孤独を恐れるよりも

 孤独をなげく老人がたくさんいる。若くても、人付き合いが悪く、自閉症的な人も結構多い。
 イギリスで、人知れず死んでいった老人の日記には「今日も誰も訪ねてこなかった」と記されていたという。つらかったろうね。
 でも、孤独になってしまうのは、長い人生の中でその人が播いたタネの結果だから、自分で刈る以外にない。「徳孤ならず、必ず隣りあり」っていう言葉があるだろ。有隣堂っていう本屋の名前は、これからとったんだよ。
 「徳」とは「仁」に近い意味で、簡単にいえば人間愛のこと。だから、「人間愛のある人には必ず友だちがいる」という意味だ。逆に言えば、「さびしいのは、人間愛がないからだ」という意味になる。
 オレは、さびしいと思ったときは、いつもこの言葉を思い出すことにしている。オレに人間愛があれば、みんなが集まってくるだろう。さびしい思いなんかするはずがない。さびしいとすれば、オレに人間愛がないから。それはオレの責任なんだ。
 人間愛とは博愛のことだ。「自由・平等・博愛」の博愛。誰にでも分け隔てなく与える愛。言うのは簡単だけど、なかなか与えられるものではないよ。恋人にだって本当の愛を与えているかどうか危ないんだから。でも、それができてこそ、孤独とは無縁になれるんだ。
 女性が孤独に強いのは、常に内側に自分の生きる喜びを見つけていくからだろうな。男は逆。自分の外側に、つまり社会的に満たされていないと、たとえ家庭的に満たされていても、孤独を感じてしまう。
 娘を3人も持っている友人が何人かいる。いいなー、家に帰ればクラブ状態で、なんていうと、それがそうでもないらしい。男は家庭の中だけでは満たされない生き物だ。
 社会的に人間愛を与え尽くしてこそ、男は充実した人生を実感できる。いくら金だけまいてもダメ。権力や金力はむなしい。無くなれば、誰も見向きもしないもん。力や金がなくなったからといって去っていく人がいるとすれば、それはその程度のつきあいであったことが暴露されただけのことだ。どうせそんな関係なら、なるべく早く破綻したほうがいいくらいだ。
 だから、定年間際や定年後になって、急に社会奉仕なんかに参加しようなんて考えても手遅れだ。勢いのあるときから、自分の仕事に関係づけながら社会参加をしていけば、定年後に何をしていいかわからないなんて起こりえない。
 もし、キミがさびしいなら、孤独を嘆く前に、今、自分は他人のために何ができるのかって、考えてみてはどうだろう。

孤独を恐れたりなげくよりも、人徳のない自分を恐れるべきだ。