青木ヶ原樹海その2

 青木ヶ原は富士山の噴火で流れでてかたまった溶岩の上にできた樹海だそうだ。溶岩の層の下にぽっくり空いた穴や窪地がある。
 窪地はコケにほんわかフカフカと覆われている。ごくたまにところどころに引っかき傷のようにコケが幾すじがはがれているところがある。イノシシがほじった跡だそうだ。
 老夫婦のおじさん(60代後半)が、
「イノシシって、体についたノミを落とすために地面を転がったりするってきいたことがあります。その跡じゃないでしょうか」と言っている。
 このおじさんは好奇心旺盛でかつ一言多く、
「青木ヶ原って自殺者で有名ですよね。自殺者とか白骨が見つかったところって知っていますが。自殺者ってやっぱりけっこういるんですか」
 とガイドのおねえさんにきいている。おねえさんは、
「自殺者は見たことがありません」
 と返答してから、この辺で一度きちんと言っておかなければならないというように、みんなをまわりに集めた。
「自殺者について話しておきます」
 とおねえさんは言った。
「たしかに青木ヶ原で自殺する方もいます。でも、地元の人たちは皆で協力して自殺防止につとめています。とくにおひとりのお客さんには気をつけています」
 ひとり客ってまさにオレのことじゃないか。
「注意しているとそのような方は雰囲気でわかります。なんとなく立居振舞が不自然なのです。そんな時には、なにげなく声をかけるようにしています。
 皆でなるべく相談に乗るようにしています」
 とのことだった。
「行方不明の方がでた時は、地元の人たちも捜索に協力します。
 樹海は地元のこの辺になれた人でも気をつけないと迷ってしまいます。ですから捜索の時には、ヒモを木の幹に結んだり、地面に垂らしたりして迷わないようにしています」
「……」
「どこでも同じような景色ですし、まっすぐに歩いているつもりでも、木の幹や根をわずかに避けたりするだけでも、ずいぶんちがう方向に進んでしまうことがあります」
 老夫婦のおじさんが、
「人間の方向感覚って当てにならないそうじゃありませんか。
 テレビで見たことがありますけど、目をつぶっていると同じところで足踏みしているつもりでも、どんどん右前とか左前に歩いていってしまうんですね」
 話にそっていない発言のようにも思われたが、ぴったりと合致しているような気もしないではない。微妙な発言である。
「青木ヶ原樹海では磁石がくるって迷う人がいるってきいたことがあります。磁石は役に立たないのですか」
 これもおじさんの発言である。
「磁石がきかなくて迷うということはないようです」とおねえさん。「でも、磁石がくるうことはあります。ちょっと実験してみましょう」
 おねえさんは磁石を取り出し、むきだしの溶岩に近づけた。磁石は左右に10度ほどフラフラと揺れた。
 でもそれは溶岩に数センチに近づけた時だけで、それより離すと磁石は落ち着いて正確に方角を指していた。
「溶岩はかすかに磁気を帯びていますから、磁石を近づければ影響を受けます。でも、それで迷うことはないと思います」
 4人連れのおばさんたちは自殺とかは地球の反対側のチリとかアルゼンチンの出来事みたいな顔をして、退屈でそんなことはもういいからもっと先へ行きましょうよ、とその辺を歩きまわっている。
 わたしはこのツアー参加時に悩みをきかれたりしなかったので、自殺志願者がどうかのチェックには合格したようだ。でも、ひとり旅なので、彼女の自殺者の話題中どうもあまり居心地がよくなかった。
 歩きだしたガイドのおねえさんと並んで、さっきからずっと質問したかったことを尋ねた。
「青木ヶ原樹海って、もっと密林というかジャングルかと思っていました」
 樹海というからには、もっと樹々がモジャモジャと隙間なく密生しているのかと思っていたのだ。
「青木ヶ原樹海って、様々なイメージをもったお客さんが訪れるようです」おねえさんが言った。「訪れる人たちのそれぞれのイメージがあるようです」
 自殺者の人骨とかが発見されるということもあり、おねえさんによると、もっと密林をイメージしていた人たちが断然多いそうだ。
「上には空が見えますね。日が差すとむこうにも樹々の隙間に空が見えますね」とわたし。
「ええ」
「このあたりって、まだ樹海の入口ですよね。思っていたより木が密集していませんね。密林というか、樹海っぽくないですね。奥に行くともっとジャングルみたいになるのですか」
「奥に進んでも、樹々の密度はあまり変わらないようです」
「そうなんですか」
「それより、季節によるちがいのほうが大きいようです。松や杉の常緑樹が多いのですが、落葉樹もありますから」
 春や夏に比べると、落葉する秋や冬は密集度はグッと薄まるとのことだった。なんとなくがっかりした。もちろん樹海の奥深くまで踏み込むつもりはないんですけど…。
 とノンキなノー天気なことを言っていられるのは、ガイドさんつきのツアーで青木ヶ原樹海のほんのとば口の安全な道順を歩いているからなのだろう。
 ここをひとりで奥までずんずんぐいぐい進んでいくのは、やはり恐いというか、かなり勇気がいるのではないかと思った。

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