小さな親切、やっぱり大切

  知ってた?毎年、6月13日は「小さな親切の日」なんだって。
 「小さな親切」っていうことばは、オレが学生のころ聞かされた気がする。周囲の人に、小さな思いやりを尽くそうという、「一日一善」みたいなスローガンだった。
 その後、「小さな親切、大きなお世話」なんておちょくられるようになって、だれも口にしなくなっていった。
 ところが、ネットで調べてみると、今でも「小さな親切運動本部」というのがあって、ちゃんとホームページ( http://www.kindness.jp/)もある。
 それによると、この運動のきっかけになったのは、1963年に、東京大学の卒業式の告辞の中で、茅(かや)誠司総長が「小さな親切を勇気をもってやってほしい」と言ったことなんだそうだ。
 天下の秀才に向かって、小学校の道徳の授業みたいなことを言い聞かせたわけだけど、それには意味があると思う。
 学校の成績のいい人間や、エリートと呼ばれるような人たちは、人間的なあたたかみに欠けることが少なくない。すべてを理屈で判断して、合理的に行動しようとする。だから、冷たい仕打ちでも平気でやってのける。法律に書いてないことなら、何でもやってかまわないと思ってる。
 そんな打算的で愛情のかけらもない人間ばかりになったら、世の中住みにくくなる。いくら頭がよくても、冷血漢では意味がない。茅総長はそう言いたかったに違いない。
 40年以上経った今、どうだろう。政権の座にあったり、世の中の中枢で権力を押さえている人の中に、小さな親切という価値観を持った人がどれだけいるだろうか。他人を思いやる余裕など、ほとんどない人ばかりに見える。
 駅のホームの片すみで、誰かがカツアゲされていたり、車内で酔っぱらいが女の子にからんでいても、見てみないふりをしていく人ばかり。せめて携帯で通報したり、車掌や駅員に伝えたりすることぐらいは、だれでもできるはずだ。
 この間、明治通りをバイクで走っていたら、目の前を走っていたバイク便の兄ちゃんが、後ろから来た乗用車の男に幅寄せされて止められた。追い越し方かなんかが気に入らなかったようだ。
 乗用車から降りてきた男は、何か口走ると、いきなり兄ちゃんに殴りかかった。兄ちゃんは歩道に倒れ、さらにけりを入れられている。通行人は誰も助けない。
 オレはすぐバイクを止めて、その男に近づいた。かなりの大男だから、殴られたらオレもすっ飛んじゃうかもしれない。合気道三段といっても、まだ実戦の経験はない。
 翌日の新聞に、「会社社長、ケンカの仲裁に入り、殴られて死亡」なんていう見出しが出るのが一瞬、頭に浮かぶ。
 こんな時は、気合いだ。大声で、「倒れてるんだから、やめろ!」と叫んで間に入った。すると男は、オレに一瞥(べつ)をくれると、そのまま後ろも見ずに立ち去った。
 オレは、立ち上がった兄ちゃんに、車のナンバーを覚えているから警察に行こうと促した。でも、小声で、「いや、いいです」と言うと、倒れたバイクを起こして立ち去った。彼にも相当の非があるのだろう。
 それにしても、たくさんの人が通っているのに、だれ一人助けに入らなかった。オレが間に入らなかったら、どうなっていたろう。しかも、助けた兄ちゃんは、オレに礼ひとつ言わなかった。
 でも、いいんだ。オレはその兄ちゃんのためというより、自分の信念のために行動しただけなのだから。オレに自信がついただけでありがたい。
 「小さな親切」とは、結局、他人のためにするのではない。いつ、どんなときでも正しい行動ができるかどうか、自分を試すためにするだけのこと。
 “人を信じ、人を愛し、人に尽くす”というこの運動の精神を、今こそ見直さなければならない。

自分の利害に関係なく、正しい行動がとれる自信ある?

(C) 2005 by Mitsuhiko Takeshita

ミッチャンのエセエッセー                        by 竹下光彦