愛と性そして結婚の関係

 オレは、30歳で結婚するまで、童貞だった。そう言うと、みんなまるで生きた化石ではないか、という顔でオレを見る。
 別にセックスに興味がなかったわけではない。それどころか、子どものころは人いちばんマセていた。女性にもてなかったわけでもない。でも、結婚するまで、誰とも寝たことがなかった。「セックス・イコール・結婚」という方程式が常に頭にあったんだね。
 この考え方は、今でも変わらない。結婚する気もない人と、セックスしようとは思わない。それどころか、「子どもを産ませたい」と思わずに、セックスしようとも思わない。
 この考え方が多数派だとか、一般的だとは言わない。みんな、そんな考え方はおかしいって言う。「愛」と「性」は別。まして結婚なんて考えてセックスなんてやってられるかって言うね。「子どもを産ませるために」なんて言おうものなら、みんな引けちゃう。そんな考え方は重すぎるって言われる。
 いいの。オレは変人なんだから。小泉純ちゃんのお友だち。
 「人を好きになる→セックスする→その結果として子どもができる→その子を育てるために一緒になる(結婚する)→新たな絆を作る→一生添い遂げる」という流れが、いちばん自然だし、お互いが幸せになる近道だと信じてるんだ。
 オレもそのひとりだけど、何かの理由で、この流れが狂ってしまうこともある。そうしたら、またできるだけその流れにそって、やり直せばいい。
 性評論家として一世を風靡した奈良林祥さんの、「性の存在なくして愛が芽生えることはなく、愛の存在なくして性が満たされることもない」という言葉は、けだし真理だね。愛と性とは車の両輪のようなものだというわけ。この名文句にあえて付け足せば、結婚は、この両輪を結ぶ軸のようなものだ。
 車輪も大切だけど、車軸はなお大切。折れたら一発で終わり。愛があり、性があっても、結婚という絆、つまり運命すら共にできるという連結装置が絶対必要なんだ。その絆を太く、丈夫なものにしておかなければ、「愛」も「性」も意外ともろいもんなんだよ。
 そんなもろさを承知の上で、セックスに没頭できるという人には、単に「はい、お疲れさま」って言ってあげたくなるね。

愛と性は別という考えが、今は主流。それでむなしくないのかよ。

(C) 2003 by Mitsuhiko Takeshita

ミッチャンのエセエッセー                      by 竹下光彦