映画監督という無能の人

 一昨年は、ショートムービーを作った。30分ほどの青春ドラマ。映画の出来は80点ぐらいだけど、この映画制作を通じて、いろいろな体験ができた。映画は見るより作る方が断然おもしろい。
 オレは脚本から書きおこして、監督から編集まで、全部やってしまう。まさに能力全開という状態になる。これは、会社の経営に似たところがある。
 社長というのは、偉そうにしてるけど、パソコン1台操作できない人が多い。専門的な技能に関しては、子ども以下みたいな人ばかりだ。でも、専門技能を持った人をやる気にさせて、会社全体を動かしている。
 オレは、音楽もわからない、絵も描けない、文章もたいしたことないという無能な人間だけど、映画という総合芸術なら、そこそこ力が発揮できると思っている。要するに人生経験と感性さえあれば、だれでも映画監督になれるのだ。
 下手に能力があったら、俳優とか音楽家を目指していたかもしれない。でも、能力がないのに、感性だけはあったから、監督でもやっていけると思うようになった。
 いろんな映画やドラマを見ても、オレならあんな演出はしないと思うことが多い。みんなどこかで見たような類型的な演出だ。芸術学部かなんかできちんと基礎を学んだような人に限って、臭い演技を容認している気がする。
 短歌や俳句、小説などの世界でも、きちんと基礎を学んだという人に限って、マンネリの世界に落ちこんでいく人が多い。大胆な発想の転換ができないんだろうね。
 作曲の世界でも、譜面すら書けないのに、実にいい音楽を作る人がいる。でも、それでいいじゃないか。譜面を読んで感動するわけじゃないんだから。
 形式にとらわれ、作法に束縛されることで、ひとつの殻から抜け出せなくなっている人が多いのじゃないかな。
 その点、映像の世界に関してオレは何も知らないから、思ったとおりのことが演出できる。某監督みたいに暴力シーンだけを売りにするのではなく、限られた予算の中で心の底から感動させ、大笑いさせる作品は、オレ以外には作れないかもね。そうなったら、これは無能の勝利だ。次は大作にチャレンジするよ。

監督というと、相当有能な人かと思うかもしれないけど、実態は逆だ。

(C) 2005 by Mitsuhiko Takeshita

ミッチャンのエセエッセー                      by 竹下光彦