活躍する。当時、九条武子・柳原Y子(白蓮)とともに日本三閨秀歌人の一人に数えられた(2)
その後、東北帝国大学教授石原純との恋愛事件を起こし、歌壇から遠ざかった。
 
 


 
原阿佐緒歌集より
 
 
  原阿佐緒は四編の歌集を残している。大正2年3月、「アララギ」に入会し、5月には東雲書房から処女歌集『涙痕』を出版した。彼女が26歳のときであった。ここには与謝野晶子の序文と、吉井勇の序歌が載っている。華やかなスタートであった。
 
 大正5年11月、29歳のとき第二歌集『白木槿』を出版した。その翌年、理論物理学の世界的権威、東北帝国大学教授石原純と知り合う。このあと二人には大きなスキャンダルが待っているが、二人はこれをどう受け止めたのだろうか。
 
 大正10年10月(34歳)、第三歌集『死をみつめて』」出版。題名に悲しい思いが表れている。健康を害し、貧しい生活の中で、死を乗り越えて生きようということなのか、石原純とのスキャンダルが予想外の打撃を与えたのか。右の歌にも苦しい胸のうちがにじみ出ている。
 
 昭和3年10月、41歳のとき第四歌集『うす雲』を出版した。
 石原純とは大正11年(35歳)から千葉県保田海岸で同棲生活を始めたが、この恋愛も7年で破局を迎えたという。したがってこの『うす雲』は、どうにもならない絶望のなかの歌なのか。

 原阿佐緒の写真はあちこちで目にすることが出来るが、残念ながら筆者の手元にはない。原阿佐緒記念館のパンフレットにも写真が載っているが、著作権の関係で転載の許可は得られなかった。なかなかの美人であったようだ。 
 


  
原阿佐緒記念館
  
宮城県黒川郡大和町宮床に原阿佐緒の生家があり、「原阿佐緒記念館」として残されている。明治のロマンを残す洋館である。

 
[ 原阿佐緒記念館 ]
■ 住 所 黒川郡大和町宮床字八坊原19番地2
■ 電 話 (022) 346−2925
■ 交 通 仙台駅から車で約45分、バスで約60分
 
 
記念館前庭の歌碑
 

 
 
 澤蟹を ここだたもとに 入れもちて
               耳によせきく 生きのさやぎを
阿佐緒 
 


歌碑(野草園)
 
  野草園の入口近くの道路沿いに原阿佐緒の歌碑がある(下の写真)。 この碑は、阿佐緒と同郷の後輩であるアララギ派の女流歌人扇畑利枝の計画がもとにより、五百名に近い文化人の協力を得て、昭和36年(1961) 6月2日除幕された(2)
 自然の地形を生かした「野草園」は、仙台駅から西方向へ約3キロのところにあり、四季折々の野草が楽しめる。仙台駅から市営バス「野草園前」行きが出ている。
 
 歌碑に刻まれた歌は、
 
家ごとにすもも花咲くみちのくの春べをこもり病みて久しも   阿佐緒

とある。

「歌碑」に刻まれた歌
 

 

略 歴 (1) (2)
明治21年
1888年
   1歳
6月1日、黒川郡宮床村(現:宮城県大和町宮床)に生れる。
   34年
1901年
14歳
宮城県立高等女学校(現:県立第一女子高等学校)入学。
36年
1903年
16歳
同校病気中退(肋膜炎)。
37年
1904年
17歳
母と上京、日本女子美術学校日本画科入学。
      同校英語・美術史教師、妻子ある小原要逸に出会う。阿佐緒、悲劇の始まり。
39年
1906年
19歳
奎文女子美術学校に転校し、翌年秋卒業。
40年
1907年
20歳
仙台にて創刊された「東北文芸」に参加。7月、自殺を図るが未遂。12月、長男千秋誕生。
41年
1908年
21歳
4月、小原要逸、千秋、母と帰郷。間もなく小原と離別。作歌に熱中。
42年
1909年
22歳
宮城女学校絵画教師となる。
43年
1910年
23歳
「スバル」 に、「原白百合」 のペンネームで短歌を発表。
大正2年
1913年
26歳
1月、「青鞜」に歌を発表。
 
    3月、「アララギ」に入会。
      5月、処女歌集『涙痕』を「東雲書房」より出版。
大正 3年
1914年
27歳
2月、洋画家庄子勇と結婚。これも失敗。
4年
1915年 28歳 1月、次男保美誕生。
5年
1916年
29歳
11月、第二歌集『白木槿』出版。斎藤茂吉に師事。
6年
1917年
30歳
12月、理論物理学の世界的権威、東北帝国大学教授石原純と知り合う。島木赤彦に師事。
8年
1919年
32歳
石原純と恋愛事件を起す。
10年
1921年
34歳
10月、第三歌集『死をみつめて』出版。
11年 1922年 35歳 5月、千葉県保田海岸で石原純と同棲生活するも7年で破局。
      11月、石原純、アインシュタイン来日に伴い、その講演を通訳。
昭和 3年
1928年
41歳
10月、第四歌集『うす雲』出版。
10年
1935年
48歳
故郷宮床に帰る。
22年
1947年
60歳
石原純死去(享年67歳)。
29年
1954年
67歳
神奈川県真鶴町にて次男保美夫婦と同居。
34年
1959年
72歳
東京杉並の次男保美の新居に移る。
36年
1961年
74歳
6月、仙台市大年寺山にて第一歌碑除幕式。7月、宮床にて第二歌碑除幕式、阿佐緒出席。
44年 1969年 82歳 2月21日、東京にて死去(心不全)。


[参考文献]
(1) 原阿佐緒記念館 「パンフレット」
(2)
佐々 久
吉岡一男 監修
「仙台の散策」 歴史と文学をたずねて
昭和49年8月1日第1刷発行 平成11年4月30日改訂版発行
(3) 大原富枝  著 「原阿佐緒」
講談社 1996年02月28日発行


初 版 : 2002.02.26 改 版 :  2003.09.18 文 責 : 三 輪  修