異性にもててこそ、生きる意味がある

 男ってヤツは、誰でも女性にもてたいと思ってるもんだ。いや、女にもてることが、男の生き甲斐のすべてといっても過言じゃない。
 バカ言え、真理の探究や崇高な使命感に燃えて生きてる男だってたくさんいるじゃないか、という人は、ちょっと前に出なさい。じゃあ、アンタに聞くけど、そういう高潔な男が、生まれてから死ぬまで、女性にまったく接することなく、ひたすら学問や芸術、宗教に身を捧げられるとでも思っているのかね?
 あのお釈迦様だって、釈迦族の王子として生まれ、何不自由ない生活どころか側室に囲まれて、ということはヤリまくった上で、人生のむなしさを悟ったわけだ。
 人を愛したり、愛されたこともない人にとって、人生の真理を探求することはどれほどの意味があるだろうか。
 ものごとの価値というものは、すべて相対的に決まる。だから、男らしく生きるということは、女らしく生きるという価値を意識してこそ、実現できるんだよ。だから、女らしい人を愛したこともなく、男らしく生きるなんて、できっこない。その逆も同じ。
 男だ、女だという前に、人間らしく生きるという生き方もあるじゃないかというかもしれない。でも、オレに言わせれば、男であることのほうが、人間であること以上に大切なこともある。ちょうど、公人として生きることが、私人として生きるよりも重要なことがあるように。
 おれは、男らしくない男性、女らしくない女性は、結局のところ人間らしく生きることなんてできないと思うようになった。
 だから、男らしく生きることができない結果として、女にもてないようなら、死んだ方がましだということだってあるんだ。でも、亡くなった青木雄二さんのように、ゼニさえあれば絶対もてるという考えには賛成できないな。金の切れ目が縁の切れ目だなんて、悲しすぎるもん。
 男らしさに女が惹かれ、女らしさに男が惹かれる。そんな単純明快な恋愛って、ホントに少なくなったんだろうね。

もてないくらいなら、死んだほうがいい。この考え方、ヘンかな。