わが内なるムネオを許すな

 ついこの間まで、鈴木宗男という人物が散々たたかれていた。「疑惑のデパート」とはよく言い当てたもの。領土問題に絡めてまで自分の裏金作りに精を出していたというのだから、正に国賊。昔なら即、死刑に当たる大罪を犯したことになる。
 日本のマスコミは、最初にこういう政治屋の非を発見して誰よりも早くそれを報道するという勇気は持たないのに、いったんみんなが非難するようになると、大合唱で追いつめる。「水に落ちた犬をたたく」の言葉どおり。
 だからオレは、本来ならこの宗男みたいな人物の弁護をしたくなるのだけど、この人に限っては、とうていその気になれない。
 それは、この男が秘書をしていた中川一郎元農相が自殺した年に、農相の長男の昭一氏と跡目を争う形でこの男が総選挙に出馬したという報道を耳にしたときに直感したこと。その時以来、「この男はおかしい」とマークしていた。
 ふつう、政治家の秘書が立候補するときは、その政治家から推挙される形で円満に地盤を引き継ぐのが普通。それを、同じ地盤で肉親と票を争うというのなら、異常な行動だ。それは一種の謀反に他ならない。
 選挙の結果は昭一氏がトップ当選したが、この宗男もまんまと当選した。選挙民の目もいい加減なもの。この瞬間から、宗男はひたすら金儲けのために政治を利用することに全精力をかたむけていくことになる。
 宗男が衆議院選に出る1年前、彼は参議院選に出たい、と中川代議士に申し出た。それがそのまま宗男が他派に移籍することを意味すると直感した代議士がこれを止めたところ、宗男は、「ぼくにあやまれ!ぼくの女房にもあやまれ!」と言って中川代議士に迫ったという。
 この一件だけでも、宗男という人物がどんな品性の男かわかる。たとえどんなことがあろうと、主人がその使用人に謝る必要があるだろうか。主人が気に入らなければ、黙って去っていけばすむことだ。
 大学生のころ、風呂敷ひとつで押しかけてきて書生として雇われた男が、主人のあらゆる裏面を知ると、その利権を乗っ取ろうと画策するようになった。そして着々と準備を進め、主人が総裁選に敗れ、物心ともに傷ついて意気消沈した時期を見計らってクーデターを企てたのだ。
  本来なら、そんなときこそ、くたびれた主人を支え、再起を期すための手段を講じるのが女房役たる秘書の本分。その手腕が世間に認められてこそ、堂々と自分の権利や立場をアピールする日もくることだろう。それを、あろうことか、主人の寝首をかくような行動に走った。「恩をあだで返す」とはこのこと。中川元農相の自殺とこの男の行動が無関係であるはずがない。
  こんな人物を「日本の政治家なんてせいぜいそんな程度だよ」とか、「金儲けに無関係な政治家を望むほうがおかしい」なんていう月並みなせりふでこの男を評価するわけにはいかない。金のために、つまり私利私欲のために、恩人を売り、正義を売り、国を売った極悪非道な犯罪者と断罪されるべきだ。
 「いや、彼は地域のためによく働いてくれた人だよ」とか、「即断即決で行動力のある人なんだ」などという表面だけを捉えるならば、今のインテリヤクザはほとんどそういう人ばかりだ。人間の本質は、日常的な行動では判断できず、究極の場面でどんな行動をとるのか、そしてその行動原理は何なのかを見極めなければわからない。
 宗男の行動原理は、すべて金。金のためなら、土下座をしようが、芸能人を利用しようが、ヤクザを連れてこようが、手段を選ばない。骨の髄まで「金がすべて」という価値観に染まった卑しい人間にすぎない。
 こう考えると、このおじさんが急に哀れに見えてもくる。よっぼど金に恨みがある人なんだなとか、幼いときの貧しさがトラウマになってるんだとか、同情が湧いてくる。でも、それは無用。こういう人物に甘い社会が次から次へと金の悲劇を繰り返させるのだから。カネで人を裏切るのなんて平気という人が多すぎる。
 鈴木宗男を糾弾することは、自分自身の内側にある物質至上主義、拝金主義、事大主義を排斥することにつながる。そして、大儀にもとる行為を平然と行うことができる人間に、小さな正義を求めることは不可能だという原理原則を再発見することにもなる。
 松山千春、お前のやってることは、とんだカン違いだよ。目を覚ませ!

大義にもとる者、小義にもとらざるべからず(ちょっと難しかったかな)