売春は、なぜいけないのか

 新聞の社会面を見ていると、ひところではないけど、今でも未成年者をカネで買おうとする男があとをたたない。
 だいたい、娘からなぜ体を売ってはいけないのかと尋ねられたとき、まともに答えられない親が多いんだって。アンタなら、なんて答える?
 オレならこう答えるね。その答えは簡単。どんなことでも、かけがえのないもの、ほかと交換できないものは、粗末にしてはいけないということに尽きる。
 人を殺してはいけないのも同じ。殺したら、その人は二度とこの世で会うことができなくなるからに決まってるじゃないか。
 というと、かならず、「じゃあ、純潔とか処女性にそれほど意味があるんですかね」という問いかけがくるだろう。黙っていれば、返す刀で「古い価値観じゃないの」といわれる。
 バカヤロー!人間が人間であるかぎり、基本的な価値観に古いも新しいもあるか。温泉に入って気持ちがいいのは、昔の人も今の人も、男も女も、王様も乞食も、変わりがないだろう。うまいものは、だれが食べてもうまい。まずいものは、だれが食べてもまずい。それと同じだよ。
 第一、意味がないなら、そのことば自体も消えて使われなくなっているだろう。意味があるからこそ、今も昔も、洋の東西を問わず使われているのじゃないか。
 処女に意味がないなんていうヤツは、ヤリまくってて、誰が最初だかわけがわからなくなったような人間に相場が決まってる。自分にはもはや意味がないというだけのことだろう。あるいは、スーフリのメンバーみたいな人間だよ、お前は。
 愛情とは無関係の、欲望を満たすだけの性なら、確かに純潔も処女も関係ないだろう。だからオレに言わせれば、純潔に意味がないというのは、つまりは不幸な人間の捨てぜりふだ。
 繰り返し言ってるように、どんな人間でも、愛と性は、それが一致したときにこそ最高の幸せの状態になる。分離して満たそうとするなら、それは単に「欲望の処理作業」にすぎない。
 同じ食欲を満たす場合でも、単なる「栄養補給」のようなファーストフードから、心のこもったスローフードまで、その意味するものや味わいはまったく違う。愛に満ちた性を感じたものでなければ、その違いはけっして理解できないだろう。
 長野県の岡谷市でうなぎ屋を経営するMさん夫妻は、美男美女の似合いの夫婦。店もたいへん繁昌している。ふたりは、それぞれ童貞と処女で結婚したことを誇りにし、そのことを公言している。その事実は、ふたりにとって大きな絆(きずな)になっている。
 美男と美女だけに、どちらかがそうでなかったら、うまくバランスがとれただろうか。大いに疑問だね。
 念のために言っておくけど、ここでオレが意味している「処女」とか「童貞」とかは、物理的、肉体的なことを指しているのではないよ。純潔というのは、あくまでも心のあり方の問題なんだ。だから、力ずくでレイプされたからといって、処女を失うなんてことはあり得ない。自分の意に反して肉体的な屈辱を受けた人は、このことを忘れずに、早く立ち直ってほしいな。
 処女はいつでも「非処女」に、童貞はいつでも「非童貞」になれる。でも、その逆はできない。だから、大切にしたほうがいいんだ。トシだからといって、あるいは周囲の人間がみんな「卒業」してるからといって、あせる必要なんて全然ない。つまんない相手や商売人なんかに渡したら、必ず一生後悔するよ。

コギャルのこの質問に、ハッキリ答えられる大人はどのくらいいるか

ミッチャンのエセエッセー                      by 竹下光彦

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