打算は、すでに愛ではない

 前にも書いたけど、結婚できない症候群がふえている。そのひとつの理由は、人を愛することによって、何かを失い、自分が傷つくことを恐れる臆病な人が増えているからであることはまちがいない。恋愛も結婚も、損得勘定でしか捉えられない、打算人間がふえているということでもある。
 自分はこういう人間なのだから、それ相応の相手でなければならない。そういう思いこみが常にある。だから、自分にふさわしいと思う人以外は、無意識のうちに「書類審査」の段階ではねてしまう。結婚どころか、恋愛の対象からも外しているんだ。
 でも、それはそもそも「愛」という言葉にふさわしいものだろうか。相手のことを知り、よく品定めしてから恋愛しよう、結婚しようというなら、そればほとんどビジネスと変わらない。自分の愛と、相手の愛を等価交換しようとするだけのこと。パチンコ玉の交換と一緒だ。
 そういうと、必ずこういう答が返ってくる。「そんなこと言っても、相手のことをよく知りもしないで夢中になり、相手が悪い人だったら、傷つくのは自分だけじゃあないですか」
 そうじゃあないんだ。大切なのは、日ごろの訓練だよ、訓練。人を見分ける訓練ができていれば、半年も1年も相手とつきあわなくたって、ましてや同棲なんかしなくたって、相手を見定められるの。
 また、小難しいことを言って煙に巻くと思われたくないけど、キミは、「フラクタクル構造」って知ってる?たとえば、下の図形がその例。
  △       □□□□
 △ △      □□□□
△△△△     □□□□
 全体の形が、それを構成する一部分と同じ形になってる図形のこと。
 人生はフラクタクル構造をしてるんだ。つまり、人の一日の生活は、人生全体の縮図なの。朝、ぐーたらぐーたらしてて、昼過ぎからエンジンがかかるような生活をしてる人は、その人の人生もそのとおり。青春時代は遊びも仕事も中途半端でボーと終わり。中年すぎてからあくせく働き始めて、多少カネが貯まったと思ったら、もう老人。そんな人生じゃあないの?小ゼニを抱えてあの世へ行けばいいんだ。
 オレが言いたいのは、その人の一日を見てれば、それだけでその人の人生がわかるということ。長い時間つきあう必要なんてないよ。
 ホームランバッターは、球が投げられた瞬間、もうバットを振りだしている。球が手元に来てから打とうか打つまいかなんて判断する余裕はない。そんなことしてたら、三球三振。見送りのアウト。とにかくバットは振らなきゃ当たらない。
 人とのつきあいも同じ。この人とつきあおうか、つきあうまいかなんて考えてたら、相手は去っていってしまう。つきあいながら考えればいい。
 もう一度言うよ。まず、バッターボックスに入らなければ、相手は球を投げてくれない。そしてどんな球でも、相手が投げた瞬間にバットを振らなければ、ヒットもホームランも打てない。相手の投手のクセや能力は、ちょっと観察すればわかる。それだけのこと。
 それでも球を打とうとしない人へ、次の言葉を贈ろう。
You must love him, before to you he will seem worthy of your love.(自分の愛に、値する相手かどうか、考える前に愛せよ)―ワーズワース
It is better to have loved and lost than never to have loved at all. (愛して失うことのほうが、まったく愛さなかったことよりましだ)―テニスン


キミは自分の愛を他人と交換したいだけじゃあないの?

ミッチャンのエセエッセー                      by 竹下光彦

(C) 2005 by Mitsuhiko Takeshita